揺れる二等車、流れる景色に一瞥もせずセルピルは俯いて自分のいたコンパートメントに戻ってきていた。その様子は、ほかの破れたトレーナーたちよりも幾分か冷静であったが、内心は動揺していた。
やってしまった。最後のバトルで相性の悪いナライを交代させていれば、まだ手持ちのイワンと交代できていた。いや、それよりもあのしろいきりの中でナライを見つけられず隣のトレーナーのことに気を取られてしまった隙を作ってしまったことが、自分の敗因では。いやそれよりももっと早く隣のトレーナーよりも早く決着をつけていればと、どんどん先ほどのバトルの反省点ばかりが浮かび上がってしまい負のスパイラルを起こしていた。
放送では定員割れがあれば再度本選への挑戦できるかもしれないが、結果次第ではセロと共に行くことが……いや敗者復活枠が定員超えして、またもそこで負けてポケモンリーグに行けないかもしれないということさえ浮かんでしまう。
「あら、あんたも負けたの?」
ふと、どこかで聞き覚えのある声が聞こえて顔を上げると、ハリカがセルピルのいるコンパートメントに顔を出していた。「も」という言葉でセルピルはハリカも先ほどの勝ち抜き戦に敗北したことを察した。
ハリカは自分のコンパートメントでないのに何食わぬ顔でセルピルの向かい側の席に腰を下ろすと、ふわりと長い髪を上げて脚と手を組みシートにもたれかける。敗北したはずなのになぜか余裕があるような表情にいぶかしみ、セルピルは念のため少しぼやかして聞いてみることにした。
「……あなたもそうなんですか?」
「ここにいるということはそういうことでしょ?最後の最後で倒されちゃってね」
「私たちを差し置いて行くからですよ」
「あのときはちゃんと約束通りしたでしょ。何も裏切っていないし、順番も同意あってのことでしょ」
やはり敗北していた。だが、その言葉に暗さもなく平然とスレイマンと同じことを言っている。
どうして?負けたのに、一度きりのそれもポケモンリーグという大舞台に行けないかもしれないというのに、自分と異なりそんな態度ができるのか。
「ま、本選はいけなくても敗者復活ぐらいは行けると思うけどね。セルピルちゃんはどこまで行ったの?」
「……あなたと同じです」
「奇遇ね。もしかしたら敗者復活戦で争えるかもね」
敗者復活へ行けるかも……?そんな自信がセルピルには出てこなかった。あの不甲斐ない戦い方でポケモンリーグに行けるという考えが浮かべなかった。すると、ハリカがセルピルの表情を見て手を組んだまま冷笑した。
「ふ~ん。ふっ、大会本会場に行く前に気持ちで負けているようじゃ、敗者復活でも上がれないわね。そんな弱腰でポケモンリーグに来たなんてお友達がかわいそうね」
「っ!?どうしてそんなことが言えるのですか!?私には友達との約束で、ポケモンリーグに行かないといけないのです!」
流石のセルピルもついに切れて、席から立ち上がった。アレクサンダーとの約束のために、セロと一緒に行くという約束に苦言を呈されたことに怒髪天を貫いた。
だが、ハリカは臆さず姿勢を崩さないままセルピルを睨んでいた。
「立派なことで、けど今のあなたにはそんな風には見えない。本当にその約束を守るために、相手を押しのける気概が見られない。ポケモンリーグに行くというのはそういうこと。三等車でもそう、戦闘車でもそんなことがなかった?」
思い返してみれば、あの戦闘車もそうだった。三戦目でナライにじしんを使おうとしたのを相手に迷惑がかかると思って控えてしまった。
「隣のトレーナーに迷惑がかかるような技を途中から使いませんでした」
「やっぱりね。どんな約束だかこっちは知ったことじゃないけど、
覚悟を。どんな障害でも、相手を押しのけてでも勝つ覚悟を。ハリカはそうしてポケモンリーグを幾度も本選出場を遂げていたのだろう。セルピルはどこか自分の中にポケモンリーグの予選なんて超えれるのではと甘い考えがあったのではないかと自問自答した。
潜り抜けるではなく勝ちたい、その覚悟がなければ本選なんて、ましてやポケモンリーグさえも届いていないのではと思うほどに。
『皆様にお知らせいたします。先ほどすべてのお客様がバトルを終了し終えましたのですが、リーグ本選枠が
ハリカとセルピルが同時に天井にあるスピーカーを見た。
『本選への出場権利を持ちますのは、先ほどの勝ち抜きバトルで二連続勝利したお客様のみです。繰り返し条件をお伝えします。先ほどの勝ち抜きバトルで二連続勝利したトレーナーの方のみが本選出場権利があります』
晴天の
『再び三連続勝利をしてください。三連続勝利をしたお客様が本選へ出場できます。なお、先ほど集計した際、このバトルに参加したお客様は、全員敗者復活枠への出場が確定しております。それではまず――』
そしてアナウンスが最初の二人を呼び出し始めると、両者はお互いをじっと見つめた。
勝手も負けてもポケモンリーグのある中央都市へは行ける。だが、なぜかそれではセルピルの中では釈然としない、それはハリカのほうも同じ様に見て取れた。
「幸運ね。でも、私は本選に行くわよ。敗者復活に甘んじるなんて、本選出場経験者として顔向けできないもの」
アレクサンダーとの約束も、セロと一緒にポケモンリーグへ行くのも、自分が中央都市へ行く理由ではある。だが、それを成すためには自分はここで勝たねばならない。
必ず本選に行く、目の前に再びぶら下げられた幸運を、その勝利の果実を、目の前のライバルに取られたくないという燃える意思が先ほどあった感情を焼き払っていた。
全部勝つ。その意志がセルピルの目に宿っていた。
『お客様にお知らせします。先ほどお客様が一名本選への出場権を獲得しましたので、残り人枠となります。続いて、二十二番と三十二番のお客様お入りください』
自分の番号が再び呼ばれて席を立つと、ハリカも同時に立ち上がった。隣で戦う三十二番は目の前にいた。
「絶対に本選に行きますから」
「それは私のセリフ、最後の枠は私が先に手にするから。これで決まらずに、またバトルする羽目になるのはポケモンがかわいそうじゃない」
二人は、目から二匹のピチューがバチバチと電気の火花を散らせるように戦闘車へと向かっていく。
「第三組目のお客様。では、先ほどと同じように使用ポケモンは三体、いきますヨ!」
第一、第二の試験官は無事に通過できた。いよいよ最後の一人、シェフが相手だ。今までの試験官は先ほどのバトルに出してきたのと異なるポケモンを繰り出してきた。このシェフも同じようにまた別のポケモンを繰り出してくるに違いない。
隣のハリカもほぼ同時のタイミングで三人目の試験官とのバトルを始めようとしていた。
もしハリカも通過してしまったら枠を巡っての再戦の可能性が出てくる。先ほどまでのセルピルならばそれを思い、気がめいっていただろう。だが今は、ハリカよりも先に勝利したい!その気持ちだけを胸にボールを投げる。
「むーん!」
「ワルビル」
初手、相手はさばくワニポケモンのワルビル、相性では優勢を決めた。だが、油断はできない。早々に決めるためにやどりぎのタネでワルビルを拘束させる。
「むーんやどりぎのタネで拘束、そのままギガドレイン!」
むーんから放出された種が地面に埋まると、すくすくと伸びてワルビルの体や長い顎に絡みつき始める。
「ワルビル、草を千切りにしなさい!」
ワルビルは手先の爪や口でやどりぎのタネのツタを切り裂き始める。やはり最後の試験官、簡単にむーんの封殺コンビ技を簡単にはさせない。だが、このまま素直に抜け出させるセルピルでもなかった。
「むーん、コットンガードをワルビルの体ぐらいにまで出して、それをワルビルに投げつけるのよ!」
むーんが体の綿をワルビルと同じぐらいの大きさにまで膨らませると、切り離しワルビルに投げつけた。綿がワルビルの体に落ちて乗っかかるとワルビルはそれを引きちぎろうとやどりぎのタネと同じように噛み千切ろうと顎を下ろす。
だが、ワルビルのの口の中に入った綿は噛み切れることもなく唾液と一緒に圧縮されただけで残っていた。手で引きちぎろうにも細かい繊維でできたむーんの綿は容易にちぎれない。
ワルビルが綿と格闘している間に、むーんがギガドレインでワルビルの体力を吸い込む。
「ワビーー!!」
草タイプ技にはさすがに堪え、ワルビルは苦しみの雄たけびを上げ、綿や切りかけのやどりぎのタネのツタを体中に巻き付いたまま倒れてしまう。
次は二体目、セルピルは交代を選択する。
「シビビール」
「イワン!」
今度は電気タイプのシビビール、相性は優越なしのイーブン。だが、電気技はそのほとんどが特殊攻撃、イワンのカウンターは物理攻撃を受けてそのダメージを跳ね返す技であるためカウンターによる反撃が期待できない。
だが、相性云々は言ってられない。ただ目の前のポケモンに勝つ。
「イワン、かみくだく!」
「ヴォン!!」
セルピルの命令を受けて、イワンが早々にシビビールに飛び掛かり牙を立てる。だが、シビビールの体を押さえつけようとした前足がずるんと滑り、体を崩してしまう。シビビールの体にはぬるぬるした粘液があり、イワンはそれに足を滑らしてしまった。
イワンが体勢を崩したのを見て、シビビールが体を動かしイワンに長い胴体を巻きつき宙に浮かせる。
「十万ボルト」
「キャイン」
シビビールから電流が流れ、イワンから可愛い悲鳴が上がるが、それは危機感を誘うものでしかなかった。焦るセルピル、このままでは負けてしまう。
「イワン、そのままシビビールに噛みついて!」
電撃を受けたままイワンが噛みつく。今度はシビビールが巻き付いたことでバランスを崩すことなくしっかりとイワンの牙が深々と突き刺さりダメージを与える。シビビールはイワンのかみくだくを受け続けたまま電気を流しているが、長い痛みを我慢できず巻き付いた体を緩めてしまう。
――その拍子でイワンの脚が地面に着いた瞬間をセルピルは狙っていた。
「今よ、ストーンエッジ!」
イワンの赤い目が光ると、イワンの脚元から尖った岩の塊が形成されて次々とシビビールに突き刺さる。シビビールはイワンを引きはがそうと十万ボルトを流し続け体力を削ろうとするが、イワンは食らいついたままストーンエッジの岩を手に持ってシビビールの体に岩をナイフのように突き刺す。
岩が体に突き刺されたショックでシビビールから流れ出ていた電気が止まる。そしてストーンエッジの岩雪崩を続けて三度かみくだくでシビビールの頭部に噛みつく。
すると審判からフラッグが上がり、これ以上の戦闘は無意味と判断され、イワンがこの戦いを制した。
だが、ずっと十万ボルトを受け続けていたダメージの蓄積が激しく、イワンはぜーぜーとかなりの息切れを起こしていた。このまま三体目と戦うのは傍から見ても厳しい。次もまた交代する必要があった。
ついに最後、隣のハリカも同じく三体目に入ろうとしていた。ここで負けてしまえば何もならない。ハリカよりも先に勝利したい。その思いを秘めてボールを投げ入れる。
「グレイシア」
「ナライ!」
最後のポケモンは奇しくも氷タイプのグレイシアだった。ポケモンは異なるが前回と同じ不利な相性、だがここを超えなければ本選にたどり着けない。
「ドラゴンクロー!」
「もう一度冷凍デース!」
ナライの羽が大きく羽ばたきグレイシアに接近する。しかし、グレイシアの口から斉射されるれいとうビームが接近を阻む。セルピルはもう一度ドラゴンクローを命じようとした時、頬に冷たいものが触れる感覚があった。
頬を触ってもそこには何もない様に見えた。だが小さな埃のようなものが手の甲に落ちるとぽつぽつとひんやりとした感覚が神経に伝わってくる。
「冷たっ!」
良く目を凝らしてみると、目の前の埃だと思っていたものは細かい水滴ようであった。すると、だんだんと粒の大きさが大きくなり砂利ほどの大きさにまでになっていた。空気も冷たく変化していくのを見てもしやと相手の方を見ると、グレイシアの薄い青色の体毛が逆立ち額から垂れている二本のネクタイ型のおさげが風もなく揺れている。
「ホホーウ、グレイシアのアラレ冷凍庫の中よりトテモ寒い、ドラゴンナラアイスペール用の氷、すぐできマース」
シェフが片言交じりに、笑えない冗談を高笑いして言い放つ。しんしんとナライの翼や頭部に霰の氷が積もり、動きが鈍くなってきた。ただでさえ弱点の氷に環境まで拍車をかけてくる。
このままでは動きが鈍った隙をつかれてまた敗北してしまう。ポケモンを交代させようにもイワンはもう体力がなく、むーんは氷タイプとは相性が悪いから焼け石に水だ。ならばこの環境をつくっている元凶のグレイシアをひるませるか動きを止めるかしかない。しかし、ナライの技はいずれも接近しないと当たらない技しかない――ただ一つを除いて。
「じしんなられいとうビームに当たらずに遠距離でも攻撃できるけど……」
やはり、じしんを起こした時の振動で客車が脱線するかもと戸惑いがあった。すると、くしゅんと隣から小さなくしゃみが飛び出してきた。
「まったく、隣のあられがこっちにまできて寒いったらありゃしない、試験官も勝つのに必死ね。隣のことも考えないなんてさすがポケモンリーグ」
ハリカがその言葉をセルピルを相手にしている試験官のシェフに言い放った時、セルピルはハリカの言葉を思い出した。
『相手を押しのけてでも勝つ、その覚悟がないと約束破りよ』
「――絶対勝つ!ナライ、じしん!」
ナライの羽の動きが止まると、空中で静止し一気に地面に体重を乗せて客車を揺らす。地面が大きく揺れ、四つの脚を地面に着けているグレイシアはまともに立つことができず足を崩してしまう。想定通りあられが止みナライに降り積もっていた氷がなくなった。
そして案の定、隣ではじしんのためにバトルが停止していた。
「気にしちゃダメ。連続でじしん!グレイシアを立ち上がらせないで!」
グラングランと客車が波打つようにじしんを連発させてグレイシアだけでなく、ハリカや試験官たちを立てなくさせる。もう周りのことなんてセルピルの眼中になかった。
じしんで地面が隆起してそれに押しつぶされるグレイシアがあがきにあがいて、重なる地面の隙間かられいとうビームをナライに向けて放出させる。ナライは少しタイミングが遅く、片翼にれいとうビームが当たってしまい空を飛べなくなった。だが今こおりなおしで治す時間も惜しいセルピルはそのまま攻撃するように命じる。
「今グレイシアは動けない。駆け寄ってドラゴンクロー!」
「クァラララ!!」
セルピルとナライの重なり合う叫びが車内に響くと、ナライは普段飛んでいるからか地面を歩くのに不慣れでヨタヨタと駆けていくが、グレイシアが脱出するより前にたどり着きグレイシアを地面ごと切り裂いた。
笛が鳴り、セルピルの方に旗が上がると、ハリカの方にも試合終了を告げる笛が鳴った。
「クソっ!!」
「それまで!二十二番のお客様が本選出場です」
ハリカが悪態をつく声が聞こえる。トレーナーポジションの所で何度も脚で地面を踏みつけていた。セルピルのみが本戦への出場権を獲得できたようだった。セルピルは隣のハリカに何度もじしんを使ってバトルを中断させたことに謝罪しようと顔を向けるが、ハリカはセルピルの方に顔を見せなかった。
「……あの」
「早く行きなさい。いちいち謝っていたらきりがないわよ」
乗務員に案内されて食堂車へと繋がる連結器の扉を開けてもらうと、その向こうに待ち構えていたセロが大の字でジャンプして飛び跳ねていた。
「やった、やったセルピルと一緒に本選へ出場だよ!」
「喜ぶの早いわセロ、まだ最後の一組が残っているわ」
そうまだあと一組残っている。だが、もうセルピルが手出しできることはない。ただ祈りポケモンたちを回復させることしかできなかった。
だが最後の一組はいづれも来なかった。そして車内にアナウンスが流れ始める。
『お客様にお知らせします。先ほど最後のお客様が敗退されましたので、これによりリーグ予選を終了させていただきます』
アナウンスが繰り返されると、セルピルは緊張の糸がぷつりと切れて、その場に崩れかかりそうだった。セロがセルピルを抱えて喜びを噛みしめた。
「やったねセルピル!」
「う、うん。また幸運に助けられたけどこれで一緒にポケモンリーグに、うんん本選に行けるね」
がくんと前にへと押し出される感覚が起きて、セロに倒れかける。セロの服の上からでもわかるほど筋肉のせいか少し固い体に、セルピルの心臓がドクンと高鳴る。
「大丈夫セルピル?」
「う、うん何とかね」
表面では平常を見せていたが、今までの緊張や焦りとは異なる心臓の鼓動にセルピルの心中では戸惑いがあった。
列車の速度がだんだんと落ちていく。二人が窓の外を覗くとポツンと駅のホームのようなものが見えてきた。
『まもなく、ヤイナギステーションに到着いたします。予選敗退しましたお客様は、後続より迎えの列車が車掌車と共に参りますので、車掌より荷物を受け取った後そちらにお乗り換え下さいませ。お降りの際は、お忘れ物のないようにご注意ください』