その瞬間
「アーチャー、紫乃を……!」
神巫戒人の姿が、貫かれた腹から、あの日アルベール神父に射抜かれた腕から、そして……当の昔に、心音を誤魔化す以外の意味を喪っていた、バーサーカーによって壊されていた心臓から、噴出した血によって変貌した
その姿は、あまり変わらない。当然だ。吸血鬼とは、人より産まれる人に近しい姿の夜の怪物なのだから
顔は、血の気が引き瞳が完全に赤く染まった以外は完全に元の戒人のまま。髪の色すら、ストレスからか白髪になった俺と違いそのままの黒髪。大きく変わったのはただ、装束だけだ
纏う衣が、俺の偽物と同じく、血そのもののマントを羽織ったものへと変わる
「……漸く気が付いたのかよ。愚図共がよ」
「……嘘、だよね……?」
ぼんやりと、現状を理解していない、いや理解したくないといった感じで、紫乃が視線を吸血鬼に向ける
ああ、分かるとも。それはそうだろう。神巫雄輝という心の支えを喪って、更にはその従弟までもが死んでいた?その上、その従弟の遺骸と魂を侮辱して、敵が彼に成り済ましていた……
そんな現実、紫乃の立場なら俺だって認めたくなど無い、脳が理解を拒否しても仕方がない
『……これが、あなたが見せたかったものなのかな?アサシン?』
俺の背後で、ミラがアサシンにそう問い掛けているのを、俺は何処か遠くで聞いていた
俺が今此処に居る理由は簡単だ
神巫戒人と行動している、ただ、その一言が、どうしようもなく引っ掛かったから、ただそれだけの理由で、俺は電話を切り、そのままその足で、紫乃達が来るであろう教会へ向かった。ミラの説得は、出来ると頷いたアサシンに任せて
そうして、見付けた。俺の
……こんなものが、本当に世界を救うために必要なのか、
何て……弱い。自分で自分に反吐が出る。
そんな権利……紫乃達に同じ思いを味あわせた俺が、最初から持っている訳がないだろう!
「……うだうだと喋るな、下郎」
「ははっ!そんなツレナイ事を言うなよな、
「黙れ。俺は確かに貴様の同類の悪魔だ。貴様と同じく、人の体を弄ぶ下郎だとも。魔術師の体故か自我を持ったらしい貴様と何も変わらない
だが、貴様は気に入らない。よって、此処で死ね」
それが、俺のせいで死んだ、神巫戒人の最期の願いを……少しでも叶える事だから
…………いや、違う。そんな大義名分等嘘っぱちだ。そんなもの、紫乃みたいな
「全部、嘘……だったの?」
「嘘じゃないさ、あの間抜けな餌は、本気で自分があそこで逃げ切れて、お前にあって救われたって……そんな阿呆な勘違いをしたままに、よーく働いてくれたとも
全てが、死んでいる記憶を消されての、人形劇だってことにすら、気付かずによぉ!
滑稽過ぎて、笑いを堪えるだけでもギリギリすぎるってものさぁ」
さも愉しそうに、くつくつと吸血鬼は含み笑う
神巫戒人の声で。神巫戒人に酷似した顔で。その想いを、苦悩を、嘆きを……踏みにじる
『…………下郎が』
アーチャーが棒を吸血鬼へと突き付けながら吐き捨てる
ああ当然だ。アーチャーは
……だが、アーチャーは行動に移さない。あくまでも突き付けるままに止まっている
理由は簡単だ。話を聞ききっていないから。全てを聞き出し終わったその時、アーチャーは問答無用であの吸血鬼を消し飛ばすだろう
「……つまり、戒人さんは……」
「ああ、あれは間違いなく神巫戒人の意志だった。それだけは、嘘じゃない
……例え、全てがその後ろで嘲笑う吸血鬼によって、最も大切な事を忘れさせられた結果だとしても」
……そう、嘘じゃない。例えもう手遅れでも、どうしようもなくとも、それでも……
嘘なんかじゃない
だから、俺は……
『そして、その戒人の魂は……』
「実に、不味かったとも。下らん味だ
やはり、啜るのは絶望に満ちた少女のものに限る」
「もう、何処にも居ない」
目の前で、完全に喰われた。だから俺に戻ったのだ。どうしようもない。
ああ、だから……止まるものか、止まれるものか
そうだろうザイフリート・ヴァルトシュタイン。貴様は……大切だった多守紫乃も神巫戒人も既に完全に死んだ世界で、あんな慟哭を抱いて、それでも強く、毅然と!神巫雄輝に生きていけと言うのか
……少なくとも、俺は言えない
『そう。それが、貴方達の結論なんだ、ヴァルトシュタイン』
俺の後ろで、静かに見守っていたミラが、そう冷たく言葉を発する
『目的は正しいかもしれない。多くのために、少数を犠牲にするのも普通かもしれない
けれど、軽蔑するよ』
その言葉に、満足げにアサシンが頷いた
……行けると言っていたのは、この事か
僅かに納得し、意識を戻す
「それにしても非道い、酷いなぁ
……彼が倒れるまでずっと見ていたなんて」
嘲るように、吟うように、吸血鬼は話を続ける
「……黙れ。出ていくタイミングを逃しただけだ」
一目見た時点で、真実に気が付いた。既に手遅れだという事も
だから、即座に出ていこうとし……、そして、突然の襲来に、時期を逸した。アーチャーが負けるわけもない。恐らくは神巫戒人への疑いを更に晴らすための、そして俺への疑念を植え付ける為のヴァルトシュタインの刺客、どのようなものか確認したかったのもある
「それが、非道いなぁ……
助けてくれても良かったじゃないか、兄弟」
「知るか」
『ああ、もう良いわ。気分が悪い』
アーチャーが、キレ気味に如意棒を振り下ろし……
「遅せえって言ったじゃないか
……殺して良いのかい?」
血のマントを打ち砕き、されども止まる
『……な、に?』
「アー……チャー、」
ふと、紫乃が左の手を伸ばす
夢遊病者のように、ふらふら、と
『てめえ、まさか……』
「血を啜れば如何な阿呆でも気が付くだろう
されど、不安で握った手、その爪が当たる事など誰が気にするだろう
ああ、ああ、有り難う、実に有り難う。感謝してもしきれないとも
君の下らない心が、この今を産み出した。誰だったかな……まあ、知る必要もない君よ。君のその何も知らぬが故の間抜けは、じつに助かったよ」
『マスタァァッ!』
「アーチャー、私……どう、なっ、て……」
ぼんやりと、此方を見ている目は既に俺のように、或いは神巫戒人だと
『ったくよぉっ!
令呪でオレの力をマスターに適用した事にしたんだろうがよ、聖杯ぃっ!忘れてねぇぞ、あの辻褄合わせ
ならばそれは終わっちゃいねぇ。だからよ、全部……全部、全部だ!
マスターの背負ってるふざけたモン、まるごと全部、寄越しやがれぇぇぇぇっ!!』
その瞬間、その左手に刻まれた令呪が、紅く光輝いた
「……アーチャー!?何を」
その声は、その言葉を発した時の目は、ハシバミ色に戻っており……
「はは!そうだ、そうだとも
これは、お前の為だけの陥穽。貴様だけが掛かる呪い
忠実に過ぎる、規格外にも程がある」
「……どう、いう」
事態に付いていけず、紫乃の声が響く
「だから、だから、だからこそ!貴様だけは、見捨てるべきマスターの中に渦巻く、致死量を遥かに越えた
……
さも嬉しそうに、吸血鬼は笑う
「……何時か、俺はゼロに消えるだろう」
「んン?何が言いたい、兄弟?」
「きっとその時、俺は泣き叫ぶだろう。消えたくないと、もっと幸福でいたい、と
その時、存分に地獄で俺を嘲笑え」
……
「だから、地獄で待ってろ、吸血鬼ィッ!」
魔力を全開、フルストットル。全ての力を注ぎ込んで、翼を噴かせ……
『止め、ろ……』
アーチャーに、止められる
その瞳は紅く染まり、それでも、自我を保ち、俺の……そして同じく飛び出しかけたミラの前に立ちはだかる
『マスターを、殺す……気か』
「……手遅れだ、発症した以上斬る」
……斬っていれば良かったのだ。甘すぎた俺が、手遅れ手遅れ言いつつも、万が一まだ吸血鬼の血が注がれていなければという希望にすがり、事態を悪化させただけ
有り得ないだろうと、解っていた筈なのに
『たく、よぉ……
オレがこんなもので、終わると思ってるのかよ』
「……悪いが、有り得ると思っている」
ブースト。翼を噴かせ、上空へ。そのままアーチャーの上を駆け抜け……
「酷すぎるなぁ、君の恋人だろう?」
左手の鉤爪を止める
何時しか、かの吸血鬼の腕の中には、紫乃が居て……
「アーチャー、かーくん!」
「殺さないさ。君は大切な……人質だから、ね」
『……オレが、カタを付ける
だから……止まってくれ、ルーラー』
突然の夜闇に紛れ、吸血鬼の姿は、姫抱きした紫乃と共に消えた