あの日へ   作:おばけっけ

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8.銃声

 瑞鶴が出ていくのと同時に無線機は沈黙した。銃声も止んだ。もう帰ったのか? だとしても全くおかしくはない。今扉を開けて大声で呼べば瑞鶴を戻せる。一、二秒間、そうすべきか悩んだ。長い苦慮だった。結局呼び止めはせずに作業帽を掴んで自身も走り出た。

 

 

 彼が外に出た時も銃声はなかった。しかし機関銃手は銃口と共に空をにらみ、敵が帰ったようには見えなかった。配置が解かれた気配はない。

 瑞鶴は弓袋を肩にかけて銃口が向いているのと同じ方向を見ていた。

 

「もう引き返したか?」

 

 双眼鏡を覗いていた最上級の分隊下士官は彼の方を見もせずに首を振った。

 

「泊地をぐるっと囲むように何周かしています。こんな飛び方は今まであまりなかった」瑞鶴の方を意味ありげにちらりと見て、ようやく彼の方へ向いた。「何か探しにきたようにも……」

 

 かもしれないな、と相槌をうつ。一個水雷戦隊を沈められたことに敵は予想よりも動揺しているのか。やはりこれ以上刺激してはいけない。瑞鶴の手綱を放さないでいられるかで今後の展開が変わる。

 こんなことになるだなんて二十四時間前には考えもしなかった。新たな艦が来れば少しは安心できると思い込んでいた。今では瑞鶴が暴走しないかと気を揉まなければいけない。何をしに来た増援なのか分からなくなっていた。

 キーン、という甲高い音と共に獣の牙にそっくりな六機の水偵が真上を通り過ぎていった。ダウンウォッシュを感じるほど低く飛んでいる。機体上部の発光体は青い。レーダーの役割を果たすと考えられているあの発光体で母艦を判別することができた。橙色なら空母から放たれた艦載機、青なら巡洋艦や潜水艦が装備する偵察機。機体の腹には細長いチェーンガンと二つの爆弾が懸架されている。

 自分の目で見えたものを本当だと理解したくなかった。サイトロンの双眼鏡を覗いて遠ざかっていく偵察機を捉える。六機が全て二つずつ爆弾を吊っている。千ポンド爆弾。対艦娘で考えるならそれほどの脅威にはならない。大型艦なら尚のことだ。しかし泊地の施設に落ちたら話は別だ。たった十二発の爆弾が何か大事な設備への致命傷になり得る。

 

「提督さん、あれ見えてる?」

 

 瑞鶴が早足に歩み寄ってきた。偵察機の武装のことを言っているのだろう。心なしか声が上擦っていた。危機を感じているのだろうか。

 隣に立っていた分隊下士官はその場から静かに遠ざかった。下士卒としての弁えではなく、単に昨日のことを聞いていたから離れただけだろう。誰だってあんな場面は近くで見たくない。

 

「キャリバー五〇じゃ落とせるわけないよ」

 

 機関銃手にも聞こえる声量で言ったのがやはり気に障った。言うべきことはそんな事ではないだろう。

 

「偵察機だ。全部無傷で返す」

 

「何言ってるの? 爆撃が始まったらどうするつもり?」

 

 瑞鶴は顔を近づけてすぐ耳元で声を荒げた。彼は無言で展開する陸戦隊を顎で指した。

 

「銃でも倒せるさ」

 

 彼の言い分に瑞鶴は言葉を失った。目を見開き、口を小さく開けたまま彼を見ていた。やはり正気でないと思い直しているに違いない。今さら誰にどう思われようとも傷つかない。時期にここを去るのだから。

 再び編隊が近づいてきた。重機関銃の点射が始まる。敵の偵察機は大型の海鳥ほどの大きさしかない。海鳥に十二・七ミリ弾の一撃があれば、文字通り消し飛ぶ。しかしあれには全く効果が認められない。深海製の装甲の前では秒速八九〇メートル近い速度で飛来する徹甲弾すら潰れ落ちてしまう。ただある一箇所を除けばどこに当たろうと同じだ。当たればどの種の深海棲艦であろうと深手を負う一点がある。しかし当てるにはそれなりの運が必要だ。どれほどの困難なのか知っているから、瑞鶴はあんな顔をしているのだろう。

 確かにこれまでよりも危機的だった。しかしまだ艤装を出すべき段階ではない。まだ様子を見ても充分間に合う。現状、艤装は最後の手段だ。使い所を見極める必要がある。

 

「羅針盤は偵察機隊の後方になにか捉えたか?」

 

 擦過音と共にネガティヴ、と短い返事だけがマイク越しに来た。母艦は一緒に進出してはいないのか、それとも潜りっぱなしで近づいているのか。

 

「潜水艦の有無は調べられるか?」

 

「艦攻が飛ばせるなら、きっと。制空権も取らないと」

 

 いっそ、偵察機が爆撃を始めれば決心もつく。しかし編隊は帰るようでもなく不気味に周囲をぐるぐる回っているだけだ。こちらが痺れを切らして艦娘を投入するのを待っているのかもしれない。狡猾な敵だ。それくらいやっていても驚きはしない。

 彼の頭に工廠の奥で眠ったままになっている零式水中聴音気の存在が浮かびあがった。大型艦に搭載可能な唯一の水中聴音気。爆雷は素手で投擲させれば牽制くらいにはなるかもしれない。しかしあれこそ使いこなすには熟練が必要だ。対潜戦闘の訓練すら受けていない瑞鶴がまともに扱えるとは思えない。きっと潜水艦の有無すら判別できない。

 

「瑞鶴、私の言う通りにやってくれ。頼むぞ。艤装を使う。だけど命令するまでは絶対に撃つな。いかなる兵装もだ。約束してくれ」

 

 瑞鶴がこれに同意しないなら、敵の好きにさせた方がまだ良いとすら思った。しかし瑞鶴は頷いた。自分が判断を誤ればどんな悲劇が待っているのか分かっているらしい。

 

「艤装を展開したらその場に留まって第三スロットの艦攻を発艦させる。水面すれすれの高さを保って千メートル先まで走査して潜水艦の接近を調べろ。終了したらすぐに艤装を格納して上がれ。やれそうか?」

 

 小さく頷き、海の方へ顔を向ける。

 対潜戦の経験は全くないと言っていた。きっとノウハウもないだろう。運が良ければ、接近しているのが捉えられるかもしれない。その程度だと彼は思った。潜対地兵器を使うにしても敵は浮上しなければならない。そこから艤装を再展開させれば痛み分けか、瑞鶴の立ち回り次第では沈めることもできそうだ。分は悪くない。何度もそう言い聞かせた。

 

「艤装の展開を許可する。行け」

 

 言い終わるより前に弓袋から和弓を抜き、駆け出した。一瞬、青く眩い閃光。光が消えると瑞鶴はすでに艤装を装着して海面に立っていた。

 矢をつがえる。やはり全く引き絞らずに放った。姿を表す十二機の艦攻。胴に懸架された魚雷が海面に接するほど低く飛んでいった。

 静寂。瑞鶴はうつむき、目を閉じていた。もし艦載機を発見すれば、母艦の艦娘は「手ごたえ」を感じ取れると瑞鳳が話したことがあった。他に言い表わせる言葉はなく、「手ごたえ」と言うより他ない感覚が伝わるらしい。その感覚が潜水艦だと判別できるようになるにはやはり経験が必要だとも言っていた。最初の内は些細な違和感としか思わない。瑞鶴にそんなことができるとは思えなかった。

 終わる頃合いのはずだった。反転して来た艦攻は再び一本の矢になり瑞鶴の手に収まる。目を開き、顔をあげた。しかし瑞鶴の目線は彼の方へ向くことなく、正面に釘付けになった。

 その場にいる誰もが同じ方向を見ていた。言葉を発する者はいない。こんな場面で浮かぶ言葉などないだろう。誰もが理解を拒み、驚愕した。時間が止まったような気がした。信じたくない光景。

 一隻の潜水カ級が浮上していた。最初からそこにいたかのように、誰にも気づかれることなく浮上していた。左腕で抱えた魚雷はぴたりと瑞鶴を照準している。長い髪の隙間から覗く左目は橙色。フラッグシップ・クラスだろう。カ級と言えど装備する魚雷は強力だ。装甲空母でも当たりどころが悪ければただではすまない。

 不覚だった。偵察機に気を取られてこんな所にまで接近を許していたなんて。

 瑞鶴がゆっくりとこちらに顔を向けた。声は出さずに唇だけを小さく動かしているが、何を言っているのかはわからない。大きな瞳が濡れているのが見えた。

 下がれ、と叫ぶ。しかし瑞鶴は首を小さく振っただけで動かない。

 カ級は瑞鶴と同直線上にいるから撃つにも難しい。背負った機関部の銃塔が音もなく、ゆっくり動きだした。

 分隊下士官が音を立てないようにゆっくりと近づいてきた。

 

「危険です。牽制が必要かと」

 

「許可するまで絶対に、一発たりとも撃つな」

 

 分隊下士官はため息とともに、きつく目を閉じた。すっかり諦めたような表情。彼のせいで自分たちが死ぬということを受け入れてしまったのかもしれない。

 不意に、銃塔の機銃が空に向かって火を吹いた。一秒に満たない連射。誰も撃ち返さなかった。敵に当てるにはまず瑞鶴の背を撃ち抜く必要がある。

 瑞鶴は弱々しく二、三歩後ずさった。

 胸のホルスターから拳銃を抜き出し、空の弾倉を分隊下士官に差し出した。彼の意図を悟った下士官が自身の拳銃に収まっていた弾倉を彼の前にかざす。こちらには十三発の九ミリ弾が込められている。しかし弾倉に手は伸びなかった。

 

 ││これで何をしようとしてる?

 

 スコープ越しに視線がぶつかった、あの一瞬が蘇る。彼女の翠緑の瞳が瑞鶴の涙を浮かべた目と重なる。同じ間違いを繰り返そうとしているのか。

 

「撃ち合いじゃないからな。一発でいい」

 

 空の弾倉を銃に戻し、遊底を引き切って後退位置で留める。今度は空いた掌を差し出す。下士官が遊底を引いて、薬室にあった一発を排出させる。エキストラクターによって弾き出された未使用の九ミリ弾が彼の掌に落ちた。握りしめる。

 きっと下士官は彼がこの一発で自らを決すると思っただろう。彼が死んだら次の指揮官がどうなるのか彼にも分からなかったが、今よりはまともになると期待したはずだ。しかし期待通りに事を運ぶつもはない。彼の期待通りになるかもわからない。

 カ級の銃塔が瑞鶴の胸をポイントした。重装甲の艦娘には豆鉄砲ほどの意味もない対空機銃だ。しかし瑞鶴は目をきつく閉じ、その場にしゃがんだ。

 どれほど訓練をこなそうと、ただの標的を前にするのと実際に銃口を向けられるのとでは違う。今の瑞鶴はあの粗末な機銃で撃たれたとしても“沈む”かもしれない。ストッピングパワーの正体とは思い込みに他ならないだろう。

 機会は今しかないと閃いた。

 右手で握った銃を突き出す。出来うる限りの早さで腕を上げたつもりだったが、自分の動きがひどく間延びして感じられた。左手で握った右手を包み、ほんの僅かに後方へ引く。照門から見える視界に瑞鶴はいない。しゃがんだことでカ級と彼を隔てるものはなくなった。それは敵に取っても同じだ。機銃の銃口は彼に向く。

 左手の親指で撃鉄を起こし、引き金を静かに絞り落とした。

 一瞬、ベレッタが息を吹き返した。

 

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