世界は残酷であろうが美しい   作:マスカット

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002 デスゲーム

 避ける。

 振り上げる。

 振り下ろす。

 たったこれだけの動作なのに、気を抜いてしまえば途端にリズムが狂い、猛然と突進をくり出す猪に隙を晒してしまう。重く刀身が巨大な大剣は、無理に振れば逆に自分の身体に慣性という反動を返してくる。大事なのは間合い、タイミング、スピード、体重移動、それらが合わさることでその刃の真なる力が発揮され、眼前の獣を屠る必殺の剣と為す。

 と、頭では理解しているが、実践という中でそれを完璧にこなすとなると、これが簡単にはままならない。しかも、今相手にしている敵で実に三十体目は超えている。一時間にも及ぶ戦いで次第に集中力は低下しており、それに伴って体のキレも悪くなってきている。仮初の肉体を持ってこの世界にログインしたダノワは、自分に喝を入れるように、握りしめた大剣を上段へと構えた。もしここが現実の世界ならば、たった一回振るだけで剣の重みに堪えかねて、とっくに腕は痺れて持ち上がらなかっただろう。現実でこれほど馬鹿でかい刃物を振り回すこともなかろうが。

 

「ふっ!!」

 

 気合一閃。武骨な牙を振りかざし猛進してきた猪型のモンスターのフレンジーボアを、真上から全力での一振りで両断する。ミシミシと両腕に届く骨を断ち切る様な抵抗感は、斬るというより叩き割るにも似た感覚で、その破壊力は一撃でフレンジーボアのHPを全損せしめた。

 今のは悪くなかった。最後の一撃は納得しうるだけの出来であったか、ダノワは大きなため息を漏らして肩の荷を下ろした。久しぶりの戦闘で、最初こそ上手いように行かなかったが、後半は勘も取り戻して苦戦というほどの場面も無かった。だが、流石に何度も同じ敵に剣を振り続けるというのは、肉体的な疲労がないにせよ気が滅入ってしまう。ここらで一度休憩を挟むことに決めたダノワは、生い茂る芝の上にどさりと座り込んだ。

 この付近にリポップする今しがた相手にしていたフレンジーボアなどは、プレイヤーを認識次第襲ってくる好戦型ではなく、こちらから攻撃しない限りは害の無い非好戦型のモンスターなので、武器を手放して寝転がろうと脅威は無い。そのことを重々承知しているダノワは、一際大きい伸びをして颯爽と吹くそよ風に心を和ませた。

 

「空が高いな......」

 

 そんな真っ当な感想を頭上を呷りながら呟くダノワだが、彼の言うことはただ当たり前の事実を口にしただけではなかった。よくよく目を凝らして空の彼方を見て見れば、雲よりも高い場所にほんのりと何かが覆っている。このソードアートオンラインの舞台である、空に浮かぶ巨大な城アインクラッドは、その巨大で空中に座しているという観点からプレイヤーに全容を確かめる術は無いが、大方の構造を知識としてはマニュアル程度に知り得ることは可能だった。縦に細長く上に行くほど円周が狭まる形のそれは、等間隔で横にスライスするかの如く分割されており、それを一本の巨大な柱が繋げている。その数は丁度百であり、プレイヤーはその柱の中に存在する迷宮区と呼ばれるダンジョンを進み、一際大きな扉の奥に待ちわびるボスを撃破したのち、次のフロアへと上ることができる。驚くべきはその広さで、最下層の第一層は百層の中で一番広大だが、はじまりの街と呼ばれるゲームのスタート地点、その一角の中央の広場でさえ全プレイヤー一万人を優々収納できる大きさなのだ。そして然も当然ながら、街の大きさよりフィールドの方がスペースが大きく、山や森などの地形も存在する。それが縦長のアインクラッドの横幅を表しているのだから、想像を絶するに難くない。縦となれば、ほんの一層の差でさえ雲がかかるほどの高さなのだ。つまり、うっすらと見える覆うような何かは、第二層の地面。いうならば天井である。

 ダノワが口にした空が高いという言葉は、言い換えれば二層が驚くほど遠いと暗に示すものだった。

 

「いや、それでこそ遣り甲斐があるってもんだ」

 

 あまり感情の起伏が少ない性格のダノワだが、それでもSAOに魅せられた一人のプレイヤーとして、静かではあるが燃ゆる闘志を煌びやかせていた。

 

 いつまでそうしていただろうか。五分あるいは十分だったかもしれない。

 

「だ、誰か助けてー!!ヘルプミー!!」

 

 風を感じていたダノワが、自分が習得している索敵スキルに検知される前に、誰かがその存在を声を荒げ主張していることに気づく。すぐに声の主へと視線を移すダノワだが、数秒以て状況を把握したのち、ああ振り返らなければ良かったと後悔した。

 尚も叫び続ける少年は、現実ではそうそうお目にかかれないぐらいの端正な顔立ちを、勿体ないほどにぐしゃぐしゃにして全速力でこちらに向かい駆けていた。そしてその後ろには、どうやって集めたのだろうかと目を疑うほどの隊列を成したモンスターの群れ。初心者プレイヤーにはよくある光景だが、敵から逃れようと無理に逃走するあまり、それを追って鬼ごっこを開始する通称トレインというお手本のような惨状を、あの少年は作り上げていたのだ。このままこちらに逃走してくればダノワも巻き込まれるのは確実で、トレインの擦り付けはオンラインゲームで相当忌み嫌われる行為だと言うのに、それを知ってか知らずかダノワの存在に気付いた素振りを見せてからも、構わずこちらへと駆け寄ってくる。

 少年を追うモンスターたちは、最弱のモンスターであるフレンジーボアに毛が生えた程度のステータスであるオオカミ。ただ、普段は温厚なフレンジーボアと違って、あちらは攻撃をせずとも襲い掛かる好戦型であるために、ああして少年が追われる身になっているのだろうが、如何せん数が多すぎた。単体なら危険ですらないものの、数の暴力というものは決して油断ならない。だというのに、

 

「ああ良かった。お願いします助けてください!」

「まじかよ......」

 

 まるっきりそんな発想は持ち合わせていないかのような口ぶりに、思わずダノワは盛大な溜息を洩らした。

 阿保か。そんな悪態が口から啄ばまされそうになるのをぐっと堪え、せめてあの少年にオンラインゲームでのマナーというものを叩き込んでやろうと、この先同じような被害を被る人が出ない為に地面に置かれた大剣を拾い上げる。

 幸いオオカミは少しばかりかフレンジーボアより経験値が豊富だ。あの数を倒せば先ほど倒したフレンジーボアの経験値とも相まって、レベルが上がることだろう。

 

「おいあんた!そのままの速度で右に旋回しろ!はみ出た奴から一体ずつ倒してやる!」

「了解!!」

 

 淀みない返事に多少呆れるダノワだが、ぐずぐず迷ってしまうよりは幾分かマシかと考えを改めると、初期コル—――この世界での通貨—――をはたいて購入した<アイアンソード>を引くように構える。刃先は地面をなぞらえる様に傾き、体重は軽く突き出した左足へと乗せた。

 少年を追うオオカミの数は八匹。通常このフィールドのモンスターは、群れを作るとしても五匹を超えることはまあない。それはここがはじまりの街からほど近い付近であり、プレイヤー達が初期レベルでも攻略できる程度の難易度でなければ、ゲームとして成り立たないためである。そのためにダノワも一人でレベリングを行っていられたし、それなりの敵ならば逃走するのもさほど難しくないのだ。それが例え俊敏そうなオオカミであろうと、振り切ろうと思えばダノワにだってできる。

 

 だからこそ少年の今の状況は、引き際を誤ったか、余程移動に制限でもかかる装備をしているかと思われるが、ダノワの視界に映るモンスターの頭上に記されたHPバーは、全く減った形跡もなければ少年の装備も変哲もない初期装備である。

 疑問はすぐに解消された。追われる者の恐怖、見えざる後方からの圧力からか幾度となく振り返り、少しばかり速度が低下しているのだ。

 

「そのままの速度と言った筈だろ。全くなんで俺がこんな人助けみたいなことを」

 

 柄じゃない。だけどここまで来て見捨てるのも後味が悪い。いつぞや自身が少年のような立場だったころも、誰かが助けてくれたのを思い出す。

 所詮ここで死のうが、はじまりの街に戻るだけだ。自分自身がそれを体験しているのだから、彼を見捨ててもダノワが恨まれる筋合いはない。だが、それでも助けてくれた人が居たのだ。ここで助けないという選択は、あの時の誰かへの恩をあだで返すというものだ。

 

 ふーっと細く息を吐き、神経を研ぎ澄ます。群れの最後尾を走るオオカミまでおよそ十メートルほどか。その距離を大剣を担ぎながら縮め、尚且つ走って斬るのは至難の技だろう。剣を持って数時間の素人ではまずやろうとするべきでもない。

 俺は違うがな。どことなしに呟いたダノワは、体に力が漲っていくのを感じた。それと同時に発光し出す刀身がひと際青白く輝くと、ついでまるで自分の身体が操作されるという不可思議な感覚をダノワは体感する。体重を預けていた左足が大きく地面にめり込むと、ありったけの勢いで加速した。蹴り飛ばされた地面に反動して、飛翔するかの如く前進したダノワは、オオカミとの距離をわずか二歩でゼロにすると、煌めく刃が地面を滑る様に縦に振り上げられる。一瞬地面を接点に大剣が撓んだが、勢いが臨界点に達すると、デコピンに似た要領で張り詰められた力が一気に解放される。蓄えられたエネルギーを内蔵した剣はオオカミのわき腹を捉え、食い込み、引きちぎって弾き飛ばす。上空を四、五メートル漂ったかに思えば、数秒でポリゴンのチリとなって消滅した。

 

 これがこの世界での死である。屍は形を残さず、血や肉の塊に見えても、それはそう見えるようにしてあるだけで、結局は全部数値の集合体でしかない。プレイヤーならいざしらず、システムによって定められた動きを為す何かでしかなくそこに命などあるはずがない。そう分かっていても、殺った瞬間というのはどうも変な熱を帯びてしまう。それが嗜虐心によるものか、単なる哀憐なのかはダノワの中で未だ区別がついていないが。

 

「うわぁ、すご」

「よそ見するな!走れ」

 

 感心する少年にやや強目の注意を飛ばすと、再び剣を携え、遠ざかるオオカミの群れに眼光を向ける。

 残り七匹。

 

「さぁ、狩りの時間だ」

 

 ニヤリと口角を吊り上げると、無骨な大剣を振り仰いだ。

 

 

「助かりました......」

 

 三十分にも及ぶ追い駆けっこが終わり、寝転がって腕を広げようやく人心地ついた僕は、何とかそれだけを口にした。

 助けてくれた大剣使いは、疲れた様子も無く鞘に剣を収め、呆れた眼差しを僕にぶつけてきた。その視線に困惑してしまうものの、ほとんど押しつけにも近いモンスターの擦り付けに対して苦言も申さぬ辺り、それほど怒ってはなさそうだ。てか、怒っていないで欲しい。どうか許してください。

 無言の圧力というものか、助けて貰ってなんだけどせめて手にかけた剣だけは手放してもらいたい。

 紅蓮の毛髪が風に吹かれ、ゆらゆらと火のようにたなびきながら、これまた逆につんざくような冷えた目つきが何ともファンタジーっぽく、彼をこの世界の住人と意識するにはそう遅くなかった。現実離れしている、いや妙にこの世界に浸透していると無性に彼へ興味が湧いたのだ。

 彼の戦闘にも目を見張るものがあった。どこか手慣れたようにモンスターを一掃する姿は、悪鬼羅刹のように力強く、追われる恐怖も忘れて感嘆と賛辞を贈るほどだ。今の僕とはかけ離れた存在であることは間違いがない。

 

「......あんた、何であんな大量のモンスターに追われてたんだ」

 

 張り詰める様な沈黙を破ったのは、意外にも向こうの方からだった。僕の貧相なコミュ力ではそろそろ胃が持ちそうに無かった為に有難い。けど同時に、更に僕の胃をキリキリと蝕む質問であるのも事実。広大なフィールドに感動して、衝動のまま駆け抜けていたら、いつのまにかモンスターに追われていたなんて誰が言えるもんか。僕には無理だ。

 小心者と言われれば正しくその通りなんだけど、初対面の人に自分の失態を晒すのは恥ずかしいもので、僕は困ったように口を閉じてしまう。何を今更、なんだろうけどさ。

 ただ、何も言わずにいるのは見ず知らずである僕を助けてくれた彼に対して申し訳がない。

 

「その......戦い方が分からなくて?」

 

 だから、ついつい阿保なことを口走った。

 

「はぁ??何言ってるんだよ、その腰の剣は飾り物か?」

 

 切れ長の目が更に細く引き締められる。なんだよ戦い方が分からないって。こっちの方がよっぽど失態じゃないか。

 だけど、僕が言ったことは本当のことでもある。生まれて此の方喧嘩なんてしたことないし、殴られたことは多々あっても人を殴ったことは一度もない。ましてや剣を振るうなんて、授業で竹刀を素振りした程度の僕が使いこなせるとは到底思っていないのだ。どうしていきなり実践ができると言えようか。と自分を肯定して幾ばくか開き直る。

 現実は11月に入り、靄のように霞がかった空が多いこの時期だが、仮想世界のこの空は呆れるほどに青く、生い茂る草草はびっしりと地面に所狭しと並んでいる。その光景につくづくここが作られた世界だとは信じられなくなる。

 不意に彼が僕から視線を外した。そしてそのままクルリと背を向ける。

 

「まぁいい。お前が戦えようが戦えまいが俺には関係ないからな。ただ、今後ああいう行為は止めろ。迷惑だし、赤の他人の尻ぬぐいなんて誰もしたくない」

 

 ピシャリと、突き付けられた言葉に僕は押し黙る。装っていた自尊心がバラバラと崩れる様な音が聞こえた。

 

「......俺なら、勝てぬにせよ立ち向かうけどな。逃げるだけしかできないなんて、ここに来た意味がない」

「....は」

 

 言葉が研ぎ澄まされたナイフのように、ごっそりと心を切り刻む。痛い。ああこの世界にも痛覚はあるんだな。

 彼の言葉は僕を鏡のように映す。どんなに見繕ってもお前は結局逃げ虫なんだと、そう言われた気がした。現実と同じじゃないか。目を背け、敵から逃げ、誰かの足を引っ張る。また繰り返すのなんてもう御免だ。

 そうだよ、いつまでもこのままなんてここに来た意味がないじゃないか!逃げるだけは止めなきゃ。変わるんだ。

 なのに

 

「はははは。だよねぇー何かゴメ......」

 

 また僕は過ちを犯そうとしている。

 弱弱しく吐かれたセリフに、彼はそこで見限ったのか振り返りすらせず足を運びだす。

 焦燥感が僕を襲った。また置いて行かれる。ここで立ち止まってしまったら、二度と追いつけないようなある種の確信。だというのに、その一歩が踏み出せない。

 

「......っ」

 

 行ってしまう。

 いや、行かせてなるもんか。僕はここで変わらなきゃ。今までの何をやっても駄目な久和原哲太はもう終わり、一番になる為の『テツ』になるんだ!

 

「ま、待って!」

 

 ようやく絞り出した声は、自分でも酷いぐらいに震えていた。それでも立ち去る歩を止めることは叶った。だけどそれだけでは足りない。ここから追いつかなければならないんだから。この世界に来てたった二時間、その中でのほんの数分の出来事なのに、今までの人生で一番長い沈黙だと感じ取れるぐらいに緊張している。思えば自分から何かを切り出すこともそうそう無かったかもしれない。

 彼がもう一度歩みだそうとする瞬間、それとほぼ同じタイミングで震えた唇から言葉を発した。

 

「その、僕に......戦い方を教えてください!!」

「はぁ!?」

 

 ぎょっと振り向いた彼の目は、唐突な僕の言葉に白黒と点滅していた。偶然助けた相手からいきなり教えを請われる。そんな展開は予想外だと言わんばかりに、彼の表情は驚きに満ちていた。

 

「手に入れたアイテムも...お金も全部譲ります。だから、その、僕も君みたいに...」

「ほう。俺みたいにね、簡単にいってくれるじゃねーか。そりゃさぞ立派だな、志が高くて良いんじゃないか」

「いや、今のは何というか言葉のあやと言いますか......」

「なんだよ、やってみな」

 

 確固たる意志のような視線に、思わず数歩後ずさった。

 その眼は、言葉通りの意味ではなく、子供が言った戯言に対し冷静に返しているようなものだった。試していると言うレベルにも達していない、発破をかけられている訳でもない。絶対に自分には追いつけないという自負から来た言葉だ。

 猛烈な身震いが足底から押し寄せてくる。

 

「やります!やらせてください!」

 

 震える足を渾身の力で殴り飛ばすと、頭を下げ頼み込む。

 彼が僕の願いを聞き入れる保障なんてどこにもない。それでも—――

 

「僕は変わる為にここに来たんだから...!」

 

 いつまでそうしていただろうか。それは自分が思っているよりもほんの数秒程度の間だったかもしれない。

 

「くっ」

 

 不意にそんな声が聞こえたと思うと。

 

「くはははは!なんだそれ!可笑しな奴だなお前!」

 

 咳が切れたように笑い声が噴き出た。これには流石の僕も予想外で、面喰ったカエルのように真顔で見つめるしかなかった。

 こういう風に笑う人なんだと、僕の中の印象が大きく変わるぐらいに大爆笑している。てか、そこまで笑うってちょっと傷つくんですけど。

 

「はー。いきなりモンスター擦り付けてきた奴の言うセリフじゃないなそりゃ。今でも相当変わってるのにまだ変わりたいの、お前?」

「うぐ」

 

 ちっとも反論できないのが悔しい僕だった。

 ひとしきり笑い終えた彼は、未だ上がったままの口角の隙間から白い歯をちらりと見せると、改めて正面に向き合った。

 

「...お前名前は?」

 

 そういえばまだ名乗ってなかったと慌ててかぶりを振り、バカ正直に久和原と言いかけたとこではっと口を噤む。ここはゲームの中で、リアルの個人情報が分かることを発言するのはタブーだ。

 

「て、テツです」

「俺はダノワ。言っとくが、俺が嫌いなものはのろまとアホとヘタレだ」

 

 全部僕に当てはまってるんですがという神妙な面持ちに対し、ダノワと名乗った彼はニヤリと薄く笑みを作って言った。

 

「ただし、バカは嫌いじゃない。俺の言うことを全部聞くのなら、せめて剣の振り方ぐらいは教えてやる」

「え、ほんとに?...いいんですか?」

「いいもなにもそっちから言ってきたことだろ。困ったことにこれがここでの最初の出会いってことになるしな。数奇な縁だと開き直っただけだ」

 

 言いながら手を差し出すダノワは、憎たらしいほどに同性の僕でさえ見惚れる笑顔を晒した。

 

「よろしくなテツ」

 

 僕は両手でがっちりと握手に応じた。ありがとうと言う言葉は、自然に口から洩れた。

 

 

 

 昔一度だけ本物の猪に遭遇したことがある。小学二年生の時だったから、七年ほど前ということになるが、今でもその時の衝撃が大きくて鮮明に記憶に残っている。

 父の実家が、日本海に面し自然にも富んだ福井県にあり、小さい頃は長期休暇の度に遊びに行っていた。冬は埋もれるぐらい雪が降る雪国で、銀白の世界に目を輝かせ、よく外で遊んだものだ。

 その日は学校が冬休みに入り、家族そろって帰省した次の日だった。すでに膝近くまで雪が積もっていて、どんなに着込んでも肌寒い気温の中、信哉兄ちゃんとともに、祖父母が飼っていた柴犬のコジローの散歩に出かけた。

 散歩コースは大抵決まっていて、距離にして二キロほどだったけど、流石に雪が積もった道を裸足のコジローに歩かせるのは可哀想で、大幅に短縮することにしたんだ。だからいつもより半分の時間もかからず帰路についたんだけど、その程度でコジローは満足出来なかったようで、もっとと言わんばかりに信哉兄ちゃんが握っていたリードを引っ張った。当然その時の信哉兄ちゃんもまだ子供で、犬とはいえ、既に立派な成犬のコジローの力に踏ん張ることができず、ドシャっと前のめりに顔を埋め、コジローの脱走を許してしまう。

 慌てて後を追いかけた。僕は足に自身はなかったが、信哉兄ちゃんはクラスでも速い方なのに、どうして犬はあんなにもスピードが違うのか。四足歩行は伊達ではない。みるみる差を離され、実家の裏側にある雑木林の中にまで逃げていく。僕と信哉兄ちゃんも林に入り、コジローの探索が始まった。

 30分ほど探し回ったが、一度姿を見失ったコジローを見つけることは出来なかった。これ以上は家族も心配するだろうと、ひょっこり戻ってくることに期待して、一旦帰ろうと話し合った時だ。

 五メートルほど離れた茂みが不意にガサガサと揺れる音がした。帰ろうとした矢先に出てくるとは、コジローは中々性格が悪いな。と迎えようと近づいたところで、にゅっと突き出た二つの突起物が見えた瞬間、信哉兄ちゃんと二人して固まった。あれは何だろうと純粋な疑問は、すぐにその全貌が現れたことにより解消される。

 猪だった。野生の猪が、冬の間に十分な量の餌を蓄えられず人里に下りて来たのだ。そこに運悪く遭遇してしまった。大きさとしては、コジローよりも一回りずっしりしていて、思わず叫び声が出そうだったのを覚えている。

 コジローでも信哉兄ちゃんを引き倒したのだ。もし仮に、あの二つの牙が襲い掛かってきたとしたら。

 僕も信哉兄ちゃんも目を合わせることもしなかったのに、阿吽の呼吸とも言えるタイミングで全力で後方に猛ダッシュした。この時ばかりは、運動会のリレーでもごぼう抜きできたと思えるぐらいに足が回った。後方を確認することは終ぞ無かったが、幸いにも何事も無く無事に家まで逃げ帰れた。ちなみにコジローは既に帰宅していた。

 

 

 あの時と同じように、くるりと回れ右をして走り去りたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて慣れない手つきで剣を構える。

 ここは仮想世界だと何度も頭に言い聞かせて、幾度目かの突進を剣の峰で受け止めた。

 

「フゴッ!」

 

 至近距離で荒い鼻息が聞こえると、背中にひやりとした汗が流れる様な気がしないでもない。

 猪の牙を剣を使って抑え込む。現実世界では絶対体験しようのない状況。フレンジーボアの体躯は、幼き頃一度見た野生の猪と余り変わらないほどだろうが、自分の背丈があの頃よりも大きくなっている分、幾らか縮こまって見えた。

 

「反撃!」

 

 そんな声、いや命令が耳に届くや否や、左側にさっと飛びのきフレンジーボアを斬りつける。

 

「甘い!もっと強く、当てる個所も考慮しろ!如何に効率よくダメージを与えられるかだ!」

 

 そんな手厳しい指導を素直に聞き留めるが、正直聞くのと体を動かすので余裕が無い為、再現できるかは断言できないのが現状だ。

 そう思うと、僕に指示を飛ばしながらよく自分も危なげなく戦っているものだと、深くダノワに感心する。

 

「本当才能無いなテツ」

「くっ...それは自分でもよく自覚してるよ。け、けど幾らか成長したでしょ?」

「まぁようやくレベル0から1になっただけだ」

「ダノワってドSって言われない...?」

 

 言葉を交わす程度の実力がついてきたと慢心する僕を、躊躇なしに蹴落としてくれるダノワ。けど、言葉に険悪な雰囲気は感じない辺り、多少打ち解けたと思っていいのだろうか。

 敬語は気持ち悪いと、ため口に矯正された僕は、ダノワが四体目に取り掛かったところで、ようやく一体を撃破する。

 数刻前の出会いから、なし崩し的に僕の師匠となったダノワは、大剣の重みをもろともしない華麗なステップで攻撃を躱す。確かに威力でなら片手剣より大剣の方が威力はあるだろうが、連撃を得意とする片手剣に比べ、取り回しが難しい大剣で、こうも差がつくものだろうか。プレイヤースキルの差は大きいだろうけど。

 新たな敵が現れるまで、じーっとダノワの戦闘振りを観察していた僕だが、ダノワが四体目を一撃のもとに葬った際に、あることに気が付いた。

 

「剣が光ってた?...そういえば、僕を助けてくれた時も似たような輝きがあったような...」

 

 そこで記憶に真新しいある情報が脳裏を巡った。確かあれはソードスキルというこの世界の必殺技だ。

 この世界にログインする前。端的に言えば昨日のことだが、PCでSAOのプロモーションを見た時に、そんな動画があった。今の今まで忘れていた自分に正直呆れてしまうが、ソードスキルを使えれば、狩りの速度もプレイヤーとしてのレベルもぐっと上がるに違いない。

 動画では専用のモーションを行えば使えるらしかったのだが。残念ながらダノワは大剣使い。同じモーションを行ったところで技が発動するとは思えない。

 

「いや、何かコツとかあるかもしれない」

 

 思い直し、改めてダノワを観察する。新たな敵が出現しても、ダノワの方に行かないようタゲを取って、防御に徹する。

 剣を振り上げる。剣に黄土色の光が灯る。とてつもない速度で剣が振るわれる。その様子を一瞬も取りこぼさないよう、食い入るように見つめる。

 

「構えが重要なのか?光の度合いも技を発動するときが一番光ってたし、そもそもどうやってタイミングを計るべきだ?発動するにも隙ができるはずだし...」

「おい!何ぶつぶつ言ってるんだ!よそ見するな!」

「あ!うっぐ」

 

 ダノワの掛け声で我に帰った瞬間、右から攻撃してきたフレンジーボアを、ギリギリのところで受け止める。

 あ、危なかったー。心中で一人反省すると、返しに二回左脇と頭部に攻撃する。二回目の攻撃は、残念ながら牙によって防がれた。そのままバックステップで距離を取る。

 猪の頭上にあるHPバーは残り七割を切ったほど。単純に考えて、ソードスキル一回で倒せるなら、通常攻撃とのダメージの違いは天と地の差とも言えよう。

 やはりステップアップするならば、このゲームを攻略していく上では、ソードスキルは絶対に必要になる。

 思い出せ、昨日見た動画の内容を。片手剣のソードスキルで、初期から使える技のモーションを、おぼろげな記憶から必死に掬い取る。確かこうで、こう。呟きながら手探りで構えを取る。

 何とか攻撃を躱しながら、何回かのチャレンジで、ようやく確かな手ごたえを感じる。説明するには難しいが、力が漲る感じだ。

 

「ここでダノワは少し止まっていた。態勢を維持しながら、エフェクトが入って...」

 

 そして放つ。

 

「う、うおおおわ」

 

 少しばかりの驚愕から、掠れたうめき声が漏れた。視界がはじける様にスライドし、意思に反して、マリオネットのように腕が動かされる。浅い角度で横薙ぎされた剣は、見事に空中を寸断し、シュバッという衝撃波を放った。

 記憶通りなら、<ホリゾンタル>と言うソードスキルは、剣速も威力もさっきまで振っていた斬撃とは比べものにならないだろう。

 

「す、すごっ」

 

 他人事のようにそう呟くしかなかった。まるで剣の達人にでもなったかのような感覚に酔いしれた。

 

「お、おいテツ...」

 

 いつのまにか戦闘を終え、ぱちぱちと瞬きをしながらこちらを向いていたダノワが、呟くように呼びかけてくる。

 ダノワの表情は信じられないものを見たかのような驚愕に彩られていた。視線は微かに残光を帯びた僕の右手に収まる剣、だろうか。いきなりド素人の僕がソードスキルを発動できたことへの驚きなのかは分からないが、何かを言いたそうに口を半分開けようとして。

 

「はぁー...」

 

 と深いため息をつかれた。

 ため息の理由が分からず、頭の中でハテナマークを浮かんでみせる。よもや今のソードスキルは、偶々形になったビギナーズラックだと見破られたかと一瞬考えた。そりゃあ、昨夜ネット配信されてる動画を見ていず、ダノワというお手本がいなければ、自力で発動できたかと問われたら頭を横に振るしかないけれども。もう少し弟子の成長を喜んでみせてもいいのではないかという子供じみた癇がちらりと出る。

 だがそれも数秒の間だった。改めて口を開いたダノワは、すっと左手の人差指を僕—――の後方斜め下辺りを差した。

 

「戦闘中に素振りするやつがあるか」

 

 とダノワは呆れ。

 

「フゴォアアッ」

「ぐほっッう?!」

 

 ひと声吠えたフレンジーボアがけたたましく大地に蹄を鳴らしながら、僕の腰下に勢いよくぶつかった。避けようとはしたものの、金縛りにあったかのように体が上手いこと動かず、ただただ慣性に任せてゴロゴロと転がることしか出来なかった。

 のちにダノワから聞いた話では、ソードスキルを使った直後は技後硬直と呼ばれるシステム上の隙が生まれるということで、だから基礎的な地力がつくまでは教えなかったのにと再度大きなため息をつかれたのだった。

 

 

 

 夕日の光を反射して、赤みを帯びた大剣のエッジがカシャンと金属エフェクト音を鳴らして背中の鞘に収まる。

 大剣使いのダノワは、ほとんどモンスターを狩り終え静寂になったフィールで、自分以外の存在に目を向けた。細い体つきに、高身長な体型はモデルをやっていても可笑しくないほどで、シュッと尖った顎に、プロのヘアメイクがセットしたような黒髪のショートボブが似合う柔和な顔立ち。見た目を自由に設定できるこの世界のルールを、最大限生かしたであろう端正な顔立ちだ。正直ダノワとしては好みの部類ではないが。

 ダノワの指導もあって、幾分か戦闘をこなせる様になった片手剣使いのテツは、現在はソードスキルの練習に励んでいた。

 ―――よく分からない奴だ。

 剣を正中線に構えながら、ソードスキルのモーションに入ったテツを見て、そんなことを考えた。

 五メートル先で、夕日を背にして空中に光のアートを描く姿に、おっ今度は成功したと頭の中だけで呟く。テツも四度目ぶりに技が発動できたことに喜ぶ。

 ダノワもソードスキルの練習は何回もやっている。技のキレや発動までの隙を無くす為に、何度も体で覚える必要があるからだ。ただ、初めて使うソードスキルならいざしらず、単発の基本技を何度も失敗する運動神経の低さには顔を引きつるしかなかった。

 この見た目とスペックが完全に不釣り合いな少年が、何の助言も無しにソードスキルを発動させた事実は何かの見間違いだったのだろうか。見た目を自由にカスタマイズできるSAOにおいて、本当に少年かどうかも怪しいものだが、明らかに戦闘の才覚が皆無なのは確かだ。

 ソードスキルは適当に体を動かせば使えるということは殆どない。仮に構えだけ取れば扱えるというのなら、戦闘中のちょっとしたきっかけでその構えと同じ態勢になってしまったとき、技が自動で発動してしまうことになる。重要なのは使うという明確な意識。細かい原理はダノワの知る由もないが、ナーブギアが脳の信号をくみ取ってアバターを動かしているぶん、何らかの鍵がそこにあるのだろう。ソードスキルはその技専用のモーションとそれをどのタイミングで放つかという意識が相まって初めて形になるというのが、これまでのダノワの体験から基づく考えだった。

 つまり、テツが放った片手剣の基本技<ホリゾンタル>は、戦闘中の偶然で起きたことではなく、本人がそれを使うという意志から生まれたものだ。

 

「おい。二回連続で発動できたからって感動し過ぎだバカ。100%で使えてこその必殺技だ。一か八かなんて自分の首を絞めるだけだぞ」

 

 再度成功したテツに、抑揚の薄い声を発した。

 

「て、手厳しい。でも、よくダノワはバンバンソードスキル使えるよね。今日がサービス初日なのに、何か秘訣とかでもあるの?」

「知るか。意識的に技のブーストやら軌道修正なんかはできるが、それもほんのちょっとした差だ。むしろそれがソードスキルで一番重要なところなのに、技が使えないやつなんて見るのは初めてだ」

 

 その言葉は半分本当で半分嘘でもあった。

 ソードスキルを発動させるにはコツがある。システムがモーションを認識したというのを逆に認識すること。とは言っても、それが可視化されている訳ではないし、ダノワの感覚での話だ。他人にその感覚を伝えることは難しいし、人の感じ方はそれぞれ違うのだ。なのでダノワは自力で掴みとった方がいいだろうと判断した。

 ダノワも最初の頃はそうやって自力で覚えた。どうすれば発動できるかを何度も説明文を読んで、試してを繰り返して手に入れたのだ。初めてやることを初めからできることなんて少ない。恥ずかしさからか口ではつい厳しく言ったが、ダノワにもテツと似たような時期があった。一度できてからはすぐに体に馴染んだが。

 

「ん?ダノワって最初にあったプレイヤーが僕じゃないの?」

 

 ダノワの言葉の矛盾にテツは疑問を投げかけた。

 

「それはフィールドに出るまでに何度か他のプレイヤーとすれ違ってな。全員が普通にソードスキルを使っていたって話だ」

 

 と早口で誤魔化す。テツと出会ったのはサービス開始から二時間ほど経ってからのことで、そのぐらいの時間があればプレイヤーがソードスキルを扱えるようになっていても可笑しくないはずだと、そう脳内でセリフの補完をして少々の焦りを鎮静化させる。変なとこで鋭い弟子がまた何か言い出す前に、ジロっと一睨みで抑制しておく。

 

「ここのリソースは底をついたようだが、どうする?俺は場所を移してまだやるつもりだが」

「あ、それは勿論一緒に。...って言いたいところだけど、時間的に一回落ちようかな」

「そうか、もう夕飯時だからな。ここじゃ食べることはさして重要でもないから忘れてたわ」

「そういえばそろそろご飯の時間だね。僕もすっかり忘れてたよ」

 

 どこか話がかみ合っていない二人。ダノワは首を傾げながら他にログアウトする理由があるのかと口にする。

 

「なんだ、飯を食う為に落ちるんじゃないのか?」

「うん。ある人にお礼をしたくてね」

「お礼?」

 

 何に対してのお礼だろうか。そうダノワは思うものの、リアルについての追求までは流石にするべきではないかと考えたが、テツはさして気にした様子も無く答える。

 

「実はこのゲーム、譲ってもらったものなんだ。だから感想含めお礼をしなくちゃって。丁度今頃は仕事が終わるぐらいの時間だと思うから」

「限定一万本のゲームを譲るとか凄い話だなそりゃ。徹夜して長蛇の列に並んでも買えなかった人間が聞いたら、お前殴り殺されそうだな」

「そういう不吉なこと言わないでくれるかな!?夜になったらまた入るつもりだから、その時はまた頼ってもいい?」

「今日中にやりたいクエストもあることだし、まぁ邪魔にならん程度についてくるならいいぞ」

 

 顔を横にずらしながら言い終えたダノワを覗き見ながら、くすっと苦笑いするテツにムッとする。最初のオドオドした時の姿を見せつけてやろうかとも思ったが、生憎ここにカメラはなく、動画など存在しないので諦める。

 変わりに右手を縦にサッと一振りして、呼び出したウィンドウを操作してあるものをテツに送り飛ばす。

 ピロンという効果音と、目の前に現れたメッセージ窓の文字を確認する様子を見せ、すぐに驚きの顔をダノワに向ける。

 

「またログインした時に、何かと便利だからな。それでメッセージでも飛ばせ」

 

 ぶっきらぼうに呟いたダノワはそっぽを向いた。

 ダノワが送ったのはフレンド申請だった。確かにフレンドになると、フレンド間でしか使えない便利なシステムが多くある。まずフレンドの位置情報を調べられることは大きいだろう。それから文字数が多いフレンドメッセージも飛ばせれる。相手の名前(アルファベットの正確な綴り)さえ解っていれば送れるインスタント・メッセージと違って、フレンドメッセージはフロアが異なっていても届くので利便性が高い。

 ただし、サービス開始直後で一人で探索できる場所など限られ、まず一日で二層まで攻略ができるわけないので、そこまでフレンドになる理由があるわけではなかった。何とも素直じゃないダノワだった。

 

「ありがとうダノワ!よし。またすぐ戻ってくるよ」

「うっ...。あんまし急がなくていいからな。お前がいると疲れるし」

「ちょっと!もっとオブラートに包んでくれてもいいじゃないか!これでもメンタル弱いんだから僕!」

「いや、見たまんまだろ」

 

 ほれほれと、手の甲を向けて振り、早く行けと急かす。

 テツはスッと細めた目を向けては来たものの、右手でウィンドウを呼び出し、ログアウトすべく操作する。ダノワも新たな狩場へと向かう為、そこで足を振り向けた。

 

 

 

 その足が止まったのは、テツがログアウト出来ないと声を発したからだ。

 

「え、ログアウトボタンが無いんだけど。説明書じゃ、確かにメニューの一番下にあるはずなのに」

「おいおい。探す場所間違えてるんじゃないのか?つくづく手のかかる奴だな」

 

 呆れつつ、ダノワも右手を振りかざす。何度も行った慣れた手つきでその場所を示すべく。

 だが、結果は予想だにしない方へ。ダノワのメニューにもログアウトのボタンは存在しなかった。

 ―――俺が見落とす筈がない。

 

「ね、無いでしょ。これじゃログアウトできないよね」

 

 楽観的に口にするテツだが、ダノワの心情はそれを気にするほどの余裕も無かった。

 ログアウトボタンが存在しないのが単なるバグによるものかは分からないが、そんなことがありうるのだろうか。

 ダノワとテツの両方にログアウトボタンが存在しないということは、偶然二人だけと判断するのは早計だろう。一部、例えばこのエリア付近で発生したバグだという線も考えられる。あるいは、サービス初日で回線が混雑している可能性もあるかもしれない。もっと最悪なのは、何らかの理由でプレイヤー全員が同じ状況だということだ。

 こんな大きな不具合、今まで一度も無かったというのに。

 テツは最初から最後まで、メニュー画面の隅々まで探してみる。だがどこにも見つからない。

 

「俺たちが気づいてからもう十分も経ってる。いつからログアウトボタンが無くなったのかは知らないが、ここまで運営側は全く対応無しってのは可笑し過ぎる」

「でも、ネットゲームってよく不具合起きるものじゃない?メンテナンスとか予定より長くなることとか多々あるし、無限コンボとか見つかったら修正の為のアップデートが来ることも珍しくないし。それにすぐに問題を改善する方が少ないと思うんだけど?」

「ああ、確かに細かい不具合何かは日程を決めて行ったりするのが普通だ。だが、このVRMMOでのログアウト問題は他のゲームと異なる点が一つある。他のゲームならコントローラーを手放して終わりだが、ここじゃプレイヤーが自発的にゲームを止めることができない」

 

 あっとテツは驚愕する。ダノワの言葉通り、別の手段でログアウトする方法は説明書のどこにも記載されていなかった。

 

「...ナーブギアは、脳から出る電子信号を全部アバターの動きに変換している。現実じゃ自分で外すこともできない」

「そういうことだ。思ってるよりも深刻な問題だぞこれは。もし今の状況が俺たちだけじゃなければ、運営はすぐにでもサーバーを停止させるなりして強制的にログアウトさせるべきだ。これからのサービスの為にも、な。だが、こうしてる間にも十五分以上超えている。何かあるのは間違いないな」

「ど、どうしよう。今日は家にいるの僕だけなんだ。夜までここから出られないってことも...」

「外が異常に気付いてくれてるといいんだがな。一人暮らしだったらと思うと、今回の件は正直不安になる」

 

 ひとまず二人にはこれ以上できることはない。ゲームマスターへのDMも送ったが、何の反応もないので手詰まりだ。

 

「残念だったな。これじゃあ譲ってもらったお礼もできそうになくて」

「あーそうだね。でも、今言っても多分忙しいだろうから変わらないかも」

「ん?さっきもうすぐ仕事が終わるぐらいだって言ってただろ?こっからじゃ連絡もできないのに何で分かるんだよ」

「それは、その...。状況を鑑みるに、っていいますか...」

「なんだそれ」

 

 どうにも煮えたぎらない返答をするテツにいら立ちを積もらせつつも、ダノワはインスタント・メッセージを送る為の画面を開く。

 インスタント・メッセージの厳しい文字数制限でも何ら問題ない短い文面を打ち終え、少し迷いながら名前を記入しすぐに送信。今の状況がどういうものか判断する為には、まず情報が必要だ。

 返信はわずか十秒程度もかからなかった。そこにはダノワが送った文面より文字が少ない、「そうだよ」と受け答えだけの一文字。送った相手にしてはらしいと言えばらしいが、随分日が空いた久しぶりの交流には簡素なものだ。

 ダノワの予想通り、ログアウトボタンが存在しないのは自分たちだけでは無かったことに一層の懸念が生じた。

 

「にしてもサービス初日にこんな大失態、運営側も色々対処に追われてるのかもな。前例が無い分仕方ないことかもしれないが。...ああ、そういうことか。お前がお礼したい相手って、まさかナーブギア関連の仕事してるのか」

「お、お察しの通りで。厳密に言ってしまえばこのゲームの技術員だったりするわけですけど」

「...へー。つまりお前は開発元から無料提供されたということだな。火炙り確定か」

「な、内密に!!これは二人だけの秘密でお願いします!!」

「おい抱き着くな!気持ち悪い!!ちょ、テメー斬るぞ!」

 

 べたべたと縋るテツを蹴飛ばして引き離す。勢いよく芝生の上で尻餅をつくテツは反射的に強打した臀部を摩るが、この世界に一定以上の痛覚はシステムによって遮断されるので思った程の痛みは無かった。

 

「ん?何か聞こえない?」

 

 立ち上がろうとしたテツがきょろきょろと周囲を見回しながらそんなことを言うので、ダノワも耳を澄ましてテツが言う音を聞き取ろうとする。

 微かにだが確かに聞こえるのは鐘のようなものだろうか。方角的に街の方から鳴るそれは、しだいに大きな音に変わり十分に聞き取れるぐらいの音量になる。そこからは正しく一瞬だった。

 二人が何の音か思考するよりも前に、青白い光が体を包み込む。未だ鳴りやまぬ鐘の音を聞きながら、光によって視界が遮られ、得体の知れない浮遊感が二人を襲った。いや、ダノワにはこの現象が何なのかはすぐに分かった。

 

「ここにきて強制転移か...」

「え、あれ、さっきまでフィールドに居たのに?!」

 

 光が収まり、再び視界が明瞭になった二人は、相反した声音で呟いた。ダノワは冷静に、テツは驚愕からか興奮気味に。しかし、両者共にこれから何が起こるのか不透明な現状に緊迫していた。

 距離で言えば数キロ。だが仮想世界では距離でさえ単なるデータ。一瞬でプレイヤーを移動させることも不可能ではないにせよ、驚くべきはそこではない。何故このタイミングで前触れも無く移動させられたかだ。二人を包んだ青白い光は、転移エフェクトによるもので、転移先ははじまりの街の大広場。そしてこの場所に転移させられたプレイヤーは二人だけではなかった。

 続々と大広場のあちこちで、同様な青白い転移エフェクトが発生していく。そのどれもが蛍の光のように一際輝いてから消えていき、そこから現れたプレイヤーは皆呆気にとられていた。

 

「まさか全員この場所に集める気じゃないだろうな」

 

 徐々に人口密度が増していく広場で、また一人また一人とエフェクトとともにプレイヤーが転移してくる。その数が百を超える前にダノワは馬鹿らしくなって数えるのを止めた。

 

「一体何が始まるんだろ...。こんなことできるのって運営側しかできないことだろうけど、もしかしてここでログアウトできないことへの謝罪とかするのかな?」

「にしては回りくどい。その前にとっとと現実に帰して、向こうで頭下げればいいだけだ。...テツ。今から最悪の展開だけは考えとけ」

「え、どういう」

 

 テツが言い終える前にダノワはその場から駆け出した。大人数のプレイヤーによる人垣をするするとかいくぐり、広場の端まで移動する。そのまま全速力を保ちつつ、広場から抜け出る一本の路地へと向かって—――見えざる壁に激突した。

 ダノワは広場の外に指一本出すことも出来なかった。あれほどの速度を出して、広場の淵ギリギリのところで少しも外へ出ずに急停止ができないだろうことは、他のプレイヤーから見ても明らかだった。何らかの力でダノワが、プレイヤーが広場から抜け出せないようにできている。閉じ込められた、と奇行に走ったダノワを見ていたプレイヤーが判断するのは遅くなかった。

 

「ダノワ!どうしたのいきなり走って」

「ああ、逃げられないって言いたいんだろうな。全部相手の思う壺なわけだ」

「な、何を言ってるの?」

「それを今から説明してくれるっぽいぜ」

 

 ダノワが深刻な顔でテツを見返した時、ざわざわとざわつく広場で、どこからともなく発したその言葉が、奇妙にもはっきりと耳へと届いた。

 あ、上。

 反射的にテツも、それを聞いていたプレイヤー達も空を見上げた。中央の鐘がついた時計塔を見て、別段変わったところはないなと判断し、それから視線をもう少し上まで持って行ってテツは気づく。

 赤いプレートのような何かが点滅している。

 

「何あれ?」

「さぁな。ただ俺たちが集められたのと無関係、ってことは望み薄だろ」

「そうれもうだね。えーっとWARNING、警告ってなんのことだろ?」

「...見えるのか?」

「うん。遠いし点滅してるしで見難いけど」

 

 そもそもダノワには赤い点にしか見えないのだが、どうやら片脇の片手剣使いにははっきりと見えているらしい。

 赤という色は膨張色、進出色、興奮色などのイメージ効果がある。目を引き関心を集めやすい赤で、警告を呼び掛けるのは様々な場面で使われている。確かにそう言った意味では警告と書いていても可笑しくはない。可笑しいのは何に対しての警告であるか、ということだ。誰に対してかは、考えずとも状況から察するにプレイヤー達に向けてのものだろうが。

 プレイヤー達の視線が集まったのを見計らったかのように、途端にそれは増殖した。蜘蛛の子を散らすかのように、四方八方に赤が広がる。空を浸食していく。この場にいる全員が呆気にとられている中で、すぐに世界は赤に染まった。多少黒みかかってるのはテツが言う警告の文字によるものか。

 

「一体何が...」

 

 広場の前方付近の上空で、赤くなった空の隙間から、凝縮したかのように濃いドロドロ流動的な何かが滴り落ちる。それはまるで傷口から血が溢れてくるように生々しく、不気味だった。

 この世界の肉体は全てデータに基づき作られたものならば、上空で段々と形作られる血の塊もまた単なるデータなのだろうか。普通に考えれば、この世界の全ての存在は正しくそうなのだろう。だが、あれが自分たちと同じだとテツはどうしても思えなかった。

 異質。錬金術でも施されたように血から大きな布に変わり、布は意思を持ったように形を作る。すぐにそれは巨人が着るほどの馬鹿でかいローブだと分かる。人の姿を保った時点で気づくのは一瞬だった。ローブが自在に動く、ならばそれを着る人間が存在する筈だ。現実世界の法則ならば。

 ローブの袖口には純白の手袋が、膨れ上がった形からそこにはしっかりと巨大な手が通されているのだろう。だが、フードの内側にある顔の部分は、切り抜かれたかのように真っ暗な闇が埋めていた。まるで透明人間が袖を通しているかのように。

 

『プレイヤーの諸君。私の世界へようこそ』

 

 そして顔が無ければ口も無いローブの巨人はそう言ってのけた。

 

「ちッ...」

 

 ダノワは誰にも気づかれない程の小さい舌打ちをした。

 

『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

「茅場晶彦...。あれが信哉兄ちゃんの...」

『プレイヤー諸君は既にメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかし、これはゲームの不具合ではない。繰り返す。不具合ではなく、ソードアートオンライン本来の仕様である』

 

 広場全体に激震が走った。ダノワは苦虫を噛むように苦渋の顔を、テツは理解が及ばず呆けた顔を。

 

『諸君は自発的にログアウトすることは出来ない。また、外部の人間によるナーブギアの停止あるいは解除も有りえない。もしそれが試みられた場合、ナーブギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが諸君の脳を破壊し生命活動を停止させる』

 

 まだ現状を飲み込めきれないプレイヤーは演出だと思い込もうとしたり、受け入れない者は嘘だと目を逸らす。

 

「くそッ。最悪中の最悪だ...!心のどっかで復旧の為の時間稼ぎだとか考えてた自分に腹が立つ!」

「え、いやダノワ。あれってジョークでしょ。そんな筈ないよね、こんなこと...だってこのゲームは」

「...作った奴から譲って貰ったお前が一番ショックだろうが、あいつの言っていることは事実だ。ナーブギアは確かに電子レンジの要領で脳を焼き尽くすだけの出力が内蔵されてる。これほど注目度の高いゲームだ。嘘ならとっくに殆どのプレイヤーが解放されていてもいい筈だからな...!」

「う、嘘だぁ...。それじゃ、僕は閉じ込められる為にこのゲームを貰ったっていうのか...」

 

 実の兄に見捨てられた。その疑問はテツの心をズタズタに引き裂くのは容易かった。

 

『残念ながら現時点で、プレイヤーの家族友人などが警告を無視し、ナーブギアを強制的に解除しようと試みた例が少なからずあり、その結果213名のプレイヤーがアインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

「213人も死んだ。...いや213人だけに止まったのか。...それも違うか、それだけの被害で終わるほど甘い世界じゃねェよな茅場ッ!」

『御覧のとおり多数の死者を出たことを含め、この状況をあらゆるメディアが繰り返し報道している』

 

 茅場が呼び出した多数の可視化されたウィンドウに、現実世界で報じられているであろうニュースが映されていた。

 心の糸が千切れそうになりながらも、何とか平静を保っていられたテツだが、それはまだ確証が無く容易に認めてはならないことだったからだ。どこかで心が壊れないよう、思考にリミッターがかかっていたのかもしれない。

 それを見つけたのは偶然だった。視界に入った大量のニュース映像の中の一つが、テツの意識を奪った。犠牲者の情報でも、家族が悲しむ姿でも、茅場の異常性を取り上げたものでもないそれは、ナーブギアを開発したレクトによる緊急謝罪会見の様子だった。

 

『よって、既にナーブギアが強制的に解除される危険性は低く成っていると言って良かろう。...諸君らは安心してゲーム攻略に励んで欲しい』

 

 空中を流れるウィンドウを茫然と目で追いかけながら、テツは最後の細い細い繊維でさえもプツンと切れた。

 見覚えのある顔は、初めて見る顔だった。チカチカと眩くカメラのフラッシュライトを浴びながら、深々と頭を下げる社員。その端の方で、端麗な顔をくしゃっと滲ませている。いつものような自身に満ちた面持ちは、画面の向こうにいる信哉からは一切感じ取れ無かった。

 自分の兄が頭を下げている。それが全てだった。

 

『しかし、十分に留意して貰いたい。今後、ゲームにおいてあらゆる蘇生手段は機能しない。HPがゼロになった瞬間諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に...諸君らの脳はナーブギアによって破壊される』

 

 誰もが言葉を失った。今ここでプレイヤーに明確な危険が、死という受け入れがたい理不尽が名言されたのだ。

 そんなプレイヤーに頭上の悪魔は更なる追い打ちをかける。

 

『諸君らが解放される条件はただ一つ、このゲームをクリアすればよい。現在君たちがいるのはアインクラッド最下層第一層。各フロアの迷宮区を攻略し、フロアボスを倒せば上の階に進める。第百層にいる最終ボスを倒せばクリアだ』

「百層だと...!?それを実現するのに、どれだけの時間と犠牲者が出るのか分かって言ってるのか!!」

 

 ダノワの怒声は腹の底から出たものだった。だが、一プレイヤーの言葉に茅場が耳を傾けることなどある筈も無かった。

 

『それでは最後に、諸君のアイテムストレージに私からのプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ』

  

 凶悪犯である茅場からのプレゼント。そんな得体の知れないものにプレイヤー達は怪訝な表情を浮かべる。しかし、確認しないままなのもまた気味が悪い。どう足掻こうと茅場の作ったこの世界からは逃げられないのだ。―――死ぬ以外。

 ウインドウを開きアイテムストレージを表示させる。そこには確かに身に覚えのないアイテムが存在した。アイテム名<手鏡>。これが茅場からのプレゼントなのだろうが、それが何を成すのかまでは誰にも分からない。フードの内側に顔は無いが、その奥の茅場本人の顔は醜悪めいた笑みが浮かんでいるのだろう。

 アイテム名をタップしてオブジェクト化すると、現れたのは装飾もないシンプルな文字通りの手鏡。一見して特別な効果があるようには見えない。

 

「はは、酷い顔だなぁ。せっかくカッコよく作ったのが台無しじゃないか...」

 

 顔面蒼白で今にも吐きそうな自分ではない自分の顔。掠れ声で呟いてから、テツは強く両目をつぶり、俯いた。

 ただ茅場が、絶望した顔を見せる為だけに鏡を用意したのならば、心底性格が胸糞悪いと感じるのだろう。しかし、稀代の天才は確かに性格に難があれど、他人の感情を考えて行動するような人間では無かった。最初からただ野望とも言うべき信念で周りを巻き込んでいるに過ぎない。

 もう一つの現実を創る。そんな創造主の真似事を茅場晶彦は実現させようとしているのだ。

 世界を生み出す最小の人数は二人。どれほど緻密に詳細に世界を想像しようとも、それは自分だけの空想でしかない。誰かがそれを認知して初めて世界と成り得る。茅場は自分の仮想世界を現実世界にするために、一万ものプレイヤーを閉じ込めた。人が多ければ多いほど世界は広がる。茅場にとって一番重要だったのは世界の住人だ。生み上げた世界を育む人間を欲したのだ。

 そして、この世界が現実だと認知させるに手っ取り早い方法は、既存する世界との共通点を作り上げればいい。

 例えば、完全なるVR世界。

 例えば、死という概念。

 そして、現実世界同様の肉体。

 

 手鏡を取り出したプレイヤーたちが、強制転移の時と同じく再度青白い発光に包まれた。いやプレイヤーだけではない。一万もの数のプレイヤーから放たれる光は広場全体をも包み込んだ。

 プレゼントは手鏡だけではなかった。それよりか、この光による現象が本当の意味でのプレゼントだった。手鏡が引き金のように全身光に覆われたテツは、一瞬最悪の結末を考え、次にまたどこかへ強制転移させられるかと身を強張らせ、開かれた視界に安堵した。

 場所は数ミリとて変わっておらず、体も無事だ。周りのプレイヤーも困惑した様子を見せてるとはいえ、何かしらの危険があるようでもないのだから。

 だがそれも、手から滑り落ちた手鏡を拾い上げるまでの僅か数秒の間だ。

 

「な、なんでだよ...?!」

 

 あまりにも酷い仕打ちだった。鏡に映る自分の顔が、現実と遜色ない生まれながらの本当の顔に変わっていた。

 慌てふためくプレイヤーの群衆の中で、テツは訳も分からず立ち尽くす。

 

「おい大丈夫かテツ!」

「ダノワ...?」

「ちっ。テツ...何だなお前?悪趣味な催しをしてくれるぜ茅場のやつ。ここにいるやつら全員を、現実の姿に変えやがった」

 

 気丈に振る舞いつつも、低い音程で呼び掛けた声は心なしか焦り気味だった。そんな声の主も、赤髪こそ変わってはいないが、厳つめの顔が二割がた柔和に変貌している。大まかな顔のパーツは先ほどのアバターに似たり寄ったりだが、そう印象付けられたのも全体的に幼くなっているからだろう。二十代半ばぐらいだった顔が、今では十代後半か成人しているかどうかの大人になりつつある顔に変わっている。威厳さは多少薄れたが、それでもある落ち着きある貫禄は元々備わっていた彼の人柄らしい。

 その彼もこの事態には流石に困惑していた。増マシしていた身長がなくなって、テツからは数分前よりも大きく見えるダノワは、やや吊り上がった目尻を眉間に寄せながら頭上を睨みつける。

 

『諸君は今、何故、と思っているだろう、何故私は...ソードアート・オンライン及びナーブギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか、と』

 

 その言葉に慌てふためいていた大広場に、静けさが戻る。

 何の真意があって否の無いプレイヤー達を閉じ込めたのか、その動機が分からなかったのだから。しかし、どんな答えであれそれは受け入れられない。それでもプレイヤーは耳を澄ませた。

 

『私の目的は既に達せられている。この世界を創り出し、鑑賞するためにのみ私はソードアート・オンラインを造った。―――そして今、全ては達成しめられた』

 

 まるで一切の音が世界から消えたかのような静寂。子供が夢を語るかの気軽さで、茅場は今までの空虚な声音と違い、初めて色が灯ったように感じた。

 

『以上で、《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。...プレイヤー諸君の健闘を祈る』

 

 テツはその場に崩れ落ちた。残響と共に巨大なGMのアバターは溶けるように消えていき、赤黒い空も晴れ艶やかな夕暮れの陽光が差す。

 誰かが悲痛の叫びを上げた。それが伝播するように恐怖や混乱が広がって行く。阿鼻叫喚の中、生死を賭けたデスゲームの幕が開けたのだ。

 

 

 これはゲームであっても遊びではない。

 

 

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