ウーイッグのカテジナ・ルース   作:Mariah_Bastet

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廃墟に孤独に暮らすカテジナさんが、かつての宿敵と出会うお話です。


第3話 戦場の素粒子

――家族のために仕事をしているのだ。手段と目的を取り違えるようなことはせんよ。

 

 

クロノクルのシンプルで潔癖なものの考え方は、特別区ウーイッグという作られた街に、

しっくりと噛み合うに違いない。

 

彼のマメな性格と優しい心根も、

食糧の流通を担うルース商会の屋台骨となるにふさわしい。

 

 

――おのが仕事に邁進し、家庭を守ることは、

  マリア主義が標榜する母系社会の礎を築くことでもあるのだ。

  

  カテジナ、軍に卸すドレスデンの在庫一覧をプリントアウトしておいてくれないか。

  それから紅茶を一杯……。

 

 

そう言いながらふと気づいたように、優しい声でひとこと、つけ加える。

 

 

――どうやら君に子供を産んでもらうには、秘書を雇わねばならんようだな。

 

 

クロノクルとの思いやりに満ちたやりとりが、カテジナは好きだ。

 

自分の両親とは違う、まっとうで、清潔な夫婦の形がそこにはある。

 

 

「しばらくは、いいわ。でもいつか、きっと」

 

 

――君がそう言うなら。子供がなくても不自由はしないからな。

 

 

「でも私、約束するわ」

 

 

あなたの子供を――と出かけた言葉が、

胃の奥から登ってきた苦酸っぱいものに塗りつぶされた。

 

 

「ウグッ……」

 

 

もどしそうになったものを、無理矢理飲み込むと、

なまぐさい臭いが、むわりと鼻腔を抜けた。

 

モビルスーツの脱出ポッドに備え付けられた非常用パックの携帯食料は、

ベスパの兵たちに“コンクリート・スティック”と呼ばれていた。

 

灰色の穀物バーの中に棒状の成形肉が入っているのが、錆びた鉄骨に見えるのと、

あとは純粋に歯が折れそうなほど固いことから。

 

途中の町で財布と交換した食糧を食べてしまうと、

カテジナは再び“コンクリート・スティック”を口にした。

 

その最後の1本を食べたのが、ウーイッグにたどり着く2日前だ。

 

それから5日、カテジナはマスの酢漬け以外のものを口にしていない。

 

 

――カテジナ、ザンスカールの貴賓会では鶏肉の……。

 

 

「……カテジナさん?」

 

 

床に座り込んでいたカテジナは、店内に響いた少年の声に顔を上げた。

 

世界の色が、薄暗い床から、窓から差す日の光に変わった。

 

 

「カテジナさん……生きてたんですね、僕はてっきり、あのとき……」

 

 

ドアに付いた鐘の音、ウッソの足音――感極まったような、

震える声が静かな店内に響いた。

 

 

「僕は……本当にあなたを……」

 

「久しぶりね、ウッソ・エヴィン君」

 

 

カテジナは陳列棚を手で探りながら立ち上がった。

 

棚に指先を触れたまま、ゆっくりとカウンターに向かって進んだ。

 

 

「カテジナさん……目が……」

 

「見えないわ。でも思ったより、見えない世界は美しいのよ」

 

 

カウンターに置いた袋に手を入れて、目当てのものを探る。

 

 

「僕は、その……あの戦争で、たくさん取り返しのつかないことをしました」

 

 

袋に手を入れたカテジナの手が止まった。

 

 

「あなたが言うとね、あてつけにしか聞こえないのよ」

 

「そんなつもりはないですっ! 僕は……」

 

「いいのよ、気にしないで。私がやったことは私がいちばん分かっているんだし、

 私の目はこれでいいの。なるようになったんだわ。

 あなたの傷は大丈夫? 私がナイフで刺した傷」

 

 

床がぎし、と小さく鳴った。

 

 

「……おかげさまで、じゃ、おかしいですよね。はい、もう糸は抜けました」

 

「そう」

 

 

カテジナは、袋の中で目当てのものを探り当てた。

 

 

「もっと声を聞かせて。あなたの声を」

 

 

床のきしみで、わずかな風で、土の匂いで――。

 

ウッソの佇まいは、手に取るように分かった。

 

 

「僕の声、ですか? 何を話したらいいんでしょう。

 でも、目が見えないってことは、耳から入ってくる言葉は大切ですよね」

 

「声だけじゃないわ。人の匂いと、手触り。分かるでしょう。

 もっとこっちへ寄っていらっしゃいな。もう戦争は終わったんだから。

 私はウーイッグのカテジナ・ルース。

 あなたは、カサレリアのウッソ・エヴィンに戻ったのでしょう?」

 

 

カテジナは空いた方の手を、ウッソの方へ向けてのばした。

 

 

「そうです。そうですよね。もう全部終わったんです」

 

 

ギシ、ギシ、ギシ、

 

 

ウッソの足音が近づいてくる。

 

 

「もっと話して。カサレリアの生活はどう?」

 

「はい、以前とまったく同じというわけにはいきませんけれど、徐々に……」

 

 

ウッソが陳列棚の間に入ったのが分かった。

 

 

「シャクティちゃんは元気?」

 

「ええ、マーベットさんの赤ちゃんがもうすぐだから忙しくて……」

 

 

その言葉を言い終える前に、カテジナは軍用拳銃を袋から取り出してひき金を引いた。

 

 

「…………!」

 

 

耳をつんざくような乾いた音が、店内に残響を残す。

 

こうなっては、聴覚は役に立たない。

 

だから陳列棚の間に誘い込んだのだ。

 

銃弾はウッソの頬をかすめて、店内に掛かった風景画に穴を開けた。

 

ウッソは即座に左の陳列棚に体当たりをして、カテジナの射角を広げる。

 

しかし2発、3発、4発と、銃弾はウッソの跳ぶ先に食らいついてきた。

 

 

「……目が見えないのによくやる!」

 

「坊やのなまっちろいベトついた視線が私には見えるんだよ!

 そのクリクリした可愛い目玉をはっきり覚えている!

 それを撃ち落とせば白いやつのコックピットに当たるんだろう!?」

 

 

カテジナの中で、ベスパのカテジナ・ルースが燃え上がった。

 

窓から差す日の光は、かつてラゲーンの基地でみた朝陽と何も変わりはしないのだ。

 

広い飛行場で、早朝の白い光に冷たく輝いていたトムリアット。

 

あの美しい紫色に、カテジナの胸はときめいた。

 

 

「私の人生は動き始めてたんだ!

 腐った街で錆び付いていた人生の歯車が、やっと回り始めていたんだ!」

 

 

続く銃弾は缶詰を貫いて汁を飛び散らせ、木の床を穿ち、空き缶に火花を散らす。

 

 

「カテジナさん、めちゃくちゃですよ!」

 

「お前がめちゃくちゃにしたんだ!

 巣を失った狼がどうなるものか、お前に教えてやる!」

 

 

カテジナはひき金を引き続けるが、その場からは動かない。

 

ウッソは距離さえ取れれば、弾が当たることはまずないと踏んだ。

 

しかし――。

 

ウッソが手元に転がってきた缶詰を放り投げると、それが床に跳ねた瞬間、

弾け飛んで酸っぱい中身を壁にぶちまけた。

 

 

――なんてひどいカンの良さ!

 

 

しかし、そこで弾切れを起こしたらしい。

 

カテジナが袋に手を突っ込んでカートリッジを取り出す隙に、

ウッソはドアまで走ってルース商店を飛び出した。

 

カランと鳴ったドアの鐘が、素早く装填された銃弾に撃ち抜かれるのが聞こえた。

 

走って、走って――ルース商店から十分距離を取ってから、ウッソは叫んだ。

 

 

「また来ますからねーっ!!」

 

 

返事はなかった。

 

 

「ウッソ、大丈夫カ? アドレナリン、分泌カジョウ、

 サッカショウ、ドウイウコッチャ」

 

 

ワッパで待たせていたハロに、ウッソは答えた。

 

 

「たいした怪我じゃないよ……いっつつ!」

 

 

銃弾がかすめた頬は、虫歯をこじらせたように腫れていた。

 

 

「カテジナさんは、ああなんだ。あれがカテジナさんなんだよな……」

 

 

何かに迷うということはひとつの能力なのだということを、

ウッソはあの戦争の中で思い知った。

 

もちろん土壇場で迷った者が死ぬというのは、

ロメロ、マーベット、オリファー、それからジュンコを始めとするシュラク隊の面々、

その誰からも一度は耳にした、戦場の鉄則だ。

 

しかしリガ・ミリティアにも、日常はあった。

 

ウッソはその中で大いに迷い、さまざまな人に導かれて、

答らしきものをいくつか見出した。それが今の幸福な生活へと繋がっている。

 

 

その迷うという能力が、カテジナには欠けているように見えるのだ。

 

 

優しい男に手を差し伸べられれば、カテジナはその手に手を重ねる。

 

モビルスーツが目の前にあれば、カテジナはそれに乗る。

 

尉官の地位を与えられれば、カテジナは命令する。

 

敵が現れれば、カテジナは殺す。

 

銃を持てば、引き金を引くということだ。

 

 

周囲が狂気に染まれば、容易くそれに呑まれてしまう。

 

 

「つまり、環境を作ってあげなくちゃいけないんだ。

 ウーイッグがイエロージャケットの狂気に染められたままだと、

 カテジナさんはいつまでも戦争の亡霊だってことだ」

 

 

ウッソはいつもカテジナのことを想っていた。

 

電子メールを一方的に送りつけるときも、アーティ・ジブラルタルでの別れのときにも、

モビルスーツ戦で渡り合ったときでさえも――。

 

水着のお姉さんを差し向けられたときには、あこがれの一片も吹き飛んだけれども、

そこで向き合ったのはカテジナが呑まれた狂気であって、

カテジナ・ルースの人格ではない。

 

今しがた、自分の頬をかすめた銃弾について考えても意味がないように、

その銃把を握っていた、カテジナの手のひらについて考えても意味はない。

 

ウッソは今、初めてカテジナ・ルースについて考えていた。

 

カテジナについて考えるということはは、カテジナにあらゆることを為さしめた、

何かについて考えるということだ。

 

ウッソができて、カテジナができなかったこと。

 

ウッソは地球で、宇宙で、何度も迷った。

 

その結果、今はカサレリアで望んだとおりの暮らしができている。

 

迷うことのできなかったカテジナは“ほんとのウーイッグ”で、

瓦礫のなか生を蝕まれ続けている。

 

迷うということは、昔の航海士が星を観察して進路を修正するようなもので、

それができたウッソと、できなかったカテジナ――。

 

 

――いや、そうじゃないんだ。

 

 

ウッソは知らず知らずのうちに、自分自身とカテジナを、何かに迷うという行動の、

象徴として単純化していることに気がついた。

 

 

――象徴なんて、結局は生身の肉体に対して、何の意味も持ちはしない。

  マリア・ピァ・アーモニアは、結局の所マリア・ピァ・アーモニアでしかなかった。

  僕もウッソ・エヴィンだ。あの人は、カテジナ・ルースじゃないか。

 

 

そんなふうに、今更ながらのフォン・カガチへの反論というか、

どこか真理を含む愚痴みたいなものが、頭の中に浮かぶのだ。

 

 

――そうだ。誰も彼も、なるようにして、そうなった人間にすぎない……。

  それじゃあ、カテジナさんの自由意志というのはどこにあるんだろう。

 

 

ウッソは思考の狭間に現れる、こうした陥穽を無視する術は心得ている。

 

 

――いや、そんなの僕にだって、どこにあるのだか知れたものじゃない。

 

  ……それに、そうだ。

 

  カテジナさんは、僕を殺そうとしたときは、確かに迷っていた。

  ネオ・カタルヘナから、最後の戦場まで、何度も。

  僕のためには、迷うことができる人だった。

 

  過去の迷いが道になるというのなら、あのとき殺されなかった僕が、

  カテジナさんの道を(なら)す役目を担うのは、とても自然なことじゃないか……。

 

 

そのように、ウッソは自分を納得させた。

 

 

「そうだ。せっかく来たんだから、安全圏を少し広げて帰ろう」

 

 

ここ数日の実験で、ベスパの地雷を無効化できるマイクロウェーブの照射時間と、

距離は特定できていたし、例のレンジラッパも持ってきている。

 

ウッソはワッパを降りると、小さな瓦礫を棒切れでそっと脇にどかせながら、

隙間からレンジラッパでマイクロウェーブを浴びせた。

 

ときには瓦礫の陰に地雷がみつかったが、

それが目に入ったときには、回路は焼き切れている。

 

小一時間ほどの作業で、地雷は4つ見つかった。

 

無効化した地雷をワッパに乗せると、ウッソはウーイッグの地図を広げて、

チェックした領域を緑のマーカーで塗りつぶした。

 

 

「これで、ほんのちょっとウーイッグがきれいになったってことだよね」

 

 

地雷撤去作業はウッソにとって、もはやウーイッグという街や、

そこに眠る物品のためではなく、カテジナのための仕事なっていた。

 

 

「キレイキレイ、ガンバレウッソ」

 

 

飛び跳ねたハロが手摺りに食らいつくと、

ウッソはローターのスイッチを入れて、ワッパを発進させた。

 

カテジナの心根を自分が望む形へと変えるために、周囲の環境を変化させるということが、

果たして何を意味するのか。

 

ウッソには、そこまでは考えが及ばない――というよりは、

思考の無限地獄に陥らないために、無意識にストッパーをかけている。

 

考えたって、仕方がないこともあるのだと、

割り切るところは割り切ることができる少年になっていた。




ウッソの向こう見ずな責任感は、アニメ本編でもしつこく描写されていました。
彼がスペシャルなのは、そのエネルギーを必ず良い方向に導く能力でもあるように思います。
主人公補正といってしまえば、それまでですが。

次回は再びカサレリアが舞台です。
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