では。
古代ペルシャの歴史が刻まれた神話、民話には、竜の伝説が幾つかある。
悪神アンリ・マユによって創造された悪竜アジ・ダハーカなり、カシャフ川に巣食い人々を苦しめた毒の竜なり。
そして伝承に曰く。
アジ・ダハーカは、竜殺しの大王フェリドゥーンに、カシャフ川の毒竜は英雄サームに封印され、或いは倒されて鎮められた。
竜は倒されるモノで、竜殺しは英雄の証。竜を殺しただけで、その名は人々の記憶に残る。
幻想種の頂点、竜を生身の人間が単身で殺すのはそれ程に難行なのだ。
セイバーが英霊の座に登録されたのも、生前竜退治をしたことによる。
歴とした神話、宮廷で語り継がれて来た物語というより、口づてに伝えられて来たおとぎ話。『小さな村を守るために山ほどもある竜に立ち向かった英雄』という一つの言い伝えが、セイバーを英霊たらしめている根拠だ。
―――――まあ、伝わっているのは個が薄れた概念的な無銘英霊としてだけど、今は個としての人格があるから良いか。
所は東京、新宿の何処かの喫茶店。
セイバーはそんなことを考えながら、二人の人間と二騎のサーヴァントが向き合うという奇妙なお茶会にいた。
何かもう割りとどうにでもなれ、と言うのがセイバーの正直な感想だった。隣に座り、アイスクリームをスプーンで掬い取っているこのマスターは、大体からして止めるのが不可能なのである。
セイバーのマスター、沙条愛歌は異質異端だ。根源という森羅万象を司る渦に接続して生まれ、不可能なことが何一つ無い女の子。
出会って数日ながら、セイバーは沙条愛歌をそう評していた。
愛歌には何かの切欠で、家族に愛される少女、という人としての側面を簡単に切ってしまえる危うさがある。
だけれど、別にセイバーは彼女のことは嫌いではない。享楽を求める度合いが過ぎていないかとも思うが、今までずっと退屈で心が動かなくなっていたというなら、これくらい弾けるのも有りえるのかもしれない。
自分が、生まれてすぐに白髪という異端な外見のために捨てられたセイバーは、沙条愛歌をそういう意味では受け入れていた。
見ていて面白い道化扱いして来るのは少々複雑な気分になるときもあるのだが、だからといってセイバーが愛歌に悪感情を向けることは無かった。
「……なあ、そろそろ話しても良いか?」
「良いわよ。むしろいつまで経っても話さないから、まだなのかと思ってたわ。第七位のマスターさん」
意識を戻し、にこにこと邪気なく微笑む愛歌の前に座る一人の少年を、セイバーはじっと観察する。
隣の青年と魔力で繋がっていることから、彼がマスターなのは明らか。それにしては少年は魔術師らしくなかった。気配や佇まいが、あまりにも普通すぎるのだ。隠しているというわけではない。
少年はセイバーと愛歌の顔を順に見ては、どう言おうか迷っているようだった。
美味しそうに氷菓子を頬張る愛歌の姿があまりにあどけないからか、とセイバーはじっと動かず思い巡らせていた。
「ええと、君も俺と同じ聖杯戦争のマスターってことだよな」
「ええ。名前は教えてあげないけどね。わたしは間違いなくこのセイバーのマスターよ」
言葉に合わせて、愛歌が胸元に刻まれている令呪を服越しにぼんやりと光らせる。第一位のマスターであることを示す七枚羽根の熾天使の令呪を見て、サーヴァントである青年の顔が一気に険しくなった。
少年は翼の意味が分かっていないのか、それほど表情を変えずに言葉を押し出した。
「……聞いてくれ。……俺は、聖杯戦争を止めたいんだ」
アイスを掬っていた愛歌の手が止まる。
セイバーは表情こそ動かさなかったが、内心驚いていた。言われた言葉の、意外さに。
「聖杯戦争ってのは、この東京を巻き込んで何かの……魔術儀式をするんだろ」
「ええ。そうね、今この地で開かれているのは魔術師たちの悲願のかかる、聖杯戦争。わたしのセイバーや、あなたのバーサーカーはそのために召喚された使い魔」
あっさりとクラス名を看破されたためか、金髪の青年の眼が刃物のように細くなり、愛歌に据えられた。
愛歌は小動もしなかった。
「でも、放っておいたら沢山の人が死ぬかもしれないんだろ?俺は、それを止めたいんだ」
真摯に少年は言い切り、愛歌はつかの間黙った。
一拍開けて、愛歌がくすりと笑う。
「ふうん。おかしなことを言うのね。あなただって聖杯が欲しくって参加したマスターじゃないの?」
「いや、俺は聖杯なんていらない。魔術のこともサーヴァントのことも、
「……じゃあきみは何も知らずに、たまたまバーサーカーを召喚した、というのか?」
それまで片目を閉じて黙っていたセイバーは目を開けて、黒い眼を少年に向けた。
「そうさ。僕のマスターは偶然に僕を召喚したのさ」
答えたのは少年ではなく、バーサーカーだった。愛歌は頬杖をついて、少年を見透かすように首を傾げた。
「それであなたは、この東京を巻き込んだ
「ああ」
「でも、止めるって口で言うのは簡単よ。どうやって止めるの?わたしたちのように一組一組対話していくの?命知らずね」
顔は微笑んだまま、温度がまるで感じられない声で愛歌は聞いた。
「このセイバーは結構お人好しの部類よ。あなたを殺さないで済む方法を考えるくらい。でも、わたしにはそうする理由はないの」
ね、と愛歌はセイバーを見た。スキルで行っている隠蔽を解いて、と念話で言われ、セイバーは自分の魔力と気配を隠蔽していたスキルを切る。
隠されていた魔力が少年に向かい、気配にあてられて彼の顔が青くなる。愛歌は少年へ目を戻した。
「第一あなた、セイバーの見た目が普通の女の子みたいだからって、躊躇っているでしょう。でも聖杯戦争において、サーヴァントは他のサーヴァントを殺すためのものなの」
「殺す……って」
刃物を突き付けられたように少年が身を引いた。
「ええ。殺すわ。六の英霊の生命、魂をくべて起動するのが聖杯だもの。あなたのバーサーカーはどう言ったかは知らないけれど、わたしのセイバーは、自分の願いのために他の六騎を殺すのを躊躇わないわ。それくらいの覚悟で挑むのが、聖杯戦争よ」
少年の目が揺れて、セイバーに向けられる。
セイバーは頷いた。愛歌の言葉を肯定するように。
セイバーも、願いがあるから戦う。他を踏み躙っても譲れないものがあるから、戦いに赴くのだ。殺されない限り、諦めるつもりはなかった。
黙ってしまった少年から興味を無くしたように、愛歌はふいと眼を窓の外へ向ける。
絹糸のような金の髪に日が当たって輝く様を、セイバーは黙って見ていた。
しばらく沈黙の時間があってから、俯いていた少年は、顔を上げた。
「……それでも、それでも俺は聖杯戦争を止めたいんだ。だってこの街には沢山の人が住んでるんだ。俺の友達とかあいつらの家族とか、それを放ってなんておけない」
「あなた、自分も殺されるかもしれないのよ?それも分かって言っているの?ただ巻き込まれただけで、普通なら無関係なのに?」
非難するでもなく、嘲笑うのでもなく、沙条愛歌は純粋に少年に問い掛けていた。
そこには子が親に聞くように、どこか無邪気な響きを伴っていた。
少年は言った。
「無関心でないなら、少なくとももう無関係じゃいられない。俺はもう関わっちまったんだ」
愛歌は椅子に背中を預けた。
おかしな人、と桜色の唇が動くのが、セイバーには見えた。
言葉が空気の中を漂い、それぞれの胸に沈むまで誰も何も言わなかった。
「……うん、あなたのことは覚えておくわ。バーサーカーとそのマスター。でも、今日はもうさようなら。夜に会ったら殺し合いましょう」
行くわよセイバー、と愛歌は立ち上がった。
セイバーは無言で頭を下げ、その後に続く。少年とバーサーカーは追ってこなかった。
明るい外に出て愛歌はううん、と伸びをした。
「変わった人だったわね」
「……そうだね。多分、この国のこの時代の、普通の人としては極々真っ当なんだろうな」
何十年も戦いがない国で、誰かの命を奪ったことも、誰かに自分の命を奪われる恐れを感じたこともなく。
そうやって育ったのなら、ああいう少年になるのだろうか。
人の少ない方へ歩きながら、愛歌は横にいるセイバーを見上げて聞いた。
「あの男の子が羨ましいの?セイバー」
「まあね。あの子が、というよりこの国のことが少し羨ましいね。……でもさ、あの子を羨んだのは愛歌の方じゃないかい?」
「わたし?わたしが、どうしてあの男の子を羨ましがるの?」
言われた意味が分からない、という風に愛歌は首を傾げた。セイバーは歩きながら、構わずに続けた。
「愛歌はさっき、あの子に覚悟と言ったけれど、きみの中に覚悟はあるのかな?何者を犠牲にしてでも何かを求め欲する心。そもそもからして、そういう思いをきみは知らないんじゃないのかい。だって愛歌には聖杯にかける願いが、無いんだろう?」
何故なら、生まれたときから何でも出来たのがきみなんだから、とセイバーは最後の一言は言わなかった。
歩くうち、二人は人の少ない広場のようなところへ出た。広場の中心には噴水があって、きらきらと水のアーチを作り出している。
愛歌は黙ってその噴水に近づくと、縁に腰掛けた。座って、という風に愛歌は横の空間を叩き、セイバーはそこに腰を下ろした。
何処か遠くで、笛のような鳥の声が聞こえた。
「……羨ましい、ね。セイバー、あなたってやっぱりおかしなことを言う人ね。……でも、ちょっと当たっているのが憎らしいわ」
愛歌がくるりと指を動かすと、勢い良く吹出ていた噴水の水が、時が止まったように空中で凍りついた。水だけでなく、風に舞い飛んでいた枯れ葉も、空を飛んでいた鳥も、皆動きを止めていた。
音の消えた世界で、へえとセイバーは目を少し大きく見開いた。
「こういうこと、わたしは簡単に出来るのよ。こんな小手先じゃなくって、世界そのものを変えちゃったりね。そういうことも、しようと思えばできるの」
「でも、やらないんだろう?そこが肝心だと思うけどな、私は」
「だって、それはただつまらないからよ。世界を何度変えたって、わたしが変わらないんじゃ何の意味もないものね」
愛歌が手を叩くと再び周囲は動き出し、音が戻った。水は流れ、枯れ葉は風に吹き散らされ、鳥たちは歌いながら飛んでいった。
その様子を見て、セイバーは隣の愛歌の顔を覗き込んだ。
「愛歌は、もしかして変わりたいのか?」
「さあ。変わるっていう発想も無かったわね。根源は不変だもの。生き物は不変ではいられないのにね」
縁から下りて、愛歌はくるりと回る。ドレスの裾がふわりと広がった。
「ちょっと分かったわ。わたしはね、きっと此処でわたしの知らないこととか、できないことが欲しいの。未知とかそういうものに憧れる歳ってあるでしょう?」
セイバーは首を傾げた。
「どうだろうね。わたしにとって世界は何時だって未知だらけで、できないことだらけだったからね。今も昔もさ」
「セイバー、そんな言い方は意地悪よ。わたし、今は真剣なのに」
愛歌の頬が栗鼠のように膨れ、セイバーはそこで召喚されてから初めて声を上げて笑った。
「どうして笑うの」
「ごめんよ。そういう顔、初めて見たからちょっと面白かったのさ」
一頻り肩を震わせたあと、笑いを顔から消してセイバーは愛歌を見た。
愛歌もセイバーを見て答えた。
「さっきのバーサーカーのマスターだけれど、魔術師じゃない普通の男の子としては、とても真っ当よ。あんなに必死に言う様子をね、わたし、良いなって少し思ったのよ。何を捨ててもやりたいことがあるって、とっても素敵なことじゃない?」
それは、或いは万能な存在であるがための慢さなのか、セイバーは聞かなかった。
事実として、さっきの少年の言葉は沙条愛歌とセイバーの記憶に残っていた。
しかし、セイバーとしては愛歌が仮に彼の言葉を受け入れてしまうのは容認できないのだ。彼女は聖杯を得、願いを叶えるためにここに来たのだから。
端的に言えば、セイバーは自分が殺されるまで諦めるつもりが全くなかった。殺す覚悟も無い者から、ただ聖杯戦争を止めたいと言われて、すぐに受け入れられるほどセイバーの想いは容易く変わりはしない。
けれど一方で、愛歌にお人好しと称されたセイバーは、少年の願いを愚にもつかないと切り捨てることもできていなかった。
故郷に暮らす友とその家族。彼らの安らかな営みを守りたいという願いは至極切実で尊い。それにセイバーが聖杯戦争に参加してまで会いたいと思う人物は、正に人々のそういう願いのために己の命を散らしたのだ。
儚い願いの価値が分かるからこそ、思う所がないわけが無かった。
愛歌にもセイバーの葛藤は伝わっている。
そして、愛歌は知っていた。
セイバーのその迷いが、聖杯に頼らなくても解決できることを。
愛歌が自分の楽しみで口をつぐんだがために、このサーヴァントは悩んでいるのだ。
どうしようかしら、どうすればいいのかしら、と愛歌は頬に手を添えて考える。
だがそのとき、セイバーの片耳が何かの音を聞きつけて動いた。
瞬時にセイバーは愛歌を庇うように彼女の前に立ち、愛歌はその陰から顔を出す。
辺りは静かだった。遠くの方から街のざわめきが聞こえるが微かな音でしかなく、耳障りというほどではない。
そのまま数秒が過ぎて、愛歌はセイバーの陰から出、くるりと両手を広げて回った。
「……んー、誰かの使い魔に見られてたみたいね。もう撤退したみたいだけれど」
捕まえて、見返してやろうと思ったのに、直前で逃げられちゃったわ、と愛歌は舌を出して言った。
「見られてた?キャスターとかにかい?」
「と、思うわ。今の時代の魔術師の水準じゃ無さそうだもの。……うん、でもこれでランサーとバーサーカー、キャスターには会えたわ。あとはライダー、アサシン。それに……アーチャーね」
指折り数える愛歌の横で、セイバーは虚空を睨んでいた。そこに術式の残滓があるかのように。
赤い斜陽が色白の顔を縁取る白い髪をくっきりと照らし出す。その横顔を愛歌は見つめた。
「ね、セイバー。次はアーチャーを探しに行きましょうか」
いいが、何故だい、と不思議そうに問うセイバーに愛歌は内緒よ、と笑って見せた。
アイスの代金は巽くんが払いました。