ヘラクレス。
凡そ一般的な教養を持つ者なら、誰しもが一度は聞いた事のある名前だ。
ギリシャ神話における大英雄、英雄の中の英雄。
知名度ならペルセウスやアキレウスも負けていないが、殊に実力となれば真っ先に名前の挙がるのが彼だ。
それ程までに、彼と他の英雄達は隔絶した実力差を持つ。
主神ゼウスとミケナイ王家のアルクメネ姫の間に生まれた半神半人であり、幼名をアルケイデスと言う。
英雄の師匠として名高い賢者ケイローンとヘカテーのシビュレを始め、数々の英雄やそれに匹敵する専門家を師匠とし、多くの技と知識を持った彼は万夫不当の大英雄として若くして名を馳せた。
しかし、彼の本当の人生はその絶頂期から叩き落されてから始まる。
彼を出生する前から憎んでいた女神達の女王であるヘラによって狂気を吹き込まれ、自身の妻と三人の子、更に自身の甥っ子に当たるイピクレスの子を暖炉に投げ込んで殺してしまった。
その償いとして、彼はデルポイのアポロンの神殿に赴き、「ミケナイ王エウリュステウスに仕え、十の難行を果たせ」という神託を受け、巫女よりヘラの栄光を意味する「ヘラクレス」の名を与えられ、今日まで知られる名を得た。
こうして始まった難行に対し、しかし女神ヘラを筆頭に多くの者に妨害を受けた上、他にも数々の冒険に同時進行で参加すると言う他に類を見ない難易度ルナティック処じゃねぇぞと言う目に遭いながらもその全てを武勇と知恵と体力、時に仲間や師匠の助けを借りて潜り抜けたのがヘラクレスと言う男だった。
つまり何が言いたいのかと言うと、こんな奴を敵に回す等、無謀を彼方へと置いて自殺志願でしかないと言う事だ。
……………
突撃するヘラクレスの一撃を最初に迎撃したのは、三騎の中で最も筋力に優れるセイバーだった。
正面から突撃し、振り下ろしてきた斧剣の一撃を、彼女は横薙ぎの斬撃で真っ向から迎撃した。
そして、当然と言うべきか、一瞬の均衡の後に、まるでピンポン玉の様に弾き飛ばされた。
彼我のステータスと戦士としての力量差もあるが、何よりの理由はセイバーが自ら跳んだからだ。
(下がらなければやられていたッ!)
未来予知の領域に当たるAランクの直感スキル。
もしあのまま戦っていたら、彼女は数合の後に殺されていた。
だが、今はまだ一瞬生き永らえただけに過ぎない。
跳んだセイバーをそれ以上の速度で追撃して止めを刺そうとするヘラクレスに、瞬時に得意な距離を取ったアーチャーの矢の援護が降り注ぐ。
その全てがヘラクレスをして見事と言わしめる程の命中精度であり、そのまま直進すれば確実に全身に命中し、避ければ後ろの主に危害が及ぶかもしれない。
故にヘラクレスはその全ての矢を迎撃した。
17の矢を叩き、斬り捨て、受け流し、最後の1矢はアーチャー目掛け打ち返す。
その出鱈目な反撃に驚愕しつつも、カウンタースナイプ等は戦場ではそう珍しくない。
アーチャーは迷いなく追加の矢で以て反撃の1矢を迎撃し、更に追加をお見舞いする。
追加された射撃へと対処する間隙、左右から復帰したセイバーとセイバーの負傷を治療したランサーがヘラクレスへと仕掛ける。
既に敵がこちらの想像を遥かに上回る怪物である事は分かった。
であれば、何としても此処で討ち果たす。
決意を固め、セイバーが魔力放出で加速し、ヘラクレスの右側から不可視の剣で仕掛ける。
ランサーは激しく帰りたいと思いつつルーン魔術を発動、一時的なステータス向上により更に強化された敏捷性を活かし、生前の弟子の一人へと切り掛かる。
「成程。我が師は当然として、他二騎も見事だ。」
だが、大英雄は崩れない。
元々ランサーの槍はB、セイバーの風王結界もCランク宝具だ。
それではヘラクレスが唯一持ってきた宝具である「十二の試練」の防御を破る事は出来ない。
そして、それ以上にこの大英雄へと刃を当てる事が出来ないでいるという事実。
「ッ、ハァァァァァァァ!!」
戦況を変えようとセイバーが咆哮と共に、ヘラクレスの斧剣の間合いのより内側、武器の振り辛い肉弾戦の距離へと入り、下からの切り上げでその胸元を狙う。
二人の倍近い体格差もあり、それは一見有効そうな手に見えた。
「甘い。」
「ガハ……ッ!?」
だがしかし、この大英雄の最大の武器は鋼よりも遥かに鍛え上げられた己の肉体なのだ。
セイバーの選択を失策と言うかの様に、大英雄はあっさりと己の唯一の得物を手放し、身軽になった瞬間にセイバーへと蹴りを叩き込み吹き飛ばす。
まさか己の風の刃を素手で防ぎ、剰えカウンターで意表を突かれ、肺の中の空気を無理矢理追い出されたセイバーは、ほんの刹那とは言え行動不能に陥る。
続く振り下ろしの拳で、間違いなく彼女は脱落するだろう。
「私を忘れてませんか?」
「無論、覚えているとも。」
セイバーへと意識を割けば、その間隙を突く様にランサーの死の刃が突き入れられる。
もし一対一となれば確実に敗れる。
それを心底分かっているが故に、彼女は決してセイバーを見捨てない、見捨てられない。
故にこそカバーに入るその瞬間、意表を突く形でヘラクレスはその拳の矛先を死の槍へと向ける。
「オオオオオオオオオオオオオッ!!」
ラッシュラッシュラッシュ!
槍と言う長柄の武器の内側へとその巨体で素早く入り込み、有無を言わさぬ連打を加える。
その一打一打が超音速のソレ、戦艦の主砲が如き威力を持つ。
だが、ランサーもまた長きを生きる女神にして英雄である。
「伊達に長生きはしていません。」
彼女もまた槍を捨て、己が身体のみで砲弾の嵐へと身を晒す。
余波だけでも挽肉必至のその拳の雨に、しかし彼女は動じない。
ルーン魔術による風除けの加護で余波に対処しつつ、拳そのものへの対処は簡単なものだった。
逸らし、躱す。
ただそれだけを繰り返す。
ギリシャ神話、否、下手すると宇宙最大の剛力無双の大英雄を相手に、あのヘラクレスの拳の雨と言う瀑布が如き激流を前にして、積み重ね続けた鍛錬による護身で以て相対する。
「ぬぅん!!」
連打が効かぬなら一撃で。
そんな意思を拳に込め、地を這う程の低軌道からのアッパーがランサー目掛け放たれる。
風除けの加護故に辛うじて風圧で吹き飛ばされないものの、その威力たるや既に対軍宝具の領域にある。
「隙アリです。」
だが、そんな見え見えの拳が当たる訳もなく、況してや利用されない訳が無い。
「がッ!?」
一体如何なる技巧か魔技か、ヘラクレスのアッパーはランサーの繊手によって撫で上げられる様に軌道を変えられ、そのまま彼の顎へと突き刺さった。
次いで、師の足刀の切っ先が己の足の間に向けて放たれたのを経験則的に察知したヘラクレスはちゃっかり斧剣を回収しつつ、瞬時にその場を飛び退って距離を取った。
例え宝具で大丈夫だとは言っても、男の本能として嫌だったのだ。
「流石にソレは無しにしてほしいのだが…。」
「貴方相手に手加減出来る程強くは無いのですよ。」
冷や汗を拭いつつの抗議に、ランサーはごっそりと肉の削げた掌を見せながら言い返す。
如何に彼女でも戦艦の主砲並のヘラクレスの連打を凌ぐには身を削るしかなかった。
手を当て、僅かに押して軌道を変えるだけで、彼女の掌の肉は何の抵抗もなく擦り減り、骨すら見えていた。
「にしても、腕を上げましたね、アルケイデス。」
手の傷を治療しながら、弟子の努力をランサーは褒める。
本当に此処まで強くならなくてよかったんだよ?(白目)と思いながら。
「貴方と別れた後も鍛錬は欠かさなかった。」
嘗て最後の戦いを共にした師であり戦友に向け、ヘラクレスは胸を張る。
嘗ては与えられるばかりで、最後の最後も結局この師から与えられて生き永らえたヘラクレスにとって、彼女はもう一人の師匠と共に決して頭の上がらない、尊敬の念の絶えない数少ない人物だった。
「とは言え、貴女相手にやはり手加減は出来ん。悪いがそろそろ獲らせてもらおう。」
「私としてはもう少しのんびり現世観光をしたいのですが…。」
最初を除けば、此処に来てずっと無構えで片手持ちだったヘラクレスが両手に剣を構えた。
それだけで、その場にいた者達の全身が総毛立つ。
魔力を用いなくとも分かる、アレはあの大英雄の奥の手だと。
復帰していたセイバーも、遠間から事態を見守るアーチャーも、固唾を飲みつつ自身も何時でも宝具を解放できるように魔力を巡らせる。
それをするだけの脅威を、あの構え一つに感じていたのだ。
「射殺す百頭」。
あらゆる武器で以て放たれる、ヘラクレス独自の流派の構えだった。
「では行くぞ。是非凌いでほしい。」
「年寄りに無茶苦茶言いますね、本当に。」
それに対し、ランサーは姿勢をまるでクラウチングスタートによく似た独特なものへと変える。
影の国にて、友人である女性からランサーが習ったソレはあの光の御子クー・フーリンも得意とする鮭跳びの術の前段階だ。
「『射殺す』…」
「『捩じ穿つ』…」
神速の領域の踏み込みと飛翔にすら見える跳躍はほぼ同時。
「『百頭』ッ!!」
「『死翔の棘』ッ!!」
対軍投擲と対城にも匹敵する超高速九連撃。
その衝突に、周囲を閃光と轟音が包み込んだ。
ヘラクレス(狂)のステータス(理性無し→有り)
筋力A+→A 耐久A+→A 敏捷A→B 魔力A→A 幸運B→A 宝具A
狂化C→D
宝具 十二の試練
宝具相当 射殺す百頭 多重次元斬撃(多重存在斬撃と事象崩壊斬撃の二種)
なお、威力だけなら単に全力でぶん殴るか斬った方が高い模様