あの日へ   作:おばけっけ

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1.着任

 カウチの上で目が覚めた。額が汗ばんで不快だったがそのままにしておいた。耳を澄ますがなにも聞こえない。なにかあれば誰かがここに飛び込んでくるだろう。

 戦闘服の袖をめくって腕時計を確かめる。一一三〇。眠っていたらしい。いつ寝ていつ起きているのかはっきりしなくなってきた。こうしてカウチで休んでいるときに散発的に寝ているのだろう。にぶい頭痛をこらえて立ち上がり廊下に出る。やはり静かだった。通信隊も業務隊もかなりの人数を増警として配置してしまったから庁舎の中に残っている人間は少ない。衛生隊員も負傷者の手当で外を駆け回っている。鳥の鳴き声まで時折聞こえてくるのは間抜けだ。よく晴れている。

 医務室の前に来るまで誰ともすれ違うことはなかった。本当は誰か捕まえてだらだら話し込み、ここまで来る時間を稼ぎたかった。それでも結局は来るだろう。来るだけだ。ドアノブにどうしても手が伸びなかった。この薄いドアの前に突っ立ち五分か十分空白の時間を過ごすのが最近の習慣だった。義務ではないし、気が進まないのならそのまま引き返してしまおう。毎回そう言い訳しては引き返していた。

 不意に扉が開く。飛び出てきたのは戦闘服姿の衛生隊員だった。背は高いが顔はまだ幼さが残る上等水兵。日に焼けた顔から疲労がはっきり認められる。水兵は彼を見ると直立不動、挙手の礼をした。

 

「問題はないか?」

 

「はい。負傷者は全員落ち着いています。もう何日かすればほとんどの者が勤務に戻れると小隊長は仰っていました」

 

「瑞鳳は? 感染症は起こしていないか?」

 

「大丈夫です。義足があれば……」

 

 手を振って衛生兵の言葉を遮った。「わかった。もういいよ、ありがとう、続けてくれ」

 

 水兵はもう一度礼するとクリップボードをめくりながら走っていった。彼が入ると思ったのか扉は開いたままだった。今日くらいは、入らなければいけない。

 埋まっているベッドは片手で数えられるほどだ。一ヶ月前はベッドに入りきらないほどの重傷者がいて、その内の何人かは死んだ。ここはまさに地獄だった。それに比べればずいぶん落ち着いた。しかし次はないだろう。

 彼が探していたベッドは部屋の最奥部、窓際にあった。そのベッドはやはり一ヶ月前からこの根拠地で唯一の艦娘のものになっていた。

 瑞鳳は眠っていた。控えめな寝息がなければ死んでいるものと勘違いしただろう。普段は紅白模様の鉢巻で結んでいた髪もおろしていた。横向きでないと眠れないと言っていたが今は仰向けだ。もしかしたらもう横向きで寝ることはないかもしれない。

 無意識の内に視線は瑞鳳の目から布団で覆われた彼女の脚の方へ動いていた。自覚するとさっと視線を戻す。本人は寝ているのだからそこまで神経質にならなくていいのだろうが、彼には直視できない。

 彼女の右脚の膝から下はない。一ヶ月前の戦闘で魚雷の直撃を受けて文字通り吹き飛んだ。本来なら艦娘がそこまでの傷を負うことはめったにないが、不運なことに瑞鳳は直前に受けた砲撃で大破した。

 アクションリポートによれば彼が瑞鳳に小銃を向けた時、敵戦艦の主砲は彼が立っていた哨戒艇に向けられていた。艦載機からその情報を読み取った瑞鳳は彼を船から投げ出したが自身が避けることはできず直撃を受けた。直後、近くに潜伏していた潜水艦が放った魚雷が彼女の足元で炸裂し、右足は吹き飛んだ。

 彼の命の代わりに瑞鳳の右脚が失われた。もう艦娘として戦うことは二度とできない。艤装が修復できないほどに壊れることと装着者が戦えなくなることを海軍は本物の艦艇になぞらえて撃沈と呼んでいる。撃沈にはもちろん艦娘が死亡した場合も含まれる。死ななかっただけ良かった、というお決まりの文句が誰も慰められないことは知っている。

 彼があんなことをせずに早く庁舎へ戻ればこんなことにならなかった。死なずに済んだ陸戦隊員も何人かいるだろう。何を言っても彼らには申し訳が立たない。そして根拠地の将兵にはすっかり不信感を植え付けることになった。

 最初の手術を終えた夜、瑞鳳は同じうわごとを繰り返していた。何度も「撃たないでください」と。最後に見た彼は自分に銃口を向けていた。本当に撃つつもりではなかったが、そんなことは言わなければ伝わらない。上官に銃を向けられるのはどんな気分だろう? 今まで冷たく当たったことはあったが瑞鳳はいやな顔を見せたことがなかった。それが気に入らなかった。無謀とも言える任務を押し付けて挑発したこともあったが笑って帰投の報告にきた。瑞鳳にとって彼はもはや愛想を保ち、尽くすべき相手ではないはずだ。それでも彼の盾になった。彼が罪悪感を持つと考えてやったのなら大したものだ。これが復讐になる。

 ベッドのそばには白い手提げのスーツケースが置いてある。瑞鳳は今日ここを発つ。わがままな上官とも窓際みたいな任地ともお別れだ。ドアに赤い十字架が描かれたヘリで本国へ帰り、上手くいけば義足も作れるだろう。それから? その先まで考えるのはやめた。本人が望めば軍に残ってできる仕事はいくらでもある。

 気にかけることはもう一つあった。瑞鳳の後任だ。瑞鳳を運ぶヘリで来ることになっているがどの艦種の誰が来るのかは知らされていなかった。海軍は今のところ北方海域攻略にほとんどのリソースを投入している。解放海域で起きた反攻を鎮圧する余裕などほとんど残していないから新たに派遣できる艦娘も慌てて探しているはずだ。北方から戻されてそのままここに来る者かもしれない。

 望みを言えば対潜と対空を両立できる一個水雷戦隊か駆逐隊がほしいが無理だろう。単艦であれば軽巡か航巡、軽空母か。現状にふさわしくないのは戦艦や正規空母のような大型艦だが、そのクラスであれば全て出払っているから心配にはならない。

 すでに大詰めの北方攻略作戦が完了して鎮圧のための本隊が派遣されるまでおよそ一月と横須賀は通達した。一か月だ。たったそれだけ持ちこたえればまた平穏が戻ってくる。きっと上手くやる。後のことは考えたくない。

 担架を押して二人の衛生隊員が入ってきた。

 

「ヘリが到着しました」

 

「ご苦労。ではよろしく頼む。それから新任の子を執務室に案内してあげてくれ」

 

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