太陽の子 我が名はカルナ   作:トクサン

2 / 13
太陽の子

 暫くの間ベッドの上で横になり、天井を見上げていた弦。その脳内で考える事は英雄カルナの事、そして彼が辿る人生について。部屋には自身の呼吸音だけが聞こえ――しかし不意に、コンコンと、何かを叩く音がした。

 

「……?」

 

 その音に、弦は思わず自室の扉に目を向ける。しかし認証式の扉を態々ノックする必要は無いし、担当の女性ならば入室前に声を上げる筈。弦は周囲を見渡し、先の音が壁から発せられている事に気付いた。

 再度、コンコン、と音が鳴る。

 

「何だ?」

 

 疑問符を浮かべで壁に近付く弦、そうすると音は部屋の隅、丁度ゴミ箱の置かれた辺りから聞こえていた。壁を直接叩く音ではない、何か硬質な物同士をぶつけている音だ。弦がゴミ箱を持って退かすと、部屋の床に沿う形で小さな白い布が壁に被さっていた。

 

「………布? 何でこんな物が」

 

 思わず口に出してしまう。

 弦の部屋は一面白色である為、遠目で見る限りは分からない。しかしゴミ箱を退かしてじっくり見れば、明らかに質感が違う物だと分かった。布は両面テープか何かで張り付けられていて、しかし下の部分は何も張り付けられていない。

 弦が布を捲ってみると、その向こうは空洞になっていた。分厚い壁を削り取ったのか、数十センチ向こうには弦の部屋と同じ、白い壁が見える。

 抜け穴か――?

 弦は眉に皴を寄せた。

 

「あ、あの」

「――!?」

 

 声が聞こえた。

 緊張を孕んだ女性の声だ、弦は思わず驚き、慌てて布を元に戻した。驚きの反面、弦は冷静に思考を回す。何故穴が空いているのだとか、お前は誰だだとか、色々考える事はあったのだが、冷静に考えれば穴の向こうは隣の部屋と言う事になる。

 その女性が誰であるか――それは既に答えが出ている様なものだった。

 

「……もしかして、俺と同じ被験者――?」

「は、はい、そうです、その、隣の部屋の……」

 

 成程、どうやら同じ境遇の仲間らしい。穴を覗き込んでみれば誰かの白い手が見えた、どうやら向こう側の人は床に座り込んでいる様子。弦は無意識の内に大きく安堵していた、同じ境遇の奴が居るというだけで人は何となく安心してしまう、それは弦も同じだった。

 

「あ、えっと、確か弦さん……でしたか?」

「え、あ、あぁ、そう、だけれども」

 

 何故名前を、そう呟くと女性は、「すみません、その、声、聞えてて」と慌てた様に弁解する。あぁ、そうか、穴が空いていると言う事は担当とのやり取りも、聞こうと思えば聞けるという事だ。

 弦は変な事を呟いたりしていないよなと、一人羞恥心を覚えた。

 

「あ、アンタも此処に無理矢理連れて来られたのか?」

「はい、私も気付いたら此処に……英雄の子孫だ何だって言われて」

 

 羞恥心から逃れる為に慌てて質問を飛ばせば、彼女は肯定の声を返す。それは弦と全く同じ状況だった、どうやら彼女も英雄の血を引いているらしい。自分と同じ様な奴が一体何人居るのか、弦は少しだけ悪寒を覚えた。

 

「弦さんは、昨日此処に来たばかりですよね……?」

「あぁ、そうだ――アンタは此処、長いのか?」

「いえ、私も四日前に来たばかりで……この穴も、暇で部屋を歩き回って居たら見つけたんです」

 

 どうやらこの穴は彼女が空けた訳ではないらしい、となると先人が作ったモノなのか。そうならば前にこの部屋に住んでいた奴は何処に行ったのか、部屋替えをする必要性は感じない。先人は用済みになって帰されたのか――或は。

 弦はその先の事を考えない様に首を振った。

 

「……アンタ、出身は」

「私ですか? えっと、エリア544です、昔はイギリスって呼ばれていました」

 

 壁に寄り掛かる様にして座り込んだ弦は、ふとそんな事を問いかける。どうやら彼女は500番台の地区出身らしい、少しだけ驚いた。弦の通う連邦普通学校では見ないナンバーだったのだ。どうやら本当に世界中から英雄の血を引く連中を連れてきているらしい。

 

「5ナンバーか、珍しいな」

「そうですかね……? じゃあ、弦さんは?」

「021、昔は日本って呼ばれていたよ」

「0ナンバー! 私、ゼロの方と逢ったのは初めてです」

 

 基本的にアジアには0ナンバーが付けられる、やはり向こうには少ないらしい。丸っきりいないと言う訳では無いのだろうが、やはり数は少ないのだと思った。その後彼女は何かを口にしようとして、しかし自分が未だ名乗っていない事に気付き自己紹介を始めた。

 

「弦さんは――って、私ばかり名前を知っていて、申し訳無いですね、遅ればせながら自己紹介を……私の事はウィリスと呼んでください」

「ウィリス、ウィリスか」

「聞き慣れませんか?」

「いや、何となく響きが綺麗だと思って」

「それは……ありがとうございます、名前を褒められたのは初めてですよ」

 

 彼女――ウィリスはそう言って笑う。

 顔の見えない相手と壁越しに話すという体験は弦にとって初めての事だった。相手がどんな人間なのか、どんな顔をしているのか、全く分からない。だが不安は覚えなかった、少なくともこんな状況で出会った唯一の仲間だ、弦は無条件で一定の信頼をウィリスに置いていた。

 

「そう言えば、弦さんは何歳なのですか?」

「俺か? えっと、今年で二十一になった、連邦学校に通っている最中だよ」

「あら、じゃあ私の方がお姉さんですね! 私は今年で二十四ですよ、連邦学校を卒業して、今はウィル・O社で働いています」

「それは……随分と優秀なんだな、敬語を使った方が良いか?」

「いえいえ、折角出会えた同じ境遇の仲間、ここはフランクに行きましょう」

「随分と寛容と言うか、何と言うか……じゃあ、御言葉に甘えて」

 

 その後、弦は様々な質問をウィリスに飛ばした。

 この部屋の使い方、出来る事、出来ない事、注意すべき事、このノアでの過ごし方。

 ウィリスは優秀だった、少なくともケツの青い自身よりも余程柔軟で、頭が回る人間だった。此処に連れて来られた日から今日まで、何が出来て何が出来ないのか粗方調べたというのだ。

 

「基本的に、欲しいと言った物は何でも手に入ります、ただ通信機器の類は禁止されていて、ネットワークの利用も非常に限定的なものです、少なくとも第三者に連絡出来る様なモノは申請出来ないみたいです、それ以外は本当に何でも、漫画でもゲームも食べ物でもベッドでも、伝えれば部屋の改装まで出来るみたいです」

「それは……何て言えば良いんだ、豪華な牢獄?」

「強ち間違った表現でも無いと思います」

 

 苦笑を零しながらそんな事を言うウィリス、彼女は更に「又聞きですけど、部屋にプールを作った人もいるらしいです」と続けた。

 それを聞いた弦は随分と順応している奴が居るんだなと思った。一体一人に幾らの金を使っているのか。

 

「此処の生活は数日に一回、或は一日おきの没入さえ済ませれば殆ど自由で生活の保障された、非常に居心地の良いモノです、正直に言えば少しだけこのままでも良いかなー……なんて思っている私も居ちゃって」

「まぁそうだよな……ウィリスの話を聞く限り、どうにも、悪い生活だとは思えない」 

 

 弦はそんな事を口にしながら、しかしこのノアという場所を欠片も信用していなかった。この素晴らしい環境は、釣った魚を逃がさない為の餌、もしくは鉄条網の代わりだ。最終的にその魚がどうなるかは分かり切っている。

 暴論だろうか? だとしても構わない、弦はあくまでノアを敵視する方針であった。

 少なくとも人を強引に誘拐して来て、大金見せびらかし実験を強要する連中を弦は腹の底から信じる事が出来なかった。

 

「此処での生活は分かった、もう一つ聞きたい事があるんだ、肝心の没入の事なんだけれど――」

 

 弦が一番肝心な事を聞こうとした時、向こう側から「ウィリスさん、失礼します」と声が聞こえた。恐らく彼女の担当だ、ウィリスが慌てて立ち上がり、弦も急いで穴をゴミ箱で塞いだ。

 

「人が来ました、また後程……!」

「分かった」

 

 そのまま何事も無く弦は穴から離れ、ウィリスの声も途切れる。穴を塞いで離れれば殆ど向こうの音は聞こえず、部屋には静寂だけが満ちていた。連中に穴の事がバレてしまえば不利益が生じる、少なくとも意見交換はできなくなるし、此処での知識源が失われる。馬鹿正直に担当に問う訳にはいかないのだ、弦にとっては生命線に近かった。

 

「――取り敢えず、暫くお預けだな」

 

 互いの安全、人が居ないときにしか穴は使えない。室内に監視カメラが無い事は確認済みだが、隠されたカメラがある場合はお手上げだ。弦はその類が無い事を祈り、ベッドの上に身を投げた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 研究所ノアに来てから二日目、弦はパッとしない思考のまま起床し、シャワーを浴びて朝食を摂った。朝食は扉の横にボックスが存在し、係の人間が毎日異なる食事を運んでくる。担当に言えば好きな物を作って貰う事も可能らしい、尤も弦は食事に関しては興味が無い、ある程度味が合って腹が膨れれば何でも良かった。

 

「さて弦様、昨日はちゃんとお休みになられましたか?」

「あぁ……まぁ、目覚めは最悪だがな」

「そうですか、それは何より」

「――本当に良い性格をしているよ、お前」

 

 場所は昨日と同じ、没入を行うための白い部屋。中央には大きめのベッドとも椅子とも言える物が鎮座し、その周囲には無数の機材が並んでいる。しかしこの空間に居るのは弦とミーシャだけであり、それらの機材を管理している人間は別の場所に居るのだと思った。

 ミーシャは手早く弦の頭部にリングをセットし、弦はゆっくりと背を預ける。タッ、タッ、と携帯端末に触れる音だけが周囲に響き、天井を見上げていた弦の顔をミーシャが覗き込んだ。

 

「本来ならば初回の没入から一日置くのがベストなのですが、本当に宜しいので?」

「構わない、どうせ早いか遅いかの違いだ」

 

 ミーシャの言葉に対して、弦は鼻を鳴らして答える。

 今日は本来ならば休息日として割り当てられる予定だったのだが、弦の希望で連日没入を行う事になった。そこには面倒な事は早めに済ませたいと言う考えもあるが、何よりカルナという男と同調した上で藤堂弦という人格を保てるかどうか試したかったからだ。

 もしカルナという男でありながら、弦という人間の自意識を保てるならば、或は彼の窮地を阻止出来るのではと考えた。

 無論、記憶である以上難しい事は理解しているが、あの男と同調してからというもの、何か感情が引っ張られる様な感覚が続いていた。まるで体そのものがカルナという男の記憶を求めているみたいだ、弦はそれを一時でも早く解消したかった。

 

「昨夜は用意していた書物をお読みに?」

「ちゃんと読んだ、カルナの箇所はじっくりとな」

「それは、それは、勤勉な事で」

 

 笑みを張り付けながらそんな事を言うミーシャは何処か気味が悪い、己がノアというデカイ手の上で踊っている様な気さえする。弦は一度大きく息を吸うと、頭の中身を切り替えた。自分は藤堂弦である、そう強く自己暗示する。

 一際強く端末を叩く音、それから顔を上げたミーシャが弦を覗き込んだ。

 

「――では」 

「あぁ、やってくれ」 

 

 カチリ、と弦の体が拘束され、ミーシャが手元の携帯端末を叩く。弦が目を閉じると、前の金槌で殴り付ける様な衝撃は無く、ゆっくりと沼に沈んでいく様に――弦の精神は暗闇の中に溶けた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 カルナが目を開いた時、そこは恐ろしく広い闘技場の様な場所であった。天を見上げれば青色は無く、閉塞的な壁がある事から屋内である事が分かる。地面には赤色の絨毯が敷き詰められており、中央にはぽっかりと空いたステージの様な物、それを囲う様にして設けられた観客席、外周にはズラリと男達が並びカルナもその中の一人であった。

 そして次に情報が雪崩れ込んで来る、此処は競技場であり、ドラウパディーという女性の婿選びの場である事、そしてカルナは宿敵の出場を聞き飛び入りで参加を果たした事。

 観客は裕福な身なりをして者ばかりで、逆にカルナの周囲の男達は様々な格好をしていた、明らかに上流階級の衣服をまとった者、それ程高価とは思えない衣服をまとった者、カルナは後者に当たる。

 会場の奥にはドラウパディーだろう、大変美しい女性と恰幅の良い男性が揃って座っていた。隣は彼女の父か、二人は笑みを絶やさずに挑戦者を見守っている。

 

「俺は――――あぁ、大丈夫だ」

 

 カルナは額に手を当てて暫くの間沈黙し、それからポツリと呟く。視界は明瞭、思考も澄んでいる。頭の中には藤堂弦と言う自意識も存在し、カルナと言う男の精神も確りと機能していた。

 頭の片隅で弦は奮闘する、気を抜けば前回と同じように一瞬で押し潰されそうになってしまう。しかし同じ轍は踏まない、重要なのは二重思考(ダブルシンク)、オーウェルに倣おう、1984だ、つまり【二足す二は五】である。

 

 一際大きな歓声が上がり、カルナは俯いていた顔を上げる。すると競技場の中央、そこに恐ろしく美しい男が躍り出た。褐色の肌に黒い髪、一人だけ醸し出す空気が異なる。彼はゆったりとした衣服を纏いながら手には弓を持っていた。

 人間が引き絞るには少々大きすぎる剛弓、その男を見た途端、カルナの心臓が一際強く鳴り響く。

 

「――アルジュナ」

 

 呟かれた言葉、それは弦の意図しない発言。

 途端に流れ込んで来る感情、恨み、憎しみ、嫉妬心、どれも負の感情ばかり。それを一身に受け止めながら、弦は思う。あぁ、アイツがそうなのかと。

 

 カルナという男を語るのならば、彼の存在もまた欠かせない。

 アルジュナが陽の英雄であるならば、カルナは陰の英雄。

 弦が彼の事を文書で読んだ時、思った事はただ一つ。

 

 ――完璧な主人公

 

 カルナと同じグル(師匠)・ドローナチャリヤのアティラティ(優秀な戦士)、若くして多くの才を持ち、そして不断の努力によってそれらを余さず開花させた光の大英雄。何よりも義を大切にし、友情に厚く、自身と地位に誇りを持ち、強きを挫き弱きを助ける正義の英雄。

 神の元に生まれ、神の加護を受け、神の膝下で育ち、神と共に歩む男。

 未だその力は十全でなくとも、これからこの男、アルジュナは神々に見初められ多くの恩恵を授かる。天界神々から授かる神の武具、そして何より代表的なものと言えば破壊と再生を司る神、シヴァ・サハスラナーマ(インドの大神)から授かる【パーシュパタアストラ】

 

 別名、ブラフマシラス(大神の一矢)

 

 大神シヴァ・サハスラナーマが宇宙を含め全てを滅ぼす時、パーシュパタアストラを使用する。その効果は絶大であり、文書には『このこの世の生きとし生けるもの、ありとあらゆる物は消えて無くなる』と記載されていた。

 惑星一つどころの話ではない、宇宙全てである。そんな技術力は今の連邦にすら存在しない、数日前の弦ならば「何を馬鹿な」と鼻で笑っただろう。しかし黄金の鎧という分かりやすいオーパーツを見た弦は、それを笑い飛ばす事が出来なくなっていた。

 彼、アルジュナはこれより未来にシヴァ神と出会い、そのパーシュパタアストラを借り受ける事になる。

 全く以て敵わない、これだけ物語の主人公然とした男がいるものなのかと。

 

「………」

 

 カルナ手にした弓をぎゅっと握り締め、アルジュナを射殺さんばかりの視線で見つめていた。当のアルジュナは観客の歓声に応えながらも、ごく自然な動作で矢を番える。

 的は遥か上空、高い高い天井に吊るされた木製の魚――その瞳である。

 木製の魚には目の部分に黒い石が嵌め込まれており、更に結ばれた縄を通して魚は回転していた。その動きは実に不規則で狙い辛い事この上ない、よしんば瞳に矢が届いたとしても石を貫く矢を放つなど常人には不可能である。

 

 しかし、アルジュナには自信が漲っていた。

 見ている自分でも分かる、彼は自身がやり遂げられると腹の底から信じている。現にアルジュナは身の丈もありそうな剛弓を容易く引き絞り、その矢の先端を的に向けていた。

 射抜くに足る威力があるならば十分、後は的に当たるかどうか。

 観客の間に緊張が走る――主賓である女、ドラウパディーも固唾を飲んで見守っていた。

 やはり、彼女の本命はアルジュナなのだろう、その頬は僅かに赤らんで熱っぽい視線で彼を射抜いている。

 

「我が一射――ご覧あれ」

 

 アルジュナが淡々と、落ち着いた声でそう言った。

 瞬間、アルジュナの手元が弾ける。

 矢を放ったのだ、その矢は凄まじい勢いで突き進み、パァン! と大きな音を立てて木製の魚に突き刺さった。反動で木製の魚が高く打ち上がり、それから何度か揺れて再び回転を始める。

 

 その眼の部分、黒い石――其処には確りと矢が突き刺さっていた。

 石を砕き、穿ったのだ。

 やはり射抜いた、その弓の腕前は見事也。誰も成し得なかった快挙に観客は沸き、周囲の挑戦者たちが歓声を上げた。アルジュナの絶技に皆が賞賛を惜しまず捧げる、カルナはその様子をただじっと見ていた。

 アルジュナは周囲の歓声に応え手を挙げる。まるで勝利したかのような態度、否、実際彼は勝利したのだ。この祭典に、競技に、ドラウパディーに至っては最早決定的だ、目を惚けさせて手を組んでいる。

 アルジュナは剛弓を天に掲げ、その美麗な表情に笑みを浮かべた。

 

「………俗物が」

 

 別にドラウパディーの婿になるつもりは無い、元より目的はアルジュナ一人。カルナにとっては彼が、他ならぬアルジュナが、これ程の賛辞を当たり前の様に受け取っている事が我慢ならなかった。

 

 故に、一歩踏み込む。

 その賞賛の嵐を突き抜ける様にして、周囲の男どもを押し退け中央に躍り出た。

 瞬間、その賞賛の嵐は終わりを告げ、代わりに静寂が周囲に伝搬する。

 あらゆる人間の視線がカルナに注がれ、最初は「誰だ、あの男は?」という視線だったが、アルジュナに負けず劣らずの整った容姿に、優れた体格から直ぐに名が割れた。

 

 カルナ――ドゥルヨーダナの唯一無二の友、太陽の戦士。

 褐色の肌、黒と金の混じった髪を持つ黄金の男、その顔立ちは美しいと言うよりも野性味を前面に出したように鋭い。だがそれは芸術の方向が違うと言うだけであって、彼を見る女性の中には心奪われる者も少なくなかった。

 カルナだ、あのカルナが出て来た。

 そんな声がそこら中から聞こえて来た。

 

「――カルナ」

「………来てやったぞ、アルジュナ」

 

 正面に立つアルジュナが、掲げた腕を降ろしてカルナを見る。その表情は驚愕と、侮蔑――そして好戦的な笑みだ。

 カルナが浮かべる表情は、憤怒と闘争、それが混ざり合った表情。

 

 アルジュナという男は確かに出来た人間だ、主人公然とした男だ、義に厚い正道を成す男だ、しかし同時に人間である以上感情は存在する。王家の人間という地位に誇りと明確な義務を持ち、それを善しとするアルジュナにとって、カルナと言う男は見下すに値する男だった。

 

「その様な身で挑むつもりか、カルナ、私はお前の腕を認めている――だが、正直に言って今のお前では……」

「ふん、何とでも言うが良い――今に見ていろ、貴様のその矢ごと貫いてやろう」

 

 カルナは自身の持っていた弓を地面に放り捨てると、アルジュナの持っていた剛弓を奪い取った。アルジュナはアルジュナで、穿てるものなら穿ってみろと、その剛弓を明け渡す。弦に指を掛けてみれば、確かに凄まじく硬い。恐らく只人なら矢を番え、引く事すら儘ならないだろう。

 カルナがアルジュナを見てやれば、彼は余裕の表情のまま目を細めていた。「どうだ? 重くて引けまい」とでも言いたげな顔、それにカルナは腹が立った。

 この身は太陽神スーリヤの血を引く半神の英雄――このカルナに成せぬ事などない。

 

「この身は太陽と共にある――ならばこそ、全てを焼き尽くす一射をご覧に入れよう」 

 

 大きく息を吸ったカルナは矢を番え一息に、くんッ、と弓を引き絞って見せた。

 余りにも容易く弓を引き絞った事に、アルジュナは驚きを露にする。周囲の観客が騒めき、カルナの体から太陽の如き光が漏れた。

 

 狙いを定めたカルナには何も見えない、ただ回転する黒い石、そして突き刺さったアルジュナの矢だけが見える。音は消え、観客のざわめきすら外に蹴り出される。あるのは己の呼吸と心臓の鼓動――そして己なら穿てると言う絶対の自信のみ。

 その凄まじい気迫、溢れ出る自信に競技場の観客、挑戦者問わず呑み込まれる。そこにあるのは圧倒的な【我】、己を見ろと言わんばかりの威圧。ギチリと弦が軋みを上げ、その腕がピタリと射抜く先を定めた。

 

 理性に潜むもう一つの人格、弦が囁く。

 やっちまえ、カルナ――と。

 

「我が父よ、この世を照らす太陽よ、この身に火の加護を――アストラ・スーリヤ(太陽の星よ)!」

 

 その一撃はカルナの正しく全力であった。

 使う矢と弓は人の作った、天の武器でも何でもない有り触れた物。しかし放たれた矢は火を纏い、凄まじい衝撃と共に競技場を揺らした。

 カルナの持つ火の加護、太陽神の血が矢に纏わりつき神性を帯びたのだ。

 それは正しく太陽の一射であった、全てを焼き焦がす熱と光、それは一筋の光となって木製の魚、その瞳を穿ち、突き刺さっていたアルジュナの矢ごと打ち砕いた。それだけではなく、釣り下がっていた魚を貫き、装飾に彩られた天井にすら届き得る。

 天井に着弾した矢は、しかし余りに威力にそれ自身が形を保てず、先端が天井に触れた瞬間燃え尽きて無くなった。

 

 パラパラと破片を零す木魚、そして空洞となった目の部分。その先には僅かに焼け焦げた天井、先端が触れた部分には僅か入り、その一撃の強さを存分に物語っていた。

 

 その始終を見ていたアルジュナは驚愕のまま硬直し、観客は言葉を失っていた。絶技――否、そう呼ぶ事すら彼の一射、その渾身の一撃を現わすには不足。正に神業、神域、ただの矢にて石を穿ち、火を伴って天に罅さえ入れて見せた。

 カルナは大弓を地面に突き刺し、その拳を高く、高く突き上げた。

 

「――見よ、この光、この熱、この一射を! 真の名手とはただ当てるだけではならぬ、ただの木矢で石を砕き、穿ち、天にも届き得る一射を放たなければならぬのだ! どうだアルジュナよ! 貴様のその矢、見事砕いて見せたぞ! 火を纏い、閃光と成りて奔る我が一矢に勝るものは無い、それを此処に証明しよう!」 

 

 突き上げた拳を開き、カルナは満面の笑みを浮かべてそう宣った。

 彼は過去最高に興奮していた、自意識を保っている弦にもそれは伝わる。寧ろ彼はカルナよりも興奮していたかもしれない、彼の内心を言い表すならば一言で足りる、ざまぁみろだ。

 

 アルジュナは目の前で大口を叩いたカルナを見つめ、悔しそうに口元を歪めた。その視線からはありありと敵意を感じ、しかし今のカルナにとってはどうという事は無い、寧ろ心地よいものですらあった。

 身分を理由に競技に参加出来ず、公衆の面前で直接アルジュナと対決する事が叶わなかったカルナだ。それはたった今叶い、アルジュナを超える弓の才を持つ事を世に知らしめてやった、これ程嬉しい事は無いだろう。

 

 周囲の観客が大きくどよめき、その波は大きく周囲に伝搬する。彼のアルジュナを超える一撃、一射、それを放ったのは何時ぞやかパーンダヴァの連中が罵った御者の息子。クシャトリヤ以上の階級を持たねば王家と競う事は出来ない、そんな事も知らぬのか、そう言って彼を罵った五王子。

 その腐り切った矜持(プライド)、それを粉々に打ち砕いてやった。

 そうカルナは深く笑みを刻んだ。

 

「己の血筋に驕ったか? それとも己ならば万物を射抜けると妄念に囚われたか? アルジュナよ、貴様の矢は決して俺に届かない―――王家の人間として胡坐を掻いて座し続けると良い、その間に俺は太陽(我が父)にすら届き得る矢を手に入れるだろう」

 

 カルナは突き立てた大弓を蹴飛ばし、アルジュナの足元に転がした。それを見たアルジュナは額に青筋を浮かべ、強く拳を握る。視線の敵意が殺意に転じ、カルナは薄っすらとした笑みを張り付けたまま余裕の態度を見せた。

 

「……私を侮辱するか、カルナ、王家の義を背負う、この私を」

「当然、先にこの身を貶したのは貴様等だ、王を語るならば俺もまた王である、義を果たそうが積み上げようが俺には関係が無い、ただあるのは純粋な武、その点に於いて貴様は俺に敗北した――それが事実だ」

 

 王であれ何であれ、弓に於いては己が上。

 確かにこの身の出自は褒められたモノではない、今でこそ仮初の王として肩書を得ているが、生まれは一生ついて回る。御者の息子と言う事実は消せないし、どう取り繕ってもカルナはカルナである。

 だとしても、カルナは決して後悔しない。父も母も愛情を持って己を育てた、満足に生活する事も出来た、ならば王であろうが御者の息子だろうが、ヴァイシャ(奴隷)シュードラ(一般市民)であろうが、クシャトリヤ(貴族)であろうがバラモン(王家)であろうが、関係ない。

 

「敗北したと言う事実に震えるが良い、貴様に土をつけたのは他ならぬ――御者の息子だ」

「カルナァッ……!」

 

 アルジュナが血走った目で叫んだ、自身の身内が彼を侮辱し、それの返礼とばかりに告げられた言葉はアルジュナの矜持と誇りを大いに傷付けた。カルナは王とは名ばかりの下級市民に過ぎない、義務の欠片も理解しない男にそこまで言われるのは我慢ならなかった。

 ここでカルナと殺し合いになっても構わない、そう言わんばかりにアルジュナは足元の剛弓を掴み、カルナもまた放り捨てていた自身の弓に飛びついた。

 

「ハッ、仮面が剥がれたかアルジュナッ? 大層歪んだ顔を晒しているぞ!」

「黙れッ、王家の誇りと義務を理解しない男が何を偉そうにッ! 武を競うと言うのならば是非もない、太陽を落とす我が渾身の一撃を手向けとして送ってやる!」

「面白い――我が黄金(太陽)の鎧、貫けると言うのならば見せてみろ!」

 

 互いに予備の矢を番え、素早くその矛先を相手に向ける。卓越した才を持つ者同士の激突、あわや殺し合いになるのかと周囲の皆に緊張が走った瞬間、ドラウパディーが声を上げた。

 

「この勝負、アルジュナ様の勝利とします!」

 

 互いが矢を番え、一触即発の事態となっていた競技場。そこに彼女の声は良く響き、カルナとアルジュナは声の主であるドラウパディーを見た。

 ドラウパディーは主賓席から立ち上がり、双方を見据えて手を突き出す。その肩は僅かに震えていたが、視線は鋭く二人を――特にカルナを射抜いていた。

 

「私はドルパダの娘、ならば御者の息子と婚約する訳には参りません、並び立つは王の資格を持つ者のみ、カルナ、貴方にその資格はありません」

「――ハッ」 

 

 公衆の前で再び御者の息子と侮辱を口にされたカルナは、しかし彼女の言葉を鼻で笑い飛ばす。元より、貴様と婚約する為に矢を番えた訳ではないと、その表情は侮蔑の色すら滲ませている。

 カルナは構えていた弓を降ろすと、口元に笑みを浮かべたままアルジュナに言った。

 

「あぁ、そうか、そうか……アルジュナ、良かったではないか、この勝負お前の勝ちらしい、元より絶世の美女などに興味はないが、主催者に断言されては敵わぬ、この競技は俺の負けだ、あぁ、良かったなアルジュナ――女に救われて大層な御身分じゃあないか」

「―――」

 

 アルジュナの弦がギチリと鳴る。

 その瞳はこれ以上ない程に見開かれ、口元は戦慄いていた。馬鹿にするのも大概にしろ、そう言いたげに震える矢はしかし、決して放たれる事は無い。既にカルナは弓を降ろし、勝負の判決も言い渡された。

 競技として勝利したアルジュナ、そして敗者となったカルナに矢を射るなど王家の人間として――戦士として許されざる事である故に。

 

「……くっ」

 

 アルジュナは震える腕で弓を降ろし、その矢を地面に叩きつける。その様子を笑みを浮かべたまま見ていたカルナは、その視線をドラウパディーへと向けた。

 

「では王家のドラウパディー様、御者の息子である俺はこのままお暇させて頂くとする、残念ながら力及ばず競技に負けてしまったからな、あぁ、あぁ、とても残念だよ」

 

 そう肩を揺らして口にするカルナは欠片も残念そうではない。

 皆が見たからだ、知っているからだ、弓の才に於いてアルジュナはカルナに敗北を喫したのだと。故にこの競技の結果は真でありながら偽りである、弓で敗北しながら身分で勝ちを拾ったアルジュナ。戦士としては失格だ。

 

「だが先の俺に対する侮辱―――いつか必ず後悔させてやろう」

「っ」

 

 最後にカルナは表情を一変させて、そう呟く。

 凄まじい敵意と殺意を向けられたドラウパディーは顔を引き攣らせ、一歩後退った。身分を理由に侮辱する人間を、カルナは心より嫌う。そしてそれは弦も一緒であった、天才の身でない凡愚がさもその境遇を知ったかのように語る姿は見るに堪えない。英雄を不当に汚す屑が、天才を罵る凡人が、弦は何よりも嫌いだった。

 カルナはそのまま背を向け競技場を後にする。弓に於いてカルナはアルジュナに勝利した、それを証明出来た、それだけで満足だった。

 カルナが出口に足を向けると、周囲を取り囲んでいた挑戦者達が道を譲る。そうして競技場から姿を消したカルナは、しかし見覚えのある姿を帰路で見つけた。

 

「ドゥルヨーダナ」

「カカカッ、おう、そうだ我である、ご苦労だったなカルナ」

 

 未だ競技場へと続く廊下、その壁に凭れ掛かっていたのは莫逆の友であるドゥルヨーダナ。その表情は満面の笑みであり、どこか上機嫌であった。

 

「見ていたのか、先の競技を」

「無論、我が友の晴れ舞台を見逃す程老いてはおらん、いやしかし、随分と爽快であったわ、あのアルジュナを下し、更に女に庇われた奴の姿、何と滑稽な事か、いや我は満足だ、とても満足だぞ」

 

 腹を抱えて笑い、何度もカルナの方を叩くドゥルヨーダナは未だ嘗て見た事が無い程笑みであった。常に眉間に皴を寄せ、難しい顔をしている彼がこれ程笑うとは。

 カルナの行動は完全なる私怨からのものだったが、彼がこれ程喜んでくれるのならば、あぁ成程、この行動は正しかったのだと思った。それにカルナとてアルジュナの悔しがる姿を見れて満足しているのだ、これまで腕を競う事すら許されていなかったのだから当然だろう。

 

「しかし我が一番嬉しいのはカルナ、お前の武がアルジュナに勝る、この世の頂きであると証明出来た事に他ならぬ、あぁ、我はそれが嬉しい、我の友はどの様な戦士にも負けぬ、この世で一番の強者であると、そう見せつけられたのだからな」

 

 ドゥルヨーダナはカルナの肩を掴んで、大声を上げて笑う。その声色は酷く興奮していて上ずってすらいた、どれ程の喜びを覚えているのか分かる程、カルナはドゥルヨーダナの手を掴み、笑みを浮かべたまま頷いた。

 

「当たり前だろう、君の隣に寄り添う俺は最高の戦士だ、どんな物でも穿って見せよう、射抜いてみせよう、蹴散らしてみせよう、君が選んだ男はそういう奴だ、どんな強者が来ても、神ですらこの俺は射殺す――あぁ、そうさ、この身は太陽なのだ、ならばこそ万物燃やし尽くすのが俺の力だ」

「あぁ、あぁ、素晴らしい、素晴らしいぞカルナ、そうだ、お前は最高の戦士だ、そして――最高の友でもある」

 

 確りと、互いに手を取り合ったカルナとドゥルヨーダナは正面で笑い合う。この瞬間、二人の絆は更に確固たるものとなった。カルナはドゥルヨーダナを心から信頼しているし、ドゥルヨーダナもまた、カルナを心から信頼していた。

 恐らくこの世すべての者が己を裏切っても、目の前の男だけは決して裏切らない。

 そういう確信にも似た誓いを感じた。

 

「さて――城へ帰ろう、我が親友、お前の武勇伝を弟たちに伝えてやりたいのだ」

「勿論だ友よ、宿敵のアルジュナ、その悔しがる姿を存分に教えてやるさ」

 

 二人は並び立ち、そのまま城へと帰還する。カルナとドゥルヨーダナにとっては凱旋と言っても良い。カルナの表情はとても誇らしく、光に輝いていて。

 ドゥルヨーダナの表情も清々しく、隣で矢を射る瞬間を語るカルナの言葉に何度も頷いていた。友が嬉しいならば己も嬉しい、それを地で行く二人は互いの喜色に酔っていた。

 

 しかし、その表情の裏で彼――ドゥルヨーダナは想う。

 己の唯一無二の親友、カルナを貶した女の事を。

 ドラウパディーの言葉を。

 

 

 ――あの女は己の友を、戦士を貶しやがった。

 

 

 ドゥルヨーダナの裏側は、憤怒の色で染まっていた。

 




 アルジュナが妻であるドラウパディーを兄弟全員で所有したという点、今作ではカルナに弓の腕で敗北し、それでも勝ちを拾った為、本当の意味で勝利していないと感じたから、という風に改変しました。
 つまりプライドからドラウパディーを嫁にしてはいけないと感じたのです。
 しかしドラウパディーはアルジュナと結婚したかったので押せ押せGOGO、私GOGO。
 結果五人の共通の妻ということで、落ち着く……みたいな。
 
 しかし神話系の話は書いている時間より調べる時間の方が長い気がします……今更ながら題材ミスだろうか。
 
 個人的に思うのはドラウパディーって下手をすると乙女ゲーの主人公レベルだなぁと。
 王家の五人全員と婚約していて、殆どが美形で、英雄で、しかも神の血を継いでいるから自分の子どもも神の血を継ぐって言う。ドラウパディー本人も絶世の美女って言われてますからね。

 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。