アイアンメイデンの扉を抜けた先は、地下のように長い廊下だった。
そこを歩くものも今となってはたったの人七人。
あずさややよいの死に半狂乱していた頃とは別人のように、冷たく鬼気迫る表情の千早。
不安と苦悩に顔を曇らせる春香。
疲労を苛立ちを滲ませながらも、ただ前だけを見据える伊織。
赤く腫れた目をこすり、とぼとぼと進む響。
その肩を抱き、労るように歩調を合わせる美希。
手を繋ぎ、時々お互いの表情を確かめ合いながら歩く亜美と真美。
「千早ちゃん・・・本当にケガしてないんだよね?」
「ええ、何も心配はないわ。春香こそ、体調は大丈夫なの?」
「私は・・・平気だよ」
春香は先ほどから様子の変わった千早を気にしていた。
千早のシャツに跳ねた血の染みを見つめ、ぼんやりと考えた。
この血が全て、律子さんの・・・。
千早ちゃんが、律子さんを・・・。
きっと、自分の想像も及ばないような、壮絶なことが起こったのだろう。
千早、美希、貴音、律子にしかわからない、壮絶なことが。
何にせよ、千早ちゃんを責める気は全く起きない。
口ではあんな風に冷ややかに言ってるけど、千早ちゃんはそんな子じゃない。
・・・律子さんはなぜ、鬼にされたのだろう。
私たちと同じ側でなく、敵として戦わなければならなかったのだろう。
現在はプロデューサーという立場だからだろうか。
それにしたって、こんなのはあんまりじゃないか。
人質を取られて仕方なく、といった理由でもなければ考えられない。
根拠なんてないけど、私は律子さんが犯人だとは絶対に思わない。
・・・プロデューサー。
その言葉を頭に思い浮かべた時。
辛くなるからと。
脆くなるからと。
今まで無意識下で考えないようにしていた、一人の面影が。
コーヒーをこぼした様に、じんわりと思考に滲んで広がり始めた。
プロデューサーさん。
私たちのプロデューサーさん。
彼がもし、この先現れるとしたら。
それは自分たちを殺す鬼だろうか。
それとも私たちを救うヒーローだろうか。
・・・もう、どっちでもいい。
会いたい。
無性に会いたい。
思いっきり抱き着いて、彼の胸で泣きじゃくりたい。
人目なんて気にせず、彼を困らせてしまうくらい、むちゃくちゃに泣きたい。
助けて、プロデューサーさん・・・。
「春香、あんた自分の心配でもしてなさいよ。千早の前にあんたがドジって死ぬかもしれないわよ」
春香を現実に引き戻したのは、伊織の痛烈な一言。
春香は一瞥し、言葉を返す。
「伊織だって、焦りすぎて痛い目見るかもしれないよ」
「ふふっ、この私がいつ焦ったっていうの?」
「今だよ。ずっと汗かいてるし、眉間の皺はとれないし」
「言うじゃない春香。あんただってライオンに睨まれたウサギみたいな顔してるわよ。そういう顔を死相っていうんじゃない?」
「・・・あ、扉」
春香が呟くと、伊織は一目散に扉に向かう。
直線の長い廊下の角を曲がってすぐのところに、扉があった。
「ほら、焦ってるじゃない」
「ふん、せいぜい私の揚げ足を取りなさい。私が生き残ることに変わりはないもの」
伊織がドアノブを回した。
「・・・あ」
伊織が、ぽつりと声を漏らす。
「えっ」
伊織を除く六人が伊織の背と扉の隙間から目にしたもの。
それは、何の変哲もない腰の高さほどの丸いテーブル。
そして、その上に置かれた、一丁の回転式拳銃だった。
「伊織っ!」
美希が叫び、同時に駆け出す。
それより僅かに早く、伊織も駆け出していた。
「ダメっ!!」
春香も上擦った声を上げる。
しかし、伊織は止まらなかった。
━━━━伊織が、拳銃を掴んだ。
「・・・にひひっ」
突然不気味に低い声で笑い出す伊織。
伊織には、誰一人近づこうとはしない。
彼女が、出口を背にして、腕を前に伸ばし、美希へと拳銃を構えたのだから。
「みんな下がって!!」
咄嗟に美希が全員に声をかける。
「嫌っ! やぁあぁあ!」
「うああぁあ!!」
恐怖の余り泣き喚いて、部屋の隅に飛びついて身体を抱き合う亜美と真美。
響がヒステリックな叫び声を上げ、入ってきたドアノブを回す。
しかし、一度閉まった扉は、決して開くことはなかった。
脱出を諦め、部屋の隅へと這って逃げる。
「春香っ」
千早は咄嗟に春香の前に立ち、片手で春香を牽制する。
春香は言われるがまましゃがみ込み、千早の脇の下から、美希の様子を窺った。
「・・・はぁ。掴んじゃったね、伊織」
拳銃を向けられているというのに、美希は全く動じなかった。
そして、ため息混じりに、さも残念そうに呟いた。
「あら。私、何かおかしいことしてるかしら?」
あくまでも平然に振舞う。
しかし、美希には見透かされていた。
「手、震えてるよ」
「・・・うるさいのよ」
不敵に笑いながらも声を荒げる伊織とは対照的に、美希の声は穏やかで、どこか優しげだった。
美希も表情こそ険しいものの、まるで駄々を捏ねる我が子を宥める母親のようだ。
そう、春香は思ったが、そんなことを考えている場合ではないと頭を振った。
「ま、待って伊織! この部屋の仕掛けが、それを使うものかどうかまだ分からないから・・・」
何とか場を落ち着かせようと、説得を試みる。
仲間が仲間を撃つ瞬間など見たくもないから。
或いは、自分が死にたくないから。
どちらの思いが強いかは、春香自身にも答えられないが。
「にひひっ、周り、見てみなさいよ。他に何がある? 何もないじゃない。アナウンスのスピーカーさえ」
「で、でも!」
「それにアナウンスの奴は言ってたわ。絶対1人は落ちるって。つまり、この銃で誰かが誰かを殺さなきゃ出られないのよ。そうに決まってるわ」
伊織は淡々と言い放ち、いびつな笑顔を浮かべる。
「あんた達は、自分の為に人を殺せない平和ボケした平和主義者。だから私が汚れ役を買って出てやるって言ってるのよ。さあ、誰が死んでくれる? 立候補しないなら、私が勝手に決めるわよ? ん? にひひひひっ!」
獲物を締め上げる蛇のように、命を握る者が見せる余裕の表情。
「・・・くっ」
春香を自らの陰に庇ったまま、千早は、ゆっくりと腰のあたりに右手を回していた。
(えっ・・・?)
春香は、この時初めて気が付いた。
如月千早が、シャツの下に何かを仕込んでいることに。
それが何かまでは分からなかったが。
「嫌だ、もう嫌だ・・・」
横を見れば、部屋の隅で膝を抱えて震えるばかりの響。
その足元に、黄色がかった水溜り。
亜美と真美も震える唇を噛んで互いの肩を抱き、下を向いている。
春香にはもうどんな行動も、言葉も浮かばなかった。
このまま、伊織が私を撃つのを、ただ見ているしかないのか。
そんなの・・・辛すぎる。
伊織だって、こんなこと、したくないはずなのに。
━━━━塞ぎ込んでいたり迷ったりしている人を助けてあげてください。
貴女には、きっとそれができるはずです。
雪歩が私に、そう言ってくれたのに。
一言、私を撃て、と。
言おうとすれば、声がかすれる。
喉が震えしまう。
何故、言えないんだろう。
何を恐れているんだろう。
・・・雪歩はこうも言った。
『ここを出て』、『また元の生活に戻って』。
その言葉が、胸に引っ掛かっているからだろうか。
あるいは、このゲームを仕組んだ黒幕に相対した時。
この私の手で、仇を取りたいからなのか。
わからない。
頭が痛くなる。
胸が痛くなる。
私は・・・伊織に、何も言えなかった。