「梶村さん!」
聡美は拾ったダイヤのネクタイピンを梶村に見せる。
「これ、小田さんのでしょうか?」
「社長のもので間違いないと思いますよ」
強盗の線は消えた。
小五郎は。
「自殺した時の弾みでネクタイピンが外れてここに落ちたということですな」
「しかし、毛利さん。ここは五重塔から十数メートルは離れています。自殺したときの弾みで飛んでくるには、少し距離がありすぎませんか?」
「こう言うことも考えられますよ」
小田はここで自殺をするかどうか逡巡していた時にうっかり落とした、と。
「でもネクタイピンはそう簡単に落ちるものじゃありませんよ」
聡美は横溝に言う。
「刑事さん、小田さんの肘に草の汁がついてましたよ」
「それがどうした?」
と、小五郎が問う。
「ネクタイピンはこの草むらに落ちていた」
「そうか! ここの草の汁がついたのか!」
横溝が納得した。
「毛利さん、やはり小田さんはここで何者かと争って倒れたんです!」
「小田さんを吊るしていたロープですが、見たところ、長さが足りなくて小田さんの足が欄干に届かなさそうでしたよ」
横溝が捜査員に確認すると、確かにロープの長さが足りなかったとのことだ。
「なんてことだ。欄干に立ってもロープに首が届かないんじゃ、自殺することなんてできないじゃないか」
毛利さん、と横溝は小五郎を見る。
「それがどうしたと言うんです? なんの問題もありませんよ」
「え? と、申しますと?」
小田は自殺するかどうか迷った末に、五重塔に上がった。
ロープに届かなかったところで、今更、やめるわけにはいかず、飛びついて縄を首にかけたのである。
「しかし、いくつもの状況が他殺を示しています」
100歩譲って他殺だとしても、そのためには何者かが意識のない小田の巨体を運び、一人しか通れない狭い通路を引っ張り上げなくてはならないが、被害者にも五重塔にもそんな痕跡はなかったのだ。
さらに届きもしないロープの輪に、小田をどうやって吊るすことができるというのだろうか。
「は! そうか! ますます他殺が困難になっただけか!」
「そう。小田さんは自殺じゃない限り、五重塔の先端にぶら下がることができないんですよ」
聡美は考える。
確かにいくつもの疑問はあるが、自殺説を崩すことのできる証拠はない。
(だがこの事件は間違いなく他殺だ)
聡美は遺体に向かって歩き出した。
問題は小田をどうやって五重塔の先端に吊るすかだ。
その方法がわからないと、この事件は自殺として処理されてしまう。
(ん?)
聡美は凶器ロープに手を伸ばした。
(こっちは欄干に……)
欄干側の結び目を確認する。
(どうして鎧結びなんかに……)
聡美の脳裏に欄干がよぎる。
(そうか、その方法ならできるわ!)
聡美は小田を五重塔の先端に吊るすトリックに気づいた。
その方法なら、欄干にロープを結びつけることができる。
警察官が聡美を見て首を傾げている。
聡美は林に向かって走り出した。
(私の推理通りならあそこにあれがあるはず)
それは、古井戸のことだった。
(あった!)
古井戸を覗き込む。
この方法を使って小田を自殺に見せかけたのは間違いなかった。
古井戸の縁を見ると、新しい傷が残っていた。
(とんでもないトリックを考えたものね)
あとは証拠だった。
犯人がやったという証拠を見つけなくてはならない。
聡美はみんなの元へ戻った。
「変わった自殺でしたが、一件落着ですな」
と、小五郎が言うが、横溝は何か不満そうな顔をしていた。
「そうでしょうか。私はなんとなくスッキリはしないのですが……」
「まだそんなことを。じゃあ報告書に、祟りで亡くなったとでも書きゃいい」
横溝は両手を前に出してあたふたする。
「冗談でしょう! そんなこと書いたら私はクビですよ!」
その時、梶村が訊ねる。
「私、そろそろホテルに戻ってもいいでしょうか? 従業員たちも動揺していると思いますし」
「そうですな。まあ、いいでしょう。ですが、一応念のため、連絡先を教えていただけますか?」
「それでしたら私、ホテルにおりますので」
梶村は背広から取り出した黒い財布を落とした。
聡美は財布を拾った際に中の札束を見た。
「どうもありがとう」
梶村は財布から名刺を取り出して横溝に渡した。
「こちらに連絡をください」
小五郎が横溝の斜め後ろから言った。
「梶村さん、大金をお持ちのようで。もしかしてそれ、小田さんのじゃないでしょうな?」
「とんでもない! 社長の財布とは、色も形も違いますよ! これはホテルの出入り業者に今日支払うお金なんです」
「冗談ですよ」
「脅かさないでくださいよ」
実はこの時、証拠を見つけていた。
梶村は淡海に寺の権利書を返せるかもしれないと話した。
(見つけた。言い逃れのできない決定的な証拠を)
犯人はやはりあの人だった。
「横溝刑事、これからどうしましょう?」
と、捜査員が横溝に訊ねる。
横溝は小五郎を見た。
「毛利さん?」
「この事件は自殺で決まりです」
「はあ。……毛利さんが仰るのでしたら」
しかし、それに異議を唱えるものがいた。
「しょうがない。この事件は自殺だ。引き上げるぞ」
警察が引き上げようとした。
「ちょっと待ってください」
「え?」
聡美の言葉に一同が振り返る。
「横溝刑事、あなたがポンコツだとは思わなかったです」
「ぽ、ポンコツ?」
横溝が自身を指差した。
「さっきから色々ヒントが出ているのに、どうして気がつかないんですか? これが自殺ではなく、他殺だと」
「やっぱりそうですか! 工藤さんの推理、聞かせてください!」
「お望みとあらば、私の推理をみんなにお聞かせしましょう。そこで、横溝刑事、これからある実験をしたいんですが、捜査員の方々に手伝ってもらえますか?」
聡美は捜査員の遺体に見立てたサンドバッグを用意させた。
頭には凶器と同様のロープが結ばれていて、そのロープは五重塔の先端に引っかかっており、さらにその先は欄干を通って地上に伸びており、端っこは使われていない古井戸へと伸びている。
ロープの先端は古井戸の上に積まれた鉄材に結ばれており、鉄材は落ちやすいように片側を鉄棒の上に載せてある。
「横溝刑事、これを思いっきり引いてみてください」
聡美は鉄棒に結びつけたロープの反対側を横溝に渡す。
「こうですか?」
言われた通りに思いっきりロープを引っ張る。
と、鉄棒が鉄材の下から引っ張り出され、古井戸に鉄材が落下するのと同時に、サンドバッグが五重塔の先端へと向かって引っ張り上げられる。
一同はそれを見て驚いて開いた口が塞がらなかった。
「ぶ、ぶら下がった! 小田さんと同じように!」
「いかがですか? これが今回の祟りの正体なんですよ」
ロープが焦げていたのは、屋根の先端にかけられ、強く擦れたからだ。
新品のロープにほつれがあったのはそれが理由だった。
草むらにネクタイピンが落ちていたことを踏まえると、そこが犯行現場であるということが窺える。
「でも、犯人はどうやって小田さんの首にロープをかけたんですか? 小田さんだって抵抗するでしょうし、殴られたりした痕跡は検死では出ませんでしたよ」
「もっともな疑問です」
順を追って説明すると。
犯人は昨夜、ここの境内に小田を呼び出し、隙を見て後方から首にロープをかけた。
そして、同時にロープを引っ張って鉄棒を抜き、鉄材を古井戸に落とす。
それだけでは小田が引っ張り上げられるまではタイムラグが生じるため、首のロープを外されてしまうが、犯人は小田の足を払って倒すことにした。
暗闇の中でなら華奢な者でも小田の足を払って倒すことが可能だ。
小田の肘についていた草の汁はこの時についたものである。
ネクタイピンもこの時に落ちたものだ。
小田はロープを外す間も無く引っ張り上げられ、五重塔の先端に吊るされる。
「小田さんが倒されたことは間違いないでしょうね。そうでなければ、靴の踵に泥はつきませんからね」
「なるほど!……いや、待ってください。この事件は複数犯ということですか?」
「どうやらその問題点に気づいたみたいですね」
「だって小田さんは100キロもある巨体ですよ! もし犯人が一人で欄干にロープを結びつけようとしても、ピンと貼り付けられたロープを巻きつけることなく握るだけ。ロープを切った瞬間にロープは引っ張られ、手から抜けてしまいます。つまり、一人では欄干にロープを縛り付けることはできません!」
「単独犯でもできるんですよ」
「そんなバカな!? いったいどうやって!?」
「犯人は欄干の通過点のロープを鎧結びにしていたんですよ」
「鎧結び?」
「ロープの途中に輪を作る結び方です。五重塔の上にいる警官には指示してありますので、やってもらってください」
横溝は五重塔の上の警官に指示を出す。
鎧結びをしてあるロープを内側に引き込み、その輪に棒を通してストッパーにする。
そして、外側のロープを切って輪の中に通して結び、棒を抜く。
「後は切れて地面に落ちたロープを手繰り寄せ、古井戸の中に放り込むだけです。これで、伝説を巧みに利用した小田さんを自殺に偽装したのです。犯人のたった一つのミスは、小田さんの遺体が欄干に届かなかったこと。それによって私に、自殺は偽装だと気づかれてしまったのですから」
「これだけの仕掛けができるのは、寺の内部に精通した人間ということに?」
横溝や寺の関係者を見た。
「そう。トリックを使って小田さんを殺害した犯人は——」
と、聡美は犯人に向かって指を差した。
「梶村さん、あなたです!」
驚く梶村。
「な、何を言うんですか工藤さん? 私はお寺のことには詳しくはありませんよ」
「あなた、ホテル小田の支配人だが、小田観光の重役でもある。テーマパーク建設のためと言って図面を手に入れ、五重塔の高さと井戸までの距離や深さを知ることができる。工事関係者に鉄材を古井戸のところに置かせたのは、あなたじゃないんですか。今回の偽装で使うために」
「た、確かに指示したのは私かもしれない! だが、そうだとしても、仕事上必要だったからだ! それに、あなたも知っている通り、私は昨夜出張でここにいなかったんですよ!?」
「では、どうして小田さんと春海さんの夕べの確執を知っているんですか?」
「ええ!?」
焦り始める梶村。
「あなたはここに来た時、こう言っています」
あの時、梶村は昨夜の春海と小田の会話の内容について話した。
「春海さんは昨夜帰ってきたんです。あなたと入れ違いに。なのに、どうしてあなたが知ってるんです」
「と、それは、連絡があったんです。東京のホテルにいる時、私の携帯に社長から」
「いんや、違う。あなたがその話を聞いたのはこの境内です。小田さんを殺害するため、ここへ呼び出した時にね」
「いい加減にしてくれ! そこまで言うなら見せてもらおう! 私が昨夜、ここにいた証拠を!」
「証拠はあなたが持っていますよ。決定的な証拠をね」
横溝が「本当ですか?」と訊く。
「横溝刑事、梶村さんの財布を調べてみてください」
横溝は梶村から渡された財布を調べた。
「そのお金は社長から支払いのために渡されたものだ。社長の指紋が出るのは当然です」
「工藤さん、これのどこに証拠が?」
聡美は答える。
「お札の間にあるはずですよ。昨夜、小田さんが受け取った葉巻のレシートがね」
「レシート?」
横溝がお札を調べるとレシートが挟まれていた。
決定的な証拠の登場で、梶村は驚いて戸惑う。
「それは、私たちが昨夜、小田さんと会食した時に、小田さんが受け取ったレシートです。それ以前に次行し、それ以降小田さんに会っていないあなたの財布に、どうして小田さんが受け取ったレシートが挟まっているのでしょう?」
それは恐らく、小田を殺害したあと、梶村が草むらに財布が落ちているのを見つけ、行き掛けの駄賃に中身をいただくことにしたからである。
「お札の間にレシートが挟まっていることに気付かずにね」
レシートを調べれば、小田の指紋も出るはずだ。
「梶村さん、もう言い逃れはできませんよ!」
「こ、こんなことでバレるなんて……!」
「動機はなんですか?」
「脱税ですよ。会社の経営が傾き始めたころ、私は社長に脱税を指示されました。それを利用して、私も美味しい思いをしましたが、社長はいざという時、私に全ての責任を負わせるために、甘い汁を吸わせていただけだったんです……」
「それで小田さんを」
梶村は会社のために散々苦労させられ、その挙句トカゲの尻尾切りにされる前に小田を殺したということだった。