あの日へ   作:おばけっけ

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12.胸臆

「瑞鳳とは親しかったのか?」

 

 出身期別が全く違うことは知っていた。何かの教育で一緒になっていたのかもしれない。しかし今の言葉からするとただの知り合い、とは思えない。まるで何か因縁でもあるような口振りだった。

 

「親しかった、か。そうね。親しい」

 

「海兵団は違ったろ。築地で会ったか」

 

「違う。入隊時期も合ってない」

 

「だったらそんな言い方は……」

 

「本当に知らないのね?」瑞鶴の大きな目がもっと大きく開かれた。「だったらいい。わたしだって、瑞鳳だってきっと話たがらないことよ」

 

 瑞鳳が自身の由来の艦について話すことはなかった。一度もだ。きっかけがなければ縁のある艦について調べようとする艦隊指揮官もなかなか見つからないだろう。インターネットでも簡単に見つけられる情報なのにも関わらずだ。彼らにとっては艦の名など暗号名以外の意味は持っていない。太平洋に沈んでいったあの巨大な艦とは別物だと考えている。彼もそうだ。軍艦に何度も同じ名前が振り当てられるように、彼女らも偶然そのコードを振り当てらたに過ぎない。ここまで名前というものの認識に乖離が生まれるのも、不思議なことだ。指揮官たちにしてみれば、艦の名も艦隊につけられる一から四の数時や記号と同じ。しかし艦娘たちはその名前をまるで一生呼ばれる自身の名前と同じように大切にし、尊重を求め、艦と一体になろうとする。艤装との装着を断って数ヶ月もすれば艦の記憶などすっかり抜け落ちてしまうのに。言葉を変えれば艦に振り回されているとも言える。瑞鳳はどうだ。正に振り回されていた。エンガノ岬での最後の戦いの記憶は彼女の心をあっという間に蝕み、そして――おそらくは――人間性まで変えてしまった。つくづく、悲劇的な兵器だ。

 そこに心底同情して、彼は瑞鳳に寄り添おうと決めたはずなのに瑞鶴にはできなかった。

 

「君たちが艦の記憶で悩むことがあるように」彼は椅子を回して瑞鶴と向き合った。「私も過ぎた出来事について悩むことがある」  

 

「あの日のこと?」

 

「もう一ヶ月前のことだよ。未だに夢に見る。突然あの日の出来事が鮮明に浮かぶことがある。そうすると、すっかり無気力になっちゃって他人のことがなんだか受け入れられなくなるんだ。すぐに抜け出せるときもあるし、一日中そのままでいる時も……」

 

 

 瑞鶴はまた困ったように眉を曇らせた。今しがたのことを思い出したのかもしれない。

 

「あとになって瑞鳳に何をしてきたのか、ようやく気づいたよ。遅すぎた。もっと早く彼女を理解しなきゃいけなかった」

 

「もう全部過ぎたことなのに……」

 

「せいぜい一ヶ月の付き合いかもしれないけど、瑞鶴にまた同じ間違いを犯したくはない。なによりも私自身のために」

 

「銃を押し当てておいて、よくそんなこと言えるのね」

 

「誰だって空母があんな戦い方してたら動揺する。それにあんなこと言われたら。考えてもみろ、瑞鶴にまで沈まれたら……」

 

「心配してくれてたんだ?」瑞鶴は全然こちらの言うことを信じていないという風に鼻を鳴らした。「提督さんが艦娘を心配するような人だなんて知らなかった」 

 

 そうだった。彼は単に心配していた。言うこともまともに聞かずに前進した瑞鶴を、あの日の瑞鳳に重ねていた。もし瑞鶴が傷ついて帰ってきたら? 横須賀での評価はもう落ちるところまで落ちていた。なにも自身の進退を気にしているわけではなかった。それよりももっと原始的な感情が沸き起こっていた。きっと初戦で彼女に何かあったら彼はひどく同情し、自分まで傷つき、後悔していただろう。

 あの日に至るまで、瑞鳳にそんな心配をしたことはなかった。人並みに他人を気にかけるようになったのはあの日のことがあってからと言うのも皮肉だ。負け戦ばかりの年月の中で他人を思う余裕を知らずの内に失い、心を閉ざしていってしまったのに、また他人への情を少しでも取り戻したのは、きっと瑞鳳のおかげか。しかしそれも今の瑞鳳にはなんの慰めにもならない。彼女の中では彼は何も変わらず、多くを失った失望の発作の中に未だあるのだろうか。

 

「それでもわたし、あいつらの旗艦を絶対沈めるから。一人でもね」

 

「こだわるんだな。たった一隻の戦艦なんかに」

 

「瑞鶴にとっては、ただの戦艦じゃない。あれは……」

 

 執務室の扉をノックする音で会話は止まった。監視小隊長がバインダーを抱えて入ってくる。わざわざあの男がやってきたということは、なにかいい報せを持ってきたわけではないだろう。大抵なす術のない情報だ。ノックから間髪飛び込んでくる絶望的な報告よりは全然いい。

 

「今、よろしいですか?」

 

 小隊長は冷静な態度でいたかったらしいが、声は緊張していた。バインダーに挟まれた海図を差し出されたとき、いよいよいやな報せだと確信した。

 泊地から西方に示された赤い鬼の顔を模したアイコン、そこから伸びる矢印が再び泊地へ向いていた。つい最近、北方の本土に向けられていたはずの偵察艦隊の動きだ。

 

「これはどこからきた?」

 

「鹿屋基地航空隊から、ほんの今しがたの入電です」

 

「彩雲じゃまだ見えなかったか。羅針盤は何か捉えてるのか」  

 

 小隊長は今はまだ、と首を振った。

 次は完全に潰される。後ろから撃たれたり本土の部隊と挟み撃ちにされるのがこわいはずだ。少しでも戦力が残っていると分かればきっとまた来る。

 かすかに動悸がした。まだなにも終わってはいない。

 

「動向を注視しろ。鹿屋基地の情報にも」何か言おうとした小隊長を遮った。「また偵察機や潜水空母がちょろちょろ来るだけならなにも変える必要はない」

 

 下がっていく小隊長を見ながら瑞鶴はあれでよかったの? と訊いた。

 

「今のところは。もうあいつらは瑞鶴の存在に気づいてるか」

 

「一個水雷戦隊を沈めたのよ。きっと気づいてる」

 

「もしもの時はやれるか?」

 

「当たり前じゃない。装甲空母よ。タ級とやりあっても負けない」

 

 今朝のことがあってなお瑞鶴は強気だった。実戦などほとんど経験したこともなく、砲弾や艦載機が頭上をかすめていった時の、死を確信した恐怖も知らないだろう。そういう恐怖の中で彼女は戦いを継続できるのだろうか。潜水感の機銃であそこまで動揺した瑞鶴が。きっと今は海軍でたった三人しかいない装甲空母としての自負や周囲がこれまでかけてきた期待のおかげで負けん気を保っているようには振る舞える。次に起きた戦闘でその自負すらも自分で砕いてしまうかもしれない。かと言ってまた敵艦隊が来れば出さないわけにはいかない。不安定なところにいる。あとはこの、ただ時間をじりじり浪費するだけのにらみ合いがもう一ヵ月続いてくれるのを願うよりない。それが今は誰にとっても理想的だ。なにも消耗し、精神的にも疲弊しているのは彼だけではない。陸戦隊を撤収させたことで、泊地の将兵たちに元の日々が帰ってくると期待させることができた。いくらか彼らは持ち直せるかも知れない。

 持ち直すのだ、彼にも持ち直すことが必要だ。今のままでいつまでもいるのではなく。今日くらいは官舎に帰ろうと思った。最近はずっとここにいて急な事態に備えていた。今日くらいは帰れるだろう。あの何もない部屋で一晩寝たところで、彼にとっては暗鬱に満ちた日々に立ち向かう気力を膨らませられるとは到底思えなかった。それでも不思議なもので、家に帰れるとなると少しだけ胸の中は軽くなる。きっと明日からはまたたった一枚の海図を見るたびに、そこに書かれた情報が質量を帯びて彼の心臓を押しつぶしていくような錯覚と共に緊張を強いられるはずだった。

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