東方(咲夜中心)短編集   作:鬼灯@東方愛!

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初出:2011/08/16
シリアス。


パチュ咲
砂の落ちる音


 私の背が伸びる程、あの方の背を眺める事が多くなり。

 私の背が縮むにつれ、あの方の背は遠ざかって行った。

 腕を引こうとはしなかった。

 追い縋ろうともしなかった。

 

 置いて逝くのは、私の方だからだ。

 

 

 

 

++++++++++

 

 

 

 

 

 ベッドに横たわったまま、痩せ細った指先で摘んだ小さな砂時計を見詰める。

 砂時計の砂が落ちる音はとてもかすかで、ギリギリまで耳を近づけない限り聞こえはしない。

 けれど、鼓膜を震わせないそれは私の脳を直接揺るがして、瞼の裏にいつも紫を連れてくる。

 砂時計の砂が落ちる時に奏でる、小さく速い、それでも規則正しい砂音と。

 小声で早口で、それでも一定のリズムで紡がれるあの方の声は、私の中心に重なって響くのだ。

 

「うん、落ち着いていますね」

 

 ――私の身体に手をかざして調子を診ていた美鈴が、そう言って微笑んだ。

 ここ数年、気孔の使える美鈴にはとても世話になっている。

 

「でも油断は禁物ですよ。今日はとても気温が低いですから温かくしていないと」

 

 毛布を掛けなおしてくれる美鈴の手は、私の手と違い、張りがあって美しい。

 ――七十年前と、なにも変わりはしない。

 魔理沙と早苗は人間をやめて今でも元気に弾幕をばら撒いているが、霊夢は三年程前に一足早く彼岸へと渡った。

 私も私で在り続けた結果、今では骨と皮の老婆だ。

 最近では身体を起こしている時間は本当に僅かな物で、一日中毛布に包まって横になっている。

 誰も口にしないが、もうあまり此方にいられる時間は残されていないだろう。

 サボリ魔船頭にお世話になる前に、後何回この砂時計を引っくり返すことが出来るだろうか。

 

「今日はカトレアを持ってきたんですよ。冬でも綺麗に咲いてくれる洋蘭の女王様です」

 

 花瓶に生けた花の花弁を指先で撫でながら浮べる美鈴の笑みはまさしく花の様で、つられるように自然と私の頬も緩んだ。

 

 

「……優美な貴婦人、でしょう? 今の私には勿体ない花ね」

 

 花が好きな美鈴は花言葉についても詳しくて、誰かに花を贈るときにはいつも意味を持たせた。

 本人は伝わらずともいいと思ってのことだろうけど、贈られる側としては気になってしまうもので、受け取る都度調べていたら、私までいつの間にかとても詳しくなっていた。

 

「そんなことないですよ」

 

 美鈴の右手が、色が抜けて銀から白へと変った私の髪の一房をかするように撫でる。

 

「咲夜さん。いくつになっても、貴女は美しいです。朽ち果ててしまうその寸前まで、きっと」

「朽ち果ててしまうまで?」

「ええ、それまでです」

 

 穏やかな笑みを浮べたまま言い切る美鈴の顔には、憂いは見えない。

 だから、私も笑って応じることが出来るのだ。

 

「そうね、それまでね」

 

 美鈴が花に注ぐ愛情と、私に向ける好意も、きっと限りなく同一に近い物だ。

 大事に扱って、視線で愛でて。

 強く触れることはなく。

 枯れてしまえば、残念には思っても、簡単にゴミ箱に捨ててしまえる。

 ひきずってしまったり、しない。

 

「――ありがとう、美鈴」

 

 初めて出会った日から、ずっと。

 そう思わせようと、振舞ってきてくれたのだと知っている。

 今まさに訪れようとしている別れは必然で、花という短い命を愛してきた彼女はそれをよくわかっていたのだ。

 美鈴は目を細めると、私と花にくるりと背を向けて「それでは、また」と一言残し、部屋を後にした。

 

 

 

 閉まった扉から視線を外し、枕元に砂時計を置く。

 静かな独りの部屋で砂が落ちるのを眺めていれば、自然と睡魔がやって来る。

 まどろみに堕ちながら思う。

 今度はいつの夢を見るのだろうか。

 ここ最近、眠るたびに夢を見る。

 それは皆、過去に体験した出来事だった。

 夢の中であの方に会えたらいいなと思う。

 同じ館に住んでいるのに、もうどれだけの間顔を合わせていないのだろうか。

 

「……――ュリー様」

 

 暗転。

 

 

 

++++++++++

 

 

 

 

 

 物心ついた時には、独りぼっちだった。

 いつもお腹が空いていて、渇きを潤すためには泥水でも啜って。

 夏は熱気と蚊に悩まされ、冬は寒さと飢えに凍えた。

 だけどいつでも一番怖いのは人間で、怒りに顔を歪めている人よりも、優しそうな笑顔の裏にドロドロとした物を隠した人の方がおぞましいとも知った。

 自分の正確な年齢など知らない。

 祝ってくれる人は一人もいなかったし、数える余裕だってなかった。

 でも多分、十歳にもみたっていなかったと思う。

 

 

 

 

 季節は冬。

 一年で一番辛い季節だ。

 ただでさえ少ない食糧を食べるのを、鳴き続ける腹を押さえて我慢し、貯えは出来る限りした。

 それを怠れば死んでしまうことは例年の過酷さで身に沁みて理解していたからだ。

 それなのに。

 

「やめて、持っていかないで!」

 

 食料を詰めた袋と、お情けで恵んで貰うことの出来た使い古しの毛布。

 そのどちらが欠けても野垂れ死んでしまうのに、そのどちらをも奪おうとする男。

 

「うるせえ! 放せっ、糞餓鬼!」

 

 足に縋り付いて止めようとすると、腕も頭も嫌というほど蹴られた。

 目の奥がチカチカして意識が遠退くけど、意識も手も放すわけにはいかない。

 

 死にたくない。

 

 それだけだった。

 

「……くっそ」

 

 男が蹴るのをやめた。

 一瞬、助かった、と思った。

 ――知っていたはずなのに。

 

「餓鬼が。大人を怒らせやがって」

 

 世界は、弱い者に優しくは出来ていない、って。

 男は、ポケットからナイフを取り出した。

 手入れのされていない、汚らしいナイフだった。

 それでも、やせっぽちの小さな子供くらい、簡単に殺せそうな刃物だった。

 下水と生ゴミの臭いがする湿った路地裏。

 建物と建物の間から鈍く差し込む月光に、刃先がギラリと反射した。

 血の気が引いた。

 怖い。

 こわい。

 こわいこわいこわい。

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいしにたくない、

 

 

 死にたくない!

 

 

 それだけだった。

 

 ――……生まれつき、おかしな能力があった。

 上手く使いこなすことも出来ないその能力のせいで、人並みに生きていく為に必要な物を沢山失った。

 なにもかも、奪われてきた。

 

 「……あ、ぁあ、ぁぁぁ……」

 

 足元に転がる、男の身体。

 その身体から流れ出し、地面を染めていく、赤。

 私の手にあるナイフ。

 その刃から滴る、赤。

 赤、赤、赤。

 赤い、血。

 

「……ぁぁ、あ」

 

 私はその日、私からなにもかもを奪ってきた、その能力を使って。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ っ っ ッ!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 初めて、人の命を、奪った。

 

 

 

 

 呆然と座り込んでいると、通りがかった人間にみつかり、警察に通報されて。

 抵抗する気力などなかったから、大人しく連行された。

 事情聴取では、どうやって男を殺したか聞かれたので、素直に答えた。

 

 時間を止めて、ナイフを奪って、刺しました。

 

 話をした三人の刑事の内一人目は馬鹿にしたように鼻で嗤い、二人目は眉を八の字にして瞳に哀れみの色を浮べた。

 ――三人目は、肩を小さく震わせた後、真剣な顔で観察するような視線を向けてきた。

 

 

 

 

 そしてしばらく経った後。

 留置場で膝を抱えて座り込んでいると、三人目の刑事が法衣を纏った神父と一緒に入ってきた。

 神父は微笑みながら言う。

 

「迷える子羊よ、君は神に、罪を償うチャンスを与えられている」

 

 気持ちの悪い、作り物の笑顔だった。

 

 

 

 

 世の中には、本当に悪魔や魔女がいる。

 そして、一般人には秘匿されているが、そういった悪しき存在を倒すための部署が教会にはある。

 彼等は銀で出来た武器などを手に、神の名の下、化物達に正義の裁きを下すのだ。

 だけども、敵はしぶとく、手強い。

 どうにか効率的な対抗手段はない物かと教会の人間達は考えた。

 その結果。

 悪魔の子と虐げられてきた特殊な力を持つ子供達は、本当は神が使わした正義の矛だったと気付いたのだと神父は語った。

 

 ……なんとも、都合のいい言い回しだった。

 

 ようは、利用価値に気付いただけだ。

 

 化け物同士潰しあってくれればいいと、そう思っているのでしょう?

 

 喉もとまで出掛かった言葉を吐き出さなかったのは、出されたご馳走《餌》と一緒に飲み込んでしまったから。

 記憶にある限りでだけど、

 初めて、お腹いっぱい、温かい食べ物を食べた。

 初めて、綺麗なお湯で満たされた湯船につかった。

 初めて、真っ白いシーツの敷かれた柔らかなベッドで眠った。

 私には、目の前に用意されたそれらの誘惑に抗うことなど、出来なかったのだ。

 

 

 翌日から、私の手には銀のナイフ。

 

 毎日、化け物退治、教会の者達いわく裁きの訓練をする日々が続いた。

 隠し切れない侮蔑を含んだ視線や、聞こえないと思っているのか垂れ流され続けている陰口から、神父も修道女も、ただの人間なのだと思い知らされる日々でもあった。

 そんな彼等が説く神の教えに、如何ほどの神聖さがあるのか。

 だけど私はもともと神聖なる神の教え、という物を信じたことなどなかった。

 いつか訪れる救い、そんなもの、信じられやしないし、信じる気にもなれない。

 だって、いつか救ってくれるのならば、何故今救ってくれないのだ。

 

 

『たすけて』

 

 

 何度も何度も、心の中で叫び続けてきたのに。

 

 しかし教会で過ごす日々は、私にとってけして悪い日々ではなかった。

 訓練は厳しかったが、三食と寝床は保障されていたからだ。

 でも、そんな日々はそう長くは続かなかった。

 訓練を開始して三ヵ月後。

 指令が下された。

 

 

 

 

 ――悪しき魔女に神の裁きを与えよ、と――……。

 

 

 

 

 黒い修道服。

 首にはロザリオ。

 手には砥がれたナイフ。

 任務の決行は闇夜に紛れて行なわれた。

 魔に属する者達は大抵の場合月光に影響を受ける物なので昼間の襲撃が望ましかったが、教会暗部の存在は世間に認知されていないうえに、敵の魔女《ターゲット》の外見が人間と変わらないと確認がとれていた。

 潜伏先も、人里に近い。

 もしも一般人に目撃された場合こちらが悪者にされてしまう。

 苦渋の決断。

 だが魔女は外見のみならず身体能力も人間並みだと報告書にあったことから、そう難しい任務ではないと思われていた。

 しかし、その夜。

 

「まるでうるさい鼠だな。いや、鼠に失礼か。蛆から変わった銀蝿あたりが相応しい。糞にたかってブンブンうるさい……まあ、私は糞ではないけれど」

 

 群れを成し狩に赴いた私達の前に姿を現したのは、魔女などではなく。

 吸血鬼《紅い悪魔》だった。

 圧倒的過ぎる力の前に、私達はなすすべもなく狩られる側に回った。

 

「お前達が来ることを事前に知ったものでね。久しぶりに身体を動かしたいような気がしないでもなかったし、私が代わりに出迎えてやることにしたんだ。光栄に思えよ?」

 

 雲間から姿を見せた月明かりの下。

 傲慢にそう言い放つ吸血鬼は、美しかった。

 こいつになら、殺されてもいいかもしれない、なんて。

 一瞬でも、思ってしまうくらいに。

 

 でもそれは、本当に一瞬の事だ。

 

 私は這いずりながらもナイフを手に取り、吸血鬼を睨み付けた。

 やっぱり、殺されてやるわけにはいかないのだ。

 だって私は生きている。

 生きている以上、生き抜かなければならない。

 たとえ生きている意味が見出せなくとも。

 今更そこを違えてしまったら、私がどこにもいなくなる。

 私は確かに此処にいるのだ、と。

 

 それは無言の遠吠えだった。

 誰にも届かないはずの、叫びだった。

 

 そのはず、だった。

 

「……へえ。汚らしいし、毛並みは良くないけれど」

 

 弧を描く唇。差し出された手。

 

「いい牙を持っているわね」

 

 ――夜は全てを聞き入れた。

 

 

「おいで。拾ってやろう」

 

 

 

 

 後日。

 手を引いて連れて来られた悪魔の館、その一室、本の山の中心にて。

 私はようやく魔女と対面した。

 

 

 砂音の声を持つ、あの方と。

 

 

 

 

++++++++++

 

 

 

 

 

「おはよう、私の愛しい愛犬《いぬ》」

 

 覚醒する意識。

 私の細い身体に馬乗りになって顔を覗き込んでくる、小さな吸血鬼。

 

「おはようございます、私の愛しいご主人様」

 

 間髪入れず返すと満足気に微笑んで、頬を撫でてくれる。

 彼女の物になった時から、変わらず与えてくれる温もり。

 レミリアお嬢様は、本当にいい飼い主だった。

 

「今日も息をしているわね」

「ええ、ちゃんと吸って吐いていますわ」

「いい子だ」

 

 くくっ、と喉を鳴らしながら、お嬢様は形のいい耳を私の胸に押し付けて、ふうと息をついた後話し出した。

 

「……この音をね、憶えていたいと思っているの」

 

 音。

 脈打つ、心臓の鼓動。

 

「私はきっといつか、お前の顔も声も忘れてしまうけど。曲名さえ思い出せない音楽を鼻歌で奏でるように、この音を、お前の命の音を。ふとした瞬間に思い出せたらいいと。そう思っているのよ」

 

 顔を上げて合わせられた深紅の瞳が放つ光は、月光を思わせた。

 静かで、柔らかな。

 彼女は、夜その物だ。

 偉大で尊大で。

 優しい、夜の王様。

 

「咲夜」

「はい、お嬢様」

「いつか、お前に言ったことを憶えているかしら?」

「貴女様がおっしゃったことならば、全て憶えています」

 

 この方は、沢山の言葉をくれた。

 馬鹿な人間の小娘には、しっかりと口にしなければ伝わらないと、そう思っていたのだろう。

 

「だったら、憶えているわね。絶対に忘れるなと念を押した、あの命令」

 

 拾っていただいて、しばらくしてから。

 背の低かった私の頭を撫でながら、お嬢様はおっしゃったのだ。

 

 

『私が拾ったのだから、お前は私の物よ、咲夜。だから、お前は私の命令に従わなくてはならない。それを前提として、これからお前にする命令は特に重要な命令だから、そのちっぽけな脳ミソにしっかりと刻み付けておきなさい。わかった? よし、いい子だ。じゃあ言うわよ。一、勝手に死ぬな。二、不幸だと感じる事は許さない。だから、咲夜。憶えておきなさい。私はお前に居場所を与え、名前と仕事という首輪を付けたけど。鎖で繋いだ覚えはない。もしも、万が一、億が一、兆が一、ここにいるのが、私の物でいるのがいやになったのなら、どこへなりとも行けばいい。追いはしない。ただ、この命令だけは遂行しなさい』

 

 

 夜のような笑顔で。

 

 

『幸せになれ、咲夜』

 

 

「ええ、もちろん憶えています。忘れるはずがありません」

 

 あの言葉を聞いた時に、私は真に理解したのだ。

 お嬢様は、わたしにゆるい首輪をつけてくださったのだと。

 呼吸を阻害することなく、かといって擦れて怪我することもない。

 レミリアお嬢様は、本当にいい飼い主だった。

 

「なら、訊ねよう。お前はその命令を、守れているかしら?」

「……意地の悪いことを、おっしゃる」

「うん? そんなつもりは、ないのだけれど」

 

 この方の犬である前に。

 私は人間だ。

 いくら化け物と呼ばれても。

 人間なのだ。

 だから、人間として死ぬ。

 それは意地だ。

 子供っぽい、意地。

 けど、その意地を曲げてしまったら、それはもう私ではない。

 そう思っている。

 

「わかっている。わかっていた。お前を拾った時から。ペットを飼うなら最後までキチッと面倒をみる。それぐらいの覚悟はしていたわ。だから勝手に死ぬなというあの命令は、犬死にするなという意味よ。私が言っているのは、もう一つの方」

 

 真っ直ぐな視線が、夜を集めた槍のように私を貫く。

 

「咲夜。お前は幸せ? ……後悔せずに、逝けるの?」

 

「……」

 

 飢えることなく、清潔な衣服に身を包み、温かい布団に包まったまま、終れるなんて。

 あの頃は想像も出来なかった。

 幸せです。

 幸せに決まっています。

 そう、言いたかったのに。

 声が出ない。

 

「咲夜。私の咲夜。お前は無駄に鳴かない、いい犬だったけど。出会ったあの夜、私を惹きつけたのは、お前の音にならない遠吠えだった」

 

 伸びてきた手に、優しく目を塞がれた。

 訪れた暗闇に、遠退く意識。

 

「心のままに、もう一度。吠えてみたっていいんじゃない?」

 

 今更、この枯れた喉で吠えたとして。

 その声は貴女に届くのでしょうか。

 

 

 ――……パチュリー様。

 

 

 暗転。

 

 

 

++++++++++

 

 

 

 

 

「なにをしに来たのかしら」

 

 

 本当に幼い頃。

 同じ軒下で雨宿りをした浮浪者の老人が、語って聞かせてくれたから。

 魔女というのは、森の奥深くにあるお菓子で作られた家などで暮らしていて、迷い込んだ人間の子供を騙して食べてしまう存在だと思っていた。

 でも実際には、悪魔の館の一室、本の山の中心に魔女はいた。

 椅子に腰掛け、書物を広げ、人の子ではなく、貪るように知識を食らう賢者。

 

 

「――……っ」

 

 

 落ちるような声だと、思った。

 

 

 小声で早口ではあるが、理性的で揺らぎのないパチュリー様の声に、狂いなく落ちていく砂時計の砂音を連想した。

 規則正しく乱れることなく、サラサラと流れて。

 

 それでも、確かな重量を持つ声。

 

 その正確さに惹かれたのだ。

 その重さに焦がれたのだ。

 

 

 自分には、ない物だったから。

 

 

 ありきたりな言葉で表現するのならば。

 初めて声を聞いたその瞬間に。

 

 

 私、十六夜咲夜は、魔女、パチュリー・ノーレッジ様に恋したのだと思う。

 

 

 

 

 

「パチェ、これが先日拾ったペットの咲夜よ。洗ってやったらこの通り、星明りを集めたような銀の毛並みだった。この私が連れて歩くに申し分ない美しさでしょう? ただひとつ、問題が。こいつにはまったく教養といった物がない。いくら私でも、ゼロから躾けるのでは骨が折れる」

 

 私の飼い主であり、ご主人様であり、紅魔館館主でもあらせられる偉大な吸血鬼、レミリア・スカーレット様は一息にそこまで言い切った。

 すると、分厚い本からわずかにこちらに視線を向けて、パチュリー様は口を開く。

 ――紫の瞳が湛えた、知性の光に目を奪われた。

 

「……時間は有限なのよ、レミィ。本題をはっきり言いなさい」

 

 お嬢様は笑顔で告げる。

 

「こいつの教育任せた」

 

 返事は間髪入れず。

 

「断わる」

「なんで」

「時間は有限なのよ、レミィ」

 

 不満気に問い返すお嬢様に答える声には一切の揺らぎもない。

 私はその頑固とも言える意思の強さを滲ませた小さな声を、内容など関係なく聞き逃さないように必死に耳をそばだてた。

 

「はっ、我々妖怪の端くれであり、百の時を生きる魔女のくせになにを」

「その子にかける一時間で私はどれ程の知識を得られるかしら? どれほどの時を生きられるのだとしても一秒は一秒で一分は一分。一時間は一時間なの。私は無駄なことに消耗する時間なんて持ち合わせていないのよ」

 

 ――……淡々と繰り返される拒否の言葉にお嬢様は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、ふと何かを思いついたようでニヤリと微笑む。

 

「時間、時間ねえ」

 

 パチュリー様の声が砂時計なら、お嬢様の声はピアノの音色のようだと思う。

 時に重く、時に軽やかで。

 そしてなによりも優雅な。

 気品と自信に満ち溢れた声音。

 

「咲夜。喉が渇いた」

 

 お嬢様のお言葉に。

 

「はい!」

 

 私は弾かれたように正気に戻ると、勢いよく返事を返し、次の瞬間には紅茶を差し出した。

 

「ッ!?」

 

 息を呑んだパチュリー様に向かって、得意気な顔でお嬢様は述べる。

 

「時間停止能力。垂涎物のレアスキルでしょう? 傷付けないように配慮するなら、研究の手伝いをさせてもいい」

 

 ――……その言葉に。

 眉根を寄せ、瞼を閉じ、大きな溜息をつきながら。

 パチュリー様は頷いた。

 

「了解。引き受けたわ」

 

 了承の言を紡いだ後、パチュリー様は私を見据えて言った。

 

「よろしく。咲夜」

 

 

 砂が、胸の内に降り注ぐ。

 重く確かなそれを受け、自分の足が確かな重量を得たように錯覚する。

 ――あくまで、錯覚だ。

 

 

「……よろしく、お願いします」

 

 返答の声が、ほんの少し掠れた。

 軽く、重みの欠片もない、汚い声に聞こえた。

 

 お嬢様は自分の要求が通った事で勝ち誇って胸を張り、私の淹れた紅茶を口に含んで。

 ――勢いよく噴出した。

 

 

「まっずぅ!?」

 

 

 結果。

 私は読み書き算術から紅茶の淹れ方を含めた教養の全てをパチュリー様から学ぶことになったのだった。

 

 

 

 

 偉人を紐解く歴史の時間。

 大きな世界地図を広げての講議。

 世界の広さがピンとこなくて訊ねてみる。

 

「パチュリー様は、旅をされたことはありますか? 大きな大陸や小さな島国の、どこまで行かれましたか?」

 

 パチュリー様は、一拍間を置いてから口を開く。

 整理した言葉以外は口にしない方だから、いつも会話に間が開いた。

 私は、薄い唇から言葉が紡がれる瞬間を待つ僅かな時間を、とても貴重な物だと思っていた。

 

「……レミィに出会う前は、拠点を持たず放浪していたわ。一箇所に留まれる状況でもなかったし。それでも、大きな移動もしなかったわね。移動手段の確保が難しかったから。本を持ち運ぶ為の収納魔法に力を回していたせいで、転移魔法にも限界があった。大体、この範囲をうろちょろしていたかしら」

 

 そう言って、地図の一角を指でグルリと囲った。

 それは、私にとっては十分広い範囲だ。

 

「……咲夜は、旅をしてみたいの?」

 

 視線から僅かな羨望を読み取ったのだろう。

 パチュリー様の問い掛けに、私は首を横に振る。

 

「珍しい物は好きです。知らない物に出会えると考えれば、興味もあります。でも」

「でも?」

「わざわざ遠くまで行かなくとも、素敵な物はあります」

 

 考え込むように小さく俯いたパチュリー様を見ていると、自然と頬が緩んで。

 あふれるように、言葉が零れ落ちた。

 

 

「どこにもいかなくていいから。貴女の声を聞いていたいです」

 

 

 

 

 ちっぽけな子供の、そんな台詞に。

 赤く染まった頬を見て。

 大きく一つ、鼓動が跳ねた。

 

 

 

 

 次の日、パチュリー様はぶっきらぼうに私へ飴玉を差し出した。

 しっかりと勉強しているご褒美だと語りながら。

 頬は赤かった。

 美味しいかと聞かれて、よくわかりませんと答える。

 不思議そうな顔をされたから、美味しいとか不味いとか、今まで考えたことがなかったのだと説明したら、ことあるごとに食べ物をくれるようになった。

 そして時折、美味しいかと問い掛けてきた。

 そんなことが数ヶ月続いて。

 ある日『美味しいです』と返答した。

 すると。

 いつも感情に乏しい顔をくしゃくしゃにして、本当に嬉しそうに、笑ってくれた。

 その笑顔を見て。

 

 さらに深く、恋に落ちた。

 

 

 

 

 ――……でも、結局。

 一度も、好きだと告げなかった。

 

 

 

 

 やがて、時が経つにつれて。

 私の背が伸びる程、あの方の背を眺める事が多くなり。

 私の背が縮むにつれ、あの方の背は遠ざかって行った。

 腕を引こうとはしなかった。

 追い縋ろうともしなかった。

 

 置いて逝くのは、私の方だからだ。

 

 

 

 

 もう、仕事を続けるのは無理だと。

 余生は大人しく横たわって過ごすべきだと告げられた日。

 パチュリー様が、一度だけ私の部屋を訪れた。

 しばらく無言で椅子に腰掛けていたパチュリー様は、一言。

 

 

『欲しい物は、ある?』

 

 

 と、そう口にした。

 私はその言葉に、迷わず答えた。

 

 

『砂時計が、欲しいです』

 

 

 

 

 砂時計の砂が落ちる音はとてもかすかで、ギリギリまで耳を近づけない限り聞こえはしない。

 けれど、鼓膜を震わせないそれは私の脳を直接揺るがして、瞼の裏にいつも紫を連れてくる。

 砂時計の砂が落ちる時に奏でる、小さく速い、それでも規則正しい砂音と。

 小声で早口で、それでも一定のリズムで紡がれるあの方の声は、私の中心に重なって響くのだ。

 

 

 

 もう、それだけでいいと思った。

 

 

 

 

++++++++++

 

 

 

 

 カーテンの隙間から差し込む夕日で目が覚めた。

 上体を起こす際、なかなか上手く身体が持ち上がらなかった。

 

 ――……これは、そろそろ本当にお迎えが来るのかもしれない。

 

 過ごして来た年月を振り返る。

 完璧な『人生』だったとは言えないだろう。

 それでも、もう少しで私は『完全』に『人』として終れる。

 

 砂時計を手に取って見詰めた。

 私のてのひらの中。

 硝子越しに落ちていく砂粒。

 小さくも確かな重量。

 引っくり返せば、また変らず時を重ねる。

 最初からわかっていたことだった。

 私は人間だ。

 不確かで、重みのない、あっという間に命を終える、ちっぽけな。

 そんな人間であり続けると決めていた。

 

 だからこそ。

 パチュリー様に恋をしたのだ。

 

 

 いつか針を止める、銀時計にしかなれない私だったから。

 

 

 ――コンコン……コン。

 

 

 続けて二回。

 間を空けて一回。

 合わせて三回響くノックの音。

 扉に目をやる。

 最後にこのノックの音を聞いたのは、砂時計を貰った、あの日だ。

 

「っ……」

 

 心臓が大きく跳ねた。

 砂時計をギュッと握り締める。

 

「……咲夜」

 

 ゆっくり、開かれた扉から。

 砂が、緩やかに流れ込んできた。

 

 

「パチュリー、様……」

 

 

 最後に会った時となにも変らない、美しい少女の姿のまま。

 もしかしたらもう見ることは出来ないかもしれないと、そう思っていた彼女が、確かにそこにいて。

 一歩、また一歩と、老いて枯れた私のもとへと距離を詰めて来る。

 

「咲夜」

「……」

「咲夜」

「……なぜ」

 

 夢の中でいい。

 会いたかった。

 夢の中だけでいい。

 会いたく、なかった。

 

「なぜ、来たのですか……?」

 

 ベッドまで後二歩の距離で足を止めたパチュリー様は、一瞬、息を止めて。

 かすかに、眉を寄せて。

 それでも、瞳は揺らさない。

 

「ずっと、考えていたの。変る事と変らない事、変える事と変えない事。伝える事と、伝えない事」

 

 いつもそうだった。

 パチュリー様は、整理した言葉以外口にしようとしない方だから、いつも会話に間が開くけれど。

 一度話すと決めたことを、躊躇ったりはしない。

 止める間もなく早口に、それでも一定のリズムで、自分の想いを語るのだ。

 

「危うく、間に合わなくなる所だったわ」

 

 砂時計の砂は、落ち切るまで、止まりはしないのと一緒で。

 

「咲夜。人は変っていく物だけど、その枠の中で貴女は変らない事を尊んだ」

 

 細く白い指が近付き、私の頬の皺をゆっくりと撫でる。

 拒むことなど、出来はしない。

 

「けれど私は、変える事と変えない事を望んでいる」

 

 

 ――……私は、人間なのだ。

 犬で、銀時計で、でも、人間なのだ。

 そうあると決めていて。

 そうあるから私で。

 そうあったから、貴女に恋をして。

 だから。

 もう、少しなのに。

 

 砂が落ちる。

 落ちる。

 堕ちる。

 そして――……。

 

 

 

 

「貴女が好きなの」

 

 

 

 

 引っくり返る。

 

 それは。

 聞きたくなかった。

 けれど、求めていた。

 

 

 砂の落ちる音。




 紅魔館、地下。
 悪魔の姉妹、二人きりのお茶会にて。

「面倒臭いねえ」

 対面に座る姉が語った物語に対して、妹が口にした感想の一言目はそれだった。

「傍観者ですらない、私がこんなこと言うのもアレだけどさ」

 悪魔の妹は、もう長いことこの薄暗い地下の自室から出ていない。
 何十年か前に強大すぎる力を制御出来るようになって、外出許可は下りているにも関わらず。
 本人曰く『すっかり暗闇に目が慣れてしまった』らしい。
 眉を下げて笑いながら『外はちょっと眩しすぎたみたい』と、力なく語った妹を、姉はけして忘れない。

「難しく考えすぎだと思うんだよ」

 紅茶で喉を湿らせてから、つまらなそうに彼女は続きを口にする。

「理由がどうあれ、好きな人が出来ました。一度好きになっちゃったら、もうきっかけとか理由とか関係ないでしょ。好きなもんは好きじゃん。そしたら一緒にいたくなりました。じゃあ一緒にいましょう、ずっと。それでいいじゃん。他のこととか、どーでもいいじゃん。めでたしめでたし、ハッピーエンド」

 くっだらない、と鼻で嗤って。
 細く、長い溜息の後。


「そんなくだらないことで悩めるなんて、羨ましい。眩しいね」




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