射手の青年、鳥の娘   作:はたけのなすび

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感想、評価下さった方、ありがとうございました。

別作品というか、トロイア戦争のカッサンドラネタで新作を書いていて遅れました。
今回はセイバーの過去話です。
では。


Act-in the past

 

 

 

 

攻撃の手を止めて、一瞬だけ汗を拭うために立ち止まると砂の混じったざらついた風が顔に吹き付けた。風を吸い込んだ途端、喉に切り裂かれたような痛みが走る。口を押さえて咳をすると、濁った血が掌に溢れた。

 

「……」

 

口元を手で拭い、血は服でふき取る。

並の人間よりよほど頑丈な身体の自分でこれなのだから、確かに他の人間が持て余すのも無理ないとは思う。

 

「帰ってくれないか。山の方に」

 

身の丈もある大剣を正眼に構えて呟く。

剣の切っ先は目の前に立ちはだかる小山のような竜に向けられていた。

黒い鱗に覆われた蛇のような体。ちろちろと火種を宿す耳まで裂けた巨大な口。息をする度大気には吐き出された毒が混ざり、徐々に周囲を汚染し続けている。

禍々しい毒の竜と相対するのは、それと比べればあまりに小柄な少女だった。

砂埃でくすみ、竜の火で焦げた装束に罅の入った鎧。毒は肺を焼き、一つ息をするたびに臓腑に痛みを走らせる。体が頑丈でなければ、とっくのとうに死んでいただろう。

 

「なぁ、名も知らない竜。ここで帰ってくれないか?アンタが進んだら村が潰されるし人が死ぬ。道も使えなくなるんだ。そうしたらまた昔の敵国がこの国を嫌ってしまうだろ」

 

勝手だけど私はそれが嫌なんだよ、と少女は言った。

 

「せっかくさ、この国に平和ってのが実現しかかってるんだ。それがどんなに素晴らしいものかは、よく分からないんだけどさ。でもそのために沢山の人が命を捨てたんだ」

 

だったらそれは守らなくちゃいけないんだよ、と少女は囁き、大口を開けて迫り来る竜の頭の上に飛び乗った。

竜の大木の如き首の上を、兎のような素早さで走り、少女は竜の首根っこに剣を深々と突き立てた。

悲鳴を上げて竜はのたうち回り、口から毒の吐息を吐き出す。

 

「あ、やばい」

 

少女の視線が風下へ向けられる。

そこには村があって、少女の視力はそこで動く人間を捉えていた。竜と戦う少女を見て騒いでいる。

このまま竜が毒を吐き続ければ毒は村を殺すだろう。何で早く逃げないんだ、と怒りを覚えるがそんな場合ではなかった。

 

「くそったれ!」

 

叫んで、少女は感情と感覚が示すまま魔力を放出した。

魔力はうねり、風となって毒を吹き散らす。しかし、その制御で気を取られた少女は足を滑らせて大地へと叩き付けられた。

 

「――――ッ!」

 

鞠のように跳ねた少女は、ごろごろと大地を転がって踏み潰そうとしてくる竜の足を避けた。

後退し、少女はまた血反吐を吐いた。

 

―――――割に合わないどころの話じゃない。何だって見も知らない村人のために、自分は死にかけているんだろう。

 

とはいえここまでやってしまったら、竜はもう少女を見逃してなんてくれないだろう。

最悪なことに、少女は剣で穿った首の穴が竜の咆哮でみるみる塞がって行くのを見た。

どうやらこの竜は、大気の魔力を吸うことによる再生能力すら備えていたらしい。これでは殺せないと舌打ちを一つした。

一撃で消し飛ばすか、頭を完全に落とすかしない限り、コイツは死なないのだ。持久戦ではこちらが圧倒的に不利だ。

 

「一撃か……」

 

今はもう、遠い昔のことのようにも感じてしまう光景を思い出した。

あんな風に大地を穿つ威力の攻撃が今の自分にも撃てれば、きっとこの竜も仕留められるだろう。しかし、今の自分にはあの一撃の真似事ができるような弓の技量も、神の加護が籠められた神弓もない。持っているのは我流の剣術と、あとは――――。

 

「あ」

 

まだ、自分の持っている手札を思い出した。

少女の懐には大切にしまってある四枚の羽根がある。霊鳥の親が最後の別れ際にくれた、世界にかけがえのない宝物だ。

もしお前が苦境にあってそこから逃れたいと思ったならば、この羽を使って世界の裏側を訪れればいいと、母鳥は羽をくれた。

それを使うための呪言もあったはずだ。

羽を上手く仕えたのなら、この竜を何とかできるかもしれないと、少女は呪言を思い出そうと顔をしかめた。

その瞬間を見計らったのか竜の尾が地面を揺らし、前脚が巨人の戦鎚のように少女を叩きつぶすために振り下ろされる。

軽く跳んでそれを避け、少女は懐に手を突っ込んだ。

本当は使いたくなかった。人間として生きると決めたのだから、幻獣とのつながりを思い出させるものは、優しい思い出の(よすが)としてただ大切にしまっておくだけにしておきたかったのだ。

しかし今はもうそんなことは言っていられない。

このままにしていては、毒で大地が死ぬか村が死ぬか、それとも自分が殺されるかで終わってしまう。

頭を巡らせて地上一帯に毒と炎の混じった吐息を吹きかけてこようとする竜を避けるため、円を描いて疾駆しながら少女は懐に手を突っ込んだ。

掴みだしたのは、茶色と白と灰色の艶やかな一枚の羽根だった。頭の底にこびりついた呪言を、少女は舌の上に載せる。

 

「――――我、この地において希う。最も速く、猛き翼を持つものよ、この世において今一度どうか我を導きたまえ」

 

呪言を唱えながら、少女は羽を手の中に収めたまま、剣の柄を握った。唱え終わった瞬間に、羽は眩い光を放つと溶けるようにして消え失せる。引き換えのように、漆黒だったはずの刀身が銀の月そのものの輝きを放ち始めた。

どうやってこれを使うのだろう、と少女は眉を顰めるが、すぐに答えを見つけたように空を見上げた。

 

「そっか、これで空を斬ればいいんだね。母さん」

 

毒で全身あちこちが痺れている。目もそろそろ霞んできて、いい加減にしないと体が持たない。なら一撃ですべてを決めればいい、と少女は笑った。

呟いて、少女は剣を低く持ち腰を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのとき、鼠のように小さく忌々しい人間が何か仕掛けてくると竜もまた判断していた。

竜とて苛立ちは限界だった。

進もうとする道に立ち塞がり、道を変えてくれと叫んで来た小さな生物は今目の前にいる。何故弱い生き物の言うことを聞かねばならないのだと、竜は一向気にせずヒトの集落諸共、その個体を潰そうとした。

しかし、結果はこれだ。

棘のような剣で傷付けられ、毒の吐息でも相手の動きを遅くするだけでなかなか潰せない。そもそも遥か昔ならいざ知らずただの人間風情ならば、竜の鱗を貫くような力は持ち合わせていないはずなのだ。

初手で加減なぞせずに全力で立ち向かえばこうはならなかっただろう。それが己でも分かっているだけに、竜は尚更苛立ちが募った。

だが、いい加減鼠も万策尽きていた。動きに最初に会ったほどの勢いはない。先ほど首を刺した一撃もそうだ。

毒を何発も食らい力が落ちる前の状態の人間だったなら、あの一撃を致命傷にできただろうが、力が足りずに竜の首は切り落とされなかった。

だが、人間の構えが再び変わる。あからさまに体を低く構えた、突進の型である。

先ほど、あの人間が何か特殊な魔力を纏ったようにも感じ取れた。その魔力の質からして、何か神秘の獣の加護の類なり何なりを発動させたのだろうと、竜は判断した。

しかし、人間の体に付いた傷は癒えていない。竜の爪の掠めた足からは肉がえぐれて血が流れ、地に赤い線を引いている。それでも人間の目は諦めていなかった。

その目の輝きが、竜には分からない。この生き物とあの村とは何の縁もないはずだ。見ず知らずの弱い者を敢えて守るために、身を削るのは愚か者のすることだ。

何より強いことをこそ誇りに生きていた獣は、それ故にこの生き物の思考回路は全く以て理解できなかった。

にぃ、と半月型に人間の口が曲げられる。本能しかない下等な獣のようなその笑いと澄んだ目の輝きのちぐはぐさに訳の分からぬ腹立たしさを感じ、竜は咆哮した。

その不可解さに耐え切れぬと、竜は骨すら溶かす毒の吐息と炎を一度に吐き、同時に爪を振るう。大地を割り、生み出した地割れに忌々しい人間を叩き落そうと尾で大地を薙ぎ払った。

 

―――――遅いんだよ。

 

だが、冷たい囁きが竜の耳のすぐ横で聞こえる。竜の片目は、そこであの人間が剣を振りかぶっている姿を捉えた。

 

―――――馬鹿な!

 

その動きはあまりに速すぎた。それまで竜が見てきた動きとは段違いに、あり得ないほどに速かった。

竜が頭を巡らす前に、その視界を銀の閃光が満たした。

同時に、竜は抗えないほどの力で自分が引きずられていくのを感じた。踏みしめていた大地から引きはがされ、綱で引きずり上げられるようにして竜は己の体が宙に浮くのを感じた。

 

――――あり得ぬ!あり得ない、何故己がこのような所で!

 

竜は咆哮した。山をも突き崩すようなその声も、最早世界を震わすことは無く、虚しく反響して消えて行くのを竜は感じ取った。

認められないと、竜はもがいた。ただ己は己の望むように生きていただけなのに、あのような訳の分からない生き物に邪魔されるなど有り得なかった。

もがきにもがくと、ほんのわずかだけ頭が自由に動いた。このままならあるいは、と竜の思う。

 

―――――させないから、そんなことは。

 

だが竜の視界がぶれる。下顎に強烈な衝撃が走り、脳を揺らされた竜は大きく仰け反った。

体勢が崩れたとたんに、引きずり上げる力がより強固に竜を捉える。

このとき、この光景を第三者が見ていたのなら、竜の姿が頭から順に宙に空いた黒い裂け目へと吸い込まれ、その巨体が徐々にこの世から引き剥がされて消えて行く光景を目にしたことだろう。だがこの場には、それを見届ける人間は誰一人存在していなかった。

ただただ己の心の赴くまま進み続け、毒の吐息で地を脅かした太古の竜は、そうしてこの地より姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――また死ななかったなぁ」

 

()()()()()()()大地の上、手足を投げ出して倒れながら、少女は呟いた。

目の前には竜が叩き割った大地と、毒で焼けただれた草木の残骸だけが燻っている。暴虐の化身だった生き物は、その場から消えていた。

より正確に言うと竜は消えたのではなかった。少女が消したのだ。

大地に寝転がる少女のすぐ側には、半ばで刀身が、ぽっきりと折れた剣が転がっている。もう二度と使えないだろう。山に落ちていたのを拾って以来、随分長い間使っていた剣だから、少し惜しい気もしたが仕方なかった。むしろ、あの一撃を耐えきれたことに感謝すべきだった。

結局、少女は竜を殺せなかった。殺すことができなかった。

だから、強制的に幻獣の住まう世界の裏側への道を作って、そこに竜を叩き落した。無論、普通なら次元を斬るなどという荒業は使えない。使えないが、今回はそのための宝物があった。

少女は母鳥たちが自分が裏側に行きたくなった時に行けるようにとくれた翼を、触媒に使ったのだ。

辛くなったら、寂しくなったら、母たちのところに帰ってきていいと母は言っていた。その心を自分は見事に踏みにじって、あんなデカブツを送ってしまったことになる。そう考えるとさらに頭が痛かった。ついでに言うと、暴れる竜の下顎を最後に渾身の力で殴り飛ばしたから右手が完全にいかれた。

したくてしたかった訳ではないし、ああする以外どうしようもなかった。それでもやってしまったと思うが、自分には謝ることができない。

 

「親不孝でごめんよ、母さん」

 

毒に晒されたせいで老婆のように嗄れてしまった声で、抜けるような青空に手を伸ばして呟いた。

その動作をしただけで、腕が疲れてぱたりと地上に落ちる。

正直、もう指一本たりとも動かしたくなかった。骨は数本やられているし、体中が一部の隙もなく痛みを訴えている。何も考えずに、ただ泥のように眠ってしまいたかった。だが、体の血も随分失ってしまったから下手に眠ると死ぬだろう。

眩暈がするほどに面倒だが、血止めも手当ても自分でしなければならない。これまでの旅と同じように、手伝ってくれるものはいないのだから。

今度もまた、自分の意志で暴れた。

村が潰されるのに耐えられなかったというのも自分の本心ではある。しかし竜に挑んだのはそれだけではなかった。

自分は、自分の力を何かにぶつけたくて、試したくて仕方がないのだ。

幼かったころ、自分の力がなかったばかりに、一番死んでほしくない兄に死なれた。

そのときの虚ろさは力を求める渇きになって、こうして自分を訳の分からない戦いへと駆り立て続けている。何を倒したところで、何に挑んだところで、どうせ何一つ帰って来はしないのだから、この想いを持つことそれ自体が間違いなのだと気付いてはいる。

それでも、治そうという気は不思議と起こらないのだ。己の好きなように前進して、最後はこうやって自分のような半端ものに世界の裏側へと飛ばされたあの古竜とどこが違うというのだろう。

こんな風に自分一人の理屈にだけ従って好き勝手に暴れていたら、いつかは死んでしまうのだろう。どこかの荒野や裏路地で、たった一人で誰かに看取られることも惜しまれることもなく、水の泡が弾けるように呆気なく、この世に生きた証を何も残せずに。

根無し草の人生の終わりなんて、そんなものだ。

いつかそうやって人生が終わるなら、今日この時終わったって何一つ変わりはしないんじゃないかと、ふとそんなことを思う。

それならそれで案外良いのかもしれないと、瞼を閉じる。そうすると、たちまち闇のような眠気が襲って来て、意識がたちまちのうちに遠のいた。

 

「――――い―――――おい!アンタ!」

 

だが、直前でそんな声と共に体を揺さぶられる。

 

「アンタ!おい!目を閉じるな!死ぬぞ!」

 

瞼を無理やりに押し開けると、ぼんやりとした顔が目に入った。

 

「……死なないよ」

 

軋む体を動かして半身を起こす。それと同時に、日に焼け棒切れのような手足をした少年の姿が目に入った。歳は自分よりは少し下だろう。

少年は辺りを見回してから、こちらを見てきた。

 

「……なあ、あのデカいのはどこ行ったんだ?」

「さあね……でももう来ないよ。消したからね」

「消したって……。アンタ、あれと戦ってた奴だろ?」

「……まあね」

 

見れば少年の傍には粗末な槍が転がっていた。

それで少年が何をするつもりだったのか、聞くつもりはなかった。立ち上がろうとすると体がふらつき、そこを少年に支えられる形になった。

それでようやく血に染まった服に気付いたのか、少年は目を剥いた。

 

「ひっどい怪我じゃないか!早く手当てしないと!」

「……分かってるさ。いいよ、自分でやるから。放っておいてくれ」

「馬鹿だろ。こんな怪我した奴、ほっとけるもんか!」

 

ほら行くぞ、と少年に肩を貸されながら、のろのろと歩き出した。

目を凝らすと、人が数人村から走りだしてくるのが見えた。ぼろぼろの自分の姿を見て、何事か叫んでいるようだ。

 

「あそこが村だよ。医者だっているんだから、もうちょっと頑張れよ!」

「―――――ああ」

「おい、だから目を閉じるなって!死ぬなって言ってるだろ!」

 

怪我にひどく響くのだから、少年には叫ばないでほしかった。

 

それでもまあ、こうやて引き留めてくれる誰かの声を聴きとれるうちは、まだもう少し死ぬのは早いか、と少女は力ない笑みを浮かべる。そうして彼女は、人々の環に巻き込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 





やさぐれていた頃のセイバーの竜退治の一幕です。 
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