あの日へ   作:おばけっけ

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5.停滞

 拳銃を引き抜き、机の上に放った。瑞鶴に突きつけた拳銃。感情に任せて馬鹿なことをした。彼女もすっかり失望しているだろう。本来なら自分の喉元に押し付けて撃つものだ。

 あの日以来、こうしてただぼんやりとしている時間ができた。撃てもしない銃を見つめてもう戻らない過去をとりとめもなく思い返す時間が。五分もすれば我に帰る時もあるし、何もなければ半日もそうしていることもあった。何もする気が起きない。どうすればあの日をなかったことにできるかという緩やかな焦燥を覚える。結局、どうにもならない。酒で凌ごうとしてもだめだ。いくら飲んでもあの日のことだけが忘れられない。忘れるために飲んだはずなのに気がつけばそれだけを思い出して余計に苦痛な思いをした。

 夕陽もそろそろ沈もうかと言う頃に執務室の扉を叩く者があった。返事を待たずにドアノブが回る音。こういう乱暴な開け方をするのは一人くらいしか思いつかない。

 嫌っていた戦闘服を着たままの瑞鶴はベレッタを見て何か難しい顔をした。

 

「死ぬ感じですか?」

 

「それほどの勇気があったらどれだけ良かったか」

 

 机の銃から目を離さずに瑞鶴はカウチに座った。どうやらなにか用があって来たわけではないらしい。そういえば彼女の部屋をまだ与えていなかった。

 

「着任早々に悪いことをした。申し訳なかったな」

 

「長い一日でした。本当にやばいのの所に着いちゃったのかと思いましたよ」

 

「同じ過ちは繰り返さない。君も協力してくれるならね」

 

「増援が来るまでくすぶってろってことですよね」

 

「言葉に気をつけろ。いやならそれで構わないから、な」

 

 自分は気をつけていたか? そんなことなかった。遠回しな嫌味も言った。直接否定することもあった。全部気分次第で。行いが巡り巡って自分のところに戻ってきたのだろうか。

 執務机の一番下の引き出しを開き、くびれた瓶を一本取る。まだ開けていないからずしりと重い。机に置くと鈍い音がした。静けさの中でその音は響いたような気がした。

 

「どうかな? 歓迎会にしては寂しすぎるか」

 

 瑞鶴は目を細めてウイスキーの瓶に視線を投げた。そしてまた彼の方へ戻す。蔑んでいる目つき。どれくらいの人間からあんな風に見られた? 呆れられるのも馬鹿にされるのももう慣れてしまった。

 かぶせてあった二つのグラスとフタを取り、濃い琥珀色の液体を指二本分の高さまでグラスに注ぐ。ほんの少し、下の奥に垂らすように飲む。液体は口蓋垂を焼き、食道で熱い風に変わり胃に落ちていった。

 

「君が俺をどう思おうと構わないから、余計なことはしないでくれ」

 

「わかりませんね」瑞鶴は肩をすくめて立ち上がり、執務机の前まで来た。「私も瑞鳳みたいに扱ったらいいじゃないですか」

 

 胸の奥がかっと熱くなった。酒のせいではない。意識せずとも視線はまだ机上のベレッタに走った。

 

「言葉に気をつけろ。今度は弾が入ってるかもしれない」

 

「撃ちたいならいいですよ」

 

 ぶしつけで、挑発的。やはりひどいやつが来たものだ。

 

「ここでなにが起きたかは知ってますけど、提督さんがそれについてどう感じてるのかは知りませんから。それについて私に当たらないでください」

 

「私はもうあんな経験はしたくない。自分のためとは思わなくてもいいから、私のために頼むよ」

 

「それでもあいつらは倒さなきゃいけません。私がね」

 

「功を焦ってるのか?」

 

 瑞鶴はなにか言いたそうに口を開きかけたが、不満そうな顔のまま言葉を呑み込んだ。

 ふと、昔の自分のことを思い出した。この地位に就いて間もない頃の自分はこんな感じだったのかもしれない。なにか成果を上げようとして機会を常に伺っていた。だが自分は、そのくせ失敗には臆病で周りに当たっていた。そのせいでこんな窓際みたいな根拠地に配置された。ここまで落ちるとは思っていなかった。おかげでもっと自棄になった。瑞鳳はそのせいであんなことになった。もっと早くに分をわきまえていれば、彼女とここで上手くやれて、これ以上悪くなるのも止められたかもしれない。もう何もかも遅い。

 グラスの中身をもう一口、今度は半分近く飲む。頭の奥が熱を持った。よくない兆候だ。

 空いたグラスを瑞鶴に差し出すと今度は大人しく受け取った。勝手にグラスの半分まで注ぎ、ほんの少し口に含んだ。小さく息をつき、執務机に腰掛けた。彼女の髪から控えめに放たれたシャボンの匂いのせいで文句を言うつもりが失せた。

 

「別に焦ってるわけじゃありません。そうじゃなくて……」

 

「こんなところで暴れたって誰にも見せつけられやしない」

 

 瑞鶴は顔をしかめてグラスの中身を飲み干した。

 

「今が一番気楽だよ。覚えておくといい」

 

「ぬるま湯に浸かりたいんじゃなくて……」

 

「今はそうでなくても、やがてそうなる」

 

「落ちてるんですね。そうはなりたくない」

 

 誹りも若さから来る馬鹿らしい勘違いのせいで言っているものだと思うもと感じることもない。

 グラスを空にしてもう一杯注ぐ。適当な頃合いで止めるべきだ。これ以上新任に惨めな姿を見せるのも防がなければいけない。早く瑞鶴に部屋を与えて追い出そう。

 

「弾、どうして入れてないんですか?」

 

 ボトルを掴むために体を寄せた瑞鶴の視線が拳銃に落ちる。様子からするにまだ飲んでいくつもりらしかった。

 

「昼にも見た通り、間違いが起きないようにな」

 

「部下を撃ち殺したことがあるの?」

 

 スコープ越しにぶつかった瑞鳳の視線。大きく見開かれた彼女の目。小さく口が動くのが見えた。「撃たないで」

 瑞鳳は彼が自分を狙って撃とうとしていると本当に思っていたのか。そんなはずはない、考えすぎだと言い聞かせてきたが絶対にそうだとは自分の中でも言い切れなかった。ベッドに力なく横たわり、熱と麻酔のせいで据わった目で彼を見ながら「撃たないでください」と繰り返していた。その二十四時間前には彼女を絶対に見捨てないと誓ったばかりだ。

 あの日以来、装填した銃を持つのが怖くなった。なにか間違いが起こりそうな気が拭えない。弾を込めて、照準を合わせるたびにあの瞬間を思い出してしまう。もう少しすれば銃に触れる機会すらなくなるから些細な問題だろう。本来なら彼は前線まで行って銃を撃つ立場にはない。

 

「そうじゃない。確かに今は込めてない、けど必要があれば撃つ。絶対にな」

 

 瑞鶴はこちらに顔を寄せて、目を細めた。卑しいものに、それでも幾ばくかの価値が残っているかどうか踏むような目。人を一体なんだと思ってるのか? きっと酔っているのだ。そう思うことにした。

 一息に残りを飲み干して、机の引き出しから三、四本まとめられた鍵束を掴み出す。

 

「部屋を与えてなかったな。今日だけは下の当直室を使え。荷物入れたところ、覚えてるよな」

 

 言いながらふと、あの部屋は片付いていたか考えた。あの日まで当直室は瑞鳳が使っていた。もちろん営内にも部屋はあったが滅多に戻らず、何かと物を持ち込んでいた。本人は即応性の向上と真面目な顔で言っていたが、今思えば冗談のつもりだったのか。

 少しは彼女を理解しようという決心をして初めてあそこを訪ねたのが、遠い昔のことのようだ。彼女は特に驚いたようでもいやがるようでもなく彼を招き入れた。ベッドは几帳面に整えられ、机の上には読みかけの文庫本が一冊置いてあるだけだった。

 きっとあそこはそれきり変わっていないだろう。最初から片付ける必要はなかった。

 

「提督さんがどう言おうと、瑞鳳を沈めたあいつらは応援が来る前に必ず倒します」

 

「抗命は許さない。将校が持つ拳銃の意味を今一度思い出しておけ」

 

 互いに険悪な視線を交わしたまま、瑞鶴は鍵束を受け取った。足取りがいくらか不安定に見えた。何かが不可解だ。瑞鶴の言葉の何かが引っかかった。何かを勘違いしているような気がする。それが何なのかは彼女が部屋を出てからもわからなかった。

 

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