では。
「状況を整理しましょう」
「……了解」
所と日が変わり、沙条邸にて愛歌はセイバーの前に座っていた。
机を挟んで愛歌とセイバーは向かい合っていて、彼女たちの前には一枚の紙がある。
そこに愛歌は七騎のサーヴァントのクラス名を書いた。
「セイバーはあなた、ランサーは北欧の戦乙女。バーサーカーは服装からして前世紀のひとかしら」
「私たちが出会ってないのはアーチャー、ライダー、キャスター、アサシンか」
「ええ。次にマスターだけれど、わたしの家の沙条。それにお父さんの旧友であり、極東随一の古き名家、玲瓏館。それにあとは、伊勢三って古いお家があるわ。他は外来の魔術師ね」
愛歌の話を聞いていたセイバーは、白い指を伸ばして名前の一つを差した。
「玲瓏館……ってのは、この家みたいに屋敷を構えているんだよね」
「ええ。それにね、数日前からこの家は防御が神殿並みになっているわね」
「じゃあきっと、玲瓏館はキャスターを喚んだんだね。となると取る作戦は籠城か……」
「もしかしてセイバー、あなた玲瓏館の家を宝具でなぎ倒そうって考えている?」
そりゃできなくは無いけどね、とセイバーは頭の後ろで手を組んだ。
「やりたくないよ。街やら家を踏み潰すのは竜みたいで嫌だ」
「あなた、竜殺しだものね。欧州の竜殺しみたいに血を浴びた訳じゃないみたいだけど」
「はいはい、話が逸れているよ。玲瓏館にはキャスターがいる。それは分かった。……愛歌、私を連れて玲瓏館内に転移はできるかい?
表情を動かすこともなくセイバーは言った。
「できるできないで言えば、確かにわたしはできるけれど怖いわね。中から斬り飛ばすつもり?」
「後ろから呪いを飛ばしてきそうな魔術師は苦手なんだ」
にこりともしないで、セイバーはとんとんと紙を指で叩いた。
「あと厄介なのはアサシンかな。きみだけじゃなく、綾香やきみの父上も狙われかねないから」
「まあ、そうね。ここはわたしが結界を張っているから、ほぼ大丈夫だと思うけれど。……あとアサシンは、はぐれになっているようよ」
「はぐれ?」
「ええ。都心でね、人が殺されているのよ。主に夜の街を歩いている男の人たちなのだけど、彼らはみんな白い服の少女とホテルに入っては殺されてしまうそうなの。それに港区の倉庫で令呪を宿した魔術師の遺体があったらしいわ」
「……殺人事件は魂喰い。魔術師がマスターだとすると、アサシンは自分のマスターを殺したのか?」
かもね、と愛歌は頷いた。
「意見の食い違いがあったか、アサシンが狂ったか……。で、愛歌。その情報は何処から?」
「この聖杯戦争の自称管理者の教会からよ。神秘の漏洩は人が殺されるよりも上の禁忌だから、魂喰いで現界するサーヴァントは討伐してほしいのでしょう」
愛歌は頬杖をついて足をぱたぱと振り、セイバーは眉間にしわを寄せて腕組みをした。
「というかセイバー。あなた、鳥から聞いていなかったの?殺人事件のこと」
「鳥はそんなに街人の生き死には気にしないから言ってくれやしないよ。きみだって道端で鳥が死んでいても気にしないだろ。それと同じさ」
セイバーはどこか投げ槍な、乱暴な口調で言った。愛歌は頬杖をついていた手を下ろして、紙の上に身を乗り出す。
「ね、セイバー。少し思ったのだけれど、あなたの願いはお兄さんに会うことなのよね」
「そうだけど、それが今更どうかしたのか?」
訝し気なセイバーを無視して、愛歌は空中に人差し指で円を描きながら言った。
「あなたの兄の、アーラシュ・カマンガーはとっても強くて良い目の弓兵。なら例えば、聖杯戦争のアーチャーとかになってるかもしれないでしょ。そうなっていたら、あなたはどうするの?」
愛歌の透き通った碧眼がセイバーの黒い瞳を見据える。黒曜石の目は一度閉じられてから、もう一度開かれた。
「それはつまり、兄さんと戦えるかってことだろ。―――――うん、戦うよ。わたしは」
セイバーは首を横に傾けた。白い髪がさらさらと零れ、顔の上を不思議な陰影の模様が彩った。
「戦ってしまうの?」
「そりゃ、私たちはサーヴァントだからだよ。私たちは自分の願いのために現界しているが、まず召喚が成されないと何もできない存在だからね。召喚してくれた人に義理を通すべきだろ?」
尤もマスターが余程の外道だったら話は別だけれどさ、とセイバーは軽く言い、何でもないことのように続けた。
「私はきみのこと結構好きだもの。義理は通すよ。綾香にも頼まれたし、きみの父上にもさ」
「お父さんに?」
「うん。召喚されてすぐ、だったかな。愛歌を頼むって言われたよ」
ふうん、と愛歌は鼻を鳴らしてから窓の外を向いた。
「お父さん、ね。……わたし、お父さんには言ってないのよ」
「何を?……何を言っていないんだい?」
「わたしが根源に繋がっているってことを、よ」
くるり、と愛歌は頭を巡らせてセイバーを見た。透き通った瞳の奥に底なしの渦が垣間見え、セイバーは反射的に目を逸らしかけるのを堪えた。
「あのね、聖杯戦争は魔術師たちの悲願、根源に至るための大魔術儀式。七騎のサーヴァントの魂を触媒に、根源への渦へと至る道を作ることが聖杯戦争の根幹なのよ」
「―――――ん?七だって?」
「ええ。七騎よ。本当に根源に至るためには自分のサーヴァントも自害させなければならないの」
「……」
願いのあるサーヴァントにとって、それは裏切りそのものだ。願いが叶うと聞いたから召喚に応じるのに、六騎のサーヴァントを倒したところで自害を命じられては堪らない。
さすがにセイバーも瞠目した。愛歌は構わずに続けた。
「でもわたし、初めに言ったでしょう?そんなところとは、生まれたときから繋がっていたって。聖杯戦争なんて、わたしには最初っから無意味なの。あなたを令呪で自害させるなんてつまらないことも、するつもりはないわ」
でもお父さんには違うのよね、と愛歌は言った。瞳の奥の渦は消え失せて、晴れた秋空のような碧眼がセイバーを見ていた。
「お父さんはね、こう思ってるのよ。―――わたしが聖杯戦争に勝ったら、わたしは
何故なら根源に至った魔術師は、皆帰って来ないものだから。真理に到達した者は、それきり現世に戻ることは二度と無いから。
「多分、お父さんはそれに思うところがあるのよ。悲願の成就を願う魔術師としては根源に一族がいたるのは喜ばしいこと。でも、父親としては歓迎できないのよ。だから割り切れていないところがあるの」
「……それは、人としてはとても良い父上じゃないのかい?」
「ええ。魔術師としては失格でも、人の親としては暖かい心だと思うわ。よく覚えていないけれど、お母さんの影響よ、きっと」
それを、聞いて。
剣の英霊は複雑な表情を浮かべた。眩しいモノを見るような、どこか羨まし気にもみえる顔だった。
「でもね、お父さんのそういう心ってまるきり見当がずれているのよ。だってわたし、根源に行く必要がないもの。聖杯戦争は根本からして、わたしには無価値なのよ」
「……ねえ、愛歌。聖杯戦争がきみにとって無価値だって、どうして父上に言ってやらないんだい?」
「―――――どうしてかしら、ね。言っても、分かってもらえると思えなかったからかしら」
長く沈黙してからの愛歌の答えに、セイバーは肩の力が抜けたように机の上に突っ伏した。
「あら?セイバー、どうしたの?」
「いや……我が主はつくづく、なんかこう……」
上手く言えない、とセイバーは額に手を当てた。
「セイバー、呆れたの?それとも怒ったの?」
「どっちでも無いよ。……全く、聖杯戦争なんて願いの対価に、戦うだけで良いかと思っていたのにさ。マスターの生き方にまで話が踏み込んだら、困惑するだろ」
そうかしら、と主は言い、そうだよ、と剣の従者は頷いた。
セイバーは髪をかいて、気持ちを切り替えようとするかのように頭を振った。
「私の役目はきみの剣になることだ。それは変わらないよ。仮に―――仮にさ、まだ見ぬアーチャーが兄さんだったとしても、戦うさ」
ああでも、戦う前に言いたいことはあるな、とセイバーは椅子の背もたれに身を預けた。
「言いたいこと?」
「まあ、色々とね、あるんだよ。別れたときには言えなかったこととか、
それを伝えた上でなら、セイバーには戦うことに躊躇いは欠片もない。
どころか戦って勝ってみたいとすら思う。
「私は兄さんに負けて、それっきりになってしまったからさ。悔しいだろ、そういうの」
唇の端を吊り上げて、獰猛な猫のようにセイバーは微笑んだ。今まで浮かべていたような、どこか諦観の混じった笑みではなかった。
そしてセイバーはぱん、と手を胸の前で叩いた。
「さ、愛歌。お喋りはお終い。私たちはこれからどう行動すべきだい?アーチャーを探すかい?」
「……いいえ。ちょっと変更よ。―――伊勢三のお家を探してみましょう」
「伊勢三?……ああ、さっき言っていたこの街にある魔術の家か」
ええ、と愛歌は席を立ち、東京の地図を棚から取り出して戻ってくる。地図を紙の上に広げると、一か所を指し示した。
「ここよ。奥多摩の山の中。霊脈の流れからすると、ここらの山一帯を根城にしているみたいよ」
「待った。山一帯だって?」
「ええ。山一帯、すべてよ。大体の目途はあるけれど、探索は任せたわ。わたしはここで穴熊になりつつ見ているから。視覚の共有はこれくらいの距離ならば問題にならないしね」
見つけて、もしも伊勢三の工房に英霊がいたのならば。
「交戦して勝てそうなら倒せばいいし。無理そうならさっくり引き上げて来て。基本的に一撃離脱で行きましょう。他の陣営の情報が少ない今はね」
頬に手を添え微笑む愛歌に、分かったよ、とセイバーは頷いたのだった。
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そうして日が傾いた後のことだ。
セイバーは霊体になって、杉並区の沙条の屋敷を後にし、一路奥多摩へと駆けていた。
愛歌は家にてセイバーと視覚を共有し、セイバー本人は戦闘体勢になっていた。
そう、夜なのである。
いつかに愛歌がバーサーカーのマスターの少年に言い放った通り、殺し合いの時間は間近だった。
『わたしはここで見ているから』
上機嫌に聞こえるマスターの声を聞きながら、何なんだろうなぁ自分たち主従は、とセイバーは考えながら、一本の木の上に着地する。
目の前には暗い山が口を開けている。夜目は効くため、視界に支障はないのだが暗い山となると得体の知れない感じは収まらなかった。
聖杯戦争において、まるで自分探しの旅をしているような構えで参戦しているのは、愛歌くらいのものだろう。
自分にも未知が欲しい、と愛歌は気楽に言うが、未知が一つもない人生というのはきっと、ではなく間違いなく地獄に等しい。
願いが無い、と口では言っているが違うだろう。愛歌は自分の地獄を抜け出したいのだ。
ただその地獄は彼女以外には見えないし、感じ取ることも共感してもらうこともできない。
慈しんでくれる親と慕ってくれる妹がいて、有り余る才能とそれを操る能力を持っていて。
そんな存在が地獄を感じているとは、誰も思わないし、気づかない
セイバーだって最初は分からなかった。
召喚されてからこの方、愛歌の笑顔があまりに朗らかだったから。親に愛されて育った子というのはこんなに何の裏表もない笑顔を浮かべることができるのか、と思ったくらいだ。
―――――でも、愛歌には笑顔以外が無い、というか薄い。
バーサーカーのマスターに対しては困惑、セイバーに対しては興味。父親や綾香に対してすら、似たようなものだ。
それらの感情を示しているが、怒りや憎しみの顔がない。
だから昨日、愛歌の膨れた顔を見て、セイバーは単純に安心したのだ。この子もこういう風な顔をするんだ、と。
自分だって一生かけて、人の世に溶け込もうとし続けていた。セイバーは誰かを導けるほど、上等な人間ではない、と本人は思っている。
英霊になったのも結果論だ。
沢山の人を竜から守りはしたが、それとて旅を続けるうちにそうなっただけで、最初から無辜の民を守ろうとしたり彼らが死んで欲しくないと思って行動した訳ではない。
一番死んでほしくなかった人には、真っ先に死なれてしまった。だから強くなりたかったのだ。誰よりも強くなったら、もうあんな思いはしないで済むと思ったから。
己一人の虚無を何とかしたくて生き続けたら、その積み重ねが自分を英霊にしていたのだ。
それでも、そういう人生を送ったからこそ言える。虚ろな心を抱えるのは辛いことだ。
まあ、セイバーは自分が他サーヴァントに負ける姿は予測できても、愛歌が現代の魔術師相手に負ける姿をさっぱり想像できないし、それが問題なのだが。
『セイバー、首尾はどう?』
「んー、奥多摩には着いたって感じかな」
『頼りないわね。サーヴァントにはちゃんと現代の知識もあるでしょう』
「あのね、東京全部の土地の知識が与えられてる訳じゃないんだよ」
軽口を叩き合いながら、セイバーは木の枝を蹴って、更に高い木の天辺に立った。
霊脈が最も乱れているのは、そこから北の方、という愛歌の通信が入る。
愛歌に言われた方向へセイバーは顔を向ける。同時に背中に寒気が走って、木から飛び降りた。
直後である。セイバーのいた空間を、矢が貫いた。
『セイバー?』
「狙撃だよ!アーチャーさ!」
首と眉間、心臓をほぼ同時に狙って飛んできた矢を顕現させた短剣で撃ち払いながら、セイバーは木の枝を蹴ってその場から離れた。
気配は隠していた。それなのに気付かれた。
単に視認される距離にまで近づき過ぎていたのだ。
『セイバー、あなた今、アーチャーって言ったのかしら?』
「弓を使う暗殺者がいるなら知りたいものだ、よっ!念話切るよ!」
言葉の合間で矢を躱し、セイバーは物陰に飛び込んだ。
恐ろしい射手である。
急所を正確無比に射抜こうとしてくる。対応が遅れれば貫かれるだろう。
冷たい剣の柄を握ってセイバーは束の間目を閉じ、開くと同時に物陰から飛び出した。
たちまち矢が飛んでくる。
眉間に飛んできた矢は顔を背けて躱す。躱し、心臓へ向けての矢は剣で落とし、手足への矢は風を起こして僅かに逸した。
逸しきれずに数本が鎧に刺さるが、肉には届いていない。勢いを殺すことなく、矢が襲って来る方向へ、セイバーは躊躇せずに突っ込んだ。
遥か前方の木の上に小さな人影を捉えた瞬間、セイバーは魔力放出を最大にする。風を纏った流星となって、剣の英霊は一直線に夜の山の空を切り裂いて飛んだ。飛んでくる矢は風に巻き込まれて明後日の方向へと逸れていった。
木がへし折れ、鳥たちが一斉にざわめきながら飛び立つ。
人影の真上に到達した瞬間、セイバーは纏っていた風を消し、短剣の代わりに顕現させた大剣と共に落下した。
人影は飛び退こうとするが、遅い。両手で握られたセイバーの剣が大上段から振り下ろされる方が速かった。
頭の上にまで迫った剣を、その人影は手にした真紅の大弓で受け止めた。
剣と弓がぶつかり合い、セイバーはそこで相手の顔をよく見た。
「―――――え」
驚愕の声を上げたのは誰だったのか。
冴え冴えとした月の光が夜の山をただ照らしていた。
次の更新は、少し遅れます。
申し訳ありません。