階段を降りる音が、夜の校舎に高く響く。
肌寒く感じるのは、気温のせいばかりではない。
右肩でセイバーの身体を支え、左手でありすの手を引いて歩く。
段差があるのも相まって、酷くバランスが悪かった。
「代わろう、岸波」
前を進んでいた士郎が振り返り、声をかけて来た。
わたしが歩きにくそうにしているのを見かねたのだろう。
一旦背中からアリスを下ろして、セイバーに肩を貸そうとする。
「余はそなたの手など借りぬ!
手を貸す気なら、そちらの幼女にするがよい!」
ふらつきながらも、断固として士郎の協力を拒否するセイバー。
ありすも人見知りしているのか、何も言わずに、わたしの左手をぎゅっと握った。
「わたしなら、大丈夫だよ」
言いながら、息があがっているのを感じる。
セイバーの体重は軽いが、わたしも力のある方ではない。
本当はあまり大丈夫ではないが、預けられた体重と握られた小さな手、どちらも手離す事は躊躇われた。
「そうか。
キツくなったら代わるから、無理せず言えよ」
気遣わしげにそう言って、士郎はアリスを背負い直した。
彼と知り合いである筈もない、あのままいけば、敵になっていたであろうサーヴァントを。
「…………」
――ざわり、と心がざわめいた。
アリスを背負う士郎は、自然な様子で躊躇いがない。
ユリウスからわたしを庇ったのと同じように。
「奏者よ、どうかしたのか?」
――魚の小骨が、心の柔らかい部分に刺さる。
自分でもよく分からない、小さなささくれ。
先を行く士郎の背中を見つめながらわたしの中に、小さな黒い感情が湧いてくるのを感じる。
「お姉ちゃん?」
「――え?
あっ、ゴメン。
早く行こう」
二人の訝しげな声にハッとして、慌てて足を進め出す。
大丈夫だと言った舌の根も乾かない内から、とんだ失態だった。
セイバーを支え直し、ありすの手を握り直して、士郎と肩を並べようとした瞬間――
「――うわッ!」
――耳を劈く轟音と共に、校舎全体を揺らす凄まじい衝撃に襲われた。
◇
「ハァッッ――!」
裂帛の気合と共に、鋭い風斬り音が廊下の空気に伝導する。
武器を打ち合わせる音はなく、肉を裂く感触もない。
今の攻防で五度。
セイバーはひたすら、打たれては空を斬る動作を繰り返している。
「呵々。
うむ、見事な套路だ!
やはり世界は広い。
こうでなくてはな!」
「……愉しむな、アサシン」
愉しげなアサシンとは対照的に、敵マスターの声には苛立ちがある。
これまで標的を一撃で葬って来た暗殺者達は、倒れない敵を前に、ペースを崩しかけているのか。
(――もう間違いない)
自分のダメージとアサシンの戦力を天秤にかけ、セイバーは軽く頷いた。
(初撃に比べて、アサシンの打撃が軽くなっている)
最初にセイバーを襲った衝撃は、予測していなければ、倒れていてもおかしくはなかった。
赤い暴君と(おそらくはサーヴァントだと思われる)黒い童女は、この初撃によって沈んだのだろう。
セイバーとて咄嗟に防御体勢に入ったから良かったものの、心の準備もなく奇襲を受けていれば、一撃で倒されたかもしれない。
それほど重く、彼女の予期しない方角から来る攻撃なのだ。
(それなのに五度も攻撃してなお、私を倒し切れていない)
それはすなわち、セイバーに致命傷を与えられるほど、アサシンが深く踏み込んで来れていないためではないか。
セイバーの鞘『
セイバーを相手にした者のほとんどは、この視えない剣によって、間合いが掴めない事に苦戦する。
アサシンであっても同様。
姿を消す事ができるからといって、同じく刀身の視えない剣の間合いを掴めるわけではない。
一見虚しく空振りしているだけに見えるセイバーの反撃だが、アサシンは簡単には踏み込めない。
迂闊に懐に飛び込めば、視えない刃に両断されかねない。
セイバーの不可視の剣に気付いた後、アサシンの攻撃は慎重なものになっていた。
(アサシンの力量は、大体把握できた。
シロウ達は退避し、目の前には敵サーヴァントとマスターしかいない)
仕掛け時である。
一際大きな動作で剣を振るうと、セイバーは敵マスター達に背を向けて走りだした。
「ぬっ!
どこへ行く気だ!」
答えずにセイバーは走る。
一年生の教室の前を駆け抜け、廊下の突き当たりでぴたりと止まると、反転し、アサシンがいると思われる方角に向き直った。
「ほう。
自ら背水を敷いてきたか」
セイバーは壁を背にして廊下を睨んだ。
上下左右を壁に囲まれた廊下の直線の先には、ぽつんと敵マスターの姿だけが見える。
「なるほど。
これで儂に背後を取られる心配は無くなったな」
アサシンの攻撃の一番の脅威は、どこから打たれるか分からない点である。
仮に遮蔽物のない校庭で戦っていれば、セイバーは三六〇度、全方位からの攻撃を受けなければならなかっただろう。
故にまず、攻撃を受ける箇所を前面に限定する。
セイバーが壁を背にした事で、アサシンは背後に回る事ができなくなった。
「だが、同時に貴様の逃げ場も無くなったぞ。
圏境を見切ったわけでもなく、退路を断つのは自殺行為ではないか?」
「――逃げられないのは貴方だ、アサシン」
静かな宣言と共に、セイバーは自らの枷を解いた。
「風よ――」
剣を外敵の視線から守っていた『
圧縮されていた風が解き放たれ、黄金に輝く聖剣が姿を現していく。
剣が纏った風は逆巻き、勢いを増して、校舎をみしみしと軋ませた。
「――吼え上がれ!」
閉じ込められていた嵐は一つの方向性を得、破壊の砲弾を形成していく。
膨大な魔力が放出され、セイバーはさながら人型の砲台と化す。
「おおうっ!
これが貴様の宝具かっ!」
姿は視えなくとも、アサシンは霊体化しているわけではない。
破壊の塊であるこの風をまともに受ければ、アサシンは致命傷を受けるだろう。
廊下は上下左右を壁に囲まれた直線の空間。
しかも奥には生身であるマスターがいる。
アサシンに、逃げ場はない。
「
セイバーの剣が振り下ろされ、暴風の大槌が、アサシンを叩き潰さんと解き放たれた――