其処は、今まで歩いて来た狭苦しい通路とは違い、広々とした正方形の空間だった。
「また、モニターがあるよ・・・」
窓が無く、蛍光灯が僅かに灯る薄暗い部屋。
横の壁には何も映し出していない液晶モニター。
奥には鉄扉。
そして、もう一つ、奇妙な物体。
「・・・何だろう?椅子?」
真の言うとおり、部屋の中央には鉄製と思しき椅子がぽつんと置かれていた。
いや、椅子と云うよりは、四角い箱に肘掛と背凭れが付いた様な代物である。
冷たい質感の部屋に似合ってはいるが、机も見当たらず、部屋の中で圧倒的に浮いている。
しかも、どうやらその椅子はコンクリートの地面と密着しているようで、動かせそうに無かった。
「何故、斯様な場所に・・・」
と、貴音達も不思議がる。
「今は、そんなものに構ってる暇はないよ。出よう」
すたすたと、奥の鉄扉に歩み寄り、把手を握る春香。
早く、一人ぼっちで心細いだろうあずささんを救い出してあげたい。その一心だった。
それを見て、皆が駆け寄って来る。
此処まで二つの鉄扉が開いたので、此処も開くだろう。誰もがそう思っていた。
・・・が、駄目だった。
「あれ?・・・開かない・・・?」
幾等捻っても、押しても引いても鉄扉は動かない。最初の部屋と同様に。
「どういう事だ・・・?」
検討も付かず、立ち往生する11人。そこに、電子機器が電源が立ち上がる様な音が響いた。
「あ・・・!あれ!モニターが!」
此処に来て初めて皆に対する呼掛けをした我那覇響が指差した先には、モニターがあった。
そして、真っ白い画面に何やら黒い文字が打たれている。
「まさか、また・・・?」
「・・・投票?」
全員に不安が過ぎる。
「いや、でも・・・全員集まった中で投票なんてさせる訳・・・」
「ここまでのことでも充分異様なんだ。それ位の凶行、平気でして来るだろうね」
「それは・・・」
全員そのモニターの前に集まり、読み始めた。
『貴女達が犠牲者として選んだ仲間、三浦あずさ様は死亡します。
間も無く、彼女の居る部屋に有毒の瓦斯を撒布します。
尤も、貴女達が苦手だとして選んだ犠牲者ですから、懺悔や悲嘆の念は微塵も無い事でしょう。
とは言っても、俄かには信じ難い話だと思いますので、証拠として死亡するまでの映像を流します。
さて、この部屋では、貴女達の中から一名が残留して頂きます。
貴女達でじっくりと話し合って、今回の犠牲者を決定してください。
制限時間は映像の再生終了から30分とします。制限時間を過ぎましたら、この部屋にも同様の瓦斯を撒布します。
では、ご幸運を祈ります』
全員の身体が、ギリシャ神話に登場する怪物、メデューサに睨まれたかの様に硬直した。
電流にも似た寒気が指先まで貫く。
目を見開き、大口を開けども、その驚嘆は声にはならなかった。
一体、何を言っているんだろう?このモニターは―――。
犠牲者?死亡?瓦斯?残留?
その単語の一つ一つが、11人の精神を「死」という暗黒に侵蝕していった。
それでも、何とか伊織が掠れた声を絞り出した。
「・・・ねえ、物凄く空気の読めない質問かも知れないけど・・・『有毒の』の隣は何て読むの?」
明らかに他人からすればズレた発言だが、其れに対して貴音が答えた。同じく、掠れた声で。
「・・・『ガス』です」
「そう・・・」
それ以上、言葉が続かなかった。
それから数十秒後、画面が切り替わった。
「・・・!あずささん!」
其処には、紛れも無く、彼女達の事務所の仲間である三浦あずさの姿が映し出されていた。
『ここ、何処なの~!?伊織ちゃん!律子さん!どこ~!?』
例の狭い部屋で、顔面蒼白になりながら独り咽び泣くあずさ。
「あずささん!あずささん!!」
叫ぶ春香。幾等呼ぼうと伝わる訳が無い事は自身も分かっていた。
それでも、助けを求める親友を前にして、黙っては居られなかった。
『独りは嫌!早く出してぇ!!』
「くっ・・・」
悔しそうに拳を握り締める真。
誰だって苦痛だ。人が泣き叫ぶ姿をただ見ているだけは。
『誰か~!誰・・・ぐぐっ!ぐふっ!』
「・・・あずささん!?」
突然、あずさが奇妙な呻き声を上げて噎せ返った。
『グエ・・ア・・・かはっ・・・』
喉元を激しく掻き毟り、コンクリートの上をのた打ち回る。
眼球が零れそうな程に剥き出しになり、涙と鼻水に塗れた顔は喀血と鼻血で紅く染まった。
健康的な柔肌が、見る見る青紫に染まってゆく。
「あ・・・あ・・・」
その様子を、ただ呆気に取られて見詰める11人。
『・・・ハァァー・・・ァ・・・・・・・・・』
やがて呼吸の音も聞こえなくなった頃、喉を切り裂いた両手が力無く撓垂れた。
「あず・・・さ・・・さん?」
―――それから、三浦あずさが動く事は無かった。
「嫌あぁぁぁあぁあぁぁーーーー!!!」
一瞬の静寂の後、絹を裂くような悲鳴を上げたのは雪歩だった。そのまま、部屋の隅に蹲る。
「・・・何だよ・・・何なんだよ、今の・・・何が起こったんだよ・・・」
腰が抜け、何が起こったのか全く理解が出来ずに何度も疑問詞を繰り返す真。
「・・・し・・・し、しん・・・」
酸素の足りない魚の様にぱくぱくと口を動かし、その場にへたり込む響。
「なん、何なの・・・これ・・・。わ、分かんない・・・分かんないよ・・・」
普段の愛敬のある笑顔は完全に消え失せ、その細目を見開いて放心するやよい。
「どうしてあずささんが・・・。私が・・・私が残っていれば・・・」
跪き、悔恨の言葉を呟きながら額を地に擦りつける春香。
「有り得ない・・・。か、常識的に考えて・・・こんなの・・・。夢でしょ・・・」
精神の何かが崩壊し、頭を抱え現実逃避を始める伊織。
「うっ・・・うぐ・・・うええ・・・っ」
余りに凄惨な映像に耐えかね、只管に胃の中の物を吐瀉する千早。
その他の面々も、蹲る、震えるといった動作を禁じ得ずに居た。
画面の向こうもこの部屋も、正に地獄絵図と呼ぶに相応しい光景だった。
渦中の11人を更に奈落の淵へ追い詰める様に、再び画面が切り替わった。
現れたのは30:00の文字。そしてその時間は、徐々に減っていく。
「・・・制限時間」
僅かだが冷静さを取り戻した貴音が言った。
「ひいい・・・!し・・・死ん・・・死んじゃう・・・嫌だ・・・」
「死にたくない・・・死にたくないよっ・・・!」
亜美や真美達は、最早弱音を吐き出すだけだった。
「お・・・落ち着いてください!皆、しっかり意識を・・・」
貴音が狂騒を鎮めようとするも、全員の狂気は昂ぶるばかりである。
「死ぬっ・・・!死ぬっ・・・!」
「ううっ・・・お母さんっ・・・」
「気を確かに!まだ私たちは大丈夫です!大丈夫ですから・・・!」
懸命な呼びかけも空しく、狂態を演じる者達の耳には届かない。
貴音も終には涙目になり、叱咤の声も次第に弱々しくなる。
「お願いです、落ち着いてくださいっ・・・!今は・・・」
「・・・うるせえええぇぇぇぇ!!皆落ち着けぇぇぇぇぇ!!!!」
突如響き渡った、大気を揺らす様な、怒号。
その声の主は真だった。
再び静寂が訪れる。
全員が真の方を向き直った。
「・・・皆、しっかりしてよ。まだあずささんが死んだかどうかなんて分からないじゃないか。
さっさと此処を出て、あずささんを助けて、ろくでもない犯人を締め殺さなきゃいけないんだから。
泣いたり吐いたりしてる場合じゃないんだよ」
抑えた声で、しかし力強く一喝する。
真自身も相当堪えている事を表情から読み取れたが、その発言は一部の仲間達を奮起させた。
「・・・うん、その通りだよ。全員で、生きてここから出るんだ。絶対に・・・」
言い聞かせるように、春香が呟く。
真が居なければ、このまま全員狂気の渦に呑まれて全てが終わっていたかも知れない。
「ええ、そうですね。けれど、わたくし達は一体何をすれば・・・?」
貴音が辺りを見回して言う。
言われてみれば、今回は脱出の方法を聞かされていない。
ただ、犠牲者を一人選べという言葉があったのみだ。
「怪しいのは、あれね・・・?」
そう言って、辛うじて吐き気の治まった千早が口元を拭いながら部屋中央の奇妙な椅子を指差した。
「・・・うん」
「調べてみようか」
喪心状態の数人を尻目に、真、春香、千早、貴音が椅子を調べ出す。
そのぞんざいな形状以外は、怪しい所が無い様に見える。
「座ったら電気が流れる・・・とかじゃないよね?」
と、春香。
「・・・まさか。処刑に使う電気椅子じゃあるまいし」
と、千早。
「・・・座ってみたい?」
と、真。
「えっ」
「・・・何で聞くの」
「何で、って・・・」
怖いからだ。と、3人は思った。
「・・・座ろう」
意を決した春香が、ゆっくりとその椅子らしき物に腰掛けた。
・・・何も起こらない。
「・・・何も起こらないよ。あーもう、どうしろっていうの・・・?」
座ったまま脚をバタつかせ、焦りを募らせる春香。
「駄目か・・・。これ以外に何か怪しい物なんてある・・・?」
千早も真も途方に暮れる。
「どうしよう、このままじゃ・・・。ううん、なんでもない」
そこまで言って、春香は続きを口にしてはいけないと戒め、誤魔化した。
「椅子・・・扉・・・」
貴音が何か閃いた様な顔をした。
「・・・もしかすると、これは」
「どうしたの?」
「春香はそのまま座っていてください」
「え?」
そのまま、奥の鉄扉に向かう貴音。
そして、把手を捻った。
鈍い音。振動。
鉄扉が開いたのだ。
喪心状態の者達も、物音に何事かと振り向く。
「え?開いた・・・の?」
「出られるの!?」
亜美や伊織達が、一斉に立ち上がり、希望に満ちた声を上げた。
「・・・やはり」
「うわぁ!!貴音さんっ!」
歓喜の声を上げ駆け寄る真。
「・・・まさかとは思いましたが」
「すごい貴音さん!すごすぎです!」
同じく、貴音を賞賛しつつ椅子から飛び退く春香。
その、僅か1秒にも満たない一瞬の後。
「うぐっ!!」
勢い良く鉄扉が閉まり、開いた先に一歩踏み出していた貴音は鉄扉に叩き付けられた。
その衝撃で大きく後ろに仰け反る。そこを千早が抱きかかえた。
「え!?何!?」
突然の事に狼狽える春香と真。
しかし、貴音だけが瞬時にこの部屋の仕組みに気が付いた。
「つっ・・・そういうことですか。まこと、鬼畜の所業ですね」
「あの、どういうこと?」
真が問う。
「つまり、何方かがあの椅子に座っていないと、開かないのです・・・この扉は」
春香達も貴音の言うその意味を把握した。
「・・・それって」
「座している状態から全力疾走をしたとしても閉まる迄には間に合わない。衣服等を椅子に置いても恐らく重量が足りない。
必ず誰か一人がこの椅子に残らねばならないのでしょう。それが、この部屋での・・・」
「そんな・・・じゃあ、また・・・」
希望を取り戻した者達は、再び絶望に打ち拉がれた。
「そんな・・・」
「駄目・・・やっぱり、ここで・・・」
再び、あずさの映像が流れた時と同じく焦りを含んだ口調で真が尋ねる。
「・・・どうするんだよ」
貴音は鉄扉の方を向いたまま言った。
「自ら此処に残る意思のある者・・・は、居る訳もありませんね。いっその事、全員でじゃんけんでもして決めましょうか?」
それを聞いた全員がギョッとした。
春香は咄嗟に反論する。
「それはいくらなんでも・・・」
「ではどうするのです?このまま手を打たねば全員が危機に晒されます。或いは、春香が此処に残るのですか?」
「うう・・・」
「・・・もう既に十五分以上が経過しております。早急に決めねばなりません」
貴音の発言は、実に的を射ていた。
先に進むには、死のリスクを冒してでも誰かが残らなければならない。
勿論、怖いに決まっている。ひょっとしたら死ぬかもしれないのだから。あずさのように・・・。
いや、何を言っているんだ。彼女が死んだとは限らないじゃないか。
しかし、あの様子を見ると、とても・・・。演技にも到底見えないし・・・。
一体、どうすれば・・・。
春香だけではない。言い出した貴音も、真も、全員が揺れていた。