あの日へ   作:おばけっけ

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0.プロローグ

 係留した哨戒艇から重機関銃を撃っていた射手が胸に大きな穴を開けて倒れた。胸から上がそのままちぎれなかったのが不思議なくらいの大きな穴だ。あまりにショッキングな光景だったから腰を抜かして地べたに座り込んでしまった。彼女の名を呼ぼうとしたがなかなか声が出ない。呼んだところで来ないことはわかっていたし、呼んでどうするかも考えていなかった。部下も多く見ている中でなんて情けない姿だと頭のすみで、この状況にも関わらず冷静に感じていた。

 

「おい、だれか……」

 

 絶え間なく続く銃声と砲声の中でようやく絞り出した彼の声を聞いた者はいない。

 

「だれか。だれかあいつを運んで銃座を引き継げ」

 

 目いっぱいまで声を張り上げたつもりだったが彼に従うものはいなかった。

 彼のすぐ右前、埠頭の縁で膝立ちになって射撃していた兵士が彼に気づき、駆け寄ってきた。七・六二ミリの小銃に大きなスコープが着いている。陸戦隊の選抜射手だ。大粒の汗がまつげで留められているがぬぐおうともしない。成人しているかどうかもわからないほど若かった。彼の感覚からすれば幼い、だ。険しい目つきのまま彼に空いた手を差し伸べて首を庁舎の方へ向けた。

 そうだ。応援を呼ばなければいけない。哨戒中のどこかの艦隊でも基地航空隊でもなんでもいい。この根拠地だけではもう対処できない。兵士の手を掴もうとしたとき、すぐそばでキーンという機械が激しく駆動したような音が三、四秒聞こえた。たまらずに目をきつくつむる。間髪入れずにヒュンと鋭い音とともに彼の頭上を何かが飛んでいった。よく見えなかったが、確認するまでもない。深海棲艦の艦載機だ。空母まで加わっているとはいよいよまずい。

 そっと目を開けると兵士はうつぶせに倒れていた。抗弾板を挟んだベストはずたずたに破れていた。兵士の顔が見えなかったのが彼にとって唯一の救いだった。

 さらに三機の艦載機が続き、庁舎の窓という窓を割っていった。泊地司令は逃げたのだろうか? 間に合わなかったとは考えないようにした。今これ以上何かが気にかかれば立ち上がれなくなる。

 倒れた兵士に這って近づき、小銃を取ろうとした。もう死んだ男の手はライフルをがっちり掴んでいた。生命活動を止めてこの戦場から解放されたのにも関わらず銃を手放さなない。銃把に絡んだ指を一本ずつ外しながら、この男の名だけは絶対に確かめようと思った。

 小銃は兵学校以来ふれてもいなかった。九ミリベレッタなら手首の延長のようにぴったり馴染むがこれはちがう。まず操作方法がわからない。先ほどまで撃っていたから装填はされているのだろう。構えると右目のちょうど正面にスコープの円い視界が現れる。調整するまでもなく頬はストックに載った。

 小銃を振り回してスコープの中に敵艦載機を収めようとしたが、見つからない。

 不意に銃身を押し下げられる。彼の真横にはアビエーション・グリーンの制服を来た瑞鳳が立っていた。空いた手にはグラスファイバー製の長大な弓を携えて、埠頭の向こうを見据えていた。

 

「慣れないこと、しないでくださいね」

 

 表情とは逆に瑞鳳の口調には余裕があった。小柄な彼女に不釣り合いな七尺三寸の弓が不安を掻き立てる。どうしたって勝てるわけがない。

 

「誰が艤装出せなんて言った」

 

「あとで処分でもなんでも受けますから」

 

「一人でやりあってもだめだ。敵の規模もわからない。すぐに応援呼ぶから」

 

 瑞鳳の手首をきつく掴んだ。そのまま握りつぶせそうなほど細い。こんなところで死ぬなんてあんまりだ。情けない士官だと舐められてもいいから止めたかった。今だけは瑞鳳が大切に思えた。

 

「頼むから行かないでくれって。情が移ったよ」

 

「提督も安いですね。じゃあこれからは優しく扱ってください」

 

 待て、と叫ぶと同時に瑞鳳は彼の手を振りほどき、走り出した。埠頭のふちを飛び越えると彼女の真下の海面に青く光る輪が現れる。その輪は彼女のつま先から頭までを通って消えた。下駄の裏が海面に着こうかというころには艤装の装着が終わっていた。

 深い緑色の上衣にダズル迷彩を施した胸当て。手にしていた弓には紅白の縞模様がついている。空母瑞鳳の最期――エンガノ岬沖海戦を前に行った改装後の姿がモデルの悪趣味な艤装だ。

 無謀な挑戦だ。いくら瑞鳳の練成度が高くても一隻でなんとかできる数は限られている。向こうには最低一隻の空母と戦艦がいる。そして多数の駆逐艦、潜水艦とPT小鬼。本土の主力がここ以外のどこかへ向けられたことを掴んで慌てて集結したのだろう。

 瑞鳳は危険など全くないという風にゆっくり矢を引き抜き、弓につがえた。弓道では構えを横から見たときにつがえた矢と口が重なるのが理想とされている、と前に瑞鳳が話していたのを思い出した。話した本人はその構えを忠実に守っているらしい。時おり弾丸が頭や頬をかすめていくのも構わずに二、三秒も絞って矢を放った。

 いつもそうだ。砲火の中でも瑞鳳はじっくり引き絞り、狙って放つ。砲撃など当たる方が珍しいのだから焦る必要はない、危険な時こそよく狙う、というのが瑞鳳なりの信条だった。

 放たれた一本の矢は六機の艦載機に姿を変えてたちまちのうちに見えなくなる。機体まではわからなかったがたぶん艦攻だろう。索敵にも出せてそのまま雷撃もしかけられる。敵の艦戦に落とされなければだが。

 

「瑞鳳! やつらの規模がわかったら陸にあがれ!」叫んだが、瑞鳳は動かなかった。「潜水艦がいるから。下がれ」

 

 続けてもう一本、矢が放たれる。今度は十二機。両主翼に増槽が懸垂されているから爆戦だ。空対空戦闘と爆撃のどちらもできるから一隻しかいない空母は重宝する。しかし今は使うべき場面ではない。足元まで潜水艦が迫っているかもしれないという恐怖はないのか。

 ずっと遠くで落とされた250kg爆弾が連続して爆発する音が聞こえた。これを数えれば後ろに控える敵に何機到達できたのかわかるが、そうする余裕はもうなかった。海面から浮き出た潜水艦の頭がいくつか、瑞鳳に近づいているのが見えた。

 小銃を抱えたまま正面に係留された哨戒艇まで走る。胸にぽっかり大きな穴を開けた射手が横たわる哨戒艇だ。船尾甲板に降りて船首の方へ回る。頬が削げた精悍な顔つきの射手は前歯をくいしばり、目を見開いて死んでいた。顔を見る限りでは死んでいるとは思えない。この表情が目の裏に焼き付いてしまう前に射手の目を閉じる。ボディアーマーの取手をひっぱり、操舵室の窓に寄りかからせる。

 .50口径の重機関銃に関して彼は素人も同然だった。これを扱うための訓練はこれまでに受けたことがないから見よう見まねでやる他ない。手榴弾を探しておかなかったのを後悔した。想像していたよりずっと重いチャージングハンドルを引き切り、装填する。トリガーは拳銃や小銃にあるような人差し指で引くものではなく、ハンドルを握って両手の親指で下に押し込むものだ。これもやはり重い。ようやく押し切ると銃声の凄まじさのせいですぐに指を離してしまった。弾はどこへ行ったのかもわからない。

 瑞鳳がきっとこちらへ振り向いた。眉をつりあげて口を固く結んだ瑞鳳は小さく首を横に振った。言おうとしていることはわかる。これは彼の完全なエゴだった。ここに留まるということは救援を呼ぶという士官の務めを放棄したも同然だ。今埠頭を守っている兵士への裏切りになる。何を言っても言い訳になる。しかしどうしても瑞鳳を見放して去りたくはなかった。彼女を上陸させてからでも陸戦隊を退かせるのは間に合う。

 重機関銃の照準の使い方はわからないから大まかなあたりをつけてそこを撃つしかない。海面から頭を覗かせて瑞鳳に迫る潜水艦へ銃口が向くように少しだけ俯角を着けてトリガーを押し込む。来ると構えていたから先ほどのような衝撃はない。三脚に載せているから反動もほとんどなかった。しかし銃声と振動は拳銃や小銃とは比べものにならなかった。銃声は耳から彼の体に入り込み、全身を内側から揺さぶる。

 およそ一秒、トリガーを押しっぱなしにして指を離した。潜水艦が頭を海面に隠すのが見えたからだ。通常の火器で深海棲艦を沈めた前例はごく少ないながら、ある。上手くいったのはいずれも潜水艦の中で最低級のカ級と水上戦闘艦最弱の駆逐イ級だ。打撃を加えて牽制した例なら数えきれないほどある。イ級よりも小さくもろいPT小鬼ならもっと簡単に沈められるだろうと言われている。

 瑞鳳が新たな矢を放った。今度は十八機の艦戦。やがて水平線の向こうから放たれてくる敵艦載機が二機、三機と黒煙をあげて落ちていくのが見えた。熟練度は高い水準を維持させている自信があったが、続々飛来する敵艦載機を見るとこれで制空権を奪還できるとは思えなかった。数が違いすぎる。練成度や性能で埋められる差にも限界がある。見たところ、敵の数はその限界を超えているように感じられた。

 

「艦載機を格納して下がれ! 抗命は許されないぞ」

 

 小銃を空に向けて二発、撃つ。瑞鳳は振り向きもせず最後の一射を放った。ここに配備されている中で最強の艦攻、天山だ。

 行動を選ぶ時間ではない。ストックを肩に当ててスコープを覗く。円い視界に収まったのは弓を握る瑞鳳の右手だった。

 優秀な狙撃手の弾丸は活殺自在、殺さずに相手を気絶させることすらできると聞く。彼は狙撃手でもないし優秀な小銃手でもない。だがもう他の手は思いつかない。もちろん外すつもりでいた。簡単には当たらないだろう。外しても意図は伝わるはずだ。悪く思ってくれて構わない。無事にいてさえくれればそれでいい。

 チークパッドにぐっと頬を載せて、船首の柵に左ひじをレストする。喉を緩やかに閉ざすように呼吸を止めると視界の揺れ幅はうんと小さくなった。人差し指で引き金の遊びを消してクロスヘアがちょうどいい位置までくるのを待つ。一秒、二秒、三秒、今。

 引き金を引き切ろうかというとき、急に振り向いた瑞鳳とスコープ越しに目が合った。直後、視界から消える。そこから先は何が起きたのか把握できなかった。二回か三回、ずっと遠くから雷鳴が聞こえた。最後に分かったのは、自分の体が船から海に投げ出されたということだった。すぐそこに潜水艦やPT子鬼が迫っていた海に。やがて彼の意識は途切れた。

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