目を開く
……何時の日か、見た事がある気がする天井。確か、これは……この元が小さな物置故の建材剥き出しでロクな灯りの取り付けられていない天井は、そう、ヴァルトシュタインの館の一室、フェイの部屋の天井
気が付くと、霊子の壁も、あのマーリンの姿も無い
聞きたい事があったのだが、他愛もない俺の回りの女性陣に関しての語りで時間を潰されてしまった
……彼は、本当にマーリンだったのか?それを聞くことは出来なかった
影は魂。俺は既に半分ラフムだから、影がラフムになっていると彼は言った。ならば、影にわずかな違和感、本人との差違があった気がする彼は本当にマーリンなのか?まるで、高下駄なんかで本来より小さいのを誤魔化している、何故かそう見えて……。実はあれはマーリンに近しくて、それでもそのものではない何かなのではなかろうか
だが、奴が無駄に少女を語って逃げた腐れ魔術師である以上、その結論が出る事は恐らくは無い。向こうから夢の中にまでやってこなければ、恐らく出会う事は無いだろうから
瞬きをする。夢の中からそうだったが、右の視界は無い。そして、頭に走る鈍い痛み。やはりというか、あの最後の激突の際に光の奔流を受けきれなかったのだろう
まあ良い。寧ろそれだけで済んだというのは幸運だ。両の目が光を喪っていれば、心眼で全てを見通すという、俺では遠く及ばない達人の領域が戦闘に必要になってしまっていただろうから。左目が残っている、ならば距離感は狂うし右がほぼ確実に死角になるが、戦えないレベルじゃない。まだ、この手は聖杯へと伸ばすことが出来る
霧がかかったような頭で、ふと、枕元を見る
剣士の絵が描かれた、俺の中のサーヴァント、ジークフリートのものであろう金のカード。クラスカード、セイバー
良く解らないが、少女にも見える絵が描かれた、紅いカード。クラスカード、ビーストⅡ
そして、空白、何もないと手にした時に直感した、何故あるのか解らない黒いカード。俺自身という何でもない存在を象徴するのだろう、クラスカード、ブランク
あれが夢で無かったという証明のように三枚のカードは其処にあった
体が重い。とても重い。無事だろうに、右手を動かしてカードを取る気すら起きない
だがしかし、どうしようもなくあそこで終わっていたはずの俺の現状としては最上に近い。彼女が居なければ、きっと俺は救済されて終わっていた
あの一瞬が、あそこで終わるべき俺を、世界の敵にまで変えたのだ
「……有り難う、アサシン」
ふと、そんな言葉が口をついた
恐らくあの時、俺は感謝の言葉を口にしていなかったから。生き残った者の務めとして、何でか俺の為なんかに命を捨てた者に感謝を口にして……
『んっ』
有り得ない、言葉を聞いた
さも当たり前のように、アサシンが其処に居た
『……おはよう』
「……生きて、いたのか……」
……有り得ない。間違いなく、アサシンは消し飛んだはずだ。だというのに……
だが、それでも分かる。彼女はアサシンだ。この聖杯戦争に呼ばれたサーヴァントだと、マスターとしての俺は見ただけで理解する
ふるふると、アサシンは首を横に振る。フードを被っていないので、柔らかな青い髪が揺れる
『死んでた』
「は?」
『のっと、生きてた。ばっと、生き返った』
「……生き返る?」
『問題ない。一度死んだ』
「いや、何が問題ないんだ」
『令呪』
「……ああ」
理解する。生き返ったとしても、ミラからの俺を殺せという令呪の効力は一度死んだ時点で切れているから警戒しなくて良い、という話か
それよりもアサシンが消滅していない事の方が余程気になる。何でか味方をしてくれるアサシンが生きていた、とても有り難い事ではあるのだが
ああ、だけれども……考えるのは後で良い。時間はまだある。今は頭に霧がかかったようで、体力が足りてないのかとても眠い……
「そもそも、殺す気ならば意識が無いうちに出来たはずだ。警戒していない」
『良かった』
ひょい、とベッドから降り、アサシンは返す
……というか、今までアサシンが乗っていた訳か。軽いだろうとはいえ、そんなものが乗っていれば体が重いというのも流石に当然か
……アサシンの本体は恐らく少女。今俺が認識している彼女だろう。それが俺の上に乗っていた……というのは、少し引っ掛かる。そんな幸福を享受する悪魔など裁かれろ。あのマーリン?は色々と色恋語ったが、それでも尚勝てる程聖杯戦争は甘くはない。幸福は人を弱くする。ああ、恋で人は強くもなるだろう。恋する誰かの為に、今の自分を越えだろう。あまりにも弱い俺の心も、少しは強くあれるかもしれない。だが、それは……それを切り捨てる際に、更に苦しむ事に他ならない。知っているさ、俺は弱い。背負うものの重さに耐えきれないから、背負ったフリだけで逃げている。そんな俺が、今以上の幸福の重さに耐えられる訳がない。そんな尊く彼から奪われたものを、こんな弱い俺が捨てられる訳がない。幸福は、何時か俺を弱くして、彼を本当の意味で殺す
それは彼への裏切りだ。幸福は……ゼロであったはずの俺が、彼の不幸をそのままに、彼の分まで生きる等と妄言を吐きかねない毒だ
第一、獣の片鱗?ラフム化?上等だ、使えるものは全て使う。そうでなければ、ミラにもアーチャーにも勝てはしない。勝ち目を自ら潰して何になる。ミラが俺を救うという限り、ミラとは戦うことになるだろうし、あれなくして勝とうというのは虫が良すぎる。幸福を享受してわざわざ弱体化する理由なんて何処にもない
ならば悪魔に幸福など不要。第一、俺は既に幸福だろう。ゼロだったはずの俺は、あまりにも恵まれている。つまりだ、下手に胸に触れるなどが無いだけマシだが、彼の幸福を奪っておいてのうのうとラッキースケベなど死にさらせ!
頭が働かないからか、何時もより憎悪が少し抑えられない。そんな頭を無理矢理にでも切り替える
「改めて、有り難うなアサシン」
あれはあくまでもアサシンに向けたものでは無かったから。俺自身のけじめに近かったから。アサシンの目を見て、改めて礼を言う
『死ぬほど痛かった』
「というか、死んでたんじゃないのか?」
『死んでた。痛かった。もうやりたくない』
「……悪かった。俺は何を返せば良い?」
命を張ったのだ。この言い方は……
『あいすくりーむ』
「それで本当に良いのか?」
『憧れ』
「分かった。それで良いならば」
安かった。例え生き返る宝具を持っていたとしても、仮にもサーヴァントに死ぬほどの事をさせてアイスクリームを幾らか。代価としてはあまりにも安すぎた
「というか、今冬だぞ?」
少し気になって問う。ひょっとしたら、アサシンはアイスクリームが何なのか、良く知らないのかもしれないから
『?』
こくん、とアサシンが首を傾げる
「いや、アイスクリームは冷たい氷菓子だ。冬に食べるのか?」
『聞いたことがある、冬にこそあいすくりーむ』
「いや、それは……」
寒い冬、暖かい部屋、そして冷たいアイス。案外人気がある。ならば、アイスクリームというのも間違ってはいないのかもしれない
「分かった」
そう結論付けて返す。けれども……俺はアイスクリームに関して、こんなに博識だっただろうか
まあ、良いか……
『楽しみ』
そう、アサシンは
『……起き……まし、た?』
ふと、右腕辺りから声がした
ああ、そういえば……意識していなかったが、右手の重さは、アサシンが退いても変わらなかった。右目が見えず、視界が減っているためにその存在を見落としている事に気がつかなかった
だが、そもそもだ。此処はまず間違いなくフェイの部屋。誰がどんな事をしたのかは分からないが、奇跡的にそこへと運ばれていた
ならば、それはフェイの意思が大きく介入していたに違いはない。そこまで来て、部屋に主が居ないというのはまず有り得ない。アサシンに気を取られていたが、考えて然るべきだった。まだ頭がまともに働いていないのかもしれない
頭を動かし、右手の辺りを見る
俺の右手を枕にし、何時しか眠ってしまったといった感じでベッド横にひざまずくような体勢の
「……フェイ……」
体を起こそうとして……
起きない。まともに体を起こせない。顔だけならば何とかなるが、それ以上の事は出来ない
『無理しないで下さい。まともに動けないと思うので』
「……情けない」
『というより、あの状態から一晩で意識を取り戻したのが驚きです。明日の朝位になるのではと思っていました』
「今は……?」
ミラとの激突から大体5時間、朝の六時すぎ
『貴方の何時もの起床時間は過ぎましたね。まあ、今の貴方を起きていると表現すべきかは微妙ですけど』
「どう、して……」
俺を助けた。こんな、明確にヴァルトシュタインに逆らうような事を
『ライダーが運んできた時、それはもう……全体の八割は出血したんじゃないかって位でしたから。生きていてくれて助かりましたが、生きていたのが不思議です』
「……違う、何故、俺を」
『助けない理由がありますか?』
「フェイ、俺は」
『「俺はお前を裏切る」ですか?
……馬鹿な事を言わないで下さい。アナタの事を一番知っているのはワタシですから』
フェイは、少しいたずらっぽく笑う
『あんな行動、想定の内です。裏切るというならば、想定外の行動くらいやってください』
……何も、返せない
……想定内?裏切ることを分かっていて、それを認めたという事か?
……理解出来ない。何故、何故?
考えても、答えは出はしない
『そもそも、手助けする気がなければ、あんな風に物資を贈ったりしません』
「……それも、そうか」
ああ、霧がかかる。頭がぼんやりする
『という事で、暫く大人しく寝ていて下さい。只でさえどうしようもないくらいにボロボロなんですから、悪化しかねない無茶は止めて下さいね寿命削れますよ
ワタシは、朝御飯を用意してきますので』
そう告げて、フェイは自身の部屋を出ていった
……言われてみれば、この気だるさは貧血の症状の1種なのだろう
全体の半分を出血すればまず死、動脈ならばそれ以下でも死にかねない、が基本だとすれば、片腕というあまりにも大きな傷口があって八割出血していて無事というのは奇跡そのものだ。大分人間を越えた……サーヴァントっぽくなってきたというところだろうか
『大丈夫?』
アサシンが、そう訪ねてくる
「ああ、大丈夫」
今はボロボロでも、治れば戦える。銀霊の心臓の力は未来からの『回帰』。未来を使い潰す代わりに、生きているならば、現在に関してはそれこそ異様なまでの性能を発揮する。流石に消し飛んだらしい左腕や右目まではそうそう治らないだろうが、背骨の骨折程度ならば半日も掛からないだろう。細かい傷は能力上支障は無い為に治癒範囲外となり、結果細かい傷がどんどんと増えていくが、大怪我に関してならば、かつての左目の傷のように1日もあれば十分に治ると確信出来る。もう少し傷が浅ければ、或いは、あの神鳴が摂理に立ち返る祝福の性質持っていなければ、治った可能性は無くもないが、今更過ぎる
「アサシン」
『?』
フェイが居るうちに聞いても良いだろうが少し反応を見たくて、フェイが戻るまでの、何も出来ない時間を潰したくて、俺は口を開く
「マスターとは、フェイか?」
『しーくれっと、マスターに聞いてほしい』
「そう、か」
少し期待したが、返ってくるのはそんな答え
フェイの手を良く観察していなかった事を少しだけ後悔する。戻ってきたら見えるとはいえ、何もする事がない、という事そのものに、俺は慣れていない
だからせめて、まだ頭の回転は重いが、何かを考察していたかったのだが……
アサシンを、しっかりと見る
何だろうかというように、アサシンの赤い綺麗な瞳が、此方を見返してくる
……大丈夫、十分。何となく掴めた。口にすれば、しっかりとした形になるだろう
「アサシン。お前の真名は……」
『しーくれっと』
「いや、自分でも分からないんじゃないか?」
だから、最後のピースを嵌めるために、そう問う
こくり、とアサシンは頷いた
ビンゴ。ならば、と大体の事を理解する。恐らくはという真名に辿り着く
『どうして?』
「これからも同盟して共に戦うならば、知りたくなった
だから、自分なりに辿り着いた。その答えが、アサシン自身にも分からない、だった」
アサシンは、黙って頷く
そう、忘れていた。マスターとサーヴァントは何らかの縁で召喚されるという、あまりにも当たり前の事を。マスターは分からない、何かを使ったのかもしれない、そんな……アサシン自身が否定していた事を念頭に入れてしまっていた。流石にそんな答えな訳はあるまい、と、そうして考えを飛躍させた
だが、ヒントそのものは、アサシンが語った事に全てあったのだ
……そう。アサシンのマスターは、アサシンを呼んだマスターは、俺と同じヴァルトシュタインのサーヴァント擬き。自己を、自我を、最期のその時まで確立出来なかった、誰でもない誰か
……そもそも、バーサーカーの存在の時点で気が付くべきであったのだ。その天敵も、同質の存在である事に
即ち、アサシンの真名は……
口にしにくい。どう名付けるのが正解なのか、良く分からない。だが、敢えて分かりやすく名付けるならば……
「
ぴくり、とアサシンが反応する
「魔ある所、人が必ず口にする幻想、闇を払う
その中の誰かを核として顕現した、個々は確かに誰かであったはずなのに、あまりにも多く語られるうちに、誰でも無くなってしまった、英雄物語の主人公という概念
……そうだろう?アサシン」
ならば、彼女等、そして彼等が俺を希望などと一見バカみたいな呼び方をする理由も、何となくは想像が付く
俺を、誰でもない所から個人を取り戻した……あるいは、個人を確立したものとして見た。俺に、無数の誰かの集合体、誰でもない誰かになってしまった彼女等は、個人に戻れる希望を見た
『いぐざくとりぃ』
静かに、アサシンはそう答えた