「・・・あの」
「え?」
春香達の会話に割って入ってきたのは、意外な人物だった。
最初の部屋で再会してからはおろか、普段事務所で会うときですら、自ら発言する事が少なかった仲間。
気の弱いオドオド系アイドル、萩原雪歩である。
真が訝しげに尋ねた。
「・・・どうしたの?」
「え、えっと、その・・・誰かが此処に座らないと、皆さんが先に進めないんですね・・・?」
「左様です。萩原雪歩・・・、貴女がこの役を担ってくれるのですか?」
よもやそんな度胸はあるまい、と言った風に貴音が聞き返す。
しかし雪歩の返答は、貴音の意に反していた。
「・・・はい、その覚悟です」
「えっ!?」
意表を突かれ、春香は口篭った。
しかし、真は血相を変えて引き止める。
「雪歩、だめだ!雪歩がそんな背負い込むことない!ここはやっぱりじゃんけんとかでさ・・・」
「真ちゃん、何も言わないで。私が残るって言ってるの。残りたくない子をわざわざ残す事なんかない」
きっぱりと言い放ち、今度は春香や貴音たちに向かって雪歩は続けた。
「・・・あの時、私が選ばれていれば、あんなに優しくて明るいあずささんが苦しむ事は無かったんです。
仮に死んでいないとしても、ひとりぼっちの寂しさや苦しさは彼女にはとても辛いものだった筈なんです」
春香が咄嗟に言い返す。
「そんなの、誰だって思ってるよ!私だって・・・」
「・・・春香ちゃんや真ちゃん達は、こんな情けない私にも優しくしてくれた。
男の人が苦手でミニライブを諦めかけた時も、呆れずに応援してくれた。
レッスン中に、四条さんの一言に勇気づけられたこともありました。
そういう瞬間、比喩でも何でもなく、本当に死ぬほど嬉しかったんです。
だから、皆さんにはこんな所に残って欲しくないんです」
「雪歩・・・」
思いのたけをぶつけられ、何も返せなくなる。
そうこうしている内にも、雪歩はすっと、椅子に凭れ掛かった。
不恰好な笑顔を作って、更に真に語りかけた。
「・・・行って下さい。大丈夫です。私は死にませんよ。
ほら、いざとなったら、素手でも穴を掘って戻ってきますから・・・なんて。はは・・・」
彼女なりの、場を和ます冗談なのだろう。
しかし春香達には、心寂しい響きを含んで聞こえた。
「でも・・・」
春香は悩んだ。
本当は、自分が残るべきではないのか。
本当に、雪歩をここに座らせていいのか。
・・・しかし、怖い。
言い出せない。
「・・・いいんだね、それで」
彼女の思いに気圧され、真が最後の問いかけをする。
「うん。・・・私はもう、ここを動くつもりはないよ」
「・・・皆、行きましょう。道を切り開いた雪歩に感謝をして」
貴音が真っ先に雪歩に背を向け、鉄扉に向かう。
それを見て、乱心していた双海姉妹、響、美希達が立ち上がった。
「今度こそ出られる・・・今度こそ・・・」
「ごめん・・・ゆきぴょん、ごめん・・・」
彼女達は各々の事をぼそぼそと呟きながら鉄扉へ歩き出した。
皆が鉄扉をくぐり抜ける中、春香だけは歩み出せなかった。
春香は、あずさの件の罪悪感から、雪歩を独りだけ残して行く事が辛かった。
「どうしたんですか?春香ちゃん、早く行って下さい」
雪歩に促されても、春香の脚は震えたまま動かない。
やはり、私が座るべきなんだ。それを伝えないと・・・。
「ゆ、雪歩・・・ホントに・・・」
「春香ちゃんは」
再び、遮られた。
「此処を出て、また普段の生活に戻って、私みたいに塞ぎ込んでいたり迷ったりしている人を助けてあげてください。
貴女には、きっとそれができるはずです」
その口調は、自分の死を覚悟している様に思えた。
どうして、死の際で、こんなに他人を案ずる事が出来るのか。
諭されて、春香は頬に何かが伝い落ちていくのを感じた。
「・・・必ず、迎えに来るから。待っててよ。絶対だよ」
「ええ。・・・ありがとうございます」
礼を言いたいのは、春香の方だった。
こんな、死と隣り合わせの場面で、
自らも恐怖に震えながら、大切な仲間を救出するために、
自らの矜持を示した雪歩に。
「そうだ、春香ちゃん。ちょっと、耳を貸して」
「ん・・・なに?」
「あの・・・、ここを無事に出てから、で良いから・・・真ちゃんに、大好きでしたって、伝えてくれますか?」
「うん、伝える・・・だけど、できれば雪歩がここから出た時に自分で伝えて欲しいな」
「えへへ、そうだよね・・・臆病者でごめんなさい・・・ですぅ」
春香の涙腺から、涙が堰を切って溢れる。
「ごめん・・・!ありがとう・・・ありがとう・・・!」
雪歩の手を握り、震える声で告げる。
握った掌に、二滴三滴と涙が零れ落ちていく。
「・・・春香、行くよ」
「春香」
真や千早が急かす。
あずさや雪歩への罪悪感は完全に消え去った訳ではない。
しかし、こんなにも優しい親友に背中を押された以上、先に進まない訳にはいかない。
ゆっくりと手を離し、顔を上げた。
「・・・うん。じゃあ、またね」
「・・・はい、また逢いましょう」
自然と、再会を信じる言葉を出せた。
出る。意地でも此処を出る。そして、必ず皆を迎えに行くんだ。
もし万が一、自分が生きて帰れない事態に陥ったとしても、雪歩の様に毅然としていよう。最期の最期まで。
雪歩の想いを背中に受け止め、春香は真達の許へと走り出した。
春香達が部屋を出て、雪歩と10人を分かつ扉は、静かに閉ざされた。
薄暗い廊下を10人は行く。
誰も一言も喋ろうとはしない。
ただ、足音と、後方を歩く数名の泣き声が響くのみである。
先頭を行く春香、真、貴音は、黙々と前を見据えて邁進する。
その途中、春香は或る不安を抱えていた。
ここまで、部屋を一つ出る毎に、独りを残して来ている。
最初はあずさ。次は雪歩。
つまり、この惨劇は、最後の一人になるまで終わらないのではないか。
その懸念が現実のものとなったら、私はどうすればいいのだろう。
雪歩の矜持を無碍にしない為にも、必ず此処を出なければならない。
しかし、さっきの様に誰かを置き去りにする事などしたくない。
他人を踏み越え脱出するか。
他人を見送ってこの牢獄に残るか。
私は、その二者択一を迫られた時、どちらを選ぶべきなのだろう。
無論、2人が無事である可能性も、この先が出口である可能性も捨てきれはしない。
しかし春香には、このまま無事に出られる予感がしなかった。
まるで、悪魔か死神が自分達の後をつけ、一人一人奈落に引き摺り墜とそうとしているかのような、そんな悪寒がした。
そんな心情は他人に打ち明けられなかった。
皆の希望や勇気を揺さ振る様な事があってはならないから。
真達も、同じ気持ちで歩いているのだろうか・・・。