涙目を擦りながら、寝覚めの悪い身体を起こし、鉄扉に向かった。
早く此処から出たいという焦燥感と、独りぼっちと云う孤独感に駆られながら把手を捻る。
が、開かない。
捻って押しても引いても、見た目通り動く気配が無い。
「誰か、誰かいませんか!?ここから出して!お願い!!」
緊張感と圧迫感に耐え切れなくなり、鉄扉に固く結んだ拳を何度も叩きつけた。
それに合わせて、心情が口を突いて出る。
「プロデューサー!?千早ちゃん!?美希!?」
さらに、大切な者達の名前を呼ぶ。
(どうして・・・。記憶のない直前まで、確かに皆一緒に居たのに・・・。どうして、私だけが・・・)
鉄扉に打ち付けた手が赤く染まり、春香にじんわりと痛みが伝わる。
漸く観念し、微動だにもしない扉に凭れ、力無く座り込んだ。
(うう・・・、何なのこれ・・・。誘拐?監禁?どうなっちゃうんだろう、私・・・?
プロデューサーは・・・?みんなは・・・?)
途方に暮れる春香。
ふと顔を上げると、何やら妙な物が視界の端に映り込んだ。
(ん・・・?何?あったっけ、あんなの・・・)
それは、壁に埋め込まれた液晶モニターだった。
春香が起きた時、丁度モニターが背面にあった為に気が付かなかったのだ。
直ぐ様、そのモニターに駆け寄る。今は何でも良いからこの場所に関する情報が欲しい―――。
その画面には、こう書かれていた。
『天海春香様。
唐突ではありますが、今から貴女達にはこの檻からの脱出ゲームに参加して頂きます。
まずは、以下の11人の中から、「最も苦手とする人」を選び、その名前をタッチしてください。
【我那覇響】【菊地真】【如月千早】【四条貴音】【高槻やよい】【萩原雪歩】【双海亜美】【双海真美】【星井美希】【三浦あずさ】【水瀬伊織】
なお、選択されない限りこの部屋からは出られませんので御承知の程を。
では、御幸運を祈ります』
春香の胸に、ぞわぞわと得体の知れない感情が湧き上がった。
そこに挙げられた名前は全て、天海春香が所属する765プロのアイドル達だった。
―――知っている。
(私を此処に閉じ込めた犯人は、私の名前と765プロを知っている・・・)
誰だ。
(・・・亜美真美のイタズラのほうがまだカワイイもんだよ・・・なんでこんな、手の込んだ事・・・)
まさか。
(765プロ関係の人・・・?まさか、監禁なんか出来る人なんて・・・。ドッキリ企画か何か?それとも、狂信的なファンが・・・?)
止まらない、疑念。
裏付けの無い妄想が脳内を駆け巡る。
その妄想が行き場を失くした時、春香はもう一度モニターに眼をやった。
(・・・今は、此処を出る事だけを考えよう・・・)
じっとモニターに打たれた文字を見詰め、自分に投げ掛けられた問いに就いて思慮してみる。
「最も苦手とする人」を選べ、というものである。
何故犯人は、こんな事をさせるのか。理解など出来る訳もない。
しかし春香は、ある一節を見逃さなかった。
『今から貴女達には』。
この、達と云う言葉の意味する処は、恐らく一つ。
(・・・私以外に、誰か居る)
今の自分と同じように、監禁されている者がいる。
そしてそれは、数は分からずとも十中八九自分の仕事上の知り合い。
もしも同様の問いを他の被害者も与えられているとしたら、
その人は自分も含めた、この765プロの輪の中の誰か、である筈だ。
赤の他人からしたらこの様な問いは何の事だか検討も付かないだろう。
だから、此処に名を刻まれた、或いは彼女達に関連する人間でなければいけないのだ。
・・・しかし、此の中から苦手な人間を選べ、とは・・・?
どうも、この回答を出さなければ、此処からは出られそうも無い。
いや、たとえ誰かを選んだとして、あの鉄扉が開く保障は何一つ無いのだが。
今、自分に出来る行動は、これしかない―――。
(どうしよう・・・。「正直に答える」べき・・・?それとも、「嘘を吐く」べきなの・・・?)
それすら分からない。
そもそも、出来る事なら選びたくないのだ。苦手な人間なんて本当は誰一人として居ないのだから。
(皆、大切なアイドルの仲間なんだ・・・。苦手、なんかじゃない・・・)
もしもこの選択肢に自分の名前があったなら、迷わず自分の名前を選択していただろう。
そして、他の人間もそうするだろう。自分と同じ考えに至ったなら。
しかし、犯人も只の馬鹿では無い様である。是程の大仕掛けが出来得る人物なのだから至極当然の話だ。
抜け目無く「他人を貶める」システムを構築している。
(もう・・・、こうなったら神頼みで・・・)
春香は吹っ切れた様に、モニターの名前の上に指を翳した。
「どちらにしようかな、天のカミサマの言うとおり・・・」
よくある数え歌である。歌いながら、春香は内心で毒吐いた。
神なんてものが本当に存在するなら、私は今頃こんな得体の知れない場所でこんな思いを巡らせることも無かっただろう、と。
そうして春香の指が指したその人物は、
三浦あずさ、だった。
(あずささん・・・。確かによく迷子になって竜宮小町のみんなを困らせてたけど・・・。でも・・・)
とどのつまり、誰も押したくないのだ。
裏を返せば、誰を選んでも同じ、と言えなくもない。
仕方無く、春香はそのまま指先を【三浦あずさ】に宛がった。
(あずささん、ごめん・・・!)
モニターが『【三浦あずさ】で宜しいですか?』と云う旨の確認画面に切り替わり、
内心では苛立ち乍らも再び画面にタッチした。
するとモニターは電源が落ちたのか真っ暗になり、其れ以降何も映さなくなった。
その後、鉄扉の把手を捻っては見たものの、矢張りびくともしなかった。
する事も無くなり、先程の様に壁に寄り掛かって項垂れた。
物音もせず、しんと静まり返った室内。
もしも誰かが他に居るとしたら、大声の一欠けらでも聞こえそうなものだが。
この壁は相当防音性能に優れているのだろうか。
それにしても、此の部屋には布団もトイレも無い。
刑務所の牢獄の方が幾分ましに思える。尤も、収容された経験は無いのだけれど。
先程のモニターには、選択しない限り部屋から出られない、とあった。
つまり、ここにいる全ての人間が選択しなければ開かないと言う事か。
(―――他の人達は、どうするんだろう。誰を選ぶんだろう。
私みたいに、神頼みするのかな。それとも、本当に苦手な人を選ぶのかな。
やよいは・・・きっと適当だよね。誰とでもおんなじように接してるし。
雪歩もきっとそう。優しくて、誰かを嫌いだなんて言えない子だもんね。
千早ちゃんや美希はきっと、私を選ぶんだろうな。迷惑ばっかり掛けてるからな・・・。
・・・嫌だな、私が一番選ばれてたら。でも、いっか・・・。他の誰かよりは・・・)
茫然と思いを巡らせる。
そうしている内にも、疲労感が高まり、急速に筋肉が弛緩していく。
強力な眠気が春香を襲い始めた。
それは、現実逃避しようとする心理から来るものなのかもしれない。
(少し、眠ろうかな・・・。皆が選んでる間に・・・。これがもし夢なら、いいのにな・・・)
覚醒から一時間余りが経過した、その時だった。
がちゃり。
錠の開く音がした。
(あ・・・開いた・・・!?)
深い眠りへと落ちかかっていた身体は、その音に弾かれる様に、ほぼ反射的に鉄扉に飛び付き、把手を捻っていた。
ごおん、と音を立てて鉄扉が開いていく。鈍い振動が手に伝わった。
(出られる・・・やっと・・・)
息の詰まりそうな部屋を潜り抜けた、その先には・・・。
「春香!」
「!・・・千早ちゃん!?」
華奢な身体が春香の元に駆け寄って来た。
春香と同じ765プロのアイドル、如月千早だった。
「春香・・・大丈夫?怪我はない・・・?」
その顔には不安を湛え、声は震えていた。
続けて、違う声が響く。
「春香!貴女もいらしたのですね・・・」
「グス・・・みんな、やっぱりいたんだね!」
「みんな・・・。ねえ、何なんだよ、ここは?」
「こ、これ、ドッキリとかじゃ、ないよね・・・?」
四条貴音。高槻やよい。菊地真。星井美希。
春香の予想通り、其処にはモニターに記されていた765プロの面々が居た。
いや、正確には「出てきた」のだ。春香が居た部屋と同じような部屋から。
この部屋は所謂ホテルの廊下のような構造になっていた。
言わずもがな、その壁はコンクリートで覆われており、蛍光灯が炯々と光っているのみで薄暗く、更に狭い。
彼女達もまた、この異様な状況を把握できずに狼狽え、或いは悲泣していたようだ。
「みんな・・・!ひょっとして、あの変な投票を・・・」
春香が全員に尋ねると、皆が一斉に口を開いた。
「あれは・・・誰も選びたくなかったから、目を瞑って適当に押しちゃった」
と、やよい。春香の読みは的中した。
「・・・ミキは春香を選んだの」
と、美希。これも的中。春香からすれば外れて欲しかったのだが・・・。
「そ、そう・・・。私は・・・」
一瞬、躊躇った。自分はやよいと違って、「見て」しまっているのだ。
流石に神頼みで選んだ名を言うのは辛い。
自分もやよいと同じ様に見ずに押せば良かったと後悔した。
「やよいと同じで、見ずに押したよ・・・」
思わず嘘を吐いてしまった。
「私も・・・。早く家に帰りたいよう・・・」
べそをかきながら、双海姉妹が擦り寄ってきた。
双海亜美・真美はややませている部分があるが、まだ13歳の女の子なのだ。心底怖かったろう。
「大丈夫・・・。みんな、ここから出る方法を探そう。絶対に何かあるはずだよ」
怯える心を奮起させる為に、皆を煽る春香。
「うん、そうだね。こんな辛気臭いトコロ、サッサと抜け出そう。それで、ボクたちみたいな女の子をこんな所に閉じ込めたやつをぶっ飛ばしてやろう!」
真は真っ当な神経を保っているようだ。春香の決起に乗ってくれた。
「そ・・・そうね。早く帰らないと家の者が必要以上に心配しちゃうし・・・」
こんな時にも相変わらずお嬢様気質なな水瀬伊織。しかし声が強張っているのを聞くと、落ち着いて居られない様子だ。
「・・・となると、最も怪しいのは・・・あの正面の扉」
真と同じく比較的冷静な千早が言う。
彼女の言うとおり両側に部屋の鉄扉が12づつあるのに対し、正面にはそれとは違う装飾の扉があった。
こちらも重々しい鉄扉だった。
果たして開くだろうか。
真っ先に扉に歩み寄った真が、その把手を掴んだ。
「お・・・開くよ、この扉!」
驚く程あっさりと、その扉は開いた。
「よし、行こう」
春香が皆を促した、その矢先。
「し・・・少々、お待ちください・・・!」
震えた声で、四条貴音が全員を制止した。
「どうしたの?何か変なものでも見付けた?」
訝しげに真が訊く。
しかし、貴音の挙動は、何かを見付けた時のそれではなかった。
どちらかと言うと、何か良からぬ重大な真実に気が付いた様な、神妙な顔付きをしていた。
「その・・・、この部屋の扉の数は・・・全部で十二個ですよね・・・?」
改めて真が指で数える。
「・・・うん、そうだね。それに、最初のパネルにも11人書かれてて、自分も入れたら12人でしょ?」
多くの親友が頷く。
「・・・では、今此処に居るのは、全員で12人のはず・・・ですね?」
「・・・そりゃ、そうだよ?それがどうし・・・」
「足りないのです!」
突然大声で叫ばれて、真は怯んだ。
「・・・は?」
「ですから・・・、今この場に、11人しか居ないのです・・・!」
春香の心臓の鼓動が、どくんと大きく跳ね上がった。
薄々感付いてはいた━━━いや、認めたくなかった━━━が、貴音の一言で、漸く確信した。
居ないのだ。
自分が「投票」した人物。
―――三浦あずさが。