「信じ、られない……」
頬を撫でる風を感じながら、わたしは呆然と呟いた。
四階廊下は三分前とはうって変り、目の前には、爆発物でも投げいれられたかのような惨状が広がっていた。
壁にも天井にも亀裂が走り、窓ガラスは一枚残らず割られて、床一面にまき散らかされている。
廊下奥の突き当たりに至っては、暴走列車に衝突でもされたのか、無残に壁面が崩壊して、冷たい夜風が吹きこんでいる。
「――ふん。
どうやらあの青いの、宝具を使ったらしいな」
わたしの肩に頭を乗せながら、セイバーが小さく鼻を鳴らした。
いまだわたしに身体を持たせかけているが、アサシンに打たれた傷は、少しずつ回復しているようだ。
「ユリウスとアサシンは――」
どうなったのか、は決まっている。
廃墟のようになった廊下に、ユリウスの姿は見えない。
アサシンの笑い声も、聞こえない。
視界に映る人影はただ一つ。
半壊した廊下の奥に、青い剣士の背中だけがある。
「セイバー、大丈夫か?」
「ええ。
しかしアサシンとそのマスターは――」
駆け寄って行く主の声に答えながらも、士郎のセイバーは振り返らなかった。
小さな背中からはいまだ戦意が立ち上り、壁に空けられた大穴から、校庭を見下ろしていた。
「倒し切れませんでした。
『
士郎に続いて穴に近づき、わたしも外を見下ろした。
吹き上げる風が頬を打ち、冷気が視界をクリアにする。
「ユリウス……」
無人の校庭には人影二つ。
アサシンも『圏境』を解いて姿を現し、二人の暗殺者は、並んでこちらを見上げていた。
◇
「呵呵呵!
うむっ、儂の
先に主を逃がすのは、何かあると思ってはいたが。
あやつめ、最初から狙っておったな!」
姿を現したアサシンが大笑する。
中華風の服は裂け、赤い髪を乱し、剣士の攻撃による傷の深さが見て取れた。
ユリウスは黙って学校を睨みつけている。
半壊した四階廊下には青い騎士だけでなく、岸波白野主従と童女二人、そして彼らを阻んだ冬木のマスターの姿があった。
「ふむ。
しかしあのサーヴァント、まだ力を隠しているな。
風の中から一瞬見えた黄金の剣が、奴の真の宝具と見た。
どうするユリウス?
このまま、仕切り直して拳を交えるのも良いが……」
「……退くぞ、アサシン」
あっさりと言い、ユリウスは踵を返す。
黒い蠍は、この場で標的を殺害する事の困難さを悟ったのだ。
新たに参戦した青いサーヴァントは、強敵である。
初見に関わらず、『圏境』による必勝の戦法は防がれ、正面から力で押し切られた。
地形の問題でアサシンが力を出し切れなかった事を差し引いても、今再戦を挑むとすれば、どちらも死力を尽くしての死闘にならざるを得ない。
勝ったとしても、アサシンも戦闘不能に近い損傷を受ける事になるだろう。
態勢を立て直した赤い暴君と黒い童女が参戦し、三対一の戦闘もあるかもしれない。
「うむ、仕方あるまい。
いささか以上に惜しいが、今宵はここまでが限界か。
雪辱は後日の楽しみとしよう」
魔拳士も主の後に続く。
無理をする事はできない。
ユリウスの役割は、レオを勝たせるために他の参加者達を排除する事である。
前回優勝者を見逃すのは惜しいが、序盤で脱落するわけにはいかない。
敵は百組以上いる。
しかも冬木市にはまだ、六組以上も実力不明の参加者がいるのだ。
「次は必ず仕留める。
岸波、それに――」
ユリウスはもう一度、降りてきた場所を仰ぎ見る。
視線の先には、仕留め損ねた標的。
そして――
「――冬木のマスター。
覚えておこう」
冷たい声で、赤毛の少年に殺意の挑戦状を叩きつけた。
◇
「……消えた。
空間転移か?」
「多分、『リターンクリスタル』だと思う。
分が悪いと見て、撤退したんだ」
暗殺者達は姿を消した。
『リターンクリスタル』は本拠地に戻るアイテムだ。
士郎のセイバーは『圏境』を使われたままで、真正面からアサシンとユリウスを撃退したのだ。
「霊格さえ戻れば、余だってあの位の事できるぞ」
ユリウスのアサシンを正面から倒せるのは、レオのガウェイン位だと思っていた。
レオに『士郎達はあなた達よりも強いかもしれない』とは言ったが、本気で思っていたわけではない。
けれど今の戦闘で、考えを改める。
青い騎士は、本当にあのガウェインをも凌ぐのかもしれない。
「本当だぞっ!」
「あ、うん」
と。
耳元で怒鳴られた。
見るとむーっと不機嫌そうに、セイバーがわたしを睨んでいた。
「――越えて、越えて、虹色草原。
白黒マス目の王様ゲーム――」
砂糖のような甘やかな歌声。
振り返ると黒い少女が立ちあがって、白い少女と手を取り合っていた。
「――走って、走って、鏡の迷宮。
みじめなウサギは、さよならね――?」
鏡合わせの少女は歌う。
歌声は魔力を帯びて、彼女達の世界を形成していく――
「――ッッこれっ!
固有結界の主って、この娘達だったのか?」
士郎の声に緊張が戻った。
青い騎士が駆け寄るより先に、ありす達の姿が消えた。
「ありすッ!」
あたりを見回せば、わたし達と廊下を隔てた反対側に、白と黒の砂糖菓子の姿があった。
空間転移。
今の一瞬で、士郎のセイバーの剣が届かない位置まで転移したのだ。
「やっぱり、お姉ちゃんは優しいねっ!」
白い砂糖菓子の少女が言った。
さっきまでの悲痛な様子とは異なり、嬉しそうにわたしを見つめていた。
「また遊ぼうね、お姉ちゃんっ!
そっちのお兄ちゃんも!」
黒い砂糖菓子の少女が言った。
アサシンの一撃で昏倒した筈が、今は完全に回復していた。
双子のような少女はくるりと回って手を打ち合わせると、今度は完全に消えてしまった。
「あっ、おい――」
「無駄だよ。
これは、あの子の望んだ
ありすのキャスター・ナーサリーライムの宝具『
寂しがり屋な幼い少女の望んだ、アリスという
「無駄って……。
あの子達、危ないだろ。
もしさっきの奴が戻ってきたら」
「戻って来ても、ありす達に手出しはできないよ。
ユリウスがあの子達に奇襲をかける事ができたのは、『名無しの森』やジャバウォックが止められていたからだ」
何故か、士郎に対する口調が冷たくなっていくのを感じる。
何となく、次に士郎が言う事が分かってしまったからだ。
「ありす達にとっては、
わたし達が余計な事をしなければね」
わたしだって、ありすの事が気にかからないわけじゃない。
ユリウスの事も、レオの事も。
でも今は、それ以上に――
「分かった。
でも、一応忠告くらいはした方がいい。
すぐに迎えに来るから、岸波達はここで休んでてくれ」
そう言って士郎は歩き出した。
ありす達の消えた方向に向かって。
「…………」
その、わたしを助けた士郎の背中に。
ありすを助けに行く士郎の背中に。
見ず知らずの敵のマスターに対する衛宮士郎の姿に、何故か心がささくれ立った。