ウーイッグのカテジナ・ルース 作:Mariah_Bastet
最後に見たのは、V2の光の翼。
ミノフスキードライブの余剰エネルギー、桃色の光の奔流。
コックピットの亀裂から世界は弾けて、それからぼやけてしまった。
今は暗闇の中、微かに光が漏れているのが分かる。
自分の右手が、脱出ポッドの開閉スイッチを何度も押しているらしいのだが、
ミ、とかム、とかいうばかりで、扉はちっとも開こうとはしない。
「クソッ……」
何度も何度も扉を蹴った。
そのうちにメリメリと扉が外へ剥がれ落ちて、カテジナは卵の殻の外に転がり落ちた。
ぼんやりと光っているだけの世界は、草の匂いがした。
左手には、非常用持出袋が握られている。
中には非常食、遮光保温シート、水のボトル、小型濾過装置、その他諸々。
レクチャーを受けたときのことを、しっかり覚えている。
生きたいということらしい。
その場で、非常用の携帯食料を1つ食べて、水を飲んだ。
味なんかしなくって、ただクロノクルとウッソの顔が、交互に頭に浮かんだ。
――愛する人と、それから……それから、なんだろう。
食事を終えてしばらく歩くと、川のせせらぎが聴こえてきた。
その音に沿って進むと、人の声やワッパの行き交う音に、果物とか、
肉の焼ける匂いなんかが混じり始めた。
町だか村だかに来たらしい。
「…………!」
急に誰かに腕を掴まれて、そのままどこか暗い所に引きずり込まれた。
これから自分が殺すのか、殺されるのか、それとももっと屈辱的な何かだろうか。
床に放り投げられるかと思ったら、背中をバンと叩かれた。
「何ボサっと歩いてんだいアンタ、そんな恰好で歩いてちゃあ、叩っ殺されちまうよ!」
咽喉を引っ掻くような、中年の女の声。
怒鳴りたいけれど、その怒鳴り声を人に聞かれてはまずい、ということらしい。
気付けば、人の家のにおいだ。
その中に、わずかに洗濯のりとか、古くさいコロンとか。
「あんたベスパだろう?」
その声には、憎しみがこもっていた。
「村の入口に吊るされたノーマルスーツを見ただろう?
次に首を落とされるのはねえ、いいかい、アンタたちなんだよ!」
「私、見てません。目が見えないので……」
カテジナがそう答えると、女は黙った。
やがてドタドタと部屋を歩きまわる音がして、
ガタン、ガタン、何かを閉じたり、開いたりする音がした。
棒立ちで待っていると、厚いノーマルスーツ越しに、何かが叩きつけられた。
ドサリと床に落ちた音で、それが布だということが分かった。
「さっさとそれに着替えて出てっとくれ!」
「どうも、ありがとうございます」
カテジナはその場でノーマルスーツを脱いだ。
スーツはバックパックの重みで、ゴトリと床に転がった。
肌着が汗に濡れて冷たかったが、それは冷たいだけのことで、
冷たいからどうだということまでは、今のカテジナにはよく分からない。
「………………」
しゃがんで布を触ってみたが、これも何だかよく分からなかった。
ただ床を見ているために、暗い世界がより暗くなった。
ひとつを持ちあげて、端から端まで触れてみると、折りたたまれていることが分かった。
指に引っかかるつるつるしたものはきっとボタンで、そうするとこれはブラウスで――。
「ああもう、貸しな!」
形をおぼろげに把握しかけた途端、ブラウスを女にひったくられた。
それから足を上げろだとか、腕を伸ばせだとか言われて、
カテジナは女の言うとおりに体を動かした。
そうして布地が身体を滑るのを、ぼんやりと感じていた。
するとバン、と扉の開く音がして、少し明るくなった。
「おいお袋、バッテリー充電できてんのかよ?」
男の声だ。中年の女は、今度はしっかりお腹から声を出して怒鳴った。
「出てけェバカ息子! 女の子が着替えてるんだよ!」
「なんで? 店じゃなくて家で? 分かんねえよ、なんで?」
「なんでもいいから入ってくるんじゃないよ!」
「……へいへい」
そう言いながらも、男はその場にいた。
「わ、わーったよ、冗談だよ。出てくよ。ったく、クソババア!」
中年の女が何かをしようとしたのかは分からないが、男は捨て台詞を吐いて扉を閉めた。
「ったく、クソ坊主!」
部屋が暗くなり、ふたたび女の腕が動きはじめた。
女はカテジナよりだいぶ背が低いらしい。
そのうちに着替えは終わり、カテジナは手のひらで自分の身体を撫でた。
窓からの反射光と手触りで、いちばん上に着せられたのが
白いウールのコートだということが分かった。
「出て行きな……いや、待った」
また音がして、今度はするりと耳元に布が走った。
頭を包んで、首元に結び目ができた。
スカーフを巻いたらしい。
「そろそろ雪が降るからね……」
「本当に、ありがとうございます」
カテジナは深く頭を下げた。
世界が暗くなって、頭を上げるとまた少し明るくなった。
「亭主と、上の2人がベスパに殺されて……」
カテジナの背中を出口に押しやりながら、女は言った。
「どうしようもない悪ガキがひとり残ったんだ。私は惨めだよ。ほら出て行きな」
家屋から放り出され、埃臭い町を歩いていると、男たちの罵声が聞こえてきた。
それと、何か固いものが叩きつけられる音。
「クソッタレの、ベスパ! 宇宙人の、デブリ野郎!」
ひとこと吐き捨てるごとに、肉を叩く音がした。
「地球は地球人のモンだ、出てけねえならここで死にやがれ!」
「殺せ! 殺せ!」
呻き声は聞こえなかった。
最初は悲鳴を上げていたのかもしれないが、その段階は過ぎたらしい。
ウィ――――――リリリリリリリリ……
横を過ぎ去ると思っていたワッパの音が、カテジナのすぐ横で停まった。
「よう姉ちゃん、さっき家にいたコだよな」
鼻の詰まったような下卑た声は、さっきの“悪ガキ”らしかった。
「その服はウチの店のモンだろ? てえことはそのお礼を俺にしたって構わねえはずだ。 分かるよな? まあいいから、歩きながら話そうぜ」
カテジナは歩みを止めずに、手袋をはめた手で家屋に触れながら、
ときどき何かに足を取られつつも、ゆっくりと進んでいた。
男はワッパのスピードを落として、すぐ横にぴったりついて来る。
ワッパが巻き上げる砂埃に、鼻がむずむずした。
「あんた目が見えないんだなあ。これからどうするんだ? あんた余所モンだ。
目が見えない女の仕事なんて、だいたい決まってるんだ。分かるだろ?」
カテジナは返事をせずに歩き続ける。
ワッパのローター音に紛れて、男が唾を吐き捨てる音が聞こえた。
「マッサージ屋じゃねえぜ、ああいうのはババアがやるんだ。
あんた美人だよ。ほらこっち行こうぜ、ビジネスの話しようや」
ローター音が止まって、コートとスカートをはためかせる風が治まった。
「こっちだよ、ほら」
カテジナは男に手を引かれて、階段を昇った。
小さな部屋らしかった。暖房が効いていて、なんだか頭がぼうっとした。
「俺はよ、もう3人も女を世話してるんだ。マネージャーだよ。分かるだろう?」
ぶわっと音がして部屋の隅に飛んで行った何かは、男のコートだろう。
男はべらべらと喋り続けた。
「アンタにはもう、そういう仕事しかねえんだよ。イヤな時代だよな。でも仕方ねえ。
生きるためだぜ。分かるだろう? 名前なんてえの?
……いや、いいや、俺がつけてやる。そうだな、イザベラってのはどうだ?
あんたにぴったしだ。ゴージャスだよアンタ。アンタは今日からイザベラだ」
小さな部屋に、衣擦れと男の耳障りな声だけが響いている。
「分かってるだろうが、イヤとは言わせねえぜ。知ってんだよ、あんたベスパだろう?」
カテジナの胸元に、何か布切れが投げつけられた。
「ウチの床に黄色いノーマルスーツが転がってたの見たぜ。俺はメザトいからよ」
ぎしり、ぎしり、と床が鳴って、男が近づく。
暖かい部屋に、胸の悪くなるような男の体臭が、次第にたちこめてきた。
「大丈夫だよ、心配すんな。俺は男にしちゃお喋りだけどよ、こういっちゃなんだが」
男の手が、コートの肩に触れた。
すっと押されると、カテジナはベッドに倒れ込んだ。
そのカテジナを覆うようにして、男がベッドに伸し掛かった。
電灯が男の影に隠れたり、また現われたりして、世界が明滅した。
「スッキリさせてもらえれば、すっかり無口になるんだよ俺は。分かるだろう?
なあ、スッキリしようぜ……お互いによ」
カテジナは無表情のまま手袋を脱いで、男に手を伸ばし、脂汗にぬめる肩を抱いた。
男は歓喜の声を上げた。
「すっかりその気のイイ子ちゃんは、大好きだよ俺は。俺は優しいんだ。
分かるだろう? ウチで着せた服だ。俺が脱がせてやるよ……
アンタ、ゴージャスだ……分かるだろう?」
男の指が、カテジナのコートのボタンにかかった。
ひとつ、ふたつ、みっつ……。
――クロノクル。
………………。
体を貫く熱いものが、瞼の裏に火花を散らした。
生まれて初めての感覚が、全身を震えさせる。
止まらないおぞけに震えて、口の端からよだれが糸を引いた。
体から力が抜けてゆく。
深く、深く、貫かれて――
「あ…………え…………な……なん……え…………」
カテジナは、コートの下から男の腹に突き立てたナイフを、手の内で反転させた。
ごぽりと熱いものが手元にこぼれ落ちた。
「こっちの方がずっと無口になるよねぇ! 分かるだろう? アハッ♪」
男の影を膝で蹴り上げると、ビチャッと床に死体の転がる音がして、
それから部屋は静かになった。
「フフフ、いいか。我が軍をコケにするから、女だと舐めるからそうなる!」
死体は返事をしない。
セントラルヒーターの微かな唸りがあるばかりだ。
「………………」
なんだか、しらけてしまった。
我が身に見えない目を向けてみると、白いコートはどうやらもう白ではないらしい。
カテジナは脱いだコートの裏地に、ナイフと手についたぬるぬるを擦りつけると、
死体の傍らに放り投げた。
それから部屋に入ったときの音を思い出し、
記憶を辿って、男が着ていたコートに辿りつく。
羽織ってみると、やはり服屋の息子のコートで、厚手の着心地の良いものだ。
人を殺した後のピリピリした皮膚感覚が治まるまで、しばらくベッドに座っていたかった。
――その手の震えは、アドレナリンが自律神経に作用しているだけだ。
私だって、戦闘後は指が震えることがある。
暖かいココアでも飲むか、ゆっくり休むことだ。
クロノクルはいつだって優しい。
アマルテアでも、アドラステアでも、アメリアのコンドミニアムでも、
コンティオの中にいるときも。
必ず来てくれる。
「ですが司令、ここは……」
部屋に充満しつつある男のはらわたの臭いには、これ以上耐えられそうも無い。
カテジナはべとついた指に手袋を嵌めると、男を跨いで、
暖かい部屋を出て、階段を降りた。
ワッパのキーはコートのポケットにあった。
粋がっていた男だから、変なものに乗っていたら困るなと思っていたのだが、
ワッパはカテジナも乗ったことがある、平均的な立ち乗りタイプだった。
このタイプに標準装備されているオートコンパスは、音声入力ができる。
「……ウーイッグ」
ピピピピッ
電子音4回は、認識不能の信号だ。マイクの調子が悪いのかも知れない。
「……ウーイッグ……ウーイッグ……ウーイッグ」
ボタンを押しながら、何度も呪文のように生まれ故郷の名を唱えた。
何故だか、不思議と苛立ちは無かった。
ピピッ
やがて、オートコンパスはカテジナの声を認識した。
このままオートパイロットで、ウーイッグまで連れて行ってくれるはずだ。
そのうちに町の喧騒は、ワッパのローター音に紛れて消えた。
………………。
…………。
……。
あれから、どれだけ走ったのだろう。
何度か町に寄った気がする。
リンゴの匂いのする店に行って、コートにあった財布を店主に渡したのだ。
全部食糧に変えて下さいと言って、渡された袋はずっしりと重かった。
「どれだけの旅かは知らないが、日持ちする物ばかりです。少しずつ食べなさい。
僕もあなたも、生きてるだけで儲けものですよ。こういうご時世ですから。
だからちょっとでも、長く生きて下さい。
あなたの旅が終わるまで、たとえ1日でも……」
今のカテジナにとって、時間に、日の移り変わりに何の意味があるだろう。
再び川のせせらぎが聴こえたところで、カテジナはワッパを停めて、
手袋を脱ぎ、汚れているはずの手を流水で洗った。
下卑た男の残り滓が、世界の果てに消えていく。
きれいに流れたのか、それともまだ半分ほどこびりついているのか。
手が冷たくなり、やがて痛みが骨まで凍みた。
冷たいということが、カテジナにもなんとなく分かり始めてきた。
それと同時に、中年の女に着せられた服や、手袋の暖かさも分かってきた。
カテジナは少しあの女の孤独を想って、それからまたワッパを走らせた。
口の中に残ったドライフルーツの酸味を、ときどき思い出した。
「………………」
ワッパは障害物を避けて順調に走っているようだったが、それが奇妙に直線的で、
ときにはかえって道をジグザグに進んでいるのを、身体の揺れで感じた。
やはり、オートコンパスが駄目らしい。
速度を少し落として、行けるところまで行こうと思った。
そもそも、何故ウーイッグを目指しているのか、カテジナ自身にも分からないのだ。
ただワッパに任せるままに進み、また川がある道に出た。
川が蛇行して流れているためだ。
「あいっ」
そこで、子供の声が聞こえた。
「あいしっ」
確かに子供の声だ。
カテジナはその場でワッパを停めた。
「……人が、いらっしゃるのですか?」
「はい。何のご用でしょう」
元気な少女の声が帰ってきた。
犬の唸り声も聞こえたが、それもすぐに大人しくなった。
「ワッパのオートコンパスが壊れてしまって、方向が分かりません。
ウーイッグはどちらでしょう?」
カテジナが尋ねると、少女は答えた。
「ここからもう少し南ですけど、
うちにコンパスのスペアがありますから、差し上げます」
「道を教えて下さるだけでいいんです。お金は、ありませんから」
男の財布は食糧に変わって、それも今は残っていない。
「目もご不自由なようですし……いいんですよ、すぐ持ってきます」
少女は軽やかに走り去った。
親切な人ばかりだ。
とても、不思議なことだ。
「こんちぃわ!」
先ほどの幼い子供の声がした。
カテジナは声のする方向に顔を向けた。
「こんにちは、お名前、なんていうんですか?」
「カルル!」
子供は、元気いっぱいの声でそう答えた。
「カルル?……いい名前だ」
カテジナは思いのままを言った。
すると、
「カルルマン!」
カテジナは、白濁した目を見開いた。
カルル……カルルマン……カルルマン・ドゥカートゥス。
どうしてだろう、不意に去来したその名前が、針のようにカテジナの胸を突いた。
永久に失われてしまった何かが、運命のほころびの最初の分岐点が、
その響きにあったというような。
後悔と呼んでしまえば、あまりに空虚な名付けえない感情が、
穴の開いた抜け殻の心に、冷たく降り積もるようだった。
不意に、鼻先に冷たいものを感じた。
「…………雪?」
その問いの答えのように、少女の落葉を踏む音が近づいてくる。
少女がオートコンパスのカートリッジを入れ替える間も、
カテジナは見えない目を空に向けて開いていた。
「メモリーはいつも使っているものですから、間違いなくウーイッグへ行けますよ」
感情が降り積もってゆく。
――最初の間違い……間違い? 何を間違えたのだろう。
どうしてここにいるのかも分からない私が、何を間違えたというの?
「どうなさいました?」
少女が尋ねた。
「いえね……」
カテジナの声は、震えていた。
「……冬が来ると、わけもなく悲しくなりません?」
「そうですね」
返ってきた声は思いのほか冷たかった。
氷のようだ。
カテジナが男の血を洗い流した、あの骨まで凍みる川のようだ。
「ありがとう……お嬢さん」
カテジナは再びワッパを走らせる。
とうとう涙は流れて、雪の中、痩せた頬を冷やした。
視力を失ったカテジナさん視点なので、少し読みにくいですがご容赦下さい。
2話からは、他のキャラクターの視点が入ってくるので、いくぶん読み易くなるかと思います。
感想、語り、アドバイス等、お待ちしています。