We, the Divided   作:Гарри

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07.「われら艤装を選ぶとき」

 戦争中、龍田と彼女の“天龍ちゃん”が顔を合わせて一緒にいられる時間は、そう長くなかった。二人は第三・第四艦隊の所属だった為、遠征任務を割り当てられ、所属泊地を長期に渡って離れていることが多かったからだ。天龍は平気だった──少なくとも龍田の目には、彼女がそのことを自分ほど寂しがっているという風には見えなかった。だからか、そのことを薄情に思った妹からいつもちくちくと責められていた天龍は、ある日何の前触れもなく「これ、やるよ」と言って一枚のメモリーカードを龍田へ渡した。中身は何だろうと彼女が泊地の共用コンピューターで調べてみると、そこにはデータ化された姉の声が幾つも保存されていた。

 

 その日から、龍田は姉との二人部屋に一人でいても、前ほど寂しくなくなった。夜、新しく買った目覚まし時計をセットすると、ややノイズの掛かった声で天龍が言った。「お休み、龍田。また明日な」朝起きると、それまで龍田を苛立たせながら目覚めさせていた電子音やベルの音の代わりに、彼女の姉が言った。「ほーら、とっとと起きろって。しゃんとして、顔洗ってこい!」工廠の明石に頼んでこっそり改造して貰ったドアベルを来客が押すと、天龍は呼び掛けた。「誰か来てるぜ、龍田」中からドアを開けるとセンサーが反応して「出るのか? 気をつけろよ」。本物の天龍と龍田が揃っている時には、その声は冗談の種にもなった。

 

 天龍が戦死してからも、彼女の声はそこに残っていた。任務からへとへとになって帰ってきた龍田が外からドアを開ければ、「お疲れさん。ベッドに入る前にシャワーぐらい浴びろよ」と彼女をいたわった。報告書の不備を訂正させる為に秘書艦がやって来てドアベルを鳴らせば、やっぱり「誰か来てるぜ、龍田」と教えた。そのまま二人がドアを開けっ放しで話を続けていると、「開けたら閉めとけってもう何回言ったよ、なあ?」と妹をたしなめた。寝る時間が来れば「お休み、龍田。また明日な」。朝が来れば「ほーら、とっとと起きろって」。「お休み、龍田。また明日な」。「ほーら、とっとと起きろって」。「お休み、龍田。また明日な」。「ほーら、とっとと起きろって」。

 

 その内、龍田は目覚ましに頼らずに起きるようになった。時計はただ時間を知る為のものとして置かれるようになった。安価な耳栓を買い、それを詰めてから部屋を出入りするようになった。来客たちはドアベルを押すのではなく、ノックをするようになった。だが龍田はセンサーを壊したり、それにガムテープを貼って使えなくしたりはしなかった。そこに天龍の声と共に込められていたあの当時の寂しさや、姉からの贈り物に感じた喜びを、汚すような真似はしたくなかったからだ。だからある日、天龍が龍田に音声データを渡したのと同じぐらい唐突にセンサーが壊れると、彼女はそれをそのままにした。自分の手では直せそうもないし、明石の技術や工廠の資材を私的な理由で使う訳には行かない、と龍田は己に言い聞かせた。

 

 今、泊地から遠く離れた小島に場違いな戦後組の艦娘と二人きりの世界で、龍田は思った。あの時、壊れたセンサーをそのままにすると決めた時にこそ、自分は、天龍の死を心に受け入れたのだ。そしてレーダーサイトの中、冷たい床の上に敷いたマットへ仰向けに寝転がって、疑問符を心に浮かべる。天龍の死もまた、自分が通り抜けてきた戦争の一コマなのに、どうして受け入れられたのだろう? どうして残りを受け入れられないでいるのだろう? それは彼女のお気に入りの、答えが出ない疑問だった。()()()()()()受け入れることができるか、龍田には既に答えが分かっていた。しかし、ここで重要なのは『どうやって』ではなく『何故』であり、それを考える為の手がかりは全くと言っていいほど存在しなかった。

 

 龍田が答えを探るのでもなく、ただただ疑問を胸に感じ続けるだけの無意味な時間を過ごしていると、彼女から離れたところに座り込んでいた五十鈴がぽつりと声を発する。「ねえ」という短い呼びかけだったが、それは龍田の集中をやすやすと途切れさせた。首だけを横に倒して、彼女は五十鈴を見やった。「これからどうなると思う?」龍田は彼女を殺しにきた天龍が言っていたことを思い出し、それを剽窃した。「次が来るわ」その言葉を発すると同時に、より現実的な問題の為に頭を働かせ始める。次にここに来るのは、どんな相手になるだろうか? この問いに対して龍田は、吹雪と違って直感的に、けれどもぴったり同じ答えを導き出した。

 

 連合艦隊。主に大規模作戦の際などに編成され、投入される、十二人の艦娘で構成された精鋭たち。龍田には分かった。次に来るのは、同じ提督の下、別の戦場であの戦争を戦い抜いた、顔馴染みの戦友たちだ。十二対一の戦いに身を投じなければならなくなると思うと、肩が重くなるような気がした。彼女が持っている武器は相手に比べてか弱く、数においては絶望的な開きがあり、彼我の戦闘経験の差は大きなもので、真っ向勝負となれば敵わないのが目に見えている。それでも、龍田は彼女のいるこの島から出て行くつもりはなかった。

 

 立ち上がり、龍田はもうその味に飽き飽きしているステイアラート・ガムを一つ、口に入れた。そしてレーダーサイト内に集積した物資の中から罠用の道具をかき集め、元々それらが入っていた木箱の中に、緩衝材として挟んでおいた布袋へと収納した。薙刀とそれを持ってサイトを出ようとすると、五十鈴も立とうとした。付いてこようとする彼女を、手振り一つで座らせる。「ごめんね」と龍田は形だけ謝った。「でも、邪魔になるから」本当は一人になりたかったからだった。たとえ五十鈴が残っていた物資を全部盗んで、海に投げ捨てようと企んでいたとしても、龍田は周囲数百メートルに人間がいない世界に行きたかった。

 

 外に出ると、澄んだ空気と木々の合間を縫って差し込んでくる日光が、龍田の目鼻に染みた。太陽の高さからもうお昼だと気づいて、仕方なく踵を返してサイトの入り口を開け、五十鈴に「お腹が空いたらそこに糧食があるわ」と教えておく。彼女は龍田が顔を見せた時に顔を明るくしたが、再び扉が閉まって島の主が行ってしまうと、またぼんやりと思案に暮れる時間へと戻った。

 

 道を歩きながら、龍田は孤独な人間の特権に耽った。彼女は考え続けた。自分が直面したもの、対面してきたもの、今なお彼女の前に寝そべっているもの、戦争について。しかしそれは哲学的思考だとか、政治的な思索ではなく、単なる回想に過ぎなかった。彼女は自分の心に刻まれた記憶を、一つ一つ指でなぞるようにして思い出していた。

 

 たとえば、一人の睦月がいた。彼女は龍田とほぼ同時期に同じ艦隊に配属された、駆逐艦娘だった。二人の間には先任と後任という立場の差があったが、それなりの時間を掛けることで仲良くなっていった。彼女たちは友人同士だった。ある激しい交戦の後、希釈修復材を切らしてしまった状態で、航行不能なほどの重傷を睦月が負うまでは。

 

 龍田は覚えている。当時の旗艦が睦月を救う手立てはないと判断したことを、彼女の耳と心は覚えている。龍田は傷ついた戦友を抱きかかえたまま猛反発して、迎えのヘリを寄越して回収させるよう、旗艦と泊地の提督に掛け合った。普段は落ち着いて物腰柔らかな軽巡艦娘が見せた激しい態度に、二人はとうとう折れた。ヘリが飛ぶことになって、龍田はほっとして睦月に呼びかけた。彼女の小さな友人は絶望的な苦痛の中、笑うことによって感謝を伝えた。そして血反吐を吐きながらもがき苦しんだ末に、ヘリが来る二十分前に死んだ。

 

 彼女を殺したのは深海棲艦の砲弾だと、龍田は知っていた。しかし、苦しめたのは何だっただろうかと考えると、彼女は答えを出しかねた。生き延びさせようと説得を続けた自分の行動が、睦月により長く苦痛を味わわせたのではないかと思えて、仕方なかった。だからと言って、旗艦がやろうとしたように苦しませずに睦月を死なせるのも、龍田には到底我慢できなかった。「目を逸らしていればよかったのよ」と、睦月が死んだのを確認した後で、旗艦は言った。その言葉が正しかったのかどうか、龍田は知りたかった。目を逸らすこと、現実を受け入れようとしないことは、彼女が訓練所で学んできた艦娘らしさから、かけ離れたものに感じられた。

 

 または、天龍が死んだ少し後のこと。手紙が届いた。天龍が死んだ時、その側にいた艦娘からの手紙だった。龍田の姉は、本来の所属とは別の艦隊と共に行動している最中に戦死したのだが、事態が最悪に陥るまでの全てがそこに書かれていた。龍田はそれを読んだ。読み返した。もう一度読み直した。そこから読み取れることを何もかも読み取ってしまってから、彼女はそれを何回も引き裂いた。そして封筒に入れ、親切な送り主に送り返した。封筒をポストに投函する時、その様子を目ざとく軽空母の龍驤が見ていた。二人は互いに見知らぬ者同士だったが、彼女は言った。「キミ、大丈夫か?」()()()。「ええ」「ホントに大丈夫なん?」()()()()()()()()()?「平気」「せやったらええねんけどな」()()()()()()()()()()。「ありがとう」

 

 龍田は口を閉じ、言うべきではないと彼女が信じたことを胸の中に押し込めた。その時には既に、彼女は艦隊旗艦を務める身になっていた。それは要するに、姉妹艦にして、訓練所で同じ教官から訓練された親友の天龍が死んだからと言って、塞ぎこんでいることが許される身分ではないということだった。龍田には彼女が命を預かっている五人の少女たちがいて、無責任な態度を取る訳にはいかなかった。龍田は彼女たちの一人一人が、誰かにとって掛け替えのない存在であることを知っていたし、艦隊員がいかに旗艦の影響を受けるかということも理解していたから、弱音を吐くことさえできなかった。

 

 あるいは、終戦直後。戦争中に比べると驚くほど簡単に数日の休みを取れるようになり、青森まで行って中学時代の友人と会った時のこと。艦娘に志願せず、海の上にどんな世界があったかを知らないその女性に、何とか自分の抱えているものの一欠けらでも理解して貰おうとして、龍田は懸命に考え、必死で話をした。彼女のたどたどしい言葉を全部聞き終わってしまう前に、かつての友人は龍田を遮って言った。

 

「でも、分かってたでしょ? 艦娘になれば戦争に行くんだってことぐらい。自分で選んだ結果じゃないの? 何をそんなにくよくよしてるのよ?」

 

 何かが、誰かが、もうちょっとだけ実際にあったことと違ったら、こういうことはしなかっただろうか? 龍田は歩きながらそう己に問い掛ける。島を乗っ取って軍と国に喧嘩を売り、結末の見えている戦いを挑むようなことをしなかっただろうか、と。これもまた、彼女の胸に残る他のどんな疑問とも同じように、分からなかった。だが、今、彼女は戦場にいた。戦争の中にいた。それで満足だった。そこでなら、どう振舞うのが正しいか、何をどんな風に感じるのが正しいか、彼女は余すことなく把握していたからだ。龍田は久しぶりに、随分と久しぶりに、自分が限りなくまともでいることを楽しんでいた。うきうきしていた。なので、石に蹴躓(けつまず)いた時もにっこり笑って、記憶の中でだけ会える天龍のように罵った。

 

「くそっ」

 

 普段から使い慣れている言葉ではなかったので、それは龍田自身の耳にも不自然に聞こえた。彼女の発音には力強さが足りず、苦々しさよりも中身のない寒々しさを感じさせた。何よりも、こういった卑語に絶対欠かせない怒りがそこには存在していなかった。けれどもその言葉は、龍田の気分をますます上向かせた。彼女のシンプルな一言は、戦争に付き物の汚らしさと、艦娘らしい雄々しさを内包していた。つまり、場に合っていたのだ。

 

 それに龍田は、()()のことを実によく知っていた。その臭いや色、温かみ、体にへばりついた時の吐き気を催す不快感、そこに含まれていることのあるもの、海水と混じった汚物がどのように広がって消えていくか、血と混じるとどれだけ手に負えない汚れになるか、話そうと思えば一日中だってそのことについて語れるかもしれないほど、彼女は深い知識を有しており、しかもそのことを自覚していた。龍田はそれを憎むのと同じぐらい、それに親しんでいた。歩いている最中、何処からか漂ってきたその臭いを嗅いで、思わずより深く呼吸をしそうになったほどだ。

 

 無論、龍田はすんでのところで思い留まった。彼女は鼻をぴくぴくと動かしつつ、臭いの発生源を探した。いつの間にか島の外縁部にかなり近づいていたので、汚臭は潮の匂いと混じり、加えて風に吹き散らされようとしていた。出所が気になっていた龍田は足早に探し回り、見つけた。狐と思しき小動物が、土の上に倒れていた。腹が切り裂かれ、臓物がでろりとその傷口から垂れ出ている。周囲の木々の多くがずたずたになっているのを見るに、巡視船からの射撃で飛び散った木か何かの鋭利な破片が、狐を殺したようだと龍田は判断した。ほとんど義務感に駆られるようにして、可哀想に、と彼女は思った。

 

 それで、薙刀に引っ掛けて狐を持ち上げ、この哀れな死骸をもっといい場所に動かしてやることにした。何十メートルか行ったところで死骸が薙刀から落ちそうになって、ひょい、と引っ掛け直すと、垂れていた腸から臭気を発する液体が飛び散って、薙刀の柄に付着した。もう一回だけ「くそっ」と龍田は言った。不自然さは相変わらず拭えなかったが、少なくとも今度は苦々しさと怒りが詰まっていた。

 

*   *   *

 

 天龍帰還の翌朝に開かれた単冠湾泊地での対策会議は、最初から極めて混乱した。吹雪が何の根回しもなしにいきなり、「深海棲艦を使う」という策を提示した為である。当然誰一人として表立って賛同することはなかったが、吹雪の「日本海軍と関係のない深海棲艦による被害なら、たとえ島が破壊しつくされたとしても、誰の責任にもなりません」という発言には、そこそこの魅力を感じているようだった。海軍は会議で吹雪に渡した天龍の報告のまとめから、五十鈴の生存を含む一部の情報を削っていたので、その点を突いて無差別な破壊をもたらすのを制止することもできなかった。結局彼らは論外であるとだけ述べて吹雪の意見を封じ、次に何かとんでもないことを言い出す前に決めてしまおうとするかのように急いで、連合艦隊派遣を決定した。

 

 情報の隠蔽に続いて、吹雪の予想は当たった。龍田の提督の麾下にある第一・第二艦隊それぞれの旗艦である「陸奥」「天城」は会議室に呼び寄せられ、つい先日までの戦友を殺害する任務を命じられた。陸奥は黙って敬礼を返し、天城は硬い声で「拝命いたしました」と答えた。那智による講習などに関する、ある程度の細かい指示を受けてから会議室を出ると、彼女たちは一斉に溜息を吐いた。任せられた任務の重大さと、その罪深さが二人の心を沈ませていた。「戦友殺しですって」と陸奥が呟くと、天城はそれに答えるようにして二回目の溜息を吐いた。初めての出撃の時に感じたような恐怖が、彼女たちの胸の中で渦巻いていた。

 

 陸奥も天城も、艦娘になったのは戦争真っ只中の頃である。彼女たちの単純な世界は、味方である人類と敵である深海棲艦の二種族で成り立っていた。戦争が終わり、人と深海棲艦が手を取り合ったことで世界が変わっても、それは今までの延長線上に過ぎなかった。敵が少し減り、味方が同様に少し増えただけ。あくまで陸奥の主砲や天城の艦載機は、己と己の所属する社会に敵対する深海棲艦に対して向けられるものだったのだ。それが今日になって急に同じ艦娘を殺せと言われて、簡単に受け入れられる筈がなかった。更に言うならば、その艦娘というのは長年の戦友である龍田なのだ。

 

 彼女の篭城を知らされて以来、事態が解決しなければいずれ自分たち第一・第二艦隊が呼び出されることになるだろうとは思っていたが、二人とも実際に「龍田を排除する」という任務を前にすると、どうしてもやりきれない思いを処理しかねた。だが彼女たちが身を置いていたのは軍隊で、そこでは命令は絶対だった。ああもう、とあらゆる状況に呪いを込めた一言を発してから、陸奥は言った。

 

「天城、まずは他の艦隊員たちを集めましょう。それと、第四艦隊の子も。私たちより標的を詳しく知っていることは間違いないでしょ」

 

 龍田の名を呼びたくなくて、陸奥は「標的」という言葉を使った。そのことがまた、彼女の胸を痛ませた。天城はこくりと頷くと「陸奥さんは第一・第二艦隊をお願いします。後は天城に任せて下さい」と一方的に告げ、第四艦隊の艦隊員たちに「これからあなたたちの旗艦を殺すつもりだが、それに協力して欲しい」と告げる気の重い役目を、陸奥から奪った。ビッグセブンと謳われた艦娘の一人であり、重荷を他人に背負わせることを憎む心優しい戦艦は、彼女と同じぐらい優しいこの空母を止めようかどうか迷った。彼女に傷ついて欲しくなかった。だが最終的に、天城が自分から言い出したということを尊重して、敬意と感謝を込めて「頼むわね」と端的に答えた。天城は嬉しそうに微笑んだ。

 

 つられて、陸奥も笑みを浮かべる。歴戦の艦娘である彼女にとっても非常に気の重い任務だったが、天城と一緒ならやり遂げられると思えた。海軍において、第一艦隊旗艦と第二艦隊旗艦が同格と見られることは少なかったが、陸奥は天城を一人の艦娘として、また旗艦としても対等な、頼れる存在だと信じていた。友人同士の気安さで、陸奥は天城の頬をつまんで引っ張った。「この仕事が終わったら一緒に休暇でも取らない?」そう持ちかけると、天城は頬をつままれたまま、一層笑みを大きくしてその誘いを了承した。それを見て、陸奥は救われた気がした。

 

 連れ立って、艦隊員たちの部屋がある宿舎へと向かう。玄関に入ったところで別れ、それぞれの務めに取り掛かった。陸奥が最初に声を掛けたのは、もちろん彼女の艦隊で二番艦を任されており、その信頼も厚い重巡艦娘「摩耶」だった。元を辿ればトラック泊地出身の彼女は、陸奥との付き合いこそ他の艦隊員たちよりも短かった。けれど初対面でお互いがお互いを奇妙なほど好きになってしまって以来、旗艦と艦隊員としてだけでなく、個人的にも親しくする間柄だった。これは多くの人々を不思議がらせた。この摩耶は他の重巡「摩耶」たちのように気が強いだけでなく、口を開けば罵り文句が溢れ出る、天性の兵隊らしい下劣さと非情さを身につけていたからだ。

 

 全く比べてみれば、彼女は陸奥の正反対と言ってもよい性格だった。だからこそ彼女たちは友人として親しくできたのかもしれなかった。陸奥は摩耶がこれまでに重ねてきた、ユーモアに満ちた悪行の話を繰り返し聞くのが好きだったし、摩耶は陸奥の女性的な傷つきやすさや、すれたところのない柔らかさを、何とも言えず気に入っていた。そういう訳で、陸奥が摩耶に龍田への次なる刺客が誰に決まったのかを告げた時、この口の悪い重巡がすっかり憤ってしまったのも仕方のないところだったと言えるだろう。思いつく限りの全存在に徹底的な呪詛を吐きつくした後で、摩耶はその最後の一滴を搾り出すように言った。

 

「クソが」

 

 すかさず陸奥は、今回の事件に関する第一艦隊の公式な見解として、この短い一言を採用した。摩耶は慰めるように彼女に笑いかけ、とんとん、と友人の背中を叩いた。不器用な彼女は、それ以外に相手を慰めるまともな方法を知らなかった。疲れた表情の戦艦は、友人の優しさに感謝しながら自分と天城で手分けして準備をしていることを告げ、摩耶に第二艦隊への連絡を頼んで、残りの艦隊員たちへの声掛けに戻った。葛城、秋雲、鬼怒、加古の四人はそれぞれの反応を見せた。任務は任務だとして受け入れる者もあれば、露骨に動揺する者もいた。最も平生(へいぜい)と変わらなかったのは加古で、寝ていたところを起こされてやや不機嫌な顔をしていたほどだった。

 

 四人を連れて、合流場所に指定しておいた宿舎前に行く。着いて数分もすると、摩耶が第二艦隊の五人を連れてやってきた。「天城たちは?」答えは分かっている、という顔で彼女は自分の旗艦に尋ね、陸奥は首を振って二番艦の予想通りの返事をした。このまま待つか、誰か行かせるか、それとも陸奥自身で第四艦隊を訪ねるか、決めかねて玄関先でたむろしているところに、声が掛かる。陸奥が首だけ回して見てみれば、顔の左側に火傷を負った那智が、数メートル離れたところに腕を組んで仏頂面で立っていた。しまった、と思って陸奥は時間を確かめた。講習の開始時刻を、既に十分以上過ぎていた。彼女は落胆を込めて息を吐いた。どんな事情があったにせよ、決められた時間を守れなかった咎は認めなくてはならない。

 

 那智に謝罪しようと、彼女の方に体を向ける。その脇を、小走りで摩耶が抜けた。眉をぴくりと動かして面食らった様子の那智をごく近くからしげしげと眺めると、質問した。

 

「あんた、戦争中にパラオ泊地の艦隊にいなかったか? 旗艦がすげえ古鷹でさ、グラーフもいたよな、そうだろ?」

 

 陸奥は那智の表情が目まぐるしく変わるのを見た。困惑、疑い、驚き、懐古、安らぎ、緊張。最後に彼女は一目瞭然の下手な無表情もどきの顔を作ると、ぶっきらぼうに「ああ」と答えた。我が意を得たり、という顔で摩耶は振り返って陸奥に言った。「なあ、先に講習を受けとこうぜ。他の艦娘だったら無視してもよかったんだけどよ、この那智はいい奴なんだ。昔の知り合いなんだよ」もっとも、その時には右腕は生身だったし、顔の左半分も()()だったけどな、と摩耶は付け加えた。己の隻腕と火傷顔への無遠慮な指摘にも関わらず、那智は気にしたところのない様子で「来い」と言い、それで決まりだった。宿舎玄関の番兵に、天城が来たら講習用に割り当てられた部屋に来るよう伝えてくれと頼んで、陸奥たちは移動した。

 

 先頭を行く那智に、ぞろぞろとついて歩く。先導者の発するぴりぴりとした空気に誰もが口を閉じる中、摩耶だけは盛んに彼女と話をしようとした。

 

「あたしのこと覚えてるだろ?」

 

 問われた方は答えなかったが、陸奥の目には那智が対処に困っているように見えた。知り合いだというのは本当なのだろう、と艦隊旗艦は思い、臨時教官のややとげとげしい態度も摩耶の知人だということを鑑みて、幾分かは割り引いて考えることにした。講習が本当に役に立つのかという疑問も、それで思い悩まずに済むようになった。残った目下の心配は、天城たちのことと、しつこく那智に絡む摩耶が相手を怒らせやしないかということの二つに尽きた。

 

「なあ、あたしがどうしてこんなところにいるか知りたくねえか?」

 

 一向に答えようとしないところから陸奥が察するに、那智は別段知りたくもないらしかった。

 

「いやこれが実はさ、あんたのいた艦隊と一緒にやった護衛任務──ほら、あたしが改二になった直後のさ──あの時のやらかしっぷりを補充の二人から提督に一部始終告げ口されちまってよ。あちこち飛ばされた挙句、ここに落ち着いたって訳だ。あ、他の三人か? 祥鳳は退役できたけど、後はダメだ。沈んじまった。ツイてねえよな」

 

 片腕の重巡は諦めたように顔を片手で覆い、うんざりだ、という感情が透けて見える、攻撃的な調子で言った。

 

「そうだな」

 

 しかしそれは摩耶を喜ばせ、懐かしい相手に出会って興奮している彼女の、完全に一方的な会話を余計に白熱させるだけに終わった。那智がこれを止めてくれとでも言うかのように首を回して陸奥を見たので、彼女は向けていた視線をそらした。摩耶はとうとう、講習が始まるまで那智に絡み続けた。お陰で陸奥は、ちょっとだけ溜飲を下げることができた。

 

 合間に小休止を挟みつつ四時間という長さではあったものの、講習はつつがなく終わった。天城は始まって数分で息せき切って飛び込んできたが、那智は別に咎めることもなかった。陸奥はもう一人の旗艦の後に続いて第四艦隊が入ってくることを願ったけれども、それは叶わなかった。ただ難航していた時点で望みを半分は捨てていたので、彼女は驚かなかった。

 

 講習が終わった後、陸奥は天城と話をした。彼女はまず請け負った任務を果たせなかったことを詫びてから、念の為に、提督に頼んで命令して貰おうか、と提案した。彼女たちが龍田の艦隊員たちに持っていった話は、上下関係のない艦娘同士の間で交わされる類の、拘束力のない頼みごとだ。しかしそれも一度提督の口から出た言葉となれば、強制力を持った命令となる。

 

 陸奥は天城のお芝居に付き合い、考えるふりをしてからその案を退けた。二人が第四艦隊に依頼という形で接触したのは、それを断る余地を与える為だったからだ。断固たる命令となれば、拒否はできなくなる。共に戦争を生き抜き、心底から親しんだ旗艦を殺す手伝いを強制するなど陸奥には到底できなかったし、天城にだって、そんなことをして平気でいられるような冷酷な精神は宿っていなかった。二人は第四艦隊が断ってくれたことに、むしろほっとしていたぐらいだったのだ。だが、単冠湾に来てからの龍田を最もよく知る艦娘たちの助力が望めないとなると、任務が更に困難なものになるのは確実だった。

 

 十二人の艦娘たちは、彼女たちに開放された作戦室の一つへと場所を変えた。そこには龍田の潜むラスシュア島や、その周辺の地図が用意されていた。大判のそれには、天龍の取った移動経路、彼女が発見した罠の位置やその種類、解除したか回避したか、龍田を奇襲した際に何処へ身を隠したかなども書き込まれていた。それを眺めて、陸奥は自分たちの前に島へ向かい、龍田と対峙したというその天龍の有能さに内心で舌を巻いた。経路には迷いが見られず、罠を作動させたのも一度限り。その上、龍田のフィールドの内で先手を取ったのだ。陸奥たちとしては第四艦隊が無理ならその天龍に手伝って欲しかったが、会議に出頭した際に彼女は傷口から感染症を起こして臥せっているということを聞かされていたので、諦めざるを得なかった。

 

 艦隊員たち全員で一つの地図を睨み、案を練る。難しい作戦だった。提督から、航空戦力を制限されていたのも痛かった。爆撃は対外的に刺激的すぎ、隠すことが難しいという理由で、艦上戦闘機と偵察機に限定されたのである。地上目標なら艦戦の機銃掃射も十二分に有効だと言われていたが、天城はその意見に懐疑的だった。空母艦娘による対艦攻撃は、いつでも爆撃と雷撃の二つの柱に支えられていた。艦戦の機銃掃射は牽制にはなっても、決定打となることは滅多になかったのだ。今回は割り切って、艦載機は上空からの監視と追跡に当てよう、と連合艦隊旗艦陸奥は判断し、空母を代表して天城がその意見を支持した。

 

 すると、その話を聞いていた第一艦隊の葛城が天城に訊ねた。「他に装備の制限とか、供与なんかはないの、天城姉(あまぎねえ)? 私の艦戦、三二型の零戦なんだけど」言いづらそうな顔で、滞空時間に不安がある、と主張する。偵察機は後部機銃以外の固定武装を持っていない彩雲を積んでいるというのも、彼女の不安を煽っていた。天城に代わり、陸奥が答える。「ないわね。だから、必要なら他の艦隊から個人的に融通して貰って。それと邪魔かもしれないけど、副砲も持っていくこと」葛城は不満そうだったが、了解の一声を返した。

 

 入れ替わりに摩耶が島への侵入ルートをどうするか問い掛けてくるが、陸奥はそれを決める前に龍田の目と耳、即ちラスシュア島のレーダーを潰す方法を考えたかった。破壊することは政治的な問題からできないにしても、ジャミングなら許されていい筈だ。が、陸奥の知っている艦娘用装備に、レーダー妨害を目的としたものは存在しなかった。専用装備のある海軍の通常の艦艇を動かすと、目立たずにことを収めるという目的が果たせなくなる。レーダーから逃れる方法を探るのをやめて、陸奥はむしろ龍田に自分たちの動きが知られることを利用できないか考え始めた。

 

 第一艦隊と第二艦隊、別々に行動すれば龍田はどちらか片方を見逃さざるを得ない。片方に掛かりきりになっている間にもう片方がレーダーサイトにたどり着き、一時的にでもその機能を無力化できれば、龍田の心理的な動揺も誘えるし、万が一撤退することになった際には追撃される恐れを減ずることだってできる。一方で、艦隊の戦力を分散することになることは大きなリスクに見えた。加えて二つ目の上陸地点を見つける必要もある。島の南端部から上るか、東部の岩礁地帯を抜けるか、悩ましいところだった。陸奥一人で考えていても()()が明かないので、彼女は自分の計画案を説明した上で、他の艦隊員たちにも意見を訊ねてみた。摩耶は言った。

 

「二手に分かれるのはいいんだけどよ、その後ちゃんと合流できるのか? あたしら、第三・第四艦隊の連中と違って、あの島に上陸したことなんてないんだぜ。しかも今はきっと、あちこち罠だらけになってる。よしんば()()()じゃなかったとしても、罠があるってのは事実だ。そこを警戒せずに進むなんてできねえ。視界の悪い針葉樹林の中で、とろとろ動く獲物が六人ずつ固まってるだけになっちまう気がするね。まだ十二人で一塊になる方がマシさ。で、これがあたしの意見として……天城、どう思う?」

「合流は上空からの誘導で可能だと思いますよ。それと、機銃掃射で罠の解除ができないか、艦載機妖精たちに話してみます。もし可能なら、行軍速度はそれなりに上がる筈です。後は……目標地点への到着時刻がいつになるか分かりませんが、夜偵を調達できないでしょうか? 標的がこちらに攻撃を仕掛けてくるとしたら、身を隠しやすい夜間になるでしょうから」

 

 陸奥は部屋の端にあったホワイトボードを引っ張ってきて、夜戦装備の用意、と書き込んだ。ついでにペンを各員に回し、思いついたことを書き込んでいくように告げる。言葉でやり取りをするよりも改善しやすいし、個々のアイデアを整然とまとめることができると考えてのことだった。が、彼女はその場に揃っているのが古参の艦娘たちであることをうっかり失念していた。あっという間にホワイトボードが大小粗細(そさい)の意見で埋め尽くされる。陸奥と摩耶は慌てて部屋を出ると、使われていない他の部屋から彼女たちの作戦室へとホワイトボードを運び入れ始めた。だが廊下を駆けて運んできたそれも、十人の艦娘たちによってどんどん白い部分を塗り潰されていく。

 

 三往復をこなしたところで艦隊員たちの筆が止まり、陸奥たちはやっと一息入れられた。小休止とも言えない休みだったが、数々の部屋から略奪してきたホワイトボードに山と積もった意見を前にして、余り長く休んでもいられなかった。ボードを並べ、そこに書かれたものを一つずつ精査していく。その内容に疑問を投じ、訂正を入れさせてより洗練した形にするか、一時破棄してしまうかを決める。時には議論が白熱して口論になりかけもしたが、陸奥はこの作業が好きだった。他人の意見を通じて、自分のものではない誰かの視点から物事を見ることができるからだ。それは単に新鮮であるというだけでなく、有用な発想を一部であるとしても含んでいることが多かった。例示するなら、加古の考えはこうだった。

 

「これ、あたしらが島に上陸する必要ってあんのかな? 現地に朝方到着の上で空母に艦戦ガン積みしといて、上空から見っけたら全力で機銃掃射しまくるだけで片付くんじゃないの? 少なくとも大破まで追い込めば、後は仕留めるだけって具合でさ。レーダーサイトに引きこもったら、その時は上陸してから砲撃して、建物ごと潰せば済むし」

 

 サイトへの直接砲撃が、提督たちの言っていた「対外的に刺激的すぎ」る行為であるかどうかは別として、この発言はその場にいた全員に根本的な発想の転換をもたらした。陸奥は言われるまでそんなことを思いもしなかった自分の脳みそを、小突いてやりたくなった。攻めかかる側としてはやりやすいことに、標的である龍田は摩耶などのような対空戦闘が得意なタイプの艦娘ではない。艦載機妖精たちに丸投げする形にはなるが、二手に分かれたり島の中で殺し合うよりも安全で、効果が見込める計画だった。さりとて、その一案のみに頼って動くほどそこにいる艦娘たちは素人ではない。当初の戦闘計画がまともに機能しなくなるという程度の事態なら、既に深海棲艦との戦いの中で何度となく経験していた。

 

 艦載機が龍田を発見できなかった、あるいは発見したが何らかの理由で逃すなどして、艦載機の運用できない夜戦にまで持ち込まれた場合を想定し、対策を練り直す。陸奥は自分たちが龍田の制圧に何日使えるかを推察しようとしたが、提督たちの様子から彼女が察したおおよその日数は、のんびりしていられるほどなかった。天城ともすりあわせをして、今日を入れて三日がいいところだろうと意見を合致させる。それで連合艦隊旗艦はこの度の作戦を決めた。まだ話し合いは終わっていなかったが、艦隊員たちは腕の確かな戦友であり、信頼できる旗艦の決定に異を唱えることなく従った。陸奥は微笑んで頷くと、命令を発する前の彼女の癖として、表情を消した。十一対のぎらぎらと輝く瞳が、陸奥に向けられる。

 

「連合艦隊旗艦として命令します。第二艦隊一番艦「天城」は第一艦隊三番艦「葛城」と協力し、夜戦装備を調達。方法は問わないわ。ただし、憲兵に捕まって出撃できないなんてことになったらお仕置きよ。後の子は全員、別命あるまで艤装調整か、自室待機。以上、解散!」

 

 最後の一言で、摩耶は真っ先に作戦室を出ようとした。その肩を陸奥の力強い手が掴み、引き寄せる。他の艦隊員たちはそれを見て、察したように急ぎ足で作戦室を出ていった。最後の一人がドアを閉め終わってから、痛みと圧力に顔を歪めた摩耶が、付き合いの短い親友に文句を言おうとすると、陸奥は命令前に見せた微笑みの何倍も大きく、ずっと危険な雰囲気の笑みを浮かべて言った。

 

「実は、泊地付きの憲兵さんたちからちょっと借りて来て欲しいものがあるの……お願いね?」


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