千早が残った部屋出た先は、また狭く長い廊下だった。
残った五人の足音だけが空白を埋めている。
次の扉が、12枚目の扉。
これが、私たちの命と引き換えにくぐる最後の『扉』だ。
ここを抜ければ、私たちはきっと救われる。
そのためにここまで来たのだ。
「・・・扉だ。みんな、準備はいい?」
春香の問いかけに返事はない。
彼女自身も、後ろの者たちの表情を窺おうとはしない。
そうだ、聞くまでもないことだ。
とうに覚悟はできている。
そっと、ドアノブに手を掛けた。
伊織が口を開いた。
「・・・響、亜美真美、それに春香」
「ん?」
「一つだけ、私に、誓ってほしいことがあるの。私が生きてるうちに」
「・・・なに?」
「どうしたんだ、伊織?」
「いおりん・・・?」
まだ少し腫れている瞼が、ゆっくりと開いて春香たちを見つめる。
その視線は、彼女が大事にしているうさぎのぬいぐるみに抱いている時のそれと同じ。
かつての彼女の、優しい眼差し。
「もしここを出られても、あんた達は絶対に、復讐なんて考えないで」
ドアノブを握っていた手が離れる。
誰も触れていないのに、強く肩を掴まれた感覚がして、春香は振り返った。
復讐。
私はそれを、自分を奮わせるための、先へ進むための原動力にしてきた。
こんなちっぽけな自分にそんな大それたことが出来るなんて、思ってない。
でも、それしか今の私の心にはない。
皆の仇を取る。皆を取り戻す。
私の手でゲームを終わらせる。
ただそれだけしかなかった自分に、今、春香は気づかされたのだ。
「・・・復讐」
「それはうちが、水瀬がやる。どんな手を使っても犯人を捕まえて死刑台に送るから」
「伊織・・・そんな事、自分は望んでないぞ。残った皆が元気なら、それで・・・」
「まあ、響なら大丈夫よね、解ってる。でも・・・春香」
「・・・うん」
「あんたが怖いのよ。私はね」
「何言ってるの伊織。私なんかにそんなことできる訳ないよ」
「でもやる。何も分からず一人で死んだあずさの為、希望を託して残ってくれた雪歩の為」
強く唇を噛む。
「不安と恐怖に押し潰されたやよいの為、恐怖を乗り越えて皆を励まし続けた真の為」
空っぽのこぶしを強く握る。
「仲間を殺さなきゃならなかった律子の為。最期まで自分と仲間を信じた美希と貴音の為」
震えるこぶしのなかで爪が突き刺さり血が滲む。
「大好きだった友達の・・・千早の為に」
「・・・もうやめて」
「できるできないの話じゃない。いつか、春香は絶対に復讐する。誰にも頼らず、独りで」
「はるるん・・・手、血が・・・」
「痛くないよ。こんな程度。皆はもっと痛かったし、苦しかった」
「元の生活に戻る為に皆戦った。でも今のあんたじゃ、元にはきっと戻れない」
「当り前じゃない!」
吐き出すように、春香は叫んだ。
「もう元の765プロなんて戻れないよ! 全部奪われて無くなっちゃったんだから! 奪ったやつから奪って何が悪いの!? 元に戻れないんだったら、いっそ全部壊すしかないじゃない!!」
「・・・壊す? 懐にしまってある『それ』で?」
「っ・・・!?」
思わず、春香は懐を押さえる。
「私に隠し事なんてさせないわよ。千早と別れる前。ばっちり見てたわ、二人の事。確信はないけど、鬼役の律子が持ってたものじゃないかしら」
亜美真美や響が春香の方を怪訝そうに見た。
「それって・・・春香、何のこと?」
「はるるん、千早お姉ちゃんに何か貰ったの?」
「・・・話を続けましょう。似てないようで似たもの同士のあんた達だもの。千早もきっと、それを使って自分一人で片を付けようとしてた」
「千早ちゃんの事は・・・いいじゃない・・・」
「でも、結局私を助けて残った。律子を手にかけたっていう罪悪感もあるだろうけど、きっとギリギリまで悩んだと思う。それでも最期は・・・『全てを壊す復讐』よりも『春香と元に戻る』事を選んだ。私はそう勝手に解釈してる」
「元・・・に・・・」
「それに、渡さないで春香に黙っているっていう選択肢もあったはず。ねえ、自分は元に戻ろうとしたくせに、なんでそれをわざわざ春香に託したと思う?」
「・・・わからない。わからないよ・・・」
「ここからも全部私の想像よ。千早は初めから春香が復讐に使うなんて思ってない。自分がそうしたように、『それを使わない』という選択を春香自身にして欲しかったんじゃないのかって」
「私が選ぶ・・・?」
「私でも感じる位だから、千早ももっと早く春香の復讐心に気が付いてたと思う。春香は復讐を果たせる武器を望んでる。だから渡した」
「千早ちゃん・・・」
「・・・これ以上言うのは野暮ね。千早とあんたの問題だもの。ヒントは出せても答までは言えない。というか、どんな形であれあんたが出した答えがそのまま正解なんだから」
「・・・そう。『これ』は私と千早ちゃんの問題。私は、私が正しいと思ったことにこれを使うよ」
「ええ。・・・引き止めて悪かったわね。さあ、春香、ドアを開けて」
「うん、じゃあ、行こうか」
伊織と、亜美真美と、響と、言葉もなく見つめあう。
頷いたりもせず、無理に笑うでもなく、ただ、目を逢わせる。
永遠のようなその一瞬を閉じ込めるように瞼を下ろし、春香はドアを開けた。
「・・・えっ」
その光景に、3人は驚いた。
部屋の内部は、扉が二つある以外は、彼女達も利用するようなごく普通のカラオケボックスそのものだったのだ。
少々暗めの部屋に、カラオケの入力機器とスクリーン。
机の上には歌本とマイクの他、わざわざジュースの入ったコップまで置いてある。
天井にはカメラとスピーカーだ。
「・・・最後は歌?」
伊織が呆れたように一言。
『はいどうも、その通りです。ラストはアイドルらしく、歌合戦で締めくくって頂きたいと思います』
「どういうこと・・・?」
春香は表情を曇らせる。
『皆さんには名前の五十音順に歌を歌っていただき、採点機能で点数を競います。春香ちゃんは太陽のジェラシー、響ちゃんはNext Life、双海亜美ちゃんはポジティブ!、真美ちゃんはスタ→トスタ→、伊織ちゃんはHere we go!!で。アイドルの生歌が聞けるなんて役得だなぁ』
「何であんたが決めんのよ・・・最後くらい好きな歌歌わせなさいよね」
「伊織の言うとおりだよ、しかも飲み物も生ぬるいし・・・」
「自分、カラオケってあんまり来ないけど・・・普通に歌えばいいんだよね?」
「大丈夫でしょ。ひびきん歌メチャうまいもん」
「ね。この中じゃ歌もダンスも一番っしょ。ビリははるるんかなー」
「そういうこと言わないでよ! ホントの意味で命掛かってるんだからね!」
口々に言いあいながら、マイクを手に取る。
「皆さん、緊張感がないですねー。もっと怖がっていただかないとこちらとしてもやり甲斐がないんだけどなぁ・・・。ああもちろん点数が一番低かった人がアウトですよ。ソファーの下に足枷があると思います。それを全員はめてください。早くしないとガスですよ」
「分かってるっての。ガスガスうっさいわね」
「もう今更びびってらんないっしょ」
「もう何も怖くない! ってなカンジ?」
「自分はもう、自分にできることをただやるだけさー・・・」
これをはめてしまえば、自力で出口に向かうのは不可能だ。
春香は入ってきた扉に一番近い場所で。伊織はその隣。
亜美真美はその対角線上の出口に一番近い側、響はその隣で足枷をはめた。
「・・・ねえ、みんな」
足枷を付け終わった響がおずおずと声を発した。
「なに? 響ちゃん」
「最後、くらいはさ・・・もう、みんな好きに歌おうよ。何も考えないで」
「・・・好きに?」
「そう。誰かを助けるために下手に歌おうとか、邪魔してやろうとか・・・そういうの、もうやめにしないか?」
その提案に、春香と伊織が目を合わせる。
ふっと、声に出さず伊織が笑った。
「・・・ひびきん。それ、真美も思ってた」
「亜美も。どうせ誰が残っても一緒だし。気楽にいこーよ」
「・・・ええ、そうしましょう。少し前の自分だったらマイク取り上げてでも勝ちに行こうとしてたでしょうけど。何だか私もそういうの、疲れちゃったわ」
「い、伊織はホントにやりかねないから怖いよ・・・。でも、そうだよね。恨みっこなしだね」
そう。
恨みっこなし。
恨むのは、私たち仲間じゃない。
このゲームを仕組んだ者たちだけで十分だ。
『うん、準備できたみたいですね。それでは曲は自動で入りますので、ごゆっくりどうぞ~!!』
「うう・・・」
気楽に、とは言うものの、やはり緊張はする。
アナウンスの終了と同時に、画面には「太陽のジェラシー」の文字。
出だしを外さないよう、慎重に心の中で確かめる。
「♪もっと遠くへ泳いでみたい 光満ちる白いアイランド・・・」
なかなか悪くない出だしだ。リズムもしっかりと取れている。
順番待ちの四人は黙ってカラオケ画面と春香を交互に見つめる。
(緊張で喉が震える・・・。これはこれで良いビブラートになったり・・・しないか)
不思議と、そんな楽観的なことを考えていた。
「♪そうよ永遠の夏 きっときっとドラマが始まる ・・・」
何とか歌いきり、曲が終わるのと同時に机に突っ伏してしまう。
しかし、まだ安堵するのは早い。
採点画面に映り変わる。
「・・・お願い」
得点が出た。
90.765点。
これは・・・どうなんだろう。
良いのか悪いのか、自分でもよく分からない。
「おぉ~、はるるんがこれほどの歌唱力とは・・・」
「やつは我が765プロの中でも最弱・・・だったはずなのに・・・」
「やめてよ! これでもドームまで行ったアイドルだよ!」
からかう亜美と真美に顔を赤くして怒る春香。
しかしその怒りは、犯人に抱くそれとはまったく別の感情。
愛おしい憎らしさとでも言うべきか。
「次は自分か・・・。あー、あー・・・立って歌ったほうがいいかな」
響は立ち上がり、念入りにマイクチェックをする。
Next Lifeは難度の高いダンスナンバーだ。
精神の集中が、見守る春香たちにもひしひしと伝わる。
イントロが始まり、自然と響の身体がリズムに合わせて揺れる。
「♪今こうして自分がここにいるのがよく考えたら凄く不思議で ・・・」
歌詞の一つ一つをはっきりと、噛み締めるように歌う。
やはり、上手い。
狭いのでダンスは踊れないが、上半身の振り付けもしっかりと再現している。
「♪忘れはしない君の温もりと偽り無い真剣な眼差しをずっと・・・」
・・・曲が終わった。
「はあっ・・・自分、歌ってて涙が出そうだったぞ。何回も歌ったはずなのに、皆の顔が浮かんできて、なんか悲しくなっちゃって・・・」
「て、点数は・・・?」
画面には、90.765の文字。
「あれ、これって・・・」
「はるるんも90点だったよね、確か」
「え、あ、うん・・・小数点まではちょっと・・・よく見てなかった」
「・・・面白くなってきたわね」
伊織が不敵に微笑んだ。
「じゃあ次は亜美だね。みんな合いの手よろよろ→」
怯えていた頃が嘘のように、元気を取り戻した様子の亜美。
それを見つめる真美も・・・顔は瓜二つだが、姉の風格を漂わせる穏やかな表情だ。
「♪悩んでもしかたない ま、そんな時もあるさ あしたは違うさ・・・」
今この場をそのまま言い表したような、溌溂とした歌詞とメロディが部屋を包む。
真美たちと共に合いの手を入れる。
それが点数に響くとか、亜美の邪魔とか、そんなことは考えもしなかった。
今だけは、楽しもう。
この五人での、最後のひと時なのかもしれないのだから。