―― 松山進 ――
『噂の刑事トミーとマツ』
腹にこもるドラムに神経質なトランペットの調べが重なって流れる。スマホにセットした朝のアラームだ。
起きて曲を止めようとするが、なんだか体が重い。寝返りを打とうとしても体が、というか腹が重くて動かない。
これって、いわゆる金縛りか? まさか、目を開けたら幽霊が……しかし、歴史の浅いIS学園に幽霊? ……て言うかもう朝だぞ?
俺はそうっとまぶたを開いた。
「……本音、どきなさい」
お前が乗ってたのか! そりゃ重いよ!!
「うゅぅ~あと少しだけ~」
本音が俺の上から抱きつき、俺の胸のあたりに頭が乗っかっている。俺は抱き枕か?
「だぁ~もう!」
腹上の本音を抱えてベッドに降ろすと、俺は机上のスマホ画面に指を滑らせ〝フレンチ・コネクションのテーマ〟を止めた。
ったく、昨夜は隣りのベッドで寝てたはずが、いつの間にやらのしかかられるとは。俺より本音のほうがよっぽど油断できんぞ。
……本音のやつ、俺が何かするとはまったく考えてないのかな。
「ほれ起きろ。もう朝だぞ」
本音の肩を揺らす。
「にゅうぅ~」
ころころと器用にベッドを俺の方に転がると、ぎゅ~と腰にくっついてまた寝息をたててしまう。
「しゃあないなあ。本音、食堂に行ったらデザート奢ってやるぞ」
「ほんと!?」
即座に起き上がった。現金だなあ。でも許してしまう。
入学前にくらべると、俺もずいぶん甘くなった。
「はやく行こう! あ、着替えるからこっち見ちゃダメだよ~」
本音がタタッと自分のパーティションに駆け戻り間仕切りを引き出すのを見届けると、俺もさっさと着替えと登校の準備を始めた。
さて今日は例のうさんくさい転校生その1、シャルル・デュノア君の初登校日だ。果たしてどんな野郎が来るのやら?
「ちょっと本音! 昨日は空気読んで何も聞かずに退散したんだから、今日はデートで何があったか詳しく教えなさいよね!?」
「そうよ! あなたと音羽くんだけでしょ? この学園でカップル成立させてるの! 昨日の音羽くんとのデートを何もかも洗いざらい白状なさい!? さあさあ!!」
「彼氏作るのが絶望的といわれたIS学園で、一月足らずの内にラブラブカップルになるなんて! 本音……恐ろしい子!!」
本音はさっきまでの眠気が嘘のようにデザートデザートと飛び跳ねるように歩いていたが、食堂へ着いた途端に谷本さん達に引っ張られて、クラスの女子一同が集まる人だかりのテーブルに引きずられていった。あ~あ、一緒に朝飯食いたかったのになぁ。
「よっ三治! おはよう、となり良いか?」
食堂ど真ん中のテーブルで質問責めに遭っている本音を遠く眺めて手近な席につくと、朝から元気に爽やかイケメン君が現れた。
……が、一夏が近寄る前に俺の方も凄い勢いで駆け寄ってきた箒たち3人に囲まれてしまった。
「三治ーっ! 昨日本音と、で、でーとしたというのは本当かっ!?」
「本音にアンタから誘ったって聞いたけどマジ!? どんな風に誘ったのよっ!」
「ぜ、是非とも、後学のために詳しい話をお伺いしたいですわ! それも早急に!!」
俺はこいつらかよ……本当に、もうちょっと本音とまったり過ごしたかった。
「ほセ鈴トリオか……せめて朝食の後にしてくれ」
俺の茶化した返事にひとり一夏だけが笑った。
「あははは、箒とセシリアと鈴でほセ鈴か、相変わらず三治は面白いな! よし、おれも負けてられないぞ。えーと……」
一夏がしょうもない事で感心し、下らん事に頼りない頭脳をフル回転させ始めた。どうせ一夏のギャグはいつだって寒い。
「誰がほセ鈴トリオだ!?」
「勝手にひとまとめにしないでくれる!?」
「そんなもの結成した憶えは御座いませんわっ!」
即座に三人が俺にツッコミを入れた。
そのトリオの最重要目標はいいテンポだなあと呑気に感想を述べていた。一夏が当事者意識を持つのはいつの日か。
「ほセ鈴は嫌か……じゃあ、てんぷくトリオで」
「一夏。私がそんなにおかしいか……?」
「あたしがこんなに必死なのに……」
「これほど乙女心に無頓着でいらっしゃるとは、少々お仕置きが必要ですわね……」
揃いも揃って暗く沈んだ瞳で一夏を見つめ、三者三様の呪詛の言葉を吐く。漂う不穏な空気もまるで一緒だ。やっぱトリオじゃん。
「あはは……あ、悪い、ついおかしくてさ。悪気はなかっ――お、おい? まだ朝メシの途中――」
3人に引きずられ一夏も一緒に舞台を降りた。今日は一人で朝食だ。さびしいなあ。
あいつらも成長してるとは思うんだけどな、恋愛関係以外は。チラリと一夏をドナドナする3人の方を見やる。やはりいつも通りだった。
進歩がない。なさ過ぎる。下手するとあいつらは卒業まであの調子かもしれない。
日英中の美少女による怨嗟の声と本校唯一の美少年が上げる悲鳴を聞き流し、俺は焼き魚定食をおいしく完食した後、ようやく質問攻めから開放された本音と一緒にいつもの鉄拳制裁轟く食堂を後にした。
「なんで置いて行くんだよお! あの後千冬姉まで来て大変だったんだぞ!? たまには助けてくれよ!!」
俺と本音がクラスメートらと談笑している所に一夏が現れたのは、もうSHRまで5分もない頃だった。
「そればっかりはなあ。まあ一夏かあいつらが精神的に成長するまで我慢だな」
当分変わらんかもしれんがな、という最後の一言は声に出さない。
「いじわる言うなよ! なんか三治は箒たちとの事だけおれに冷たいぞ!? おかしくないか? もう少しヒントをくれよ!」
文句を垂れながらどすんと席に着く。またタンコブを頭につくったのだろう。後からてんぷくトリオも頭を押さえつつ教室に入ってきた。
「それじゃ、そろそろ席に戻るね~」
俺の机に腰掛けていた本音がぴょんと飛び降り、それを切っ掛けに他の女子たちもそれぞれの席に散っていく。
と、皆がむこうを向いたスキに、一瞬で振り返った本音がぎゅっと抱きついた。俺が反応する暇もない。本音の髪から良い香りがし、一瞬首筋にかすかに柔らかく暖かい感触がする……。
「えへへ、あとでね~」
すぐにすっと離れると余り袖をパタパタ振り、鼓動が早くなった俺と目が点の一夏を残して足早に離れていった……。
が、突然の早業を偶然目にしたのは一夏だけではなかった。誰かなんて言うまでもない。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
いまだに自分の教室に戻らない鈴がわめいた。
「そ、そもそも何であんたたちはそんなに自然にキ、え~と、は、ハグとかできるのよ!?」
なにも大声で言わなくてもいいだろ!? せっかく本音が見つからないようその、こ、こっそりしたのに。
「ま、まあ今はいいだろそれは。それより今日は転校生が――」
「そんな事はどうでもいい!」
俺の声をさえぎって箒が怒鳴った。やたら鋭い表情に思わず引いてしまう。
「そうですわ! 今は遥かに重要な議題が御座います!!」
ライバルの怒号に勢いを得たセシリアの強弁が重なる。こいつも顔が必死だ。
「こんな短期間にそんなに親密になるなんて、一体どんな秘密があるの!? 隠してないで教えてくれてもいいでしょ!」
鈴はいい加減自分のクラスに帰れ。また織斑先生に怒られても知らんからな。
いつの間にかまた俺が箒たちに囲まれていた。普段に輪をかけた騒ぎっぷりに席に着いた皆の視線が集中する。
「なにとぞ、なにとぞその極意についてご教授くださいませ!!」
「どうすれば私と一夏も、三治と本音のようになれるのだ!?」
「そうだぞ! おれもちゃんと三治とハグしたいんだぞ!!」
「ま、まあ落ち着いて――え?」
今なんか混じらなかった?
「なんでのほほんさんは良くておれはダメなんだよ? おれたち親友だろ? ハグくらいしていいよな!?」
そらきたとばかりにクラス中の女子から黄色い歓声が巻き起こる。金切り声に鼓膜が破れそうだ!
「……あのなぁ。そんなに誰かを抱きしめたけりゃ、今ここに美人が3人もいるだろ?」
両手で耳を塞ぎ俺を囲んだトライアングルを身振りで示すと、てんぷくトリオも顔を真っ赤にしつつ大きくうなずいて口々に同意の言葉を口にした。
しかし彼女らの旗色は悪い。
「言ってる事がおかしいだろ三治! だいたいおれが箒たちを抱くより、まず三治がおれを抱くべきじゃないか?! おれまだ一度も抱いてもらって無いんだぞ! あっ、ちょうどよかった千冬姉! 何とか言ってやってくれよ!!」
「でえーっ!?」
思わず振り返ると、そこには居た。全身に矢を受けた武蔵棒弁慶のように立ち尽くす、顔面蒼白の織斑先生が。
とたんに鈴が一夏に声をかける間もなく教室を飛び出していった。
「なあ千冬姉! おれも三治を抱いていいよな? 三治はのほほんさんとばっかりでさ、おれは一度も抱いてくれないんだぜ!? おれだって抱いていいだろ?」
担任は血の気の引いた顔で仁王立ちしたままだ……ん? まさかこれって……
織斑先生、完全に一夏の言葉の意味取り違えてるだろ!? 一夏の言う〝抱く〟がエロい意味に聞こえてるって!!
「あ~分かった! 一夏はハグしたいんだよな! そうだな!? 抱くってそういう意味だよな!? 俺とハグしたいだけなんだよな!?」
慌てて大声で取り繕う。昔っから一夏はこんなんだったのか? そりゃ男子の友達できんわ!!
「そうだよ! 他の意味なんてないだろ?」
固唾を呑んで担任に向き直ると、少し間を置いて深い深いため息をつき、明らかに不機嫌な様子で教室に入ってきた。ほんと、一夏との会話は一歩間違えると誤解で社会的に死ぬ!
俺が荒い息を吐いて机にもたれかかると山田先生が入ってきた。さっきまでのやり取りが聞こえなかったのか、担任とは対照的にニコニコしながら教壇に立つ。
「え~本日は転校生を紹介します! どうぞ、入ってくださいね」
いよいよ例の転校生のご登場だ。もうそんなんどうでもいい気分だけどな。
工作員としての危険性も気になるが、俺としては女子達がどんな反応をするかも興味があった。今は男子二人でイケメンは一夏ひとり、そこへおそらくは白人であろう男子の転校生がやってくる。まぁたぶん俺よりは美形だ。現在一夏に夢中の3人を始め学園中の女性陣がどう出るか?
コレで他のイケメンになびくようなら、一夏への想いもその程度。あいつも身軽になるってもんだ。まあ、あのトリオは変わらんと思うが。
はたして、俺たちの前に現れたのは――。
「シャルル・デュノアです。こちらにボクと同じ境遇の方が居ると聞いて――」
まさに金髪碧眼の美少年、女子にとっての白馬の王子様願望を実体化させたような奴だった。
「お、男! 男子だわ!!」
「美少年! しかも金髪! 完璧だわ!!」
「BL! リアルBLよ! 織斑くんと白人美少年の夢のリアル薄い本!!」
「急いでネームを描かなくちゃ! 今年のビッグサイトは熱くなるわよ!!」
またもや凄まじい女子の歓声に耳を塞ぎ顔をしかめた。一部ヤバい内容も混じってるし。
しかし、みんな見て分からんのか?
こいつどう見ても女子じゃねえか!
それともアレか? こいつは性同一性障害で、体は女だけど心は男だから、男子としての転入なのか? そんなら最初に俺ら男子だけにでも言っとくべきだよな?
いずれにせよ、優しげな顔つき、線の細い丸みを帯びた体形、声のキーが高い、のど仏を隠すようなハイネックの制服……最前席の俺の目と鼻の先で自己紹介をしたブロンドの貴公子は、どっからどう見たって胸を平らにした美少女だった。貧乳なだけかもしれんが。
ようやく落ち着いたらしい織斑先生を見ると、若干疲れた顔で〝何も言うな〟と小声で呟いた。何も言うなって、どうすんのこいつ? ……マジでどうしたもんかな。
「やったな三治、これで男子も3人だぜ! 楽しくなるなあ!」
後ろの一夏もご満悦だ。ほんとにあいつが男なら良かったのにな……てかお前の目も節穴かよ。
「静かに! 本日はこれよりIS実習となる。全員ISスーツで第2アリーナに移動しろ!」
ようやくメンタルが回復したのか度を越す喧騒にキレたのか、担任の怒号……じゃなくて一喝が教室を静めた。
「みなさんすぐにアリーナに移動を開始して下さぁい! あ、デュノアくんは男子ですので、音羽くんと織斑くんが更衣室まで案内してあげてくださいね」
ブリュンヒルデの大声にひるみつつ生徒に指示を与える山田先生も、だんだんこのクラスのありように慣れてきたらしい。以前だったらあたふたしてたと思うし。
「シャルル、三治、早く行こうぜ!」
転校生の挨拶を聞き流しその手を取ると、一夏は俺に一声かけて走り出した。いきなり手を握られ慌てるシャルルにもお構いなしなのがこいつらしい。
「遅れるとブリュンヒルデが激怒するからな、男子はアリーナの更衣室で着替えなきゃいかんから急ぐんだ」
急ぎ説明しながら目的地へ向かう。あちこちのクラスから熱っぽい視線があふれるが、授業中なので流石に追っては来られなかった。
「あれ? シャルルは着替えないのか? 急がないとヤバいぞ」
俺が力任せに上半身のISスーツを引きずり込んでいると、素っ裸で着替えようとしている一夏が声を上げた。ちょっとは隠せ。
「うっ、うん! 着替えるよ! 着替えるからその……あっち向いてて」
案の定だ。シャルルは不自然に顔を赤くして目をそらしがちに所在無げにしている。
「なんでだよ? 三治はいつも俺の前で着替えるぞ?」
「そりゃ一夏が目の前で着替えろってうるさいからだろ。俺は別に男の裸見ても見られても嬉しくないっつうの」
俺は自称男子から見えないようにロッカーの戸の陰で下を着替え……あーくそきつい! こんなん毎度履いてられっかよ! エガちゃんごっこでもしろってのか!?
「あはは。つらそうだな三治! 手伝おうか?」
今それ所じゃねえっつうか手伝ってほしくねえ。
「俺はいいよ! それよりシャルルを手伝ってやれ。時間なくなるぞ」
必死でずりあげる俺の死角から息を飲む気配が伝わった。
「ボ、ボクはいいよ! 自分でやるから! 向こう向いてよ!? お願い!!」
「遠慮するなよ! 数少ない男子同士協力し合わないとな!」
まだ下を履いてない一夏に後ずさるシャルル! 息詰まる攻防!! 俺は着替え終わった。
「キャッ! いいってば! あっち行ってよ!!」
そりゃシャルルも引くだろ。今の一夏はエガちゃん越えてイチカ100%だ。
「そんな邪険にしなくてもいいだろ? 同じ男同士じゃないか」
「ううっ……」
転校早々に半泣きだ。すぐばれる嘘をつくからこうなる。まあちょっと意地悪が過ぎたし、二人が遅れて連帯責任だとか担任が言い出しても嫌なので助け舟を出した。
「一夏、今日は転校初日なんだしシャルルも緊張してるんだろ。好きに着替えさせて、一夏も自分が急いだほうがいいぞ。いつも下は引っかかるとか言って時間かかるだろ?」
「えっ、下がひっかかる!?」
「分かったよ、千冬姉に怒られるとマズいしなあ。シャルルに初日からカッコ悪いとこ見せたくねーしな!」
今十分カッコ悪いわ!
俺たちの視線がそれるとようやく金髪美少年(笑)も着替えを始めた様子だった。どうやら遅れずにすみそう――
「今度からはちゃんと裸で3人で着替えようぜ! 約束だぞ?」
「そういうのもういいから早くしろ」
男子100%やるぐらいなら男子2:50のがまだマシだわ。ドーン!!
授業のしょっぱな山田先生は初めて専用機を披露したものの、現れた途端一夏にぶつかるギリギリで緊急停止してヒヤリとさせられた。本当に元代表候補かよと眉をしかめたものの、その後シャルルの解説で始まった模擬戦でセシリアと鈴を同時に相手取る腕前は大したものだった。さすがに織斑先生のクラスで副担任を務めるだけの事はある。
10分足らずで専用機持ち二人がリタイアさせられるまでを観戦した後、専用機持ちが指導役になって1、2組の生徒を訓練機で指導することになった。織斑先生は全体の指揮だが、手が足りないので山田先生も専用機持ちの側に回った。
「一夏とシャルルは希望者が多すぎるし、セシリアと鈴は機嫌悪いから山田先生にお願いするか」
「ん、そうだね~さっきも二人相手に凄かったし~」
同意する前に、本音はなぜかチラッと俺の顔をうかがったように見えた。
「当たり前だけど、山田先生結構強いんだなあ」
声が聞こえたのか、ちょっと胸を張って誇らしげな山田先生。たわわが揺れる。股間のラインがモロに出るISスーツ姿の俺には危険である。
俺と本音が列の最後尾に並ぶと、2組の女子達が食いついてきた。
「ねえねえ、二人って付き合ってるんでしょ!?」
「どうなの!? どこまで進んだの?」
キッチリ他のクラスまで伝わってるのか……女子だらけだもんなぁ。
質問攻めは俺が訓練機で歩行し始めるまで続いた。
「おつかれさま~どう? もう単純動作は慣れた~?」
本音の声に振り返ると、その頭越しに箒が一夏の白式にお姫様抱っこされて訓練機に乗せられるのが見えた。さらに歯ぎしりするセシリアと鈴も。
模擬戦で山田先生に負けた上にこんなん見せ付けられちゃあ、あの二人は荒れるなあ。
「あ~! もしかしておとーさんもお姫様抱っこして欲しいの~?」
「え! 音羽くんもして欲しいんですか!? だ、ダメですよ! そんな不必要に……でっでもどうしてもって言われたら、私ええとその――」
「いりませんって! そんなつもりは無いです!」
俺がピシャリと言い切ると、本音と山田先生はホッとしたようなガッカリしたような妙な表情をした。
「……どうしてこいつらまで居るのだ?」
陽光が照らすうららかな昼休みの屋上。おかんむりの箒は車座で弁当を囲む俺たちに不満を隠さず訴えた。
「だって、大勢で食べた方がうまいだろ? それにシャルルは転校初日なんだし、仲良くしてやろうぜ!」
「うぬぅ、それはそうだが……くっ」
歯ぎしりしそうな顔の箒に対し、鈴とセシリアはIS訓練の時とうって変わって余裕の笑顔だ。二人とも手元にはそれぞれ大きな包みとバスケット。どうやら二人してタイミング良く弁当を作ってきたらしい。
一夏に屋上で一緒に飯食おうぜと言われて購買のパン片手に来てみれば、いつものメンバーが揃い踏み。実際は箒が一夏だけ呼んだつもりが、一夏が他を呼び寄せたという所か。女子が一夏と二人きりになるのは、いまだ至難の業だ。
無理もないが、一夏の隣に座るシャルルは居心地悪そうだ。そのさらに隣りにいる俺に囁きかけてきた。
〝ねえ、ボクたち来て良かったのかな?〟
〝いつものことだ。気にし過ぎると男装がばれるぞ〟
〝そうなんだ、気をつけ……えっ!? 今なんて言ったの?〟
俺は知らん顔して焼きそばパンをパクついた。
「このパンおいしいよ! また買おう」
本音はスライスしたフルーツと生クリームたっぷりの菓子パンを食べてご満悦だ。一夏は箒の弁当と鈴の酢豚をもらうまでは機嫌が良かったが、セシリアのサンドイッチをかじった途端顔色が悪くなった。いつの間にか俺と本音に配られた分は目の前から消え、本音の小さな手が一夏の紙皿に二つのおかわりを重ねている。助かった、要領いいな本音は。
「あ、あはは……どうしようコレ」
一夏が辛い表情を噛み殺して無理やり『セシリアの作った何か』を飲み下すのをチラチラ見ながら、同じものを手にしたシャルルくんは困り果てた顔で俺を見た……。
「三治! 今日は三人で帰ろうぜ」
一夏のターンは放課後も続いた。男子が増えたと喜ぶこやつは、今日こそは女抜きで過ごしたくて俺を入れた3人で行動したがった。残念ながら本音との時間はおあずけである。残念ながら。
「またね~あとでお菓子買ってくから~」
「また買いすぎるなよ」
「お菓子くらいあたしたちが買ってあげるわよ、さあ、キリキリ喋りなさいよ本音! 今日は根掘り葉掘り聞き出すんだから」
俺が離れたとたん、本音の姿がまた女子達に囲まれて見えなくなった。どんだけ恋バナ聞きたいの君ら?
本音のことだから俺と相部屋の事までは言わないと思うが、何を話しているのかだんだん気になってきた。また変な噂が立たないだろうな?
一夏だけやたら元気な寮への帰り道。今日は色々あったものの、シャルルの奴も大分リラックスしたらしい。俺にはちょっと警戒しているようだが。まあ弱みに突っ込んだし当然か。
「どうだシャルル、学校には慣れてきたか? 分からない事があったら何でも聞いてくれよな! あ、でも勉強の事はおれじゃなく三治に頼むぜ?」
「俺だってそんなにわかんねえよ」
「あははは。やっぱり二人は仲が良いんだね」
ようやくシャルルが屈託のない笑顔を見せた。まあ俺のせいで疑心暗鬼になりかけたのもあるけど、一夏の周りはアクの強いキャラが集まっている事を理解してくれただろう。
「そりゃそうさ、親友だもんな。な、三治!」
「お、そうだな」
「そう言えばずっと気になってたんだけど、なんで三治だけ黒い制服なの? 何か事情があるのかな? なんだか、どこかで見たような気がするんだけど……なんだったっけ」
シャルルの当たり前な疑問に一夏がクックッと笑い声をこらえる。ひょっとしてシャルルもエヴァ見たとか?……それはないか。
「それは一夏にでも聞いてくれ……」
しかし軽いジャブの直後にシャルルは強烈な右ストレートを俺にブッ込んで来た。
「それよりさ、三治は本音と付き合ってるんだよね?」
急にいい笑顔になったシャルル。
「でぇっ!? 今それ聞くか!?」
忘れてた! こいつも女子だよ!!
「それに本音はなんで三治のこと『おと~さん』って呼ぶの? 本音のお父さんって訳じゃないよね? ねえねえ?」
「……本音はあだ名を付けるのが好きなんだよ」
ちくしょうニコニコしやがって。コイツめ俺をイジれるネタを持ってきた途端に生き生きしてるぞ。
「でも気になるじゃない? ねっ一夏?」
だが話を振った相手がまずかった。このシスコンは俺を姉とくっ付けたがっていたのだ。
「そうなのか!? だから千冬姉とは一緒になれないって言ってたんだな! くそっ! のほほんさんが千冬姉のライバルだったのかよ!!」
一夏の収まっていた発作がぶり返してしまった。
「え? ど、どういうコト!?」
予想だにしない反応に事情を知らぬデュノアくんは焦った。
「聞いてくれよシャルル! 三治と千冬姉さぁ、ぜったいお似合いだと思うんだよな! お前もそう思うだろ?」
「ええっ!? そっそうなの?」
訳が分からない様子で俺と一夏をキョロキョロ見る。そもそも一夏は俺と姉のどのへんを見て似合いと思うのか?
「千冬姉って昔っから男っ気なくてさ、このままだと行かず後家になっちゃうんじゃないかって、ずっと心配だったんだよ。そこへ三治が現れてさ、千冬姉と正面から渡り合える男なんてこの先ほかに出て来ないだろうって」
「三治はブリュンヒルデ……織斑先生と互角の腕前なの!?」
さらに驚くシャルルに今度は俺があわてた。
「いや違う! 何度か口論になっただけだ! ISはてんでかなわねえって!」
「そ、そうなんだ……でも、あの織斑先生と言い争うなんて、三治も結構気が強いんだね」
もうこの話題終わらないかな。一夏の横顔を見ると、心底がっかりした様子で天を仰いでいた。
「なのに三治はのほほんさんと……あ~あ、三治がもう一人いたらな~。なあ、兄とか年上の従兄弟とかいないか?」
「いねーよ、そろそろ諦めろ」
「あははは、一夏は姉想いなんだね。でも、そんなに織斑先生は男の人に縁がないの?」
シャルルの疑問に愚弟はオーバーにため息をついた。
「縁がないなんてもんじゃないぜ? おれが物心ついてから今日まで、男と二人でいる所なんか見たことないんだからな。だいたい学生の頃から彼氏どころか男子の友達全然いないし、男と一緒に居たこと自体いっぺんもないんだぞ!? 千冬姉がISに乗るまでは貧乏でバイト掛け持ちしててそれ所じゃなかったのもあるけど、モンド・グロッソで優勝して世界的に人気が出たはずなのに、ファンは女性ばかりで男性からファンレターもらったことなんか一回もないし、そもそも男のファンなんていた試しがないな!」
「そうなんだ……」
ポロリと出たブリュンヒルデの実像の一端に若干残念そうな顔のシャルル。女のシャルルにゃ分からんかも知れんが、普通に考えて大概の男は世界最強の女なんて嫁にするのは真っ平だろう。夫婦喧嘩で殺されかねない。その世界最強に日々殴られて育った一夏は何とも思わないだろうが。
「まぁ、最悪シャルルに頼めばいいさ。同じ男性IS操縦者だし、その上俺と違って専用機持ちだ。条件ピッタリだろ?」
もう面倒くさいからこいつに投げよう。俺と本音の事を言う余裕なくなるだろうし。
「えぇえーっ!!? ぼっボクが織斑先生と!?」
直後にシャルルが目をむいてマスオさんなセリフを叫んだ。今日は色々シャルルにとって受難の日だ。ほとんど一夏と俺のせいだが。
「シャルルかぁ~……いまいちピンとこないんだよなぁ。こう、千冬姉と向かい合っても気合負けしない感じの男がいいんだけどさ」
まったく贅沢を言う奴だよ。まあシャルルは女子だけどな!
「じゃあシャルルが一夏を織斑先生と思って向かい合ってみたら? 一夏は織斑先生になったつもりでさ」
「ボ、ボクが一夏と!?」
シャルルは今日一日驚き戸惑いっぱなしだな。まあどうせスパイだろうしいいか。このクラスに転入した洗礼みたいなもんだ。
「う~ん、じゃちょっとやってみるか。シャルル、ちょっとこっち向いてくれ」
「ほんとにやるの!? ちょ、ちょっと待って」
本当にやるんだ? 適当に言っただけなのに。
道端で立ち止まって、一夏とシャルルは向かい合った。
「ほら、いくぞ」
「ううっ、うん……」
一夏はやたら神妙な顔をして見せ、それを見るシャルルは何とか頑張ってにらみ合おうとする……のだが、横から見てるこっちは噴き出しそうだ。なんせ男の一夏が女である姉の真似を、女のシャルルが男子の振りをして必死で向かい合ってるんだからな。
結局1分もしない内にシャルルが顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「や、やっぱりもう無理!」
流石に一夏と向かい合うと照れ臭いか。むしろもう一夏に惚れてる? だとしたらえらく早いな、一夏の恋愛フェロモン恐るべし。
「う~ん、やっぱりダメだな。三治の他に誰かいないもんかなあ」
腕組みして考え込む一夏にいきなりシャルルが食ってかかった。
「ちょっと! ボ、ボクにいきなりこんな事させて駄目だとか、か、勝手すぎるし失礼じゃないか!!」
夕陽に染まっていても分かるぐらい顔が火照っている。一夏と見つめ合ってすっかりのぼせてしまったか。
「わっ悪かったシャルル! 三治が言うもんだからつい本気になってさ」
「三治も三治だよ! ボクはお、男なんだからね!? 男の一夏と向かい合ってもしょ、しょうがないじゃないか!」
赤い顔で言っても説得力ないし。だいぶ一夏を男子として意識してるんじゃないか?
「分かったからもう落ち着け。一夏、本人の問題なんだし織斑先生の好きにさせろよ。だいたい結婚だけが人生じゃなし」
「そんな殺生な!? 千冬姉に一生独身でいろって言うのかよ?」
確かにほっときゃ行かず後家まっしぐらだが、いい加減外野が言ってもしょうがないだろ。
「いいからそういうのはまず本人に聞け。織斑先生がどうしたいかだろ? 一夏が心配すんのはそれからで充分だよ。なあシャルル?」
一夏はまたも顎に手を当ててうーむと唸っている。お前はどうせ悩むなら自分の異性関係で悩め。
「そ、そうだよ。結婚とか、そんなの本人が決める事で、一夏が勝手に決めることじゃないよ……」
一夏の顔をチラチラ見ながら、まだ顔の赤いシャルルはうつむきがちに答えた。
寮の入口で別れ際に、一夏が思い出したように言った。
「そうだ! まだ少し先だけど、今度大浴場が男子も使えるようになるらしいんだ。3人で一緒に入ろうぜ! 今から楽しみだな!!」
「そうか、久しぶりにゆっくり湯船につかれるな」
「あ、あはは、よかったねー」
シャルルの言葉に一夏はきょとんとした。
「なに言ってんだシャルル? お前も一緒に入るだろ?」
「そう、そうだねあははは……はぁ」
苦笑から困り顔になったシャルルと、それに気付かぬ一夏に別れを告げ、俺は一人自室へ向かった。
自室に戻って半時間ほど過ぎた頃。俺は今まさに未体験のゾーンに突入していた。
「は~いおとーさん、あ~ん」
「あ、あ~ん」
こっ、これが陰キャにとって都市伝説の、あーん!!
直後に口の中に優しい甘さが広がった。
本音の伸ばした手からチョコを口に入れてもらうだけで、こんなに幸せな気分になれるなんて。実に素晴らしいな! うん!!
俺と本音は捌ききれないお菓子の山を挟んで向かい合っていた。
「ゆっこ達がね~い~っぱい買ってくれたから、まだ沢山あるよ~」
また遠慮なくねだったものだ。ベッド脇に置いてある大きな袋の分も含めると、購買のお菓子スペースが半分なくなりそうな量がある。
「交換条件になに話したんだ?」
チョコクッキーの包みを開けながら水を向けると、本音はえへへ~と笑った。
「昨日のお出かけのこと~一緒に遊んだりお昼食べたり~いろいろなのだ~!」
喋りながらもどんどんチョコの袋から中身が消えてゆく。俺の3倍くらいのスピードだ。太るぞ?
「それとね~デュッチーの事も話題になってたよ~おりむーとベストカップルだってー!」
もう本音はシャルルにあだ名を付けていた。ネーミングセンスは相変わらずだが。
「そりゃまた。どうやってもBLにしたいらしいな」
おとーさんじゃなくてよかった~と言いつつ本音はもう新しい包みを開け始める。じきに夕飯だというのに、女子の別腹とはいったい……。
ふと、本音がその手を止めた。
「おとーさん、デュッチーの事なんだけどね~」
「……本当は女子って事か?」
俺の静かな答えにも本音は軽くうなずいただけだった。
「気付いてた~? 皆はほとんど分からないみたいだけどね~」
もしかして、それを調べるためにもクラスの女子達と何度もしゃべってたのか?
本音は〝それもあるけどね~〟と軽く流した。わりと抜け目ないな。やはり暗部をサポートする家系だからか。
「みんなシャルルのどこ見てんのかね、今まで男子に会った事ないのかよ?」
「そこはしょうがないんじゃないかな~。みんな小学生の頃からIS学習とここに入学するための受験勉強で大変だっただろうし、異性と遊ぶひまなんてあんまり無かったと思うよ~?」
みんなやっぱり苦労してIS学園に入ったんだな、男日照りも覚悟の上で。そんな中で一夏みたいなイケメンが同級生にいれば、そりゃあ色めき立つのも無理はないが、シャルルを見ても女子と気付かんのはなぁ。宝塚見たらどうなるんだ? それにBLに毒され過ぎだろ。俺も以前は多少なりとも二次元逃避はしまくってたが、ここに入学するまでの話だし……今は本音がいるけれど。
「おとーさんはどうするつもり~?」
上目遣いに見つめられてちょっとドギマギする。
「俺か? う~ん……どうすると言ってもな。あいつ明らかに潜入工作員のたぐいだろうし……」
それが分かっていたから会長もあんな思わせぶりな言い方したんだろう。まぁ本当に厄介なのはこの後入ってくるドイツ軍人の方らしいし、会長の言い草といい本音の態度といい、シャルルはそこまで警戒する必要もないのかな?
「本当にどうするべきやら……ま、バレバレの男装にあの調子じゃあ、まともにスパイ活動出来るかも怪しいけどな。おまけに織斑先生にも男装バレてるし……」
聞きながら本音はチョコクッキーを口に放り込んだ。もう晩御飯なんだからやめなさい。
「もう何かやってしまったのなら仕方がないけど~、そうでないなら、できれば仲良くしたいよね~」
「……まあ、そうだな」
「デュッチーは男子のフリして転入したけどー、デュッチー自身は悪い子じゃないと思うんだよね~」
「なぜ、そう思うんだ?」
俺の怪訝な声に本音は両手を腰に当て胸を張った。
「えっへん! 暗部の勘なのだ~!!」
「はいはい。お菓子はその辺にしとけよ、もうじき食堂行くからな」
「え~? もうちょっとだけいいでしょ~?」
「いい加減にしなさい!」
「うぅ~かんちゃんより厳しいよ~」
渋る本音を引っ張って食堂に向かったのはそれから2~30分してからだった。
しかし、夕食後もてんぷくトリオや更識姉妹らとカフェでわちゃわちゃ長居したにも関わらず、一夏とシャルルは一向に食堂へ姿を現さなかった。
予復習なんぞ忘れて、夕食後も俺と本音はベッドの上でだらだらした時間を続けていた。
「結局おりむーもデュッチーも来なかったね~」
本音が寝転んだままう~んと伸びをした。
「何かのトラブルでなければ、いよいよ男装がバレたかな?」
横で俺も本音の髪をもてあそんだ。
「どうだろうね~」
なんとなく、待っていればなにかが起こるような気がしていた。根拠はない。ただ、いま何をしても時間の無駄になると思えて仕方なかった。
――それに、こんな二人きりの時間が後どれくらい過ごせるだろう?
「わ~おめめがぐるぐる~」
ひょいと俺のメガネを取り上げた本音がかけて見せた。まるで似合わんな。
「どう? 賢そうに見える~?」
「いや~、さっぱりだな」
「ふにぃ~お姉ちゃんみたいにならないのか~」
10分程もそうしていただろうか。ドアに誰かが忍び寄る気配を感じ、そのすぐ後に小さくせわしないノックがなされた。
「三治! いるか?」
ささやくように言うが早いかドアが開けられ、しかし現れた一夏は裸眼の俺から見ても、どこか所在無げな様子だった。こいつがこんな調子なのは見たことが無い。
「急用なんだけどさ……ちょっと来てくれるか?」
ピンと来るものがあった。やはり……。
「ああ。一夏の部屋だよな?」
「おっ、おう。あ、のほほんさんはいいよ! 三治だけでいいからさ」
「ん~わかった~」
本音のゆるい返事に少しホッとした態度の一夏。その姿が少しぼやけているのを思い出す。
「本音、メガネ」
「ほ~いおと~さん」
渡されたメガネを片手に一夏と廊下に出た。
「なんかメガネ無しの三治ってちょっと新鮮だな! あはは……」
どうにも落ち着きのない不自然な態度。まったく分かりやすい奴だ。
「それで、どうしたんだ?」
「それがさ、えっと……まあ、見てもらったほうが早いと言うか――」
こいつの足取りが重いのは、つまりそういうことなんだろう。
「シャルルが女だったとか?」
一夏が息を呑んだ。
「な、なんで知ってるんだ!?」
「んなもん見たら分かるだろ。最初で気付かんお前がおかしいんだよ」
「マジかよ……」
俺は畳まれたフレームを開いて顔に――あれ?
こっちを見た一夏がギョッとして立ち止まった。
「さ、三治! まさかシャルルを逮捕するのか!?」
これサングラスじゃねえか! 本音のやつめ……まったく。
「そういうのじゃねえよ! ったく、もう面倒くせえしこのまま行くぞ」
俺はオロオロする一夏を従えるようにして一夏たちの部屋へ急いだ。
「あ、団長だ!」
「ホントだ! ねえねえ誰か逮捕するの? それとも射殺?」
なんでこんな時に限って他の女子に見つかるのか。
「外交問題に抵触するから言えんな」
ひょっとすると冗談ではすまないかもな。本当にそうなったら……会長と担任に丸投げだ。そもそもが俺の責任範囲外だぜ。
「三治だ、一夏も一緒にいる。入るぞ」
ノックしてドアを開けるなり、夕陽に染まる部屋でたそがれていたシャルルはのけぞった。
「さ、三治なの!? どうしてサングラス!?」
無駄にインパクトがやばかったらしい。顔を引きつらせたシャルルは一挙に気勢を削がれた感じだ。もっとも最初から精神的に弱っていただろうが。
「こ、恐いな……あっ!」
予想通り、シャルルの着ているジャージの胸が盛り上がっている。見られたことに気付いたシャルルは慌てて隠そうとして、やめた。もう隠しても無駄なことは自覚しているらしい。
「シャルル、三治ならきっと何とかしてくれるからさ、話してみようぜ!」
後から入ってきた一夏がドアを閉めるなり言った。まだ事情も聞いてないのに、期待しすぎだろ。
「で、でも……」
面倒な前置きはごめんだった。俺はさっさとシャルルと向かい合わせのイスに腰を下ろした。
「まあ、一夏に呼ばれてここまで来たんだ。無理にとは言わんが、取り敢えずどういう事なのか話してもらえないか?」
「う……」
渋るシャルルに一夏が隣に座り、その肩にぽんと手を置いた。イケメンだけだよな、こういうのが許されるの……思わず無駄な嫉妬をしてしまう。
「三治なら大丈夫さ、おれもずいぶん助けられたんだ。きっと力になってくれるぜ?」
そうしてやっと当人がうなずいた。
「わかった。一夏が言うなら……」
どうやら、知らない内にシャルルと一夏の間にはずいぶん信頼関係が出来ているようだ。やっぱもうシャルルも落ちたか。撃墜王一夏め。
「と、とりあえず三治。その、サングラスはやめてくれないか? なんか威圧感というかプレッシャーが凄いんだよ!」
「あ……悪い」
メガネがなくても室内での話に支障は無い。とりあえず落ち着くと、一夏が3人分の緑茶を入れてくれた。
「ボクの本当の名前はね、シャルロット・デュノア。ボク……父の本妻の娘じゃなくて、愛人の娘なんだ」
お茶をすすり少し冷静になったシャルル改めシャルロットは、ぽつぽつと自分の境遇と事情を語りだした。元々母子家庭だったのが、母の死からフランス最大のIS企業社長である父に引き取られたこと。IS適正が高いため専門訓練と教育を受け代表候補生となった事。そして、第三世代機開発の遅れからデュノア社が危機的であり、無謀にも男と偽ってのIS学園編入で一夏ら男性操縦者や白式のデータを奪取するよう命じられたこと……。
「本妻、つまり今ボクの義母にあたる人が厳しくてね。政府にも顔が効くし、父もボクをかばいきれなくなったんだ。ほんとはボクは最悪切り捨ててもいい駒だったのかも知れないけれど……」
「何度聞いてもひでえよ! 酷すぎる! なあ三治、何とかならないか!?」
気の毒ではある。が、それだけではどうしようもないし、シャルロットはどうするつもりなのか?
それに、ここまでの話だと官民共同で危ない橋を渡ったことになる。これは想像以上に大事だぞ……。
「……シャルロット、それじゃ今度の事は、デュノア社とフランス政府の共謀ってことか?」
「そうなるかな。ボクの転校や来日についての手続きは政府とデュノア社で進めたから」
シャルロットは力なくうなずいた。
「知ってるかもしれないけど、フランスってヨーロッパでも有数の兵器輸出大国なんだ。それがISの台頭で戦闘機や戦車なんかの高額兵器が軒並み伸び悩んで、兵器産業が行き詰まっちゃってね。失業率も上がって……必要に迫られてEU諸国と競って必死でIS開発生産に血道を上げてきたんだよ。それなのに、ここにきて第三世代機開発が暗礁に乗り上げて、とうとうこんな無茶なスパイ工作まで……どうしようもないよね、ボクも父の会社も」
歯ぎしりする一夏と寂しげに笑うシャルロット。感情論でなら当然シャルロットは可哀想だし、一夏の怒りももっともだ。しかし、しでかした事が事だ。よりにもよってブリュンヒルデの弟にして日本にとって虎の子である一夏の白式に対するスパイ行為。それも性別をごまかしての入学。織斑先生や会長がブチ切れて殴り込まないのが不思議なレベルだ。
そのうえこの問題を追及すればフランス最大のIS企業とフランス政府そのものを敵に回す。表沙汰にして騒ごうものなら最悪シャルロットは切り捨てられ、全て彼女が独断でやった事にされるだろう。日和見な日本政府も内輪もめが普通なIS学園教員も頼りにはならず、シャルロットは一人で罪を背負うことになりかねない。……あ、だから皆あえて何もせず様子を見ているのか?
これもうどうにもならんのじゃないか? 仮にシャルロットの潜入工作が成功し、無事IS学園を脱出していたとしても、結局は専用機を剥奪され口封じで殺されるのがオチだったろう。
「そうだ! 二人とも聞いてくれ。学園特記事項に、ええと……これだ!」
俺がシャルロットの話を頭の中でまとめていると、必死で生徒手帳なんぞをめくっていた一夏が叫んだ。
「『IS学園特記事項 第21項 本学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする』どうだ? これならシャルロットに誰も手出しできないだろ!? ここにいればいいよ、それから卒業までの3年間になんとかする方法を探し出せばいい! そうだよな三治?」
一夏は一夏なりに手段を見つけたようだ。しかし……。
「それは……まぁ確かに俺も入学前政府の連中に聞かされはしたけどさ」
どうだと言わんばかりの一夏とすがるような視線のシャルロットにはちょっと言いにくいが、言わない訳にもいかない。
「その特記事項ってさ、不正入学者……というか不正転校生でも認められるのか? その上犯罪者でも?」
二人は揃ってハトが豆鉄砲食らったような顔をした。
「えっ!? どういうことだ三治?」
一夏はまだしも、シャルロットは分かってないとダメだろ。
「シャルロット、フランスを出国して日本に来る時も、IS学園に編入するときも、男性のシャルル・デュノアの身分で通したんだよな?」
「うん、渡された偽造パスポートとヴィザで――ああっ!!」
やっと自分の立場に気付いたらしい。俺の質問に何気なく答えていた貴公子改め美少女が途中で固まった。
「シャルロット、一体どうしたんだ? 三治、分かるように話してくれよ!」
一夏はまぁ、脳筋担当だししゃあないか。
「だからさ、シャルロットは偽造パスポートを使い身分を偽ってフランスを出て日本に来てるだろ? つまり公文書偽造に不正出国に不正入国、さらに身分詐称だぞ。まあ偽造したのはシャルロットじゃないけど……その上入学書類も一応公文書だから、男子のシャルルと記入したなら公文書不実記載……こんな明らかな犯罪者、それも実在しない人物を名乗って不正に転校した奴に、そんな特記事項は適用されないんじゃないか? むしろバレた時点で強制退学になりかねんのでは……?」
今度は一夏の顔が見る見る青くなった。額に脂汗が浮かんでいる。
「マジかよ!? そんな、それじゃシャルロットは……どうなるんだ?」
「むしろこっちが聞きたいぞ」
俺と一夏から急に視線を向けられたシャルロットはビクッとして身を硬くした。額からダラダラ汗をたらし、口は半開きのまま頬を引きつらせている。まさに顔面蒼白というやつだ。先に気付けよ!
「八方ふさがりじゃないか! どうしたらいいんだよ三治!?」
もう完全に二人してお手上げらしい。そりゃそうだろう。
「う~ん、シャルロット自身がどうしたいかにもよるだろうけど……」
俺が張本人に確認する前に、一夏が慌てて声をあげた。
「そ、そうだ! シャルロットが女だと気付いているのは俺と三治だけだし、当分隠しておけば――」
「いや……織斑先生も、おそらく会長もシャルロットが女だと気付いてる」
あと本音もな。バレバレじゃねーか。
汗をダラダラ垂らしながら辛うじて一筋の光明を見つけた一夏に、俺の冷徹な一言が突き刺さった。
「そんな!? ウソだろ?」
「本当だ。会長は微妙だが、織斑先生はまぁ確実だな」
俺を連れてきた際の頼もしい態度は消えうせ、呆けた表情でへなへなと一夏は座り込んだ。残酷にも俺は二人に止めを刺してしまったようだ。
「あはは……」
シャルロットが虚ろな笑い声を立てた。本当に逃げ場がないと知ったのが相当こたえたらしい。
「やっぱり、もうどうしようもないよ……ブリュンヒルデからはISで逃げることも出来ない。こっそり学園を出て帰国することも。……ああ神様」
蚊の鳴くような声で呟いていたが、やがてシャルロットの言葉は俺たちの理解できないフランス語に変わってしまった。やっぱり、スパイの真似事してみてもただの女の子だな。こりゃ相当追い詰められてるぞ。
「なあ! シャルロットを助けてやってくれよ!! 三治なら何とかしてくれるだろ!?」
お前は見込みが無いなら助けるとか言うな!!
もう習慣と化した溜め息をつき、
「とりあえずさ、シャルロットはどうしたい?」
うなだれ日本語すら忘れた転入生に話しかけた。
独り言が止み、ゆっくりとシャルロットは顔を上げた。言うまでもなくその表情はすぐれないままだ。
「ボクが……どうしたいか……?」
とりあえず本人の意志を確認しないと話にならない。それが実現可能かどうかは別として。
「そうだ。もうこの学園を離れてISと縁のない生活を送りたいか、それとも学園に残りたいのか? あるいは、もう帰国したいか、それともどこか新天地でやり直したいか? ……なんでもいい、出来るかどうかはともかく、これからどうしたいか、言ってみてくれないか?」
「そうだ! シャルロット、おれもできるだけ協力するから何でも言ってみてくれよ!」
一夏も加勢したものの、どうにも反応が薄い。そもそもこの件一夏あんまり助けになってないし。
「……」
少しの間何も言葉がなくて少々あせった。
「これからどうする……ボクが、どうしたいのか……」
シャルロットは少しうつむいて考え始めた。
「と、とりあえず今度はコーヒーでもいれるか!」
先に沈黙に耐えられなくなった一夏がキッチンへ足早に去った。俺も逃げたいんだけど?
3人で一夏が運んできたカップを手にしたが、息苦しさから逃れるように一気に口に運んだ一夏以外は口もつけなかった。
「あふぃぃ! あちちち!!」
バカ野郎! 大事なとこだ静かにしろ。
しばらくの沈黙の後、おずおずとシャルロットが重い口を開いた。
「ボク……ボクね、ここに、居たいかな……」
「ここ、IS学園にか?」
かすかに頷き、言葉を続ける。
「母が死んでから、母国では居場所なんてなかったんだ。父に引き取られてからも、父親はほとんど会ってくれないし、義母はボクの事が邪魔で仕方ない様子だった。急に今まで知らない上流階級の世界に放り込まれて、仲良くできる相手も居なかった」
一夏がそっとその肩を抱くようにした。イケメン力高し。
「つらかったんだな、一人ぼっちじゃあ心細くてあたりまえだ」
シャルロットの顔が少し赤くなっている。箒、セシリア、鈴……あ~あ、4人目か。
まぁ今はそれ所じゃない。
「専用機まで与えられて、ここに来るのも本当は凄く不安だったんだ。でも、一夏やみんながとても優しくしてくれて……ボク、ここに自分の居場所を見つけたんだ。もし本当にできるならだけど、ここから離れたくないよ……」
そこまで言うとうつむいて、力なく一夏に寄り添うようにした。正体がばれ、追い詰められて、本音を言ったところで疲れきってしまったのだろう。
「三治! どうにかしてやってくれ!! もうおれじゃどうしようもないんだ、頼む!!」
シャルロットを抱き抱えるようにして声を張る一夏と、それを見上げるシャルロット。絵になるけど一夏は役に立ってねえなぁ。まぁ武闘派兼家事派な脳筋だしな。
……実は、まったく手が無いわけじゃない。だが当然、リスクも代償もついて来る。要はシャルロットがそれを受け入れられるかどうかだ。
「……シャルロット、もしIS学園にこのまま居られるなら、専用機も代表候補生の肩書きも無くしていいか?」
行き場のない少女は俺の問いにふと顔を上げた。
「え?」
「方法はない事もない。でも二度とフランスには帰れなくなるかもしれないし、ヘタすりゃ向こうの国籍も失うだろう。専用機も無くなるし、候補生でもなくなる。それでもいいか?」
淡々と話すと、その顔つきがだんだんとすがるようなそれに変わった。
「ほ、本当にここに居られるの?」
「三治、いい方法があるのか!?」
一夏も食いついてきた。
「多分な。しかしこれまで得てきたものはおそらく全て失うぞ? 何の後ろ盾もなく身体一つで生きていかなきゃならない。それでもこのままここに居たいか?」
彼女は迷いのない顔で頷いた。
「うん! ここにいて……ここで過ごしていけるなら、全部いらない! 一夏と……みんなとこの学園で、一人の生徒としていられるんなら、もうあんな国に帰れなくてもいいよ!!」
「そうか……後悔しないな?」
俺はその顔をじっと見た。本当に受け入れられるのなら……まぁ、多分大丈夫だろう。
「くどいよ! ……でも本当に何とかなるの?」
一夏が身を乗り出してきた。
「お、おい三治! 本当に何とかする方法があるのか!?」
「まあ、な。恐らくいけるだろう。ゴタゴタするし会長と織斑先生は怒るかもしれんが、知らん」
「うええっ? 大丈夫かよ!?」
俺のそっけない返事にうろたえる一夏。会長はともかく姉は恐いだろうよ。
「知るか、今の今までほったらかしなのが悪い」
「それで、ボクはどうすればいいの?」
不安顔のシャルロットに俺は真剣な表情で正面から向き直った。
「いいかシャルロット、日本政府に亡命しろ。話は俺がつけてやる」
「……は?」
固まったシャルロットは、何がなんだか分からないという顔だった。
「えーっ! マジかよ!? ど、どうなるんだシャルロットは!?」
たぶんコイツはもっと分かってない。
説明が必要だが、その前に説明責任がありそうな関係者と話すべきだよな。
「とりあえず会長呼ぶか、たぶん監視してるんじゃないかと思うし。とっつあーんっ!!」
俺の叫びに応えてドアが勢いよく開かれた。
「他の子がいる前でその呼び方止めてくれる!? ……それはそうと、よく近くにいると分かったわね? 気配でも感じたかしら?」
現れたとっつあんは俺に抗議するとすぐに引き締まった表情になった。
「会長!? なんでここが?」
「あ、あなたは生徒会長!? どうして……まさか、すぐ近くに居たんですか!? それじゃここでの会話も?」
俺が部屋の中で呼んだだけで現れた会長に、一夏とシャルロットはうろたえた。
「やっぱりいた。電話とかめんどいし、どうせ盗聴してるだろうと思ったんで声張って正解でした」
「なんだかまた私の扱い雑じゃない!? わたし生徒会長! 生徒会長なのよ!? もう少し敬意を持って接してよねホントに?」
とたんに会長はむくれた。俺の言い草は相変わらず
「と、盗聴……全部、ばれてたんだ、最初から……」
「三治すげえ! よく分かるなそんなの!?」
シャルロットは急速に脱力し、一夏はシャルロットの存在も忘れて驚愕の表情で俺を見た。
「まぁこの人のキャラ……じゃなくて性格……えーと、まぁ役目を考えるとな。男子生徒が集まるのは気にするだろ?」
「え~っと、結局どれだ?」
「役目! 役目だからよ! 生徒会長のっ!!」
困り顔の一夏に会長が強弁した。
シャルロットは一人取り残されたように呆然と俺たちを見つめていた。
「それで、シャルル君ならぬシャルロットちゃんを亡命させたいって話だけど、本気かしら?」
会長は一夏が入れたコーヒーを軽く一口すすってから切り出した。
俺たちはあれからまたカップを前にテーブルを囲んでいた。落ち着きを取り戻した一夏とシャルロットも、まだ不安が残る表情のままだ。
「当たり前です。学園に任せた所で『政治的に正しい』結果にしかならないだろうし、どうせやるならISがなかなかモノにならない俺の政府に対する得点になる形のほうが有り難い。だいたい会ったばかりの相手を無償で助けるなんて普通は裏があると疑われるし、恩を売るというのも何なので」
一夏はまたも唖然としシャルロットは呆れ顔だ。確かに冷たい言い草かもしれないが、俺にしたって勝手に転校してきて一方的にトラブルに巻き込まれて迷惑なのもある。多少きつい言い方になってもしゃあない。
「ずけずけ言うのねえ。ちなみに政治的に正しい結果って、どうなると思ったの?」
不満顔は変わらないが、会長の俺を見る目つきは鋭いものに変わった。
「そんなもん穏便に追い出して仏政府かデュノア社に引き取らせるのがオチでしょ。未だにこの国は事なかれ主義だし、厄介な邪魔者の始末は元凶にやらせるでしょう。とどのつまりスパイ工作に失敗したシャルロットは口封じに殺される。むしろ戸籍を抹消されて存在自体無かった事にされるかも知れませんね」
とたんに二人が息を呑む気配がした。
「ヒッ……!!」
「おっおいマジかよ!?」
チビりそうな顔の一夏とシャルロット。会長は俺に非難の目を向けた。
「脅しすぎよ。今そこまで言うことないでしょ?」
「そうかも知れませんが、いい加減自分の立場をハッキリ理解するべきだと思いますよ? そもそも自分の身の振り方を他人に委ね過ぎです」
シャルロットはしゅんとしてうつむいた。厳しいが正論だと俺は思っている。一夏はアルミホイルを噛んでしまったような表情だ。頼むから今度からは出来る事と出来ない事を考えてから行動してくれ。
やれやれと首を振った会長は再び口を開いた。
「それで、本気で政府が彼女を引き受けると思う?」
「むしろ喜んで受け入れるでしょ。高いIS適正を持つ者、わけても専用機を与えられる程の奴はどこの国も足りないし、なによりシャルロットはフランス随一のIS企業の最先端のISとその詳細を握っている。ISコアはアラスカ条約にそって返還するとしてもシャルロットの専用機は調べつくすでしょうし、デュノア社の技術情報や開発情報、さらには社内事情も詳しく聞ける。おいしい所だらけですよ。もっとも第三世代機の開発は遅れてて参考にはならないが……いずれにせよ、フランス政府やデュノア社からの引渡し要求に応じてやる義理も無いでしょうし」
会長は腕組みしたまま黙って聞き、俺が話し終えると少ししてから口を開いた。
「それ全部、シャルロットちゃんは受け入れたのかしら? 家族も祖国も全て裏切ることになるわよ?」
「そのはずですがね」
俺と会長の視線がシャルロットに刺さる。当事者は身を硬くしたが、少し震えながらも強い語気で〝必要なら、やります〟と答えた。
その顔には強い意志と決意が見て取れた。
しばらくその目を見つめていた会長は、決意が変わらないのを確認するとようやく深く頷いた。
「あなたの決意は分かったわ。更識家当主である私の責任で、内閣府と外務省にシャルロット・デュノア日本亡命の仲介を引き受けます。無論、音羽くんの推薦も添えてね」
それでいいわね? 会長の言葉に俺たち三人は首を縦に振った。
一瞬かすかに笑みを浮かべた会長はすぐに顔を引き締めると、スマホを取り出し電話をかけた。
「虚ちゃん? 例のプランはご破算、シャルロット・デュノアは日本亡命の意思を固めたわ。すぐに関係各所と調整に入って頂戴――そんな怒らないでよ、音羽くんが言い出したのよ? 面白いじゃない、私もこっちの方がいいし……分かったってば! すぐ戻って私から直接内閣官房と話をするから!」
虚先輩らしき相手との通話を強引に打ち切り、会長は急に笑い出した。
「おめでとうシャルロットちゃん! 上手く行けば来週中には晴れて日本国籍を取得できるわ。良かったわねえ! 音羽くんに感謝しなきゃ!」
あっけにとられた俺たち三人を忘れたように、会長は笑いが止まらない様子だった。
おめでとう……おめでとう……って違うか。なんか色々あってもうわかんねえや。
「な、なあ? 会長は何がそんなにおかしいんだ?」
「俺も分からん……会長、一体何がそんなに笑えるんです? 連休でも取れたんですか?」
まだおかしそうに笑う会長は答えた。
「だって、音羽君たちが何もしなければ学園は彼女をスパイ行為をネタに脅して、フランス政府とデュノア社に対する二重スパイに仕立てる予定だったのよ? 向こうに対してはニセ情報を流させてね?」
「ええっ!? 本当ですか?」
「二重スパイって、そんな映画みたいなことあるのかよ!?」
シャルロットと一夏は飛び上がった。今日はこの二人が百面相で本当に忙しい。
しかし、だからこそ織斑先生も気付いていながら黙っていたのか。だがそれなら、会長が俺にそれとなくシャルロットが不審人物であることを示唆したのは何故だ?
「でも私個人はそんなの嫌だった。ただでさえ親の無体な命令で身分をごまかし嘘をついて、織斑君たちに接近して無理なスパイ行為をするよう強要されたのを、さらに脅迫して利用するなんて。シャルロットちゃんがプロだったならともかく、普通の女の子に違法行為を何重にも無理強いするなんてしたくなかったのよ」
「それでは、俺に不審を抱かせるように伝えたのは?」
俺に向き直ると、会長は悪そうな笑みを浮かべた。
「ひょっとすると、何か彼女の助けになるアイディアを出してくれるんじゃないかってね。多少期待はしてたわよ? でもまさかこんな強引な亡命を押し通そうとするとはね! いきなり何もかも捨てて日本に亡命しろだなんて。それにこんな提案を受け入れちゃうシャルロットちゃんも相当じゃない?」
会長は目だけを一夏に向け、ついでその目線を亡命希望者に向けた。
「愛の力って偉大よね? シャルロットちゃん?」
瞬く間にシャルロットの顔が真っ赤になった。
「ちち、違いますっ! ぼ、ボクはその、一夏とだけじゃなくてみんなと一緒に学園に居られたらなって……その……」
「あら? 私は別に織斑くんの事なんて言ってないわよ~?」
「なっ!? も、もうっ! 知りませんっ!!」
かわいそうに、会長にいじられてシャルロットは顔を覆って黙り込んだ。
と、会長は今度は俺を見てニヤニヤしだした。うぜえ。
「本音ちゃん心配してたわよぉ? シャルロットちゃんのこと円満に解決出来るかどうかって」
「あいつもあいつなりに心配だったんでしょう。俺なんぞに期待されても困るんですが」
突き出した人差し指で俺の頬をつつく。
「ほんとは格好付けたいくせに、素直じゃないわねえ」
「うるせぇな。それよりさっさと虚先輩に釈明しなくて良いんですか? 本来の予定を急変更してシャルロット亡命を進めるんでしょ?」
会長は渋い顔ですねた。
「ちぇ! 今回の事は私が功労者なんだから、もうちょっと優しくしてよね? まあ正確にはこれからだけど。さあ、雑談はここまで! シャルロットちゃんも一旦『シャルルくん』に戻ってちょうだい。これから一緒に生徒会室に行って今後の話を詰めるわよ」
シャルロットが男子の制服を手にシャワールームへ着替えに行くと、急に神妙な面持ちで会長が尋ねた。
「……もし、シャルロットちゃんが織斑くんに危害を加えたり、違法行為を働いていたら、どうするつもりだったの?」
俺は苦笑した。
「何もしません。それこそ会長にお任せしますよ」
「どうして?」
「暗部の仕事なら、ほっといても十分非情な裁きが待っていそうですし、一夏は何されようと白式の絶対防御がありますからね。そもそもこいつはISだの何だのでどうこうしたところで簡単に死ぬタマじゃないんで」
俺は男性唯一の専用機持ちに向けて顎をしゃくった。
「ひでぇ!」
ずっと俺たちのやりとりをボンヤリ眺めていた一夏がとうとう不平をもらした。
「そもそもお前はシャルロットが女子と気付かない時点で節穴過ぎるんだよ。ちょっとは人を見る目を養え、いろんな意味で」
「なんだよ! もうちょっとおれに優しくしてくれたっていいだろ?」
「優しさと甘やかすのは違うだろ」
俺と不満そうな一夏のやりとりを見てクスクス笑う会長は、
「さて、それじゃあそろそろ心配してる〝本人〟も呼んであげましょうか。いつまでも蚊帳の外じゃ可哀想だしね」
一人ドアに向かうと、少し開けて誰かを手招きする。
と、意図を察する間もなく小さな人影が飛び込んだ。
「も~! お嬢様呼ぶの遅ーい!!」
音もなくやってきた本音は俺に飛びついた。
「本音!? 会長と一緒に来てたのか」
「おとーさんデュッチーに厳しすぎ~! も~ハラハラしたよ~!」
「……やっぱ盗聴はしてたのか」
本音はイタズラがばれた子供のように舌を出した。
「だって心配だったんだも~ん」
「え、のほほんさん!? なんでいるんだ?」
そこへ着替えた男装女子も戻ってきた。
「えっ本音もいるの!? どうして?」
すました調子の会長が口を挟む。
「彼女も生徒会役員だし関係者よ。それにしても、短い間にずいぶんなラブラブっぷりじゃない? どこまで進んだのかお姉さんに言ってごらんなさい?」
とっつあんはヒマになるとこれだ。すぐに本音は俺の背後に隠れてしまった。
「そういうのいいから。そもそも今は『シャルル』の亡命申請の手続きでしょうが」
「ボクもちょっと気になるなあ。二人はもうキスしたの? 普段二人の時は何してるのかな?」
ブルータスお前もか。
「いいから生徒会室に早よ行け!」
「? なあ三治? 会長とシャルロットは何の話してるんだ?」
お前はもう寝てろ!!
「そういえば、音羽くんどうして裸眼だったの?」
結局あの場にいた全員で生徒会室へ向かう途中、今頃になって会長が疑問を口にした。
「グラサンを嫌がられたんで」
「え? どういうこと? それより、鈍感な織斑くんがよくシャルルくんのこと気付いたわね?」
「あんたも酷いな! まぁ確かに疑問だけど、どうなんだ?」
俺達の疑問に、当の一夏ではなくシャルルの方が慌てだした。
「そっそれは……その」
亡命手続きが完了し、彼女が晴れてシャルロットを名乗れるまで、彼女が亡命する事は隠しておかなければならない。露見すればデュノア社やフランス政府の介入を招く恐れがあるからだ。学園内に向こうの関係者がいないとも限らんし、特にデュノア社にしてみりゃこの件は致命傷になりかねない。だからシャルロットは今しばらくは男のシャルルで通さねばならない。
そのあたりの事もよく説明し、秘密を守るよう要請するため一夏も一緒な訳だが……。
「ああ、たしかシャルロ――」
「おりむー!」
即座に本音が注意した。
「おっと! じゃなくてシャルルがシャワーに入った時、ボディソープ切れかけなの思い出して持ってったら――」
「ドスケベ一夏の怪我の功名か」
ぶっちゃけ一夏に限っては不安この上ない。教室でつい『シャルロット』って呼びかねんな。
「……一夏のエッチ」
「お、おれは何もしてないぞ!? 偶然だからな!」
焦る一夏とそっぽを向く男装娘を尻目に俺は会長を薄い目で見た。
「そういや会長も俺が呼んですぐ来ましたよね? やっぱりあの部屋盗聴器だらけでしょう?」
俺の詰問にいつものムッとした顔で会長はもっともらしい事を言った。
「あのねぇ、織斑くんたちをわざわざこの部屋に移したのは、ここが要注意生徒を入れるための監視装置付きの部屋だからなのよ? もし彼女が本当にプロのエージェントだったら、誰かが部屋の状況を把握してないと危険でしょ? 情にほだされた織斑くんが無防備になった所で悪意を見せるかもしれないじゃない?」
私もいろいろ考えなきゃいけなくて大変なんだから、少しは労いなさいよ。会長も俺の目を覗き込むようにして軽く睨む。
「あ~あ! 予定外の展開で仕事が増えちゃったな~! 誰か手伝ってくれると凄く助かるんだけどな~!」
「素直にお願いしますと言え」
会長は俺の返事にもそ知らぬふりで続けた。
「そうだわ、先に食堂へ寄りましょうか! シャルルくんも織斑くんもお腹すいてるでしょ?」
急に言われてシャルロットはばつが悪そうだった。
「知ってたんですか会長……」
「会長! シャルロッ――」
「一夏っ!」
今度は俺が声を荒げた。
「……じゃなかったシャルルはおれが女子だと気付――じゃなくてええと、おれといろいろ話し込んでてそれ所じゃなかったんですよ!」
本当に言葉が危なっかしい。もうお前当分シャルルの話すんなよ!
「さて、二人が腹ごしらえする間に私も仕事に必要な糖分を摂取しなくちゃ!」
あんた自分が甘いもん喰いたかったから言ったんだろ。
「わ~い! おとーさん私たちもケーキとタルトとミルフィーユ食べよ~!」
「夕飯の後に喰いすぎだっての。ったく、勝手に遅れて、また虚先輩に怒られますよ?」
俺の苦言にとっつぁんはうるさそうな顔をした。
「ちゃんと虚ちゃんも呼ぶわよ! どうせもうこんな時間だし、官邸その他への連絡は話を詰めた明日で十分だわ」
「いいえ。出来る限り迅速に結果を報告するべき事案です」
思わず振り向くと、本音の姉が無表情で立っていた。
「お、おね~ちゃん」
「まったく、こんな事だろうと思いました。デュノアくんと織斑くんは夕食の時間を与えますが、その後すぐに生徒会室にて事情聴取等を行いますからね。本音も音羽くんに手伝いをお願いして。今夜は忙しくなるわよ、徹夜を覚悟しなさい」
「え~そんなぁ~」
生徒会の実質運営役が厳しい目で言うと、その硬質なデザインのメガネがキラリと光った。
「んもーっ! こんなに頑張ってるんだから、もっと私に優しくしてよーっ!!」
「うるせえなもう夜だぞ。手伝ってやるから静かにしろよ」
俺たちのやりとりを一夏とシャルルの二人はポカンとして見つめるばかりだった。
「……三治、よく分かんないけど生徒会って大変なんだな?」
「ボクも何と言っていいのか分からないよ」
やいのやいのと廊下で押し問答する会長と虚先輩に大あくびした俺は、さっさと本音と二人を連れて食堂に入った。
この上数日先にはさらに厄介な転校生がやって来るという。俺たちに平凡な日々がやってくるのはいつの日か?
本当にお待たせしてすみません。二度目の引越し、鼻炎、期末の納期……いろんな事が重なりすぎ、更新がずいぶんと遅れてしまいました。
まぁ、一話にいろいろ詰め込みすぎたり、一話で無理にまとめようとする悪いクセが、遅れる最大の原因かもね……ダメじゃん。