夏休み突入でお屋敷での生活開始。
平穏の中で、確実に忍び寄る、終わりの時…。
ルイズを泣き止ませ、ようやくド・オルニエールの土地にたどり着いた。
ド・オルニエールについて、まず見えたのが、どこまでも続く荒野だった。
一万二千エキューの土地にしては、何も無い。
みんなでいぶかしんでいると、荷馬車を引く農夫らしき老人を見つけた。
「あの人に聞いてみよう。すみませーん!」
「なんでございましょう?」
よぼよぼの馬に劣らない貧相な老人だった。
「ちと、尋ねたいんだが、ここは、ド・オルニエールの土地かね?」
「さようでございます。」
「年収一万二千エキューの土地にしては、ずいぶんと荒れ果てているように見えるだが…。」
ギーシュが聞くと、老人は答えた。
なんでも先代の領主が死んでから、十年も前のことで、跡継ぎもおらず、若者達は街に行ってしまい、今では数十名の老人達が細々と土地を耕している状態なのだとか。
それを聞いた一同は、同情の目をトゥに向けた。
「お屋敷は?」
「あちらでございますが……。」
暇なのでということで、老人が屋敷まで案内してくれた。
屋敷は、うっそうとした森の中。土地の劣らず荒れ果てたその屋敷はあった。十年もほったらかしだったのだろう。
きっと昔は、立派な構えの貴族の屋敷だったのだろうが、窓ガラスは割れ、扉や屋根にはツタが絡まり、壁にはヒビが入っている。
「これは、掃除のしがいがありますわね…。」
シエスタが、唖然とした声で言った。
「女王陛下も、とんでもない物件を押しつけたもんだな…。」
「いや、違う。女王陛下は知らなかったんだよ。一々ちっぽけな領地のことなんか覚えてないよ。トゥ君に下賜することになって、適当に領地を探してたら、誰かにここにしろと吹き込まれたに違いない。」
マリコルヌとレイナールが言った。
ルイズも、確かに、っと頷いた。
しょせんは、アンリエッタも雲の上の人なのだ。誰かにここを用意しましたと言われたそれでおしまい。年収一万二千エキューと言われたら、そこにしましょうということで、自分で確認しにはこない。
ルイズは、トゥを見た。
トゥは、ジーッとボロボロの屋敷を見ていた。
「トゥ…?」
「ん?」
「姫様に下賜されたとはいえ、これは…。」
「んーん。これなら、掃除すれば住めるよね?」
「えっ?」
「それに、土地だって耕せば作物も取れるし、砂の国よりずっと豊かだよ。きっと。」
「砂の国って…、どんなところだったの?」
「砂漠。」
「…あー。」
納得。砂漠に比べれば、確かに天国だろう。
「でも、私達だけじゃ修繕は難しいわ。業者を雇いましょ。」
「うん。」
もう住む気満々の二人とは対照的に、年収五千エキューの夢が潰え、がっくりと肩を落とす水精霊騎士隊の仲間達。そんな彼らを見て呆れて肩をすくめるキュルケだった。
***
業者に千エキューで修繕を頼み、夏休みが始まる頃にはなんとか暮らせるレベルになるとのことだった。さすが貴族の屋敷だったことはあり、骨組みはしっかりしていたのだ。
領地の方であるが、老人達しかいないが、それでも収入は二千エキューはあった。
かつての勢いはないものの、痩せた土地なので、そこで生産されるブドウで作った少量だけ生産されるワインが通の間では評判らしい。
トゥとルイズは、平日は魔法学院で過ごし、休日をド・オルニエールの土地で修繕されていく屋敷を見に行くようになった。
修繕されていく屋敷を見るのが楽しかったし、のんびりしたド・オルニエールは、やっと訪れた平和を満喫するにはぴったりだった。
屋敷に来るたびに、シエスタと一緒に掃除をしたり、家具を揃えたり、その辺を散策したりした。
何も無いように見えるド・オルニエールの土地も、よく見れば楽しいもので満ちている。例えば森の中の小さな泉や、谷や、野に咲く可憐な花など。
夕方になれば、領民達が新しい領主様が来たということで挨拶に来る。
その時、ワインや畑で採れた作物や、焼きたてのパンやお菓子などをお土産に持ってきてくれる。
トゥは、もらった作物で料理を振る舞い、見たこともない料理とあって領民達の舌を驚かせて満足させた。ついでに採れた作物やブドウなどを見て、新しい料理を考えたり、今後どう土地を耕すかを検討しだしていたりもしていた。
散歩をしていれば、領民達が気さくに声をかけてくる。平民出身の近衛騎士ということで、まるで孫の出世を喜ぶかのようにトゥに接してくれた。
貧しいながらも、お茶や酒やお菓子までもてなしてくれることもあった。
トゥの手柄の話となると目を丸くして驚き、今度の領主様はたいしたもんだと感心する。
トゥは、それを見るたび困ったように笑う。
そんなトゥの控えめさに、見かけによらずしっかりとした領主の貫禄を見て領民達は感心していた。
それから、ヘレンという老婆を雇い、お手伝いさんとした。老婆とはいえ、とても足腰がしっかりしており、トゥとルイズがいない間に屋敷を守ってくれていた。
そんなに大きくない屋敷なのでシエスタとヘレンだけで十分手が行き届く。
やがて夏休みに入り、トゥとルイズは、屋敷で暮らすためド・オルニエールに来た。
卒業してからの予行演習みたいなものである。
ルイズは、もうドキドキで夜も眠れなかった。
夏休みに入る前も、ド・オルニエールに来るたびシエスタがいるものの、休日のデート気分で楽しんでいた。大きな娯楽はないもの、のんびりとしたド・オルニエールの風景を見ながら、トゥと二人で歩いている。たったそれだけで満たされるようだった。
「私ってば、なんて簡単な女なのかしら?」
「えっ?」
「気にしないで、独り言だから。」
トゥから顔を背けながらルイズは言った。もう顔がにやけて仕方ないのだ。
ああ、今日からトゥとの生活が始まる!
そりゃ学院の寮でも一緒に生活しているが、ドキドキワクワク感が段違いだ。
シエスタとヘレンがいるものの、彼女らはあくまで使用人だ。こちらが雇っているのだ。主人の側であるルイズには、もうそんなこと些細なことであった。
シエスタが籠にお昼ご飯を詰め、ヘレンに見送られて、トゥとルイズ、そして籠を持ったシエスタが出かける。
森の中。小鳥の小さな鳴き声が聞こえ、焼けるような日光も森の葉や枝に遮られて心地よい。
小鳥の鳴き声以外は聞こえないそんな小道をブラブラとトゥとルイズは歩く。その後ろからはシエスタがニコニコと笑ってついてくる。
眺めの良い場所を見つけると、そこに布を広げて、籠の中に詰めていた昼食を広げる。
まだ温かい焼きたてのパンと、干し魚の揚げ物、領民からもらった作物で作った野菜のサラダ。あと、ド・オルニエールのブドウを使ってトゥが作ったブドウのタルト。あと、絞りたての牛乳。
「ルイズ、デザートは後だよ。」
「でも、これが一番美味しそうなんだもん。」
「ダーメ。」
「むぅ。」
「どうぞ、トゥさん。」
「ありがとう。」
「ちょっと、私のは?」
「はいはい、ミス・ヴァリエールの分も今分けます。」
「美味しいねぇ。野菜がいいからかな?」
「はい! ここの領地のお野菜はとても良いものですからね。」
「このドレッシングが良いのよ。これトゥが作ったんでしょ?」
「いいえ、私です。トゥさんからレシピを教えてもらって私が作りました。」
「上手にできてるよ。」
「ありがとうございます。」
「むむぅ…。」
トゥとシエスタの仲は、相変わらずだ。ほら、トゥに褒められてポッと頬を染めているシエスタがいる。いつものことだが、やっぱり気になるものだ。
料理を食べ、そして待ちに待ったデザートタイム。
「あぁあ~、おいひぃぃぃ。」
「トゥさん、本当に美味しいです!」
「よかったぁ。」
トゥは、嬉しそうに笑った。
「どうしよう。人生で一番美味しいかも…!」
「私もです!」
「えへへ。……?」
「トゥ?」
「どうしました?」
自分の皿に分けられたブドウのタルトを一口食べて、トゥは固まった。
「あ…れ?」
「どうしたのよ?」
「トゥさん…。美味しくないですか?」
「何言ってるのよ、自分で作ったのに。」
「……ご、ごめん。気のせいだった。」
トゥは、慌てたように手を振って笑った。
「…トゥ?」
「だいじょうぶ。本当に気のせいだって。」
トゥは、そう言って牛乳をごくごくと飲んだ。
「ぷはー、美味しい。シエスタ。お代わり。」
「は、はい。」
一瞬呆けていたシエスタは、我に返って、牛乳をコップに注いだ。
ルイズは、そんなトゥを見ていた。
何か無理をしているように見えてならない。
だがここで追求したら、きっと傷ついてしまうだろう。
だから気のせい…っということにし、ルイズは、皿の上のタルトを口に運んだ。
***
お昼ご飯が終わると、シエスタは、木陰で寝てしまう。
ルイズは、枝を拾って、シエスタをつつく。
シエスタの寝付きは実に素晴らしく、つつかれてもまったく起きない。
ルイズは、シエスタが完全に寝入っているのを確認すると、トゥの傍に来て、その腕に猫のように寄りかかり、唇をとがらせ髪を手で悩ましげにいじりだす。
「良い天気だね。」
「そうね。」
「こんな良い天気なら、お野菜も美味しく育つね。」
「あんた、そればっかりね。」
「そう?」
「砂の国ってところがどれだけ厳しいところだったか知らないけど、焦らなくていいんじゃない?」
「そうかな?」
「領地を耕すのは、領民よ。領主が直接手を出すことじゃないわ。」
「そう?」
「まあ、前の領主が狩猟が趣味だったみたいに、土いじりが趣味って事でもいいかもしれないけど。」
「じゃあ、そうする。」
無邪気に笑うトゥの顔を見て、ルイズは頬が赤くなるの感じた。
ああ、やっぱり私ってば簡単な女ねっと、ルイズは思ったのだった。でもそれは、トゥ限定だ。トゥにだけこんなに心がときめくのだ。他の男でも、女でもない。トゥだけ。
シエスタは、ぐっすり寝ている今、トゥを独り占めしているこの状況。
「はぁぁううん。」
なんて贅沢なんだろうっと、思わず変な声が漏れてしまった。
「どうしたの? ルイズ。」
「なーんでもない。」
ルイズは、にやけ顔のままトゥの膝に猫のように上体を乗せた。
「もう…、甘えん坊さんだね。」
「えへへへ…。」
小さく苦笑するトゥにワシャワシャと頭を撫でられ、ルイズはご満悦だった。
そしてルイズは、調子に乗った。
「ねえ、トゥ。」
「なぁに?」
「キスして?」
「えー?」
「そこは素直に来なさいよ!」
ルイズは、頭をトゥの膝の上にのせたまま上を向き、怒った。
「えー…。」
「ひ、酷いわ! ロマリアであんなキスしてくれたのに…、意気地無しぃ!」
「……もう、しょうがないなぁ。」
やれやれっといった様子で、トゥは、ルイズの顔に手を添えた。
そして顔が近づいてくる。ルイズは、目をつむってその時を待った。
だが、その時。
ボキボキボキと、何かを折る音が聞こえた。
「えっ?」
「はっ?」
見るといつの間にか起きていたシエスタが木の枝を折りまくっていた。
「何してんのよ!?」
「たき火をしてお茶でも沸かそうかと思いまして…。」
トゥの膝の上から起きあがったルイズが指さしながら叫ぶと、シエスタは、にっこりと笑って答えたのだった。
「いつの間に起きてたのよ!?」
「いーえー。あんまりにもミス・ヴァリエールがうるさいものですから、目が覚めちゃいまして。目を覚ましたら、まあ…、ミス・ヴァリエールってば…。」
「なによ!」
「トゥさんが、お膝を許したからって、調子に乗って…。」
「ふふん。まだ膝枕なんて許してもらってないくせに、言うわね?」
「トゥさん! 私もお膝を!」
「いいよー。」
「トゥ!」
その後は、トゥの膝の位置を取り合いになり、夕方になるまでそれが続いた。
ちょっと、ご飯要素を目指してみましたが、私の文才では、この程度でした…。
トゥの味覚は、まだ…大丈夫です。
砂の国に比べれば、ド・オルニエールは、ずいぶんと恵まれていると思う。