尊敬する人物の為に、全てを捨てた少年。
あの時、少年は何もかも、自分すら捨てることを誓った。
しかし、ある時、ある偶然が重なった場所で見つけた書物。


―――それが少年の、揺るがないはずの想いを変えた。

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夢と現実の狭間で、真実を知った少年の一幕

 

―――きっかけは、些細なことだった。

 

 

 

もしも、好きにしろと言われていなかったら?

もしも、書庫に行っていなかったら?

もしも、あの本を見つけることがなかったら?

 

そして―――

 

 

 

―――もしも、決意が揺らがなかったら?

 

 

 

 

 

ここは何処かの遺跡だろうか。

風雨に晒され、古びた建造物がいくつも並んでいる。

 

空は分厚い雲に覆われ、太陽の光など届いてはいない。

そしてかつては美しい花畑が広がっていたであろう大地は荒れ果て、透き通った水で満たされていたであろう湖は濁り切った水が溜まっている。

 

生命の息吹が感じられず、人間すらいないような荒れ果てた遺跡。

 

 

 

だが、そこには一人の小さな人影があった。

全身を闇に溶け込むような黒いローブで覆った人間。しかしその背丈は思ったよりも低く、ローブによって覆われていない部分から見えるその素顔はまだ若い少年であったのだ。

 

同年代の少年ならばその瞳は輝いているはずのもの。

しかし、ここにいる少年の瞳からは全くと言っていい程光が感じられず、生気を失っているとすらいえる程に暗い表情をしていた。

 

このような荒れ果てた景色の中で、当然と言えば当然なのかもしれないが……。

しかし、少年がそのような表情をしていることには別の理由があった。

 

 * * * * *

 

景色、否、世界がここまで濁っている理由。それは一つの強大な力によるものだった。

 

現在進行形で世界を脅かしている悪魔、邪竜ギムレー。

 

その存在がいつからこの世界にあるのかどうか、詳しいことは分かっていないが、少なくとも1000年前には存在していることが分かっている。

突如としてこの世界に復活し、破壊と殺戮の限りを尽くした。勿論人間もそれを黙って見ていた訳ではない。勇敢な者達は世界を守るために立ち上がり、激闘は始まった。戦いは長期に及び、激闘の末に勇者たちに討たれたというのが大まかな流れである。

 

否、討たれたというのは間違いなのかもしれない。

 

この邪竜は不死身に近い存在らしく、何人たりともこのものを滅ぼすことはできないとされていた。故に、1000年前の勇者も滅ぼすことはできておらず、その後訪れた平和はやむを得ない封印という結果によるものに過ぎなかった。だからこそ邪竜は現代でも復活し、破壊や殺戮といった悪逆の限りを尽くしているのだ。

 

この存在はどこにも正義がない。つまりは悪そのもの。

そんなものに好き好んで従う人間がどこにいるだろうか。

しかし、この少年はその『従う人間』の一人だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当ならば、彼のたった一人の姉のように、人間の為に戦うのが筋だっただろう。それも正義という立派な大義名分がある程の。彼女は自分と同じ母親を持つ人間として、家族の情よりも仲間の為を想い、邪竜に立ち向かう道を選んだ。

 

しかし、その一方で仲間よりも家族としての情の方が強かった。少年は母親のことを誰よりも尊敬していたが故に、母親と敵対するという道を選ぶことができなかったのである。選べた道は、全てを捨てて、変わり果てた母と共に悪逆の限りを尽くすということのみ。

 

 

 

とはいえ、この少年のように、人間でありながら魔物を従える幹部というのは極めて稀な存在である。邪竜の僕たる存在はほぼ全てが人の姿をしただけの魔物で構成されている。

 

少年の主な任務は、力なき弱者を蹂躙すること、そして神であるものに従わぬ愚者を滅ぼすこともまた一つの任務であった。

そのために、魔物の群れを指揮して多くの集落を襲撃し、数え切れぬ程の命を奪った。彼が見知った相手の命を奪ったこともある。そしてその中には、少年が過去に仲の良かった友や、恋をした相手も含まれていた。

 

 

 

直接口に出したことはないが、少年は神そのものを敬拝している訳ではない。こんなことを直接口に出せば自分もまた滅ぼされるだろう。

それでも少年が謀反を起こさない理由。それは彼が最も尊敬する人物、即ち母親が傍にいるからだった。少年は神などではなく、単純に親のことを尊敬していたのだ。

とっくに母親としての面影などない、世界の全てを敵に回した悪魔であるにも関わらず裏切ることができない理由は、悪魔と母親が同一人物であるから。それ以外に理由などなかった。

 

幼い頃の少年が知る母は優しく聡明で、勇敢な人物だった。母親は昔から記憶に障害があり、幼少期の記憶が存在しなかった。ある時、とある国の重鎮に保護され、成り行きのままに戦っていく間で様々な巨悪と立ち向かうこととなった。彼女は優れた戦術眼を所持しており、その力は大いに役立ったとされている。そして、戦いの過程の中で、とある人物―――、少年から見れば父親と恋に落ち、二人の子を授かった。

その後は彼の最大の相棒として数々の逆境を覆し、数多くの戦いを勝利で終わらせてきた。それは一重に彼女の優れた知略によるものだったといっても過言ではなかったはずだ。

 

そして、戦いの行き着いた先で、母の抜け落ちた記憶の中に恐るべき真実が含まれていたことが判明する。

 

―――母親は、最初から邪竜の生贄として生まれた人間であったと。

 

 

 

母親は邪竜を神として讃える教団の最高権力者の一人娘であり、邪竜がこの世界に再臨するために、依代となる素質を持った唯一の人間であったというのだ。

そして、数年前における戦いはその教団と戦っていた。元々正義感の強い性格だった母親はその教団が掲げる狂信に賛同できず、教団を打倒する側についていた。

しかし、最高権力者が切り札として秘蔵していた魔道によって邪竜の素質を強制的に引き出し、覚醒させることで内側に秘められていた邪竜の力と合体し、彼女はそのまま自我を失ってしまった。

暴走を起こした彼女はいとも簡単に邪竜に支配されてしまい、そのまま共に戦ってきた多くの味方を手にかけてしまった。こうして、平和の為に戦っていた軍はあっさりと崩壊してしまったのだった。

 

 

 

少年には仲間はいない。誰にも相談することができず、ただ既に記憶の中の存在とは何もかもが違う母親の傀儡となる以外の方法はなかったのである。

 

 

 

しかし―――――

 

 * * * * *

 

少年はかつて『異界の門』と呼ばれていた遺跡に辿り着いた。

 

ある意味、これは少年が初めて自分の意志で動いた瞬間なのかもしれない。

この場所に行けという命令など受けていない。

殺戮するものがないこの場所に誰が行けというだろうか。

 

 

 

目の前に広がる扉は固く閉ざされており、周囲に広がっていただろう美しい景色も今や見る影もない。

 

無理もないだろう。世界は守護神たる神竜の力によって美しく保たれていた。この遺跡もその一つだ。遺跡は神々しい力に満ち、奇跡に近い摩訶不思議な現象が多く起きたとされる。

 

しかし、今の世界は神竜とは対極の存在である邪竜の力に支配されている。詳しい原理はよく分かっていないが、神竜の力が関係するらしいという門はいまや力を失っているに等しいのだから。

 

 

 

「やっぱり駄目でしたか……」

 

薄々こうなっているのではないかと予想はしていた。そう呟いた少年には、もう帰る場所がなかった。命令なく拠点を抜け出してきた今、自分は脱走兵だ。そして組織の頂点に立つ存在は、そういった者を決して許しはしない。それがたとえ実の子であろうとも何も変わりはない。

 

自分は目的もなく外に出た罪を問われ、粛清を受けるだろう。

そして外に出ていた結果、何一つ母を喜ばせる要素がないということもそれに拍車をかける。

 

どうしようかなどと考えてここまで来た訳ではない。

元々少年は考えることが苦手であり、どちらかと言えば深く考えるよりは先に行動に移すタイプだったのだ。

 

 

 

門に手を当てる。

しかし、硬く閉ざされた門からは何も帰ってはこない。

押しても引いても何も反応などない。

それこそ、その門は最初から何の力も持っていないただの石像のように。

 

 

 

やっぱり駄目か、と思い門に背中を向ける。

これからどうしようか、なども考えてきてはいない。所詮は思いつきでの行動であり、その先どうしようかなど全く考えていなかったのだ。

 

 

 

「はぁ……これじゃあ軍師なんて到底目指せませんよね……」

 

 

 

誰が聞いている訳でもないのに出た言葉。

 

 

 

「痛っ……」

 

ふとした拍子に何かに躓き、大きく転んでしまう。

そして、転んだ時の打ちどころが悪かったのか、足元に擦り傷を負っていた。

 

足元に走った傷からは量こそ少ないものの、血が流れ出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ……なんでしょうか…………?」

 

少年はふと、後ろを振り向いた。何かに気が付いたから。

 

 

 

何故だかは分からない。

しかし確かに目の前にある門は開いており、中からは不思議な光が溢れている。

少年は知る由もないが、それはかつてその門が見せていた光景と全く同じものであった。

 

 

 

「……」

 

今までは固く閉ざされていた扉が、開いている。

どうしてなのか。

 

そんなことは少年が考えても分かるはずがなかった。

 

 

 

少年の足は自然と開いた門の傍へと向かっていた。

 

 

 

光の元へと近寄り、深い穴のような光の奥を見下ろす。

 

 

 

「母さん……、父さん……、みなさん……僕は……、僕は…………」

 

 

 

少年の頬を涙が伝う。

 

 

 

「―――絶対に全てを、取り戻します。だから……」

 

 

 

 

「―――だから、待っていて下さい」

 

 

 

そう言い残して、少年は光の中へと身を投げた。

 

 

 

少年の姿が消えた後、光は消え、門は閉じていた。

最初からその門は何も変わっていないように。

 

ただ一つ違うのは、目の前に立っていた少年の姿が消えているということだけ。

 

 

 

―――そして、その後少年の姿を見た者はいない。

 

 

 

少年は何を想い、ここへ来たのか。

そして、少年は何処へ消えたのか。

その答えは、本人にしか分からない。

 

 * * * * * 

 

どこかにある書庫。

 

そこは暗い闇に閉ざされ、僅かな燭台の炎だけが辺りを照らしている。

そこには乱雑に書物が積み重なっており、その種類も歴史、魔導、宗教など様々な内容であることが伺える。

 

 

 

その中でも一際大きな書物。

そこには数多くの文字や図解が所狭しと並べられており、何者かが何かを記録したもののようだった。

 

 

開かれていたのは分厚い本の最後のページ。

そこに書かれていた名前は。

 

――― Forneus. 

 


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