数十分後、私とアーチャーは、郊外にある教会の前に立っていた
森のすぐ前、教会の庭の範囲を示すであろう塀を越えてしまえば、そこはもうヴァルトシュタインの森の入り口とも言える目と鼻の先に、その教会は有った
塀に囲まれた範囲こそそれなりに広いものの、それ自体は偉容と言えるような大きさをしていない、寧ろ伊渡間という都市の大きさと、此処にしか教会が無いことを考えれば大分小さな教会だ
と、此方の存在を確認したのか、教会の中から一人の少女が駆けてきた
『はいはーい、何かこの教会に御用かな?』
「あの、えっと……」
相手を見て言い淀む。明るそうな、そして人の良さそうな少女だ。多少彼女に似合うように、可愛らしいアレンジが見える服装に、外国人らしい肌と淡い金の髪が良く似合っている
魔術師……といった感じはしない。魔術師の弟子といった感じであれば良いけれども、魔術について知っているかどうかも怪しい少女に、正直に目的を告げて良いものか分からない
『……
アーチャーもそう思ったのだろう。何時ものマスター呼びではなく、私の名字を呼ぶ形で助け船を出してくれた
「あの、神父様に、相談したいことがあって」
『んーと、懺悔とかそういう事かな?』
「似たような……感じです」
『ん、分かった。わたしがちょっと話を通してくるから、教会に入ったら右の小部屋で待っててね』
言うと、少女は軽い足取りで教会へと走る
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「……君か」
言われた通りの部屋。懺悔室……という訳ではない、教会の一室。客人を迎えるためのものであろう場所
私の前には、一人の男が居た
黒い司祭服に身を包んだ、若いというには老けているが、
神父様だというけれど柔和な感じは無い、寧ろ引き締まった手や、険しい顔立ちを見るだけで恐怖感すら湧いてくる、そんな教会には何処か似つかわしくない存在
彼は、自身をアルベールと名乗った。この地に聖堂教会から派遣されてきた神父だと
「はい」
多少の萎縮を感じながらも、私はそう答える。敵意は無い分、昨日のセイバーと呼ばれた男に比べれば幾分かマシだ
「……この教会に何用だ?流石に……」
神父様はちらり、と私の横、アーチャーを見る
「昨日の今日で聖杯戦争を脱落したくなった、というのではなかろう?」
一瞬、固まった
理解が、追い付かなかった
あっさりと、聖杯戦争という言葉を神父様が出してきたのもそう。けれど、それ以上に
「脱、落?」
それは、此処から逃げられるというような
「
「出来るんですか!?」
それは、私にとって福音にもなりえる言葉だった
一度参加してしまった、アーチャーに助けられてしまった。その時点で、死ぬかも知れないアーチャー曰く聖杯戦争から逃げられないものだと思っていた
けれども、降りられるものだというなら……
即答は流石に出来ない。もしも聖杯戦争から降りたならば、きっと私はもう大切な-あの日失ってしまった-彼に二度と会うことは出来ないのだろう。そんなのは……やっぱり嫌。そんな事、彼を諦めるなんて事、軽々しく言いたくない
けれども、だとしても、死んでしまったらやっぱり彼には会えない。死後の世界なんて知らないし、もしかしたらそこでならば会えるのかもしれないけれども
いや、駄目だ。もしも戦争中に死んでしまったとしたら、私が、自分が彼に会うことを許せない。貰った命をあっさり捨ててしまったのに、どんな顔して会えば良いか分からない
「……可能か、という話ならば可能だ」
神父は、念を推すような低い声でそう答えた
ならば……私は……
『っと、取り込み中だったかな?ゴメンね雰囲気壊しちゃって』
と、少女が部屋に入ってきた。その手にはお盆の上に乗せられた、湯気の登る3つのカップ
「……ミラ」
『アルベール神父、お客様だし、何か出した方が良いでしょ?
とりあえず紅茶でも飲んでいってね』
あんまり良い葉っぱじゃないけどね、と笑い、ミラと呼ばれた少女はそそくさと出ていった
「……好い人ではあるのだがな」
話を途切れさせられ、少し困った風に神父はそう切り出した
「話を戻そう。聖杯戦争を脱落したい、という話だったか」
言葉に詰まる
降りようと、一度思った心がクールダウンする
「……少し、待ってもらえませんか」
ほんの少し、時間が空いたことで冷静になる
私は聖杯戦争について何もしらない。アーチャーと、多分セイバーというのも参加者なのだろう、聖杯を求めての戦いなのだろう、その点くらいだ。何も知らないまま安全に脱落出来るという事に飛び付くには、少し性急すぎた気がする
「では、何用か」
「聖杯戦争について、教えて下さい」
相手を見据え、私はそう言った
「……良かろう。では、この地での聖杯戦争について語ろう」
神父様は軽く頷くと、目の前に置かれた紅茶を一口啜る
「まず、一つ確認しよう若きマスターよ」
「魔術の基本、魔法との差等は知っているな?」
「一応は」
魔術とは神秘、等価交換の術だ。魔力を使い、疑似的に奇跡を再現する。魔力、もしくは何らかの物質を代価に、一見すると奇跡にも見える現象を引き起こす
例えば、私がかーくんから習った呪い等だ。相手に指を向けるだけで、自分の追っている傷の深さに比例した傷を相手にも与える呪い。それは一見すると奇跡にも見える力だし、そういったものが魔術だ
一方魔法は……良く分からない。かーくんは、他の手段で再現出来ない本物の奇跡こそが魔法だと言っていた。あえていうならば、私の呪い等は、剣で相手を斬れば同じ傷を追わせる事だって出来る、つまり他の手段で代用出来るから魔術で、別の世界を作って移動するなんて事は他のどんな方法でも今現在は出来ないから魔法、ということだろうか。魔法と魔術の差は、実は割と曖昧でいて、タイムマシンがもしも完成したら時間移動の魔法は魔術に成り下がる。かつては空を飛ぶことだって神々の魔法だったけれども今は魔術って扱いなのかもしれないってのは、かーくんの言葉だっけ
「ならば良い。聖杯戦争とは、簡単に言えば聖杯……万能の願望機を核として行われる、聖杯の奇跡を求めた魔術儀式だ」
「万能の……願望機、聖杯……」
「それが本当に、バイブル……あるいはかの騎士王の伝説に記される聖杯なのかは分からん。だが、聖杯戦争を起こせるに足る、サーヴァントを呼ぶ力をもった願望機であれば、それは聖杯と呼ばれる」
「……サーヴァント」
召し使い。アーチャーが言っていた謎の単語だ
「この地での……」
『すまねぇ神父アルベール。そもそも、このマスター、サーヴァントが何なのか多分知らねぇわ。オレが来れた以上何かあるなーって感じはするし、大ボラ吹かねぇ為にオレは何も言ってないからな』
アーチャーの言葉に、一瞬神父様の目が揺れる
「……成程。道理であのような自殺行為が出来る訳だ」
「自殺……行為?」
説明してくれると言ったのに、訳が分からないものが増えていくばかりだ。私は、何も死に繋がるようなことはしていない。その……はずだ
紅茶を飲んで心を少し落ち着ける
「では、それを理解させる為に、聖杯戦争で呼ばれる最高格の使い魔……サーヴァントについて語ろう」
「若きマスターよ、サーヴァントとは何だと思う?」
「……高位の魔術師……ですか?」
「違う。彼等は……」
神父様は、アーチャーの方を見る
「かつて神話や伝説に語られた、或いはこれから先の未来、人々に語られるようになる英雄、即ち英霊だ」
「……英、雄?」
思わずアーチャーを見る。穴は空いているけれども現代的な衣服、私を普通にホテルまで運んでいけるなど割とこの時代に慣れた感じ、昔の人にはとても思えない
「彼等は召喚の際に最低限の知識は与えられる。召喚された時代でも行動出来るようにな」
まるで心を読んだかのように神父様の言葉は続いていく
「では、何故彼等は……現代の魔術師を遥かに越える英霊は、聖杯戦争に際し自身より劣る魔術師達の召喚に応じ、君との間柄のように自身を使い魔とする契約を交わすのか」
神父様の瞳が、私を見据える
「決まっているとも。彼等は自身のマスターを聖杯戦争の勝者とする事で、自身も聖杯の奇跡を得る為だ。聖杯を得る為に、英雄がなし得なかった何かの奇跡を成す為に、彼等は人に従う」
「……聖杯を、得る」
つまり、それは……ならば、私がやろうとした事は……
「聖杯戦争を降りるという事は、聖杯を求めて契約しに来たサーヴァントに向けて、自身の勝手な都合により『聖杯は諦めろ』と言うに等しい」
「……それ、は」
「サーヴァントにとって、何よりの裏切り。マスターを、この世界に召喚される楔を失ったサーヴァントは魔力を枯渇させ消えるだろうが……
その前に、きっと裏切った主君を滅ぼすだろう」
……言葉が出ない
「では、改めて、この地での聖杯戦争、魔術教会からはヴァルトシュタインの聖杯戦争と呼ばれる儀式について語ろう」
そんな私を気にせず、一息を入れて、神父様は話を続ける。淡々と……いや、少しだけ悪趣味に、茫然とする私相手に、口の端をほんの少し上げながら
「此度の聖杯戦争はヴァルトシュタインの聖杯が引き起こしたもの。第七次聖杯戦争
形式は実にオーソドックス、7つのクラスのサーヴァントが召喚され、聖杯に選ばれた7人のマスターが、互いに相手のサーヴァントを潰し、最後に残る勝者を目指すものだ」
と、神父様はポケットから、7つの駒を取りだす
「サーヴァントは7種。其々に役割があり、クラスに合わせた形で、英霊の一部が召喚される
全体的に優秀な能力を持つ事が多い、
剣を持った、黒い駒が置かれる
「高い俊敏性と白兵戦に長けた能力を持つ事が多い、
槍を携えた、やはり黒い駒が置かれる
「弓等の飛び道具を携え、遠距離での戦闘に優れた、
弓を持った駒が置かれる。……これは白い駒だ
「機動力に優れ、多くの切り札を持つ事が多い、
良くわからないものを持った白い駒が置かれる。これは……手綱を模しているのだろうか
「基本的に現代の魔術師を越える魔術の使い手、
杖を持った黒い駒が置かれる。白と黒とは何が違うのだろう
「マスターの天敵、闇に潜む死、
小さなもの、多分ナイフだろうものを持った白い駒が置かれる
「そして、狂気の英霊、あるいはマスターによって狂気を付加された者がなる破壊者、
何とも言えない形の白い駒が置かれる。翼か何かだろうか、よく分からない
「そしてエクストラクラス……基本の7種に属さぬ英霊。セイバー、ランサー、アーチャー以外の何れかのサーヴァントと入れ替わる事がある特殊事例、何が来るかは想像もつかん。そもそも、今回存在するのかも、な」
駒は置かれない
「以上が、聖杯戦争の基盤となるもの。サーヴァントについての基本事項だ。何か質問は、若きマスター?」
神父様が漸く話を切り、此方に問いを投げてくる
「……まず、白と黒の駒の差はなんなのか、教えてください」
「白と黒の駒の差か」
神父様は、眼前の机上に広げた駒を一ヶ所に集める
……気が付くと、黒かったはずの駒の一つ、杖を持った駒が、白い色へと変わっていた
『つい先程、キャスターの駒が白く染まった。他に反応も変化もねぇのに、一つだけな
……ひょっとしてアレか?サーヴァントの召喚未召喚を示すのか?それにしては妙だが』
「正解だ、アーチャー。これはヴァルトシュタインとの交渉の果てに監督役としての責務の為に手にした魔道具」
神父様は黒い駒、セイバーに触れる
「黒い駒は、そのクラスの英霊が未だに召喚されていない事を示す」
逆の手で、キャスターの駒に触れる
「白い駒は、そのクラスの英霊が召喚されている事を示す。つい先程、キャスターが呼ばれたようだな」
そして、退場したサーヴァントの駒は砕け散る
全ての駒を回収しながら、神父様はそう締めくくった
……可笑しい。昨日戦った光の剣を持つ男の事を、アーチャーはセイバーと呼んでいた。なのに、セイバーは召喚されていない……らしい
ならば、昨日の彼は、一体何だったのだろう
『んで、この聖杯戦争……第七次とかふざけた事言ってたが、本当なのか?』
私の思考を乱すように、アーチャーがそう問う
「事実だ。これはヴァルトシュタインの聖杯戦争。この地で行われる、7度目の……そして、ヴァルトシュタイン曰く最後の聖杯戦争だ」
「7度目って」
「事実だ、若きマスター。過去6度に渡ってヴァルトシュタインは、己の持つ聖杯、ヴァルトシュタインの聖杯をもって聖杯戦争を起こし」
声のトーンが下がる
「過去全ての聖杯戦争に、当時の当主は勝利してきた
キャスター、ライダー、セイバー、ランサー、アーチャー、そしてアサシン。毎度、違うクラスのサーヴァントを従えて、な」
つまり、それは……
今回はバーサーカーを使い、勝利しにくる……という事なのだろうか
「故にこれは、ヴァルトシュタインによる、ヴァルトシュタインの為の聖杯戦争
過去、ヴァルトシュタインに勝ち、聖杯を得ようとした魔術師は居たが、誰一人として帰ってきた者は居ない
一人残らず、ヴァルトシュタインの前に屍を晒し、あの森の養土となったという」
森の養土。私が……昨日、なりかけたように、だろうか。殆ど誰にも知られること無く、見知らぬ森で死んでいく……
怖い話だ
嫌な話だ
私に再び、降りかかるかもしれない話だ
……魔術師が死んだ、というのが、少し気になった
「神父様、聖杯戦争の解説で『サーヴァントを潰し』と聞きました。なのに、マスターは死ぬのですか?」
「死ぬとも。聖杯戦争を起こす理由は、聖杯が願望機として機能するには、6騎のサーヴァントの魂が必要であるから
故に聖杯戦争は、自身のサーヴァント以外の6騎が倒れた時に勝敗が決する
……そして、敵のサーヴァントを倒すのに最も効率が良い方法は、相手のマスターを殺すことだ
マスターという魔力を供給する楔を失ったサーヴァントは、魔力を枯渇させて勝手に消滅する」
「……つまり、マスターを殺す必要は無いけれども、殺した方が楽に勝てるから……殺す?」
……怖かった
そんな思考を出来る、当たり前の様に人を殺せる、そんな人が……昨日のあの男のような眼をした相手が居ることが
「そうだ。初代以来、ヴァルトシュタインの家は、聖杯戦争に勝つ為に全力を尽くす。全ては7度の……ヴァルトシュタインの聖杯が引き起こす、全ての聖杯戦争を勝ちきる為だと」
話を切るように、神父様が残された紅茶を飲む
「では、細かい話に移ろう。若きマスター、手を出せ。痣のある方だ」
言われるままに、一晩たっても赤い傷の残った左手を出す
「……一画削れているな。兎も角、それは令呪という。サーヴァントとの契約の証であり、サーヴァントとの魔力的な繋がりであり、そしてサーヴァントに対する絶対的命令権でもある」
……似たようなことは、アーチャーも言っていた
「……絶対的命令権?」
『そうそう、例えば……令呪を使ってオレに死ねと言われたらオレは自殺するし、令呪を使ってオレに天竺に行けと言われたら天竺に行くし、令呪を使って来いと言われりゃ地球の裏側からだって一瞬で駆け付ける
それが魔術的な絶対命令権。基本的にマスターより強いサーヴァントを抑えるための切り札な
……とはいえ、無理なもんは無理だし、ある程度は抵抗も出来る。絶対的ってのは誇張だな』
「つまり?」
『とあるサーヴァントに勝てと令呪で命じられても、そりゃ強くはなるが、使っただけで確実に勝てる訳じゃねぇ、そういう事さ
まっ、これでも上級のサーヴァント、令呪なんて使われなくても美少女マスターの応援だけで、優勝にゃ十分だがね』
さも当然の事のように、軽くアーチャーはそう言った
「……とりあえずは、こんな所か。では若きマスター、暫く時間を与えよう。聖杯戦争に参加するか、それとも降りるか、此処で決める事だ」
言い残し、神父様は部屋を出ていく
部屋には、アーチャーと私だけが残された