では。
何かの役に立ちそうだから持っていて、と気軽に渡された奇跡の羽が一枚あった。
大きさは手のひらからはみ出すほど。形は少し孔雀のものに似ている。色は嵐の空のような灰色と新雪のような白で、手触りは絹より滑らか。
見た目に反した重みを感じたし、込められた神秘も膨大だった。
それも当然である。あれは霊鳥スィームルグの翼だったのだから。
スィームルグはペルシアの創世神話にも登場する聖なる鳥。翼には癒やしの力があり、山に捨てられた英雄の子を育て次代の英雄とし、彼が長じた後も様々な場面で助けに現れたという。
その羽を持つ者となれば、普通はその高名な英雄の方を思い浮かべるだろう。
しかし、今回喚ばれた英霊は、始まりの境遇は同じでも全く違う道を辿った人間だった。
「英雄や将軍と言うよりあのセイバーは狩人だしな。自分の良心に従うし本人も悪人じゃあないが、嫌だと思えば王でも何でも関係なく逆らう。つまり根っこの部分は、我儘で気ままな奴だ」
とは、セイバー個人を知るアーチャーの弁だった。
そう語るアーチャーは、エルザの前で時折見せる何もかもを見透かしたような顔ではなく、心底楽しそうな外見年齢相応の青年の顔をしていた。
あなたにとってはそれが嬉しいのね、とエルザが言うと、アーチャーは頷いた。
「まぁな。マスター共々気ままに振る舞う奴だが……間違ったことには手を出さない。悪事に関する云々ってのは、あのセイバーの頭にはない。あいつがそういう人間になれてたってのは、嬉しいさ。放り出しちまったとは言え、兄貴分だからな、俺は」
改めてエルザは思った。
あのセイバーは、アーチャーがアーラシュ・カマンガーとして護ったものの象徴の一つなのだ。
アーラシュは生命を賭して平和な世を築いた英雄だ。
自分が去った後の、平和な世に生きるであろう多くの人々のことを彼は夢に見、それらを思い描いて五体を散らした。
アーラシュの死ぬとき、まだ幼い無垢な子どもだったというセイバーは、正に彼らが作り上げた世を生きて大人になり、ああいう英霊に至った。
きっと、懐かしい夢の欠片が現れたようなものだろう。それも、ただ見るだけの夢と違って生きて動いて立ち歩くのだ。嬉しくないわけがない。
本来なら、殺し合うべき状況で再会したわけだが、今回はそれもない。だからこそ後腐れなく、彼らは喜びの感情を露わにしていた。
自分の子が育って目の前に成長して現れていたなら、そう思ったのだろうかとエルザは束の間考え、やめた。
夜空に翻る白い影が二つ、ふと目に入ったからだ。
今、目が冴えていたエルザは屋上にいて、夜の東京を見つめていた。アーチャーも同じく実体化して、鉄柵に背中を預けて寄り掛かっている。
二人がいる屋上に着地してきたのは、二人の少女。
白髪の少女に姫抱きにされていた小柄な少女は、地面に降り立つと親しげに片手を上げた。
「こんばんは、エルザにアーチャー」
隣のセイバーも軽く頭を下げ、癖のない白髪がさらさら揺れた。
アーチャーはあくまで気さくに、片目を瞑ったままセイバーに向けて片手を上げた。
「よ。またマスターを抱えて東奔西走か?」
「……そうなったのは、あなたたちのせいなんだが。私の宝具を、伊勢三の子どもにやっただろう?」
やや不服そうな顔でセイバーは腕組みをした。
愛歌に渡されたセイバーの宝具を、エルザは確かに今は持っていなかった。
奥多摩の伊勢三の本陣に赴いたときに見た一人の子どもに、やってしまったからだ。
その子どもは弱く、今にも死にかけていた。しかし彼は様々な機械に繋がれ、無理に魔力タンクとして生かされていたのだ。
彼を見た瞬間、エルザは一瞬自分が何をしにここに来たのか忘れてしまっていた。
助けられないのか、と反射的に願い……気付いたら借りていたはずの宝具は、魔力の粒子になって子どもに溶け込んでしまっていたのだ。
エルザも驚いたが、光を取り込んだ途端、子どもの呼吸が目に見えて安らかになった。
だから取り戻す気には到底なれず、そのままにしてしまった。そのことを、時期を逃して言いそびれていたのだ。
「あー、そうか。お前さんたち宝具の反応を頼りに動いて、奥多摩の方まで行く羽目になったんだな。ま、勘弁しろよ」
事情を見通したらしいアーチャーが言うと、セイバーは組んでいた腕を解いた。
彼女も本心で怒っていたわけでは無かったようだ。
「何があったかは見たら分かるよ。あれは空気を読んでくれる宝具だし、元々私のものでもない。幻獣の体の一部なんだから、多分勝手にやったんだろう。あの子から取り上げたりしないさ」
「いいの?あなたのなのに……」
「良いって。持ってたって壊すだけしかできない私より、あの子の方がよほど良い持ち主さ」
「ええ。わたしたちは怒ってないわ。全くね。せいぜい無駄足を踏んだことを、ファラオに大笑いされてしまっただけだもの」
どうやら持ち主本人より、その主の方が面白くないらしい。
つんとしたまま愛歌は続けた。
「それに、ファラオもお友達の聖人みたいなあの子がお気に入りのようだし、滅多なことにはならないでしょう」
「……それは、良かったわ。ところでセイバーとそのマスター。あなたたちは何しに来たの?」
エルザが言うと、柵に背中をもたせかけていたアーチャーは体を離して静かにセイバーを見た。
けろりと、セイバーは何でもないように言った。
「アーチャーと、果し合いがしたくて」
「そうか。やっぱりな」
アーチャーとセイバーの周りを魔力の金色の光が取り巻く。それが晴れると、二人は共に鎧を換装していた。
アーチャーは弓を顕現させたまま、やや目尻を下げてエルザの方を見た。
「悪いな、エルザ。こいつ、何を言っても聞きそうにない。……ま、殺し殺されにはならないだろうけどな、恐らく」
逆に言えば果し合いは避けられないらしい。
戸惑うエルザの横に、転移して愛歌は現れた。
「突然だけど、最後だからちょっとアーチャーを貸してちょうだい。まさかここに来て、サーヴァントを器に捧げるような馬鹿はしないから」
くす、と愛歌は微笑みながら、首を少しだけ横に傾げた。
「セイバーはね、王様に邪魔されてしまった続きがしたいのよ。わたしもそれがどうなるか気になる。ね、いいでしょう?」
どうやらこのマスターには、詳しく説明する気が最初から無いようだった。
その従者も背中の剣に手をかけて笑っている。あいつは気ままなやつだ、というアーチャーの言葉がエルザには思い出された。
「……分かったわ。でも、令呪の強化も宝具の使用もなしで良いかしら」
「うん。それで良いよ。ありがとう、エルザ。令呪なんて昔は無かったものだしね。妙な強化はいらないや。何より、もったいないし」
屈託なくセイバーは頷き、愛歌の方をちらりと見た。
彼女は微笑むと、くるりと指先を回す。
次の瞬間、気付けば彼らは山の中に立っていた。
音もにおいも感じるすべてが変化していた。今更驚くのも馬鹿らしくなるほど、見事な転移だった。
「都心から適当に遠くて、人はいないところよ。ライダーやランサーは気にしないで良いし、キャスターの遠見も届かないわ」
得意げにも見える愛歌にアーチャーは苦笑しながら、得物である紅い大弓と数本の矢を手の中に顕現させた。
セイバーも応じるように、大剣を鞘から抜いた。
「上等だ。助かるぜ、
「そうだね、アーチャー」
紅い弓と黒い剣が、月光を浴びて光った―――――と思う間もなく、サーヴァントたちはその場から消えていた。
いや、消えたのではなく、単に彼らは純粋な脚力で跳び上がっただけだ。その速度が見えなかったのだ。
数秒後には見えないほど離れた所で轟音が轟いて、吹いてきた風がエルザの赤い髪と愛歌の透き通った色の髪を揺らした。
「……とんでも無いわね。やっぱり」
「二人とも、成りはあれでも英霊だもの。まさに、人の形をした天災ね」
きみにだけは言われたくない、とセイバー辺りが文句を言いそうなことを、愛歌は笑顔で言ってのけた。
「わたしたちはちょっと離れて観戦しましょう。もちろん、セイバーが勝つと思うけど」
続けてそんなことを言い出すものだから、エルザもつい口を開いた。
「勝つのはアーチャーよ。ペルシアの大英雄だもの」
「そんなことないわ。だってセイバーは第一位だもの。負けないわ」
むきになったように愛歌が言い募り、また遠くで木が大きな音を立てて倒れる音が木霊していた。
#####
―――――やっぱり、とんでもなく強いなぁ。
木々の間を跳び抜けながら、セイバーはそう思った。
髪や手足の一部を矢が掠めながら飛んで行く。外れた矢は木を次々と切り倒していくが、的になっているセイバーの顔に恐怖や焦燥は全くなかった。
小さな口は三日月のように吊り上がり、黒い瞳は明るく輝いている。
恐らく殺し合いにはならないとアーチャーは言った。が、一矢一矢が山の表面をすり鉢状に削り取るほどなのだ。細身の少女然とした外見に反して、頑丈なセイバーも霊核を貫かれれば命とりになる。
それでも、剣士のサーヴァントは楽しんでいた。
続きができるのだ。こうやって戦いたかったのだ。ずっとずっと。誰の邪魔は許さない。
彼女とて自分が、大部分の人間と異なった価値観を持っていることも理解しているのだ。
だが、それがどうした。それが何だ。
自分は生きた。霊鳥に、優しい弓兵に、多くの人やモノに出会って生かされた。彼らと別れた後は、自分なりに真っ当に生きた。彼らに顔向けできなくなるようなことは、しなかったと思っている。
自分のような人からの外れ者でも、そういう在り方が許される時代を生きられたのだ。
その嬉しさを、その機会を与えてくれた本人にぶつけるのはどうなのかしら、と主は首を捻っていたが、仕方ない。
他のやり方がどうも思いつかなかったのだ。言葉をいくつも重ねるのは、セイバーは正直な所苦手だ。物を言うより剣を合わせた方が分かりやすい。
木立の向こうのアーチャーの顔は見えないが、笑っているような気がした。
――――でも、このままだとジリ貧だ。それは嫌だ。今度こそ勝ちたい……いや、”勝つ”んだから。
抜いたものの森の中ではすぐに邪魔になった大剣をセイバーは既に背中に収めている。
猿よりも身軽に跳びまわるセイバーは、円を描くような軌道を描きながら徐々にアーチャーの方へと向かっていたが、彼も高速で移動しながら夜の森を駆け抜けているのでなかなか距離が詰めづらかった。
よし、とセイバーは両足に力を籠めた。
筋肉が悲鳴を上げて千切れるのも無視し、魔力を放出する。
セイバーの放出する魔力には、風の特性が自動で付与されるのだ。
彼女の動きが一度止まり、大きく腰を落とした。
瞬間、アーチャーの矢が真正面から唸りを上げて襲い掛かって来る。
眼前まで迫ったそれを、セイバーは躱さなかった。
血管が切れるのも、全身に衝撃が走って骨が軋むのも構わずに、矢を片手で掴む。ばきりと、矢が掌の中でへし折れる。
――――捕まえた。
矢の飛んできた方角を見、セイバーはにやりと笑った。
次の瞬間、いつかのように風の弾丸となってセイバーは自ら飛び出した。
視力が未来を見通せるほどけた外れに高いあのアーチャー相手では、奇襲はろくに役に立たないのだ。正面から力押しで距離を詰めにかかるしかない。
弾けた血管から血が吹きで、赤い糸のように後ろに流れて行く。大剣ではなく、短剣を手にしてセイバーは駆ける。
木々の向こうに、赤い大弓とそれを引き絞っている弓兵を捉えた。
それを見た瞬間、セイバーは短剣を何のためらいもなく投擲した。
魔力を纏わせ、鷹のように宙を切って飛んだ短剣に。アーチャーの意識が一瞬削がれる。
とはいえそれは、瞬き以下の時間だった。矢が放たれる速度が一瞬遅くなっただけである。
だが、アーチャーの視界はもう一つ飛んでくる光を捉えた。
蜂のような唸りを上げてアーチャーの目に突き刺さる角度で飛来したのは、セイバーがつかみ取っていた折れた矢だった。
顔を背けてアーチャーが矢を躱そうとする。
その刹那に。セイバーはアーチャーが佇む木までたどり着いた。
「ッ!」
無言の気合と共に、セイバーはアーチャーの足場である木を大剣で両断した。一太刀で木はめきめきと音を立てて倒れ、地面は抉れて砂埃が舞う。
やむを得ず宙に飛び上がったアーチャーを木を切り倒して地面に立つセイバーは見上、目が細められる。
再びの全力の魔力放出で、セイバーはアーチャーと同じ高さまで飛び上がった。
大剣の横殴りの一撃を、アーチャーは弓で受けた。大弓は軋み、アーチャーは顔をしかめる。
「――――どんな馬鹿力してんだ、お前!」
「耐えられるだろ、兄さんならさァッ!どうせ剣に斬られちゃくれないんだから!」
吼えるように叫び返して、セイバーは大剣を両手で持って押した。呆気ない音がして、アーチャーの弓が彼の手の中で砕け散る。
だが、彼は躊躇いもしなかった。弓を惜しむこともなかった。
空中を落ちながら体を捩じり、アーチャーはセイバーの大剣を持つ手を蹴り飛ばす。無茶な機動に不意を討たれたセイバーの手から、剣が吹き飛ばされて夜の闇に消えた。
セイバーは舌打ちをして地面に降り立った。
アーチャーも彼女のすぐ目の前に着地した。木が吹き飛んで地が抉れ、開けた場所で二人は向き直った。
これで、双方武器は失った。
「まあ、結局こうなるのか」
「殴り合いか。昔と変わらない落ちになるとは思ってなかったなぁ」
頬を流れる血を乱暴に拭い、セイバーは無手のまま構えを取った。
アーチャーも同じく砕けた肩当を外して地面に放り投げ、拳を構えた。
「第二幕、とでもいえば良いのか、これ?」
「さあなぁ。ま、気取った言い方なんぞ止しとけ。――――行くぞ」
そうやって、英霊同士の衝突は再び山を震わして始まったのだった。
別作品と話数が並ぶまで、こちらが書けなくなるという謎の強迫観念を患ってこんなにかかってしまいました。
すみませんでした。