東方(咲夜中心)短編集   作:鬼灯@東方愛!

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初出:2012/01/11
エロコメ。


大人と子供

 ――出来心、だった。

 

「……っふ、あ」

 

 親友が拾ってきた銀色の子犬。

 世話を丸投げされて、面倒ではあったのだけど。

 引き受けた理由は、その愛らしさに魅せられたから。

 猫派であるはずの私の心まで穿つその魅力ったら半端ない、ホント。

 

「いい子、ね」

 

 はじめは大変だった。

 警戒心が強くて、躾けのしの字だってつけられていない野良育ち。

 食事はこぼすうえ、一人じゃ風呂にだって入れやしないくせに、唸るし噛み付く。

 拾って名付けて頭を撫でるだけの飼い主には尻尾を振って、なんで世話の一切合切を引き受けている私に懐かないのかと、腹をたてたりもした。

 でも諦めずにそんな日々を一年も続けてみた結果。

 少し大きくなった子犬は、私の膝の上で童話を読みながら甘い菓子を頬張るのが日課だ。

 

 ――だから、本当に、出来心だった。

 

 算術を教えていて。

 用意した十問の問題を、子犬は全問正解した。

 いつもなら頭を撫でた後、次のティータイムに私のお菓子も半分あげる。

 

 ――繰り返す。出来心、だったのだ。

 

「ぱ、ちゅりー、さま……っ」

 

 全問正解よ、と。

 そう告げたら、子犬は嬉しそうに私を見上げて。

 照れくさそうに、頭を差し出してきた。

 撫でて、と。

 その無言の催促が。

 

 ――可愛かったんだもの。すっごく。

 

「ご褒美よ。咲夜」

 

 だから、まあ。

 ちょー、っと。

 

「……ふ、んぅ、あ、あッ」

 

 イケナイことをしてしまった、わけです。はい。

 いや、相手、子供だし。

 その。

 最後、まで?

 してしまったとか、そういうんじゃ、ないんだけども。

 

「ぱちゅりぃ、さ、まぁ……」

 

 うん、こすった、くらいで。

 

 

 ――……出来心だったんです。ごめんなさい。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

「わるーい魔女さんは、可愛い子犬を食べちゃいました」

「食べてないわ。齧っただけよ」

「齧って舐めて味わったのね」

「……」

「美味しかった?」

「っレミィ、まさか」

「いや、私の好み的に? あと八年は手を出す気なかったわよ。うん。まだ青いどころの話じゃないし」

「ッ……」

「熟れるのを楽しみにしていたんだけどなあ、残念無念」

 

 ――……コトが終って。

 力尽きた咲夜が眠りについた所で、タイミングを見計らっていたかのように入ってきた親友。

 ぜったい、覗き見していたでしょう? と、問い詰めたい気持ちもあるものの、なにかを言える立場ではなく。

 

「まあ、いいや。いっぱいいるかーわいいメイド達に慰めてもらうから」

 

 ニヤニヤ笑ってそう言いながら、彼女は眠る咲夜を抱き上げて部屋から出て行った。

 一人になった部屋で、頭を抱える。

 どうしよう。

 

「……なにが、ご褒美、よ。ペドフィリアの変態じゃない」

 

 明日から、あの愛らしい幼子に、どう接すればいいのか。

 

「いえ、でも、抵抗されなかったし。痛いこととか、してないし。むしろ気持ちのいいことしか……」

 

 そこまで呟いて。

 自分はなにを言っているんだ、と正気に返り、反射的に手で口を押さえ。

 

「……っ!」

 

 ――指から香る残り香に、さらにどん底に突き落とされた。

 

「ホント、もう、どーしようもない……」

 

 泣いた。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

 朝。

 小鳥の鳴き声が窓越しに響く。

 昨晩は珍しく図書館に置いてある簡易ベッドではなく自室のベッドに横たわった。

 頭の中がグシャグシャで、眠ってすべて夢だったことにしてしまいたかったのだ、けど。

 

「……結局、一睡も出来なかった」

 

 だって。

 瞼を閉じれば、潤んだ瞳だとかほのかに赤く染まった白い太腿だとかが、鮮明に浮かんでくるのである。けしからんとは思いつつもどーしようもないのだ。

 

「ああああ……」

 

 枕に顔を埋める。

 起きたくない。

 もう一生毛布の中にひきこもっていたい。

 元々館に、さらに言うならば食事など以外地下の図書館にひきこもっていたのだし、少しひきこもる範囲が狭まるだけだ。さした違いではない。きっとそうだ。そうなんです。

 

「おはよー、パチェ」

 

 ノックも、足音もなしに。

 いつの間にか枕元に立ち、無駄に爽やかな笑みを貼り付けて語りかけてくる親友(悪魔)。

 

「夜の王である館主様が朝っぱらからモーニングコールに出向いてやったんだ。起きなさい。グッモーニン」

「……あと百年くらい寝かせて」

「しゃらーっぷ、黙れ。起きろ」

 

 今日の朝食はなんだろうねー、と。

 軽い口調ながらも、首根っこを引っ掴んでくる手は乱暴で。

 

「……やっぱり、怒っているでしょう?」

 

 問い掛けには、にっこり。

 満面の笑みが返ってきた。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

 広間の扉を、レミィは躊躇もせず開く。

 目に飛び込んでくる、食事をする為の大きなテーブル。

 ――……咲夜は、すでにいつもの席に着いていた。

 

「おはようございます、お嬢様、パチュリー様」

 

 立ち上がり、頭を下げて朝の挨拶をしてくる。

 いつもと、変らない仕草。

 

「おはよう、咲夜」

 

 微笑んでその頭を撫でてやるレミィ。

 嬉しそうに身を捩る様も、いつも通りで。

 

「お、はよう……」

 

 躊躇いつつも、私もそう声をかけた。

 その声に反応してこちらを向いた咲夜は、

 

 ものっそい可愛らしく微笑んで。

 

「はい。パチュリー様。おはようございます」

 

 ……あー。

 だめだ。顔、見れない。

 

 ぷいっ、と。

 顔を背けて席に着く。

 普段なら咲夜の隣の席が定位置。

 今日は、一席開けて座った。

 

「……」

 

 沈黙。

 横顔に刺さる視線。

 あいたたたたたた、たた。

 痛みに堪えていると朝食が運ばれてきた。

 

「すー、はー……」

 

 深呼吸完了。

 ナイフ、フォーク、スタンバイ。

 ――GO!

 早く食べて部屋に逃げよう、そうしよう。

 ガツガツガツガツガツガツ、

 

「むきゅっ! ……? ッ!?」

 

 喉に詰まった。

 

「だ、だいじょうぶですかっ?」

 

 心配そうな声。

 伸ばされた小さな手。

 フラッシュバックする。

 震えながら力なく腕を掴んできた、手。

 つかまれた腕の先。

 私の手は。

 指先、は。

 

 ――ぷにぷに、だったなあ。

 

「……ごっくん!」

 

 気合で飲み込んで、少々咳き込んだ後、目を合わせずに「……大丈夫」と一言返した。

 

「……」

 

 今度は詰まらせないように気をつけながら食事を再開する。

 窺うように視線を投げてくる咲夜には、断固として、気付かないふりを通す。

 レミィも黙っているから会話のない時間が続いて。

 よかった、このまま終えられそうだ、と。

 そう思っていたのだ、けど。

 

「……あ」

 

 ――コロリ。

 視界に転がり込んでくる人参。

 咲夜は、好き嫌いを言わない。

 言わない、が。

 どんな生き物にも、選択の余地さえあれば、それは生まれる。

 言わないだけで、咲夜の味覚にあわない食べ物は、結構多い。

 ピーマンとか、ブロッコリーとか……人参、とか。

 おそらく、なるべく小さくして食べようと思ったのだろう。

 だけど、彼女は長年の捨て犬生活がいまだに抜けきらず、ナイフとフォークの扱いが下手くそだ。

 よって、切れ端をすっころばしてしまった、と。

 

「し、しつれいしまし……」

 

 咲夜は、早口に謝りながらそれを素手で掴もうとしたけど。

 私が先に手を伸ばし、紙ナプキンに包んで自分の皿の隅に置いた。

 そのまま、何事もなかったように食べ続ける。

 

「……」

 

 少し経ってから。

 小さな、本当に小さな声で、

 

「ありがとう、ございます……パチュリー様」

 

 ――そう、耳に届いた。

 

「……ん」

 

 短くそれに答えて。

 ちらり、と。

 横目で、咲夜の顔を覗けば。

 

「っ!」

 

 ――蕩けるような笑みを浮べて、私を見詰めていた。

 

 目があって。

 余計にその眦が下がる。

 ああ。

 

 可愛い。

 

「……くくっ」

「!?」

 

 思わず漏れた、といった感じの押し殺した笑い声に反応して対面を見やれば、そこには悪魔のニヤついた顔。

 

「~~っ」

 

 声にならない声を喉の奥で殺して、ナイフとフォークを握り直す。

 もう、今は目の前の料理にがっつくことしか感情の捌け口がない。

 テーブルマナーを放り投げて、ソーセージにフォークを勢いよく突き刺した。

 

 

 ――……そしてまた、食べ物を喉に詰まらせ、咳き込んだ挙げ句に喘息の発作を起こし。

 大笑いしている親友に担がれて寝室に逆戻り。

 昼までベッドの世話になったのであった。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

 夢を視た。

 

「……最低」

 

 指で触れて確認。

 口にはしにくい場所に、湿った感触。

 

「この年齢でこれはないわ……」

 

 ベッドから身を起こし、立ち上がる。

 歩くと、貼り付いている布地の感触を強く感じて、不快感に襲われた。

 溜息をつきながらそれを剥がして下にずらし、すぐ風呂へ入ることに決める。

 幸い、紅魔館の大浴場は主の気紛れに対応する為にいつでも入浴出来るよう整えられているのだ。

 吸血鬼は風呂に入れない?

 少なくともうちのお嬢様は自然水でなければ物ともしません。

 丁度準備を済ませて部屋を出ようと思った瞬間、扉を叩く音が部屋に響く。

 

「……」

 

 いやな予感。

 しかし、無視するわけにもいかず。

 躊躇いつつもドアノブに手を掛け、開いた。

 

「咲夜……」

 

 予感的中。

 開けた先に立っていたのは今一番会いたくない相手。

 夢の主要登場人物。

 

「……どうしたの」

 

 罪悪感に胸を焦がしながら仕方なく問い掛けると、咲夜は眉を下げ、数瞬視線を俯かせた後、上目遣いにこちらを見詰めて。

 

「あの……ごめんなさい」

 

 取り繕う余裕がないのだとわかる、子供らしい口調でそう言って頭を下げた。

 

「なんで、謝るの?」

 

 膝につかんばかりに下げられた頭に困惑する。

 謝ることはあっても、謝られることに心当たりはない。

 

「……わからない、です」

 

 私の問い掛けに答え、その状態のまま語り始めた咲夜。

 

「私は、ばか、なので。なにが悪かったのか、わかりません。だけど」

 

 下げられたままの頭から、表情を窺い知ることは出来ない。

 だけど、たどたどしく言葉を紡ぐ、その声は、

 

「パチュリー様は、ごはんの時、隣に座ってくださらなかった。こぼしてしまった時には、やっぱり、やさしかったけど。でも、すぐに目をそらされてしまいました」

 

 震えて、掠れて。

 まるで、泣いているみたいだった、から。

 

「だから、ごめんなさ」

 

 聞きたくなくて。

 ぎゅっと抱き締めた。

 

「ぱ、ちゅりー、さま?」

 

 なにか言わなくてはと思っても。

 ちっとも言葉が出てこない。

 だから、仕方なく。

 

「……いい子、いい子」

 

 そんな、子供騙しな台詞だけ囁いて。

 精一杯の優しさで、頭を撫でた。

 

「……」

 

 咲夜の身体から、力が抜けて。

 控えめに、胸元へ顔を押し付けてきた。

 ほう、と。

 漏らされた吐息が、服越しに伝わって。

 反射的に、抱く力を強める。

 多分、うるさい心臓の音が、届いているはず。

 ――……頬が熱い。

 しばらくして。

 くすり、と。

 咲夜は笑った。

 

「……なにがおかしいの」

「いえ、ただ、嬉しくて」

「……?」

「あったかくて、音が聞こえて。すごく近いなあ、って。それが、嬉しくて」

 

 そう言って。

 ぎゅぅっ、と、抱き返してきた。

 なに、なんなの、なんなんだ。

 この、可愛い生き物は。

 

「……パチュリー様、これからお風呂に行かれるところだったのですか?」

 

 脇に置いていた荷物に気がついたのか、咲夜にそう問い掛けられて。

 

「ええ……寝汗を、かいてしまったから」

 

 内心焦りながら、そう返した。

 返して、しまった。

 

 

「そうですか。じゃあ、私もご一緒します」

 

 

「え」

「昨日、あのまま寝入ってしまって……一応、拭いて下着はかえたのですけど」

「~~ッ」

 

 昨日の姿と。

 夢に視た姿と。

 実際には見ていない、布で清めている姿が、頭の中を駆け巡る。

 

「だめ、ですか?」

 

 ええ、駄目よ。

 なにが駄目って私が駄目。

 ……でも。

 そんな寂しそうな目で見詰められたら――……。

 

「……いえ、一緒に入りましょう」

 

 駄目なんて言えない程度には、駄目なわけで。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

 着いた。

 着いてしまった。

 大浴場。

 ごくり、喉が鳴る。

 足を止めてしまう。

 咲夜はけして私の前を歩こうとしないから、三歩後ろで同じように立ち止まって。

 見なくてもわかる不思議そうな視線を後頭部に突き刺してくる。

 わかってる、わかってるわよ。

 ここまで来て、逃亡することなんて、出来ない。

 仕方なく、本当に仕方なく、私は無理矢理足を前に進めて脱衣場へと突入した。

 

「……いまさら、よね」

 

 小さく呟く。

 いまさら、のはずなのだ。

 咲夜と風呂に入ることなど、繰り返してきた習慣にすぎない。

 物心つく前から路上生活を営んできた咲夜には、あったかい風呂に入って身体や頭を洗う習慣などあったはずもなく。

 最初の頃など、お湯に顔を浸けることさえ出来なかった。

 その為、ついこの前まで頭のてっぺんから足の爪先まで代わりに毎日洗ってやっていたのだ。

 他でもない、この私がである。

 それを気にするなど、本当にいまさらすぎるはずで――……。

 

「……ッ!」

 

 いや、

 いやいやいや、

 うん。

 やっぱ無理。

 

「パチュリー様?」

 

 躊躇いもなく晒された真っ白な肌。

 長年の積み重ねのせいで食が細く、痩せ気味の身体。

 浮き上がった鎖骨。

 その下に。

 赤い、痕。

 

「どうされたのですか?」

 

 どうかしてたんですごめんなさい!

 

「な、なんでもないわ」

 

 後頭部から汗が噴出すのがわかる。

 なんというか、幼い身体にアレは、やばい。色々と。

 目を逸らすだけではたりず、背を向けて。

 現実にも背を向けられたらと心の中で叫びつつ、自分も服に手をかけた。

 下穿きを脱ぐ際には細心の注意を払う。

 もし糸とか引いたら死ねるし。

 

「……じゃあ、入りましょうか」

 

 平静を装ってそう言い、先立って歩き出す。

 浴場の扉を開くと、湯気がもわっと押し寄せた。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

 長い髪を洗っていると、大分心が落ち着いてきた。

 最後は丁寧にお湯で濯いで、ふうと息をつく。

 うん、慌ててもなにもいいことはない。

 謝るにしても、なかったことにするにしても、もっと冷静にならなくては。

 魔女はクールであるべきだ。

 

「パチュリー様」

 

 ビクゥッ!

 

 鯉もビックリ。

 椅子から五センチは飛び上がった。

 着地。

 ……お尻痛い。

 

「~~っど、どうかしたの? 咲夜」

 

 痛みと騒がしい心臓に堪えつつ背後を振り返れば、頬を赤く染めた咲夜が立っていた。

 もちろんすっぽんぽん、ってまあ、それは全力で置いといて!

 その手には、スポンジ。

 

「え、っと。あの、背中……」

 

 言いよどんだ後、小さく息を吸い込み、ひとつ頷く。

 その仕草に、まさか、と。

 身構えようとした瞬間、爆弾は投下された。

 

「お背中、お流しします」

 

 被爆!

 

「え、な、ええ?」

「……」

「え、ええ……?」

「……いや、ですか?」

「え、と。遠慮させて……」

 

 ――……やめて、その目やめて。

 

「お願い、するわ……」

 

 選択肢はあった。

 しかし、拒否権はないに等しかった。

 

「はい」

 

 ……それでも嬉しそうに笑う顔を見れば、それでよかったと思えてしまうのだから、ああ、やっぱ駄目だ。

 覚悟を決めて椅子に座り直し背を向けると、手早くタオルで髪をまとめた。

 ばっちこーい。

 

「失礼します」

 

 背中に触れるスポンジ。

 流れていく、泡の感触。

 

「……んっ」

 

 ――あれ?

 人に洗ってもらうの、って。

 気持ちいい、かもしれない。

 ……性的な意味ではなく。

 

「かゆいところ、ありますか」

「……右の、肩甲骨の内側」

「ここ、ですか?」

「ん、ええ、そこ。ありがとう……」

 

 身体から力が抜ける。

 ああ、なんだか。

 とても、穏やかな心地。

 ビクビクしすぎだったみたい――……、

 

「むきゅっ!?」

 

 腹に回された手。

 背中にピッタリくっついた、肌の感触。

 ぎゅぅっ。

 

「さ、咲夜……?」

 

 くすくす、くすくす。

 鈴の鳴るような笑い声。

 

「ごめんなさい。お背中を見ていたら、くっつきたくなってしまったんです」

 

 ずきゅーん。

 クリーンヒット、というやつである。

 ――頭が、クラクラして。

 心臓が、壊れたみたいに脈打って。

 下腹部が、きゅうっと締め付けられた。

 もういっぱいいっぱいなのに、さらに追い討ちみたく背骨に柔らかな頬を摺り寄せてくる。

 

「ねえ、パチュリー様」

 

 甘えるような、やわらかい声。

 

 

「昨日の、ご褒美。次はどうすればいただけますか?」

 

 

 ――プツン、と。

 なにかの切れる音がした。

 限界、だった。

 

「っきゃ」

 

 振り返って、小さな身体を抱き締める。

 椅子から転げ落ちて、タイルの上で、半ば押し倒すような体勢。

 

「ぱちゅりー、さま」

 

 ――手間が省けて、丁度いい。

 そのまま、身体を倒していく。

 すべらかな頬を撫でさすりながら、顔を近付け。

 額と額をくっつけて、囁いた。

 

「欲しいなら、いくらだってあげる」

 

 私の荒い呼吸を吸い込んで。

 咲夜は、笑った。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

 一度なら、出来心で済ませられた。

 二度してしまったら、溺れるしかなかった。

 二人きりの時間。

 隣に座る咲夜の太腿に伸びる私の手。

 咲夜は、一切それを拒まなかった。

 触りやすいように、足を開いてさえくれた。

 繰り返した。

 何度も、何度も。

 何日も、何ヶ月も、何年も。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 ――……だから。

 気付かないふりをしていただけだ。

 

 

「パチュリー様?」

 

 隣の席に座る咲夜を抱き寄せ、膝に乗せて行為に及ぶ。

 それが難しくなってきたのも実はずいぶんと前からで。

 気付かれないように振舞ってきたのは。

 多分、怖かったからで。

 

「……おいで、咲夜」

 

 私がそう言えば、一拍置いてから咲夜は自分で身体を持ち上げ向き合う形で私の膝に乗ってきて。

 ズシリ、と。

 確かな重さを感じて。

 それはもう私の細い腕では抱き上げることが出来そうにない、重さで。

 その重さに心が沈んでいくのが、わかる。

 息の仕方を忘れかけて、呼吸が苦しい。

 呼吸器の代わりに眼前の唇に吸い付きそうになって。

 顔を俯け、堪えた。

 この数年間、咲夜の体中に口付けたが。

 唇にだけは、触れたことがない。

 陳腐だけれど。

 それはきっと、最後の境界線だった。

 

「ふ、あぁっ」

 

 グチャグチャの感情。

 物理的にでもおそろいになれれば、少しは楽になるのだろうか、なんて。

 そんな馬鹿な考えにすがって、伸ばした指先。

 グチャグチャにしてあげる、から。

 そのまま溶けて、混ざり合ってしまえたら、いいのにね。

 

 ――でも。

 現実はいつだって、優しくないの。

 私が優しくないから、かな。

 

「……あ、ああ」

 

 情けない、声が漏れて。

 手が止まる。

 布地を濡らしている物は、無色透明のそれではなかった。

 浮かんでいたのは、赤、だった。

 僅かに鼻につく、鉄の臭い。

 

「……え? あっ!」

 

 咲夜が、しまった、という顔をする。

 ――ねえ。

 いつから?

 

「失礼しました、パチュリー様。予定日まではまだ間があったのですが……」

「……ッ!」

 

 いつから、私と貴女の、距離は。

 

「っきゃ!」

 

 気が付くと突き飛ばしていた。

 床に転がる咲夜から逃げるように椅子を立ち上がり後ずさる。

 困惑の表情を浮べながらも身を起こし、こちらに近付いてくる咲夜は。

 

「パチュリー様、如何なされましたか……?」

 

 少し低くなった声で、問い掛けてきて。

 ……わかっている。

 

「そんなに不快でしたか? それならば今度からこういったことにならないよう気をつけますので……」

 

 歩み寄ってくる彼女に、非はない。

 わかっているのだ、それくらい。

 

「……ごめ、」

 

 だから、謝罪と一緒に頭を撫でようとして。

 

「……っ」

 

 すでにその手が、自分の頭より上にまで伸ばさなければ届かないのだと知ってしまった。

 

 ――心が、折れる。

 はい、折れました。

 ぽっきり、とても軽い音をたてて。

 

「……間違っていた」

「え?」

「間違っていたのよ」

「パチュリー様」

「最初から、全部」

 

 自嘲の笑みを浮べて、背を向ける。

 わかりきっていたことだったのに間違いを犯したのは、私だ。

 なんにもしらない子供に手を出した、最低な大人。

 完全なる被害者と、完全なる加害者。

 

「ごめんなさい、咲夜」

 

 背を向けたまま、そんな言葉を口にする。

 許しを請うているわけでは、ない。

 

「パチュリー様……っ」

 

 最初から、最低な大人だったのだから。

 最後まで、最低な大人であろう。

 

 

「もう、遊びは終わりにしましょう」

 

 

 そして貴女は、立派な大人になって。

 もう間違わずに、まっすぐと、これからの時間を歩めばいい。

 ……私は、その隣を歩けはしない。

 追い越されて、遠退いたこの距離は。

 けして、縮まりはしないのだから。

 

 幸せに、あっという間の生涯を、終えなさい。

 

 沈黙。

 しばらく経って。

 咲夜は、なにも言わず。

 本当に一言も残さずに。

 

 私の傍から、去って行った。

 

 

 

 泣けなかった。

 泣く資格など、ないと思ったから。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

 ――……語り終え、細く長い溜息をつく。

 相槌さえ打たず静聴してくれていた聞き手も、ほう、と小さな吐息を漏らした後、目を細めて口を開いた。

 

「難義な話ですねえ」

「……どこが」

「え? いや、全体的に」

 

 開いたままだった園芸に関する本の頁を閉じて、後頭部をクシャクシャ掻きながら笑う彼女は、この館の門番兼庭師、紅美鈴。

 

「種から芽吹き、幹を伸ばして、蕾を膨らませ、花弁を開き。最後には、それを散らせる。早いか、遅いかの違いはあれども」

 

 本棚に背を預け、吐息をこぼすように語る姿は、長きを生きた大樹を思わせる。

 だから、だろう。

 こんなにもくだらない痴情を、彼女に語って聞かせられたのは。

 ……レミィは親友だけれど、それ以上にあの娘の主人だから、この話だけはする気になれなかった。

 レミィも、それをわかってくれているのだろう。けして聞いてはこない。

 

「――終わりは必然です。なればこそ、愛しい。私はそう思うわけですが」

 

 大樹の持つ達観した優しさで、彼女は語る。

 だけど。

 私は、植物には程遠く。

 花のようなあの娘も、花ではないのだ。

 

「そんなふうに割り切れたなら、これほど簡単な話もなかったのだけど」

 

 熱を持ち、たよりない呼吸を重ねる命だから。

 失われてしまうことを恐れずにはいられない。

 手放せなくなってしまう前に離れるのが正解だ、と。

 そう思ったから今がある。

 なのにどうだ。

 いまだに未練タラタラの、この現状。

 一人心に溜め込むのが辛くて、聞いてくれる相手を求めた。

 ずるくて、格好悪い大人。

 

「……うーん。やっぱり、難義な話だと思います。私なら、」

 

 美鈴は言いかけた言葉を途中で止め、肩をピクリと震わせると、視線を横に投げた。

 近付いてくる足音。

 

「パチュリー様、言いつかっていた蔵書の整理、やっと終りましたー……うあ、め、美鈴さんっ!」

 

 姿を現したのは、咲夜との一件以降どうにもやる気が出せなくなったのがきっかけで、身の回りのことを任せる為に呼び出した、小悪魔。

 彼女は美鈴の姿を視界に納めるなり、わかりやすく顔を真っ赤に茹で上がらせる。

 それを見て満面の笑みを浮べた美鈴は、腕を伸ばし彼女の腰をぐいっと力強く引き寄せた。

 

「きゃあっ!?」

 

 驚いて悲鳴を上げる小悪魔を構わず抱き締め、静かだが強い意思のこもった視線でこちらを一瞥して、言葉を続ける。

 

 

「私なら、どんな事情があろうとも。好きな娘を放っておいたりしません。絶対に」

 

 

 それでは、そういうことでー、なんて。

 軽い口調で言い捨てて、硬直している小悪魔を抱き締めたまま、彼女は図書館を後にした。

 溜息をつきながら机に突っ伏す。

 ああ。

 

 

「……そんなふうに、格好良くなれたなら。これほど簡単な話もなかったわ」

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

「やっぱり、犬になるしかないと思うの!」

 

 

 ――……親友の妹。

 愛らしいが少し狂っているのが玉に瑕のお姫様。

 最近ようやく館の中ならば自由に歩き回ることを許された彼女は、図書館へ訪れるなり開口一番にそう言った。

 

 頭が、痛い。

 

 

「ちょっと、パチュリー、聞いてるー?」

 

 鼻っ柱がぶつかるくらいの距離まで寄せられた顔をてのひらで押し返しつつ、返答する。

 

「ええ、聞いているわ、妹様。不幸なことに、しっかりと耳に届いている……ッ!」

 

 鋭い痛み。

 親指の付け根に突き刺さる、牙。

 

「くふふっ」

 

 ――睨み付けると返って来た可愛らしい笑み。

 毒気が抜かれると同時に口も離され、血と唾液が糸を引いた。

 それらを絡めとるように伸ばされた赤い舌が、ぬらりと光る。

 見ようによっては淫靡にも見えたかもしれないが、私の心はピクリとも揺れない。

 思えば。

 あの娘以外に対して、そういった興奮を覚えたことなどなかった。

 

「――それはよかった。聞いてくれなきゃ殺しちゃうとこだったよ」

 

 あんまりな台詞に意識を現実に戻し、溜息をつく。

 

「……そう。それなら命拾いしたわね」

「ふふっ、ラッキーだったね!」

 

 子供らしい残酷さをひけらかしつつ、親友とよく似た顔で、とても無邪気に笑うから。

 仕方ないか、と思ってしまって。

 苦笑しながら、無事な方の手で頭を撫でる。

 その手を受け入れて嬉しそうに身を捩る様を見て。

 一瞬、幼い日のあの娘を重ねてしまった。

 

「――それで、なんで犬になりたいの?」

 

 浮かんだ不毛な思考を振り払う為にこちらから促すと、妹様は「そうだった!」と叫び、話を再開した。

 

「犬だよ犬! わんこ! わんこっぽさが私には足りないんだと思うのっ」

「わんこっぽさ? ……貴女は誇り高い吸血鬼でしょう。そんなものがなんで必要なの?」

「だって、お姉様はわんこが好きなんだもん! 一番傍に置いている咲夜も、皆に犬って呼ばれているし」

「っ!」

 

 思いがけず出てきたあの娘の名前に身体を固くする私に気付かないまま、勢いよくそう述べた妹様は、不満そうに唇を突き出し、言葉を続ける。

 

「私が、わんこっぽくないから。そのせいで、お姉様は冷たいんだよ。きっと!」

 

 拍子抜けするぐらい見当はずれな言葉に、目を丸くするしかなかった。

 

「……冷たい? 貴女に、レミィが?」

「うん、だってひどいんだよ、お姉様。おやすみのキスさえしてくれないんだからっ」

 

 ああ、それは。

 

「……冷たいのとは、違うわ」

「なんでそう思うの?」

「レミィは貴女を大切に思っている。それなりに長い付き合いだもの。保証する」

「でも、最近はハグさえしてくれないっ!」

 

 

 ――それは、大切すぎて触れられないからよ、なんて。

 

 

 私が勝手に言っていいことではないから、言葉を繋げることが出来ない。

 傲慢な夜の王様が、大事にしつづけているお姫様。

 他の誰にも触れさせたくないと護り続けるうち、王様自身さえ触れられなくなってしまった宝物。

 それが自分なのだと、気付いていない彼女に。

 

 世界で一番愛しているのだと、優しい抱擁と口付けで。

 教えてやれるのは、へたれてしまっている王様ただ一人だけなのだ。

 

 

「だから、犬っぽくなれる魔法薬、作ってよ!」

 

 

 ――結果。

 断ることは出来なかった。

 理由を言わず断わったのでは癇癪を起こすのが目に見えていたし、出来ないと嘘をつくにはプライドが邪魔をして。

 聞き入れる以外の選択肢が、なくなってしまったのである。

 ……まあ、くだらないことでも。

 なにかしていれば気も紛れるか、と。

 少し、そんなふうにも思って、笑った。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

「さ……っ」

 

 ――……後悔が押し寄せる。

 蝶の羽ばたき、というやつか。

 

「頼まれていた品をお持ちしました。犬の毛です。人里で可愛がられている野良犬から頂きました」

 

 丁寧に腰を折り、ハンカチに乗せた犬の毛を差し出してきたのは、完全で瀟洒な従者なんて呼ばれるようになった愛しい娘。

 材料に必要な犬の毛を、廊下で窓を拭いていた名前も知らないメイドに採って来いと命令した。

 まさか、それを持ってくるのが彼女だなんて予想もしていなかった。

 

「あり、がとう……咲夜」

 

 つっかえながらも礼を言って手を伸ばす。

 受け取ろうとした瞬間。

 震える指先が、咲夜の指先と、僅かに触れた。

 

「~~ッ!」

 

 飛び退いてしまって。

 せっかく貰った犬の毛をばら撒いてしまう。

 

「ごめんなさいっ」

 

 反射的に謝ると、急いで跪き毛を拾い集める。

 数秒遅れて、咲夜もそれに加わった。

 ほんの少し、違和感を覚える。

 普段の彼女なら、毛が空中に舞った瞬間に時を止めて対処し、何事も起こらなかったように見せかけるか、今この瞬間にも時を止めてあっという間に回収してくれそうなものなのに。

 そんなことを考えてしまっていたからか。

 気が付けば、咲夜に手を掴まれていた。

 

「さ、咲夜っ?」

 

 声が裏返る。

 咲夜の視線は、手から離れない。

 いや、正確に表すならば。

 

「――この傷は、どうされたのですか?」

 

 二つ丸く穿たれた傷跡へと、無表情に、ただじぃっとその視線を注いでいた。

 

「っ……ああ、これは」

 

 その眼力の言い知れぬ強さに堪えられなくなり、なかば強引に手を振り払うと、床を見詰めて言葉を返す。

 

 

「妹様と戯れただけよ」

 

 

 なるべく軽い口調で放った私の台詞に、咲夜は少し間を置いてから「……そうですか」と頷いて、また犬の毛を拾い始めた。

 何故だか空気の重さが増した、気がして。

 後頭部から冷や汗を噴出させながら、私も床に手を伸ばした。

 拾い終わると、咲夜は頭を下げて静かに退室した。

 私は大きな溜息を吐いて、椅子に背を預ける。

 そして、余計にわんこっぽくなれる薬作りに意識を傾けることにしたのだった。

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

「……出来た、けど」

 

 後日。

 透明な液体の入った小瓶を手に呟く。

 魔法薬はもちろん完成した。

 これを飲めばたちどころにわんこっぽさが増大するはずだ。

 しかし、問題が。

 

「少しやりすぎたかもしれない……」

 

 ――わんこっぽくなれる魔法薬を作るにあたって、まず考えたこと。

 それは、わんこっぽいとはなんぞや? だった。

 まず、見た目。

 もちろん犬耳は外せない。採用。

 では、尻尾はどうか?

 本物の犬とは違い衣服を着用するわけだから、あると不便ではないか?

 ベッドに直行するならばさしたる問題でもないが、あの姉妹がそういった関係になるには少なくともあと百年は必要だと思っている。

 やはり、不採用にするか、と。

 そう決断を下しかけ。

 いや、しかし。

 

 ブンブン振れる尻尾は、可愛い、と。

 

 思い直して、一人頷き、採用。

 悩んだ末に肉球は不採用とすることにした。

 次に、仕草。

 ここからが問題だ。

 動物の可愛さは見た目のみで構成されているわけではない。

 あの独特の愛らしい仕草によってなりたつのだ。

 これを再現するには、精神面をいじるしかない。

 動物の精神、というのは本能で成り立っている。

 ならば、理性を弱める効用を持たせれば再現出来るのではないか? と。

 そう考えて、作ってみたのだが。

 

「……よく言えば、自分に素直になる。悪く言えば、たがが外れる」

 

 眉を寄せ、考える。

 この魔法薬を妹様に渡すか、渡さないか。

 

「うーん……」

 

 一人きり(小悪魔は美鈴と逢引中)の図書館に、唸り声が響く。

 しばらく、時が経ち。

 

「……まあ、せっかく作ったんだし、いっか」

 

 そう結論を下した。

 

 ――後は任せたわ、レミィ。

 

 心の中で親友に丸投げして、あとで小悪魔にでも届けさせようと小瓶を机の上に置いた、その時。

 

「失礼します、パチュリー様」

「むきゅああああっ!?」

 

 前触れもなく唐突に掛けられた声に、大きく飛び上がった。

 本気で一瞬心臓が止まったわ。ぜったい。

 

「さ、さささ、さくくくく」

「驚かせてしまい申し訳ありません」

 

 無表情。

 ――あの一件以降、崩れない事務的な口調。

 

「っ……いいえ。大袈裟に驚いてしまってごめんなさい。何の用かしら?」

 

 歪みそうになる顔を取り繕って問い掛けると、答えはすぐに返って来た。

 

「妹様より伝言を言付かってきました。『例の薬はまだ完成しないの?』だそうです」

 

 タイムリー。

 テーブルを指差して告げる。

 

「ああ、それならアレ。丁度完成したところだったの。よかったら届けてあげて」

 

 用件は以上よね、と。

 感情を切り捨てた平淡な声で言うと、置いてあった本を開いて続きを読むふりを開始。

 ――はやく、見えないところへ行って欲しいと思う。

 近くにいるのに遠いのは、辛いから。

 本当に遠い方が、マシだから。

 

「……御伺いしても、よろしいですか?」

 

 問い掛けが飛んでくるなど、予想外のことだった。

 目をやれば、手に持った小瓶を見詰め立ち尽くす咲夜の姿。

 

「なに、かしら?」

 

 戸惑いつつも促せば、咲夜は言葉を続けた。

 

 

「この薬は、いったいどういった物なのですか?」

 

 

 ……えー、っと。

 どう返した物やら、迷う。

 正直に、わんこっぽくなれる薬、と言うのは、その。

 

 なんか、痛い。

 

 なので、仕方なく。

 

 

「……素直になれる薬よ」

 

 

 と、そう答えた。

 いや、前述した通り、嘘ではない。

 確かな効用の一つだ。

 

「……っ」

 

 ――何故か。

 その返答を聞くなり、咲夜は息を詰まらせ、固まった。

 

「咲夜?」

 

 心配になり、声を掛ける。

 すると、咲夜は。

 

「……お嬢様に、言われました」

 

 先程までの無表情が嘘のように。

 苦しそうに、眉間に皺を寄せ。

 掠れがちに喉を震わせた。

 

「後悔、しないのか、と。素直になったほうがいいのではないか、と。でも」

 

 私が、世界で一番苦手な。

 悲しそうに、潤んだ目で。

 

 

「でも。素直になる権利なんて、ないと思ったんです。……貴女を置いて逝くのは、私、だから」

 

 

 ――……ああ。

 

「咲夜……」

 

 こんな。

 こんなふうに。

 傷付けたくなんて、なかったのに。

 傷付きたくないと、そう思うあまりに。

 私は、どれだけ。

 どれだけ、貴女を――……。

 

「だけど」

 

 ……ん?

 

 

「もう、限界です」

 

 

 咲夜は。

 そう言った、次の瞬間。

 

 

 小瓶の蓋を抜くと、一気にあおった。

 

 

「えええええええっ!?」

 

 ちょ、なにこの展開!?

 

「……ぷはっ」

 

 全てを喉に流し込んだ咲夜が、一つ息をつく。

 呆然と立ち尽くす私。

 数拍、間を置いて。

 

「う、あ、あっ!?」

 

 咲夜の身体に、変化が訪れた。

 まあ、ようするに。

 

 犬っぽくなっていった。

 

 頭から、髪の色と同じ、銀の毛に覆われた三角の耳。

 スカートを押し上げ……多分、下着をずらし、飛び出したフサフサの尻尾。

 身体を貫いた衝撃に座り込み俯いてしまった咲夜に、戸惑いつつ声を掛ける。

 

「……えーっと。さ、咲夜?」

 

 声に、顔を上げた、咲夜は。

 

「きゃああああああっ!?」

 

 勢いよく、とびついてきた!?

 

「な、ななな、さ、さささくっ」

 

 ――ぺろり。

 ぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろ。

 

 ……顔中に走らされる生温かい舌の感触!

 

「むきゅ、きゅ、ちょ、やめっ、むうう!?」

 

 もう、息も出来ない。

 顔がふやけるんじゃないかというくらいの猛攻。

 

「っッ!」

 

 遠退き始めた意識を理性で繋ぎとめて、手を伸ばす。

 

「……むきゅあああっ!」

 

 咲夜の両頬を掴むと、力任せに引き剥がした。

 

「っは、はあ、はあ、っく、あ、」

 

 糸を引いた唾液が、ボタボタ滴り落ちていく。

 

「はっ、はっ、はあぁぁあああ」

 

 大きく呼吸をして、酸欠気味の脳味噌に空気を送る。

 危なかった。

 もう少しで気を失うか、発作を起こすところだった。

 

「……きゅぅん」

 

 混濁した意識の中で。

 耳に届いた『鳴き声』に、顔を上げる。

 

「ぱちゅりー、さまぁ」

 

 舌たらずな、甘い声。

 潤んだ眼差し。

 真っ赤な頬。

 涎で輝く唇から顎。

 

「さくや……ッ!?」

 

 ガブリ、と。

 歯を立てられた。

 手。

 すでに、傷付いたそれに。

 まるで、上書きするように。

 

「……ふ、はあ」

 

 口が離れる。

 血の浮き出た傷口を、舌で数回なぞってから。

 ぽろり、ぽろりと。

 溢れ出した涙と一緒に、言葉も。

 

 溢れて。

 

「いや、です。パチュリー様に、他の人がつけた痕、なんて。そんなの、いやっ!」

 

 溢れて。

 

「ふれさせないで、ふれないで! わたし、わたしだけっ」

 

 溢れて。

 

「こんなに、好きなんだからっ!」

 

 ――溺れる。

 

「ッ……」

 

 もう、息が出来なくて、死にそう。

 だから。

 

 

 呼吸を求めて、彼女の唇に吸い付いた。

 

 

「ふっ……」

 

 やわらかい、その感触に。

 なんだか、全部馬鹿らしくなってくる。

 

「……は、あ」

 

 唇を離し、見詰め合う。

 真っ赤な鼻。

 子供みたい。

 自然と、頬が緩んで。

 笑いかけると、咲夜は余計に顔をくしゃくしゃにした。

 

「泣かないでよ」

「だって」

「もう、大人でしょう?」

「それです、それっ」

「うん?」

「もしかして、パチュリー様、ロリコンなんじゃないかな、って、思ったりして」

「はああっ!?」

「だって、大人になったら、離れていってしまったからっ」

「……あー」

 

 額を、やわらかくぶつけて。

 ペタリと寝てしまっている犬耳ごと、頭を撫でてやりながら。

 

「……ごめんなさい。でも」

 

 真っ直ぐに、見詰めて、告げる。

 

「もう、離れたりしない。貴女が、子供でも、大人でも。老いて、枯れて、置いてかれるのだとしても」

 

 

 愛の言葉。

 

 

「目の前にいる貴女を、愛しているから」

 

 

 

 

 ××××××××××

 

 

 

 

 ――……その後。

 再度とびついてきた咲夜に押し倒され。

 散々、舐め尽されたのち。

 薬の効果が薄れて正気に戻った彼女に、自室のベッドへと運ばれた。

 

「……いつ私が貴女に大人でいてくださいと頼みましたか」

 

 ベッドの中で、今まで考えていたことを語ると、咲夜は少し拗ねた顔で言った。

 

「私も、目の前にいてくださる貴女が愛しいのです。勝手に罪悪感なんて抱いた罰だと受け入れてください」

 

 結果、腰を抜かし。

 翌日は一日中寝ている破目に陥ったのであった。

 

 

 ――ああ、幸せ。




 ××××××××××




「わんわんわーんっ」

「……どうしたの、フラン」

「えっとね、お薬貰えなかったから。せめてわんこの真似しようと思って! わふっ!」

「……~~っ(ウチの妹が可愛すぎてつらい」




 ××××××××××




 出来心で書き始めましたが、真剣に書き上げました。
 ご読了ありがとうございました。
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