東方(咲夜中心)短編集   作:鬼灯@東方愛!

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初出:2013/06/08
現パロなので、苦手な方はご注意ください。


現代パロディシリーズ《パチュリー+咲夜+その他》
火曜日はオムライスの日


 

 

 築何十年かなんて、知らないし知りたくもない木造建築二階建てのアパート。

 名前だけは立派で、『紅魔館』。

 特別紅くもなければ館と言う程立派でもないので、滑稽にも程があると思い、少々恥ずかしく思っていたが、慣れた。

 一段上る毎に軋みをあげる老朽化して錆びついた鉄製の階段。

 上ってすぐの、風呂なしの六畳一間。

 そこが、ここ数年生活している、私の住処だ。

 

「……あー」

 

 最近、目にかかり鬱陶しいと感じつつ、美容院に通う余裕もなく、自分で切るのも面倒なので伸ばしっぱなしにしている長い髪を、呻き声をあげながらかきあげた。

 まだ可憐であった少女の頃は、美しい藤色の髪だと褒めそやされもしたが、不規則極まりない生活を続けている為、現在は艶やかさの欠片もありはしない。

 しかし、そんなことを気にしている余裕や暇こそ、私にはないのだ。

 目の前には、真っ白な原稿用紙が広がっている。

 手に握った万年筆が、滲んだ汗で滑って落ちそうだ。

 締め切りは明日。

 時間がない。

 

 ――この私、パチュリー・ノーレッジは、小説家である。

 しかし、けして人様に胸を張ってそのことを伝えることができない……頭に『売れない』と付け加えなければならない立場の人間だ。

 

 一作だけ、そこそこ売れた作品があるが、その後は鳴かず飛ばずで、なんとか細々と食いつないでいる。

 その為、原稿を落とすわけにはいかないのだ。

 見限られて、これ以上仕事がなくなれば、終わりである。

 

「だめだ、どうしよう、最後のシーンがまとまらない……」

 

 脳裏に、担当の編集者の厭味ったらしい笑みが浮かぶ。

 焦りばかりがつのっていく。

 

 ――ドン!

 

「きゃあっ!?」

 

 思考に沈んだ意識が、大きな音によって無理矢理現実に引き戻された。

 音の発生地点、玄関扉に顔を向ける。

 

 ドンドンドンドン、ドンッ!

 

 続けて響く、ノックというには荒々しすぎる打撃音。

 驚きと恐怖で、座ったまま後退った。

 

「な、なに……?」

 

 音が止んだ。

 怖いからこそ視線が逸らせず、瞬きもしないまま扉を凝視していると。

 

 ――ガチャリ。

 

 鍵の開く音がやけに大きく鼓膜を震わせた。

 

「ひいいぃぃいいっ!?」

 

 裏返った悲鳴を上げる。

 

「――……うわ、ビックリした。なに叫んでるのよ、パチェ?」

 

 涙目の私にかけられた呆れ声は、よく聞きなれた物だった。

 

「……っ、れ」

 

 かあっ、と顔が熱くなる。

 急激に込み上げてきた怒りと羞恥で、今の私は、きっと耳まで赤く染まっているだろう。

 感情のまま、声を荒げて怒鳴った。

 

「レミィっ! 驚かさないでよ!」

 

 勝手に玄関を開け、仁王立ちしている小さな女の子……に見える、腐れ縁の親友。

 名前は、レミリア・スカーレット。

 愛称はレミィ。

 学生時代の先輩で、このアパートの大家でもある。

 

「いや、だってチャイム壊れてて鳴らなかったから」

「だったら、直してよ! というか、勝手にマスターキーで鍵開けて入ってこないで!」

「まあまあ、落ち着きなさい。また喘息の発作が起こるわよ?」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘だ。

 ヘラヘラ笑って流される。

 なんだか怒っている気力も失せて、溜息を吐いた。

 

「……久しぶり。お帰りなさい。今度の仕事はどうだった?」

「ただいま。もちろん上々よ。いい取引が出来たわ」

 

 レミィは親の跡を継ぎ、財閥の総帥の立場にある。

 その働きぶりと、敵に回った時の恐ろしさから、一部では『紅い悪魔』とも呼ばれている傑物だ。

 商談の為、自ら海外を飛び回っており、最近ではあまり顔を合わせることが出来ない。

 このアパートは遺産相続の際に引き継いだ物らしいが、先代が思い出のある場所として取り壊さずにいた物だと知っていた為、レミィもそのままにしているらしい。

 私は、このアパートに、なんと月5000円で住まわせて貰っているのだ。

 本来は、風呂なしトイレ共同のボロアパートとはいえ、立地がいいので月35000円はとられる。

 正直、そんなに払う余裕などあるわけもないので、おおいに助かっている。

 持つべき物は親友である、うん。

 

「今回はゆっくり休めるの?」

 

 たまには一緒にのんびりお茶でも楽しみたい。

 今現在原稿が修羅場で、この部屋には徳用ティーパックしかないが。

 

「いえ、またすぐに発たなければならないの。今日の午後の便で飛ぶわ」

 

 時計を見る。

 現在の時刻は午前11時15分。

 

「時間、全然ないじゃない!」

 

 驚いて大きな声が出た。

 空港までの道のりを考えれば、全くと言っていい程余裕がない。

 

「ええ、そうね。でもどうしてもパチェに会わなくちゃいけなかったの。お願いがあるのよ」

 

 真剣な顔でレミィはそう言った。

 普段、私に対して見せているおちゃらけた態度からは考えられない真面目な様子に、たじろぐ。

 

「……いったい、どんなお願いかしら? 言っておくけど出来ることなんて、限られているわよ」

 

 計算はそれなりに得意だけど、昔から小説一筋だったから、資格などは何一つ持っていない。

 仕事のことならば、力になれるとは思えなかった。

 だからといって、荒事でもないだろう。

 私は小学生にだって負ける自信がある。

 金銭のことならば、それこそ言わずもがな。

 現在お財布の中には、漱石さんが3人しかいない。

 

「いいえ、パチェ。今回のことは、貴女にしか頼めないのよ」

 

 レミィはくるりと背を向けると、扉の外に体を出して、手を伸ばす。

 その白い手を、小さな手が握った。

 

「え……?」

 

 姿を現したのは、幼い女の子だった。

 銀髪が、外から差し込んだ陽射しを反射して、鈍く煌めく。

 整った顔立ちには表情がないが、蒼い瞳から、不安の色が見て取れた。

 

「紹介するわ。この子の名前は、十六夜 咲夜。まあ、まだ戸籍作ってないから正式な物じゃないけど」

「え、ちょっと待って、なにそれ。どういうこと?」

「今回の仕事先で拾ったのよ」

 

 話が突飛すぎて、ついていけない。

 思考がフリーズしかけている私に、追い打ちをかけるように、レミィは言葉を続けた。

 

「――……というわけで、任せたわ」

 

 ……。

 …………?

 

「はああッ!?」

 

 なにが、というわけで、なんだっ!?

 

「私、さっきも言った通り、今からまた仕事なのよ。多分しばらく戻れないの。その間、この子の世話をよろしく頼むわ」

「ちょっ、待ちなさい! そんなのいきなり言われても……っ!」

 

 困惑し、慌てふためく私に、レミィは静かな声で囁いた。

 

「家賃」

 

 ビクゥッ!

 肩を大きく震わせて、体を強張らせる私を見ながら、レミィが優しそうな顔で微笑んで続ける。

 

「この建物も、老朽化が進んでいて、ドアチャイムさえ壊れてしまっているようだし。修繕するためにも、お金が必要でしょう? 少し、値上げを考えてしまうわ」

 

 ――……これぞまさしく、悪魔の笑みだ。

 

 私は、ゴクリと喉を鳴らして、唾と一緒に不満と文句を喉の奥に流し込み、悪魔の提案を呑んだ。

 

「……お願いを、引き受けたわ。親友」

 

 レミィは、笑みをさらに深めて、満足気に言った。

 

「ありがとう! 親友!」

 

 そして。

 親友様は、大きなボストンバッグ一つと、幼子を置いて、迎えに来たリムジンに乗り込み、去って行った。

 

「……」

 

 下を向く。

 

「……」

 

 幼子と視線が交わる。

 顔をあげてこちらを見上げている幼子だが、背が低いので、首が辛そうだった。

 膝を床に着き、視線の高さを合わせて、告げる。

 

「……これから、よろしく」

 

 幼子は――……咲夜は、少し目を丸くして数瞬黙り込んだ後、小さな声で答えた。

 

「よろしく、おねがいします」

 

 少し発音に違和感があったが、日本語であったことにホッとした。

 私は、日本語と英語くらいしか出来ないのである。

 

 

 

 

 ひとまずボストンバッグの中身を確認したところ、小さな着替えの服が数着と、歯ブラシ等の最低限の小物が数点。

 それと――封筒が入っていた。

 そおっ、と内容物を確認する。

 

「……諭吉様っ!」

 

 そこには、諭吉様ご一行の眩しいお姿が!

 ……これだけあれば、欲しかった本が何十冊買えるのかしら。

 いや、いやいや、落ち着け。落ち着くのよ、パチュリー・ノーレッジ。

 頭を左右に振って、思考を切り替えた。

 レミィは咲夜をいつまで預かればいいのか期日を明確に提示しなかった。

 それはつまり、最悪の場合は年単位で養育していく必要があるということだ。

 以前に1年間以上も、聞いたこともない国名の国から帰ってこなかったこともある奴なのだから。

 大切に使おう、と一人頷き、振り返る。

 

「……」

 

数年前の誕生日に担当の編集者が「どうせ液晶テレビ買うお金ないんでしょう? 世間は地デジ。そのブラウン管はただの箱になるんですよ」なんて嘲笑いを浮かべながらプレゼントしてくれた、この部屋には不釣り合いな液晶テレビの前で、体育座りをしている小さな背中が目に入った。

 時刻は、お昼前だ。

 

「ねえ、お腹減ってる?」

 

 問いかけると、首だけで振り返った彼女は、小さく頷いた。

 

「そう、ちょっと待ってて」

 

 冷蔵庫を開ける。

 

「……しまった」

 

 隅々まで見渡しても、お茶と梅干しくらいしか残っていなかった。

 そういえば、昨日から執筆に夢中で、私自身何も口にしていない。

 炊飯器にご飯も残っていないはずだ。

 

「って、いうか、ヤバい。締め切り……っ」

 

 もう一度、振り返ると。

 咲夜は、テレビではなくこちらを伺うように見ていた。

 

「……はあ」

 

 溜息を吐いてから、封筒に手を伸ばした。

 ――……出前を頼むなど、何年振りだろうか。

 

 

 

 

 結局。

 昼も夜も出前を取り、食事を賄って、それ以外は、ひたすら原稿用紙と向かい合っていた。

 その間、咲夜は同じ場所に座ったまま、テレビを見ていた。

 風呂をどうしようかと一瞬悩んだが、今日は我慢してほしいと咲夜にお願いをした。

 この家には風呂などないので、体を清めたければ近所の銭湯に赴く必要があるが、そんな暇など私にはなかったからだ。

 咲夜はなんでもないことのように頷き、言った。

 

「お風呂は、今までだって入ったことなかったから、平気です」

 

 ……詳しく聞く意欲は色んな意味で湧いてこなかったので、スルーした。

 その夜、来客用の布団など置いていないので、普段から使用している布団を一組だけ敷いて、 子供に夜更しをさせてはならないことくらいは知っていたから、午後10時を迎える前には先に寝なさいと促した。

 スタンドライトの明かりだけ点灯させて、執筆を続ける。

 完成させた頃には、完全に陽が昇っていた。

 

 

 

 

「うわあああっ、またなに言われるか分かったものじゃないわ。咲夜!」

「はい」

「お仕事の都合で出かけるから! これチラシ! 適当に何か注文して食べなさい!」

 

 大慌てで、一方的にそう伝えて。

 原稿を収めた茶封筒片手に、私は部屋を飛び出した。

 

 

 

 

「毎回、毎回。狙ったように期日ギリギリに完成させますね。流石ノーレッジ先生。わざとですか?」

 

 私が手渡した原稿を速読しながら、担当の編集者が厭味ったらしく口を開いた。

 いつも清潔に整えられた身嗜みと、慇懃無礼な口調と、人を嘲るような態度。

 誰が呼び始めたのか『小悪魔』という異名で知られる編集者だ。

 

「違うわよ……ごめんなさい」

 

 気まずくて視線を逸らすと、溜息が聞こえた。

 

「それで……散々待たせておいて、完成した物は、コレですか?」

 

 息が詰まる。

 目の奥が、熱くなった。

 

 小悪魔は、原稿を机に放って、一冊の本を手に取った。

 

「この作品は、良く出来ていたのに」

 

 それは、私の著作の中で、唯一そこそこの売れ行きを見せた作品だ。

 だけど、ソレは。

 

「その作品は……違う」

 

 言葉を、想いを、吐き出した。

 胸がムカムカして、堪らない。

 

「なにが、違うんですか」

 

 吐露した想いの続きを促す声に、反発するように続ける。

 

「その作品は、違うの。……私が書きたかった物は、そんなんじゃないの……ッ!」

 

 その作品は、私にとっては過ちだった。

 

 

 

 

 当時。いくら書いても認めて貰えず、仕事も減り、自信を失くした私は、自分の作品と、他の作家の作品で何が違うのかと考えて、本屋でベストセラー小説だと紹介されていた本を手に取った。

 ソレを読んで、思ったのだ。

 

 ――……ああ、こんな物を書けばいいのか。こんな物で、人は認めてくれるのか。

 

 そうして。

 思想もなく、ただ、綺麗事のみを並べ立てて、形作った。

 中身の全くない抜け殻が、その作品だ。

 後悔した。

 それこそ、死ぬ程思い詰めた。

 その結果、決めたのだ。

 

 もう、絶対に、認められたいなんて考えで、作品を仕上げたりはしない、と――……そう、決めた。

 

 

 

 

「格好つけたって。その結果がコレでは、意味がないでしょう?」

 

 小悪魔の台詞に、ぐうの音も出ない。

 まさしく正論であった。

 

「それに、先生の意見には、賛同いたしかねます」

 

 小悪魔は、珍しく嘲りの要素のない真面目な顔をして、言葉を続ける。

 

「貴女にとっては、ただの過ちで。綺麗事の寄せ集めでしか、なかったとしても。その綺麗事に感銘を受けて、人生を変えた人だって、いるかも知れないでしょう? そういうことは、考えられないんですか。……たとえば」

 

 彼女は、私の顔を覗き込み、視線を絡ませて、言い放った。

 

「出版社に就職して、そのきっかけをくれた作品をお書きになられた憧れの先生の担当になって、心底感激していたのに。その先生自身の口から、完全否定されたファンの気持ち、とか、そういうのも」

 

 絶句して、目を見開く。

 顔から、血の気が引いていく。

 あふれるように、口から謝罪の言葉が飛び出した。

 

「ごめんなさ」

「なーんて、ね」

 

 ソレを途中で遮って、彼女は『小悪魔』という異名に恥じない笑みを浮かべた。

 

「驚きましたか、先生?」

 

 からかうような口調。

 人を小馬鹿にした態度。

 体から力が抜けて、口から大きな溜息を吐き出した。

 

「……帰るわ」

「お気をつけて」

 

 背中を向けて、歩き出す。

 しかし、数歩進んだところで呼び止められた。

 

「先生」

 

 振り返ると、小悪魔はあの本の背表紙を見詰めながら、静かな声で言った。

 

 

「先生が、心から納得出来る作品が書き上がる日を、お待ちしております」

 

 

 

 

 帰りの電車の運行が運悪く遅れて、紅魔館に帰り着いた頃には空が赤らんできていた。

 

「ただいまー……」

 

 部屋に入る。

 電気がつけられておらず、室内は暗かった。

 

「咲夜……?」

 

 姿を探して視線を走らせれば、狭い空間なので、すぐ目に入る。

 部屋の隅で膝を抱えている、小さな姿。

 

「どうしたの、電気もつけないで」

 

 傍に寄って膝をつく。

 次の瞬間。

 

 ――きゅうぅううう……。

 

 切なげな腹の虫の声が、室内に響き渡った。

 

「お腹空いてるの?」

 

 咲夜は、小さく頷いた。

 

「出前、とらなかったの?」

 

 問いかけに、しばし黙り込んだ後。

 

「読めなかった、から」

 

 辛うじて聞き取れる程度の声量で、躊躇いがちにそう答えた。

 

「読めなかった……? あ、もしかしてっ」

 

 チラシを手に取る。

 ここは日本。

 チラシの文字も、もちろん日本語だ。

 

「……ごめんなさい。配慮が足らなかったわ」

 

 いくら、日本語が話せたからといって。

 文字までは読めない可能性を失念するとは、浅慮にも程がある。

 話している間に、咲夜のお腹がまた一つ音をたてた。

 恥ずかしそうに俯く彼女の手をとって、立ち上がる。

 見上げてきた顔を見つめ返して、誘った。

 

「スーパー、行きましょうか」

 

 

 

 

 近所のスーパーに辿り着き、買い物カゴを手に取る。

 カートを使う程買い込んだことは、一度もない。

 咲夜は、物珍しそうに辺りをキョロキョロ見回していた。

 買う物は決まっている。

 今日は火曜日だからだ。

 真っ直ぐにそのコーナーへ向かおうとしていると、咲夜が視線を一か所に留めていることに気が付いた。

 何を見ているのだろうと思い、視線の先を追うと、お菓子コーナーだった。

 そのコーナーで、咲夜と同じくらいの年齢に見える女の子が、母親にお菓子を強請っている。

 

「ねえ、おかあさん、いいでしょー、買ってよおっ!」

「もう、しょうがない子ねえ」

 

 ――……お菓子を、見ているのか。それとも。

 

「咲夜」

 

 気が付くと、声をかけていた。

 彼女の小さい肩に手を置いて、歩き出す。

 

「一個なら、買ってあげるわ」

 

 

 

 

 たくさん棚に並べられたお菓子を前に、咲夜は困り切った顔をして、手を伸ばそうとしては引っ込めるのを5分以上繰り返した。

 結局自分では選べない様子だったので、先程の女の子が強請っていたお菓子と同じ物をカゴへと入れて、そのコーナーを後にした。

 

 

 

 

「あ、おかえりなさい」

 

 紅魔館に帰り着くと。

 敷地内の花壇に植えた花の世話をしていた管理人に声をかけられた。

 いつも温和な笑みを浮かべている管理人の名前は、紅美鈴。

 実は、彼女はレミィに昔から仕えていた使用人で、私も学生時代から色々とお世話になっていたので、とても気心の知れた関係だ。

 

「ただいま、美鈴」

 

 返答に笑みを深めて近寄ってきた美鈴は、咲夜に気付くと目を丸くして問いかけてきた。

 

「パチュリー様、いつの間にお子様をつくられたのですか? ……シングルマザーは大変かと思いますが、頑張ってくださいね」

 

 思いがけない言葉に噴き出す。

 

「ちょっ、なに言ってるのよ、ばか!」

 

 顔が熱い。

 怒鳴りつけた私に、美鈴は「冗談ですよ」と笑った。

 

「咲夜さん、ですね。お嬢様から伺っていましたよ。はじめまして。私の名前は、紅美鈴です」

 

 やわらかな笑みを添えて行われた自己紹介。

 それに対して、咲夜は視線を俯けながら、体半分私の背に隠れるようにして「はじめまして」と小さく返した。

 その様子に、私は美鈴と顔を見合わせて苦笑したのだった。

 

 

 

 

 火曜日は、いつも同じ商品を買いにスーパーへ向かう。

 普段は200円以上もするソレを、火曜日にはたったの78円で購入することが出来るからだ。

 背後から、咲夜の腹の音が聞こえる。

 私は、フライパンを振る腕を速めた。

 

 

 

 

「憶えておきなさい、咲夜」

 

 湯気をたてるソレを前に、咲夜が喉を鳴らした。

 

「火曜日は、オムライスの日よ」

 

 毎週火曜日は、玉子が特売価格で購入できるのだ!

 

「あ、少し待ちなさい」

 

 制止の声をかけた私に、咲夜の眉が下がる。

 ……『待て』と命じられた犬のようで、可愛い。

 だけど、別にそんな顔を見たくて意地悪を言ったわけではない。

 ただ、仕上げを行うだけだ。

 ケチャップを手に取り、黄色い表面へと垂らした。

 

「……これで、よし」

 

 咲夜は、まだ、日本語が読めないので。

 意味は、分からないだろうけれど。

 

『ホントに、よろしくね』

 

 

 ――……我ながら、綺麗に書けたと、思う。

 

 

 

 

 食後。

 咲夜に、先程スーパーで購入したお菓子を手渡した。

 咲夜は、恐る恐るといった感じでソレを口に運んで、咀嚼した後。

 ふんわりと、頬をほころばせた。

 そして、お菓子の箱の底にオマケが入っていることに気付き、驚いていた。

 玩具の、月の形をしたネックレス。

 首からかけてやり、褒めてあげる。

 

「可愛いわね」

 

 俯いた彼女の耳は、赤かった。

 

 

 

 

 銭湯では、半ば予想していた通りではあったが、自分で上手く洗浄出来ない咲夜の面倒をみてやった。

 その時に、あらためて感じた。

 あまりにも、細い体。

 今にも折れてしまいそうな手足。

 ……高価な物は与えられないが、ご飯はお腹いっぱい食べさせてやろうと思った。

 

 

 

 

 

 深夜。

 風の音で目が覚めた。

 隣の幼子も起きていることに気が付き、話しかける。

 

「咲夜、眠れないの?」

 

 彼女は、数拍間を置いてから、小さく頷いた。

 ……もしかして、昨晩も眠れなかったのだろうか。

 自分は、つくづく大人として失格な対応を行っていたのではないだろうかと、罪悪感が込み上げてきた。

 

「……そうだ」

 

 思いつく。

 生憎、歌唱力に自信はないので子守唄など歌えないが、私はこれでも作家なのだ。

 寝物語でも、聞かせてやろう、と。

 少し、悩んで。

 語り始める。

 

「むかーし、むかし。あるところに、指が6本ある女の子がおりました」

 

 この話は、以前執筆した童話なのだが、設定に差別要素があり教育上問題があると出版社に掲載を断られた物だ。

 その時、私は思った。

 差別だなんだと、現実にもある問題を、臭い物に蓋をするように隠して遠ざけることのほうが、余程問題があるのではないか、と。

 ただ、今の子供達が、物語の本質を理解出来ず、目につきやすいところにだけ意識を向けてしまうというのなら、その限りではないとも考えたので、強く主張はせず、引き下がったのだ。

 しかし、今、隣で横たわっているこの幼子は、物語にこめた想いを、過たず感じ取ってくれるのではないか、と。

 なんとなく、そう感じたので、話すことにした。

 

「女の子は、村人達に化物だと思われていました。みんなと同じように、嬉しければ笑い、悲しければ泣く、やわらかくて傷付きやすい心を持っていたのに、たったひとつ違うところがあるだけで、仲間外れにされてしまったのです。そんな日々が続くうち、女の子のやわらかかった心は、すっかり固くなってしまって、いつの間にか女の子は、笑うことも泣くことも出来なくなっていました」

 

 ああ、そういえば。

 小悪魔は、この話を珍しく、少しだけだったけど、気に入った様子だったなあと思い出した。

 

「すると、村人達は、さらに女の子を嫌い、ついには恐れるようになりました。女の子がなにを考えているのか、わからなかったからです。わからないものは、恐ろしかったからです」

 

 ゆっくりと語っていく。

 話している途中に眠りに落ちるのなら、それはそれで本来の目的通りなので、かまわない。

 出来る限り、優しい響きになるように気をつけて喉を震わせた。 

 

「ある日、村人の一人である猟師が、狩りをしに森へと向かって、数時間後に、獲物も持たず、血相を変えて戻ってきました。彼は、村人達に青い顔をして語りました。

『大変だ、森の奥に、三つ目の化物がいた』

その化物は、とても体が大きく、丸太のように太い腕をしていたので、恐れた猟師はせっかく仕留めた獲物も持たずに逃げ帰るしかなかったそうでした。村人達は、頭を抱えました。化物は恐ろしいし、このままでは狩りが出来ず、飢えてしまう。どうしたものかと悩みます。そして、誰かが言いました。

『そうだ、生贄を捧げれば、化物も満足するかもしれない』

村人達は、それしかないと思いました。そして、生贄は誰にするかと話し合った結果、指が6本ある女の子が選ばれたのでした。誰一人、反対する者もおりませんでした。彼女のお父さんとお母さんを含めて、誰一人です。だから、女の子は、『もういいや』と思ったのでした」

 

 咲夜は、黙って聞いていた。

 一つ深呼吸をしてから、続ける。

 女の子は暗い森の中を奥へ奥へと進んでいき――……三つ目のある男と出会う。

 彼女は男へ、自分が生贄であることを伝えて、食べるようにと言うが、男は眉を顰めて拒絶する。

 

「三つ目の男は言いました。

『俺は、ベジタリアンなんだ』

男の主食は、自家栽培しているキャベツでした」

 

 女の子は意外な事実に驚いて、何年か振りに無表情を崩し、目を真ん丸にするのだ。

 その後、行くあてもない女の子は化物の暮らす小屋へと居座り、二人の生活が始まる。

 それは、とても穏やかな日々で――……女の子の心も、少しずつやわらかさを取り戻していくのだった。

 しかし。

 

「嵐がやってきました。それは、誰のせいでもありません。だけれど、村人達はそうは思いませんでした。

『せっかく生贄を捧げたのに、嵐なんかおこしやがって。畑の作物が駄目になってしまったじゃないか』

怒った村人達は、鍬や斧、猟銃を持って、森へと攻め込みました」

 

 多勢に無勢。

 三つ目の男は、迫ってくる大群に己の死期を悟り、女の子へ『逃げろ』と言う。

 その言葉を、女の子は笑い飛ばす。

 

「いったい、どこへ逃げればいいの。化物はどっちなの。この世界には、化物しかいないじゃない――……女の子は、そう言って、って、え、ええ? さ、咲夜!?」

 

 心臓が止まるかと思った。

 カーテンの隙間から差し込む月明りで照らされた幼子の頬には、光る滴が伝っている。

 

「ど、どうしたの、なんで泣いているの?」

 

 声をかけても、しゃくり声しか返ってこない。

 どうしたものかと困りきって――……結局、肩を抱いた。

 ゆっくり、壊れ物を扱うように、頭を撫でてやる。

 抱き返してはこなかったが、小さな手が、私の服の裾を控えめに握った。

 その夜は、小さな彼女が眠りに落ちるまで、ずっとそうしていた。

 

 ねえ、物語の中に、なにを見たの?

 そんなに、震えなければならない想いを、抱えていたのかしら。

 

 問い掛けは何一つ言葉に出来ず、胸に沈めるほかなかった。

 

 

 

 

「はい、咲夜」

 

 翌日。筆記用具とノートを手渡すと、咲夜は手渡されたそれらと私の顔を交互に見比べて戸惑っていた。

 

「お勉強しましょう」

 

 微笑んで、言ってやる。

 

「作家と暮らしているのに、その作品も読めないなんて、許さないわよ」

 

 咲夜は、私の顔をじいっと見返してきて。

 徐々に、頬を染めていった。

 そして、耐えきれないと言わんばかりに視線を逸らして、それでも、大きく頷いた。

 自然と感想が口からこぼれる。

 

「……可愛い」

 

 

 

 

 そんな感じで、私と彼女の生活は、緩やかに形になっていったのだった。

 

 

 

 

「つ、疲れた……」

 

 ぶっちゃけてしまうと小説だけでは生活できないので、たまに日雇いのバイトをしている。

 今日は、着ぐるみを着て、風船配りをした。

 途中で、背中からライダーキックをかましてきた悪餓鬼には、本気で本の角をお見舞いしてやりたくなった。

 

「咲夜……」

 

 無性に咲夜に会いたくなる。

 

 あの悪餓鬼に比べて――……家の咲夜は、可愛い。

 

 一人で考えて、照れくさくなって、俯く。

 しかし、家路を辿る歩調は間違いなく早くなっていて、自分は正直者だったのだなあと思った。

 

 

 

 

「咲夜ー、ただいまー……咲夜?」

 

 部屋の中を見渡す。

 狭い部屋のどこにも、咲夜がいなかった。

 

「咲夜ー!?」

 

 焦る。

 まさか人攫いか!?

 冷静さなど、一瞬でどこかへ吹っ飛んだ。

 当てもなく走り出そうとしたところで、声をかけられる。

 

「あ、おかえりなさい、パチュリー様!」

 

 声の主は美鈴で――……その隣には、咲夜の姿もあった。

 体から力が抜けて、溜息がこぼれた。

 

「おかえりなさい」

 

 控えめに微笑みながら、咲夜もそう言ってくれた。

 その頭に手を置いて、出来るだけ優しく撫でながら返事をする。

 

「ただいま」

 

 視線を上げて、美鈴にも礼を告げた。

 

「ありがとう、美鈴。咲夜の相手をしてくれていたのね」

 

 美鈴は笑みを深めて、首を横に振った。

 

「いいえ、私が相手をしてもらっていたんですよ」

 

 穏やかな声は耳に心地いい。

 私もつられて微笑んだ。

 

「二人でなにをしていたの?」

 

 咲夜に話をふると、彼女は目を輝かせて答えた。

 

「お料理を、していました」

 

 驚いて、目を見開く。

 

「お料理? 咲夜が?」

 

 美鈴が、手に持っていた鍋を差し出してくれた。

 

「肉じゃがです。咲夜さん、パチュリー様に食べてもらうんだーって、頑張ったんですよ」

 

 じいんと、胸が熱くなる。

 

「そっか……そうなの。ありがとう、咲夜。今日の晩御飯に食べましょう」

 

 感動に目頭が熱くなるのを感じながら答えたが、咲夜は複雑そうな顔をした。

 

「……? どうしたの?」

 

 問いかけると、咲夜は多少言い辛そうにしながらも口を開いた。

 

「今日は……火曜日です」

 

 私は、その言葉の意味を数秒間考えて――……笑った。

 咲夜は、照れ臭そうにしながら、頬を少し膨らませる。

 その頬を人差し指で突いて、私も言葉を返した。

 

 

「そうね、今日は火曜日――……オムライスの日ね」

 

 

 

 

 咲夜の手を引きながら、スーパーへの道筋を進む。

 空を見上げると、雲行きが怪しくなってきたことに気付いた。

 咲夜が雨に打たれて風邪をひいたら可哀想なので、晴れて欲しいと強く願う。

 すると、スーパーに着く頃には、雲間から光が差していた。

 昔から、こうなのだ。

 晴れて欲しいと強く願った時や、逆に雨が降って欲しいと強く願った時には、その通りになる。

 でも、そんな非科学的なことはただの偶然だろうから、誰かに話したことはない。

 それなのに、雨が降った時はレミィからの視線が痛かった憶えがある。

 玉子のパックに手を伸ばしながら、頭の片隅で、不思議な親友だと、ぼんやり考えた。

 

 

 

 

 原稿用紙を睨み付けたまま固まり、もうどれ程の時間が過ぎ去っただろうか。

 

「……うん、あれね、今日は駄目な日ね」

 

 溜息を吐きながら、万年筆を投げ出し、振り返る。

 物覚えの異常に良い咲夜は、すでに日常でよく見かける常用漢字の読みだけならば問題ないレベルにまで文字を習得しており、ここ数日は私が過去に書いた作品を読んで時間を潰している。

 ちなみに、何故日本語を話すことには問題がなかったかというと、レミィに拾われる前、日本人観光客に話しかけては簡単な観光ガイドや荷物運びをして日々の糧を稼いでいたから、らしい。

 

「咲夜」

 

 声をかけると、ぱっと顔を上げた。

 その様子がなんだか飼い主に呼ばれた子犬みたいで、可愛い。

 思わず小さく噴き出した私を、小首を傾げた咲夜が不思議そうに見つめていた。

 

「咲夜……公園でも、行こうか」

 

 

 

 

 常々、気にしていたことではあるのだが。

 咲夜には、遊び相手がいない。

 戸籍がないので小学校に通えず、このアパートには他に子供がいないので、同年代の子供との出会いさえなかった。

 だから。

 

「なによ、あんた。見かけない顔ね!」

 

 ――……この展開は、期待していなかったわけではない。

 

 

 

 

 公園に着くと、私達以外にはまだ誰の姿もなかった。

 今日は平日、月曜日だから、まだ小学校の授業が終っていないのだろう。

 咲夜の乗ったブランコの背を押したりして一緒に遊んでやったが、体力のない私は早々に力尽きて、見ているから一人で遊ぶようにと伝え、ベンチに腰を下ろした。

 咲夜は、少々戸惑っていたが、ジャングルジムに視線をやると、頂上を目指して登り出した。

 意外と高さがある為、落ちないか心配になったが、危なげもなく進んでいくので、すぐに安心し、見守ることが出来た。

 頂上に辿り着いた咲夜は、こちらを見下ろして、得意げな顔をする。

 すごいわね、と褒める代わりに微笑むと、嬉しそうな表情に変わった。

 ほんわかとした空気に浸っていると、大きな声がそれを引き裂く。

 

「あーっ!」

 

 驚いて視線を向けると、そこには咲夜と同年代の女の子が二人、小学校が終るなり駆けつけてきたのか、ランドセルを背負って立っていた。

 

「こらーっ、そこは、あたいの場所なんだぞーっ!」

 

「ち、チルノちゃん、やめなよぅ……」

 

 チルノと呼ばれた青い髪の女の子は、ジャングルジムの頂上にいる咲夜を指差し、怒鳴りつける。

 

「頭が高いぞ! おりてこーいっ!」

 

 咲夜は、戸惑いつつもその言葉に従った。

 目の前に降り立つと、チルノ達よりもほんの少し背が高いことがわかる。

 チルノは、「頭が高いって言ってるのに」と口を尖らせた後、叫んだ。

 

「なによ、あんた。見かけない顔ね!」

 

 ――……この展開は、期待していなかったわけではない。

 私は、成行きを手に汗をかきながら見守る。

 だって、これは、間違いなく――……友達を作るチャンスの筈だ。

 

「あたいはチルノ! こっちは大ちゃん! あんた、どこの何様よ!?」

 

 ……うん、友達を選ぶよう教える大人は、経験上ろくな奴ではない。

 なので、少し頭が残念そうな子だが、気にしないことにしよう。

 一緒に遊ぶのならば、そのくらいの方が楽しいかもしれないし。

 

「……十六夜、咲夜」

 

 同年代との会話経験など皆無の咲夜には、そう返すだけで精一杯だったようだ。

 

「ふーん、どこ小? 何年生!?」

 

「……」

 

そもそも小学校に通っていない咲夜には、その問いに答えることが出来ないのだが、それをチルノが知る由もない。

 

「無視すんなよ!」

 

 チルノは眉を寄せ、不機嫌丸出しの顔になった。

 咲夜は、どうしていいのかわからないのだろう、そのまま俯いて黙り込んでしまう。

 雲行きが怪しくなってきた。

 友達になる前に喧嘩が勃発するかもしれない。

 止めに入ったほうがよいかと葛藤を始めた私になど気付く筈もなく、チルノが次のアクションを起こした。

 

「なによ、コレ。けっこう可愛いじゃない」

 

 そう言いながら、咲夜の首から下げられた玩具の月の形をしたネックレスへと手を伸ばしたのだ。

 きっと、その行動に悪意はなく、純粋な興味による物だった。

 しかし、咲夜は、その手を勢いよくはたいた。

 

「あいたぁっ!? ……なにすんのよ!」

 

 チルノの顔が、ハッキリと怒りに染まる。

 咲夜も咲夜で、毛を逆立てている子犬のようだった。

 

「なによ、けちっ! かしなさいよ!」

 

 怒鳴ったチルノは、ネックレスを掴み――……咲夜はソレを無理矢理引きはがした。

 その、結果。

 

「……あっ」

 

 ネックレスの紐が、切れてしまった。

 チルノの手から、紐がだらんと垂れ下がり、月の飾りが地面に転がる。

 早く止めに入ればよかった、と。

 私が後悔する暇もなく。

 次の瞬間。

 

 

 その全てを回収した咲夜が、公園の入り口に立っていた。

 

 

 なにが起こったのか、わからない。

 私は、ずっと見ていた筈だ。

 でも、いったい、いつの間に――……咲夜は、チルノの手からネックレスの紐を回収し、月の飾りを拾い上げ、公園の入り口にまで移動したのか?

 まるで、瞬間移動をしたか……『時間を操った』としか、考えられないではないか。

 

「さく、や……?」

 

 呆然として間の抜けた声で呼びかけると、私を見た咲夜の顔から、さあっと血の気が引いてゆくのがわかった。

 咲夜は、怯えるように視線を逸らして、ついには背を向け――……次の瞬間には、姿を消していた。

 私は、しばらく固まってから、大きな溜息を吐き出して、立ち上がる。

 自分の頬を勢いよく両手で『ぱんっ』と叩いて、かぶりを振った。

 ――……急ぐ必要は、ない。

 どうせ、咲夜の居場所など、この町にはひとつしかないはずだ。

 私はゆっくりと歩を進めながら、小さな彼女に伝える為の言葉を考え始めた。

 

 

 

 

 築何十年かなんて、知らないし知りたくもない木造建築二階建てのアパート。

 名前だけは立派で、『紅魔館』。

 特別紅くもなければ館と言う程立派でもないので、滑稽にも程があると思い、少々恥ずかしく思っていたが、慣れた。

 一段上る毎に軋みをあげる老朽化して錆びついた鉄製の階段。

 上ってすぐの、風呂なしの六畳一間。

 そこが、ここ数年生活している、私の住処で――……咲夜の、唯一の居場所だ。

 確信していた通り、彼女は部屋の隅で膝を抱えていた。

 

「咲夜」

 

 呼びかける。

 大きく震える肩を見て、今にも壊れそうだと思ったから、殊更に優しい声を意識して語りかけた。

 

「もう、すっかり陽も落ちてきたし、電気くらいつけなさい」

 

「な、んで――……」

 

 小さな、声。

 掠れて消え入りそうな、微かな声が、耳に届く。

 聞き漏らさないようにと、彼女の正面に膝をついて、顔を覗き込んだ。

 

「なんで……聞かないんですか?」

 

 猜疑心に塗れた声音だと思った。

 それが、悲しいと感じる。

 こんな子供に、そんな感情を植え付けた現実が――……酷く、切ない。

 

「……それじゃあ、聞くわ。さっきのアレは、どうやったの?」

 

 咲夜が話したくないのならば、聞く必要はないと思っていた。

 聞かなくとも、今日までなにも問題はなかったからだ。

 しかし、このまま、何も知らないままの私では、きっと心から信じて貰えることはないのだろうとその声音で思い知ったから、問いかけを口にした。

 

 

「時を――……止めたんです。私は、停止した時の中で、一人好き勝手に行動できるんですよ」

 

 

 咲夜は、一瞬躊躇いを見せた後、そう言い放った。

 非科学的な話だ。

 小説の中の出来事のようだ。

 しかし、先程、体感した出来事で、なによりも。

 

「そうなの」

 

 目の前のこの子が、語ることなのだから。

 疑う余地など、どこにもない。

 

 十六夜咲夜は『時間を操る程度の能力』を持っているのだ。

 

「なら、なるべく止めないでくれると嬉しいわね」

 

 私の言葉に咲夜は目を見開いて、その後、幼い顔には似合わない自嘲の笑みを浮かべる。

 

「やっぱり……気持ち悪いですか。信用、出来ませんか」

 

 硝子の破片を散りばめたような言葉に、私は首を横に振った。

 

「いいえ、別に。でも、時を止めてしまったら、停止した時の中では、独りぼっちなんでしょう?」

 

「……ッ!」

 

 咲夜が、息を呑んだ。

 微笑んで、続ける。

 

「それに、時を止めてしまったら、いつまでたっても明日を迎えられないわ」

 

 咲夜の小さな頭に手を置いて、くしゃくしゃと撫でまわし、告げた。

 

「忘れたの? 明日は、火曜日なのよ」

 

 咲夜の目が、どんどん、潤んでゆく。

 その綺麗な瞳を真っ直ぐ見詰めて、私は言った。

 

 

「火曜日は、オムライスの日なのよ。一緒に食べましょう、咲夜」

 

 

 言い終わったと同時に。

 咲夜のお腹が、きゅぅっと音をたてた。

 私が、思わず噴き出すのと、咲夜が涙をボロボロと溢し始めるのも、同時だった。

 ぎゅうっと抱きしめて、問いかける。

 

「明日は、明日として。今日の晩御飯は、なにが食べたい?」

 

 咲夜の答えは『カレーライス』だった。

 甘党のこの子の為に、甘口のカレーライスを作ってあげよう。

 人参は、特別にハートの形で。

 

 

 

 

 その後。

 お腹をまんまるに膨らませて、安心しきったようにぐっすりと眠りに落ちた幼子の頬を、ゆっくりと撫でてから、原稿用紙に向き直る。

 万年筆を握る手は、止まることを知らなかった。

 

 

 

 

「……へえ」

 

 いつもの速読ではなく。

 ゆっくりと、原稿用紙に目を通した小悪魔は、とても嬉しそうに笑った。

 

「やれば、出来るじゃないですか」

 

 作品のタイトルは、『紅い館と銀時計』。

 時を止めることの出来る女の子が、一瞬一瞬を慈しみながら、一生懸命生きるお話だ。

 

 

 

 

「……あっ」

 

 咲夜と二人手をつないで公園に行くと、そこにはこの前の小学生――……チルノと、大ちゃんがいた。

 咲夜が私の手を握る力が、少し増す。

 私も、ギュッと握り返してやった。

 内心、どうしようかと思っていると、チルノが大股で近寄ってきた。

 大ちゃんも、慌てた様子でその後をついてくる。

 チルノは、私達の目の前までやってくると――……勢いよく、頭を下げた。

 

「この間は、ごめんなさいっ!」

 

 私と咲夜は、顔を見合わせて、笑った。

 咲夜に、生まれて初めての友達が出来た瞬間だった。

 

 

 

 

「ルーミアへ、って書いてください! すっごく、すっごく面白かったです!」

 

 認められたいなんて考えで、仕上げた作品ではなかった。

 しかし、『紅い館と銀時計』は、いわゆるベストセラー小説の仲間入りを果たした。

 生まれて初めてのサイン会。

 感極まってしまい……『ありがとう』と叫びながらファンの前で大泣きをして、翌日の新聞に取り上げられた。

 小悪魔にはからかわれるし、美鈴には生温かい目で見られるしで、散々だったが、落ち込んで膝を抱えた私の頭を、咲夜が優しく撫でてくれた。

 成長したのだなあと思って、撫で返した。

 絵面的にはおかしかったかもしれないが、しばらくの間お互いがお互いの頭を撫でて、ほんわかした。

 

 

 

 

 そんな日々を過ごして、一年が経過した、ある日。

 

 ――ドン!

 

 大きな音が響く。

 

 咲夜と顔を見合わせた後、音の発生地点、玄関扉に顔を向ける。

 

 ドンドンドンドン、ドンッ!

 

 続けて響く、ノックというには荒々しすぎる打撃音。

 

「……」

 

 予想はつくが――……玄関の鍵を開けに行く気にはなれず、そのままじっとしていた。

 

 ――ガチャリ。

 

 しかし、鍵の開く音が、結局鼓膜を震わせる。

 

「ただいま」

 

 親友様の……咲夜の、本来の保護者の、ご帰還だった。

 

「……おかえり、レミィ」

 

 いつか、この日がくることは、わかっていた筈だ。

 こなければいいと、心底、思ってもいたけれど。

 

「咲夜、いい子にしていたかしら?」

 

 レミィが、咲夜に声をかける。

 咲夜は「はい」と返事を返しながら……私の手を、握った。

 

「……ッ!」

 

 その瞬間、思った。

 

 

――……この子は、もう、『私の子供』だ。

 

 

「レミィ、咲夜を引き取りに来たの? それなら――……」

 

 渡すわけには、いかない。

 決意を込めて言い放つ前に。

 

「いいえ、悪いけど、仕事が長引いていてね。またすぐに発つわ」

 

 肩透かしをくらった。

 こめかみを押さえながら、口を開く。

 

「そう……じゃあ、今日は顔見せに?」

 

 その問いに、レミィはやけに爽やかな笑みを浮かべた。

 あれ? なんだか、デジャヴ。

 

「どうしてもパチェに会わなくちゃいけなかったの。お願いがあるのよ」

 

 まるで、一年前の再現だ。

 溜息を吐きながら、問い返す。

 

「……いったい、どんなお願いかしら? 言っておくけど出来ることなんて、限られているわよ」

 

 そう、言葉を紡ぎ終わったところで。

 

 

 ――ドオオォォオオオンッ!

 

 

 隣の部屋から、爆音が響いた。

 

「いいえ、パチェ。今回のことも、貴女にしか頼めないのよ」

 

 絶句している私の様子になど構いもせず、レミィは語る。

 

「隣の部屋にいるのは、フランドール・スカーレット。貴女にも紹介したことのなかった、私の妹よ。人間友好度極低の、引きこもり」

 

 レミィが、輝く笑顔で、言い放つ。

 これぞまさしく、悪魔の笑みだ。

 

 

「――……というわけで、任せたわ、親友」

 

 

 勘弁してください、親友。




 その後、パチュリー・ノーレッジ先生は『紅い館の核爆弾』という作品を書き上げ、ミリオンセラーを叩きだしたのだった。

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