旅の始まりの前日、セルピルは自分の部屋で旅の用意の最終チェックをしていた。片手には、本屋で購入した『入門初めての旅の準備と心構えと楽しみ方』を読み返してかばんに入れる物を指差し確認していた。
「タオルよし、替えの服よし、メモよし、ペンよし、水筒もよし、後ほかには……」
初めての一人旅に、興奮とともにどこかしら不安があった。最終チェックもこれで三回目と念入りである。すると、ドアをノックする音がするとセルピルの母エレモアが入ってきた。
「セルピル、まだ準備していたの?スヨルタウンまでならそこまで準備しなくてもいいんじゃないの」
今回の旅を親には、ここから少し離れたスヨルタウンへ自転車で旅行に行くことにしている。スヨルタウンは、セルピルが小学校のころに遠足で行ったことがあり、道中も凶暴なポケモンが生息していないため、親もそこまでならと許可が下りたのだ。
「だって、初めての一人旅よ。準備は念入りにって、……この本に書いてあるもん」
セルピルは、旅の指南書を聖典のように掲げて、持ち物の必要性を一つ一つ母親に説明していく。
「けどね。こんな大きい寝袋必要あるの? 野宿するつもり?」
エレモアが、セルピルの用意していたピンク色の寝袋を拾い上げた。
「ひ、必要必要。もし夜までに街に着かなかったら、寝袋がないとぐっすり眠れないし」
「朝日の洞窟なんて迷っても二日で着ける距離でしょ。たった一週間の旅行なんだから荷物は、最小限に!」
セルピルは、スヨルタウンまでは寝袋が要らないほどの距離であることはわかっていた。道中にある朝日の洞窟も、スヨルタウンまでの行き方も知っているため迷うことはない。寝袋は、真の目的であるジムめぐりという、親に黙って長い旅路を行くのがばれて、どこかの宿で連れ戻されないように野宿して身を隠そうとする魂胆であった。
「セルピルは女の子なんだから、野宿なんて危ないよ。それに、あの手紙の件もあることだしもしものことがあったら……」
「わかりました。ちゃんと宿に泊まります。それにあの手紙も出してからもうすぐ一ヶ月だし、ただの悪戯だって」
だがセルピルは、この約束を反故する。旅から出発してから数日後に、寝袋を購入するのだから。
そして、出発の当日。時間は午前六時、朝日が昇ったばかりで朝もやがかかり、周囲の景色は港から出航したばかりの漁民を乗せた漁船の明かりがラーレタウンを輝かせていた。
セルピルの服装は、日差しよけの帽子としてソフトハットをかぶりデニムパンツと白のシャツというコーディネーションで自転車を押していた。自転車の前かごには、イワンコ一匹が入れるような大きなボストンバッグを載せている。
エレモアとイワンの一人と一匹が玄関先に出て、一人娘の旅の出発の見送りに出ていた。エホバは、すでに仕事で漁に出ていた。
「忘れずに、レイちゃんのとこのアチャモを借りるんだよ」
「わかってるって! 」
自転車にまたがり、旅の始まりの一歩を踏もうとした。その後ろで、母親がセルピルを呼び止め、セルピルを振り向かせた。
「餞別だよ」
エレモアが、ひとつのモンスターボールをセルピルに投げ渡した。セルピルがそれを受け取ると同時にイワンがボールに向かって跳び、ボールのポケモン回収機能が作動してイワンがボールの中にへと入っていった。
セルピルが受け取ったボールに、イワンが入ったことを見て目をぱちくりさせた。
「旅の連れは多いほうがいいだろって、あん人が出かける前に言ったから渡しとくよ」
予想外だった。旅の準備にあれこれ言われては荷物を減らされてきた親が、まさかこんな直前になって旅の仲間という選別を渡されるとは思ってなかった。セルピルは、イワンが入ったボールを一瞥し、再び母親のほうを向いた。
「ありがとう! お父さんにも言っておいてね! ちゃんと帰ってくるから」
エレモアに別れを告げると再びペダルをこぎ、母親の姿が未だに消えぬ朝もやで見えなくなっても後ろを振り向かなかった。
すでに朝もやは晴れ、夏の湿気を十分に含んで青々とした新緑の草木が彩る緩やかな丘が広がる。ここは十三番道路、ラーレタウンとブッスシティを結ぶ丘である。道路と名がつくが、実際は一本の街を結ぶ砂利道があるだけの草原で、その砂利道も一部が草で覆われていて見えなくなっているというあまり整備がされていないという道路としてはお粗末な状態だ。
しかし、この草原が残り緩やかな丘に加え気候も程よい暖かさという環境がポケモンや近くの住民にとってのびのびとすごせるよい場所であるのだ。
十三番道路の砂利道を自転車でこぐセルピルは、風を受けて涼しげに旅の始まりを楽しんでいた。この道路は、ブッスシティが丘を上った先にあるため、ラーレタウンから行く場合は傾斜があるため億劫であるものの、軽い運動をするには程よい傾斜となっている。
セルピルは、丘の斜面に差し掛かってはペダルをこぎ、下りでは降りる勢いに起きる風を受けて暑さで出た汗を飛ばしてその涼しさを心地よく感じた。二つ目の丘の頂上に着いて後ろを振り向くとラーレタウンが眼下に広がっていた。
ここを訪れることはよくあり、ここで遊んだりポケモンバトルをするなどしていたが、こうしてじっくりと故郷の姿を見るのは初めてだった。故郷の姿を本当に見れるのかなという気持ちが一瞬頭をよぎったが、自分の両頬を叩いて気持ちを入れなおしペダルをこいだ。それからセルピルは、小さくなりつつある故郷の姿を再び振り返らなかった。
ラーレタウンからブッスシティまでは、自転車で早くて二十分で着く。ブッスシティから側だと下りとなるためその半分の時間でラーレタウンに戻れるということもあって、ラーレタウンの住民はブッスシティに行く際は基本的に自転車で向かう。
そして、セルピルが十三番道路にある最後の丘の頂上に到達すると、降りた先に『ブッスシティ南口』と書かれた看板と何棟かのビルが見えてきた。セルピルは、ブッスシティへは数え切れないほど行ったことがある。まだここはいつもの日常の場所なんだということを改めて気づかされた。
「セルピルじゃん」
不意にセルピルを呼ぶ声が聞こえて自転車のスタンドをあげて、自転車を降りてあたりを見渡した。だが、丘の周辺は人一人もなくただセルピルの横に立っている樹木が風を受けて葉っぱを鳴らしている音だけが聞こえるだけである。
「上だよ上」
所在がわからない声の主の言われるがままに木の上を見上げてみると、セルピルの頭の上より三十センチほど高いところにある枝に腰を下ろしているクラスメイトの男子のセロがそこにいた。
セロは、枝から一気に地面にまで着地し、セルピルのそばに近づいた。セロは半そでに短パンと夏の格好らしい服装で、腰にはモンスターボールを携えていた。
「珍しいね、一人でブッスシティにいくなんて。いつもはセルピルの友達と一緒に集まって行くのに」
「別に一人で街に行ってもいいでしょ。一人でゆっくり街を散策するのもいいものだし」
早くブッスシティに到着したいのに、引き止められあげくいつも集まって出かけることを馬鹿にされているように感じセルピルは少しカチンときた。さっさと街に向かおうとスタンドをあげて自転車にまたがろうとした時、セロが自転車の前に出てきた。
「ねえ、せっかくだからポケモンバトルしようよ」
セロとは、あくまでクラスメイトという間柄で特別親しいわけでも悪いわけでもない。しかし、いきなりバトルを挑まれて驚きを通り越してしまった。セルピルは、野生のポケモンと戦ったことは何度かあるが、トレーナーとのバトルは初めてでうまくやれる自身がなく拒否したかった。
「でも私、早く街に」
「一対一だからすぐに終わるから。それにトレーナーと目が合ったらポケモンバトルは、挨拶と同然だって言うし」
セロは、すでにモンスターボールを手に持っていた。相手はすでにバトルする気満々だった。
「じゃあいくよ! いけ、コラッタ!」
「とっとと終わらせるわ。お願いね、ニチャモちゃん!」
セルピルは、いあおうなしにアチャモを繰り出した。このアチャモは、通常のアチャモと比べて頭の羽が一本欠けている身体的特徴があり、羽が二本だからニチャモと名づけている。お互いが、モンスターボールからポケモンを解き放ち臨戦態勢をとらせた。
セロは、コラッタに体当たりの指示を出し、コラッタは速度を増してニチャモに向かう。
「かわせ!」
ニチャモは、体当たりをぎりぎりのところでよけた。コラッタは方向を転換し、再びニチャモに向かって体当たりを繰り出す。
「僕のコラッタは、かわされてもすぐに攻撃できるように鍛えているんだよ。しつこいよ僕のコラッタは」
「ああもう。ニチャモ、かわしたらすぐにつつくよ」
また、コラッタの体当たりをかわすとコラッタのわき腹を絶え間なくつついた。相当のダメージを与えているようで、コラッタはニチャモの攻撃から抜け出せなかった。
「いいわよ。そのまま押し切っちゃえ!」
「やるね。尻尾を振って気をひきつけろ!」
コラッタの尻尾が大きく揺れて、それがニチャモの頭に当たると何が起きたのかと感じ、攻撃を止めてしまった。その隙にコラッタは、抜け出し少し離れたところからでんこうせっかをしてニチャモにアタックした。
「よし、もう一度でんこうせっかだ」
「だったら、口の中に火を溜めるのよ」
ニチャモは、嘴の中に火の玉を溜めてでんこうせっかで近づいてくるコラッタに向けて放つ。ひのこはコラッタに直撃して火に包まれ、火が鎮火するとコラッタは倒れ戦闘不能の状態になった。
「大丈夫かいコラッタ!?」
セロは、懐からきずぐすりを取出し、傷があるところに散布した。コラッタは、少し元気になったが先ほどのひのこで受けたやけどがまだ残っていた。
「ごめん。コラッタ大丈夫? 動ける?」
「チャモ~」
セルピルとニチャモが心配そうに駆け寄った。ニチャモは、申し訳ない顔をしてコラッタに近寄る。そのコラッタは、大丈夫だよと言いたげな表情で返した。
「まだやけどが残っているけど、大事には至らないよ」
「でも早く完治しないといけないよ。ブッスシティのポケモンセンターに私、連れて行くよ。自転車で下ったらすぐに着くし」
「わかった。僕のコラッタを頼むよ」
セロは、コラッタをモンスターボールに戻して、それをセルピルに渡した。モンスターボールをリュックサックに入れると一気に丘を下って
「セルピル、すぐに追いつくから。後、バトルありがとう!」
背後から聞こえるセロの「バトルありがとう」という言葉に心のどこかで引っかかった。コラッタにやけどを負わせえるまで戦った相手にありがとうということにセルピルの頭は理解できていなかった。だが、セルピル自身に傷つけてしまった負い目はあるもののバトルそのものへの罪悪感はなかった。
期限まで後、五十四日。