スライドが後退位置で固定されたベレッタを机の上に強く置いた。静かなおかげで鈍い音がよく響いた気がする。椅子に深く腰掛けて引き出しからウイスキーの瓶を取り出した。かぶせていたコップに注ぐ。
手の震えを止められなかった。瓶の口とグラスの縁が小刻みにぶつかってかちかちと音をたてる。
興奮も動揺もしている訳ではない。自分では冷静でいるつもりだったが、実際にはそうでもないらしい。終わらせたぞ、と自分の中で何度言い聞かせても指先は冷たく、震えていた。
グラスの中身を一度に飲み干す。口蓋垂を焼き、胃の辺りがかっと熱くなっただけだった。もう一度、心もとない手つきで注ぐ。ちょうどいい所で止められず、いくらか余分に流れた。しばらくぼうっと黄褐色の液体を見つめていた。やがでソファに浅く座る瑞鶴に視線を向けた。肘掛けに肘をつき、手のひらを頬にやっている。不満そうな顔で窓の方を向いているが、何を見ているのかわからない。彼とここに戻ってきてからずっとあの態度だった。こういう時にかけるべき言葉を彼は知らなかった。どんな言葉でも嫌味や憐れみを帯びているように感じることを知っているからだ。
立ち上がり、彼女の隣に立ってグラスを差し出すが、ちらりと視線を向けただけで受け取らなかった。
「実戦とはあんなものだよ」
沈黙。ため息が漏れる。
「しばらく出撃は無理か?」
「冗談じゃない!」瑞鶴は弱々しくこちらに顔を向けた。「あの程度で気後れするなんて……」
「だめならそれでもいい。たった一ヶ月の臨勤で横須賀に帰ってからなにか支障があったらそれの方が大事だ」
言葉を間違えたと思った。こういう場合はやはり何を言っても間違えだ。まるで挑発しているみたいだ。
「私は提督さんみたいに弱くなんかない。そんなものに逃げたりもしない」
彼のグラスに視線を落とし、すぐに戻す。軽蔑する者に対する目つきだ。強がりであってほしかった。恐れも知るべきだろう。全てが全て、物言わぬ標的を撃つ訓練と同じというわけでもない。暴走することもきっとなくなるだろう。
瑞鶴は顔を背けて話を終わらせてしまった。
再び椅子に腰掛けてグラスの中身を一口含む。先ほどの出来事が鮮明に脳裏で再生された。
件の潜水艦と目を合わせ、銃口を向けあったまま。先に撃ったのは彼だった。今となっては調べようがないが、あの一発は髪の間から覗く敵の目に直撃したと確信していた。
発砲の直後に敵はものすごい早さで潜水した。銃弾を受けて倒れたようにも見えた。撃沈判定は出していない。もしかしたら致命的な一撃だったのかもしれないが、いくら急所とは言えたった一発の九ミリ弾で深海棲艦が死ぬとは思えなかった。
これで彼が少しでも自尊心を取り戻したかといえば、全くそんなことはない。敵の銃口が一瞬とは言えこちらをぴったり狙ったのはショッキングだった。あの銃口がまぶたの裏に焼き付いていないだろうか。
もう銃を撃つつもりなんてなかった。ほんの幸運に過ぎない。少しでも間違いがあれば弾丸は瑞鶴の背に刺さった。本当に恐れていることが実現しかねなかった。
スライドが後退したベレッタに目を落とす。十数分前に自分がこれを撃ったのが信じられない。
グラスの中身を一気に飲みくだす。
「あの潜水艦、沈んだの?」
「まだ判定していない。何か見えたか?」
「沈んだかもしれない。そんな風に見えた、気がする」
「はっきり言ってくれって」
「沈んだと思う。すごい倒れ方してた」
気持ちは晴れない。偵察隊に損害を与えたのかもしれない。敵にまだ抵抗できる余力が残っていると伝えたことになり得る。たとえ瑞鶴が役立たずになってしまったとしても。
視線を時計に向けてため息が漏れた。まだ十時にもなっていない。瑞鶴が闘志か何かを燃やしてここをかけ出して行ったのが何日も前のことに感じられる。あの勢いもすっかり影を潜めた。もう現れることはないかもしれない。海域解放戦における切り札の装甲空母をこんな形で返したら、横須賀は怒り狂うだろう。そうなった所で今後の彼への処遇がより悪くなることはない。もう軽空母を一人沈めた。先に待つのは予備役編入――肩叩きだけだ。先のことを心配する気にもなれなかった。
落ちるところまで落ちた。改めて自覚すると、虚しさと、ただ良心によって接してくれた人たちに対する申し訳なさが胸中を満たした。まさかこんな終わりを見るだなんて。爽快な終わりなど今さら期待のしようもない。成果もなく、中途半端なまま終わる。いくつかの傷をそのままにして。
またため息が漏れる。あと一時間足らずで始まる朝の定例報告会のことを考えると気分は一層重くなった。幕僚たちは今朝の彼の行動を見てどんな顔をする? あの一発で彼が自分を撃てばよかったと皆が思っているだろう。
こんな消化試合は早く終わってしまえ。何度もそんな恨み言を胸の中でつぶやくが、時間の流れが早まることはない。
「本当に沈んでたらいいんだけど」
「拳銃で沈めたなんてちょっと信じられないよ。初めて聞いた」
「私だって信じられない。アクションリポートには何て書かれるだろうな」
珍しい事例として陸戦隊が文書を発簡しようとするかもしれない。そんなものに決裁をおろしたくはなかった。
「銃なんかで沈められたら、なんのためにいるのかわからない」
「君のアイデンティティの話?」
瑞鶴は違う、と覇気もなく否定した。
彼女がなぜそこまで戦闘にこだわるのか、理解できなかった。海軍におけるある種の切り札であると言う誇りのためか。今となっては馬鹿らしい。自分にもそういう理想を持った時期があったが、結局は見ての通りになった。果たして理想の叶った同僚がいたか? きっといる。それも片手で数えられるほどだ。
確かに装甲空母は強力だが、この状況では手も足も出ないまま潜水艦に懐へ入られた。強力な艤装があるからと言って何もかも思い通りに進むワンサイドゲームにはならない。
「言っただろ。銃でも倒せるって。至難の業ではあるけど」
「大した腕なのね」
「とんでもない偶然か 、或いは当たってないだけだよ」
瑞鳳が昔行っていたことを思い出す。曰く、熟練の射手や狙撃手は発射したものが命中したかどうか、目視しなくてもわかるそうだ。当たれば手に感触があるらしい。どことなくインチキ臭くてあまり好きな話ではなかったが、見なくとも手ごたえで分かるのなら便利なものだ。
当然今回はそんなものなかった。彼が優秀な射手ではないだけか、それともその感触というもの自体が先人たちの錯覚に過ぎなかったのか。
「敵に当たった時はそれが感触で分かるものなのか?」
瑞鶴は顰めてこちらを向いた。いきなり関係のないことを話だしたから困っているのかもしれない。しかしどうしても気にかかることだった。知ったところで得るものはないが、幼稚な好奇心を抑えることはできなかった。
「はぁ……ちょっと意味わからないんですけど」
「そのままの意味。そういう経験はある?」
「ない。射撃も弓道も苦手よ」
「意外だな。空母はみんな的に当てることに関して才覚があるものと」
弓を模った艤装が主武装になる空母なのにそれはまずいだろうと思ったが、言葉は呑み込んだ。思えば瑞鳳も射撃は大して上手くはなかった。少尉任官直後からの短い年数とは言え陸戦士官だった彼の方がいくらかよかった。しかし弓に関しては一流だったはずだ。二十五メートル先に吊ったハガキ大の鉄板の真中を簡単に射抜いてみせた。きっと彼女にとっては大して難しいことではなかったのだろう。
「偏見よ。和弓式以外を使う空母は弓の引き方も知らないんじゃない」
「だからあんな矢の射ち方を?」
「うん。よく怒られたけどね。射法八節とか、実戦で必要?」
必要だと説くこともできたが、瑞鶴が全て聞き入れるとは思えなかったしまた言い争いになることがなにより嫌だったので肩をすくめただけで流した。結局のところ、当たればいいのかもしれない。そんな気すらしてくる。
考え事も億劫になってきた。頭が重い。
「少し寝るよ。一〇二五になったら起こしてほしい。その気があったらでいいから」
瑞鶴はむすっとした表情のまま何の反応も見せなかった。構わずに椅子を百八十度回して目を閉じる。
不意に、今しがたまで見ていた瑞鶴の横顔に不安を感じた。どの種の不安で、何の心配に繋がるのかもわからなかった。くすぶっている不安がやがて燃え上がる前に、きつく目を閉じて振り切ろうとした。