田中太郎 IN HUNTER×HUNTER(改訂版)   作:まめちゃたろう

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第四話 【原作前】

 その日はたまたま師匠が仕事で出かけ、一人で過ごしていた。

 留守でも大量の課題を渡されるのでサボってだらだらなんて出来ない。というか全部終ってなければ正座で説教コースだ。

 師匠はどんな時でも声を荒げたりなんてしないが、ただひたすら正論と理詰めでこんこんと諭される。これが結構堪える。怒られる前から自分が悪いのがわかっているし……。

 

 さて、現在取り組んでいる課題は紀元前に滅びたといわれるトルエン文明文字で書かれた日記の翻訳、及び内容に関する小論文だ。

 文字の形はハンター文字に少し似ている。だが難易度は比べ物にならない。例えば太陽を模した文字が表す意味は『太陽、初代国王、主神、日照り、災い』など多岐にわたる。前後を組み合わせ、最善となる文章を導かねばならない。

 正直、難しすぎて大苦戦していた。

 

「紀元前600年頃の物だからここはコルハト王かな。うーん……狩りでライオンをとった? 違うか。ライオンの頭を狩ってコルハト王に乗せた? いや、変だ」

 

 ノートに書いては消し書いては消し繰り返し綴っていくが、なかなかピンとくる文章にならない。

 

「コルハト王はライオンに馬乗りになってその首を落とした、じゃねーか?」

「あっ! それだ」

 

 謎がやっと解け、脳がクリアになった。一つ解けると詰まっていた文章がパズルの様に紐解けていく。

 

「だとすると、ここは水瓶で洗い祭壇へ捧げたになる……ん?」

「なんだ、まだわかんねーのか」

「いや、わかるけど……」

 

 何故、俺以外の声が聞こえるのか。

 恐る恐るノートから顔を上げるとそこには小汚いなりをした男が、ニヤニヤとどこか面白そうにこちらを眺めていた。

 

「…………」

 

 どうやって入ったのかとか、いつからそこにいたのかとか色々聞きたいことがあるけれど、とりあえず――――。

 

「……どなたですか?」

「リーシャンはいつ帰ってくるんだ?」

 

 質問に質問で返すな。そう言いたいが気付かずにここまで接近される相手だ。下手に怒らせればどうなるかわからない。

 眉根を寄せ、ジッと相手を観察しながら少しずつ距離を取る。地下の修行場まで逃げられれば……そう考え視線を扉へ移した瞬間、テーブルの向かいにいたはずの男が目前にしゃがみこんでいた。

 身体を強張らせ瞬きすら出来なくなった俺に男は息遣いが聞こえそうなほど顔を寄せ、もう一度問いかけた。

 

「坊主、リーシャンはどこだ?」

「――――ッ!!」

 

 考えろ、落ち着くんだ。恐怖心を無理やり抑え込み、必死に自分に言い聞かせる。

 敵か味方かはわからないが、師匠の名前を知っているという事はおそらく知り合いだろう。怪しいことこの上ない風体だが、パッと見た感じ敵意は見えない。まあ、そもそも気付かずにここまで接近される相手だ。俺を殺す気ならとっくに死体になってる。

 そして男は手ぶら。古書目当てでもなさそうだ。

 つまり、男の目当ては師匠本人か。

 緊張で乾いた唇を舐めようやく返答を吐き出した。

 

「師匠はここにはいません」

「ふーん、行先はどこだ?」

「知りません」

「いつ帰ってくるんだ?」

「聞いてません」

「警戒すんなって」

「貴方を警戒せずに何を警戒しろと?」

「あー……確かに」

 

 男はぼさぼさ頭をかき回しながら何やら悩んでいるようだ。太陽の光に当てられたフケがキラキラと空中を舞っている。

 掃除機かけなきゃな……そう現実逃避をしていると男が一瞬、真顔になった。

 

「リーシャンの弟子になってどれくらいだ?」

「……2年ほどです」

「トルエン文字以外も習ってんのか?」

「浅く広くですが……って何でそんなことを聞くんですか?」

 

 なんだろう、凄く嫌な予感がする。

 男はポンッと手のひらにコブシを打つと俺の首根っこを引っ掴んだ。

 

「じゃあ、坊主でいいや! ちょっとついてこい」

「はあああああああああああああああああ?!」

 

 まさに青天の霹靂。警戒心と緊張はどこかに吹き飛ばされた。

 

「いきなり何言ってんですか!? あんたの目当ては師匠でしょう!!」

「お前でもできそうだからな」

「できるって何のことですか?」

「古代文字の翻訳」

 

 なるほど、それで師匠を探していたのか。疑問は解けたが着いていく気などさらさらない。

 

「出来るわけないでしょう! 確かに古代文字はある程度習いましたが師匠に比べたらひよっこもいいとこです!!」

「お前ならやれる。諦めてついてこい」

「無理です! それに俺は修行中でここから離れられません。師匠が戻ったら必ず伝えますから、もう帰って下さい」

「修行なら俺がつけてやるから安心しろ」

「結構です。それに知らない人についていっちゃいけませんって言われてますから!!」

「俺はジン・フリークスだ。これで知らない人じゃないだろ?」

「ジ……ン……ッ」

 

 ジン・フリークスってあのジン? ゴンの親父のジン?

 あまりの衝撃的な事実に固まっているとヒョイっと肩に担がれた。

 

「え?」

「飛ばすからしっかりつかまってろよ」

「ちょっ! 待ってくだ――」

「口閉じねーと舌かむぞ」

 

 ジンさんはそう言うやいなや、窓を蹴破り宙を飛んだ。あっという間に我が家が豆粒のように小さくなっていく。

 景色がどんどん流れ移り変わる。

 人間ってここまで早く走れるのか……そんな風に冷静でいられたのはほんの一瞬だけ。すぐに全身にかかる重力と風圧で内臓が圧迫され、瞬きどころか呼吸さえ困難になった。

 止めてくれ、苦しい。そう訴えたいのに口を開けない。

 せめて振り落とされないようにギュッとジンさんにしがみつくしかなく、やがて意識はスイッチを切るようにあっさり落ちた。

 

 

 

 

 どれくらいたったのかはわからない。冷たい何かで顔や手足を拭われる感触がして薄く瞼を上げる。

 最初に目に入ったのは見事な金色。

 

「おい、大丈夫か? こんな子供に無茶しやがって……」

 

 少し掠れた低い声の主が心配そうに俺を覗きこむ。

 

「俺……」

「気がついたか? お前、ジンさんに運ばれてくる途中で気絶したんだよ」

「そうですか……面倒を見て下さりありがとうございます。俺はリーシャン・マートの弟子でタロー・タナカです」

「俺はカイトだ。よろしくな、タロー」

「カ……カイトさんですね。よろしくお願いします」

「カイトさんとか気持ち悪いからカイトって呼んでくれ。起きれるか?」

「はい」

 

 鋭い三白眼が僅かに緩んだ。笑ったのだろうか。

 ふらふらしつつも何とか立ち上がり、目前に立つ少年……カイトをジッと見つめる。

 

 原作では生年月日不明だったから推測しかできないが10台後半くらいだろうか。

 特徴的だった長髪は今はまだ短く肩に届く程度でしかない。サッシュがきつく巻かれた腰の位置は驚くほど高く嫉妬の炎が溢れてきそうだ。

 

 何を隠そう、原作キャラの中で一番好きなのがカイトだった。俺の理想にドンピシャだったのだ。

 蟻編でピトーに殺された時はリアルに泣いたし、幼女に転生したのはショックだった。なんでTSしてんだよって素で突っ込んだ。

 でも、幼女なカイトちゃんにも痺れた。思わず姉あねさんと呼んでしまいたくなったくらいだ。

 そのカイトがいる。2次元ではなくそこに確かに生きているカイトがいる。

 感動していた。只々、感動して息をすることすら忘れた。

 

「起きたか、坊主」

 

 ジンさんに背後から肩を軽く叩かれ現実に引き戻された。いい気分を邪魔され、恨みつらみ罵詈雑言が心の奥底から湧いて出る。

 

「ええ、起きましたよ。誘拐犯」

「誘拐犯?! ジンさんまさか……」

 

 カイトが蔑むような目でジンさんを見た。

 

「なっ……違ーよ」

「どこがどう違うんですか?」

 

 俺の姿は酷い。やっぱり運ばれる途中で嘔吐したのか服には黄色いシミがこびりついているし、靴も履いてない。

 更に攫われた経緯を一から十まで説明するとカイトは完全にこちらの味方になった。

 

「ジンさん……あんたって人は……」

「あー、わかったわかった。俺が悪かった! これでいいだろ?!」

 

 ジンさんは流石に分の悪さを自覚したのかやけくそのように叫んだ。

 うん、絶対反省とかしてないよね。

 

「もういいです。それより家に帰してくれないなら師匠に連絡くらいして下さいよ」

「おう、まかせとけ」

 

 不安だ。激しく不安だ。でもこればかりはジンさんを信用するしか術がない。

 

「坊主、ついてこい。見てもらいたい物があるんだ」

「坊主って呼ぶの止めてもらえません? 俺はタローです」

「おう、タローな。とっととついてこないとまた運ぶぞ」

 

 しぶしぶジンさんの後についていくと深い森林の谷間に緑に輝く扉があった。

 俺の身長の3倍はあろうかというその扉には真ん中に丸いプレートのようなものがはまっており、そこに古代文字がびっしりと書かれていた。

 

「すっげーだろ! どうもプレートを外さないと中に入れないみたいでな。外し方は文字を翻訳すればわかるはずだ」

「読めもしないのに何で外し方がわかるって思うんですか」

「勘!!」

「「はぁ…」」

 

 俺とカイトはそろって溜息をついた。

 カイトとの友好を深めたい気もするが師匠が心配するし、早く解読を終わらせてとっとと帰ろう。

 しかし、習った事がある文字で本当に助かった。所々わからない所があるがなんとかなるだろう。 枯れ木を一本拾い、地面に書き込みを始めた。

 

 

 やっとのことで作業が終わると辺りは暗くなり星が出てきていた。

 

「出来そうか?」

 

 カイトが心配そうに声をかけてきてくれた。

 

「何とか終わりましたよ、分かる文字で良かったです」

「早いな。ジンさんあの扉の前で3日くらいうんうん唸ってたと思ったらいきなり走っていったからどうなることかと思ってた」

「説明もなしにですか……物凄いですね」

 

 帰ってきたと思ったら子供抱えてるから本気でビックリしたとカイトは笑いながら話す。

 

「タローも凄いよ。半日もせずに解読できたんだしな」

「師匠に付きっ切りで教えてもらってるんです。これくらいできないと怒られてしまいますよ。カイトも凄いじゃないですか。ジンさんの弟子なんですから」

 

 あのフリークスについて行けるだけで凄い。

 俺だったら1日ももたずに死んでそうだ。

 

「ジンさんの弟子だからで納得しそうなのが嫌だな……」

 

 ぷっと同時に吹き出した。

 カイトがジンさんがいかにひどい師匠か身振り手振りで説明してくれる。

 その内容がおかしくて2人一緒に大笑いしてしまった。

 俺は笑いを納めると、カイトに向き直り顔を見つめる。

 どうしても言いたい事があった。

 

「カイト、俺って友達いないんですよ」

「いきなりどうした?」

「今までずっと師匠と2人っきりだったんです。ぜひ友達になって下さい」

「タロー、お前……」

 

 やっぱり突然すぎただろうか……無言になったカイトに耐え切れず視線を地面に落とす。

 カイトに会うまで友人を欲しいと思ったことなんてなかったから、直接頼む以外思いつかなかった。

 ネットで調べてから申し込んだ方が良かっただろうか。

 ぐるぐるバカな考えに囚われていると節くれだった大きな手が差し出された。

 意味がわからずカイトを見返すと軽く頭を叩かれた。

 

「友達になるんだろ? ほら、お前も手を出せ」

「う、うん」

 

 慌てて差し出した手のひらがきつく握られた。

 

「これからよろしくな」

「はい!」

 

 人生初の友達に最高の笑顔を返した。

 

 

「いやー、青春だなぁ」

 

 俺とカイトのほのぼのとした空気をぶち壊してくれたのはもちろんジンさんだ。

 逆さまになって枝に張り付いている。この人、本当に人間だろうか。

 

「いつから見てたんですか」

 

 慌てる俺たちにジンさんがニヤニヤしながら返す。

 

「んー? 最初から」

「このくそオヤジが!!」

 

 俺は被っていた猫を引っぺがし、地面に落ちている石をどんどん投げるが当のジンさんはガハハハとどこぞの悪役のように笑いながらヒョイヒョイとかわしていく。

 

「解読終わったみてーだし明日から修行な」

「「は?!」」

「タローに修行つけてやるって約束したからな」

「必要ないって言いましたよね?!」

「もう決めたし」

「待って下さい。流石にタローは死にますよ!」

「大丈夫だって! 根性だせば死なない」

 

 また根性か。

 根性だけでジンさんについていけるなら世の中ハンターが溢れかえっている。

 だが俺は理解した。ジンさんが決めたことに後から何を言っても無駄だと。

 諦めて溜息をつくと信じられないセリフが耳に届いた。

 

「んじゃ、カイトは夕飯とってこい。タローは薪集めと水汲みな」

「「あんた、鬼だ!!」」

 

 俺とカイトの心が一つになった瞬間だった。

 

 

 

 翌日からのジンさんの修行は死を確実に認識させた。

 頭から何かの動物の血液をかけられそのまま文字通り放り投げられた……人食い虫の住む洞窟に。

 体力強化だと、凶暴な魔獣の赤子を背に括り付けられ親の前に放り出した。

 湖に連れていかれると真ん中まで泳げと言われ、しぶしぶ泳ぐと湖なのにサメが出てきた。いつからサメは淡水魚になったんだ。

 死にかけてカイトに助けられると一人で出来なかった罰だと言われ、ジンさんを背中にのせて腕立て伏せをさせられる。

 

 そして一通り修行と言う名のイジメが終わると、夕飯用のウサギ取りが待っている。

 これが精神的に一番きつい。

 屠殺用の斧を肩に担ぎ、もう何度目かわからない溜息をついた。

 

「今日もうさたんをぶち殺す作業が始まるお……」

「バカな事言ってないでとっとと行って来い」

 

 ジンさんに背中を蹴られ嫌々森の中へと入る。

 まずは大木によじ登って手頃なサイズの鼠やイノシシを探す。ウサギの釣り餌に使う為だ。

 ちなみにウサギ以外の獲物を持って行っても無駄。ジンさんに追い返される。

 

 俺の常識ではウサギは草食動物のはずだったんだが、何故かこの森では凶暴な肉食獣だ。しかも俺よりでかい。

 その爪には毒があり一撃でもかすれば痺れてあの世が見える。真正面から向かっていくのは無謀の極みだ。なので瀕死の餌を木に括り付け、襲っている所を狙うのだ。

 まあ、ジンさんやカイトだと真正面からスパーンですけどね。

 

 今日は運よく餌が早く見つかり罠をセットしてまたもや木に登る。

 枝の上でジッと気配を殺して待っているとウサギがのこのこやってきた。警戒しつつも血の匂いには逆らえないのかすぐに食べ始める。

 餌に気を取られている隙に枝から飛び降り、ウサギの首めがけて斧を振り下ろす。

 手のひらに鈍い感触が伝わり、首が地面に転がったのを確認すると素早く距離を取った。

 

「うわー、相変わらずグロイ」

 

 死体がグロイのではない。そんなものはとっくに慣れた。

 ウサギの体には無数のダニやら寄生虫やらが住んでいる。そいつらは宿主が死ぬと一斉に死体から飛び出し、次の宿主を探し始めるのだ。これはもう視覚への暴力に他ならない。

 これを初めて見た時は吐いた上に、サナダムシもどきに皮膚を食い破られ寄生された。幸いカイトが近くにいたのですぐに取ってもらえたが……。

 

 虫たちが完全に離れるのを待ってようやく血抜きして皮を剥ぎ、キャンプへ持って帰って3人分の肉を焼いて食って寝る。これがだいたいの1日の流れだ。

 

 ジンさんに攫われておよそ2週間、師匠との文明的な生活とは雲泥の差で涙が零れそうになることがたくさんある。

 食事はウサギの肉に塩を振って焼いた物だけだし、風呂に入れないせいで全身血と泥で薄汚れている。

 食生活はともかく、水浴びくらいはしたいが近くの川には水辺に近づいた生物を無差別に襲うピラニアもどきがいるため難しい。

 どうしても水浴びしたければ10km離れた泉にいくしかないが、ジンさんのシゴキが終わった後に10km往復マラソンなんて出来るわけもなく、水に濡らしたタオルで拭くだけだ。

 あまりに辛くて師匠はまだかとか、早く帰りたいとか弱音を零すと、

 

「何だ、逃げるのか。弱虫小僧」

 

 そうジンさんに煽られる。今はもう意地だけでここに残っている。

 

 

 不味い肉を無理やり胃に流し込み、体を拭くともう体力の限界だ。

 適当な木の根元に転がり寝る体勢に入る。布団なんて高尚な物はここには存在しない。

 ふと、近くに目をやるとジンさんとカイトが元気に組み手をしている最中だった。

 ジンさんは分かるがカイトよ……どこにそんなパワーがあるんだ。

 俺以上のメニューをこなして、さらに毎日水浴びにいってるはずなのに。

 これが原作キャラ補正か、チートかこの野郎。

 

 これ以上あの2人を見ていると虚しくなるので空へと視線を移す。

 師匠は今何をしているんだろうか、仕事は終わったんだろうか。

 いつも俺を優しく見つめてくれる師匠の顔を思い出すと涙が出そうになる。

 瞼を閉じ、こぼれそうになる涙をぬぐおうとしたその時、

 

「タロー、避けろ!!」

 

 ジンさんに吹っ飛ばされたカイトが俺めがけて飛んできた。

 避ける体力がなかった俺は衝撃をモロに喰らい、木の幹に叩きつけられた。

 

「スマン、大丈夫か?!」

 

 流石のカイトはすぐさま起き上がり俺の頬を叩く。

 口の中を切ったのか鉄の味が口内に広がった。血反吐を吐くのはこれで何度目だろうか。

 大丈夫、そう言って立ち上がりたいのに手足がガクガク震え、力が欠片も入らない。

 疑問に思って体をよく見ると薄い霧の様なものが全身から吹き上がっていた。

 

「やっべ、精孔が開いちまった!」

 

 珍しく慌てたようなジンさんの声が聞こえた。

 精孔? じゃあこの溢れ出してる物がオーラなのか……ということは留めなければ死ぬ。

 混乱する心を落ち着かせ必死に身体から力を抜く。

 

「タロー、よく聞け。俺の手の動きに全意識を向けるんだ。失敗したら死ぬから必ず成功させろ」

 

 無茶ばかり言う。でもやるしかない。

 目を閉じ横たわる俺の体にジンさんの手がゆっくりと血の巡りを辿る。

 この2年、念を起こすために色々がんばってきたのだ。

 ここで失敗するわけにはいかない。

 師匠と共にやってきた瞑想の感覚を思い出しながらジンさんの手の動きに意識を向けた。

 どれくらい時間がたっただろうか。

 

「よくやった、タロー」

 

 笑うジンさんの顔。

 その記憶を最後に俺は意識を閉じた。

 

 

 

 次に目を覚ましたとき見たのは心配そうな師匠の顔だった。

 

「大丈夫ですか、タロー」

「……師匠」

「大馬鹿に無茶をさせられたようですね」

 

 師匠の顔を見て俺は今まで張り詰めていた何かがプツンと音を立てて切れるのが分かった。

 止めどなく涙が溢れてくる。拭う気力もない。

 そんな俺を師匠は始めて会ったあの日のように何も言わずに抱きしめてくれた。

 

「いきなり精孔が開いてビックリしたでしょうね」

「師匠、精孔って?」

「それについての勉強は明日にしましょう。タローは1週間近く寝込んでいたのですよ」

「1週間も……」

 

 無理やり起こされたからといってそこまでかかるものなのか。ゴンは一瞬で物にしたというのに……。

 体力もない、念の才能もないとかマジで泣ける。

 

「今はゆっくり眠りなさい。大馬鹿者はタローの代わりに殴って起きましたからね」

 

 師匠に頭をなでられながらうつらうつらと考える。

 ジンさんを殴るって師匠そんなに強かったのか。

 あれか普段はニコニコ優しい人が切れると怖いとかそういう感じだろうか。

 色々聞きたい事はたくさんあるが師匠の手の温もりが眠気を誘う。

 

「おやすみなさい、師匠」

 

 後はもう起きてから……。

 

 

 穏やかな寝息が聞こえ安堵の溜息が漏れた。

 

「全く、心配させて……」

 

 寝汗で張り付いた前髪をそっとかきあげる。

 仕事が終わり迎えに行ったリーシャンが見たのはオーラが枯渇寸前のタローの姿だった。

 成功したぜ。そう偉そうにふんぞり返るジンを殴り飛ばし、慌てて家まで連れ帰って治療した。

 ジンのバカは古代文字の翻訳を手伝わせるだけだと言っていたし、弱いタローに無茶はさせないと信じていた。なのにタローの全身はボロボロだった。

 

「半殺し……いや8割ぐらいにしましょうか」

 

 頭の中でジン襲撃計画を立てていたリーシャンの円によく知った気配が触れた。

 こんなに主張しまくる尊大なオーラの持ち主は一人しかいない。

 探す手間が省けた。わざわざ来たということは多少は悪いと思っているのだろうか。だとしても手加減する気はないが。

 ジンがいるダイニングに向かいながら本を具現化させ、廊下の隠し扉から愛用品のナイフを取り出して次々と宙に浮かべる。

 

「さて、言い訳があるなら聞きましょうか」

「やりたかったからやった。そんだけだ」

 

 ダイニングの扉を開け臨戦態勢を取るリーシャンの問いかけにジンの答えは飄々としたものだった。ソファにだらしなく寝転がり警戒する素振りさえ見せない。

 

「カイト君には悪いですが、貴方は一度死ぬべきですね」

 

 強大なオーラを練りナイフへと込めた。宙に浮かべたナイフは100を超える。流石のジンもこの距離と数なら避けきれまい。

 そう確信したリーシャンが攻撃へと転じる刹那、ジンがニヤリと笑った。

 

「いいのか? タローが起きてきたぜ」

 

 ハッとして閉じていた円を広げ気配を探る。タローはベットで眠ったままだ。

 

「…………ジンッ!」

「よっぽど大事みてーだな、あの坊主が」

「試したのですか!?」

「誰も懐に入れない妖怪が弟子を取ったんだ。そりゃ気になるさ」

「それが原因ですか……」

 

 完全に気が削がれ力が抜けた。本を消しナイフを隅に置いて、秘蔵の酒瓶を取り出す。

 

「お、いいな」

「あげませんよ」

「けちくせーこと言うな。ほら、こっち座れ」

 

 手招きされるまま向かいのソファに腰を降し、酒瓶を傾けて一気に煽る。久々に感じるアルコールが喉を焼く感覚に沸騰した感情が冷えていった。もう一口流し込むと瓶をジンへ放り投げる。

 度数の高い酒は苦手なのかチビチビ舐めながらジンが口を開いた。

 

「リーシャンの弟子っつーのもあるが……あいつ、変だろ? 天然かと思ったが違うみたいだしな」

「使えるかどうか試す為にあんな真似を?」

「ああ、そうだ。使えなかったみてーだが、知ってはいたな。あれは」

「そう思った根拠を聞いても?」

 

 リーシャンがタローとの生活で念の事を話した覚えも匂わした覚えもない。念に関する本を所持しているが鍵付きの本棚に厳重に仕舞われている。タローがこじ開けて読んだ形跡もないし、そんな勝手なマネをするような子じゃない。

 疑問渦巻くリーシャンにどこか自慢げにタローの精孔を開いた時の様子をジンが語る。

 全てを聞き終わった途端、リーシャンの拳がジンの顎へとめり込んだ。

 

「すいません。つい、カッとなって」

「うそつけ」

 

 痛む顎を摩りながらジンは話しを続けた。

 

「無理やり起こした時、精孔が開いたって言っただけでタローは体の力を抜いたんだ。知ってる以外考えられねーだろ」

「確かに……」

「それにな、あいつカイトを知ってたんだ」

「意味がわかりませんよ?」

「カイトに初めて会った時のあいつの目に恐怖がなかった。弱虫なのにな」

 

 タローの様なタイプが初対面の人間に会うと必ずその瞳に恐怖が映る。自分が弱いと知っているから害があるかもしれないと脅えが混じる……そうジンは語った。

 

「俺には子猫みたいに毛を逆立てたくせに、盛大にゴロゴロ懐いてたぜ」

「なるほど……」

「念が使えないってことは予知系の能力じゃない。なのに憧れを持つほどカイトを知っている。自慢じゃないがカイトも結構箱入りで育てたんだぜ? 拾ってから街に降りたのは数える程だ。カイトと同じスラム育ちかとも考えたが、手足が柔らかすぎる。なあ、リーシャン。あいつは一体何なんだ」

「僕も知りませんよ」

「おい、はぐらかすな」

「本当に知らないんですよ。タローは自分の事を何も話しませんから」

「聞いとけよ!」

「あの子が話す気になるまで待つと約束しました」

「うがーーーーっ! 気になるだろーが!!」

「うるさいですよ。自分で聞けばいいでしょう?」

「そんなカッコの悪いマネができるかーー!!」

 

 暴れだしたジンを転がし、煩い口を踏みつけるとやっと静かになった。奪い返した酒瓶を傾け人心地をつく。

 結局の所、ジンの興味本位か……そう、今回の騒動をまとめた。

 バカな男だ。タローがタローである限り、どんな情報を知ってようが無害である事に変わりはないのに。

 この様子ではまたいらぬちょっかいをかけてくるに違いない。

 逃げれるように体力と脚力に重点をいれるか。そう決めたリーシャンは修行のメニューを作り直すべく、紙とペンを手に取った。

 

 

 

 




淡水に適応できるサメもいますが、タローは知りません。

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