世界は残酷であろうが美しい   作:マスカット

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001 仮想世界

 —――僕がなりたいことって何だろう・・・

 

「今の時期で進学先決めてないの君だけだよ。分かってる?もう11月だよ?」

 

 職員室の椅子に腰かけて、白紙の進路希望調査をバシバシと叩く担任が、不出来な生徒を見つめながらため息をついた。ちなみに不出来な生徒とは、受験シーズン真っ只中に未だ受験先すら決めていない僕のことである。

 先月切った黒髪は、けっこう伸びつつあり正直鬱陶しかったが、俯き加減な僕の顔を少しでも隠してくれている今はありがたかった。

 

「簡単でしょーこんなの書くぐらい。久和原くんは深く考えすぎてないかい?皆だって適当に書いてる子だっているんだから、白紙だけはやめてくださいよ」

「......すいません」

 

 こちらの仕事が増えるんだから、とぶつぶつぼやく担任だが、何も言い返せない。悪いのは僕なんだから当然だ。

 中学三年生にもなって担任に呼び出されて、進路の説教。なんてダサいんだろう。そりゃあ僕にだって夢とかあったけど、それを叶えれる才能も頭脳も持ち合わせていない。夢は夢、早々にそんなものは捨て去った。何か、何か僕にあればよかったのに。

 

「君にもあるでしょ?好きなこととか、やりたいこと。そんなんでもいいから」

「ははは...」

 

 —――それがあったら、僕はきっと変われる。

 自身につなげられること。たった一つでもそれがあれば。

 だからといってすぐにそれが見つかる訳でもなく、誰かに言われて見つけることでもきっとない。自分で探さないといけないものなんだ。

 けれどどう探せばいいのだろうか。皆だけが前に進んで行く感じだ。

 

 知らない。分からない。そうやってまた僕は目を逸らすんだ。

 

「考えておきます」

 

 担任にお辞儀をして、せっせと職員室から退散する。長い時間お叱りを受けていたせいで、放課後の校内には人影が少ない。いるとすれば部活を頑張る後輩たちの姿ぐらいか。同学年の子たちは、帰って勉強したり遊んだりしているんだろう。悲しいかな。志も友達もない僕はただ帰るだけだ。

 

 僕—――久和原哲太の特徴は、取り柄がないし、根が暗いし、対して見た目が良い訳でもない。いわば負け組。

 —――あの転がっている石が僕のよう。

 

 道端で誰からも注目されない石ころ。あれを僕と例えるなら、誰からも注目されず、流れる時間に身を任せるだけの存在。じっとして何もしない、たまに誰かの足を妨げる。あるいは蹴飛ばされる弱者。

 

「ああ駄目だ!暗く考えるな、ただ進路で悩んでいるだけ。あ、そういえばそろそろタイムセール!」

 

 母親に下校の際、スーパーで安売りしている卵を買ってくるように頼まれていたことを思い出す。時間的に急がないと間に合わない。

 走り出す足は、不安から逃げるかのように地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 正しく激戦だった。例えるなら腹を空かせたハイエナの群れの中に、一匹の子猫を放り込まれたような状況。いやちょっと違うかも。まぁそれは別に重要じゃないんだけど、もう二度とタイムセール中のスーパーには近寄りたくないと思うには充分な経験だった。

 あんなにも主婦は戦士になれるんだと戦慄しました。僕が卵を買えたのも、細身な体を生かして潜り込むように取りに行ったからだ。あの圧迫感は苦しかったな。ただ、あの主婦たちが若くて美人の女性だったならば、思うことは違っただろうと確信している僕はなんと最低か。

 

「ともあれ、頑張ったよ僕...」

「お!帰ったかてつ!」

 

 へろへろになりながら自宅に辿り着き、玄関で自分の健闘を称える。そんなおり、家の中から自分を呼ぶ声が聞こえる。

 え、何で。その声に僕は疑念を抱く。だって可笑しいじゃないか、普通自宅で自分を呼ぶ声なんて一緒に住んでいる家族ぐらいのものなのに。

 靴を脱ぎ捨てた僕の視界の先に居たのは、僕より頭一つ飛びぬけた男性。ニカっとした笑い顔に、ちらりと見える白い歯。鼻が高く整った輪郭。肩幅が広く、姿勢もピシっとクリーニング仕立てのスーツのようにまっすぐで、堂々とした雰囲気から感じ取れる勝ち気な印象のイケメン。

 

「な、信哉兄ちゃん!??」

「よっ。久しぶりだな」

 

 危うく買ったばかりの卵を落とした。あれ、なんか日本語可笑しい。

 

「ああー!!!せっかく買った卵がぁ!!」

「おい、おまっ汚っ!?」

「いや、てか何でいるの!?東京に住んでるはずじゃん!」

「ああ今日の朝帰って来たんだ」

 

 驚く僕は悪くないはず。だって、二年間も会っていなかった実の兄が、いきなり目の前に現れたんだから。

 ああまたカッコ良くなってる。昔から自慢の兄で、僕なんかと違って背も高いし、頭も良くて運動もできる。学校でも人気者だったし、今は東京の方でIT関連の大手企業で、開発部門に携わっているらしい。

 何故?どうして?たまに近況報告の手紙を寄越す程度で、正月もお盆も仕事に徹していた兄が、何でもない平日にひょろっと帰ってきたのは。そんな疑問を口に出そうとしたが、それはできなかった。

 

「......」

 

 急に僕は言葉に詰まってしまった。話したいことがいっぱいあるはずなのに。元気にしてた?とか、どんな仕事してるの?だったり、久しぶりの再会に喜んでいる筈なのに。

 引いてしまっていた。また兄はカッコよくなっている。兄弟なのに、僕たちの間には違う世界が流れている。興奮したのは一瞬で、すぐに疎外感に変わった。僕はまた置いて行かれたんだ。

 

「どした?」

 

 僕の態度に兄は小首をかしげて心配してくれる。

 だけど僕は何事も無かったように、作り笑いで濁す。

 

「いやぁー、卵落としちゃったのがショックで。悪いけど今日はスクランブルエッグだね」

「は!ちょ、折角帰ってきたんだぞ。それがそのぐちゃぐちゃの卵での出迎えかよ」

 

 うん怒るのはしょうがないけど、半分ぐらいは信哉兄ちゃんの責任でもあるんだし。いると分かってたら僕だって落とさなかったさ。良い訳をする僕はなんて心が狭いのか。本当反省してます。

 

 結局今日の夕飯にはスクランブルエッグが顔を出した。火を通して混ぜてるから見た目に可笑しな点はないけど、夜にこの料理はやはり不自然さがある。僕の中では朝食で食べる料理という価値観がどうしてもあるから。まぁ文句を言える立場じゃないんだけど。

 母さんは笑って済ましてくれたが、どうやら両親でさえも信哉兄ちゃんが帰ってくるとは知らなかったらしい。僕同様に中々のリアクションをしてみせた。

 久しぶりに家族全員揃っての一家団欒。その日はいつもより食卓は賑やかで、信哉兄ちゃんは色んな話を聞かせてくれた。そのどれもが実に興味深く、僕を楽しませてくれた。その中でも一際僕の興味を引いたのは、仕事先の開発部門が現在手掛けている内容だった。

 

「おう。その茅場先輩ってのが本当に天才でよ、今まであんな人みたことないってぐらい。今回のSAOもほとんど茅場先輩のワンマンショーっつうか、俺とか言われるがままって感じよ」

 

 それは今もっとも、世間で注目を集めてる話題といっても過言じゃない、世界初のVRMMO―――ソードアートオンライン、略してSAOの話だ。今現在知らぬ人など殆どいないのではと思えるぐらい、毎日テレビのニュースなどで取り沙汰されるSAOだが、何と実を言うとその開発に信哉兄ちゃんが携わっているんだから、弟の僕としては自慢するほど鼻が高い。まぁ自慢する相手がいないんだけどね。

 

「へぇ。でも信哉だってまだ入社二年目なのに、もう開発の中心で頑張ってるんだろう?お前も相当凄いじゃないか」

「いやいや、俺が任されることなんて雑用ばっかだって。それでもまぁ仕事の方は一区切り終えたからな。βテストが終了してからの正規版完成までの日々は壮絶過ぎた...」

 

 父さんが信哉兄ちゃんを褒めた称え、俺の誇りだと胸を張る。それが少しこそばゆいのか、照れ隠しのように笑う信哉兄ちゃん。でもそう言われるのは嬉しそうで、二人仲良く缶ビールを小突き合わせていた。

 あんな父さんの顔、信哉兄ちゃんが居ない間見たことなかった。別に僕が父さんに嫌われているわけじゃないし、愛情だって信哉兄ちゃんと同じぐらい注がれている自信はある。ただ、愛情は同じでも期待値がまるで違うんだろうな。天才肌の兄と、平凡な弟。比べられるほど年は近くないけど、年齢以上の差が僕たちにはある。進路先をぐだぐだと悩む僕の焦燥感は、多分僕が思ってるよりも大きいものだった。

 

「ごちそうさま」

 

 信哉兄ちゃんの話を聞くのは面白いし、もっと聞いていたい。けどもう聞きたくない僕が両手を合わせて食事を終わらせる。

 この場から早く立ち去りたかった。そうでもしないと、どんどん自分の心に、ぽっかりと大きな穴ができてしまいそうな予感がした。

 

「何だ?もういいのかてつ?」

「うん。ちょっと食欲なくて」

 

 ごめん信哉兄ちゃん。大量のスクランブルエッグの処理は任せたよ。

 僕は食器を片すと、そそくさと自室へと足を運ぶ。両親が受験勉強をやっときなさいと、僕の背中越しに言ってきたが、今はそんな気分になれそうにない。じーっと睨んでくる信哉兄ちゃんが何かを言いかけたが、それが何か分かる前に部屋の扉を潜った。

 ひんやりとした廊下の空気が心地よかった。壁の奥で未だ談笑する家族の声を聞きながら、大きく溜息が漏れた。大事な人にさえ自分を打ち明けられないこの性格が、心底嫌いだ。

 

 

 

 SAO―――ソードアートオンライン。先週発売された次世代ゲーム。

 電気機器やインターネットなどの情報化社会が進んだ現在、一人の天才は仮想空間という新たな世界を創りだした。ナーブギアというヘルメット型の機器を装着し、脳から発せられる電子信号を読み取り、人間の意識を仮想空間へと誘う。そんな夢のような道具は、当然僕だけが欲しがる訳も無く、発売する三日前から全国各地から集まった人たちが長蛇の列を成していた。だって限定一万本しか販売されないのだから。

 

 そんな激レアアイテムが当然僕の手に回ってくるはずもない。何日も学校を休むわけにもいかないし、買えるほどのお金を持っている訳でもなく、せいぜい一握りの希望をもってベータテストの抽選にハガキを出したこともあるが、それすら叶わず現在に至る。SAOが発売されたのは先週のことで、初日どころかたった数秒で即札したのだから、今更手に入れる手段はどこにもない。まさか誰かが譲ってくれる、なんて虫の良い話、本来の価格に相当な上乗せをして売りさばかれるのがオチだ。結局のところ、ただ黙って他人がウキウキとプレイするのを羨ましがるしかないのだ。

 

「もうちょっと...で、記録更新。と、危ない。もう少しでやられるとこだったよ」

 

 だから、せめてもと使い古されたコンシューマーゲームのコントローラを握り、対戦型のアクションゲームに没頭する。

 僕がやっているゲームは、3Dのアクションで基本一対一で戦うもの。何十種類といる操作キャラクターの中から、特性、性質、攻撃手段、相性などの様々な要素を考慮して選び、先に敵の体力をゼロにすれば勝利となる。そしてこれはオンラインゲーム。戦っている敵はコンピューターではなく、プレイヤー。

 敵の攻撃を弾き、カウンターからの怒涛のラッシュ。一度コンボが決まってしまえば、抜け出す手段はほぼない。この時も相手は何かできる訳でもなく、最後のフィニッシュで呆気なく体力を失う。画面上にはWINの文字と、オンライン対戦でのみ貰える勲章。その後画面は切り替わり、オンライン上の僕のプロフィールが書かれた待機ルームに移る。そこには、名前と勲章、これまでの戦歴に強さを表すランク。そして、勝利数と勝率や、倒した敵のランクなどによって変わる、ランキング。

 

「よし。これで新記録68人抜きだ」

 

 一勝負の制限時間が五分。ギリギリまで勝負が長引くのは稀だが、単純計算でこの数を倒し切るまで五時間はかかる。そんな長時間ゲームをやっていられるわけでもなく、記録は前回の引継ぎなので、だいたい今日のプレイ時間は30分程度だ。いや、まぁ五時間ぐらいぶっ通しでゲームをやろうと思えばできるんだけどね。時間的な背面からそうせざる負えないだけであって、休みの土日なんかは余裕でそれ以上やったりするんだけど。

 

 

 何をやっているんだ僕は。受験生が勉強もせずにだらだらとゲームだなんて。とは思うものの、僕を誘惑するこのゲームが悪いんだと責任転嫁よろしく、自分の悪態を棚に上げる。

 国内累計販売枚数100万を超えるヒット商品は、僕の意識をかっさらうには魅力的過ぎた。最近はほとんどこのゲームに時間を費やしている、のだが。コントローラーをベッドにぽいと放り投げると、間延びしたあくびとともに、上体を仰け反らせる。

 今日はこれ以上やる気が起きない。興味がどこかへ飛んでいく。その場所は勿論のこと信哉兄ちゃんが手掛けたSAO。こんなゲームだってきっと目じゃない。だってあの信哉兄ちゃんが作ったゲームなんだから。

 

「僕も体験したかったな......フルダイブの仮想世界」

 

 コントローラーでキャラクターを動かす。そんなゲームの根本的な概念を覆す、自身がキャラクターとなって、意思で動かすという、現実世界とゲームの世界をリンクさせたようなVRMMOを味わってみたい。

 剣を持ち盾を構え、勇猛果敢にモンスターへと立ち向かう。巨木立ち並ぶ樹海に、緑と青が栄える草原。薄暗く先の見えない迷宮や、鎧に身を包んだ戦士たちが蔓延る街。敵と戦ったり、ダンジョンを探索したり、街で安寧のひと時を過ごしたり。そうしてできる友情や仲間たちの絆、はたまた愛だってあるかもしれない。そんな想像をしてみるが、それ以上はスケールが大きすぎてもはや覚束ない。だけど、それ以上の感動がきっと待ち受けている。

 

 ゲームが大好きな現代っ子の僕からしてみせれば、喉から臓物が出ても欲しいぐらいだ。初回限定盤なんてプレミアものでなくてもいいから、早く再販はしないものだろうか。けど、サービス開始からできる人たちはずるいなぁ。

 ベットに横たわると、ポケットの中から振動が発せられた。珍しい、僕の携帯が着信音を鳴らすなんて。家族だけとまではいかないが、悲しいことに僕の携帯に入っている連絡先なんて、ワンスクロールで最後まで行き付いてしまう。

 ごそごそと携帯を取り出すと、通知画面には「加賀谷咲月」の文字が。

 

「うわぁ......。まさか、さっちゃんからなんて。えーっとなになに、「月曜日宿題見せろ」だって?ああ、いつもの女帝ぶり......」

 

 唯一学校でも親しい異性。家が近所で、親同士が同級生という生まれながらの幼馴染。言うならば腐れ縁的な間柄。客観的に見たら主従関係のような構図だけど。

 さっちゃんは男の僕なんかよりも男らしい骨太な性格で、僕とあまり変わらない身長でありながら、バレー部のキャプテンを務めてた人望溢れる少女。僕でさえ他と構わず気軽に接してくれてるけど、何故か言い様に扱われている気がしないでもない。てか、さっちゃんはもう推薦決まってるんだから、宿題どうのこうので僕を宛にしないでよ。

 かといってぐちぐち言われても勝てる気がしないので、了解とだけ返信しておく。すぐにありがとうのメッセージスタンプが返ってくるが、いつもの豹変ぶりなので軽い笑みで済ませる。

 

「そういえば、さっちゃんが信哉兄ちゃんが帰ってること知ったらどうなるんだろう」

 

 僕から見ても随分前からあれはホの字というやつだ。知れば家に転がり込んでくるぐらい訳ない。もしかすると、僕と接してくれてるのも、只の接点としてだけなのでは?おおう、今物凄く自分で自分の首を絞めた感じがするぞ。

 

「てつ邪魔するぞ」

 

 携帯を眺めながら不安に駆られていた僕は、突然の来訪者に心底驚いた。見計らったかのような兄の襲撃に心臓がバクバクなるが、そんなことはつゆ知らず、信哉兄ちゃんは部屋のど真ん中に腰を下ろす。

 なんとタイムリーな。兄弟とはいえノックぐらいしよーよ。そんな心中を込めた眼差しで見つめるものの、伝わったのかどうか。むしろ何でもないようにこっちを見返す視線が強者のそれだ。強い強いよ、勝手に人の部屋に入った挙句、許可なしにテーブルに片肘ついてビールのプルタブを開ける相手に、僕はどう立ち向かえばいいんだ。

 

「いいのかそれ?何か鳴ってるぞ」

「え?」

 

 指さすそれは、僕の懐部分。握りしめられた黒色の携帯に向かっていて、確かにか細い音が漏れている。

 確認。そして驚愕。

 

「あああああああ!!」

「うるせぇ!どうしたんだよ!」

 

 不味い。それだけは分かる。信哉兄ちゃんが部屋に入ってきたとき、僕は思わず押してしまっていたんだ。さっちゃんへの通話ボタンを。

 聞こえてくる怒声は、正しく電話越しの苛立ちを物語っている。そりゃあこっちから電話かけたのに、放置されてたんじゃそうなるよね。と、他人事のように状況を顧みるが、未だ止まぬ携帯の音声が逃がしてくれそうもない。このまま無言を貫けば、明日どうなるかは丸分かりだ。せめて低姿勢で刺激しないように応答する。

 

「......もしもし」

『もしもし?じゃないわよ!!一体どれだけ待たせれば気が済む気!?このボケ老人が!!』

 

 キーンと耳を貫くような声音。これはかなり怒ってらっしゃる。

 過去に友達のストラップを壊されたと、クラスの男子五人を血祭りに上げたさっちゃんの姿が甦る。あれから僕の中で、キレさせてはならない要注意人物トップ3にランクインしてるのだ。ここは穏便に、そして後腐れないよう心構えなければ。

 

「ん?その声さつきか?なんだてつ......お前もやる男になったじゃないか」

『......その声、もしかして信哉さん......?』

 

 もはや修羅場を回避することはできないのか。

 僕はこの後訪れるであろう二人の容赦ない猛追に、頭を悩ませるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 何とかさっちゃんを言いくるめ、覚えときなさいよ、という不穏な脅し文句を最後に、二十分にも渡る電話は幕を下ろした。信哉兄ちゃんが悪乗りするから、思いのほか心身ともに凄く疲弊したよ。

 

「んでてつ。さつきとはどこまで行ったんだ?」

「......宿題を見せる約束をしたところ」

「干からびた男だな」

 

 こういう危険知らずなところは美点なのか欠点なのか。教えてあげたい、さっちゃんが好きなのは信哉兄ちゃんだと。それを言った瞬間、血祭りは決定なので言わないけど。

 ぐいっとビールを胃の中に流し込むと、唐突に信哉兄ちゃんは口火を切った。

 

「......SAO興味ないか?」

 

 いつものおちゃらけた雰囲気とは相反した真剣な眼差し。思わずごくりと生唾を飲み込む。

 興味だって?そんなのあるに決まってるじゃないか。SAOは僕にとって特別なゲームだ。ずっと思っていた、信哉兄ちゃんが作ったゲームをプレイしてみたいと。例え雑用程度の関わりであってもそれは変わらないし、今だって未練たらたらである。

 真っ直ぐと見つめ返した。口は開かない、というより、そこに言葉はいらないって方が正しいかも。ついさっきまで僕と電話を巡ってもみ合っていた姿なんかどこ吹く風で、見透かされているような寛容な表情に、思わず釘付けになった。だが逆に、僕はこの人の考えていることを一ミリとして分からない。それを聞いてどうするんだろうか。

 だから、壁にかけた時計が12時に達するほんのすこし前、飲み切ったビールの缶がカコンと机に置かれ、背中に隠していた包装されている箱を取り出したのを目にして、僕は本当に驚いた。

 

「え、これって......」

「本当はこういうの駄目なんだけどな。無理いって一つ回してもらった。あ、ちゃんと金は払ってるぞ」

 

 包装が剥がされ中から姿を現したそれを、僕は信じられないといった顔で見るしかできない。

 

「嘘でしょ......」

 

 思いがけない贈り物。信哉兄ちゃんはしてやったりの表情で、ぽかんと口の空いた僕にそれを手渡す。

 ずっしりとした重みが、その存在を伝えてくる。ナーブギア及びSAOのソフトが僕の手元に収まると、頭が真っ白になるような思いで信哉兄ちゃんの言葉を聞いた。

 

「ゲームプログラマーってのは、自分より誰かにプレイして欲しいと思うもんだ。......最初から渡すつもりで帰って来たんだけどな、これ見ちまったらただ渡すだけじゃ済まないわ」

 

 そう言うと僕から視線を外し、真横へと移す。どことなく高揚感を刺激するような軽快な音楽が流れているテレビには、先ほどまで楽しんでいたゲームがついたままだった。信哉兄ちゃんはそのある一点を眺め、口元を摩る様にして、笑みを抑えきれないと興奮気味に語った。

 

「お前が攻略しろ。誰よりも先に。それが俺の—――このゲームを作った一人としての望みだ」

「ま、待って......SAOをプレイする人って単純に考えて一万—――人じゃ...?そんなの..エッ..??」

「FFO。二年連続ソフトゲームランキング首位を記録した異例のヒット商品、全世界ランキング制ネット対戦アクションゲーム。製作期間はおよそ五年間にも及ぶ大作にして、その敷居の低さから子供から大人まで幅広く愛されるそれで、トップランカーと呼ばれる上位1%に入る実力はどの程度だと思う?確立にして100万分の1以下。それに比べりゃ、1万分の1なんて簡単だろ」

 

 僕はしばらく無言でただひたすら状況を整理していた。無理に決まっている。初めてのフルダイブ空間で、一体どんな難易度かも予想つかないゲームで、僕みたいな人間が一番を取るのなんて。ただ器用なだけじゃ絶対にできないのに、僕の何に期待をしているんだ。過剰評価だ、できるわけない、だというのに。何故嬉しいんだろう、こんなにも自分を見てくれていることがどんなに特別なことか。

 自身はない。けど、ようやく絞り出すように答えた声は

 

「やって...みるよ!」

 

 どことなくやる気が満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 ピンポーン

 自室のベットで寝ていた僕は、目覚ましが鳴る前に目を覚ました。今日は日曜日なので、普段なら昼ぐらいまで堕落しているのだが、そうは問屋が許さないらしい。というのも

 ピンポンピンポンピンポンピンポーン

 さっきからずっと家のチャイムが鳴り響いているからだ。時刻はまだ午前八時。こんな時間にはた迷惑な客人は、どうやら誰かが出てくるまで鳴らし続ける魂胆らしい。両親の仕事は主に土日の方が忙しいので、現在はもう家を飛び出している。それもリサーチ済みなのだろう。遠慮無しな連打は、携帯のアラームよりかよっぽど耳障りだ。

 

「あれ?鳴りやんだ」

 

 と思ったのも束の間、机の上に置かれた携帯が勢いよく震えだす。おお、催促していらっしゃる。

 電話に出るのも億劫な僕は、ドタバタと二階の自室から玄関へと駆け出す。肌寒い秋の空気は、一晩で廊下の床を痛いくらい冷ましていた。おかげで僕の眠気も気持ちのいいくらい覚ましてくれる。

 玄関のドアのカギを外し、そーっと開けるやいなや、客人はいきなり僕の襟元を鷲掴みにするという暴挙をくり出す。

 

「あんた、私に隠し事するなんていい度胸じゃない」

「お、おはようさっちゃん。しゅ、宿題は明日のはずだよ?」

 

 声が震えていたが、どうにか察して欲しい。この羅刹と化した幼馴染の前で、どうして平然といられようか。

 

「信哉さんは...?」

 

 ゴゴゴゴゴという擬音が聞こえてきそうな迫力に、秋場だというのにたらりと額に汗が流れてくる。僕は知っている。さっちゃんは信哉兄ちゃんがこの家にいると分かっていたなら、呼び鈴をこんな時間に鳴らし続けるようなはしたないマネは絶対にしない。これは僕を黒と断定づける為の誘導尋問みたいなものだ。

 

「き、昨日帰ったよ......」

 

 わずかに震える僕の呟き声を、たちまちのうちに風がさらっていった。

 さっちゃんはすっと通った鼻筋の上にある眉間を、ぎゅっとしわを寄せると、予想外にぱっと手を離してくれた。部活を止めてからすっかり伸びた、ウェーブがかった茶髪をたなびかせると、打って変わって気味の悪いぐらいの笑みを浮かべる。

 

「私このあと用事あるからもう行かなくちゃなんだけど、明日よ~くじ~っくりと話聞いてあげるから。逃げたりしたら承知しないわよ」

「サーイエッサー!!」

 

 僕は悟る。多分この先一生この娘には頭があがらないだろうと。

 

 

 

 

 

 本当に用事があったのだろう、さっちゃんは用件だけ済まし、ちゃっかりと僕がやった宿題を持って立ち去った。

 あのまま居すわられても、僕だって今日はやらなくちゃいけないことがあるので、さっちゃんが早々に撤退したのは嬉しい誤算だった。その分恐怖が後に待ち受けていると変わっただけで、結局のところ何も安心することはできないわけですが。

 

「もうすぐ始まる―――SAOが」

 

 この時ばかりはそれすら上回る期待と高揚が僕の中を駆け巡っていた。時は11月6日午後12時50分。SAO正式サービスまで残り十分を切った。枕が置いてある側の壁にあるコンセントに向かい、ナーブギアが電源プラグを伸ばし、僕を待つようにちょこんとベッドに鎮座する。

 何というかまだ実感が湧かない気分だ。あまりにも全てがいきなり過ぎて、全部夢だったのではないかとも思えてくる。だが、夢だとしても覚めるにはまだ早い。目覚めるのならもっとどっぷりと浸かんでからだ。

 ひんやりとした無機質なナーブギアをかぶり、次いでベッドに横たわる。

 ああ、緊張でどうにかしてしまいそうだ。頭から冷たい血が流れてくる。早く、早くと鼓動が急かす。始まれ!心が熱くなりたがっている!

 

「リンク—――スタート!!」

 

 一瞬の浮遊感。瞼を綴じた筈の視界は、暗転してからすぐさま光を伴う。そして目の前に広がるのは広大な景色。......とはいかず、浮かび上がる様にして出てきた文字。ゲームを始めるにあたって、避けては通れないキャラ登録。そのことを思いつかなかったあたり、自分がかなり焦っていたことを自覚する。

 最初の項目はキャラネーム。ここで明記しておくけど僕にネーミングセンスの類は一切ない。だからといって本名をそのまま使うのは、ネットゲームとしては避けるべきだろう。

 ということで、僕がつけた名前は《テツ》。名前の一部分を取っただけの安直な名前だが、一番しっくりくる呼び名だ。その後も、性別—――勿論男—――と容姿—――超イケメン—――を設定し、一通りの確認を終えてから最後にOKボタンを押した。どういう技術か知らないが、押すといっても僕は横たわったままで、腕どころか指一本動かしてはいない。ただ、目の前の項目に意識を傾ければ、自然と思い通りに再現された。それだけで相当凄いモノに僕は触れているんだなと、まざまざと感じられる。

 そして僕はSAOの世界にログインする。

 

 足が地面に降り立つ。その感覚は正に現実世界そのものだった。

 

「凄い。これが仮想空間......」

 

 ここがゲームのスタート地点なのか、街の広場らしきそこに何百人というプレイヤーがひしめき合う。ぐるりと見回すと、本当にゲームの世界なんだと感じられるものがここにはありふれていた。ほとんどのプレイヤーが初期装備なのは仕方ないが、それでもファンタジーの衣装のような格好で歩くさまは、一種の怪奇現象を目撃したかのような驚愕が僕を襲い、道路の脇で風呂敷を広げた商売人や、武器や防具を取り扱った店は僕の好奇心をひっくるなしに刺激した。

 僕はほとんど衝動的に駆け出していた。装備だとか、交流だとか、スキルなんかも今はどうだっていい。ただもっとこの世界を感じたいという欲求だけが僕を満たしていた。

 中世のヨーロッパをイメージしたかのような建物が、駆ける速度に応じて視界を流れる。街の中を全速力で走る一人のプレイヤーの姿は、同じくこの世界に感銘を受けていたであろう他のプレイヤーからも視線を引いたらしかった。それでも尚走り続ける僕は、きっと現実世界じゃこんなマネ絶対にしない。ただこの時は無我夢中で、他人の意識を考えるほどの余裕はありはしなかった。

 ようやく街の外れにまで差し掛かったのだろう。最初ほど人の数は目に見えて少なく、軒並みも少々すっきりとした印象だ。多分に最初の広場がこの街の中央に座していたのだと予測する。長い間走ってはいたが、肉体による疲労感は一切としてなかった。息切れすらしていないことを鑑みるに、ここは仮想空間で全てのものは本当の意味での実体を持たず、それはプレイヤーである自分も同じだと結論付けてみせた。よって、精神的な疲労しか存在しないんだな、と僕は徐々に冴えてきた思考の片隅でそんなことを考えていた。

 

 最初の興奮から冷静になった僕だが、街の城門をくぐり広大なフィールドを出たころには改めて感情が再加熱されていた。

 こんなにも素晴らしい景色を今まで見たことはあっただろうか。

 地平線まで広がる草原は、見た目としてはそこまで特別なところはなかった。あるいは、日本でもこれと似た光景も探せば見つかるだろう。それでも、今までその眼に映してきた自然のどれよりも美しいと感じたのは、言葉では説明しきれない何かが僕の中に灯ったからだろう。

 

「ここなら......」

 

 僕は変われるかもしれない。確証なんて微塵もないけど、その時ばかりは迷うことなくそう思った。

 剣の世界の一人の戦士の物語、その第一歩が力強く踏まれた。

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