由々しき仲   作:tapi@shu

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第一話

 圧迫された日常から飛び出したい一心で、月村すずかは家を飛び出した。

 太陽の輝きで紫に光る髪は異常に綺麗だったが、雪よりも白い肌はあまりにも白すぎて不健康の印象を持たせてしまうほどである。家からろくに外に出させてもらえない弊害が、身体に現れてしまっているようだった。

 事実、彼女が外に出れる日は同年齢の5歳の子供よりも圧倒的に少ない。幼稚園や保育園に通うことをよしとされず、豪邸で専門の家庭教師を呼ぶことで、同年代の子達よりも少し進んだ学習をする毎日。

 その環境下、昔はそれが普通だと思っていたすずかだったが、唯一の趣味である小説を読むことにより、自分の目の前に広がっている世界が広いことに気付く。今までは広い家の敷地だけが世界だったのに、海や山、様々な人々が行き交う都市が、一歩踏み出した先に存在すると知って黙っていることがついには出来なくなった。

 すずかは家では非常に大人しい子だ。

 何をやるにも姉やメイドの許可をもらい、指示にはしっかりと従う。一見して大人びているように見える、日頃の生活態度は極めて、大人しく、自己主張の少ない女の子というイメージを回りに植えつけた。姉が姉の性格だっただけにより顕著に。その姉から言わせれば、すずかは他人に従順な性格であった。

 そのすずかが突然に家を飛び出すようなことをするなど、彼女を知る者には誰にも予想は出来ない行動である。

 色々な訪問客のための設備を彼女は、その人並み外れた身体能力で軽くいなし、聡明な頭脳を持っているがゆえに、監視カメラの目を潜りぬけ、彼女は奇跡的ながらも外出を成功させる。

 家からの脱出をしてすずかは静かに息を切らしながらも笑った。

 すずかは念願の外の世界への第一歩を踏み出すことが出来た。それが彼女に高揚感を与え、緊張と不安を吹き飛ばし、感情を更に高登らせた。

 しかし、結果的にはそれが失敗だった。

 高ぶった感情は限度を知らず、すずかはどんどんハイになっていく。

 すずかが今まで経験したことのない感情。自分の行動力を鰻登りに高めて行ってしまいそうなテンション。今なら何でもできるし、何をやろうとも歯止めが効かなくなりそうな、一種の感情の爆発だった。

 すずかが自分の暴走に気づいた時には、一人の少年と青年の間くらいの身長の男の首元に噛み付こうとしていたのだから。

 「あ、あ……ぅ」と、自分自身のした行動にうろたえた声を出しながら、すずかは自分の暴走を止めようとしたが、それは止まらない。むしろ、止めようと思えば思うほど、自身の歯が男の喉元へと近づいてしまっている。

 ただでさえ、屋敷を飛び足して家に帰れば、良い子だった自分が初めて怒られるだろう嫌な出来事が待っているのに、挙句には高ぶった感情で夜の一族として問題の行動を起こそうとしまっている──起こしてしまうようなことになれば、どうなるか分からない。

 それは、すずか自身のこともであるし、目の前の、血を吸ってしまった男性のことでもある。

 最悪でもすずかは怒られて出禁を言い渡され幽閉生活が待っているだけだろう。だが男は排除すらあり得る。夜の一族の秘密を知ったがために、秘密の隠蔽のための排除。

 すずかは幼いなりにも、そうなることが十分に予想が出来た。出来たがために、そうなってしまった場合は罪を、一人の男性の死を背負い込むことになる。

 自分が我侭を通さなければ、たった一回でも悪い子にならなければ、こんなことにならなかったのに。

 今にも血を吸ってしまいそうな最中、後悔の念に幼い心が押し潰されそうになったその時、予想外の言葉がすずかの耳に流れ込む。

「血って美味しいの?」

 とぼけたようで真面目な言葉に高低のない不思議な声。すずかの位置からは男の顔が見えないのでどんな表情をしているか分からなかったが、すずかは少なくとも自分が拍子抜けた顔をしていることは感じ取った。

(血が……美味しい?)

 訳の分からない言葉にその性格からか、真剣に悩み出すすずか。

 肯定も否定もできない言葉に首をちょこんと傾げながら、多少呆けた頭でぼんやりと悩み、結果としてん「うん」という肯定とも「ううん」という否定にも取れるような「う、うん?」と言葉を零した。

 零した言葉をどう捉えたかは分からないが、男性の反応は「そうか」とどこか納得して何度か頷いただけだった。

 すずかは男の答えに上手く答えられなかったことから、もう一度よく考え直そうとして、一つの事実と疑問に気付く。

 自分の吸血衝動が収まり、気分の高揚感が静まっていたことに。また、血を吸おうと襲われたのに男が全く怯えていないことに。

 吸血鬼。

 それは物語ではよく見かける人種、いや種族だ。

 彼らは基本的に人間に敵対的であり、人間の血を吸うことにより人を死に至らしたり、下僕へと変質させる。猟奇的な行動が多い彼らは、人間からすれば恐怖の対象でしか無い。

 そんな存在。

 すずかは自分がその空想上であるはずの一族と同族である。違いと言えば、今は例外を除いて人を殺すこと無く非常に慎ましく静かに暮らし生きていることだ。

 しかし、その事実を知る者はほぼいない。知っているのは身内のみなのが現状だった。そこに様々な理由が存在するが、ようするに吸血が人を襲わないという事実は公にされず、大衆の知っている事実──吸血鬼は危険な空想上の生き物というのが事実であり、常識であった。

 この男性はまだ血を吸われていない襲われたのだ。幼いとはいえ、吸血鬼の一族に。

 まさか、襲われたことを理解していないはずもあるまい。血を吸う直前には血が美味しいかなどと問うたのだから。

 だのに、目の前の男は恐怖を感じないどころか、すずかがいないかのように自分の世界へと入り込み、深く思考をしているように見える。

(どうして、平気なの?)

 想像していたのとは全く違う反応。

 すずかが恐れていたのはしてはいけないことをしただけでなく、してしまった相手に怖がられること。吸血鬼というだけで、怖がられ、怯えられ、避けられる。

 すずかが自身の姉から刷り込まれるように、言われ続けたことだ。

『すずか。絶対に、絶対に私たちの秘密を明かしちゃいけないよ? それは掟だからってだけじゃなくて、自分たちの心を保つためにも、ね。分かった?』

 姉にしては珍しく真剣に、ゆっくりと落ち着いた言い聞かせるような言葉。

 言葉の意味を理解し始めたのは最近で、そのきっかけもすずかの狭い世界を広げてくれた小説であった。

 その姉に何度も何度も言い聞かされていた事をやってしまったというのに、相手は平然としている。

(もしかして、お姉ちゃんの言っていたことは全部、嘘?)

 普段の姉ならありえなくもない話。けれど、言い聞かせる時だけは雰囲気から何から何まで真剣そのもの。言ってしまえば、別人のようであった。嘘とは到底思えない。

(なら、どうして?)

 分からない。怖い。

 眼の前の男が意味が分からなくてすずかが逆に恐怖を抱き出した。滅多に話さない男性というのも相乗効果を増す原因となった。

 すずかが困惑で精一杯になっていると、再び不思議な声がかかる。

「血は置いといて」

 ぼそっと聞こえた声に、すずかは全く反応出来なかった。

 男は続けて酷く言いづらそうに切り出した。

「お嬢さんでいいのかな?」

「え、え」

 思いがけない声に、すずかは言葉が上手く紡げない。

 必死に口から言葉を出そうとしても出るのは、「え」や「あ」といった単純な一字のみ。

「ああ、ごめん。知らない人に話しかけられたらそうなるよね。分かる分かる。でも、ちょっと困ったことに、俺は君の家を知らないんだ。必死に背中にしがみついてるみたいだし、外も暗くなりだしたからちゃんと家に送ってあげようと思ってるんだけど……」

 言葉だけは気さくだったが、感情がいまいち分からない平坦な声だったが、それでもすずかは言葉の節々に男の優しさが込められていることには気付くことが出来た。

 優しさは嬉しいし、家に送ってもらえることの親切心も理解できるのだが、家に帰ったら怒られるのが確定している身である。

 そのことを少し頭がよぎるだけで、すずかは帰りたくなくなり、ついつい「やだ……です」と我儘を言ってしまった。

 怒られるのも嫌だし、この自由がなくなるのも嫌だった。

 自分の感情を素直に口にしたら、気持ちがすっとして、今まで困惑してたのが嘘のように吹き飛んで、いつもの落ち着きが戻ってくる。同時に、今自分がどうしても家に帰りたくないことも理解した。

 男はすずかの言葉を聞くと、「そっか、やだ、か」と少し途方にくれたような、困ったような言葉を呟いた。本当に困っているようで、背中にしがみつくすずかに顔を向けて苦笑した。

「でも、帰らないとお母さんに怒られるよ?」

「お母さんは家に全然帰ってこないから、平気です」

「じゃあ、お父さんは?」

「お父さんも」

「う……なら、お姉さんは?」

「怒られるから帰りたくないです」

「でも、帰らないと──」

「いや、です」

「うわー、困ったな」

 すずかの精一杯の我侭だった。

 一生分の我侭かも知れないとすずかは思いながらも、ここぞとばかりに言うことにした。こんな機会、二度と訪れないのかもしれないのだから。

 男のうわーと嘆き似た言葉に、すずかはくすくすとどこか大人っぽく笑って、困っている男の頬をぷにっと弄って、自分に視線を注がせてから、

「なら、貴方の家に泊めてくれませんか?」

 自然な笑みですずかは男に向かって言った。

「……君、一体幾つよ」

 すずかの子供離れの行動に男は、はあと一つため息を残し、すずかを背負ったまま歩き出した。

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