太陽の子 我が名はカルナ   作:トクサン

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インド神話の英雄

「英雄」と言う単語を聞いて最初に思い浮かぶ人物、貴方は一体誰を思い浮かべるだろうか?

 

 世界を救った英雄、人類を導いた英雄、国を救った英雄、発明家の英雄、少なくとも多くの人にとって益となる何か偉業を成した人物を人々はそう呼ぶ。

 藤堂弦にとって、【あなたにとっての英雄は誰か?】と問われれば、恐らく五十年前の笹津トールスを挙げるだろう。彼の人物は現連邦政府を立ち上げた張本人であり、恐らく彼が居なければ今でもヨーロッパだのアジアだの、人々は区域によって別々に生き、世界は幾つもの国に分裂していたに違いない。

 故に彼の成した偉業は世界の統一化であり、全世界を救ったと言っても過言ではない筈。

 何故なら全人類が協力してあらゆる事を成し遂げ、人々は真の結束を手に入れたからだ。

 

 ある人はウィルス・オーマトンの名を挙げるかもしれない。

 彼は超長距離高速航行のウィルス・Oエンジンを開発した、宇宙航行の第一人者である、彼のお蔭で人々は火星と言う名の新たな星を手に入れ、あらゆる資源問題や人口問題、地球環境問題を解決した。

 正しく英雄、百人に聞けば百人頷く天才だろう。

 

 そんな現代の天才、英雄達。

 あらゆる凡人が見上げ、素晴らしいと惜しみない称賛を送り、同時に羨望する対象。藤堂弦もそうだ、彼も下から英雄、天才を見上げて称賛を送る側の人間だ。

 凡愚ではない、しかし天才でもない。

 平々凡々と言うには才に溢れ、しかし鬼才と持て囃される程には能力が不足している秀才止まり。その才が枯れたと自覚したのはいつだったか、それ程遅くも無かった気がする。

 故に、彼はこんなセリフを聞いた時に、思わず笑ってしまったのだ。

 

「貴方の遺伝子の中に、英雄の記憶があります」――なんて。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「此処の連中は頭がトチ狂っているに違いない」

 

 弦はベッドの上に寝そべりながら、そんな事を呟いた。

 場所はユーラシア大陸、旧ロシア領土山脈の何処か。今となってはその呼称も随分古い物になったが、今はエリア879と呼ばれる辺りだ。詳しくは分からない、ただ備え付けのテレビを点けた時に懐かしいロシア語を目にした事と、端末から大凡の現在地を割り出した結果だった。それも怪しいもので本当かどうかは分からないが、今の弦にとって此処が何処かなど大した問題ではない。恐らくエリア021――日本でない事は確実だ。

 弦は気付いた時には既にこの部屋で寝かせられており、訳も分からず狂乱しそうになったところ、一人の女性がやって来た。

 その女性は懇切丁寧に弦の現状を話し、協力を求めて来たのだ。

 

 曰く、貴方の遺伝子の中には英雄の記憶がある。

 曰く、その英雄は素晴らしい人物で、彼の記憶を手に入れられれば世界的な益となる。

 曰く、長時間拘束する見返りは十分に用意するので、どうか受け入れて欲しい。

 

 そして彼女はこれ見よがしにアタッシュケースなどを取り出し、アース紙幣を三千枚程見せて来た。これだけあれば数ヵ月の拘束など苦にもならない金額である。

 弦は去年成人した二十一歳で、連邦普通学校に通っていた。別段金に困っている訳では無いし、怪しさ満点というか半ば誘拐に近いやり口を糾弾したが、既に学校と両親――弦は片親なので、母には話が付いていると言う。

 承認は兎も角、これは連邦主導の世界プロジェクトだ何だと言われ、弦は一時間程の説得で折れ渋々頷いた。此処の職員――確かノアと言ったか、ノアの管理官だか何だかと言った女性は嬉しそうに頷き、弦に先程の倍以上の金額を支払うと言って上機嫌に部屋を後にした。

 

 それが三時間程前の話である。

 

 ノア――それがこの施設、研究所とでも言おうか、その名前だそうだ。

 連邦のプロジェクト、何でも過去の英雄、天才、傑物の子孫を探し出し、その記憶を覗き見て、天才、英雄の作った――或は持っていたオーパーツの収集、または記憶から子孫の覚醒を促し人工的な進化をさせるプロジェクトだと聞いた。

 その説明を一度頭の中で繰り返し、じっくりと考えた結論が先の言葉である。

 つまり、此処の連中は頭がおかしい。

 

 いや、頭がおかしくなったのは自分もか。

 本当かどうかも分からない話に頷き、了承してしまったのだから。これで次の日には屍になっていたら笑い話にもならない、いや、笑い話どころか話す事さえ出来なくなるのだが。

 兎も角突然の状況に混乱し、その隙を突かれたと言った所だ。我ながら自身の危機管理能力の低さに苦笑を零す。

 

「俺の最後の記憶は何だったっけ……」

 

 弦は目を瞑って回想する。

 元々旧ロシア領土に居た等と言う筈が無く、弦は他の土地から此処に連れてこられた口だ。気付けば――という表現はこういう時こそ使うのだろう。

 なんせ弦の最後の記憶は家で就寝した時、そこから凡そ半日足らずで此処まで来た事になる。自室で横になり、起きたら極寒の見知らぬ土地、何だそれはと思いたくなるだろう。

 

 しかし、部屋は存外に豪華なものだった。

 柔らかく大きなベッドに大画面の投影モニタ、電子書籍が観覧可能な小型端末に掃除、家事を行うAIポッド、大きな風呂にトイレ、トレーニングルームなどというモノまで付いている。

 どこぞのVIP御用達のホテルか、そう思ってしまった弦の感覚は正しいだろう。

 こんな設備を見せられれば強ち連邦のプロジェクトと言うのも嘘では無いと思うだろう、身代金目当ての誘拐ならば汚い個室に詰め込んでおけば良いのだ、これ程気を遣う理由が分からない。

 そこが、英雄の記憶云々に繋がるのだろう。

 

「しかし、俺のご先祖様が何だっていうんだ――?」

 

 弦は疑問符を浮かべながら呟く。

 平々凡々であると自分を評価する訳ではない、寧ろ平均から見れば恵まれた才を持っていると自負している。しかしソレはあくまで平均から見ればであり、遥か天上に座す天才、鬼才には敵わず、ただ苦笑いしながら称賛を送るしかない能の無い人間である。

 そんな自分が、英雄だか天才の子孫であると?

 その血を継いでいると?

 

「ハッ」

 

 鼻で笑った。

 もしそれが本当ならば自分は連邦の学校で腐らずに、もっと上の良い環境で学んでいただろうし、世界に名を轟かせていただろう。それが今現在、こんな研究所だか施設に入れられて不貞寝している自分、それが現実であり真実だ。

 

「まぁ――直ぐ帰れるだろうよ」

 

 弦はそう決めつけて瞳を閉じる。

 自分が英雄の子孫等と言う高尚な存在の筈が無い、きっと何かの間違いだ。

 彼はそう確信していた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「貴方の祖先、その英雄の名は――【カルナ】と言います」

「……? 誰です、ソレ」

 

 頭部に奇怪な装置を装着した弦、その装置は何と表現すれば良いか、大きすぎず小さすぎず、リング上になって弦の頭部を囲っている。これで弦の遺伝子だかDNAだか、良くは分からないがソレから記憶を読み取るらしい。

 午前中に精密検査と言う名の肉体労働を強いられた弦は、内心で辟易しながら午後の記憶没入事前試験を受けていた。要するに記憶を覗き見る為の耐性確認である、聞けばコレには適正があり、余りに酷いと発狂してしまうらしい。

 よくもまぁそんな危険な事をと思ったが、そうならない様に事前試験があるとの事。

 ご尤もである。

 

 弦の前に座るのは白衣を着た神経質そうな女、ツリ目に眼鏡で如何にも正確が苛烈そうな人物だ、昨日弦に色々と話に来た女性と同一人物である。名はミーシャと言うらしい、覚える気は無いが。

 彼女は何でも弦の記憶没入担当官らしく、要するに色々世話をしてくれる人である。日常世界のちょっとした相談、必要な物の申請、メンタルケア等々、英雄の子孫一人に一人が担当官として付くらしく例外は無いらしい。

 

 その彼女の口から出た名前――カルナ。

 

 弦が知る限り、そんな名前の英雄は記憶の何処にも引っ掛からなかった。一体いつの時代の英雄だろうか、まさか遥か昔の、それこそ第二次文明の時の英雄か何かだろうか。

 一体何を発明した人だ、何を成した人だ、弦は首を傾げた。

 

「この英雄は遥か昔の叙事詩――マハーバーラタに出て来る不死身の英雄です」

「不死身……サイバネティクス手術とか、ナノマシン・インディフェンスでもした人ですか? 凄いですね、遥か昔にもそんな技術があったなんて」

「いえ、そんな事はしていません」

 

 手術も無しに不死身だと? 弦は非常に驚いた、個人のデータ化ならば不死性を獲得したともいえるが、よもやその英雄とやらは肉体を捨て去ったのだろうか。弦としては一生データベースの電子世界で生きるなど勘弁と言わざるを得ない。

 しかし弦の考えている事が分かったのか、ミーシャは小さく溜息を吐きながら告げた。

 

「電子化も、手術も行っていません、彼は生まれながらにして不死身と言われていたのです――まぁ、最後は結局死んでしまいますが」

「……それは不死身とは言わないのでは?」

 

 現代ならば訴訟ものである、サイバネティクス手術元を訴えて慰謝料ガッポリだ。

 ミーシャは弦の言葉に眉を顰めながら、手元の資料をパラパラと捲った。分厚いファイルである、一体何枚のプリントが挟まれているのか。

 そして一枚のプリントを見つけたミーシャは、それを弦に手渡しながら言った。

 

「――英雄カルナは、ヤドゥ族の王シューラの娘クンティーと、太陽神スーリヤとの間に生まれた英雄です、太陽神の子である彼は父であるスーリヤと同じ黄金の鎧と耳輪を纏い、不死身の大英雄と呼ばれるに至ったのです、つまり貴方の祖先は半神の――」

「ははははは」

 

 弦は乾いた笑みを零した。

 無論視線は渡されたプリントに向けられている。

 この人頭おかしい、ぶっ飛んでやがる。

 

「太陽神? 黄金の鎧ィ? それで不死身だって?」

 

 何だこのデタラメを並べた文章は、明らかに創作の類だと分かる。

 弦はプリントを指で叩きながら薄ら笑いを浮かべた、明らかに相手を馬鹿にしている笑いだ。

 まず太陽神という存在が弦的には大爆笑だ、神と言う存在が消えてから随分久しいが、ブッダやらキリストやら、昔は宗教という奴が盛んだった。しかし現在観測できる宇宙上にそんな偉大な存在が発見できず、見る事も触る事も出来ない存在をどうやって信じろと言うのか。

 精霊と交わって子をもうけた? 死んで生き返った? 神の怒り? 恵み? 

 知った事ではない、この世の全て、寄る辺は科学だ。

 

「申し訳ありませんが、貴女はこれを大真面目に信じているのですか? 女性が神様と交わって、黄金の鎧を着た子どもを産んだと? それで不死身? 高々黄金を叩いて作った鎧で、不死身? この鎧は宇宙航行艦隊のモーフィス粒子砲、或はGTB爆撃を受けても無傷なのですかね? だとすれば大変素晴らしい! どんな天才の発明もコレには及ばない、着るだけで不死身になれるなど、つまり鎧を量産して人々に配れば全員が不死身になれる訳だ」

 

 弦は盛大な皮肉を口にした、こんな奴が本当に居たなら大口開いて笑ってやろう。

 聞いた事も無い英雄だ、弦が精々知っている昔の英雄と言えばエジソンだとかテスラだとかアインシュタインだとか、その辺りである。あの辺りが最古の英雄だろう、この世の原理を解き明かした偉大なる英雄だ。

 しかしこの英雄は何だ、名も聞いた事が無い、挙句に黄金の鎧を纏った不死身の人物だと?

 仮に、その情報が正しいとして――だから何だ。

 電気工学を極めた訳でもない、無線機を発明した訳でもない、雷を日常に齎した訳でもない、万有引力を発見した訳もでもない、真理に通じる数式を導き出した訳でもない、宇宙航行エンジンを作った訳でも無い、モーフィス粒子を発見した訳でもない。

 そのカルナとやらは一体何を人類に齎したんだ?

 

「太陽神とやらも馬鹿馬鹿しい、生まれた時から黄金の鎧を着ていたというのも信じられない、それに不死身だから何だと言うのです、人は己の力で不死に至った――今更そんな金メッキの鎧を見て、何になると言うのか」

 

 弦は呆れかえっていた、或は自身の考えが正しかったと確信した。

 つまりコレは連邦主導のプロジェクトなどではなく、単なる金持ちの道楽か、若しくはオカルト狂いのイカれた連中の妄言だと。百歩譲って神の概念を信じると言う程度であるならば弦も微笑んで受け入れよう。

 そうだね、神様は居るね、キリスト様も居るよ、ブッダ様も居るよ。

 けれど、それはあくまで君達の中には――という注釈が付く。

 そんな妄言に巻き込まれては堪ったモノではない、微笑みは呆れに代わり、ちょっと妄想に巻き込むのはやめて貰えます? と肩を竦める位はしたい。それが更に自分の先祖で英雄だと。

 妄想も此処まで来ると素晴らしい、賞賛に値しよう、君達は妄想の天才だ。

 

「すみません、俺はもう帰りたいのですが、良いですか? あのお金も要りません、何をされるか分かったモノではないので、あぁ、別に連邦警察に通報とかはしませんよ、ただ学校の欠席分と帰りの運賃位は貰いますけどね、これ位は当然でしょう?」

 

 弦は薄ら笑いを浮かべながら頭部の装置を外そうとした。多少信じかけていた数時間前の自分を殴ってやりたい、コイツ等は遥か昔に神様が存在して、人々を天から見守っていたと信じるイカれ狂信者だ。

 

 弦の薄ら笑いを見ながら、ミーシャは小さく息を吐き出す。

 こんな反応をするのは想定内だとでも言いそうな表情、正直に言って腹が立つ。しかし弦は何を言われても言い返す事はしないと決めていた、こういう連中はムキになって説得したとしても逆効果だ。

 連中の中には確かに神が存在し、「信じる者は救われる」だとか「神々は我々を見て下さっている」とか言っているのだ。こんな男一人の言葉で易々と考えは変わらないだろう。

 

「えぇ、まぁ――他の方々がそうでしたから、直ぐに信じろとは言いません……ですから」

 

 パタンとファイルを閉じたミーシャは、弦の馬鹿にした笑いに対し何か反論する訳でもなく。

 その手元にあった小さな端末、その表示されている【没入】のボタンに軽く触れた。

 

「実際にその眼で見るのが一番良いでしょう」

「――は」

 

 弦は思わず口を開く。

 瞬間、ガツンと――巨大な金槌か何かで頭部を殴られた様な、凄まじい衝撃を受けた。

 思わず頭部に手を伸ばすが、それより早く視界が引っ張られる。まるで脳の奥にめり込む様に、端から黒色が全てを覆い隠した。何だ、一体どうしたと言うのか、弦が混乱の余り叫ぶより、意識が飛ぶ方が早い。

 弦が最後に見た光景は、何か期待する様に薄ら笑いを浮かべたミーシャ。そんな彼女の姿を見ながら弦は意識を失い、次に起きたら殴り飛ばしてやると内心で決意した。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「カルナ、おい、カルナ――」

「――は」

 

 目が覚めた。

 呼ばれている、自分の名だ――カルナ、いや、待て。

 カルナ? そう、俺の事……いや違う、何かが噛み合わない。

 

 視界に幾つか斑模様が浮かび上がり、光に目が眩む。白昼夢を見ていた様な気分で額を撫でた後、何度か瞬きを繰り返して頭を振る。それでも視界にこびり付くベールの様なモノは振り切れず、胸に一抹の不快感が残った。

 

「カルナ、どうした、体調でも優れんのか? お前が不調を見せるなど珍しいではないか、明日は森で獣共が宴でも開くのか?」

 

 前方から聞こえる声、渋く、しかし不思議と安心を覚える声。未だに定まらない視界で声の方を見れば、偉く豪華な、ゆったりとした衣を着た男が椅子に座っていた。椅子と言うより王座という表現が正しいだろうか、凄まじい装飾の施された王座。

 男はジャラジャラと多くの金品を身に着け、その向こう側に見える肌は浅黒い。しかしその顔は恐ろしく整っており、表情は小さく笑っていた。

 

「――何、問題は無い、ドゥルヨーダナ、少々目が眩んだ……我ながら情けない」

 

 すらすらと。

 まるで当然の様に彼の名を呼び、笑みを浮かべて見せる男――カルナ。

 

 それに驚いたのはカルナ本人であり、何故自分が目の前の男を知っているのか、そして自身がカルナという一人の男であると疑問を抱かないのか、不思議であった。まるで男の記憶がそのまま思考に張り付いた様な、正に心体共に融合を果たした様な感覚。

 カルナは自身の記憶を掘り起こそうとして、しかしプツン、と。

 何かが切れる音がした。

 同時に、カルナの中から一切の疑問が無くなる。

 己はカルナであり、それ以外の何者でもない。そう心の底から納得してしまった。

 

「ふむ、先の狩りで少々無理をしたか? いや、お前に限ってそれはあるまい、ともあれ、不調であるならば休息を取らせてやるのも吝かではない、我も親友に無理を強いる程狭器では無いのでな」

「冗談はよせドゥルヨーダナ、俺は狩りの一つで息を荒げる程軟弱ではない、それは良く知っているだろう?」

 

 どこか白々しいドゥルヨーダナの言葉にカルナは薄ら笑いを浮かべながら告げる、そしてドゥルヨーダナもまた本気ではなく、「無論、なに、ちょっとした戯れと言う奴よ」と小さく笑い声をあげた。

 彼はカルナが不調であるなど、微塵も思っていない。

 

「しかし我を前にして上の空と言うのはどうだ、実際多少なりとも疲労があるのではないか? 盲目の王、その子である我より先に目を失うなど笑い話にもならんぞ、悪い事は言わん、休める時には休んでおけ、これは王としてではなく、莫逆の友としての言葉だ」

「――その言葉、有り難く受け取ろう」

 

 王座に凭れ掛かり、頬杖を着きながら放たれた言葉、それをカルナは甘んじて受け入れた。カルナ自身、最近は大した休息も取らず動き続けていた自覚があった。昼夜問わずの修練に次ぐ修練、それは他ならぬ宿敵が生まれた故に。

 

「昼も夜も弓を引き、槍を突き、剣を振るう、天武の才を持つお前の事だ、乾いた大地の様にそれらを容易く吸収しているだろう、だが無理が祟って倒れるなど、無様を見せてはくれるなよ?」

 

 呆れたように、しかし確かな信頼を感じさせる発言。カルナはドゥルヨーダナに向かって笑みを浮かべ、「勿論だ」と頷いた。カルナは友に飢えていた、故に唯一の友であり、仲間であり、同時に仕えるべき王である彼にカルナは従う。

 ドゥルヨーダナはカルナを王としている、しかしカルナにとって王は彼一人。

 ならば王である彼を守るのはカルナの役目。

 

「俺が無様を晒せば、それはドゥルヨーダナ、君の名に泥を塗る事になる、それだけは決して許されない、だからどうか安心して欲しい」

「……ふん、先の言葉は我の名誉だ、体裁だ、そんな事の為に言ったのではない、友の身を案じるのも我の役目だ、別に名に泥を塗ろうが何をしようが知った事ではない、お前が壮健であるならば良いのだ」

 

 そっぽを向き、そう吐き捨てる我が王。

 彼は他者にこそ厳しく、嫉妬もするし妬みもする、恐らくカルナが知る中で最も人間らしい王だろう。故に敵対者には容赦もなく、興味を抱かぬ他人にも同じ、しかし懐に入った人間に対しては恐ろしく寛容であった。

 

「この俺に、壮健で在れと、そう言うか」

 

 カルナはそんなドゥルヨーダナに対して苦笑を零す、太陽神と同じ黄金の鎧を秘めたこの身は決して死を迎えぬ。壮健であれ、と言うのであればカルナは常に壮健そのものだ。

 

「無論よ、我は何度でもお前に言おう、如何に黄金の鎧があるとは言え、痛みはあるし、病にも罹る、壮健で在れと願って何が悪い?」

 

 憮然と、何を当たり前の事をと言う様に口を開くドゥルヨーダナ。そんな事を言うのは君位だと、しかしカルナは暖かい感情を胸に抱いた。

 カルナの出自、その秘密を知る者は極一部のみ。そしてドゥルヨーダナに至ってはカルナが自ら打ち明け、彼はそれを笑みで以て受け入れた。それ程に友を想う彼の言葉、無下にする事は出来ない。

 

「分かった、君が望むのなら、俺は常に壮健で在ろう、このカルナ――こと頑丈さに於いては少々自信がある、俺は誰よりも壮健で在ろう、約束だ」

「ふん、当たり前だ、お前が永遠の時を生き、この我の偉業と伝説を後世に語り継ぐのだ、その役目は他ならぬお前にしか出来ぬ、否、この我が、お前に頼んだのだ」

 

 この世に永遠など存在しない、ドゥルヨーダナは確かに賢者として讃えられるには才が足りぬ、しかし永久という言葉を容易く信じる程愚者でもない。

 真剣な面持ちで、しかし僅かな微笑みを浮かべた彼の言葉をカルナは穏やかな顔で受け入れた。彼が生きろと言うのであれば、自分は必死に生きよう。そして伝えろと言うのならば伝えよう、唯一無二の友の頼みだ。

 この身朽ち果てるまで、その約束を果たすとする。

 

「んんっ……さて、少々話し過ぎたな、未だ報告の途中であっただろう、しかし大凡の話は掴んだ、もう良い、カルナよ、お前は少し休息と取れ、この我が許す、三日程体を休めると良い」

 

 ドゥルヨーダナは何度か喉を鳴らし、そう口にした。カルナは宮殿の中に私室を彼より与えられている、殆ど使用した試しがないがドゥルヨーダナは暗に其処で体を休めろと言っていた。

 卑しい身と蔑まれる己にとっては上等すぎる部屋だが、ドゥルヨーダナの厚意に甘えよう。カルナは一つ頷き、彼の提案を受け入れた。

 

「分かった、言う通りにしよう、此処三日は体を休めるさ」

「そうすると良い、もし三日以内、お前が修練している姿を見たら恐ろしい罰を与える、それが嫌なら精々大人しく体を休めていろ」

「それは怖いな、言われた通り、確り休むとしよう」

 

 ドゥルヨーダナの言葉に対して肩を竦めるカルナ、その口調は彼の言葉を真に受けていないと分かるものだった。しかしドゥルヨーダナがそれを咎める事は無く、カルナとドゥルヨーダナは互いに緩い笑みを浮かべ、小さく笑い声を上げた。

 

「では、また後で、親友(とも)よ」

「あぁ、精々英気を養うと良い、親友」

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「ぐァッ――!?」

 

 頭痛、そして視界に光が弾ける。飛び起きようとした体は何かに抑えられ、思わず周囲を忙しなく見回す。今まで自分は何をしていた――周囲の景色は見慣れない白色。そして自分の隣には、冷静に此方を見つめる女が座っていた。

 誰だこの女は?

 いや、自分はコイツを知っている。

 女は手元の端末を何度かタッチし、それから小さく頷いた。

 

「一度目の没入は成功です、さて、貴方に問います――貴方のお名前は何ですか?」

「っ、ぅ、名前……?」

 

 女は意図の分からない質問を飛ばす、そして静かに自分を見ていた。額に手を当てながら頭痛を堪える、それから覚束ない思考のまま口を開いた。

 

「何を言っている、俺はカル………いや、ぁあ、そうだ、俺は藤堂弦だ」

「――自意識はあると、ふむ、没入適正がずば抜けて高いのは良い事ですが、高過ぎるのも考え過ぎですね、僅かにですが人格重複の前兆が見られる」

「……何だソレ」

 

 人格重複、没入を繰り返すと記憶の中の英雄と人格が重なってしまうのです、つまり自分を英雄本人だと考えてしまうのですよ、良くも悪くも英雄と言うのは我が強いので、適正が高い方程なり易い傾向にあります。

 そう言って端末を弄り、弦の頭部にあった装置を取り外した女――ミーシャは弦の拘束を解いた。

 十分程度の拘束だったらしいが、体はガチガチだ。恐らく緊張からだろう、見れば僅かに手は震えていた。

 

「さて、お疲れ様です弦様、初の没入はどうでしたか? 遥か古代の英雄カルナ、その日常の一幕、今回は試験も兼ねた没入でしたので十分程度の体験でしたが、信じて頂くには十分でしょう」

「………」

 

 弦は己の手を見下ろす、見慣れた手だ、父と母の人種は異なるが元々黄色人種の己である、その手はカルナの手と違って浅黒くない。

 顔をペチペチと触れば分かった、俺は藤堂弦である、それ以外の何者でもない。

 

「あれが、記憶なのか、VRや電脳空間では無く……?」

 

 弦は呆然と呟く、それ程までに先の体験は衝撃的であった。カルナと、確かドゥルヨーダナと言ったか。遥か古代に存在したインドという国、その英雄達の一幕。

 

「電脳空間であるならば、あそこまでリアルな空気の感触、匂い、湿度、風などを表現する事は不可能でしょう、何なら信じて頂けるまで没入を繰り返しても構いませんが?」

「……いや、遠慮する」 

 

 ミーシャの言葉に弦は力なく首を振った、そしてそのまま没入用の椅子に身を預ける。手で目を覆えば先の光景が瞼に浮かぶ、自身の遠い祖先だというカルナ、そしてそのカルナが親友と呼ぶ男、ドゥルヨーダナ。

 弦の脳には断片的にカルナの記憶が残っていた、アレはクル族王家が主催した競技会より二ヶ月後の時期だ。カルナは宿敵の存在に自身の武を高める事に熱を上げ、ドゥルヨーダナはそんなカルナを諭していた。

 

「貴方の自室の端末に叙事詩、マハーバーラタを簡潔にですが纏めた書籍をインストールしてあります、古書故に少々正確性には欠けますが参考程度にはなるでしょう、一度目を通す事を推奨します」

「……あぁ、分かった」

 

 目を覆って椅子に凭れ掛かる弦の耳に、隣のミーシャが立ち上がる音が聞こえた。そしてそのまま、「では」と一言添えて退室してしまう。弦はその後も数分程身を預けたまま微動だにせず、ただ自身の身に起きた事を飲み下していた。

 

「英雄、インド、カルナ――? その男が、本当に俺の祖先だと、そう言うのか」

 

 だらりと両手を降ろした弦は、呆然と天井を見上げる。

 黄金の鎧は確かに存在した――己の身を守る黄金の鎧、しかしソレは目に見える金属の鎧なのでは無かった。肉体に宿る、或は常に粒子として渦巻いている、と表現しても良い。

 あの時代に物体の粒子化など不可能、遥か古代のインドの戦士達は粒子銃で戦っていたのか、という話になってしまう。そんなのはあり得ない、またテレポートによる粒子転送は遠い異星にこそ飛べるが、時間の逆光、未来への転送は不可能なのだ。

 

「神は存在した……とでも?」

 

 人間は科学で証明できないものを【神】という、便宜上の万能者の仕業とした。落雷も、豪雨も、積雪も、全て神の怒りと称された。故に文明の整っていなかった前時代は神の信仰が一般的とされていたのだ。

 

 しかし、今の弦は認めざるを得ない。

 あの黄金の鎧がミーシャの言う通り、不死性を会得させるものかどうかは知らないが。あんな物質の粒子化は、あの時代、あの文明で成し得るものではないと。

 

「未来の誰かが逆行し、彼に与えた……? 馬鹿な、そんな理由が無い、何より連邦は矛盾を嫌う」

 

 それが出来るのならば歴史など穴だらけの虫食い状態だろう。

 弦は椅子から立ち上がると未だに覚束ない足取りで部屋を出た、扉を挟む様にして二人の警備員が立っており、弦を見るや否や敬礼を向けて来る。来る時も弦を護衛した二人だ、或は見張りとでも言うべきか。

 

「……部屋に戻る」

「はっ、先導します」

 

 一人が弦の前に立ち、もう一人が背後に張り付く。傍から見れば護衛とも捉えられる、しかし気分としては囚人だ。研究所ノアは存外広く、自室に辿り着くまで五分程の徒歩移動を余儀なくされた。結局警備員二人は移動中一言も話す事無く、周囲を警戒すると言うよりは弦本人に意識を割いている感じであった。

 

「では、我々はこれで、何か御用があれば――」

「端末で担当を呼べ、だろう? 大丈夫だ、放って置いてくれ……」

 

 弦は部屋に着くや否や警備員に向かって手を払う。

 それを見て互いにアイコンタクトを交わした警備員は、「では、失礼します」と敬礼をした。自室の入り口まで護衛と言う名の監視を行った二人は弦が部屋に入った事を確認し施錠を施す、特定のパスを持たなければ解除できない堅牢な扉だ、牢屋と言っても相違ない。

 弦は背後で扉の閉まる音を聞きながら、部屋に備え付けられた端末に足を向けた。手を翳せば勝手に電源が入り、その液晶からホログラムが飛び出る。

 

「インストールされた書籍の検索、名はマハーバーラタ……だったか」

『検索――該当アリ、携帯端末に書籍を転送、タグは旧インド神話、叙事詩』

「あぁ、多分それだ」

 

 弦はホログラムに再度手を翳して停止させると、ベッドの上に放られた携帯端末を手に取る。画面に触れると立体文書が飛び出し、マハーバーラタのダウンロードを開始した。そして数秒でダウンロードを終えた端末は、弦の目に書籍の文書を映す。

 それは嘗てこの世に存在した叙事詩、神話の一つであった。

 

「ドルパダ王、ドローナ……パーンダヴァ、弟子――カルナ」

 

 弦が文書をスクロールすると、カルナの名が所々に見えた。文章自体はそれほど長い訳でもない、用紙の枚数にして凡そ五十枚程だろうか。弦はその五十枚を一心不乱に読みふけり、三十分ほどでカルナの最後まで辿り着いた。

 

 即ち、カルナは死ぬ運命にある。

 

 当たり前だろう、人はいずれ死ぬ、人体の電子化でもしない限りは永遠の命など御伽噺に過ぎない。しかし弦は実際に目にした、その黄金の鎧を。そしてカルナの身と一時的にとは言え融合した弦は、あの男が誰かに殺される等とは思えなかった。

 一度の没入だけでも分かる、成程確かに、あの男には英雄と呼ばれる資質があった。驚異的な精神力、恵まれた才能、勇敢さ、恐らく『英雄』という言葉が時代と共に変質したのだ。本来はあぁいう、凄まじい闘志に満ちた男の事を指す言葉だったのだろう。

 弦は死の原因となったページを表示し、顔を顰めた。

 死の間際、カルナは黄金の鎧を持っていなかったのだ。

 

「奪われた、鎧を? 誰だこのインドラとかいう奴は……僧に化けた? 神が?」

 

 神が一個人に肩入れし、ましてや化けて騙してまで黄金の鎧を奪った。

 その事実が書かれていた部分を弦は顰めっ面のまま熟読、そして鼻で笑った。

 成程、所業だけを見れば如何に俗物的であるか分かる、コイツは神の皮を被った人間だ。同時に弦は神の存在を認めた、もし記憶に没入する中でコイツが本当に現れたなら、信じてやると。万人公平、平和万歳、隣人を愛す、そんな神を弦は信仰しない。しかし、こんな人の近しい感性を持った神が居るとするならば弦は認めた。

 尤もそれが、神と呼ばれるに相応しい存在かは疑問だが。

 是非とも過去神を信仰していた連中に見せてやりたい、お前等の神は随分と俗に塗れた真似をするなと。

 

「しかし、あぁ、成程、カルナがその神様モドキの血を半分受け継いでいるのなら、あの感覚も納得だ」

 

 弦はカルナと混じった時の感覚を思い出し、頷く。あの気力が充実した感覚、万能を手にしたような全能感、遥か遠くまで見渡せそうな程視界は良好で、思考に曇り無し。あれが英雄の器という事なのだろう、此処の人間に言われた事を信じるのならば、自分はその血を受け継いでいる訳で――

 

「冗談だろ………とは、言えなくなってきたな」

 

 携帯端末を放って、弦は天井を見上げた。最早トチ狂った考えだ、夢だ、妄想だ、などと喚く事は出来ない。実際その光景を見せられ、他ならぬ自分自身で体験したからだ。弦は確かに頑固であるが、自身の考えを絶対に変えないと豪語する程馬鹿でも無い。自身のソレが間違いであると理解したならば、それに馴染むよう努力する程度には柔軟な男だ。 

 

 弦は可能ならば原典を取り寄せて貰おうと考えた、手元にある資料はマハーバーラタを簡潔にまとめた物に過ぎない、あの記憶に潜る以上素の知識は大いに役立つ。今後の展開をある程度知っていれば上手い立ち回りが出来ると考えたのだ。無論、ただの記憶である以上大凡の筋書きから飛び出す事は出来ないだろう、しかし精神的な負担は段違いだ。

 

「問題は、この神話――叙事詩の内容だな」

 

 マハーバーラタという物語を簡潔に語るならばこうだ。

 

『百人の王子と、五人の王子が王位継承権を争う物語』

 

 パーンダヴァと呼ばれる勢力と、カウラヴァと呼ばれる勢力が互いに争い、鎬を削る。

 そして恐ろしいのは五人の王子側――パーンダヴァと呼ばれる勢力、その五王子は全て神の血を引いているという点。

 つまり百人の凡人と、五人の神の子が戦うのだ。

 

 それだけ聞けば正しく正義と悪だろう、神が間違う筈が無い、神は常に勝つ、前時代的な人間が好きそうな言葉だ。実際問題、百人の王子は――実際はドゥルヨーダナだが――あの手この手で五人を暗殺しようとする、正に悪の所業だ。

 そして何より笑えるのが、カルナがカウラヴァ――悪の側であるという事。実際カルナは太陽神の血を引いているので五王子の側に立つ人間なのだが、母に捨てられ御者の息子として生きて来た彼にとっては今更な事なのだろう。

 

 文書にはカルナという男が、強気で、負けず嫌いで、大口を叩く人間として書かれていた。

 実際弦はその評価が正しいモノだと実感している。

 

 そして何より弦が皮肉に思った事が、神が正道を反する、正に外道な真似をして勝利を得た点だった。最後は正義、もとい神が勝つ、しかしソレは物語然とした綺麗で完璧な勝利ではなく、騙し、不意を突き、戦意を削ぎ、凡そ神が行う事柄としては最低最悪の部類であった。

 

 






 大学図書館でマハーバーラタの本を借りようとしたら貸出禁止でした、ですよね。
 仕方ないので中で読んでました、インド本場でもカルナの人気は凄まじいらしいです。
 しかしカルナはかなり熱い男だった様で(悪い意味でも良い意味でも)
 一度和訳されたマハーバーラタ本編を読んでみたいものです。
 少なくとも物理学や電磁気学の本よりは面白いですから(白目)
 
 さてさてGW中に新作を投稿しようと決めていた私ですが、微妙に筆が進みません。
 更新は不定期になると思います。
 
 今回はヤンデレあるか微妙なので、タグは付けませんでした。
 けれど恐らく、タブン、絶対、作中には何処かにブッ込まれる気がします。
 ただヤンデレメインの話ではないので、まぁ此処は一つ寛大な心で見てやってください。

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