彼女たちは、己の業を認められるのか―――
第35話「崩壊」
妖夢と依姫の刀のせめぎ合いが続く。力差はほぼなく、硬直が続く。
「ウウウ……!!」
依姫の目は完全に狂人と化している。見境なんてものはどこかに放り出しているようだ。依姫は妖夢に蹴りを入れて離そうとする。が、その足は動かなかった。見ると、萃香がいつの間にか両足をがっちりと押さえつけていた。
「おっと、ちょっと動かないでもらうよ」
依姫は振りほどこうとするが、萃香の細い腕からは想像できない強大な力には無力と化した。
「そこの剣士さん、どこまで抑えられるかい?」
萃香は余裕があるらしく、妖夢に声をかけてきた。
「あまり長くは…!」
妖夢がそう言いかけた時、3人の足元に結界が張り巡らされた。辺りを見ると、早苗がこちらに向けて手をかざしていた。
「2人もろともになるので効果は下がりますが…ないよりはマシになるはずです!」
早苗は結界の展開に集中している。その背を押した者がいた。
「おっと早苗、そこは私たちがいるだろう?」
神奈子と諏訪子が手を貸してくれた。
「殺す…殺す…!!」
依姫は動けないこの状態でも殺意の言葉を繰り返し続ける。彼女の目には、他の人が別人に見えているようだ。それが彼女にとっては拒絶する人物なのだろう。
一方、豊姫の方はリュウが抑えようとしていた。
「嫌だ…こっちに来ないでぇぇぇ!!」
豊姫の直情的な蹴りはリュウにとって簡単に見切れる攻撃、ひらりとかわして足を押さえる。
「よっと!」
勇儀が豊姫の腕を後ろに回して押さえつける。この体勢なら、豊姫は動けない。能力も近くに海も山もないので、逃げられることもない。豊姫はもがこうとするが、そこは流石の2人、身動きすらできない。
「触らないで!!」
豊姫も何かにおびえているように2人を突き放す言葉を連呼している。今豊姫の精神の状態は、おそらく依姫と同じだろう。
「薬ができたわ! 首元を狙うから、もう少しだけ耐えていて!」
永琳が走ってくる。まずは依姫の元だ。扇子が豊姫の手元にない今、凶刃に走る依姫の方が危険度は高い。
永琳は迷いなく依姫の横まで走り、注射器を首に刺してピストンを力強く押し込んだ。
「う…」
首元に精神安定剤を注入され、一気に効力が出たらしく、依姫はうつ伏せに倒れた。依姫が動かないのを確認すると、早苗が結界を解放した。
「…ふう…」
妖夢が一安心し、二本の刀を鞘に収める。どうやら依姫を抑えている間に手がしびれたらしく、手首を振っていた。
永琳は流れるように続けて豊姫の首に精神安定剤を注射する。豊姫にも効果覿面、あっという間に豊姫の意識が消え、力なくぐったりとなった。
「よっと…とりあえず安心だな」
勇儀が豊姫の腕を解放してやる。豊姫の体はリュウにのしかかるように倒れる。
「この言動…どうも何かトラウマを植え付けられたようなものだったな」
リュウは真剣な顔をしながら、サグメの方を向いた。彼女なら、何かを知っているだろうと考えたのだ。豊姫の扇子のことをいち早く知らせてくれたのはサグメ、これは明らかに綿月姉妹と関係が深い人物だとリュウは判断していた。
「…助かった…」
サグメはよろよろしながら永琳の元に向かう。
「サ、サグメ様!」
そこにいつの間にか起きていたレイセンがサグメの体を支えてやる。
「さて、情報をもらうわよ。あの様子じゃ、向こうでとんでもない目に遭っていたのはすぐ分かる事。包み隠さず、全てね」
霊夢がサグメに詰め寄る。今になっては、能力も何も関係がないだろう。そう判断したサグメは、自らの口で現地、月で起こった事を話し始めた。
「…その後、私は必死に3人の体を引きずりながら、逃げ続けた…途中であのOniに追われている事に気がつき、思い切って火事が起きている家の中に飛び込んだ。火の中を抜けた後、あのOniに追われていないことを確認してから、月の羽衣を使って地上に降り立った…」
サグメは治療室に戻りながら、ここで目覚めるまでの一巡の流れを話した。今話している事はもう過去の事、サグメの能力は無関係なせいか、サグメの口調は戸惑うことを知らなかった。
「なるほど…もう月の都は…」
聖が悲しそうな顔をする。今まで聞いたサグメの話を統合すれば、すぐに分かる事だが…
「…ああ。間違いなく壊滅しただろう。最悪、月の民も絶滅したかもしれない」
サグメは表情を一つ変えずに答えるが、その顔は明らかに沈んでおり、サグメ自身も綿月姉妹ほどではないが、心が折れかけているのが分かった。
「しかしこの情報だけではあの姉妹が狂気に走る理由が考えられませんね。あなたが来る前の、あの姉妹が戦い始める頃からの情報がないと判断できません」
華扇が腕を組みながら考え込む。サグメが知るのは綿月姉妹が狂オシキ鬼に敗れた後の事、その前の戦いについてはやはり戦った本人から聞くしかない。
「さっき打った精神安定剤の睡眠作用は一時的なもの。もうすぐ目覚めると思うのだけれど…」
永琳が綿月姉妹の寝顔を見る。まだ起きる気配がない、そう思っていると―――
「…う…」
依姫がわずかに目を開ける。その目は狂乱に走る目ではない。
―――が、次の瞬間、おぼろげだった依姫の目がカッと開いた。その目は再び戻っていた。
「あああああ!!」
依姫は目が覚めた瞬間、何を思ったか再び暴れ出した。そばにいた霊夢が手首をがっちりとつかみ、刀を握らせないようにする。
「落ち着きなさい、依姫!!」
永琳が大声を上げると、依姫はようやく静まった。
「…! 八意…様?」
依姫は永琳の顔を見てようやく落ち着きを取り戻した。
「!?」
豊姫は依姫と違い、ボーッとした所から我に返ったように目覚めた。
「豊姫様! 依姫様!」
レイセンがようやく正気に戻った綿月姉妹を見てほっとする。
「大丈夫か? もう、見分けはつくか?」
サグメが綿月姉妹の目を心配する。いつの間にか、依姫の目は元に戻っていた。永琳の大声か、それとも自我が戻ったか、それは定かではないが、とりあえずの安心はできる。
「く…何だか、長い悪夢を見ていたみたいだわ」
豊姫が頭を抱える。サグメの言葉と統合すると、あの狂気の時に見えていたのは―――
「…なるほど? 今さっきまで、師匠の顔すらあのOniに見えていたという事ね」
依姫は小さく首を縦に振った。その動きには、まだ穢れを持つ地上の人間に対する抵抗があるのがうかがい知れた。
「…っ…それより、私はどうしてここまで…」
依姫は狂オシキ鬼につけられた傷の痛みを覚えながら、自身の記憶を辿ろうとする。そうしていく内に、思い出していった。私は、あのOniを止めようとして…
そこから依姫は、自分の腕が震え始めている事に気がついた。私が…あのOniに恐怖している? そんな、そんな事は…
「その様子じゃ、ずいぶんとボロボロの結果になったようね」
レミリアが目をつぶって当時の状況を考えるように言う。その声に依姫はレミリアの顔を見た。そして、始めて気づいた。私は、この吸血鬼を知っている。
「…お前は…」
依姫がにらみつけると、レミリアは不敵な笑みを浮かべた。
「久しぶりね。もし今の異変がなかったら、あんたの事なんてすっかり忘れていた所だったわ」
フランは首をかしげる。彼女だけはレミリアが咲夜と一緒に月に行ったことを知らないからである。
「あの時はすまないな。正直、月の住人の力を見誤っていたからよ」
魔理沙が帽子で顔を隠しながらも笑顔を向ける。依姫は、次々とレミリアに会ったときに一緒にいた面々の顔を見た。
「…まさか私は、お前達に?」
依姫は信じられなかった。まさか、穢れを持った者に浄土に住む自分が助けられるなど、考えた事もなかったのだ。
「ほとんどはあんたの師匠にだけどね。今動けるのは私たちが探した薬草のおかげではあるのだけれど…」
霊夢は頭をかきながら言う。事実、綿月姉妹が生きているのは永琳のおかけだと言わざるを得ない。
「…監獄の罪人に助けられるとは…」
豊姫は自らの口で言ったことを後悔するようだった。こんな事、普通なら屈辱にしか思わないはずなのに、今はそれと何か相反する気持ちがぶつかり合って、素直になれなくなっている。明らかに拒むことも、感謝する事もできずに。
「…その話は別にするとして、聞かせてもらおうかしら。あのOniと戦った体験をね」
紫が強気に豊姫に詰め寄る。リュウという障害が、今いる人たちで完成した対抗策で崩せた以上、狂オシキ鬼の戦術が分かればその対抗策をさらに改造していけば打ち勝てる。その戦術を知るのは萃香と勇儀と綿月姉妹、その中で狂オシキ鬼の姿に異変があった以降で戦っているのは綿月姉妹だけだ。
だが綿月姉妹は紫の言葉に反応しない。その理由はすぐに分かった。
「…話したくない? でしょうね。でも話さないと、もう月の民はあんた達だけになるわよ? 向こうがどんな状態かは知らないけど」
霊夢がさらに追い打ちをかける。この場を譲る訳にはいかない。こちらも、地上の危機が迫りつつあるのだ。
「…もう隠しても無駄だ。話すしかないぞ」
サグメが静かに告げる。プライドや因縁は全て捨ててでも、話さなければ、全て滅ぶのは刻一刻と迫る。それを阻止するのは、もう穢れを持つ地上の人たちだけだ。
依姫の口は重く動き出した。ゆっくりと、あの戦いの全容を。所々の補足を豊姫がするが、豊姫の声もわずかに震えていた。
「……………」
全てを語った依姫は悔しそうな細目をしながら一同の目線からそれた。涙をこらえているのと同時に、まだ信用できない気持ちがにじみ出ていた。
「結局あなたたちは、あのOniが外の世界の者だとはこの場で聞くまで知らなかったのですね。確かに、情報がない中なので無理もありませんが…」
聖が冷静な分析をする。月の都が地上の情報を知らないのはもちろん無理はない。だがそれが今回の歴史的敗北につながったのだ。
「外の世界の者だろうが、穢れを持っているのは間違いなかった。いつものように処理しようとしていたんだが…」
依姫は後悔してもしきれない想いを持って、声に詰まりかけながらも言い切った。
「そのOniについてですが…私たちが初めて会ったときとは違って、より一層強くなっているように見て取れました。何か思い当たる事はありますか?」
さとりが空が気づいた狂オシキ鬼の変容を聞こうとすると、綿月姉妹はなぜか黙り込んだ。だがその相手が悪い。
「…あるようですね。では、失礼して…」
さとりが能力でその心理を読み取る。
「ふむ…どうやらあのOniと戦う前に、こんな事を言っていたようですね。『確かに力はあるようですね、でもここまでです』と。その言葉があのOniの怒りを買い、あの紙のようになったと」
いくら優秀な綿月姉妹でも、心を読む能力の前には無力なようだ。
「なるほどね。十中八九、こいつなら勝てるっていう確信があった訳ね。でもそれは…」
ぬえがにやりとしている。だいぶ筋が通ってきたようだ。
「地上の鬼だと思っていたから…そうですね?」
星が警戒するような目つきで綿月姉妹に言葉を突きつける。綿月姉妹は目に涙を浮かべていた。
「仕方ないでしょう!? 穢れが、私たちにとって極端に嫌っている以上、同じものとして処分するべきなのよ…!!」
豊姫が怒るように声を荒げる。だが涙は耐えられなかった。
「…こりゃちょっと駄目そうだね。まだ自分たちが負けたことを信じられないみたいだ」
萃香は首を横に振った。まだ、あのOniに負けたとは言いたくない。穢れを背負った者に、自分たち警護人が負けるなんて、それは月の都崩壊を意味するからだ。
そこにとどめの言葉を刺したのは、霊夢だった。
「残念だけど…あんた達も私たちも知らぬ間に見くびっていたのよ。外の世界の人間の力を…幻想を知らず、いつか尽きることになる命を持つ人間の底力を…」
霊夢の残酷であり現実を突きつける言葉に、綿月姉妹はただただ泣くしかなかった。
「………」
「うっ…ぐっ…」
必死に声を抑える豊姫と、耐えられず声を漏らす依姫。そこには、月の民としての威厳はどこかに捨てられ、人間のような脆い心を持った人間の姿をした宇宙人姉妹がいた。
しばらく治療室は綿月姉妹の泣き声だけになった。そこに魔理沙が口を挟んだ。
「落ち着かせてやろうぜ。これじゃ、明日にならないと泣き止みそうにないし」
魔理沙は足早に治療室を去って行った。
「…気分が冷めるわね。明日に延ばしましょう」
霊夢も治療室を去る。
「確かに、このモチベーションのままあのOniに挑むのは危険です。気を取り直して、明日にお願いしましょう」
華扇も冷静な目を綿月姉妹に向けながら去って行った。
紫は綿月姉妹に冷酷な選択を強要した。
「明日に返事をお願いするわ。私たちに協力して、月に連れて行ってくれるか、拒んで満月を待つか。残念だけど、あなた達が戦う権利はもうない。あのOniを怒らせたのなら、また会った瞬間に怒って手に負えなくなるだけ。その事も考えて検討しなさい」
紫はスキマを開き、藍と橙を連れて中に入っていった。残った者達も無言で治療室を去った。リュウだけは去り際に横目で綿月姉妹を見てから、去って行った。
治療室に残ったのは、てゐとうどんげ、輝夜と永琳だけだった。彼女たちは、止める言葉もなく無言で下を向いていた。
今まで一言も返さなかったサグメとレイセンは、沈んだ表情で綿月姉妹を見ていた。