「ぐうぐう…」
「もう、誠君…ずーっと寝てる」
助手席で寝息を立てる誠に直葉は先ほどドライブスルーで買った大工バーガーを食べながら文句を言う。
大工バーガーはマックなどの大手バーガーチェーンに対抗するために霧山城市内の大工たちが考えたものだ。
米粉ペーストが入ったバンズと霧山城産の牛肉を含めた国産牛肉でできたパティ、朝市で仕入れたキャベツにチーズとベーコンが入ったもので、最近流行し始めてる。
なお、それを撃っている唯一の店舗である大工バーガーのドライブスルーができたのはつい最近のことだ。
せっかく琴音が帰ってきて、明日奈の車で3人仲良く思い出話しようと思ったのに、どうしてそんなときでも平常運転なのかと思ってしまう。
「ごめんなさい、明日奈さん。休みなのに私たちのために…」
「いいのいいの。そろそろ車を動かさなきゃって思っていたところだったし、それにこうしてドライブしたかったから」
明日奈達が今乗っている車は白いコンパクトカーで、元々父親が使っていたものだ。
両親の死後は死蔵されていたが、明日奈が免許を取得したことで現在は通常のドライブに加えて店で使う食材や調味料の調達にも使われている。
「そういえば、直葉。誠君とは…関係進んだ?」
「え、ええ!?!?」
琴音のいきなりの質問に直葉は顔を赤く染めてしまう。
バックミラーからそんな直葉の反応を見た明日奈はフフフと笑い、赤信号のために車を止めてから誠の寝顔をちらりと見る。
「残念ね。誠君が起きてたら…。どうかしら?今起こしてあげて…」
「あ、明日奈さん!そんなことしなくていいですから!!そ、それにただ…誠君のことは放っておけないというか、その…あんまり気弱だから幼馴染として助けてあげないとって…」
琴音の言葉を否定したいのか、ますます顔を赤くしながら必死に2人に訴える。
だが、そんな顔だと何を言っても逆効果で、2人ともニヤニヤと笑みを見せていた。
「そ、それはそうと琴音!!あっちでの陸上部、どうなの?やっぱりレギュラーに??」
「うーん、まだ補欠。上には上がいるのよ、あの学校には」
「2人とも、そろそろ見えてきたわよ!運動公園」
田んぼや畑とわずかな店舗だけの開かれた一本道を進み、見えてきたのは多くの木々に囲まれたスタジアム。
道路を挟んで左側にスタジアムと野球場、野外ステージに多目的広場。
右側には霧山城市では最大の広さを誇る体育館とテニスコートが設置されている。
この霧山城運動公園は市内のスポーツ奨励のために建設されたもので、現在は元旦ロードレースやサッカーリーグの公式戦、中学生や高校生のスポーツ大会などが行われている場所でもある。
「んん…?」
明日奈の声が大きかったのか、誠はうっすらと目を開き始めていた。
「ほーら、みんな降りて降りて」
駐車場で車を止めると、明日奈は真っ先に車を降りて3人を急かす。
もうすでに大会は始まっており、琴音が見たがっている短距離走が始まるまであまり時間がない。
急いで席を確保しないと、立ってみなければならなくなる。
仕事疲れがある明日奈にとっては辛いだろう。
真っ先に琴音が自分の荷物を持って降りてくる。
「うう…ん、降りないと…」
「待って、誠君、直葉ちゃん!」
「アカネ…?」
直葉の隣に若干透明な状態のアカネが姿を見せる。
直葉と融合しているアカネはまだ彼女の体に慣れていないためか、単独での実体化はできないものの、妖精のような小さな体で直葉の肩の上に乗った状態、もしくは等身大の姿で透明なまま直葉の近くに出ることができる。
当然精霊であるため、普通の人間には見えないが、他のステージ2、もしくは精霊に憑依された人には見えることがあるが、今のアカネは彼らにも見えないよう、魔力で姿を消している。
「んだよ、どうかしたのか?」
「まだ覚醒してないみたいだけど、あの琴音ちゃんから…精霊の反応を感じる」
「精霊…?」
窓越しに外で2人が出てくるのを待つ琴音を見る。
まだステージ2に達していないためか、誠の眼からは特に異常は感じられない。
「シャドー、君は感じる?」
「ああ、感じる。けどよ、ステージ1の時に精霊を引っぺがすことはできねえぞ」
ステージ1の時は精霊に憑依されているものの、そのことへの自覚が薄く、精霊も自我に侵食できていない状態だ。
その状態ではたとえデュエルをしたとしても、その精霊を追い出すことができない。
現在、菊岡がステージ1の人々から精霊を追い出すための方法を考えているようだが、まだ完成していない様子だ。
「となると、様子見するしかないの?もし、名古屋に帰ったときにステージ2になってしまったら…」
「へっ、その時はどうでもいいじゃねえか。お前らの近くで被害が出ないってことになるだろ?」
「そんな無責任な…!」
「喧嘩してる場合じゃないよ!あんまりこうなってほしくないけど…もし琴音に何かあったらいつでも動けるようにしないと…」
直葉にとっては初めてのステージ2との遭遇となる可能性があり、しかもその相手が幼馴染である琴音となると精神的に負担のかかる初陣になりかねない。
「直葉、もし竹宮さんがステージ2になったら君は…」
「ううん、私も琴音を助ける。誠君だけには絶対にやらせない」
「でも…」
「いくら言っても無駄!やると決めたらやる!!」
直葉の強い口調に誠はついひるんでしまい、同時に彼女の決意の固さを感じた。
もし頑なに停めようとしたら、きっと1人で動いてしまうだろう。
そうなるよりは、一緒に戦った方がまだ安全だ。
「…分かったよ。力を貸して、直葉」
「当然!」
「もちろん、私も力を貸すよ。2人とも!」
「さっさと出ようぜ。あの2人、待ちくたびれてやがるぞ」
誠は窓から明日奈と琴音を見ると、2人とも歩道に立って2人を待っていた。
スマホの時計を確認すると、もう短距離走が始まるまであと15分になっていた。
「まずい…行こう、直葉!」
「うん!!琴音、明日奈さんごめん…!」
アカネが姿を消し、2人は車を出る。
そして、4人は競技のあるスタジアムへ向かった。
選手名と学校名がついたユニフォームを身に着けた中学生たちがピストルの音と同時にスタートを切る。
現在は女子200メートル短距離の予選一組目で、船首の中には誠達が通っていた桜徳中学校の名前が書かれたユニフォーム姿の少女もいた。
「なんだか懐かしいなぁ…」
「うん。2年前は竹宮さんが選手で…」
中学3年生夏の県大会を思い出した誠はその時に女子200メートルを走っていた琴音を思い出す。
彼女は陸上部ではトップクラスの成績を出しており、文句なしで学校の代表に選ばれた。
そして、この場所で走り、短距離走だけでなくハードル走でも大きな成績を出し、名古屋高校の推薦を勝ち取った。
「名古屋高校が名門だということは分かってたけど、あの時はまさかそこに入学するとは思っていなかった。それに、合格したときは霧山城市を離れないと、誠君や直葉ちゃん、みんなと離れないといけないから、迷っちゃって…」
実際、スポーツ推薦での入試の合格通知書を手にした琴音はどこか複雑な表情だった。
寮があるため、住む場所については問題ないようだが、それ以上に生まれ育った場所、家族や友人のいる霧山城市を離れないといけないことはまだ中学生である彼女には重い選択だった。
「けど、直葉が私を後押ししてくれた。どんなところへ行っても、走り続ける私を応援したいって」
「琴音…」
琴音は今、200メートルを走っている自分の後輩を見る。
スタートダッシュでわずかに遅れが生じ、順位は4位。
3位以上に入る、もしくは全選手のタイムの4位以内に入らなければ予選通過できない。
だから、彼女も息を切らし、踏みしめて走り続ける。
そんな彼女を見た琴音は持ってきていたカバンを手に立ち上がる。
「琴音ちゃん?どうしたの?」
「あの子に負けてられないって思って。私もちょっと走ろうかな?」
スタジアムの中に無料で使える更衣室があり、そこで着替えてスタジアム周辺のランニングコースで走ることができる。
道のりを覚えている琴音は観客席を後にした。
「相変わらず、走るのが好きなんだね、琴音ちゃんは。そうだ、誠君も走ってきたら?」
「ええ!?僕はいいよ」
「駄目よ。運動は大事なのよ?それに、この前の体力測定、あまりいい成績じゃなかったでしょ?」
明日奈の指摘に誠は思わず口を閉ざす。
年に1度行われる体力測定では、50メートル走も腹筋、遠投も平均以下の成績で、女子よりも低い成績もあるほどだ。
元々インドア派な彼が運動や外出にあまり興味を持たないことも大きい。
その分、勉強の成績はある程度良いが。
「少しでも体を動かさないと体に悪いよ。ほら、行こう!!」
「引っ張らないでよ、直葉。それに、僕たちは…」
「着替えはあるよ。明日奈さんがこっそり誠君のも用意してくれてる」
「ええー…」
応援だけして帰るはずだったのにと、げんなりする。
しかも、運動すること前提で着替えの準備までされていたことについては寝耳に水だ。
面倒くさそうな誠の耳元に直葉は顔を近づける。
「それに…琴音のこと、見ておかないと」
「あ…」
琴音に憑依している精霊のことを思い出す。
そういう事情があると、可能な限り彼女の様子を見ないといけない。
面倒くさいとは言っていられない。
「はあ…分かったよ」
「2人とも、頑張ってね」
言い出しっぺであるはずの明日奈はどうして参加しないのかという不満を飲み込んだ誠は直葉に連れられて観客席を後にする。
1人になった明日奈はギリギリ3位で入り、予選通過を喜ぶ桜徳中学の代表をスマホで撮影した。
(あ…そういえば、琴音ちゃんに和人って人のことを聞こうと思ったけど…)
明日奈はその和人という人物のことを知らない。
和人と仲良くやっているかというニュアンスの発言があったため、おそらく男友達のことを言っているのかもしれない。
しかし、大学のサークル仲間を除くと、あまり異性の友人で思いつく人物がいない。
(まぁ、いいか。もしかしたら、私の聞き間違いかもしれないし)
「はあ、はあ、はあ…!」
「ほらほら、誠君!もっとスピード上げて!!」
「わ、分かって…はあ、はあ…!」
ジャージに着替え、300メートルくらい走ったところで息を切らした誠の走るスピードが徐々に遅くなっていく。
直葉と琴音はまだまだ体力が有り余っているようで、2人でおしゃべりしながら走るだけの余裕がある。
だが、普段運動していない誠にとっては過酷で、疲れのあまり立ち止まってしまう。
その間に2人と差がどんどん開いていく。
「はあはあ…シャドー」
「んだよ?」
今は大会中で、ランニングコースにはあまり人がいない。
ここでならシャドーと話しても、不審に思われないだろう。
「アカネちゃんのことがあるからね…。君って、本当はどんな姿なんだろうね?」
「本当の姿…か…」
記憶も姿も名前も、何もかもを失ったシャドーにはそんなことは分からない。
アカネは直葉がステージ3になったことで、ある程度自由になれている。
《超融合》の効果のおかげという一面もあるかもしれないが。
だが、シャドーはいまだの記憶が戻らず、自由もほんの一瞬だけ誠の体の動きをコントロールできる程度でしかない。
「(C.C.…俺が奪ったもの…それが分かれば…)で、なんでお前、そんなことが気になるんだよ?」
「え?」
「てめーのことだけ気にしてりゃあいいだろ?俺のことを気にして何の得がある?」
シャドーの存在により、誠はステージ3となり、変身することができる上に、ステージ2と戦うことができる。
誠に力を与えるという点では魅力があるものの、逆に言えばそれだけ誠に危険を招いているということにもなる。
このままステージ2のことに見向きもしないでいても、誠が生き続けるという点では別に不都合はない。
おまけに臆病な性格で、誰から見ても戦いに向いているとは思えない。
にもかかわらず、時には別世界のLINKVRAINSに飛んでまで戦う誠の神経がシャドーにはわからない。
「得はないよ。けど…」
「けど?」
「けどさ、助けられるかもしれない、助けるだけの力があるかもしれないのに、何もしないと後悔するから…。後悔したくないから、やってるんだ。まぁ、強いて言えば、後悔することはないっていう得があるから…かな?」
「ちっ…分かんねえな」
そんなセンチメンタルな得の価値が分からず、シャドーは悪態をつくしかなかった。
「はあ、はあ…琴音ちゃん、前よりもすごく速くなってる…すごい…」
ある程度走った直葉は木陰に座り、ポカリを飲み始める。
今日は晴天故に気温が高く、すっかり喉が渇いてしまっており、顧問の先生からも水分補給の重要性をよく聞かされている。
琴音も同じか、直葉の隣でポカリを飲んでいた。
「うん、たくさん練習してきたから」
「それならよかった。けど…」
「けど?」
「うーん、なんだろう?速さ以外に何か違うような…うーん…」
隣で、琴音の一番近くで走ったせいか、琴音の走りを一番よく見ていた直葉はその違和感をどうしてもぬぐうことができなかった。
今の彼女の走りは決して悪い走りではなく、前よりもよくなっている。
だが、何かが決定的に違うように見えて仕方がなかった。
「違う…?」
「ご、ごめんね。何て言えばわからないの。うーーん、もうちょっと考えがまとまってから言うよ」
「そう…?」
「あー、それにしても誠君、何してるのかな?!もしかして、もうへばっちゃった?」
男の子のくせに情けないとため息をつきつつ、直葉は走っていたコースを見る。
もう少し待てば、バテバテに疲れた誠がこちらに来るのが見えるだろう。
もしそうだったなら、飲んでいたポカリをあげてねぎらおうかと思ったが、こうして話して小休憩を取っても来ず、もしかしてさぼったのではないかと思ってしまう。
「もう、相変わらずね。でも、なんだか安心した」
「安心…?」
「うん。2人とも、変わってなくてよかった」
ニコリと笑い、空っぽになったポカリのペットボトルをゴミ箱に入れる。
そして、再びランニングコースに立ち、簡単にストレッチで体をほぐす。
「さあてっと、もうちょっと走ろうかな?直葉、いける?」
「もちろん!」
「じゃあ、行くよ!」
琴音と直葉は同時にスタートを切り、走り始めた。
琴音の若干斜め後ろに立つようにペース配分して走る直葉は琴音から感じる違和感の原因を考え始めていた。
(直葉ちゃん、考えながら走るとペースが乱れちゃうよ?)
(分かってるけど、気になって離れなくて…ってあれ?)
なぜか脳裏にアカネの声が聞こえ、口を動かしていないにもかかわらず、なぜか自分の声も脳裏に響いていた。
(あ…びっくりした?ステージ3になると、口を使わなくてもテレパシーで会話できるの。私と直葉ちゃんの間限定だけど)
(そうなの!?でも、誠君はシャドーとはそんなこと一度も…。あ、アカネはあのシャドーって精霊のこと、何か知ってるの?)
(それが、私にも何も…。精霊世界を裏切った精霊がいるって聞いたけど、どんな名前で姿なのか、それにどんな力があるのかもさっぱり…)
(ふーん…)
精霊世界がどれだけの広さがあるのかは知らないものの、アカネがシャドーについて何も知らないことは直葉にとって不思議だった。
誠から聞いた話では、精霊世界の神から何かを奪ったらしく、その何かは未だにわからないらしい。
シャドー自身も記憶喪失なため、無理もない。
(じゃあ、シャドーが奪ったものってどんなものか知ってる?)
(知らない。けど…精霊世界にかかわるものということは)
「ふぅ…。とりあえずはステージ2にならなくてよかった…というべきなのかな?」
運動公園から帰り、琴音が帰った後、自室でペットボトルのコーラを飲みながら真は直葉と琴音について話を始めていた。
運動公園には大勢の人が集まっている以上、ステージ2になって暴走されてけが人が出るのは避けられたと安心すべきなのだろう。
だが、それは逆に琴音から精霊を追い出す条件が整わないことも意味している。
「うーん、どうしたらいいんだろう…。あのままだと、精霊をどうすることもできないまま琴音ちゃんは名古屋に…」
「菊岡さんにも相談したけど、どうにもならないってさ」
このまま考え続けても結論が出ないため、何か別のことをしようと誠はデッキの整理を始める。
少なくとも、有事のことを考えるとそのほうが有益だった。
同時に、誠は侑哉が言っていた言葉を思い出す。
(ステージ2が人を襲うのは精霊が憑依したことだけが原因じゃないと思うんです…憑依した人の暗い感情や、欲望なんかに影響されて精霊の力が暴走して…その結果として人を襲ってしまう…俺はそんなふうに思います)
異世界を巻き込んだ事件が終息した後、誠は菊岡に依頼してステージ2となった彼らについて調べてもらった。
最初に誠が戦ったステージ2と化した男性はアルコール依存症な上に、酒に酔うと喧嘩ばかり起こし、障害でよく警察の世話になっていたらしい。
大原信也は友人のいない引きこもりで、同年代の女性に飢えていた。
トビー・ワトソンについては憶測にすぎないが、日本を離れることをためらっていたようで、それ故に交通手段であるバスやトラックなどの車両ばかりを襲っていたと考えられる。
その根拠として、彼は節子と良い関係だったことが挙げられ、彼の部屋にも2人の写真があることが分かった(ただし、これは菊岡がこっそり侵入して捜索して分かったことで、この調査方法は違法)。
そして、直葉は言葉に言い表せないような不安を抱えていて、それが暗い感情となってステージ2になった。
幸いなのはその憑依した精霊がアカネだったことで、もし彼女以外の精霊に憑依されたらと考えるとぞっとしてしまう。
なお、《マックス・テレポーター》に憑依されていた男性については調査中だ。
だが、結果としては侑哉の言っていることはおそらく間違いないだろう。
問題は琴音にそのような感情があるかどうかだ。
「誠君、あたし琴音と一緒に走ってたけど、その…何かが変わってるように感じた」
「何か…?」
「うん…まだそれが何かはわからないけど…」
違和感があることはわかっているのに、それが何かを突き止めることができていない。
それに歯がゆさを感じながら、直葉は天井をじっと見る。
「そういえば、そもそも琴音ってどうしてこの時期に帰ってきたんだろう…?」
「はあはあ…ああーーー、重い!!」
灰色のコンクリートで覆われた広い部屋の中、青と銀をベースとした強化服と複眼のような2つ目を持つフルフェイスのヘルメットをつけた徹が愚痴をこぼす。
対アンノウン用デュエル装備システムのうちの強化外筋骨格のテストを行っており、走ることはできるものの、これほどまでに重いとは思いもよらなかったようで、ヘルメットを脱ぎ捨てる。
幸いなのは強化服の中の気温がエアコンのきいた部屋のように快適だったことで、もしそんな機能がなかったら熱中症になっていたかもしれない。
「なぁ、もっと軽くはできないんスか?」
「無理ですね。これ以上の軽量化を行うと、実体化したデュエルダメージを防ぐことが難しくなります」
出入り口のドア付近でIpadを手に強化服の動作などをチェックをする、淵の太い眼鏡をかけた青い景観の制服姿の女性がバッサリと徹の要望を切り捨てる。
紫色のポニーテールで色白な肌をした彼女は小沢香苗で、アンノウン対応課に配属された、この強化服の設計者だ。
同時に、彼女がアンノウン対応課の課長を兼任している。
「はぁ…でも、こんなおもっ苦しい装備でデュエルをするなんてなぁ。それをするために警官になった覚えはないっすよ」
「仕方ないでしょ?これは人を選ぶの。選ばれてありがたいと思わないと。しかも、あなた。Den Cityで上層部が嫌がることをやったんじゃない?」
反論できない徹はウゥ、と沈黙してしまう。
当時は捜査一課として働いていたが、とある事件について上層部からストップがかかったにもかかわらず、暴走して捜査を進めた結果、ここへ左遷させられた。
なんでも、サイバー対策課にいる義手の男が関係しているらしい。
「普通、上層部にたてついて出世コースから外れると閑職で終わるわよ」
「閑職なぁ…特命係みたいな?」
「そんなドラマみたいな係があるわけないでしょう」
これまでバッサリと両断され、ため息をついた徹は再びヘルメットをかぶる。
香苗はそんな徹の姿を見ながら、Ipadで強化服と徹のコンディションをチェックする。
(それにしても、いったいこのアーマーに搭載されたこのシステムは何かしら?それに、このアーマーの現状の適合者は彼だけというのも気になるわね)
テロリストや暴力団などの武装した犯罪者集団に迅速に対応するため、警察では警官用の強化服が配備されている。
初期制式量産型がP01で、大型バッテリーを搭載している都合上、装備できる警官に限りがあったものの、第3世代のP03になって小型バッテリーが搭載されたことでようやくほとんどの警官に装備できるものとなった。
ただし、自衛隊の存在と警官の武装の是非に関して大きな議論の的となり、現在は法律で認められた特定の坑道に対してのみ、強化服の装着が許される形となっている。
現在、徹が装備しているものはP03DXで、基本的な構造はP03よりも装甲や動力を強化したものになっている程度だ。
彼女は元々、警官用の強化服の開発にかかわっていたため、それについて知り尽くしているつもりだ。
だが、どうしても分からないのが搭載されているシステム、『DXシステム』だ。
上層部からの命令で、P03DXに搭載することになり、従来のAIよりもより反応速度や追従性が高まっていることについては文句はない。
しかし、彼女にはどうしてもこのシステムに別の『何か』を感じずにはいられなかった。
(Destroy X…。Xはおそらく、最近霧山城市を中心に発生している怪物のこと。それと関係しているというの?)
何かに憑依された人間がその怪物に変化するということは分かっているものの、これまでそれを対処する術がなく、マスコミには伝わっていないものの、武装警官や自衛隊によって始末されることが多かった。
だが、最近噂になっているのがその怪物と戦うデュエリストの存在だ。
そのデュエリストにデュエルで倒された怪物が人間の姿に戻るという。
だが、その人物のほとんどが怪物となっている間の記憶がなく、現状の法律では当然、怪物となった人物の犯行をさばくのが難しい状態だ。
できるとしたら、警察自らがデュエルをしてその人物の怪物化を解除し、現行犯逮捕することだろう。
しかし、それを可能にするには実体化するデュエルダメージから身を護る強化服と怪物に変えた何かを追い出す力が必要だ。
その力がこのシステムにはあるのかもしれない。
だが、自分が作った強化服を上層部からの命令があったとはいえ勝手にいじくられることが我慢できない香苗はこっそりそのシステムの解析を行ったが、いまだにその謎を明らかにすることができていない。
「おーい、小沢さん!もういいっすか!?そろそろ休憩時間っすよ!」
今日の休憩時間の間に自分が警官になるきっかけとなったとある刑事ドラマの再放送があり、家で録画予約ができなかったため、早くこの重苦しい装備を外し、部屋に戻ってそれを見て過ごしたいと考えていた。
この強化服の着脱には時間がかかり、急いで外さないと放送開始時間に遅れてしまう。
「ふぅ…分かったわ。すぐに外すから、こっちへ来て」
「はぁ…急いでくださいね!」
基本的にP03DXの着脱は本人では行いづらく、外部の人物の手を借りなければ迅速な着脱が難しい。
一応、緊急事態に備えて装着者側の命令で強制排除が行えるようになっているが、それをしたら修復とオーバーホールで1カ月以上使えなくなってしまう。
小沢がIpadとP04DXを接続し、コードを入力した後で両腕、胴体、両足の順番に外していき、最後は徹自らヘルメットを外した。
ようやく重苦しい強化服から解放された徹は大急ぎで部屋を出ていった。
「まったく、片づけくらい手伝いなさいよ…」
放置されたままの装備を大型のアタッシュケースに入れていき、最後のバッテリー残量をチェックする。
(訓練中の動作と経過時間、バッテリーの消耗…。稼働時間は34時間といったところね)
P03の稼働時間が60時間以上であることを考えると、その半分しか稼働できないことには不満があるものの、それに見合う以上のメリットがそのDXシステムにあるのだろう。
もし、実戦でそのシステムのメリットが目に見える形で立証されなかったら上層部の連中を次の強化服の実験台にリミッター無しの状態でやらせてやる。
そう心に誓っていると、胸ポケットに入れていた携帯が鳴り始める。
「あら…もしもし悠人?ええ、もうすぐ帰るわ。それで?今日の晩御飯は何にしようかしら?」
これまでのポーカーフェイスから打って変わり、笑みを見せる香苗は電話に出た子供と嬉しそうに会話を続けた。