散る桜、残る桜も、散る桜   作:みなみきずな

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一章

 

     一、

 

 富士見の娘が、自尽した。

 

 八雲紫が彼女の家を訪ねた時には、桜が咲く庭への障子が開け放たれたまま、部屋には場違いな真紅と、命が抜けきってしまったモノが転がっていた。助けるまでもなく、あの子の命はとっくに終わってしまっていた。

 生き死になど当に見慣れたつもりだったのに、私はどうしようもなく混乱した。式たちの前でも隠せぬ位に動揺し、しばらく心配を掛けたのを覚えている。

 以前から、日中は眠っているのが常だったが、あの出来事の後、私はまるで夢に逃避するように更に眠るようになった。だからあの子があの後どうなったかは想像の域を出ない。

 ただ、今まで妖力を集め、人を死に誘うようになった桜――西行妖――は彼女の屍によってその不穏な力が鎮められ狭い範囲では世界は平和になった、らしい。富士見の家には、今では紫の知ることのない、あの子の周りから去ってしまった者が戻ってきているのかも知れない。

 時は、悲しみや思い出を遠ざける。

 瞳を閉じれば紫の目蓋の裏に宿っていた真赤な景色も、段々と薄れ、やがて表面上は普通に営めるようになった。人も妖怪も、忘れるからこそ生きて行けることに変わりはなかった。 

 寂しくはなかったといったら、それは嘘だ。

 月に一度が二度になり、気付けば週の大半をおしゃべりに費やしていた相手がいなくなってしまったのが、寂しくないはずが無い。

 伊達に長い歴史と共に歩んできた訳ではないが、やはり別離には慣れない、と紫は常々思う。

 もし寂しくないかと誰かに問われたなら、自分は何と答えるだろうか。

 他の者がいなくなった時のように、

「人は、妖怪に比べて生きる時間が短いもの」

 そういって返せただろうか? いや、出来ないだろう。

 それは人間は死んでしまえば、大抵は燃やされたり埋められたりして見えないところに片付けられてしまうが、今はそれからも適用外だ。

 紫はあの悲痛な最期を見ている。しかもあの子は生きている。死んでしまったのに、また生きている。自ら死んだあの花は、あの地で未だずっと一人で捉われつつ、目の前に《西行寺幽々子》として存在している。だから寂しくないかと問われたら、どう答えるか、その瞬間まで分からないままだ。

 

 あの子が亡くなるまでに、自分はどうするのが最善だったのか、考える度に思考が惑う。

「ここよりも、私の家に来たらどう」?

「あなたの力は人には過ぎるから私が何とかする」?

 どれもニュアンスは違っても、没前のあの子に伝えた言葉だ。もちろん彼女によってにこやかに首を横に振られ、拒否された。いつもの笑顔で、紫が土産にした茶菓子に手を伸ばして「ねえ、聞いて。この間はね――」と違う話にすり替えられた。

 だが、もともと危機感は彼女、幽々子の中にだけはしっかりとあったのだろう。

 でも、季節が巡って彼女の能力がどんどん強まり、周りの人間が仕える者すらも去っても、その態度は変わらず、笑顔は絶えなかった。

 表面上の強さなら、大した娘だ。あの子が紫に泣き言らしきものを漏らしたのは、結局一度きりだった。それも、本人すら気付かない程度の、ちっぽけな弱音だった。

 そして、もちろんあの子が死ぬまで紫の言葉は届かなかった。

「……違うわね」

 届かなかったのではない。

 届いていても、受け入れてもらえなかっただけだ。

 想いには大きく分けて二種類ある。相手に伝え、理解してもらいたい想い。もう一つは、発することに意味がある、自己満足の想い。紫は前者を望んで伝え、理解はしてもらえたと自負している。ただ、それはあの子の決心を挫くことはなかった。

 どちらにせよ伝わらなければ、言葉なんてただの母音と子音の組み合わせの羅列だ。

 

     *

 

 どこかの世界で「自分で死を選ぶ者は、弱い」「誰も人を信じられないのか」「残ったものの事を考えないのか」と死へ向かう者への言葉を聞いた。

 思想を語る者なら、勝手に熱く語れば良い。

 遺族ならば、悲しみに暮れながら叫べば良い。

 ただ紫にはそうは思えなかった。

 例えばあの子が、

「何故、苦しくとも、生きて行かなければならないか」とか「将来に対する唯ぼんやりした不安」があるとか、自分にそんな事を伝えたとしても、言える事は結局、今も昔も端的な言葉しかない。

「――あの子に生きていて欲しかったのね、私は」

 最大の我侭にして、つまりは真実だ。

 彼女が生を拒否しても、自分は生きていて欲しかった。強行な手段に出ても、頑なに拒むのが分かっていても。だから怒った。だから泣いたし、苦しんだ。

 誰も存在しない隙間の世界で、幾晩も自分とあの子の馬鹿さ加減を怨んだ。

 一緒に見る事の出来なかった、人間の世界の桜を根こそぎ引っこ抜いて、花見を奪ってやろうかと思った。それでも自分の中の感情を抑えられたのはあの子のお陰だ。

 あの子が「一緒に桜をいつか見ましょう」と紫に言ったことを自分は強く覚えていたからだ。

 結局、長いこと生きても自分の本質は変わらない。天気雨のように気まぐれで、それでいて結構気にして欲しいのだろう。思い至った考えに、つい、一人で笑ってしまう。

 幻想郷の八雲紫ともあろう妖怪が、一人の存在にこの有様だ。一度死んで亡霊として蘇った少女になんて忘れられている方が当然なのに、それが寂しいなんて笑い事にもならない。

 でも、自分の知っているあの子は死んでしまった。

 あの子との関係をどうしたらいいかなど、未だ分かっていない。うまくいくだろうと楽観的な思考ももちろんある。

 それならば、分かるときが来るまで、世界の隙間で考えていよう。まだ、妖怪や亡霊にとっては生はとんでもなく長い。

「――はじめまして、そこにいらっしゃるのはどなたかしら?」

 そう。今日、彼女がその姿をこの幻想郷に移したことを知り、向かった先で紫は聞いた。

 笑顔で自分のことを忘れたことを告げられる悲しさは今日、充分に知ったのだ。

 紫にしてみれば、彼女は記憶を失っているも同然だ。しかし、富士見の娘はもういない。

 数時間前の言葉は、きっと《あの子》との決別の一歩だ。悲しんでいてもしょうがない。

 

「初めまして――私、幻想郷のスキマ妖怪で八雲紫と申しますわ」

 

 もちろん、いつもの余裕な表情など到底出来ていなかっただろう。

 でもあの子が変わってさえいなければ、またお茶やおしゃべりを楽しめる。きっと桜も、見られる。

 紫は思う。

 気分を変えよう、と。

 そして、いなくなってしまったあの子と自分のためにいつか、また出会った頃のように宴を設けようと。自分が何の躊躇いもなく、彼女と一緒に桜を見られる事があればその時に渡す、幻想郷の春と桜をたっぷり詰め込んだ桜色を作ろう、と考える。

 桜が咲く前に、春をその内に蓄えた枝から取り出して染めた、着物だ。良い考えに違いない。さっそく眠りが覚めたら、藍に伝えよう。

 幸い、幻想郷のあちこちにも好き勝手に桜の木はたくさんある。

 淡い桜色はさぞかしあの子に似合うだろう。

 脳裏にその華やかさを描きながら、紫は中途半端な温さを持った布団に突っ伏す。

 一日の大した時間も起きていないのに、今日はもう眠りたかった。

 眠る前の一瞬、春に不似合いな寒い風が僅かに空いた部屋の隙間に入り込む。逃げるように布団を被って、冷気から逃れた。

 埋もれるほど自分の周りは暖かく狭まる。閉じた世界は、弱った者にひたすら優しい。今はその恩恵にあずかろう。 眠ってしまえば、その間に世界は動く。そうしたならば、また自分は何処かにふらりと現れよう。スキマ妖怪なんだから、きっとそれがいい。幽々子が紫を気になる頃に、また訪ねよう。そうだ。今度は、茶菓子も忘れずに。

「――おやすみ」

 ぽつりと呟いた声が他の誰かに届く前に、布団は不思議な闇に包まれて、周りの空間ごとぐにゃりと歪む。八雲紫は、部屋の一部ごとどこかの世界に眠りに落ちていく。

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