意外に思われるかもしれないが、このトリステイン魔法学院が自由闊達な校風となったのは、ごくごく最近の事である。
オスマンにオールドという別称が冠される前。
彼は200年近く校長をやっている訳だが……その最初期は自ら教鞭をとっていた事が雄弁に物語る様に、今とは180度性格が異なった。
有り体に言って、物凄く熱心な校長先生だったのである。
当時の校風を象徴していたのが、彼の周囲50メイルだった。校長を視界に収めただけで生徒達は雑談をやめ、ソソクサと魔法を練習し始めたものである。
貴族が口を開いたらまず、呪文を唱えねばならぬ。
それが当時、寡黙だった校長の滅多に聞けない口癖だった。
そして誰よりも彼はその事を、率先垂範していた。
同年代の者達が歴史の彼方に消え。幼い頃の彼を知る人が居なくなってから、幾星霜。
彼はずっと、一人きりでその姿勢を貫いて来たのである。
巌の様な表情で、ひたすらに何かを見据え。常に、魔法と教育に対して真摯に向き合っていた。
オスマンが見学に訪れた授業では、生徒達に先んじて教師達が緊張した。彼が最も嫌うのが、質の低い授業だったからだ。教師に掛かるプレッシャーは、生徒の比では無かった。
落ちこぼれた生徒が現れた日には教師全員が集められ、噴火口と化した目で睨みつけられた。声を荒らげる事こそしなかったが、その声色はマグマの胎動よりも恐ろしげに響いた。
我々の成すべき事。
それは、魔法を教えること。
我等の持つ技術の全てを説き、幼子に学ばせること。
その様に思っている者は、今すぐこの場を去りなさい。
向いていない。
このトリステインの教師は、あなたには務まらない。
考えてもみて欲しい。
資源も少なく、平民も寄り付かない、吹けば飛ぶような小国。
それが今後とも国体を維持していく為には、どうすれば良いのか。
この国には、ガリアの豊かさが無い。
アルビオンの質も。
ゲルマニアの勢いも。
ロマリアの気高さも。
無いもの尽くしだ。
在るのは魔法の才に溺れた、自堕落な貴族ばかり。
その上で、どうすべきなのか?
魔法しかない。
貴族しか居ないのだ。
一部の有志では足らぬ。
全貴族の貢献が求められている。
この国の魔法の才は、余すところなく発揮されなければならない。
一部の隙もなく結集されねばならん。
どれほど小さな才とて、それが魔法に通じるものならば、捨て置く事は許されない。
他国では掃いて捨てられる様な子供でも、この国では宝なのだ。
放蕩な貴族を養う余裕など、この国には無い。ましてや魔法すら満足に扱えないとあっては、罪人よりも罪深い。
だから、意識を変える。
自身の能力と生まれに対する誇り、それに伴う責任感。
怠惰な己を調伏する、克己心。
在学中の3年間にこれらを身につけて貰わねば、この国は滅ぶ。
それが分かっていない。
その自覚が足りないから、魔法への無理解、貴族としての意識の無さが放置されるのだ。
我々教師とは、ウンチクを垂れるだけの老害かね?
若き命が国防の最前線で散って行く中で、安全地帯に引きこもった臆病者かね?
私はそうは思わない。
若者はこの国の現在を、外患から守ってくれている。そして。
我等もまた、この国の未来を、内憂から守っている。そう信じている。
私たちは、この国の未来を作っているのだ、
私たちの今が、この国の10年後を決める。大袈裟でも何でもない、それがこの国の現実だ。
在学中の3年間で魔法を諦め、自らを甘やかす事を覚えた生徒は、必ずや近い将来に奸臣としてこの国を、内部から喰らうだろう。
我々は今、その事態を防ぐか防げないかの瀬戸際に立たされている。
いま一度、覚悟を持って臨もう。
私も、諸君も。
我等の今を、この国の未来に捧げよう。
当時の彼は、この様な事を本気で宣い、そして実行してしまった。教師・生徒の別を問わず、全能力を発揮する事を求めたのである。
実際にオスマンは生徒を、誰一人として見捨てなかった。
生徒自身はおろか全ての教師が匙を投げ、親から見捨てられても、彼だけは決して目を背けなかったのだ。
自らの懐から授業料を出し、生徒の実家にあと一年の猶予をくれと、頭を下げに行った事もあった。
そしてそんな姿を見ていた生徒達からも、怖がられると共に尊敬の念を集めていった。やがては保護者の間にもその噂が広まり。
彼を見込んで我が子を送り出す親が現れた。
トリステインにこの人在りとの評判は、国外にまで及んだ。
特に友好国たるアルビオンからは、留学生が数多く訪れた。
やがてそうした者が親になり。
遂に、自らの意思で彼の教育を受けたいと申し出る幼子が育ち、トリステイン魔法学院の門戸を潜った。
その日。
親元から離れるという不安に肩を縮こませながらも。
曇りのない目で、自身に教えを請いたいと告げた少年達を見たとき。
オスマンは思わず目を閉じ、天を仰いだ。
見ておられますか、我が師よ。
貴女の頂には至れずとも、私はここまで来る事が出来ました。不肖の弟子という不名誉を拭えずとも。我が身の不足は、必ずや彼等の手で埋め合わされるでしょう。
オスマンは自身に寄せられた期待へと応える形で、彼等の中でも特に素質のある生徒を特別授業に招いていった。怒鳴りつけられる事も決して珍しくない、クラムスクールが開始されたのである。
泣きながら寮に戻る彼等は当初、哀れみの目で見られた。
しかしいつしかそれに招かれる事が、生徒達の間では名誉にすらなっていった。
その修了者達は性別・年齢・国籍を超えた絆を成して、それぞれの領地へと戻っていき、卒業後も深い親交を交わすようになった。
いつしかトリステイン王国は、歴史だけの国とは呼ばれなくなっていた。
層が厚いのだ。
質実剛健とした貴族達が、二重三重の防壁となって唯一王家を支え。有事の際には大国には不可能な機動力を発揮し、致命的な反撃を齎す。
オスマンの世紀を跨いだ献身は、こうして身を結んだかに見えた。
しかし彼の気力は、突如として霧消した。
それはちょうど、王位の空白期間と始まりを同じくしていた。
控えめに言っても熱心な愛国者だったオスマンは、当然その未曾有の事態を座視出来なかったのだ。
何故、マリアンヌ王妃は即位して頂けないのか。
それを問いただしい向かった際、ロマリアから来たという枢機卿にしれっと告げられたのである。
「気づいていないのですか?」
バカにしているのかと憤慨するオスマンに、絶望的なセリフが齎された。
「貴方のおかげで各国の政府中枢には、トリステインのシンパが築き上げられつつあります。今後その数は、より増えて行く事でしょう。ですから最早、貴方さえ健全であってくれれば、この国は外交的に安泰なのですよ。それにこれまで、実質的にこの国の内部を支えて来たのは貴族なのです。王位の空白をも支えられる程に完成されている事を示し、その事を以ってトリステイン在りと知らしめれば良いではありませんか。」
オスマンは驚愕に目を見開き、トリステインに来たばかりだというその聖職者を見つめた。
壮年の神官は、無力感に苛まれた目つきで彼を見返して来た。
「……以上が、貴方の教え子達の言い分です。第625回異端審問会の議長として言わせて頂きますと、貴方が100年前に築き上げた秩序が今、このハルケギニアを大きく揺さぶろうとしています。貴方の教え子達の中でも特に優秀な者達は、共和という思想に辿り着きました。端的には、王権による専制を否定するつもりなのです……これは公には言えませんが、我々ロマリアのミスでもあります。せめて私の前任者は、貴方とお会いしておくべきでした。その結果この国は……既に彼等の手に堕ちました。力及ばず、申し訳ありません。」
次の動乱はトリステインに次いでオスマンの教え子が多い、アルビオンで起こるだろう。
幸いにもこのトリステインでは、傷心のマリアンヌ王妃の意を汲む形で、実質的な寡頭支配への移行が穏やかに成された。王家への忠誠度が高いトリステイン貴族の旧態依然とした気風が、無血開城を良しとしたのである。
しかし、アルビオンではそうは行くまい。
必ずや、血が流れる。
マザリーニ枢機卿はその様に告げると、これまでの経緯を告げた。
ロマリアでは当初、この一連の事態の首級はオスマンだと見込んでいたそうだ。
しかしトリステインを防波堤とする役割を買って出て赴任して来たマザリーニは、事はそう単純ではないと看破した。
有害思想の元凶を断てば済む様な、底の浅い事態ではないと即断したのである。最早、オスマンの存在の有無に関わらず、貴族による寡頭支配を目指す動きは生き続けるだろう。
オスマンの手で育て上げられ、各国に散った憂国の士。
彼等が自発的に辿り着いた共和という概念は最早、分散型のネットワークとして機能し始めている。
そしてその原動力は、愛国心に根ざしている。真剣に国の将来を考える者ほど深く身を潜め、静かに活動をしている。
最近になって聖地奪還とかの大言壮語をし始めた有象無象など、ロマリアが本気になればいつでも叩き潰せる。利権を見出した後発組である事は、浅はかなそのスローガンからして明らかなのだ。
しかし、真に粛清すべき先進思想を抱いた者達は、本気で国の将来を憂う人格者達でもあるのだ。これまで含めて粛清してしまっては、後には何も残らない。
マザリーニはこの事態に対して、オスマンの協力が何よりも必要だと説いた。
貴方は数世紀単位で思想改変を行なった、工作員のお手本の様な存在だ。ロマリアの分析力の遥か上を行ったのだ。
是非とも今後、秩序の回復に貢献して欲しいと。
しかし。
オスマンは深く項垂れたまま何も言わず、王都を去った。
恐らくニ度と、その地を踏む事は無いだろう。
彼は、深い悔恨に苛まれていた。
何処で間違えたのか?
幼い子供に、貴方の教えを請いたいのですと、初めて言われたあの日から?
毎年の様に訪れる、そうした者達を待ちわびる様になった頃か?
それとも……全ての始まりからか。
自身の技量と才能では、仰ぎ見る師の頂には辿り着けないと思い始めた。
ならばこの研鑽の成果だけでも、自身を育んでくれたこの国へ還したい。何よりも……自身が至れなかった頂に、教え子が至ってくれれば。
それはこの上なく、幸せな人生に思えた。
こうした細やかな望みが、全て間違いだったのだろうか?
それとも……浅ましかったのだろうか。
自身が成せぬことを、後世に委ねるとは。ましてや自身の子ですらない、他所様の子宝にそれを求めたのは、傲慢だったのか。
教師という立場を利用して、自身の劣等感を拭おうとしただけなのか。
恩師から教わった、捨虫の術。
それを用いて徒らに生を紡ぎ。
数世紀に渡って、この国の教育を歪めただけなのか。
そうとは思いたくなかったが……心の中に空いた穴だけは、塞ぎようがなかった。彼は老衰を騙り、次々に教え子達との縁を切っていった。
何よりもオスマンの気力を奪い去ったのは、マザリーニが最後に告げた内容だった。
「お耳に入れて貰いたいことが、二つあります。2世紀前に貴方から寄贈して頂いた、聖遺物ゴリアテの設計図。……最近になってそれに、手を触れた者が現れたそうです。そしてガリアでは現在、既存の概念を覆す様なゴーレムが試作され始めたと聞きます。我等の耳目は広くとも、手足は短いのです。どうか、この事をお忘れなく。
もう一つは、貴方とヴァリエール公爵が推された子爵に関してですが……限界が来ています。公爵からも、時期尚早だったとの意見が出されております。……行方不明となっているかつての魔法実験小隊の隊長にもし、お会いになる機会があれば伝言をお願いします。この国は今再び、貴方の貢献を必要としていますと。」
そして、今。
モートソグニルから報告を受けたオールド・オスマンは、浅い溜息を吐いた。
因みに現在、遠見の鏡は修理中である。
何故かと言うと、今朝方に壊されてしまったからである。
待ちに待った、アルヴィーに強い興味を示した者。
それはオスマンに見覚えのない、紫色の髪をした気怠げな美少女だった。
その者と鏡越しに目が合った瞬間の事である。
鏡の全面がヒビ割れた。
まあ……あのアルヴィーの真価を見抜く程の実力者なのだ。この程度の技量を有していても、全く不思議はない。
オスマンは魔法的な監視手段の全てを放棄し、直接偵察に切り替えた。
こんな時に最大の効果を発揮してくれるのが、長年連れ添ったネズミの使い魔、モートソグニルである。
そしてその報告内容に、オスマンは複雑な表情を浮かべた。
超絶の技量を持つ者によって、新たなゴーレムが作られた。
そしてそれは……アルヴィーの完成度には及ばなかった。
ことゴーレムの生成に関しては、パチュリー・ノーレッジの技量は、オスマンが師と仰ぐ人物には至らなかったのである。
これは……憂慮すべき事態であった。
かのゴリアテ人形を作り上げようとする大国に、現状では対抗手段が無い事を意味するのだから。
しかし。
オスマンは自身の読みが正しかった事に、安堵していた。
ミス・ノーレッジについて判明した数少ない事実と照らし合わせると。彼女はゴーレムについて、さしたる思い入れは抱いていない。
何処ぞのババアに余計な発破をかけられて。
たまたまそこに、挑戦したい課題があって。
丁度、ギーシュ・ド・グラモンへのプレゼントになると閃いて。
妙に気分が乗っただけだろう。
しかし、300年掛けてアルヴィーを研究し尽くしたオスマンからすれば。アレは技術があれば作れるものではなかった。
何よりも人体に対する理解と、人間の魂に対する深い造詣が無ければ、一つの人格として学習を積み重ねていく自律人形には至れないのだ。
そしてそこまでのモチベーションは、あの気怠げな少女には無い。モートソグニルの目にも、ダメだろうなという予想を確かめた様にしか見えなかったそうだ。
その様な者に、アルヴィーの領域には至れない。
技術だけでは不足だ。
オスマン自身にすら無い、新たな発想と。手段を選ばない直向きな姿勢が必要である。何よりも、全てを魔法で、ではなくゴーレムで成そうとする強い意志が不可欠なのだ。
その様な人物に、オスマンは1人しか心当たりが無かった。
自身が耄碌していないと確かめられただけでも、ここは良しとすべきなのだろう。
しかし、それはさておき。
「ところでお主、あの娘がこうするのを分かっていて発破をかけおったな?駄目元であんな技量を見せつけられては、グラモン家のボンボンにしてみれば堪ったものではないぞ。一体どうしてくれるのじゃ?」
「……宿直を中止させた貴方が、それを仰いますか。渋ったミスタ・コルベールを私に説得させてまで、続ける事ではないはずですよ。一体何を考えているのです、先生?」
彼の執務室では今、滅多に見かけない組み合わせが顔を付き合わせていた。
「……懐かしい響きじゃのう。昔を思い出すわい。」
「私は貴方の顔を見る度に、そう思っておりますよ。貴方はあの頃から、全く変わっていませんから。」
オールドオスマンの差し向かいに居るのは、ミセス・シュヴルーズだった。しかし教室での柔和なイメージとは異なり……今は底知れない雰囲気を醸し出していた。
「フゥッフォッフォッ。何なら、お主もこちら側へ踏み入れてはどうじゃ?」
「あと20年早ければ、躊躇いもしなかったでしょうか。」
「その頃のお主なら、手取り足取り、腰とり。付きっ切りで指導してやったものを……惜しいことをしたのう。」
「……そういう所は、お変わりになられましたね。はじめは、誰かが化けているのかと思った程です。」
実はこの2人、遡れば教師と生徒の間柄だった。
それどころではなく、ミセス・シュヴルーズはオスマンの特別授業を受けた最後の一人なのだ。
「……それを言うなら、お主こそ見違えたぞい。まるっきり、別人ではないか。その締まりの無い表情は何じゃ、フェイスチェンジでも使うておるのか?」
「老いたのですよ、先生。コレは美徳です。全ての敗北と失敗を、慰撫してくれますから。」
「……やれやれ、お主も……肝心な所だけは変わっておらぬと見える。」
オスマンの在りし日も衝撃だろうが、ミセス・シュヴルーズに至ってはそれどころの話ではなかった。彼女の二つ名の由来を知ったら、 半数以上の生徒が人間不信に陥るだろう。
「……その言葉は、そっくりそのままお返ししますよ。あの忌々しい自律人形を食堂に飾るなど、腐っても先生ですね。うん十年ぶりにこの学院を訪れた際には、我が目を疑いましたよ。」
そもそもあのアルヴィー達は、シュヴルーズが生徒の頃には宝物庫の奥に固く閉ざされていた。それを目にする事が出来るのは、オッカナイ校長から素質ありと見込まれた、一部の生徒達の名誉ですらあったのだ。
それが今や公衆の面前に晒され、目の保養になっているとは……彼女にすればとんだ皮肉もあったものである。
「なに、ワシも老いが来たのじゃ。最早そう、長くもないじゃろう。」
「それはおめでとうございます。これで漸く、先生も解放されるのですね。彼女の呪いから。」
ミセス・シュヴルーズは心の底からの笑顔を浮かべてみせた。
彼女は、オスマンの長寿の秘訣に薄々とは感づいていたが……羨ましいとも自らそれを身に付けたいとも思えなかった。
「……言うな。我が師を愚弄する事は、何人たりとも許されぬ。」
「ですが、お認めになられたのですよね?とうとう、その御師様には及ばなかったと。」
重苦しい沈黙が降りた。
彼女達にとって、それは自らの人生を賭した試みの敗北を、認める事に等しいからだ。実際に、土の系統を本業とする彼等の挑戦は、聖遺物として扱われても全くおかしくないアルヴィーを、自らの手で生み出す事にあったのだから。
そしてその事に限って言えば、彼等2人は師弟揃って、完璧な敗北者だった。未だにその事に取り憑かれているのは、皮肉にも師匠の方だけなのだが。
「その通りじゃよ。これ以上の時を過ごしても、彼女の先には辿り着けぬ。それがワシの、結論じゃ。……虚しい人生だった。」
「……虚言を弄さないで欲しいですね。先生はまだ、全てを諦めてはおられないのでしょう?現役の盗賊に遺志を託すまで堕ちるとは……正直、悲しいです。」
ミセス・シュヴルーズはさすがに、オスマンの教え子だった。
この様な才女が育ってくれた事をこそ、彼は喜ばなくてはならないのかもしれない。
魔法とは全然別なところで、彼は間違いなくその師と仰ぐべき人物を超えたのだから。彼の齎した教育の成果は、間違いなくこの国を成長させた。その後の結果まで背負い込む必要など、一切無いのだ。
「迎撃機能を欠いた防御策に、どれ程の価値がありましょうや。今の宝物庫は、タダのハリボテです。いや、実践的な教科書の一種でしょうか?アレを打ち敗れれば、土の系統魔法に関してはかなり深いところまで到達出来るでしょうね。」
「実績のある者にそう言って貰えると、セッセと頑張った甲斐があるというものじゃ。まぁ……唯一の悩みどころは、物理的には脆くなってしまったという所じゃろうか。でっかいゴーレムを生成して一思いに、とかはやめて欲しいものじゃよ、」
オスマンがうら若き美女を秘書として迎え入れるまで、あの宝物庫の防護策は、積極的迎撃に重点が置かれていた。そして若き日のミス・シュヴルーズはその全てを身に受ける事で……全ての対抗策をオスマンの手で自壊させることに至らせた。
流石に生徒の命とは引き換えには出来まい、という点を突いたのである。
「まさかそれも、私からミスタ・コルベールへ伝えなくてはならないのですか?もう嫌ですよ、こんな役回りは。」
「……やはり、彼女を見込んだワシは耄碌しとらん様じゃな。彼女には、ワシやお主には無い強かさがある。我等が正攻法で挑んでも、我が師の先には辿り着けなかったのじゃ。今更何を躊躇おう?」
「正気ですか?ミス・ロングビルの正体はあの、世間を騒がせている………」
「奇しくもその被害者達は、かつてのワシの教え子ばかりじゃ。その気になれば、如何様にでもなるわい。」
「……貴方はまさか、かつての生徒達に対する情けすら忘却したと仰られるのですか?」
「彼等は光るものを持ちながら、直接指導する気になれん者達ばかりじゃったよ。誅されて当然の貴族になってしまった。それにもう……ワシは懲りたのじゃ。教えようとしたのが間違いじゃったのかもしれん。だから彼女には………全てを自らの手で、学んで貰いたい。」
そう溢すオスマンは、文字通りの老人に見えた。
「やれやれ……てっきり貴方最後の教え子の名誉は、私のものかと思っていたのですが。」
「彼女はその道のプロじゃ。称号くらい奪われる事は、全く恥ではなかろう?」
「……そうですね。その通りです。」
「……どうやらお主はワシとは異なり、ミス・ノーレッジに目をつけているようじゃの?」
「当たり前でしょう?彼女は最早、私の大切な教え子の一人ですから。」
「かの者の技量は、部分的には我が師のレベルを超えておる。それ程の者に、一体何を授けるつもりじゃ?」
「教えることは無くとも、指導する事はできます。ミス・ノーレッジはいわゆる、極端な天才児に過ぎません。何でもできる事が仇になって、何事にも本気になれないのでしょう。その様な生徒には、見守ってあげる事こそが、何より肝心なのではありませんか?」
「お主は大器に化けたのう……」
何処かしら他人事の様に呟くオスマンに対して、ミセス・シュヴルーズは疑問をぶつける事にした。
「そもそもの話になりますが……貴方のお師匠様のアグリアス・マーガレット・ロイドでしたか?そもそもこれは、本名なのですか?」
「いやいや、その前にその名を何処で掴んだのじゃ?」
「アカデミーでは有名な噂話になっているそうですよ?ロマリアの聖遺物の設計図には何故か、貴方の筆跡で女名が描かれていると。その頃から耄碌していた証拠だとすら、言われてしまっているそうです。ミス・ヴァリエール……この場合は長女エレオノールの方ですが、彼女とは未だに親交がありますので。」
「ああ、……そう言えば、苦し紛れにそんな事をしたという記憶もあるのう。想像の通り、偽名じゃよ。本名はマーガトロイドと言う。ファーストネームは……ワシと彼女だけの秘密じゃ。既にこの地に居らぬとはいえ、彼女の齎してくれたものは、余りにも大きい。」
「この件に関して以前から言わせて頂きたいと思っていたのですが……先生は彼女の事になると、どれだけ視野が狭くなるのですか?3世紀前の事を未だに引きずっているなど、未練がましくて肌寒くなります。それよりも、私やギトー先生の事を、もっとよく見て下さいよ。貴方にかつて心を打たれた者が、同じ道を歩んでいるのですよ?随分と素っ気ない言葉しか頂けていないのですが。」
「ならば敢えて言わせて貰うが……お主は恥を知らんのか?」
ミセス・シュヴルーズは一瞬面食らい、唾を飲み込んだ。
オールドなどとは呼びたくても呼べなかった、かつてのオスマンが目の前に居たからだ。
「一体何の事ですか?私はそこまで恥入る様な生き方はしていないつもりですが。」
「それならば尚更じゃ。ハルケギニアのメイジとして誇りは無いのかと、己の心に問い直してみよ。モートソグニルから聞いた話では、ミス・ノーレッジは魔法の失伝した世界で独力であそこまで至ったそうではないか。ミス・マーガトロイドも……決して魔法だけが全てではない世界で、生きていたと聞いた。それに対してこの、ハルケギニアには魔法しかない。世界そのものが魔法に基づいておきながら、この体たらくは何なのじゃ?この一点のみで、ワシは自らを万死に値すると思うておる。」
ミセス・シュヴルーズはため息をついた。それはもう、盛大に。
何を今更。
こんな事、話し合うまでもない。
基礎的な統計学の概念は、確かこの人自身から教えられた筈なのに。
ミス・ノーレッジやミス・マーガトロイドはどう考えても、その母集団においてすら外れ値的な存在なのだ。
彼女達の魔法は技術の高さに反して、必然性がカケラも無い。所謂、技術の無駄遣いなのだ。汎用性や簡素化の視点が全くないことから、歴史が無い事は一目瞭然ではないか。一代限りでその地位にまで昇り詰めたのは本当に凄い事なのだが……所詮は彼女達自身の功績に過ぎない。
彼女達を基準にその帰属集団を考えるなんて、全く無意味な話である。
例えばこの世界のメイジ殺しだが、彼等は皆それぞれが独自に、仰天の体術を身につけている。仮に彼等が異世界に招かれたとして、だ。彼等を基準にハルケギニアを推しはかられては、堪ったものではない。
他にも例えば、始祖ブリミルが標準的なメイジとされる世界を想像してみるといい。虚無魔法と全系統魔法を誰もが自在に操れる世界など、些細な喧嘩で破滅しかねないではないか。
もしくは始祖ブリミルが、限りなく弱小な存在である世界か?余りにも役立たずだからハルケギニアへ追放されたとか、そういうオチならばどうだろうか。それならそれで、新天地としてのこの世界の素晴らしさが証明されるというだけの話ではないか。
「先生。ひょっとして貴方は、50歳くらいからそのままなのですか?」
「いい質問じゃのう。何年生きてるとは良く聞かれるが、そこは記憶しとらんよ。何故そう思ったのじゃ?」
「因みに私は今、67です。どうにも仰る事が青臭く聞こえて来ましてね。」
「バ、化物かお主?!どう見ても50代じゃろうが?!若作りとか、そういうレベルの話では済まされんぞ?!と、言うか。20年前のお主も、同じくババアでは無いか?!ウゲ〜〜〜、わ、ワシの寿命を返せ!本気で想像してしまったでは無いか!」
「はぁ……随分と低レベルな話し合いをしていますね、私達は。ギトー先生も50くらなのにギラギラしてますからね、単なる当てずっぽうで言っただけですよ。」
ミセス・シュヴルーズはそう締めくくると、そそくさと席を立った。
「何をするつもりじゃ?」
「ミスタ・コルベールへ伝言を。ついでに、じっくりやれば必ず解けるからとでも付け加えておきますよ。」
「やれやれ……そういう世話焼きは、誰から教わったのじゃ。」
「盗賊を手の内に引き入れた挙句、技術供与までしようとしている人のせいではありませんか?彼女の素性と考え合わせると、これは、立派な外患誘致罪ですよね。まぁ……ミスタ・コルベールを匿っているので、今更な話ではありますが。」
「まさかお主、出身地まで掴んでおるのか?いや、それより何故、彼の事まで……」
「食事が美味しいと半泣きになっていましたからね。アルビオンの没落貴族だったりするのではありませんか?ロクな教育も受けずにトライアングル級の腕前を持つに至るとは、名簿さえあれば姓名まで辿れてしまうでしょうね……詮無い事なので、いっそのこと先生が所々の問題をクリアして、養女にでもしてしまえば良いのではありませんか?私が立会人になりますよ。………ミスタ・コルベールに関しては、単なる当てずっぽうです。時折見せる視線が、妙に曰くありげなので、気にはしていたのですよ。こんな単純な引っ掛けに乗ってくれて、ありがとうございます。」
「……もういっそ、ワシに変わって校長やってくれんかの?弱味を握られている様にしか思えんのじゃが。」
「……そうですね。ところでもし、老化具合が気になるのならば。ミス・モンモランシーの水薬はオススメですよ?私も色をつけて購入しておりますから。」
「教師たる者が、生徒の売買を見逃すどころか、それに加担してどうする?!」
「今の貴方に言われても、痛くも痒くもないのですが。」
「……一体いつから、この学院はこんな風になってしまったのか……ワシの苦労は一体、何だったのじゃ?」
「まだまだ耄碌するには早いという事ですよ。暫しの余暇を楽しんだと思って、しぶとくやり直して見て下さい。特別授業も再開されるおつもりな様ですし。」
そう言い残すと、ミセス・シュヴルーズは今度こそオスマンの執務室を後にした。