東方(咲夜中心)短編集   作:鬼灯@東方愛!

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初出:2012/06/10
シリアス……?


パチュ咲+小悪魔
サイハテハッピーエンド


 

 飾り気のない部屋の中、静かにベッドへ横たわっている彼女と二人きりで過ごす時間は、どうしようもなく居心地が悪かったから。

 少し外の空気を吸ってきますと言い訳を述べ、背中へ感じる視線には気付かないふりで廊下へと逃げ出して、振り返ることもなく扉を閉めた。

 彼女が呼び止めてこなかった事を、卑怯者な私は助かったと思う半面、残念にも感じている。

 もうずいぶんと長い間、彼女の声を聞いていない。

 

 あと少し経てば本当に聞くこともなくなるのだなと思ったら、頭の奥が鈍く疼いた。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 目的もなく歩いていると、窓の向こう、中庭の花壇で咲き誇る花々が視界に入った。

 ぼうっと眺めていたら、園芸用の道具を持って現れた門番兼庭師の美鈴さんと目が合って、笑顔で手を振られる。

 窓を開ければ、余計に笑みが深まった。

 

 

「小悪魔さーん、こんにちわー」

 

 

 大きな声での呼びかけに、小さく手を上げることで返して、彩(いろどり)のないあの部屋を飾る花でも見繕ってもらおうと思いつく。

 窓枠を蹴り、背中の羽根を羽ばたかせて舞い降りた私を、エスコートするように差し伸べられた美鈴さんの手は、少し固い。

 

「――花はいいですよね。見ているだけで、様々な気持ちを貰えます」

 

 頼みを快く了承してくれた美鈴さんは、慣れた手付きで花束を作りながら語り出した。

 

「種から芽吹き、幹を伸ばし、光を求めて花弁を開く。……一生懸命生きるって、こういうことなんだなあ、って」

 

 慈愛に満ちた優しい眼差しで、手元の花を美鈴さんは見詰めていて。

 その瞳に浮かぶ色が彼女を見る時と同じなのだと気付けたのは、つい最近の事だ。

 

「だからこそ、美しいと感じるし……」

 

 完成したスイートピーの花束にも負けない、綺麗な笑みで。

 

 

「……終わりこそ、愛さなければ、と。そう思います」

 

 

 ゆるぎなくそう言い切った美鈴さんは、私にとっては眩しすぎて。

 これなら太陽光の方が幾分か目に優しいと視線を上へ逃がせば、雲ひとつない青空が広がっていた。

 ――……だけど、その青はじくじくと目に沁みるから。

 

 

 

 雨が降りそうだと、思った。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 花束を手に部屋の扉を開けると、ベッドの上で上体を起こした彼女と目が合った。

 色素の薄くなった蒼い瞳は、それでも薄暗い部屋の中で輝いているように感じて、いつだったか彼女と訪れた人里で出会った猫を思い出す。

 犬に例えられる事の多かった彼女に対して、適切な表現ではないかもしれないけれど。

 やはり、以前あの方が言っておられたように、宝石にたとえるのが最適なのだろうか。

 

「……綺麗でしょう? 美鈴さんが見繕ってくれた物ですよ」

 

 語りかけながら歩み寄るが、年を経て声がしわがれていくにつれ、口数も減らした彼女に対して、返事は期待していない。

 むしろなにも言わないで欲しいと、心の隅で思っている。

 それが問い掛けや願いだったとして、答える(応える)自信が私にはないからだ。

 

 ――……自分自身の在り方さえ、守れなかった私には。

 

 神が大勢存在するように、天国も複数存在する。

 その中のひとつに、私は生を受けた。

 自分だけが本物の神だと豪語する、傲慢な神が産みの親だ。

 それだけの主張を出来るような神でもあったが――反発は、抑え切れなかった。

 もっとも神に近い力を持つ天使、熾天使(セラフィム)達が起こした反乱。

 たかが能天使(パワーズ)に過ぎない私は、それに巻き込まれてしまった。

 戦渦の中を誇りなどかなぐり捨てて逃げ惑い、争いが終結した時には、年だけは重ねているにも関わらず、大声を上げて子供のように泣いた。

 そして、泣いたのはそれが最後だ。

 現実は綺麗でもなければ優しくもなくて、弱者の流す涙に意味などないのだと知ったから。

 ……神は敗北で終った反乱軍を、お咎めもなしに許してはくれなかった。

 怒り狂ったヤハウェ(神)がルシファー(最高位の熾天使)をブン投げて次元に開けた大きな穴。

 後に地獄と名付けられるそれの最下層に、叩き込まれてしまったのだ。

 密かな自慢だった、触り心地抜群の白い翼も失って。

 新たに生えてきたのは、ゴツゴツとした骨組みの、真っ黒い羽根。

 悪魔、だって。

 笑えもしない。

 

 自分の存在さえ守れず、勝手に変えられてしまうなんて。

 

 それからは、なにもかも面倒臭くなってしまった。

 気持ちを切り替え新たな存在として振舞おうと決めた周囲の事も受け入れられず、無力感に苛まれるまま、まどろみと覚醒を繰り返し数千年眠り続けた。

 このまま一生目を覚まさなくてもいいと、本気で思うようになった、そんな時だ。

 

 

 ――……彼女に召喚されたのは。

 

 

「あっ」

 

 ベッドの横に併設された棚の上に置かれていた花瓶へ水を入れようと持ち上げたが、いきなり掴んでいる感覚を喪失した。

 落下した花瓶が固い机に衝突し、ガンッと硬質な音を立てた後転がって、細い皹が一条走るのを視界の端に捉えながら。

 翳した手は、指先から透けて実態をなくしかけていた。

 

「ついに、きたか……」

 

 動揺する心を静め、そこにあるはずの手を意識して力を込めると、少しずつ質量が戻っていく。

 見た目に異常がなくなったら、握っては開く動作を繰り返して感触を確かめる。

 それが確かな物になったところで、感じていた視線に振り向けば、彼女がこちらを見詰めていた。

 

「――……契約が原因です」

 

 揺れる瞳で音なく雄弁に心配なのだと語られると、乾いた砂を飲み込まされたようで、胸が重たくなってしまったから。

 

 

「魔力はあの方から頂いているとはいえ、私の主は貴女ですから。貴女が此処を去れば、私も元居た場所へ還らざるをえません」

 

 

 お前のせいだと、責めるような口調で言葉をぶつけた。

 

 傷付けばいい、と。

 その瞬間、私は確かにそう思ったのだ。

 ――……でも、悲しそうに顔を歪めた彼女を見た途端、酷い後悔が、一気に押し寄せてきた。

 

「……っ」

 

 ああ。

 私に、彼女を責める事なんて、出来なかった筈なのに。

 

 

 人としての終わりを選ぶ、彼女の気持ち。

 天使として生きる事の出来なかった私が、一番わかっていた筈だった。

 

 

 ……本当に、私は醜くなってしまった。

 いや、もとから醜かったのか。

 醜くて、どうしようもなく、弱かったのだ。

 だから、堕ちてしまったし。

 終わりを美しいなど、とても思えないし。

 

 

 こんなにも、心が痛い。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 気付いた時には、頭を下げていた。

 

「ほんとに、ごめん……っ」

 

 掠れる声が情けない。

 鼻がひくついて、喉も震えて。

 弱い自分を憎む事にも疲れてしまうほど嫌っていたはずなのに、さらに弱くなってしまった自分が、今此処にいる。

 ぎゅぅっと瞼を閉じて、その暗闇にさえ怯えていると、頼りない温度が頭へ触れた。

 ゆっくりと動かされるそれが、彼女のてのひらだと見なくともわかったおかげで、余計に目頭が熱くなる。

 それでも涙は溢したくなくて、必死で唇を噛み締めた。

 咥内にじんわりと鉄の味が広がり始めた頃、ようやっと顔を上げると。

 幾重も皺の刻まれた顔で微笑む、彼女の姿。

 やっぱり。

 知識の魔女が言ったことは、正しかった。

 

 

「……咲夜様」

 

 

 ほら、こんなに、彼女は――……。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 鉛みたいに重たい身体をひきずるようにして廊下を進んでいると、館の主である吸血鬼姉妹と出くわした。

 姉のレミリア様は食器と鍋を載せた銀のトレイを持っていて、妹のフランドール様はやわらかそうなパンの詰まったカゴを頭にのっけている。

 どうやら、咲夜様のもとへ食事を運ぶ最中のようだ。

 会釈しながら通り過ぎようとして、レミリア様に声を掛けられた。

 

「目が真っ赤だぞ」

 

 足を止めて振り向く。

 レミリア様は笑っていなかった。

 吸血鬼である彼女達に害が及ばないようにと、魔法のかけられた窓越しに差し込む西日が、青みがかった銀髪に反射して、美しく輝く。

 だが、私が逃げるように床へ視線を落としたのは、その眩しさが原因ではない。

 光がなくとも、なにより強く煌めく紅い瞳が、恐ろしかったからだ。

 まるで、弱い自分を映す、鏡のようで。

 

「あの子になにか言ったのか?」

 

 問い掛けに首を横へ振って返すと、静かな声で「そうか」と頷き、廊下を進みだした。

 遠ざかっていく姿を恐る恐る見詰める私に、振り向く事はせず、歩みも止めないまま、もう一つ言葉を残していく。

 

 

「……私は、あの子が決めたことに口を出す気はないよ。その決断も受け入れる。ご主人様だから、ね」

 

 

 世話は貴女達に任せてしまったけれど、と。

 小さな呟きには、苦笑が乗せられていた。

 そこで、今まで黙っていたフランドール様もクルリと回ってこちらを向き、口を開いた。

 

「残念だなって思うよ。咲夜の作るごはん美味しかったし。でもお姉様がこう言っている以上、それに従う。私はねっ」

 

 じゃあねー、と。

 軽い調子で手を振った後、フランドール様は虹色の羽根を揺らしながらレミリア様の背中へ飛びついて、その勢いに頭へ乗せたカゴの中からもパンがひとつ飛び出した。

 宙へ舞ったそれが床に落ちるのを見届けることなく、地下の図書館へと向かう。

 

「私は、か……」

 

 一歩踏み出すごとに、歩調が速くなっていく。

 連なる本棚で成された山脈の中心に陣取り、今日も知識を貪っているあの魔女に、胸の中で渦を巻くこのどうしようもない気持ちを、一刻も早くぶつける為に。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 私は毎日咲夜様の部屋へと通っている。

 お嬢様方や美鈴さんも同じく。

 しかし、彼女の傍にもっともいなければならない人物は、自分の縄張りへと閉じこもり、何冊もの書物を広げ、紙へ羽根ペンを走らせることに没頭する生活を、ずいぶんと前から続けていた。

 

「……なぜ、咲夜様の傍へおられないのですか」

 

 ――もう、時間がないのだ、と。

 賢い貴女が、理解出来ないはずもないでしょう?

 

 

「パチュリー様!」

 

 

 煮え滾った感情に任せて怒鳴り声を上げると、椅子に腰掛けたまま、紫色の髪を靡かせて、知識の魔女、パチュリー・ノーレッジ様が振り向いた。

 その動作は優雅な物で、同じ色の瞳からも、常と変わらぬ冷静さと、研ぎ澄まされた知性が滲んでいる。

 それが、堪らなく頭に来てしょうがない。

 

 

 だって、一番悲しむべきなのは、パチュリー様だ。

 

 

「――……六十四本目」

 

 淀んだ気持ちを言い募ろうとした私を遮るように、口を開いたパチュリー様は。

 

「六十四本目の棚。下から二段目、右から十七番目。装丁は革張りの本」

 

 唐突に、抑揚のない声で。

 

「タイトルは読めないでしょうけど。取ってきて」

 

 そう、言い捨てた。

 

「……ッ!」

 

 ありふれた表現ではあるが。

 頭の中で、なにかがブチッと切れる音がした。

 

 

「ふざけるなあっ!」

 

 

 喉が切れそうなほどに声を荒げて叫ぶ。

 自分のこんな声は、忘れられないあの戦渦の中でさえ聞いた事がない。

 溢れ出した怒りの波に乗って、駆ける。

 勢いよく突き出した拳。

 

「……もう一度お願いするわ。取ってきて」

 

 それは、彼女に届かなかった。

 

「く……っそ!」

 

 ――……私の主は咲夜様だが、行動の支配権はパチュリー様が握っているのだ。

 よって、彼女を傷付ける事は出来ず、どれだけ力を込めようとも、金縛りにあったように拳を振り抜く事が出来なかった。

 

 

 こんなに殴ってやりたいのに。

 無表情なんて、ブッ壊してやりたいのに!

 

 

 悔しくて、悔しくて、泣きそうになる。

 でも、泣かない。

 絶対に泣くものか。

 

「……っ」

 

 震える拳を解いて腕を下ろすと、ゆっくりと深呼吸をして心と身体の熱を鎮めていく。

 胸に手を当て、興奮で早鐘を打っていた鼓動が落ち着いたのを確かめてから、指定された本を取りに歩き出した。

 強制的に命令を遂行させられるよりは、お願いを聞いてやる方が幾分かマシだと、自分に言い聞かせて。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「……あった」

 

 目的の本を手に、細く長い溜息を吐く。

 我ながら、感情の起伏が激しい一日だった。

 酷使した心を蝕む疲労感が身体にも作用しているのか、もう立っているのもしんどい。

 喉が詰まったような呼吸の辛さを感じて天井を仰げば、つられるように身体が傾いて、背中が本棚にぶつかった。

 

「痛っ」

 

 その衝突が原因か、もともと抜けかかっていたのか。

 本棚の最上段から私の頭へと降ってきたのは、薄くて幅の広い本。

 

「……これ、って」

 

 ドクン、と。

 心臓が、大きく音をたてた。

 震える指先で表紙を開けば、それと共に思い出の扉も鈍い音を立てながら開かれていく。

 

 

 ――……この本の名は《初めての悪魔召喚》。

 咲夜様が、私を喚び出すのに用いた本だ。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 浮遊感と、視界を埋め尽くす白い光。

 それが晴れた時には、まったく知らない場所に居た。

 

「此処、は……」

 

 最初に、空気に含まれる魔力の薄さで人間界だと悟った。

 次に、足元でいまだ輝く魔方陣の存在で召喚されたのだと理解した。

 最後に、正面を向けば、蒼い瞳をした幼い人間の女の子が尻餅をついていて、信じられない思いで訊ねる。

 

「私を喚んだのは、貴女ですか?」

 

 幼子は問いに答えてくれず、逆に訊ね返して来た。

 

「――……あなた、が、あくま?」

 

 掠れがちな声で紡がれた、単語を並べたような、たどたどしい問いかけ。

 何故、そんな当たり前の事を今更聞かれねばならないのか。

 苛立ちを覚えて、ぞんざいな仕草で幼子の持つ本を指差した。

 

「……その本を使って喚び出したのでしょう? 表紙に書いてある文字が読めないのですか」

 

 魔道書とは思えない程薄い本には、確かに《初めての悪魔召喚》と記されている。

 その記述に基づいて描いた召喚陣で、天使を喚べる筈もないだろう。

 そう、確かに私は。

 

「悪魔、ですよ。正真正銘の」

 

 心の奥で、認めたくないと叫ぶ駄々っ子のような自分を、無理矢理抑えつけて出した答え。

 

「……ッ」

 

 その答えを聞くなり息を呑んだ幼子は、細い肩を小刻みに震わせ始めた。

 戸惑いと困惑と悲しみを複雑に混ぜ合わせたような表情の、意味がわからない。

 

「どうしたのですか……?」

 

 もっと高位の悪魔を召喚したかったのだろうか?

 と、いうか。

 

 

 ――……自分の身体に、いいや、存在に感じる、違和感。

 

 

「きゃっ!?」

 

 バチィッ! と鋭い音を鳴らし、幼子と私の間で紅い火花が散った。

 

「……っく!?」

 

 ぶるりと震える背筋。

 急速に熱を失っていく身体。

 魔力の枯渇が原因なのだと、透けた指先を見て悟る。

 まさか。

 幼子を見ると、倒れ伏して苦しそうに呼吸を乱していた。

 ――ああ、やっぱり。

 

 

「咲夜ッ!」

 

 

 叫び声と共に部屋の扉が吹っ飛んだ。

 弾丸のように突入してきたのは、二人の少女。

 どちらも見かけ通りの年齢でないことは、漏れ出る力の強大さで読み取れた。

 二人は、倒れている幼子と魔方陣の中心で立ち尽くす私の姿を視界に捉えるなり、打ち合わせなしで迅速に行動へ移る。

 私の背に有る物より幾分か立派な悪魔の羽根を持っている少女は、幼子を抱きかかえると、連れて逃げる事も守って戦う事も出来るように臨戦態勢をとった。

 拳を交えなくともわかる。

 彼女が全力を出せば、一発で私は塵になるだろう。

 ……しかし、本来ならそれは意味がない。

 基本的に、使役されている悪魔に死はないからだ。

 召喚主との間に繋がれた魔力ラインがある限り、何度だって復活できる。

 召喚の際に描く魔方陣には様々な効力が持たせてある物で、一般的には悪魔が姿を現した時点で喚びかけに応じたということで契約成立となる仕組みだ。

 つまり、私の主はすでにあの幼子で、私を倒す為には先に幼子をどうにかしなければならないということになる。

 

 ――そう、本来なら。

 

 冷や汗が背中を伝う。

 この召喚は、おかしい。

 そもそも、私は喚びかけに応じてなどいない。

 気付いたら、此処にいた。

 先程散った火花と、魔力が枯渇状態に陥っている自分の状態から見ても、契約が完了しておらず、魔力ラインも正常に繋がっていないことがわかる。

 つまり。

 

「……失敗、ね。術式構成が滅茶苦茶。それ以前の問題として、咲夜には魔力行使の才能はない」

 

 ――二人組みの片割れ。

 得体の知れない悪魔だと認識されているだろう私に歩み寄り、足元へ座り込んで発光し続ける魔方陣を注意深く観察していた紫髪の少女は、苦々し気にそうぼやくと溜息を吐いた。

 

「ホースに途中で穴が開いているような物。タンクである咲夜からは全開で魔力が放出されているけど、それは全部辺りに垂れ流し。……契約の破棄も、送還も、召喚主にしか出来ない。だけど、こんなグチャグチャの術式じゃ、召喚主にも無理でしょうね」

 

 続けて考察を述べた後、紫髪の少女は顔を上げ、私と視線を合わせて言い放つ。

 髪と同じ紫色の瞳からは、知性の奥に隠された焦りが見て取れた。

 

 

「このままだと、貴女は地獄に戻るだけでしょうけど――うちの馬鹿な子犬は、死んでしまうわ。講じられる手は少なく、神に祈る事も視野に入れなければならない」

 

 

 ――……言葉が鼓膜を震わせて脳へと沁みこむのにあわせて、ゆっくりと溜息を吐く。

 神様なんていやしない、とは言えない。

 会った事も、話した事もあるから。

 でも、だからこそ、いやと言うほど知っている。

 祈りは、天《そら》まで届かない。

 

 言葉通り、このままだと、幼子は間もなく死に至るだろう。

 

 

「……っ」

 

 胸が軋む。

 いやだ、なんでこうなってしまうんだ――また、子供が暴れ始めた。

 ただ、誰にも傷付けられず、傷付けることもせずに、静かに眠っていたかった。

 それだけなのに――そうわめいて、泣けない私の変わりに、大声で泣いている。

 

「どう、すれば……」

 

 だから。

 

 

「――……どうすれば、私の主を、助ける事が出来ますか」

 

 

 大人の私は、自分に出来る事をしなければと、そう思った。

 そうしなければ、胸の中で泣いている子供の自分が、涙で溺れ死んでしまうから。

 

 

「――私の名前は、パチュリー・ノーレッジ。七曜を操る魔女」

 

 

 私の言葉に一瞬目を見開いた後、小さく笑みを浮かべてそう名乗った紫髪の少女は、魔法を使って一冊の本を手元に取り寄せ、その表紙にてのひらをかざして説明を始めた。

 

「私なら魔力ラインに割って入る事は可能だけど、本来なら第三者の介入には、やはりそれ相応の手順を踏まねばならない。でも咲夜の状態は一刻を争う。そんなに時間をかけてもいられない。ならば、てっとりばやい方法は、ひとつ」

 

 紫髪の少女――『パチュリー・ノーレッジ』様は。

 幼子――『咲夜様』を救う為に、私へ求める。

 

 

「貴女の名前を、存在を。私によこしなさい」

 

 

 私はそれに頷いて、口を開いた。

 

 

「私の名前は――……」

 

 

 ……名乗り声は、音にならなかった。

 眩い光を放ちながら開いた本に呑み込まれ、消えた。

 

「~~ッ!」

 

 途轍もない喪失感に、声にならない悲鳴を上げながら膝をつく。

 

 

 私は今、存在を奪われたのだ。

 

 

 数瞬遅れて、失った物の代わりに潤沢な量の魔力が私の身体へと流れ込んでくる。

 溢れんばかりのそれに助けられ、私が顔を上げたところで、力技の魔力行使に顔色を悪くしたパチュリー様が、細く長い溜息を吐き出した。

 荒かった咲夜様の呼吸も、穏やかになっていくのを確認して。

 ――……危機を脱したのだ、と。

 場に張り詰めていた緊張の糸が、一気に緩んだ。

 

「……咲夜」

 

 しかし、パチュリー様の発した厳しい声で、すぐにまた鋼のような糸が張り直される。

 

「どうしてこんなことをしたの?」

 

 問い掛けるというよりは詰問するような口調に、悪魔の羽根を持つ少女の腕に抱かれた咲夜様は、ビクリと身体を震わせた。

 それを見たパチュリー様は、眉間へ亀裂のように深い皺を作って、食い殺してやるといわんばかりの気迫を放ちながら、距離を詰めようとする。

 

「はい、ストップ」

「むきゅっ!?」

 

 鋼鉄の糸をブチッと断ち切ったのは、軽い口調で放たれた制止の言葉と、物理的に顔面を押し返した白い手だ。

 

「……なにするのよ、レミィ」

 

 赤くなった鼻をさすりながら抗議したパチュリー様に、実力行使に使ったその白い手を振りながら、悪魔の羽根を持つ少女はやはり軽い口調で話す。

 

「そんな怖い顔で迫ったんじゃ、恐ろしくて言葉も頭に入ってきやしないだろうさ。それにどうやら、やんちゃな子犬は遊びすぎておねむのようだ。お話なら、一眠りした後にしてやってくれないか」

 

 茶化すみたいな台詞回しとは裏腹に、咲夜様を抱きかかえる手からは、壊れ物を扱うような繊細さが窺えて。

 だからだろう。パチュリー様は瞼を閉じると、眉間に手をやって皺を揉み解し、静かな声で「……わかった。また後で」と了承を返した。

 

「ああ。じゃあ私が咲夜を寝床に運んでくるから。その間、パチェはそこの新入りに色々と説明してやればいいよ」

 

 素早く話をまとめると、悪魔の羽根を持つ少女は私へと視線を向けて、にぃっと笑い、言い放った。

 

「自己紹介だけしておこう。私の名前はレミリア・スカーレット。この館を統べる、最強の吸血鬼様だ。あるんだかないんだかわからない脳ミソに、消えないように刻んでおけ。……じゃないと、消えるのはお前のほうになる」

 

 一瞬叩きつけられた殺気に、冗談抜きで気絶してしまいそうになった。

 塵になるなど、生温い。

 敵対すれば、存在ごとなかったことにされてしまうほどの、圧倒的な実力差。

 恐怖から目を逸らすことさえ出来なくて、小さいけど大きな背中が部屋の外に消えるまで、瞬きもせず見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……災難だったわね」

 

 しばらく黙って立ち尽くしていたパチュリー様が、そう口を開いた。

 

「喚びかけに応じて来たわけではないのでしょう? 貴女が還りたいと望んでも、召喚事故のせいで送還の方法は失われてしまったから、還してあげることは出来ない。召喚主であるあの子が生きている限り、貴女は共にあらねばならないわ。……あの子の代わりに謝る。ごめんなさい」

 

 深く下げられた頭に、今まで礼儀を払って接して貰った経験など皆無に等しかったのが原因で、動揺しながら言葉を返す。

 

「いえ、お気になさらず。此処に居たい、などと思える場所は、どこにもありません。だから、還る必要など、ないので……ッ!」

 

 語り終えるところで、我に返った。

 余計な事まで口走ってしまった事実に気付き、血の気が引いていく。

 しかし、パチュリー様は「そう」と短く相槌を打っただけだった。

 ――その反応に、心底胸を撫で下ろす。

 もしなにか問い掛けられでもしたら、理性を保つ自信がないからだ。

 

 心の傷は、今でも瘡蓋さえ出来ることなく、膿を流し続けているから。

 

 

「……すみません。色々と、ご説明願いたいのですが」

 

 ――沈黙が苦痛に思えたので、私から話を切り出した。

 

「先程までのやりとりで、貴女がパチュリー・ノーレッジ様という名前の、才能豊かな魔女であるという事と、あの強大な力を持った吸血鬼が、レミリア・スカーレット様という名前で、この場所の主でもあるという事は理解出来ました。しかし、まだ沢山の疑問があります。例えば、何故人間の幼子が貴女達と共にあるのか、など。レミリア様も言っておられた通り、私にもわかるようお話ししていただけると有難いです。……これから、ここで暮らしていくことになるのですから」

 

 私の言葉に、パチュリー様は数拍の間を開けて頷くと、窓際へ置かれたベッドに腰掛けて、静かに語り始めた。

 レミリア様と育まれた友情の事や、人外が集う此処が紅魔館という名前のお屋敷である事、そして――……紅魔館に住まう唯一の人間、十六夜咲夜様の事。

 

「一ヶ月前、突然レミィが拾ってきたの。寒い夜だった。気を失っていて、一瞬死体と勘違いしたわ。小さい身体も、氷みたいに冷え切っていたから、急いで毛布に包んで、暖炉の前に連れて行った」

 

 パチュリー様は、軽く俯き、床に視線を落とした状態で言葉を紡いでいく。

 私は、きっとその瞳に映っているのは床などではなく、一ヶ月分の記憶に住んでいる咲夜様なのだろうと悟った。

 

「もう目を覚ますことはないんじゃないか、なんて考えながら、隣に座り込んで背中をさすっていたの。勿論そんなことはなくて、やがてあの子は瞼を上げた」

 

 熱を持った溜息と一緒に、吐き出される、想い。

 

「覗き込んだら、視線が合って――……息が止まった。だって、初めて見たのよ。あんな瞳。傷だらけなのに、輝きを失わない、宝石、みたいな」

 

 どんどん、小さくなっていった声。

 パチュリー様は片手で顔を覆って、しばらく黙り込んだ。

 手の隙間から見える顔と耳が、ほんのりと赤く染まっていた。

 しかし、徐々にその色が薄まっていくに連れ、空気も重くなっていく。

 

「……レミィに、世話を頼まれて。自分でも驚く勢いで即答したわ。まかせて、って。でも」

 

 下ろした手を膝の上で組んで、疲れきった老人みたいに鬱屈とした気持ちを、彼女は零す。

 

「ちっとも上手くいかない。あの子の気持ちなんか、欠片も理解出来ない。どの本を読んだって、答えが記されていないんだもの」

 

 ――……迷い、悩むのは、知りたいと望むからだ。

 答えを探すのは、その答えが大切だと思うからだ。

 大切なのは――……。

 

「パチュリー様は」

「うん?」

 

 他意はなく。

 自然に浮かんだ言葉を送った。

 

 

「咲夜様のことを、愛されているのですね」

 

 

 それだけ、だったのだけど。

 

「……ッな!?」

 

 ――爆発した。

 

 訂正、それぐらいの勢いで、隠しようもないほど全身真っ赤に火照らせたパチュリー様は。

 数回口を開け閉めした後、眉間に皺を寄せ、わざとらしく大きな咳払いを行ってから。

 

「い、いきなり、なにを言っているのかしら? 相手は、小さな人間の女の子で……っ」

 

 冷静さを取り繕い、慌てて弁解しようとした声に。

 

 ――コンコンッ!

 

 扉をノックする音がかぶせられた。

 

「なによっ!?」

 

 思わずといった感じで、扉に向かって怒鳴りつけたパチュリー様。

 

「ええっ! いや、逆になにっ!?」

 

 その扉から顔を出したレミリア様が驚いて目を丸くしているのを見て、我に返ったのか、忙しなく瞬きを繰り返した後。

 

「え? えっ、と……」

 

 ――気まずそうに、俯いた。

 

「……おかえり」

 

 己の膝上で固く組んだ手を見詰めながら、消え入りそうな声を出してそう言った彼女の様子に、丸くしていた目を微笑ましげに細めて、レミリア様も返事を返す。

 

「うん……ただいま。なんの話をしていたの?」

 

 問い掛けに息を詰まらせたパチュリー様に代わって「色々とお話を伺っていました」と答えると、それは愉快そうな笑みに変わった。

 ――しかし、数瞬置くとその笑みも消して、真面目な顔を作り、口を開く。

 

「……あの子を運んでいる時に、少し話をしたのだけど」

「ッ!」

 

 バッと音が鳴るような勢いで顔を上げたパチュリー様と視線を合わせて、レミリア様は語る。

 

「本物の悪魔と、会いたかったんだってさ」

 

 突拍子がなさすぎて、言葉の意味が理解出来なかった。

 それは、パチュリー様も同じであったらしい。

 

「どういうこと?」

 

 訝しげな顔で続きを促したパチュリー様に、ほんの一瞬躊躇った後、レミリア様は苦笑いと共に答えた。

 

 

「醜い悪魔の子、って言われてきたから。本物の悪魔を見てみたかったんだって」

 

 

 ――空気が固まる。

 横で聞いていた私の心臓まで、止まったように感じた。

 

「……なに、よ」

 

 パチュリー様の口から、掠れた声が漏れる。

 

「そんなの――っ!」

 

 それが、先程とは違う、本気のこもった怒鳴り声へと変わって。

 

「パチェ?」

「パチュリー様っ」

 

 ――パチュリー様は、駆け出した。

 レミリア様を押し退け、走り慣れていないのが分かる不恰好なフォームで、こけそうになりながら、がむしゃらに。

 

「ッ……」

 

 それを見ていたら、自然と私の足も前に出ていて。

 

「……ふふっ、はははっ!」

 

 吸血鬼の笑い声を背中に、前を往く紫を追い駆けた。

 

 ――……飛ぶ事さえ忘れるほど、気が急いていたのだ、と。

 後になって、顔を見合わせて溜息を吐くことになるのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「咲夜ッ!」

 

 大きな音を立てて扉を開き、パチュリー様が叫ぶ。

 視線の先には、ベッドの上で目を丸くした咲夜様の姿。

 パチュリー様の様子は、正直言って酷い物だ。

 乱れた髪、顎から滴る汗の雫。

 出会ったばかりの私でも、今の状態が通常の彼女からは想像出来ない物であることは容易に察せられた。

 先程交わした会話から汲み取った人柄もあるが、証拠として、私はひとつも息を乱してはいないからだ。

 確かに広い館であったし、魔女は比較的人間に近い種族ともされているが、それでも通常ならば人外がこの程度の距離を移動して体力を消費することなどありえない。

 そのことからも、普段ちっとも動かないお方なのだろうと思われた。

 

 

 そんな彼女が、荒い呼吸を整えることもせずに、口を開く。

 

 

「あ、悪魔とか、天使とかっ、関係、ないでしょうっ?」

 

 何故か、手に汗を滲ませて眺めている、私の前で。

 信じられない状況に呆然としている咲夜様に向かって。

 つっかえながら、それでも、必死さの伝わる、真剣な声音で。

 

「貴女は、貴女なんだから! 貴女が……っ」

 

 想いを、ぶつけた。

 

 

「貴女が誰よりも綺麗なこと、私が知ってる!」

 

 

 ぶつかったそれは、傷に沁みて、痛かったのだろうか。

 それとも――……眩しかったのだろうか。

 

 

 パチュリー様も言っておられた通り、気持ちの答えなんてどんな本にも載っていないから、そんなことは知りようもない。

 ただ、私にも分かったのは。

 

「……っ」

 

 咲夜様が、小さな肩を震わせた後。

 くしゃくしゃに歪めた、泣き出す寸前のような顔で。

 

 『笑った』という、事実だ。

 

 それを見たパチュリー様も、不器用に笑んで。

 重なった二つの笑みは、どうしてだか、とても尊い物に感じて。

 私が、胸の奥にほんのりとした温かさを感じた瞬間。

 

 

 崩れ落ちるように、パチュリー様は、倒れた。

 

 

「ぱちゅりーさまっ!?」

 

 耳を衝く、咲夜様の叫び声。

 私は急いで跪き、パチュリー様を抱き起こしたが、彼女は酷く咳き込んで、呼吸もままならないらしく、ただでさえ白い顔からさらに色を失くしていった。

 

「しっかりしてください! そんな、いきなり、なんで……っ?」

 

 焦った私の頭も、それに負けないくらい、真っ白になっていく。

 

「どうすれば――っ」

 

 混乱が頂点に達して、現状から逃げ出すように目をぎゅうっと瞑った。

 

「――寄越せ」

 

 頭上から声がかかったのは、そんな時だ。

 

「……ッ、レミリア様!」

 

 小さいが強大な力を秘めた手がパチュリー様を、素早く、それでいて繊細な動きで奪い、抱き上げる。

 そのまま、背の羽根を羽ばたかせ、廊下を目にも止まらぬ速さで飛翔して、消えた。

 後に残された私は、突然の展開に理解が及ばず、床に力なく腰を下ろして呆けるしかない。

 しかし、歩み寄ってきた気配に顔を向ければ、同じく事態に取り残され、小刻みに震える咲夜様がいて。

 

 ――……きっと、契約による、無意識下での好意の刷り込みが原因だとは思ったのだけど。

 雨に打ち据えられた子犬の様な幼子に、躊躇いつつもゆっくりと手を伸ばして、その小さな身体を抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――しばらく経って。

 気を落ち着かせる為に背中を撫でてやっているうちに、自分の方が冷静さを取り戻すことに成功したのを少し喜ばしく思った後。

 先刻披露してしまった対応力のなさを思い出し、不甲斐なさを自覚して、自己嫌悪に頭痛さえ覚えながら溜息を吐いていると。

 

「お嬢様方が御呼びです」

 

 控えめなノックの後で扉を開けた、館の使用人であるらしい妖精に、そう告げられた。

 その背中を、中々前へと足を進められない咲夜様の幼い手を握って、見失わない程度の速度で追いかける。

 

 久しぶりに触れた他人の体温は、とても頼りない物に感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辿り着いた部屋の扉を妖精が開けると、一番に目へ飛び込んできたのは天蓋付きの大きなベッドと、それに横たわっているパチュリー様だった。

 次に、その傍に立つ二名の姿を捉える。

 一人はレミリア様で、少し身を屈め、僅かながらも血色を取り戻したパチュリー様の頬を撫でていた。

 もう一人は、私とは色の深さが違う紅い髪を背に流した長身の女性で、始めはこちらに対して背を向けていたが、出迎えるように緩やかな動作で振り返った。

 女性の、長い睫毛で縁取られた瞳と、視線が交わる。

 

「……っ」

 

 濁りはないのに底の見えない緑色に、背筋が凍えた。

 ――だがそれは、次の瞬間にはやわらかく笑みの形に細められて、春の陽気を感じさせる物へと変わった。

 

「はじめまして。この館にて門番と庭師を勤めさせて頂いております、紅美鈴と申します」

 

 お辞儀と共に繰り出された丁寧な口上に呑まれて、自然と返礼する。

 

「あ、はじめまして。私の名前は――……」

 

 そこで気付いた。

 名乗る名前を、失ってしまったのだということに。

 

「ぱちゅりーさまっ」

 

 言葉に詰まっていた私の横を擦り抜けて、パチュリー様の名を口にしながら、咲夜様がベッドの傍へと走り寄った。

 私もそれを追い駆けて、足を進める。

 

「……ッ」

 

 だが、数歩手前で咲夜様は己のスカートの裾をぎゅぅっと握り締めたまま、立ち竦んだ。

 

「……咲夜?」

 

 細い声でパチュリー様が呼びかけると、逡巡するように視線を彷徨わせて、小さな声で問い掛ける。

 

「わたしの、せいですか……?」

 

 ――……賢い子だ。

 でも、賢い子供は、損をする物だ。

 馬鹿な子供は、理由がなくとも抱擁を求めるが、賢い子供は、嫌われるのを恐れて、それが出来ない。

 だからこのままでは、咲夜様はもう一歩だって、パチュリー様に近づく事が出来ないだろう。

 

「……なんて顔、してるのよ」

 

 静まり返っていた部屋に、僅かな怒気を孕んだ声が響いた。

 

「そんな顔をさせたくて、救ったわけじゃないわ」

 

 眉をしかめてそう述べた後、疲れたような溜息を吐いたパチュリー様。

 咲夜様は、俯いて身体を縮ませ、そのまま消えてしまいそうだった。

 

「咲夜」

 

 パチュリー様に再び名を呼ばれた咲夜様は、ビクリと身体を震わせ、聞こえるか聞こえないかくらいの声で「はい」と返事をした。

 どんな叱責が飛んでくるのかと身構えている彼女に向かって。

 パチュリー様が次に発した声には、怒りなどなく。

 顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

「咲夜、来なさい」

 

 咲夜様は、弾かれたように顔を上げて、数瞬息さえ止めた。

 その後、震える足で数歩の距離を詰めて、ベッドの横へと至る。

 

「喘息、ですって」

「……え?」

 

 ベッドに横たわったまま、咲夜様の顔を見上げて、パチュリー様は。

 

「無茶苦茶な魔力行使の副作用。美鈴の見立てでは、これから先ずっと、発作と付き合っていかなければならないそうよ」

 

 ――そう、告げた。

 

「ぁ……っ」

 

 語られた内容に――咲夜様は、涙を溢した。

 声は上げず、ただ静かに、両の目から雫を落とす。

 パチュリー様は、眉を下げながら、ゆっくりと身体を起こした。

 

「……隠していても、いずれバレるだろうから、先に教えたのだけど」

 

 伸ばした手の、細く白い指で咲夜様の目元を拭ってやりながら、言葉を続ける。

 

「言ったでしょう? そんな顔をさせたかったわけじゃないのよ」

 

 浮べた笑顔は、とても優しい物で。

 

「なんの後悔もしていない。けれど、ご褒美くらい、欲しいわね」

 

 でも、少し悪戯っぽくて。

 

「ねえ、お願い」

 

 それ以上に。

 

 

「笑ってよ。……さっきの笑顔、やっぱり綺麗だったもの。世界で、一番」

 

 

 愛情で、溢れていた。

 

「……っちゅりー、さま」

 

 掠れた声で、呟いた後。

 咲夜様は、両手でゴシゴシと乱暴に涙を拭いて。

 深呼吸を二回してから。

 真っ赤な目を細めて、笑った。

 

 

 その笑顔は――確かに、世界で一番綺麗だったと、思う。

 

 

 そんな咲夜様の頭を、今まで少し離れて見守っていたレミリア様が、笑いながら歩み寄って、わしゃわしゃと撫で回した。

 美鈴さんも、穏やかに微笑んでいる。

 少しの間、温かな雰囲気が続いて、私はそれを邪魔しないよう、静かに眺めていた。

 

 

 しかし、それを終らせたのは、咲夜様だった。

 

 

「……あの」

 

 躊躇いがちに声をかけられたのは、私だ。

 

「どうか、されましたか……?」

 

 真剣な顔で見上げてくる彼女に、問い返すと。

 

 

「かってによんで、ごめんなさい」

 

 

 ――なにを言われるのかと思えば。

 それは謝罪だった。

 驚いて、瞬きを数回繰り返す。

 幻などではない。

 咲夜様は、小さな身体を半分に折って、私に頭を下げたのだ。

 事実が頭に沁みこむほど、胸がきゅぅっと締め付けられていくように感じた。

 

「……なぜ、謝るのですか」

 

 私は床に膝をつき、彼女と視線を合わせて、怯えさせないように静かな声音で囁いた。

 

「どういった経緯を辿った結果だとしても、私は貴女の使い魔となったのです。ならば、主が頭を下げるなど、とてもおかしいことですよ」

 

 咲夜様は、私の言葉を受け、少し黙り込んだ後。

 

「でも……」

 

 やっぱり、受け入れられなかったようで、また口を開いた。

 

「はい?」

 

 仕方なく促すと、潤んだ瞳で、罪を告白するように言い募る。

 

「わるいことをしたら、あやまらなくちゃいけない、って、ぱちゅりーさまが」

 

 ――魔女が人間に道徳を教えている、というのも、おかしな話だが。

 

「そう、ですか。ええ、そうですね」

 

 その教え自体は、とても正しい物だ。

 ここで、それを曲げさせるわけにもいかないだろう。

 しかし――このまま、謝罪を受け入れたくもない。

 

「……それなら、悪いことではなくしてしまえばいい」

 

 だから。

 やっぱり、仕方なく、提案した。

 

「私が、ここに喚ばれたこと。それを『いいこと』にしてください」

 

 子供騙しの、そんな台詞に、咲夜様は。

 

「――うん」

 

 しっかりと頷いて、言ったのだ。

 

「わたしは、さくや。いざよいさくや。これから、わたしがしぬまで。――たいせつにするから。よろしくおねがいします」

 

 それは。

 どこまでもまっすぐな『誓い』だった。

 天使でも、悪魔でも――『誓い』に返す物は『誓い』しか有り得ない。

 なればこそ、胸に手を当てて、私も宣誓した。

 

「お仕えさせていただきます。いつか訪れる、別れの時まで。――私のことは『小悪魔』とでも、お呼びください」

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「……戻ってこないと思ったら」

 

 静かな声が、頭上から降ってきた。

 顔を上げる事も、返事をする事だって、今の私には出来ない。

 ただ。

 

「ひ……っく、ぅう゛っ」

 

 ――ただ、座り込み、声を押し殺して、泣くばかりで。

 

「貴女が泣いているところ、初めて見たはず、なんだけど。そんな気が全然しないわ」

 

 ホントは泣き虫なことくらい、知っていたからかしらね、なんて。

 そんな言葉と一緒に、溜息の音が耳へと届いた。

 私は鼻を啜り上げて、乱暴に目元を拭うと、勢いに任せて顔を上げる。

 

「あ、なたがっ!」

 

 我ながら、くぐもって聞き取り辛い、酷い声だった。

 

「うん?」

 

 それでもパチュリー様は、相槌を打ちながら聞いてくれる。

 そんな彼女に対して、私は。

 

「貴女が、言えばっ! きっと咲夜様は――生きてくれるのに!」

 

 私は、自分勝手な気持ちを、ぶちまけた。

 

 

「し、んだり、なんか……お別れなんか、せずにすむのに!」

 

 

 罅割れたがなり声も、パチュリー様は動じる事なく受け止めて。

 ゆっくりと、口を開いた。

 

「――私から、咲夜に生きて欲しいと伝える事は、絶対にないわ」

 

「どうして……ッ」

 

「だって、私があの子にそう言えば、きっと貴女の言うとおり、死ぬ事を諦めてはくれるでしょうけれど――それでは、強要になってしまうもの」

 

 死ぬ権利を取り上げる事は、無理矢理命を奪う事と、いったいどれほどの違いがあるのかしらね、と。

 パチュリー様は、そう言って微笑んだ後。

 

 

「私には、そんな事出来ない。――あの子を、愛しているから」

 

 

 真剣な表情で、想いを溢した。

 

「……っ!」

 

 ――もう、なにも言えない。

 私には、なんの言葉も残されていなかった。

 だから。

 

 

「う、うあぁぁあああああッ!」

 

 

 ――だから、ただ、大声を上げて、泣いた。

 膝に顔を埋めて嗚咽を上げる、私の頭に。

 そっと触れる、やわらかい感触。

 パチュリー様の、手。

 

 

 撫で方が。

 咲夜様と、そっくりだった。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 記憶が曖昧なのだけど。

 いつの間にか、自室に戻っていたらしい。

 気がつけば、クローゼットを漁っていて。

 季節はずれのマフラーを引っ張り出していた。

 所々ほつれているそれを首に巻いて、顔を埋める。

 そのまま、ベッドに倒れこんだ。

 泣きすぎて痛む眼を瞑って、暗闇に逃げ込めば。

 

 優しい過去の夢へと、沈んでいく。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 召喚されて、一週間程経った頃。

 咲夜様に、ついてきて、と言葉少なにお願いされた。

 彼女は口数の少ない子供だった。

 それは、慎み深いのが理由ではなくて、ろくに人と会話を交わす事の出来ない環境で過ごしてきたせいで、言葉を発する事に不慣れだったから。

 だからこそ、みんな、咲夜様が話す時には、真剣に耳を傾けた。

 使い魔である私であれば尚の事、一も二もなく了承し、彼女の後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――辿り着いたのは人里で、目的地は雑貨屋だった。

 なにを買うのかと思えば、咲夜様が手にしたのは毛糸玉で。

 ああ、そういえば、この前編み物の本を読んでいらしたなあ、と。

 私が一人で納得し頷いていると、咲夜様がこちらを向いて問い掛けてきた。

 

「こあくまは、どのいろがすき?」

 

 売り場には、色とりどりの毛糸玉。

 ――きっと、作った物はパチュリー様にでもあげるのだろう、と。

 そう思ったから。

 

「そうですね。水色など、いいのではないでしょうか」

 

 パチュリー様がいつも髪に結んでいるリボンだって水色だから、嫌いな色ではないのだろう、という安直な理由で、そう答えた。

 

「……わかった」

 

 咲夜様は、数瞬の間視線を宙に彷徨わせた後、水色を含めた数種類の毛糸玉を手に持って、精算する為に歩き出した。

 無事購入を終えれば、用事もおしまい。

 まっすぐ家路を辿った。

 

 

 私は、この出来事を数日後には綺麗サッパリ忘れていて。

 だから――心底、驚いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――めりー、くりすます」

 

 かがんで、と言われて。

 次の瞬間には、首に巻かれていた、水色。

 

「あったかい?」

 

 問い掛けに。

 鼻の奥にツンとした痛みを感じながら、頷いた。

 それに、咲夜様は不満そうな顔をして。

 小さな手を伸ばすと、私の頬を持ち上げた。

 そして、言ったのだ。

 

 

「なら、わらってよ」

 

 

 ――お手本みたいに浮べられた、とても綺麗な笑みに。

 私は、目の奥に熱さを感じながら、引き攣った不器用な笑みを返した。

 以前に笑ったのは、それこそ記憶にない程昔だったから。

 ああ、笑うって、こんな感じだったのだなあ、なんて。

 そんなことを、思った。

 

 

 あったかかった。

 本当に、温かかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その後。

 能力を駆使し、他の方達への贈物も完成させていた咲夜様と一緒に、サンタクロースの真似事をした。

 みんな、受け取るなり、とても喜びながら咲夜様に御礼を言ったのだけど。

 レミリア様は、戸惑った顔をした。

 彼女だけ、ふたつの贈物を受け取ったからだ。

 疑問を口にする前に、答えは提示された。

 

「ひとつは、いもうとさまにあげてください」

 

 ――強大過ぎる能力(チカラ)を持つせいで、地下から出ることの出来ない妹君、フランドール・スカーレット様。

 かよわい人間である咲夜様は、彼の方に直接会いに行く事を許されていない。

 館の外に赴く事のないフランドール様に、防寒具は必要ではないのかもしれないが。

 それでも。

 

 サンタクロースは、よい子のもとに、プレゼントを届ける物だ。

 

 レミリア様は、いつも強気なその顔を、くしゃりと歪めて。

 僅かに瞳を揺らしながら、笑って咲夜様の頭を撫でた。

 

 ありがとう、メリー・クリスマス。

 

 ――悪魔の館には相応しくない、その言葉。

 大嫌いな、憎憎しく思っているお方に関する祝い事。

 だが、そんな事は、気にもならなかった。

 

 

 私の神様は、目の前にいたからだ。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「――起きろ」

 

 とても暴力的な、現実からの使者は。

 その右足を以って、私を夢から連れ出した。

 

「フランドール、さま……?」

 

 あの頃とは違い、能力の制御が出来るようになった今では、自由に外出を許されているフランドール様。

 しかし――……何故、私の部屋にいるのか。

 寝起きで呆けた頭で上から順に視線を下ろしていけば、目に入ってくる、サイドテールにされた金色の髪に、白い顔(かんばせ)、紅い瞳。

 宝石のように煌めく羽根と、目に鮮やかな赤い衣服。

 短めのスカートから伸びた、細い足――それが、横たわっている私の腹を、貫いていた。

 

「――~~ッ!?」

 

 声にならない悲鳴を上げながら跳ね起きる。

 痛みは――ない。

 そこで気付いた。

 

 

 身体が、透けている。

 

 

「やっとお目覚めだね。おはよう」

 

 足を抜いて、ふわりと宙に浮きながら、フランドール様は微笑んだ。

 

「これは、いったい……?」

 

 思わず口にした、私の疑問に。

 彼女はにこやかな笑顔のまま、こう答えた。

 

「わからないはずは、ないでしょう?」

 

 いまだ覚醒しきっていなかった意識が、ハッキリと甦る。

 そう、私がこんな状態に陥っている、ということは――……。

 

「ッ咲夜様!」

 

 立ち上がろうとして、失敗する。

 足が、膝辺りまで完全に消えていた。

 

「く……ッ!」

 

 力を振り絞って蘇生に努めるが、なかなか上手くいかない。

 気持ちばかりが急いて、また視界を滲ませる。

 

「……しょーがないなあ」

 

 小さな、溜息と一緒に。

 フランドール様の手が、こちらへ向けられて。

 彼女のてのひらから、紅い光が迸り。

 次の瞬間には、私の身体は質量を取り戻していた。

 

「一時的な物だから、急ごうか。会いにいくでしょう?」

 

 驚いている暇も、御礼を言う余裕もありはしなくて。

 飛び起きた私は、転がるような勢いで駆け出した。

 助走を経てから、羽根をはばたかせて、自分に出せるせいいっぱいの速度で飛翔する。

 そのすぐ後ろを、フランドール様は事も無げについてきた。

 

「……ねえ、小悪魔」

 

 常にない静かな口調で、語りかけてくる彼女。

 

「お姉様は言わないし、パチュリーは言えない。私は言える言葉を、持っていない。でもさ」

 

 それは――きっと、サンタクロースにプレゼントを貰った、よい子としての言葉だ。

 

「言いたいことがあるんなら。貴女が自分で言えばいいんじゃないかな」

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 辿り着いた咲夜様の部屋には、すでにお嬢様と美鈴さんがいたけれど。

 やはり、パチュリー様の姿はどこにもなかった。

 

「……さくや、さま」

 

 私の喉から出た声は、酷く掠れた、みっともないもので。

 それに対して、一番に反応してくれたのは。

 

「こあ、くま……」

 

 ――久しぶりに聞いた、咲夜様の声。

 それは、鈴の音のようだったあの頃とは違い、しわがれて、ひびわれていたけれど。

 

 慈愛に、満ちていた。

 

 

「咲夜様……ッ」

 

 ベッドのすぐ傍まで歩み寄って跪き、咲夜様の顔を見詰める。

 血の気の引いた顔は、今にも消えてしまいそうな儚さを感じさせるから。

 

「っ……!」

 

 溢れそうになった想いを押さえ込むために、首に巻いたままだったマフラーへと顔を埋めた。

 それでいいのか、とでも言いたそうなフランドール様の視線を感じるけれど。

 でも――やっぱり、言えない、だろう。

 私はあの時、誓ってしまったから。

 

『お仕えさせていただきます。いつか訪れる、別れの時まで』

 

 ――そう、言ったのだ。

 だから、その誓いを違える事なんて、出来はしない。

 唇を噛み締め、拳を握り締めた。

 彼女が望む事ならば、叶えてやりたいと、思うから。

 喉から、声を絞り出す。

 

「今まで、本当に、ありが――……」

 

 

 

 

「――死ぬのやめます」

 

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 

「………………え?」

 

 今、誰が、何を、言ったんだ?

 

「生きたいと、思います」

 

 凍りついた部屋の中。

 花が一輪咲き誇ったような、そんな笑みでそう言ってのけたのは。

 

「咲夜さまぁっ!?」

 

 

 

 超・展・開!

 

 

 

「ええぇぇええええええっ!?」

 

 咲夜様以外の全員が、目を大きく見開いて、叫んだ。

 

「なっ、なにがいきなりどうなってっ……ッ!?」

 

 パニックに陥って、髪を振り乱す私の頬に触れた、指先。

 それは、なぞるように動かされて。

 

「――だって、誓ったじゃない」

 

 蒼い瞳と視線が交わる。

 それは、相も変わらず、美しかった。

 

「貴女のこと、大切にするって、私は言ったわ。それを――嘘にはしたくない」

 

 首に巻いた水色のマフラーを一撫でしてから、あの日のように、彼女は。

 

 

「だから、笑ってよ」

 

 

 とても、綺麗に笑ってみせた。

 私はそこに至って――自分が泣いていた事に気がついた。

 

「~~っほんと、は」

 

 自然と、言葉が零れ落ちる。

 

「ホントは、お別れなんて、したくなくて……っ」

 

 嗚咽交じりの本音を、彼女は頷きと共に肯定してくれた。

 

 

「ええ、私も――だから、これからも、一緒にいましょう」

 

 

 祈りは、天《そら》まで届かないけど。

 私の神様には、ちゃんと届いたのだ。

 

 

「ちょ、ちょっと待った!」

 

 制止の声を上げたのは、美鈴さんだった。

 焦った声で、言葉を連ねる。

 

 

「いったい、どうやって死を回避するつもりですかっ?」

 

 

 ――血の気が引く。

 それは、とても根本的な問題だった。

 

「もう少し早く決断していただけていたなら、私が気孔を用いて仙人となる手助けも出来たのですが――流石に、時間が足りません」

 

 美鈴さんが困ったようにそう述べると、次にフランドール様が口を開いた。

 

「血を吸うのが下手糞なお姉様の代わりに、私が眷属にするとしても――今の咲夜じゃ、その工程に堪えられるかどうか。失敗したら出血死だね」

 

 最良であった筈の案はどちらもすでに有効期限切れで、頭を抱えそうになっていると、隣から溢れ出した力の奔流。

 

「れ、レミリア様!?」

 

 神槍を構えた吸血鬼が、深紅の目を爛々と燃え上がらせていた。

 

「こうなったら、宇宙人共の兎屋敷に殴り込みだ! 肝を抉り取ってきてやる!」

 

 無茶苦茶だが――もしかしたら、もうそれぐらいしか手がないのかもしれない。

 私達は顔を見合わせて、殴り込みの覚悟を決めようとした。

 しかし。

 

「そんなゲテモノ、食べたくないです」

 

 咲夜様は、しれっとした顔でそう切って捨てた。

 

「じ、じゃあどうしろって……っ」

 

 困惑して問い返した私の台詞を遮るように――部屋の扉を開く音。

 

「この時を――ずっと、待っていたのよ」

 

 咲夜様が、愛し気な視線を送る先。

 胸を張って現れたパチュリー様は、満足気な顔で高らかに声を上げる。

 

 

「貴女のことを、信じていたから!」

 

 

 その手には、小瓶が一つ。

 

「パチュリー様、それは――……」

 

 思い出す。

 毎日、毎日。

 何冊もの書物を広げ、紙へ羽根ペンを走らせていた彼女。

 その、理由は。

 

 

「延命薬。この瞬間のために、ずっと研究に没頭していたのよ。――違う決断を下していたとしても、受け入れるつもりではあったのだけれど、ね」

 

 

 自慢気に語ったパチュリー様の目は、涙で潤んでいた。

 

「い、いょっしゃあああああああっ!」

 

 気品などかなぐり捨てて、レミリア様が雄叫びを上げた。

 フランドール様は、そんなレミリア様の腰に抱きついて笑っている。

 美鈴さんは――……。

 

「え、美鈴、さん?」

 

 美鈴さんは、鼻まで真っ赤にして、泣いていた。

 彼女の泣くところなんて、初めて見た。

 

「……花、は」

 

 美鈴さんは、涙でぐしゃぐしゃの顔を片手で覆って、たどたどしく想いを溢していく。

 

「花は、いつか枯れ落ちる物で。その終り方だって美しいと、そう思う気持ちも、嘘ではないのですけど」

 

 溢れ出した、それは。

 

 

「でも、やっぱり、ずっと共にありたいという気持ちも、本当なんです」

 

 

 きっと、緑の底に沈められていた、真実だ。

 

「――咲夜」

 

 パチュリー様は、咲夜様の横たわるベッドに腰掛けると、小瓶の蓋を開けて自分の口へ運び。

 口移しで、咲夜様へと与えた。

 その様子は、まるで。

 

 

 誓いの口付けのようだった。

 

 

 それを、私達は結婚式の参列者のように、祝福の気持ちを持って見守った。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「さて、咲夜」

 

 顔を離した後、パチュリー様は微笑んで語り出す。

 

「私は、今の貴女もとても魅力的だと思うけど、そのままでは不便もあるでしょう?」

 

 人差し指を一本立てて、視線を私達へと送りながら。

 

「実はね、もう一個研究していた薬があるの。それも、あと一つ材料が揃えば完成するのよ」

 

 勢い込んで、私は先を促した。

 

「パチュリー様、その薬とは、いったい?」

 

 パチュリー様は、もったいぶって数拍溜めてから口にする。

 

「若返りの薬――後足りないのは、太陽の畑に生えている向日葵の花弁」

 

 間髪入れず、叫んだ。

 

 

「行ってきます!」

 

 

 窓に直行。

 カーテンと共に勢いよく開けば直射日光が明るく部屋に降り注ぎ、フランドール様を庇ったレミリア様が「あっつう!?」と悲鳴を上げたが、そんなことに構ってはいられない。

 

「いってらっしゃい」

 

 背中にかけられた声に、胸が熱くなる。

 戻ったら、ただいまと言おう。

 絶対に彼女はおかえりと返してくれる。

 そんな日々を永遠に続ける為に、大嫌いだった黒い羽根で飛び出した。

 風を叩いて前へと進む。

 

 

 ――ああ、いい天気。

 

 

 サイハテハッピーエンド。

 終らせる気は、ありません。




 惜しまれながら迎える終りは美しいですが、続いていく幸福は愛しいと思うのです。
 御読了、ありがとうございました。
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