ロウ、と友が吠える声がする
『御疲れ、友よ』
絵本から顔を上げ、その黄金に輝く鬣を持った姿を確認して、私はそう告げた
友……獅子の背には、何処から見ても襤褸雑巾と言いたくなるような人間の残骸……いや、死にかけの人間の姿がある
こっそり館まで運んで欲しいと頼んできたキャスター様の姿は無い。用意があるとか何とかで友と私に移送を押し付け、そそくさと戻っていった
ふと、そんな襤褸、すなわち裁定者に本気で挑んだ阿呆の姿を見る
どうしようも無い阿呆。ヴァルトシュタインの敵、見ているだけでチリチリと心がざわめいてならない
恐らくは……これが、この死に損ないレベルであっても感じる彼は倒すべき敵だという直感が、かつて母上が言っていた力。ネガ・ジェネシス……対正史の力。正しき歴史を、それに由来するサーヴァントを否定する、彼が獣の片鱗であることの証明だろう
だが、見て見ぬフリをする。猛り狂うバーサーカー、そしてヴァルトシュタインは見張りをしていろと言った訳であり、その役割としては彼が当主の意にそわず運び込まれるのを見逃す訳にはいかないのだが
館に幾らかある小さな扉の前、友が立ち止まる
ふと気になって、襤褸のような彼をもう少し見てみる事にした
友の背に俯せにされた彼の顔を左手で押し上げ、覗き込む。反応は無い
……あまりにも、酷い怪我だ。恐らくは雷に焼き焦がされたのであろうか、右目の辺りの損傷が特に酷い。生きているということは脳にまでは届いてはいないのだろうが、眼球は魔術的に破壊されている。右目が目としての機能を保った状態にまで回復するのは不可能だろう。左腕も見てみるが、やはり同様。どうしようも無い
更には全体的に、細かい傷が多く……そして、異様に軽い。恐らくは血が足りていないのだろう。光の剣を振るう彼と刃を交えた時に何となく感じたが、彼の力は血を使う。自身の一部である血を混ぜて、魔力を汚染している……とでも言うべきだろうか。傷つき血を流せばその分周囲の魔力すらも汚染して力に変えるが、限界を越えて使い続け、失血で倒れた……といった感じだろうか
ゆっくりと、少年の体を元に戻す。殺すならば、少し乱暴に友の背から蹴落としでもすれば良い。いや、それこそ強く叩けばそれだけで分解するのではないだろうか。それほどまでに、彼が未だに生きているというのは、奇跡的な事だった
『……獣の片鱗……』
無意識的に、そう彼を見て呟く。サーヴァントとしては、今すぐに殺すべき相手。だが……
私自身、彼は嫌いでは無い。似たような瞳を知っているから
我が王、アーサー王、アルトリア・ペンドラゴン。私が出会った彼女は、既に民のための王であろうと旅を終えた後。その瞳は、何処か彼に似ていた気がしてならない
だから、個人としては見てみたくもある。彼の果てを。もしかしたら、彼ならば……あの
『それにしても、厄介な
血がこびりつき、白髪と朱の斑になった彼の髪に触れながら、そう呟く
ぽろり、とギリギリの所で繋がっていたらしい彼の右手の小指がとうとう揺れに耐えきれなくなったのか彼を離れ落ちる
あの
彼女に自覚は恐らく無い。恐らく、恋そのものを知らない。恋自体をしたことが無いだろうから。だがしかし、まあ間違いは無いだろう。あの恋を知らない難儀な少女は、誰かの為に全てを捨てた瞳の少年に恋をしたのだ
ならば、恐らく……少女は少年の為に全力を尽くすだろう。それは雑じり気無しの善意であるに違いない。そうして何処までも、あの
恋は人を狂わせる
『「お前は俺のものだ、総て寄越せ」くらい言えないと苦労する、だろうな……』
例え今日を生き抜こうと、彼に平穏は有り得ない。正直、此処で死んだほうが彼はまだ幸福かもしれない
『だけれども、勝手に信じよう、ザイフリート・ヴァルトシュタイン。お前があの
善意でのみ生きた、あの少女を
『救う存在になる、と』
ぎゅっと、騎士を目指し、王に恋する切欠となった大切な絵本を……母が幼少に描き読んでくれた『姫騎士アルトリアの冒険』を握り締め、私はそう呟いた