傷を負った古明地さんのペット達の傷も治せたし、後はゆっくり休むとしよう……。
「――この度は、地底の者がご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
謝罪しながら頭を下げる地底の覚妖怪、古明地さとりに永琳は気にするなと返す。
今回のナナシに降りかかった災難の原因は、謝る彼女の近くで暢気に酒を飲み明かしている萃香と勇儀なのだ。
2人の鬼の態度に、永琳は音も無く立ち上がり、素早く遠慮なしに2人の頭部に拳骨を叩き落とした。
しっかりと拳に霊力を込めたその拳骨は、頑強な鬼の肉体にも明確なダメージを与え、2人はそのあまりの痛さに頭を押さえながら悶絶し始めてしまった。
「それで、ナナシの容態は?」
「え、ええ……今朝方に目を醒ましまして、身体共に異常は見当たりませんでした」
心を読んで無理をしていないのも確認している。
さとり達が用意した朝食もきちんと食べてくれたので、問題はないだろう。
彼女の報告を聞いて、とりあえず安堵する永琳。
「申し訳ないのだけれど、あの子の好きにさせてあげてもらえるかしら?」
「わかりました。ですが……宜しいのですか?」
「何を?」
「ナナシさんに早く帰ってきてほしいという、あなたの心が見えたものですから」
覚妖怪としての性を、つい出してしまうさとり。
「…………いいのよ。寂しがるのは鈴仙だけだから」
「……そうですか」
嘘ですね、とはさすがに言えなかった。
目の前の相手の機嫌を損ねるのは好ましくない、ついつい余計な事を言ってしまったとさとりは内心反省する。
「それにしても、地底に現れたというその男は、一体何者なのでしょうね」
「結構腕の立つヤツだったよ、あのまま戦っていたらいい喧嘩ができたんだろうけどねえ」
実に残念だと能天気な不満を漏らす勇儀に、さとりは非難の色を込めた視線を送る。
こっちは家族であるお空とお燐が傷つけられたというのに、その反応はなんだ。
「ありゃあ地底のモンじゃなかった、かといって地上のヤツとは思えない程……血生臭いヤツだったよ」
「お燐の話では、地底でも誰も近寄らぬエリアから現れたという事ですので、此方としても詳しい事は……」
あの世の、閻魔辺りならばわかるかもしれないが、連中が話してくれるとは思えなかった。
旧地獄である今の地底世界ができたのも、連中の傲慢で身勝手な政策の結果なのだから、まず真実を追究しても無駄だろう。
「別に興味が無いから問題ないわ。ナナシに危害が加わらなければ」
「……随分と、あの人間を大事に想っているのですね」
「なし崩し的とはいえ弟子にしたのだから大事にするのは当然よ、それに物覚えが良くて素直で優しいのなら尚更でしょう?」
「まあ、確かにそれはそうですが……」
永琳の言う通り、彼は優しく素直な心の持ち主である。
覚妖怪である自分とすら友人になろうとするし、お空やお燐達ペットも既に彼に対して心を開き始めていた。
素直過ぎて思わぬ考えを読んでしまう事もあったが、今のところ彼に嫌う要因は見当たらない。
彼は良い人間だ、それは間違いないが……逆に、さとりにはそれが不気味であった。
彼からは強い欲望が見つからない、人間は勿論妖怪ですら当たり前のように持つ欲が彼には存在していないのだ。
それはあまりに異常すぎる、まるで彼は他者にとって都合の良い……。
「…………」
嫌な考えを頭から振り払う。
この先は考えるなと、さとりは自分に言い聞かせた。
(彼は信用できる人だ、それだけで充分よ……)
■
今回は寝込む事になるかなあ。
そう思ったのだが、半日眠ったら身体は本調子を取り戻していた。
治癒の力に新しい能力を多用してしまったけど、負担は思ったよりも軽かったようだ。
とはいえ僕の身体はあくまで人間、頑丈とはいえないので念のため1日この地霊殿で休むように言ってくれた古明地さんの厚意に甘える事にしたのだけど……。
「……あの、お空ちゃん」
「何?」
「離れてくれない?」
「ダメ!!」
さっきから地獄鴉の女の子、霊鳥路空――通称お空ちゃんが逃がさぬとばかりに僕の身体を抱きしめていて身動きがとれない。
もちろん此方の要望ではない、どうしてこうなった?
「さとり様から、おにいさんを守るように言われてるもん」
「いや、そうだけどさ……僕を抱きしめる必要は無いと思うんだけど?」
守ろうとしてくれるのは伝わってくるし嬉しいけど、こっちとしては心臓に悪い状況が続いているのは勘弁願いたい。
お空ちゃんの身体は、大人の女性顔負けの成熟さだから、密着されると……その、色々と困る。
「おにいさんは、おくうにぎゅーってされるのは、いや?」
「そ、そういうわけじゃないんだ。
けどねお空ちゃん、男っていうのは女の子に抱きつかれると緊張したり色々と変な事を考えてしまうから、家族とか好き合ってる相手以外にはしない方がいいんだよ」
やんわりと、言葉を選んで説明する。
だけどお空ちゃんはよく理解できなかったのか、頭に「?」マークを浮かべながら首を傾げてしまった。
……なんで身体はこんなに成長しているのに、そういう知識を持っていないんだこの子は。
「えーっと……おにいさんはおくうのこと嫌い?」
「えっ、そんな事はないよ。お空ちゃんは優しいし好きだよ、もちろん友達として」
「えへへ……おくうもおにいさん大好き、お互いに好きならぎゅーってしてもいいよね?」
「いや、だからね……」
やっぱりわかってないよこの子は。
けど、無邪気に笑いながら抱きしめてくるこの子を、無理矢理引き剥がすなんて真似はできなかった。
……別に彼女の豊満な胸が当たって気持ち良いとかそういう邪な気持ちは断じて……ない、筈だ。
「……んにゅ、なんか……眠くなってきちゃった……」
「急にどうしたの? お空ちゃん」
「わかんない……」
「眠いのなら、ベッドに行かないと」
「ぅ、ん……」
大きな欠伸をしながら立ち上がり、お空ちゃんはそのまま僕ごと部屋のベッドに……。
「って、ちょっとお空ちゃん!?」
「おやすみなさい……」
「いや、おやすみなさいじゃなくて……」
「……すー……すー……」
寝るの早っ!?
……どうしよう、完全に動けなくなった。
眠っているのに僕を抱きしめる力は一向に緩まず、かといって起こすのは憚られる。
でも近くで聞こえる寝息とか体温とか……妙に意識してしまいそうだ。
「…………」
うん……これは、無理だな。
溜め息を吐いてから、全身から力を抜きつつ目を閉じる。
脱出は不可能、かといって気持ちよく寝ているお空ちゃんを起こすのは論外。
なので――僕も寝る事にした。
人間、諦めが肝心という事である。
「おやすみなさい」
お空ちゃんの高い体温に包まれているからなのか。
まどろみはすぐに訪れ、意識もゆっくりと薄れていった。
女の子に抱きしめられながら眠る、なんとも気恥ずかしいものだけど心地良さが勝っているのでたいして気にはならず、あっという間に意識は眠りの世界へと旅立ってくれた……。
■
……浮遊感を覚え、目を開けた。
視界に広がるのは先程の部屋……ではなく、闇よりも深い漆黒の世界。
現実味が薄い、まだ夢の中に居るのか?
〈まあ、そんなようなもんだ〉
何も見えず何も聞こえない世界の中で、突如として響く男の声。
青年を思わせる若さ溢れるその声の主は、驚いている僕の事など構わずに、まるで世間話をするかのような口調のまま――その姿を現した。
〈よっ、眠っているのに精神を引き摺り出すような真似をして悪いな〉
「…………」
現れたソレを見て、言葉を失った。
灼熱の業火に身を包み、赤い瞳を輝かせる巨大な鳥。
姿形は鴉に似ているけれど、その大きさは小さな山を思わせる巨大なものであった。
〈あー……やっぱ驚くよなあ〉
「いえ、驚いた事は驚きましたけど大丈夫です」
〈おっ? 肝が据わってんな、こんな状況で落ち着いていられるなんざたいしたもんだ〉
割と本気の口調で褒めてくれる炎の鴉に、曖昧な笑みを浮かべる。
この一月足らずで色々な目に遭ったから、慣れたというか受け入れざるをえないだけでしかないのだ。
〈まずは自己紹介といこうや、オレの名は“
「八咫烏って……」
八咫烏。
太陽の化身とも呼ばれる三本足の鴉……だったか。
そして、とある事情でお空ちゃんの身体に宿っている神様が何故僕の前に現れたのか。
「……僕はナナシと名乗っている者です、それで八咫烏様は」
〈ああ、別に畏まる必要なんかねえぞー? オレはフランクな神様を目指してるからな、敬語もいらねえ〉
そう言ってニカッと笑う八咫烏。
フランク過ぎやしないかこの神様……けど話しやすい空気を作ってくれたのは、正直ありがたい。
〈どうしてオレが現れたのか疑問に思ってるんだろ? 実はな、ちょいとお前さんに頼みたい事があるんだよ〉
「頼みたい事、ですか?」
〈ああ、それでその内容なんだが……お前の身体を貸してほしいんだ〉
「…………えっ?」
言葉の意味がわからず、間の抜けた反応を見せてしまった。
身体を貸してほしいって、まさか……。
〈待った、今のはオレの言い方が悪かったな。お前にはオレを降ろす為の“
「依代?」
〈要はお空みたいにオレという神をその身に宿してほしいって訳だ。
当然そっちにもメリットはある、オレの力を宿せば妖怪に襲われても真っ向から自衛できるぞ。お前さん結構襲われやすそうだからな〉
「それは……まあ」
僕には自衛手段はない、新しく得たジャンプ能力はせいぜい逃走や回避にしか使えない。
それを考えると確かにメリットはある、だけど向こうには僕の身体に宿る理由があるとは思えないんだけど……。
〈理由ならあるぞー。まあ聞いても胸糞悪くなるような世知辛いもんだから、聞かない方がいい〉
「世知辛いって……」
〈神様にも色々あるんだよ、色々な……〉
疲れたようにため息を吐く八咫烏。
その様子を見ると、深く突っ込む事はできなかった。
……さて、どうする?
話の内容は理解できた、そしてそれが僕にとっても価値があるという事もだ。
だけど、確かめなければならない事もあった。
「……1つ、いいかな?」
〈おう、なんだ?〉
「僕みたいな人間が、八咫烏のような力を得たとして……それを正しく使えるかな?」
〈知らん〉
あんまりな即答を返される。
知らんって……こっちは真面目に訊いているのに。
〈正しい力の使い方なんぞわからんからな、何が正しくて何が間違ってるなんざそれぞれの立場や考え方でコロコロ変わっちまうもんさ〉
「それは、そうかもしれないけど……」
〈お前が正しいと思った事に力を使えばいい、お空の傷を治した時だってそうする事が正しいと思ったからだろ?〉
「……そう、だね」
何が正しくて何が間違っているのか、結局は自分で捜すしかないのかもしれない。
……よし、覚悟を決めよう。
彼の力を受け入れる選択を選ぶ、きっとそれが僕にとって“正しい”事だと思ったから。
〈――よろしくな、ナナシ。今日からオレとお前は運命共同体だ!!〉
「っ、ぐっ……!」
八咫烏の灼熱の身体が、体内に入ってくる。
すぐに僕という人間の許容を軽く超えるエネルギーが内側で暴れ、焼き尽くさんと勢いを増していく。
太陽の炎、脆弱な想像などでは決して計れないその力は、確実に僕の身体を融解させていった。
……肉体が、保たない。
神の器になるには、僕という存在では明らかに力不足だ。
肉体だけでなく精神すら焦がされ、今にも消えてしまいそうになる。
〈落ち着け。これはお前の敵じゃない〉
「……僕の、敵じゃない」
〈そうだ、抗ったり抑え付けようとするんじゃなくて、静かに受け入れればいい〉
消えてしまいそうな意識の中、八咫烏の声が響く。
受け入れる……抗うのではなく、あるがままに受け入れる……。
何度も何度も自分に言い聞かせながら、荒れ狂う炎の熱に耐え続けた。
この炎は僕の命を奪うものではなく、僕を守り僕を導く神の炎。
ならば受け入れられない道理は無い筈だ、それに……この力を正しく使いたいと願ったのならば、乗り越えなければ。
自分自身の為だけじゃない、こんな僕を依代に選んでくれた八咫烏の気持ちにも応えたかった。
そう思うと同時に、少しずつ体内の炎が溶け込んでいくような感覚が押し寄せてきた。
炎と一体化するような感覚に戸惑いつつも、八咫烏の言葉を思い出し静かに受け入れていく。
〈……お空より早いか、こりゃ凄いもんを見つけちまったな〉
八咫烏の声が、どこか遠くから聞こえる。
そう思った瞬間、体内の炎が一層激しさを増しながら肉体だけでなく視界すら赤く染め上げて……。
「おにいさん」
熱も消え、視界も元に戻った時には。
僕の意識は元の部屋に戻っており、そんな僕をお空ちゃんがじっと見つめていた。
〈ようこそ“こちら側”へ。歓迎するぜナナシ〉
「ヤタ君、本当におにいさんの中に入れたんだ……」
〈おいおいお空、お前信じてなかったのか? あとヤタ君はやめろ、こっ恥ずかしいから〉
八咫烏とお空ちゃんが普通に会話してる……。
同じ神を宿しているからか、どうやら八咫烏の声は共有して聞こえるようだ。
「えへへへ」
「?」
此方を見ながら、お空ちゃんが嬉しそうに笑っている。
「どうしたの?」
「あのね、おにいさんがおくうと同じになってくれて嬉しいの!」
これ以上ないってくらいの笑顔を見せるお空ちゃんに、なんだか気恥ずかしくなった。
でもいくらなんでも喜びすぎじゃないか? そう思ったけれど、次のお空ちゃんの言葉でその意味と……八咫烏の真意を理解した。
「ヤタ君の力を使えるのっておくうしかいなかったから、その……ちょっとだけだけど、ホントにちょっとだけだけど……寂しいなって思っちゃった事があるの」
「…………」
「だからね、おにいさんにもヤタ君が宿ってなんだか仲間ができたみたいに思えて……嬉しくなったの」
普通の力ではない神の力、それは持つ者を特別な立場に追いやり孤独を生む。
お空ちゃんにはお燐さんという友人がおり、古明地さんという主がおり、沢山のペット達が居る。
だけど、八咫烏の力を持つという立場として見れば、お空ちゃんは孤独だったのかもしれない。
そして彼女の中に居た八咫烏はそれをわかっていたからこそ……依代になれる僕に自らを取り込ませようと思ったのかもしれない。
(八咫烏は、優しいね)
〈いきなりなんだよ? お前が何を考えているのか知らんがそれは買い被りってモンだ、こっちの都合でお空に余計なものを交わらせちまったんだからな〉
(それでもだよ。少なくとも僕にとっては)
〈……恥ずかしくなるから、やめれって〉
それきり、八咫烏は黙り込んでしまった。
照れているのがまるわかりな彼の反応に、僕と声が聞こえていたお空ちゃんは顔を見合わせ小さく笑い合う。
こうして、僕は八咫烏という神様の器となった。
いきなり地底に攫われてきたけれど、終わってみたら友達が増えてくれたので僕としては嬉しい出来事として終わってくれた。
だけど、所詮僕は浅はかな考えしか思い浮かばない子供でしかなくて。
今回の出来事と、八咫烏という存在を受け入れた結果が周囲に何を生むのかを、まるで理解していなかったのだ……。