本会場である大聖堂は、唸るように数刻前の決勝戦の余響が長く尾を引いている。観衆の視線は皆が皆、壇上の上に立っている四人の少年少女に向けられている。
セルピルは耳を塞ぐのは失礼にあたるからという体裁もあって鼓膜ががんがんと鳴り響く音を我慢していた。音楽と歓声が止んだのは、聖堂から鳴り響くアナウンスが鳴ってからだ。
『まもなく授与式が開催いたします。大会スポンサーのカタス社ヘルメス社長より贈呈されます。では、第三位オリント地方のマールマロシティ出身テオドール選手とアニヤ地方のラーレタウン出身セロ選手!』
セロとテオドールの名前が呼ばれると、一斉にヘルメスのいる台の前へと歩いていく。よく見ると、セロの右手右足が同じに出ており反対側も同じで完全にぎこちない様相を呈している。
表彰状が手渡されると言う必要がないと事前に言われていたはずなのに「ありがとうございます!」とまるで幼稚園児が言うような片言の大声でお礼を述べて会場が爆笑の渦に巻き込んだ。セルピルは何をやっているんだかと呆れるが笑わずにいられなかった。
もっとも隣にいたテオドールのほうはそんな風になることはできず。怒ることもできずただ顔を赤面するほかなかった。セルピルは心の中でご愁傷様と祈るしかなかった。
『準優勝オリント地方のオリント山出身アレクサンダー選手』
続いてはアレクサンダーだが、こちらは受け取り慣れているのかスムーズに事は進み何事もなく賞状を受け取った。
『優勝アニヤ地方のラーレタウン出身セルピル選手』
いよいよセルピルの名前が呼ばれて台に向けて足を運ぶ。一歩、また一歩と足を踏みしめるごとに心臓がドンと張り裂けそうな音をきしみ上げた。なるほど、セロのことを笑えない。こんな何万といる人の中で賞状を受け取るだけなのに緊張してしまったのだからと自分も同じだと気づいてしまった。
しかし、さすがにセロの二の舞にはならないように両手両足に神経を注ぐがどこかぎこちない。そうだと考えたのは、台の上に立っているヘルメスの顔を見ることだ。
あのポマードを塗りたくり髪が光っているどこかの漫画の汚い大人の象徴のような存在を醸し出している。実際のうのうと表舞台に立っているというのだから腹が立ってきて、セルピルの狙い通り意識がそっちの方向に向いてた。
「あんまり睨むな。俺がこの場所にいるのが不服なのはわかるが、大人の世界は単純じゃないんだ」
いつの間にか、台の前に立っていて自分がひどい顔になっているのを知らずこれはまずいとパンパンと頬を軽く叩いて顔を元に戻す。結局セルピルもセロと同じ格好になってしまったのだ。
ヘルメスが丸められた賞状を開き、マイクに賞状の内容を声に流して読み上げる。
『賞状、ポケモンリーグ第十一回フィリア・ドルスック大会優勝者セルピル選手、ニチャモ、イワン、ゴトラ、むーん、ナライ、レイレイ。あなたたちは幾多の戦いを経て、ポケモントレーナーの頂点に立ったことをここに称えます。ポケモンリーグ大会後援会会長ヘルメス』
A4用紙ぐらいある草ポケモンの蔓で囲み、炎ポケモンと水ポケモンが吐く水と炎で彩られた賞状を受け取りセルピルが選手たちの席に戻っていく。大勢の前では恥をかかずにいられたが目の前に人に指摘されては同じような結果だった。
ヘルメスが台から降りると、代わりにアザミが壇上に立った。遠くからでもパリッと糊が効いたスーツとわかるアザミは威風堂々としており、四天王としての尊厳が大会の終わりでもにじみ出ている。
「さて、皆さん。今年のポケモンリーグも無事閉幕となりました。開催前は、オリント地方との対立や皆の記憶に新しい事件などもあった」
ぼかされているが、フリーの襲撃のことを示唆していた。この大会が開催されるかされないかを左右するほどの大事件、いやオリントとアニヤの深い溝の原因となっていたのを取り除いた大転換点であった。そこにセルピルを中心として事件が巨大な渦のようにアニヤやオリントを巻き込んでいったとセルピルそのきっかけとなったことを振り返る。
もしも、自分がステンノーとブッスシティのモールで出会っていなければ。もしもポケナビツーを持っていた博士と出会っていなければ。もしも、ポルックとヘレネに尾行されていなければ。フリーに誘拐されていなければ、今の自分は全く違う形でここにいるのではないかと思わずにいられなかった。
「そして優勝者と入賞者には、中央都市を経由して両地方に行けるパスポートを特別に発行する」
アザミが取り出した青い手帳のようなパスポートには、アニヤとオリントの二つの地方の地図が描かれていた。アザミによると、今まで一々手続きをしなければ船でしか入れなかった二つの地方を、このパスポートがあれば手続きなしで船でも、中央都市を経由して列車でも隣の地方へ行けるというのだ。
「なんかものすごいものもらったわね」
「これでいつでもオリント地方に行けるね」
ことの重大さを理解していないのかまたセロはあっけらかんとした言葉で返した。だがまあこのくらいの認識の方が気が楽だとセルピルは思った。
「では、最後に優勝者のセルピル選手の言葉で締めてもらいましょう」
スポットライトがセルピルを照らしたとき、「うそっ!?」と声を上げてしまった。台本も何も用意していないのになんと無茶ぶりなと困惑するセルピルであったが、周りの群衆がセルピルに視線を傾けていて逃れそうにない。
そしてアザミが退いて、代わりにセルピルが観衆の注目が一番集まる台の上に立つと、さっきまで避けてきた大衆の視線が、のしかかりを受けたかのように体がまひを起こし始めた。
「どうしよう」
マイクに聞こえないように小さくつぶやくと、言葉は浮かばないのに汗ばかりが額のあたりに浮かんできた。落ちてくる汗を拭きとろうとポケットの中のハンカチを取り出す。
それで汗を拭きとり始めるとほのかに甘酸っぱい柑橘系の爽やかな匂いが漂った。さっきの決勝戦でつけたアロマがまだ残っていて、それがセルピルの気持ちを落ち着かせた。ミノアからの贈り物が、この旅で幾度も助けられてきたことに改めて感謝した。
――そうだ、そのことを話せばいいんだ。
そう考えると、自然と台詞がスラスラと浮かんできた。そして小さく息を吸って、自分のこれまでの旅のことを話した。嘘偽りもない自分の旅のことを。
「私は、この旅に出る前は、退屈ないつもの生活から脱却したいと思うばかりのただのぐうたらな子供でした。それを変えてくれたのは友達でした。私に旅に向かわせてくれるきっかけを作ったり、一緒に旅をしてくれたり、助けてくれたり。色んな人に支えてくれてここまで旅を続けられました。みんな住む場所も家の事情も違うけどこのポケモンリーグを目指し、助けてくれました。この街の名前に恥じない友情を邪魔してはいけない。今後もこの大会が続けばと私は願います。それと、オリント山の中腹にはポケモンリーグを目指すためのポケモントレーナースクールが新たに開校するそうです。もしポケモントレーナーになりたい人がいましたら、優しい人やポケモンたちが教えてくれます」
セルピルが会場に向かって礼をすると。万雷の拍手が巻き起こった。セルピルの言葉に感動したことを拍手で答えた。一人の少女の旅の契機が、友情が、旅での困難や楽しさが込められていた。
選手が座る席に戻ると、左隣にいたテオドールがうっすらと彼に似つかわしくない涙を浮かべていた。
「ありがとうな、セルピル」
「当たり前じゃない友達だもの」
駅員がひっきりなしに列車に荷物を積み込み、駅のアナウンスがアニヤ地方に帰る人たちに早く客車に乗るように催促する。もちろんその中にはセルピルとセロも含まれている。
既に荷物を積み込み終えて、二人は列車の乗降口の前にいたがまだ乗っていない。アレクサンダーとテオドールが二人の見送りに来ている。
「テオドール、アレクサンダーまた会おうね」
「じゃあな気をつけて帰れよ」
二人は少し距離を置いてお別れの言葉を言うのに対して、ニチャモがメタグロスと握手を組み、セロのラっちもテオドールのトゲキッスと頬をすり合わせてお別れをしている。トレーナーたちがあっさりとお別れするのに、ポケモンたちは正直だなと思いながらも自分は涙を流してまでお別れはできなかった。永遠のお別れでもないお別れなのに、かっこ悪く見えるからだ。
アレクサンダーがおずおずとセルピルの手をぎゅっとこの手を離さないようにしっかり握りしめられた。それがアレクサンダーの今の言持ちを現しているように感じられて、セルピルの涙のハイドロポンプが出てしまいそうだった。
「セルピル……また会えるよね」
「すぐに会えるわよ。場所も名前もみんなお互いのこと知っているでしょ。パスポートもあるし」
「………そうだね。また会えるよね」
列車の最後部から車掌の笛が鳴る音が聞こえるとポケモンたちをボールの中に戻した。そしてセルピルとアレクサンダーの二人がつかんでいた手が、扉によって遮られる。
ゆっくりと、ゆっくりと、乗降口の窓に映るアレクサンダーとテオドールとポケモンたちを置いて移動していく。みんな動かない、ドアの向こうから「じゃあな」「またね」「グロス」と別れの声を上げるだけだ。ただトゲチックだけが感極まって目から涙を浮かべながらセルピルたちをホームの端まで追いかけていった。
きっと皆はトゲチックのようなお別れがしたはず、けど悲しいと思わせたくないからと動かないんだとセルピルはわかっていた。
とうとう、セルピルたちが乗っている車両までホームを過ぎ去り数分前までいた駅が小さくなっていく。セルピルはじっと小さくなる中央都市の街影を眺め続けていた。
「ねえセルピル――」
「お取込み中失礼ですが、手紙を預かっているのです」
ぎょっと二人の目の玉が飛び出そうになった。いつの間にかポルックとヘレネの二人が列車の中にまた無断乗車して、しかも突然背後にいるのだから驚くのは無理もないことだ。
「ミュケーナ博士からセルピルたちに渡してくれと言われたのです。まったく我々は郵便局員じゃないのです」
「博士から?」
しっかりと糊で止められた手紙の裏には確かにミュケーナ博士と達筆な文字で差出人の名前が書かれていた。
『セルピルとセロへ。本当はこんな形でなく直接二人をお見送りに行きたかったのだけど、フリーの隠し持っていた文書の解読が忙しくて行けないの。でも二人の活躍はしっかりと見ていたわよ。二人を嗅げながら応援していた身としては鼻が高いわ。落ち着いたらちゃんとしたお礼とかするからね。セルピル、セロ、優勝と入賞おめでとう』
本当に最後の最後のサプライズにぎゅっと閉めていたはずのセルピルの目から雫がぽろりと落としてしまった。
「では我々は戻るのです。今ものすごく忙しいことになっているので」
「それってどんなことなの?」
「極秘、なのです。子供には難しいことなので」
そう言われると、セルピルの涙が急に止まりセロと顔を見合わせた。
「僕らよりも一才だけ上なのに」
「ね」
「もういいですよ。早く帰らないとまたあの車掌に怒られる羽目になるのです」
「ヘルメスのボスに怒られるのは嫌なのです」
二人がセルピルたちの前を通り過ぎて、乗降口の非常開閉ボタンを押してドアが開かれ列車風が車内に吹き込んで入ってくる。
「セルピルも、セロもちゃんと家に帰るのですよ」
「帰るまでがポケモンリーグなのです」
まるで小学校の先生が帰りの遠足で言うような言葉が伝えられると、二人の手の中にはモンスターボールが握り締められていた。
「二人とも、またヴァディタウンのあのホットケーキ食べに行こうね」
セルピルは変装していた二人と食べたあのホットケーキのことを急に思い出した。その言葉に二人は一緒に振り向いて、今までセルピルたちに見せなかったにっこりと子供相応の笑顔で返した。
「「いつかまたですよ」」
そういって二人は同時に列車の外へと飛び出して行った。扉が閉まり、二人がどうなったかを窓を覗いたがもうすでに二人の姿はテレポートを使ったかのように消え失せていた。
あわただしい突風のような二人とも別れてしまい。なんとも言い表せない脱力感がセルピルに襲い掛かり、車両の壁にもたれかかった。
「セロ、もう旅は終わるんだね。……なんかいろいろ背負っていたものが急になくなったような感じで」
「まだ終わらないよ。ほら、オーキド博士ってラジオ放送している人がポケモンに終わりはないって、だからポケモンとの旅も終わりがないから、旅は終わらないよ」
「変な三段論法」
クスクスと笑って胸の空白が別の温かいもので埋まっていく。それで満たされて大きく息を吐いてようやく窓から視線を外せ、セロに顔を向くことができた。
「そうよね。旅はちょっとお休みするだけよね」
「そうそう、今はちょっと休憩だよ。セルピル食堂車に行こうよ。またヒヨク風オムライスをつくってもらおうよ」
セロが手を引いて赤い絨毯の上を踏んで、踏んだ後が元に戻っていく。
「なんかおっきいわよね、セロ」
「ほんとだ。もうちょっとで天井が届きそう」
セロが足を伸ばして車両の連結部分の所で天井に手の指先をくっつけようとする。
ちょっと意味が違うんだけどなと言いたいことはもう心の中にしまっておき、二人は食堂車へと足を運んだ。
ドスンドスンと街灯もない紫の夜の空に染まった丘を、セルピルたちを乗せたヨっちが十三番道路を駆けていっている。少し空気を吸うとはえ広がる冷たい草の匂いとヨっち動物の臭いが混じりながら、セルピルは回想した。
ファトゥラ中央駅に到着したセルピルら選手たちは、壮大な歓迎に包まれていた。ミノアやロゼ、ジムリーダーたちもセルピルが優勝したことを、セロの入賞を温かく祝福してくれた。ミノアが歓迎のために用意してくれた草ポケモンたちのアロマテラピーの香りがその印象を深くしてくれていた。
そのまま祝賀会に行こうという流れになっていたが、セルピルは丁重にお断りした。早く親の所へ戻って謝りに行かなければならないからという理由で。みなそれは仕方ないと受け入れてくれ、セルピルはラーレタウンに戻ろうとした。しかし、セロも祝賀会を断ってセルピルと共に帰るのは予想外であった。
「セロ、自転車取りに行かなくてよかったの?」
「いいんだ。こうやってヨっちの背中に乗って帰るのも面白いし。それにポケモンリーグでもらった賞金があるからこれで新しい自転車買うんだ。それで今度はオリント地方へ遊びに行こうよ。今度は冬休み辺りに時間を気にせずのんびり旅をしてさ」
セロの背中をしっかり抱きしめて言葉を交わすと、やっぱり大きいなと感じた。
そしてセロの背中に頭をこすりつけながら、まだ小学校の夏休みが終わっただけなんだ。冬休みがある。次は中学校がある。まだ私の旅は終わっていないんだ、と次の旅への思いを馳せていった。
「次は冬休みがあるのよね」
「そうそう、次のお休みはオリント地方でジム巡りでもしようよ」
それも面白いとコロローンと草むらの影から鳴るコロボーシとコロトックの鳴き声が聞こえてきた。もう秋なんだと季節の終わりを告げる音楽を十三番道路に流れるBGMのように聞き続けた。
ヨっちの足が止まる。セルピルが顔を上げるとそこは、二か月ぶりのセルピルの家の前だった。慌てて落っこちないように、荷物を先に降ろしてセロが手をつかみながらセルピルを下ろす。
「じゃあねセルピル。僕こっちだから」
「うん。おやすみセロ」
「おやすみセルピル。一緒に旅して楽しかったよ」
これでお別れなんだとまたすぐに学校で会えるのに、もう永遠に別れてしまうような空虚さに襲われそうになった。だが――
「私もよ。あなたと一緒にいたから寂しくなかったわ」
セルピルは微笑んで、セロの手を離した。今はお休みするだけそれだけなんだと自分に言い聞かせながら。
ヨっちが再び駆け出し始めると、セロが大きくセルピルに見えるように後ろを振り向きながら手を振って去っていった。セルピルもお返しにとセロの影がみえなくなるまで大きく手を振り返した。
玄関の前に立つと、服の皺をぴんとして泥などがないかを気にした。なぜか身だしなみをしっかりしないとといけない焦燥に駆られたのだ。
「イワン出ておいで」
「ガウン」
「イワンが進化しちゃったことを報告しないと、二か月も経ってこんなになっちゃったものお母さん吃驚するわ」
この二か月で変わったのはイワンだけじゃない、セルピルもあの朝もやの中から出発したときとは全く違っている。ワンピースからジーンズに、ニチャモもバシャーモに、自転車もない。そしてセルピルもセルピルじゃない。
よし、と身を引き締めて呼び鈴を鳴らす。
すぐに玄関の扉が開かれた。
「お帰りセルピル」
「ただいまお母さん。隣ね、イワンなの。進化しちゃって」
「とにかく入りなさい」
母親に言われるがまま入ると、家の中は停電が起きたかのように真っ暗だった。そのため母親の表情は見えなかったが、セルピルは察せた。
そして荷物を玄関に置いて母親の後についていく。イワンが心配そうに頭をなでるが「大丈夫だから」と静かにイワンの手を頭から下ろした。
「黙って旅に出たり、お母さんから逃げただけでなく、ポケモンリーグに出て学校や近所の人から応援の電話とかの対応で大変だったのよ」
「ごめんなさい」
「グ、グゥ」
イワンは元はといえば母親からの餞別であり萎縮する必要はないのだが、責任は感じているのだとわかった。そしていつもの見慣れたセルピルのつまらない日常の象徴であった台所に着いた。
「まあなんにせよ」
パッと急に視界が眩んだと同時に、小さく火薬が弾ける音が台所から聞こえてきた。
一体何が起こったのだろうとセルピルの目が突然現れた光に目がなれてくると――
「「ポケモンリーグ優勝おめでとう!お帰りセルピル」」
母親と父親がセルピルのポケモンリーグ優勝を祝ったケーキと、折り紙のリースで飾り付けをした祝勝会が催されていた。さっきの火薬の音は、父と母が用意したクラッカーの音だった。
「ただいまお母さん、お父さん」
こうして、セルピルの旅という非日常が今日という一夜を通じて終わり。またセルピルのいつもの日常が戻ってきたのであった。