命蓮寺も日常が変わっていく。
皆の意識だけでなく、ある人物も関わる事によって―――
第58話「帝王の心」
―命蓮寺―
朝の読経が日課の命蓮寺。その読経も終わり、各自がのんびりする―――というのが命蓮寺の日常である。だが殺意異変後、その日常は大きく変わった。日替わりでリュウの元で修行する者を変え、留守番を1人で任せるという生活様式に変わっていた。
「では、私達は人里に向かいます。寅丸、留守番を任せましたよ」
この日は、星が留守番を任されていた。
「はい。聖様も無理だけはなさらずに…」
星は人里へ向かう皆を見送った。そして誰もいないことを確認すると、誰もいない空めがけ拳を振りだした。
「ふっ! はっ!」
これは星自身にしか知らない自主的なトレーニングである。ただ1人で自分を追い込む、孤独な修行。リュウもあるときはこんな事をしていたのだろうと思い込むと、自然とやる気が出てくる。
だがこの日は、そのやる気よりも大きな存在がやってきた事で一変した。
星が1人拳を振るい続けること数十分後。流石に空めがけ拳を振り続けるのも疲労が伴う。星は汗を拭き、少しだけ休もうと座った。しかし座ってから間もなく、ザッザッという歩く音が近くなってきた。誰かが来る。星はすぐおもてなしの準備を始めた。
音のした方向を見る。その瞬間、星はぞっとした。
身長2メートル越えしているであろう巨体と、鍛え上げられた肉体。腹筋は見事に割れており、並大抵の攻撃ははね飛ばしてしまいそうなほどに堅そうだ。足も大きな上半身を支えるのに十分すぎるほど鍛え上げており、この足の蹴りは大木が一撃で折れてしまいそうだ。顔を見ると、右目に眼帯をしている。どうやら右目は失明しているようだ。
その大男の体で特に目を引くのは、太く腹に刻まれた傷跡だ。何かで切られてできた傷ではない。相当に強烈な衝撃を受けた傷跡だと、見た瞬間に分かるほどだった。
星の妖怪としての本能が警告した。彼を怒らせては危険だと。
そんな星の本能も知らずに、大男は星へ向かってきた。
「………」
大男は寡黙に口を閉ざしている。何か、自分が見定められているように星は感じた。そしてその大男から放たれる威圧感に、星は何も言えなかった。この威圧感、あのOniに勝るとも劣らないように星は感じた。自分よりも、何もかもが圧倒的だ。
「…この寺の主はどこだ?」
大男は静かにそう言ったが、星は小刻みに体を震わすだけで口が動かない。大男は腕を組んで返事を待っている。
「…どうした?」
大男は星が返事をしないのを気にしている。
「この寺の主はどこかと聞いているんだが…」
大男は目をつぶる。星の返答を心待ちにしているようだ。
「は、はいっ!」
星ははっと我に帰り、急いで思考を巡らせて返答の言葉を考えた。
「え、え~と、今、その寺の主というのは留守で…」
その結果は、おどおどしながらも主である聖がいないことを伝えるものだった。
「そうか。ではしばらくの間、ここで待っていても良いだろうか?」
大男は星の返事が遅いのを怒らず、穏やかに言ってきた。どうやら待たせたことがしゃくに触らなかったらしい。星はほっと胸をなで下ろした。
「粗末なものですが、お茶をどうぞ」
お茶の入れ方は聖から教わっている。ただ、今回は相手が相手、普段のお茶入れよりも緊張感が漂う。
「うむ。ありがたくいただくとしよう」
大男は何も疑わずお茶を飲み始める。星はまた胸をなで下ろした。しかし次の心配事が押し寄せてきて、つかの間だった。
とりあえずこの人の機嫌を損ねないようにはできたが、主である聖の帰りはまだかなり先の話、このままこの人を待たせ続けてはいけない。だが私一人では、その場しのぎも限界がある。誰かを呼びたいが、大男の素性が分からない今、寺を出るのは危険だ。
素性を知るとなると、まずは名前だ。
「あの…差し支えなければ、名前を教えてもらってもいいですか?」
星は大男に対する弱々しい警戒をしながらも、名を聞いた。
「サガットだ」
あっさりと答えた。あの貫禄からは想像できないほど、あっさりと。星は顔には出さなかったが、内心びっくりした。
「………」
サガットは星を見ている。何かを言いたそうなその目に、星の背筋が伸びた。
「名を聞いたのなら、そちらも名を名乗るのが流儀というものではないのか?」
サガットは目を緩め、お茶を飲む。星ははっとして自己紹介をした。
「寅丸 星か…その名、覚えておこう」
サガットはわずかに笑みを浮かべた。星はまた一つ安心した。が、サガットはその瞬間に右手を胸の大きな傷に当てた。苦しいような表情は浮かべていないが、痛みが走ったのだろうか。
「だ、大丈夫ですか?」
星が心配するが、心配無用とサガットが左手を前に出して星を静止させた。
「…大丈夫だ。この傷が悪い意味でうずいたことは、もう昔のことになっている。今になっては、良い意味でうずくある種のレーダーになっている。ここに友がいるというレーダーにな」
傷がうずいているのは良い意味だと言うサガットに、星は疑問を持った。傷の痛みが気にならないようにする『友』というのは誰だろうか?
「友? 誰か、知っている人がいるのですか?」
星が聞いてみると、とんでもない回答が返ってきた。
「リュウだ」
サガットが言った、たった4文字は星の頭の中全体で響き渡り、ある記憶と合致した。
「!! まさかその腹にある大きな傷は!」
星はすぐに思い返した。殺意異変中に聞いた、リュウの言葉を。
『俺の中に殺意の波動が目覚めるようになったのは、今は友と呼べる人との戦いの決着でだった…どちらが倒れてもおかしくない状況で、俺は昇龍拳を出し、勝った。だがそれは俺にとって『格闘家としての死ではなく人間としての生を選んだ』ことでもあった』
「やはり知っていたか。そう、これはリュウにつけられた傷…あいつの昇龍拳でつけられた、忘れてはならない傷だ」
サガットはまた胸の傷跡に右手を当てる。痛がる仕草は見せなかった。どこか少なからず、恨む節があるように思えるが、彼にそのような感情を持っているような素振りは一切なかった。現に、すぐ返答できるであろう質問を星に求め、なかなか返答しない星に対して怒りをあらわにする事はなかったのだから。
そうなると気になる事が頭に浮かんでくる。星はこれを聞いてもサガットの機嫌を損ねることはないだろうと星は聞いた。
「なら、どうしてここへ? リュウさんなら、今は人里だと思いますが…」
星はわずかにほおにしたたる汗を感じながら言う。
「ふ…気づいていなかったか? 俺が待っているのはお前なのだと」
サガットの言葉に、星はあっけにとられた。待っているのは…私?
「ま、まさか…私に用があって?」
星は自分を指さした。
「ようやく感づいたか。そうだ、俺の本当の目的はお前に会うこと。お前の事を紫から聞いてすぐに来たのだ。俺と同じ、虎と呼ばれている者がいることを聞いてな」
サガットはそう言いながら立ち上がり、腕を上げた。星に向けて鋭い目線を向ける。これは…戦いの構えだ。
「リュウから聞いたのだろう? 私もその影響を受けているからな。これ以上言葉は必要ない。お前が何者であるかは、戦えば分かる」
星はびくっとした。この人も、リュウの影響を大きく受けている。恨みとかはもう関係なしに。
「行くぞ」
誰も見たことのない構えを崩さず、サガットは一言だけ言った。
「は、はいっ!」
まるでトラのように鋭いサガットの目を見てわずかに震え上がりながらも、星も構えた。
「タイガーショット!」
仕掛けたのはサガット、両腕を大きく広げ、手を合わせた瞬間に燃えるような気の弾を撃ってきた。しかしサガットの身長が高いのもあって弾道が最初から高いところにある。星は冷静にしゃがんでかわす。弾は途中で弾道を変えることなく真っ直ぐ飛んでいった。
これだけならリュウの戦いと大差はない。だがその後が違った。
「タイガーショット!」
再び放たれるタイガーショット、しかしサガットはしゃがんでいた。これなら星のしゃがんだ体勢にも当たる。星は横に避けるしかない。しかししゃがんだ体勢では、横に素早く移動できない。致し方なく立ち上がり横に避けた。だが立ち上がったということは―――
「タイガーショット!」
タイガーショット3連発。3発目は再び立ち上がってのショットだ。星は立っているので、しゃがまなければ当たらない。
「タイガーショット!」
4発目。どんどん回転率が上がってくる。しかも下段だ。また立ち上がらなければならない。
(上と下を使い分けて撃ってくる…!)
飛びもうかつにできない。着地地点に弾があったら食らって体勢を崩すのが目に見えているからだ。だが接近するには回転率の上がった弾幕の中を突き進むしかない。その中で安全な策が『飛び』なのだ。地上では横に避けるのが精一杯なら、それしかないのもあるが。
星は弾を避けながら、サガットの体勢が低くなるときと自分のタイミングが合う時を待つ。それは『高め→低め』の1セットの3回目だった。
(今だ!)
星は自分の体の中にあるリズムと会った瞬間に飛び上がった、が。その時、サガットは弾を撃っていなかった。普通なら弾で相手が困っているなら撃ち続けて疲弊を誘うのが今後の展開を考えても良さそうだが、飛びが入る余地を入れられてしまえばその展開も塵に消える。それを心得ていたサガットは、完全に星の行動を読んでいたのだ。
「タイガーアッパーカット!!」
深く屈んで拳を真上に上げる。そのまま大ジャンプして星を吹っ飛ばした。バック宙をして体勢をきっちり整え着地する。星は背中から墜落した。
(だ、ダメだ! 接近にも一工夫しないと、あの人の懐に潜る事おろか、腕が届く位置まで近づけない!!)
必至に立ち上がろうとしながら、考えを巡らす。幸い、弾を撃ってこない。息を整えてから、策を―――
「タイガーニー!!」
だが星が大人しくしていると見るやいなや、サガットが、突然飛び膝蹴りをかましてきた。
「ぐっ!!」
サガットの膝蹴りは星のガードの上からぶつかり、星のガードを崩した。星の体が後ろにのけぞる。
「甘いぞ!」
サガットがミドルキックを星の腹に決める。突き放すような一撃が、星をさらに後退させる。今度はステップからのローキック、しゃがんでの右ストレート。サガットがやりたい放題になっている。星はガードができなかった。先ほどの飛び膝蹴りが腕をしびれさせてしまい、反応できなくなっているのだ。
(な、何とか一発をねじ込まなくては…!)
ガードができないこの状況、逆転するには反撃を入れるしかない。幸い、相手側から接近してくれた今、これ以上の反撃の機会はないだろう。
星はサガットの攻撃を体で受けながら無理矢理接近する。サガットの顔は揺るがない。接近に気づいていないか、動じていないのかは分からない。だが自分ができることは通じるはず。
「うああっ!」
星は体全体を左に振って右拳に勢いをつけてサガットの腹めがけ殴りつけた。
「ぬっ!!」
サガットがわずかに口を開ける。痛みが体に浸透したようだ。
(効いた!)
星は心の中で確信した。手応えもある。このまま、次の攻撃を―――
そう思った次の瞬間。
バギッ…!
嫌な音が響く。サガットが一瞬にして星の視界から消えていた。星がサガットの腹に右拳を打ち込んだのは、確かに効いていた。効いてはいたが、一瞬だった。サガットの強靱な肉体は、致命傷になるほどの痛みにさせないよう星の攻撃を耐えきっていたのだ。そして痛みがすぐ引いた瞬間、星の懐に潜り込んでアッパーをねじ込んだ。嫌な音の正体はそれだ。アッパーが、お返しとばかりに星の体に突き刺さっていた。
「うぐは…っ!」
「…ぬん!」
サガットがアッパーを振り切る。星の体が、力なくぐったりとしたまま宙に浮き上がり、そのまま落下していく。サガットは素早く星の落下地点に入り、無情のハイキックを決めた。
「タイガー…」
サガットは腕で顔を隠しながら踏ん張る。
「ディストラクション!!」
その足で強烈な膝蹴りを星に浴びせ、さらにアッパーカット、最後は気を纏った左拳のアッパーカットで星の体をはるか高くへと吹っ飛ばした。
「この帝王に一矢報いるとはな。基本の域は抜け出せていないが、見事なものだ」
サガットは表情を変えずに言った。汗一つかいていない。やはりあの攻撃は、あっという間に回復してしまうほど通じるまでには至っていなかった。
「だが、ガードが甘いな。このぐらいの攻撃、リュウなら易々とガードするぞ」
この言葉は、星の心に重しを載せるように星の脳裏に響いた。星は顔をうつむけた。
「…悔しいか? なら立ち上がれ! 強者とは敗北せぬ者ではない! 敗地から立ち上がる者だ!!」
サガットの激励に星は顔を上げた。彼はリュウとの戦いで敗北を知っている。自分も今、敗北を知った。この程度で立ち止まるようじゃ、リュウ愚か、誰にも追いつけやしない。なら―――
星は顔を上げ、サガットを見た。そしてその体に手を伸ばすように体を持ち上げた。
「さあ、早速始めるぞ。お前に必要なのは、技ではなく身体的な能力だ」
こうして、サガットと星の修行は命蓮寺の皆が帰ってくる夜近くまで続いた。サガットはそのまま命蓮寺に泊まることになり、聖達とも交流した。彼の精神に、命蓮寺組は触れながら過ごすこととなった―――