由々しき仲   作:tapi@shu

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最終話

「どうして……ですか?」

 朱鳥の服を皺が出来るほどに必死に掴み、今にも涙が溢れてきそうな大きく丸い目が、朱鳥を見上げてきた。

 そのすずかの様子に、決意が危うく揺れそうになるがグッと踏みとどまる。

「なんでも何も、すずかだって知ってるだろ?」

 それ以降先の言葉は口にしなかった。口にすれば朱鳥の中の、何かが酷く傷ついてしまう。分かっていながらも目を逸らしたい現実、事実というやつだ。

 現実逃避。

 お馴染みの弱い男の逃げ道。

「まずい珈琲と紅茶のこと?」

(まずいは言わなくてもいいじゃないか……)

 しかし、小さな子供は無邪気にして無情。たとえ、涙目で可愛く小首を傾げたところで、その言葉はどんな針よりも鋭く、朱鳥の繊細な心などお構いなしに心を抉る。

 朱鳥も泣きたい気分になってきた。

「い、痛いです、頭」

「おおっと、すまない」

 会心の一撃を食らって、それでもなんとか朱鳥は表情には出さなかったが、すずかの頭の上においていた手に力がこもってしまったようだ。

 ごめんごめんと言いながら、腫れ物に触るように優しく撫でると、今度はすずかの服を握る手に力が逆に強まった。

「別に、いいじゃないですか」

 小さくて消えてしまいそうな声。

 彼女の心のなかがいっぱいいっぱいになってしまって、溢れこぼれてしまったモノ。

「飲み物がまずくてもいいです。私はそれでも飲みにきます」

 すずかの優しい本音。

 それを聞いて、さっきまで困った顔をしていた朱鳥の顔はほころんだ。

 身長だって自身の背丈の半分ほどもないほどちっちゃい少女が、年齢がまだ二桁にもなっていないような幼い子供が、これほどまでに親身になってくれる。本当の家族のようで嬉しかった。

「だからっ」

 行かないで、とすずかは視線で訴えてくる。片手で服を掴んでいたのが、両手で足元に抱きしめるようになり、更に強い意思表示も全身で表して。

 小さい子にこんな事をさせてると思うと、朱鳥も罪悪感が湧いてくる。なんだかいけないことをしているようだ。そう錯覚させられる。

 それでも、手に入れたチャンス──海外での勉強の機会を逃すわけには行かなかった。

「でもさ、すずかだって美味しい物が飲みたいだろ?」

「それは……そうですけど」

 すずかの手にこめられた力が僅かに緩む。

 結局、親が喫茶店営業をしている方の後輩に件の話をしたところ、喫茶店を営業しているご両親に紹介してもらえた。そこで喫茶店のノウハウを教えて貰う予定だったのだが、技術そのものを教わるなら知り合いに良い人がいると、またまた紹介して貰い海外へ行く切符を手にした。

「ずっと空けるわけじゃないんだよ。一年、たった一年だ」

「一年は短くないですっ」

 再び力が強まる。

「すずかって結構わがままだな」

「朱鳥お兄さんの前ではわがままでいるって決めましたから!」

 朱鳥の知らぬところで、決まっていたらしい。

 なんと面倒なと思う反面、子供ぽくて微笑ましいとも。

 ただ、根本的な解決にはならず、どうしたものかと朱鳥は頭をひねる。数刻とお互いに無言の時間が続くと、緊張感に耐えられなくなってしまったのかすずかがか細い声をあげる。

「朱鳥お兄さんがいなくなるのは嫌です。嫌……でも、それでも行っちゃうなら……」

「行っちゃうなら?」

「カギをください」

「か、鍵?」

 意表を突かれた言葉に、声が上擦った。

「はい、そうしたら朱鳥お兄さんが居なくても、いつでもここに来れますから」

 朱鳥は返答に困った。

 鍵を渡すのは難しいことではない。すずかが自分の留守の間に、家に訪れるのも別に問題はないのだが、調理場には包丁を始めとした幼い子が危ないものがある。すずかは幼いが、そこかしこに賢さが目立つ頭の良い子だ。大事にはならないのは考えなくても分かるものだが。

「それは俺の判断にあまるな」

「そう……ですか」

 すずかは、肩を落とし目に見えてしょぼくれてしまう。

「すずかのお姉ちゃんがいいって言えば問題ないとは思うよ」

 フォローのつもりでもなく、単なる事実として告げると、すずかは目を輝かせて『本当に!?』と何度も聞き返してくる。朱鳥はそれに聞かれた分だけ、本当だと教える度に、すずかの顔に笑顔が咲いた。

 これでなんとか駄々をこねるすずかへの説得もなんとかなったと一安心するも、依然服を掴む手の硬さは変わらない。

「もう1つ、あと1つだけわがままを言ってもいいですか?」

 朱鳥がはあとため息を付くだけですずかの体はビクッと動き、こわごわと顔を上げる。

「ご、ごめんなさい。わがままばかり言って……」

「まったく、しょうがないな」

 適当にすずかの頭を撫でると、すずかはきょとんとした顔をする。

 朱鳥はそんなすずかの表情を軽く笑うと、腰を折ってすずかと視線を合わせた。

「わがまま言って、ここを空けるって言ってるのは俺だから。人のわがままも聞いてやらないと、な?」

(まあ、子供のわがままなんて可愛いものだろうし)

 朱鳥の言葉の意味に気づいたすずかは、みるみる表情をゆるめる。

「あ、そ、そうです! 朱鳥お兄さんがわがままを言ったんだから、私のわがままももっと、もーーっと聞かなくなくちゃいけないんですっ」

「それは困ったな。それで、すずかのもう1つわがままって何かな?」

「はい、もう少しこのままの姿勢でいてください」

 何を意味するのかは分からなかったが、朱鳥は言われたとおりにしゃがんだ状態で待つ。

 すずかが二度三度、きょろきょろと周りを見渡し、息を深く吸い込むと、「えいっ」と可愛らしい声と一緒に、頬に柔らかい感触が訪れた。

 今度は朱鳥が目を丸くしてすずかを見ると、大人の女性顔負けの男性を魅了するような笑みを浮かべている。

「約束です。必ず、帰ってきてくださいね」

 朱鳥を縛る呪いの言葉を解き放った。

 

◆  ◆  ◆

 

 それについて具体的に何故かと聞かれると、すずかは上手く表現する方法を知らなかった。

 聞かれた内容とは、すずかが友人たちに時々話す中川朱鳥との関係について。

 今日は朝からニヤついていたから余計に、目に止まってしまったのかもしれない。でも、それは仕方ないこと、今日は待ちに待った日。これからのことを考えると、自然と頬が緩んでしまうというもの。

「だって、気になるわよ!」

 語尾を強めにして発したのは、日本人とは到底思えない綺麗な金髪に少しつり目な瞳がますます勝気な印象を醸し出している初めての友達の一人。

 どうやら彼女は、自分の友人と全く知らないどこぞの男のことがよほど気になるらしい。頭の良い彼女だから、それが単なる興味なのか、それとも別の意味からか聞いてきているのかはすずかには分からなかった。

「うん! 実は私もずっと気になってたんだ!」

 目を輝かさせて人懐っこそうな笑みを浮かべて、好奇心を隠さずに尋ねるのは、この学校での友達を作るきっかけをくれたもう一人の友達。

 彼女のそれはとても分かりやすく、すずかが話す人物に興味津々なだけのようだ。

 友人たちの視線を一身に集め、苦笑いをする。

 どう話すべきか。大切な友人たちにはいっその事、ありのままに全てを伝えてしまうか。

 自分のわがままをきっかけとして彼と出会った事、一族の掟を反しないために姉との秘密の約束。彼が気にしている飲み物の味やあることないこと。

 それを話すのはとても楽しいことだろう。

 しばらくはすぐに会うことも出来なくなっていた彼を想いながら、彼について話せば身近に感じることが出来るかもしれない。

 きっと、幸せな気分になれるはずだ。

「人に話すほどの関係じゃないから」

 苦笑いをしながら出た言葉は、結局彼については話さないことを暗喩するもの。

(それに秘密の関係ってなんだか……)

 表情が崩れてしまいそうな顔を、別になんでもないかのように言って、必死に隠す。

「むー、怪しい!」

 机に手をつけて身を乗り上げて、つり目の彼女は訝しんでくる。

 彼女の強引さはいつもことだ。

 友達思いが故に、こういう態度をとってしまうことをまだ一年も経っていない付き合いだが、すずかはよく理解していた。分かりやすい、けれども分かりにくい、そんな勘違いされやすい優しい彼女の性格を。

「あ、今日は用事があるから先に帰るね!」

「ああ! 逃げたわねー!」

 「またねー」と流れるように別れの挨拶をしてから、聞こえてきた彼女のその叫びは、すずかにとって実に心地良い物だった。

 すずかの小学校に入ってから出来た二人の友人にも、その存在を全く知られていない中川朱鳥という人物。名前はおろか、年齢性別すらもすずかは話してはいなかった。何気なく会話の中で出してしまったり、ふとした拍子に意識してしまったことが多々あったせいか、友人たちは何かしらの関係があると思われてしまっていたようだ。

 すずかにだっていつまでも彼女たちに隠し通すつもりではない。いつかは大々的に打ち明けて、自慢の人を紹介する腹づもりなのだ。

 しかし、それは事態が決定的になってからでもいい事。

(二人に話すのが楽しみだなあ)

 幸せな未来図を予想しながらも、すずかの歩は止まらない。一目散にある場所へと進んでいく。

 目的地点は住宅街の一角に、喫茶ナカガワと看板を掲げた喫茶店。入り口の自動ドアには、『OPEN』の小さな木製の板が吊られている。

 長らく見ることのなかったその文字を見ただけで、すずかの心臓は活発に動き始める。後一歩踏み出すだけで、自動ドアが反応してお店の中に入ることは出来る。けれども、すずかはそのギリギリの一歩前で、大きく深呼吸をした。

 そして、一歩を踏み出す。

「いらっしゃいま──」

 ドアが開くと同時に、カランコロンと入店を知らせる音がなり、音に気付いた店主がお決まりのセリフを言うその前に、すずかは持てる力のすべてを振り絞って、駆けて、飛んだ。

 カウンター席を大きく乗り越えて、彼の胸へと迷いなく飛び込む。

「おかえりなさいっ」

 

 

 これは幼い少女の物語。

 胸にはまだ兄としての愛情が満ち、所々では小さな恋の火がちらつき始めていた。

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