世界は残酷であろうが美しい   作:マスカット

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003 夢を叶える魔法

 もう何も考えたくなかった。HPがゼロになれば本当に死ぬデスゲーム。そんなものに巻き込まれた不幸に嘆いてみせても、誰も助けてはくれない。ここにいる人間は皆僕と同じ迷える子羊だ。どうしていいか分からず、怯え、惑い、失意にまみれ、取り乱すことしかできない。他人の心配をできるほどの余裕などある筈が無かった。

 

 これは何かの間違いだ!

 

 実の兄が作ったのがデスゲームなどあり得ない。そんなものを自分に手渡すなんて認めたくない。どんなに振り払っても纏わりつく思考に、身じろぎすら許されなかった。

 ナーブギアを被った瞬間から、地獄の門は開かれていたのだ。僕は大広場の石畳に膝をつきながら、その上で震える指を凝視していた。

 

 夢なら早く覚めてくれ!

 

 そう祈る間も、猛烈な嘔吐感が下腹部から込み上げてくる。ガタガタと両膝が震え始めた。毛穴がわき立つように開いた頭部が、意思の力に抗いながら、ゆっくりと床に向かって沈み込んでいく。同時に、忙しなく踏みしめられる足音がどんどん大きくなる。

 自分の体内の全ての血管は拡張され、破裂しそうなほど鼓動する心臓から押し出された血液が、体毛の一本一本を揺るがせながら全身を駆け巡った。

 

 

 誰かが僕の肩を掴んだ。それから有無を言わせず上体を引き起こされる。何がとも思う間もなく、掴んだ手はより一層力を込めて僕の身体をずるずると引きずる。

 

「え?」

 

 僕の口から出た声は、頓狂な響きを含んでいた。

 

「来い」

 

 ダノワだった。この世界で最初にできた友人。そう思っているのは僕だけかも知れないが、今はダノワでさえ関わりたくない。一人にして欲しかった。気を抜いてしまえば今にも泣いてしまいそうで、そんな姿は誰にも見られたくない。

 そんな赤髪の青年は、尚も僕の肩を掴みながら押し殺したかのように口を開く。

 

「今からアイテムを整えて次の村を目指す。二人なら危なげなくたどり着ける道のりだ」

 

 そのセリフに僕は唖然と見つめ返す。正気で言っているのかと。

 悪夢のようなチュートリアルからまだ数分とも経たず内に、死ぬ可能性がある圏外に飛び出ようと言うのだ。気が狂っていなければ死にたがりの言葉にしか聞こえない。

 

「僕の事は...もうほっといてよ」

 

 広場の喧騒から離れた細い路地裏で、僕はそう呟いた。ダノワは僕を引きずるのを止め、それにより二つの足音も途絶える。

 普段でも人通りが殆どないであろう路地裏は、僕たち二人以外の存在はない。静寂過ぎるとも言うべき中、不意に掴まれた肩から手を離したと思うと、そのまま胸ぐらを掴まれ、強制的に視線を交差される。

 

「いいか、俺はベータテスターだ」

 

 唐突な告白に、一瞬だけ考えるのを止めて見返した。確かに洗練された技の数々やVR世界に精通した知識はすぐに身に着くものではない。ダノワの自分とはかけ離れた強さも、ベータ時代に培った経験から来るものだとしたら容易に頷ける話だ。――だけど、それがどうした。

 今この状況で、ダノワが元ベータテスターであることを知っても、それは事態をひっくり返す決定打には成り得ない。情報面でどれだけのアドバンテージがあっても、この世界に確証はない。

 

「...だから攻略に励むっていうの?まだ外からの救助がないとも限らないんだよ。そんな危険な目に合う必要性なんかどこにもないじゃないか」

 

 そうだ、まだ信哉兄ちゃんが自分を見捨てた保証はどこにもない。きっと今頃は僕を助けるために一生懸命頑張っている筈なんだ。

 

「そうやってまた誰かに助けて貰うつもりか。変わるんじゃ無かったのかよお前は。お前がどういった人生を歩んできたのか、どういった奴なんかなんて知らないけどな、どんな人間かははっきり分かるぜ逃げ虫野郎」

「な、なんだって...!?」

「ウジウジウジウジと、死人みてーな目しやがって。まだ何も終わっちゃいねーだろ!ここがスタート地点だろうが!」

「ッ!死ぬかもしれないんだよ!?皆が皆、ダノワみたいに強く生きられる訳ないだろ!!こんなことになるなら...こんな世界来たくなかった!!」

 

 ゴツン!

 

 目の前で紫色のエフェクトがチカチカと舞い上がった。衝撃によるノックバックで、首から上が仰け反る様に後ろへ傾く。

 頭突きという暴挙に出たダノワは、胸ぐらを引っ張って倒れそうになる僕の身体を元に戻した。

 

「何するんだよ!!痛いだッ!!?」

 

 ろと言い終える前に、又しても硬い頭部をぶつけてくる。

 

「世界が全部自分の望み通りなことなんてあるか。死にたくないなら生きる力を身に付けろ。生きたいなら死なない為の知恵を覚えろ。それができないやつから、この世界では死んでいく」

「じゃあダノワにはそれができてるって言いたいの?!だったら一人でやればいいじゃないか!僕を巻き込まないでくれよ!」

 

 そう口に出したところで、僕は自分がどれほど自分勝手で幼稚な発言をしたのかを悟って青ざめる。

 同じだ。僕だって勝手にダノワを巻き込んだ。だけど、仕方ないじゃないか、恐怖で体は震え今にも気が可笑しくなりそうなのに。

 強いダノワは強いよ。こんなに臆病な僕と違って、必死にこの世界に順応しようとしている。戦闘面だって確かに僕一人を守って道を進める余力だってあるだろう。けど、それがいつまでも続くかなんてことは無い。層が上がるにつれモンスターも凶悪になっていくだろう。お荷物を抱えて進むのもいつか限度が来る。そうやって足手まといになって、もしダノワに危険が及ぶことがあればきっと僕は立ち直れない。ダノワに僕を一緒に連れていくメリットなんかない筈だ。

 なのに、何で君はそんな顔をするんだ。こんな僕を、まだ見てくれている。

 

「怖いよな。誰だって死ぬってとてつもなく怖いことの筈だ」

 

 そう口にするダノワの右腕は、僕の首もとで震えていた。

 

「...この世界はソードアートって言うぐらいあって正しく剣の世界だ。武器は文字通りの相棒に変わりないし、殆どの遠距離攻撃の手段も存在しない。お前も知ってる通り魔法なんて概念すらない。けどな、たった一つだけこの世界にも魔法がある。しかも誰にでも使える魔法だ」

 

 ゆっくりと襟から手が下りていく。その手は震えを振り払うよう力強く握りしめられ、未だ冷めぬ熱を帯びた僕の心臓にトンと添えられる。

 

「ーーー勇気だ。一歩踏み出すだけで世界は変わる。勇気は夢を叶える魔法だ」

「勇気...」

 

 自分の声が落ち着いているのが不思議だった。心臓はかなりの速さで打っていた。

 口にしてしまえば大それたことのようで、だけどそれ自体には特別なことはきっとない。簡単、だからこそ難しい。

 

「俺は死にたくなければ死ぬつもりもない。だが、誰かに与えられた人生を生きる方がよっぽど嫌だ。・・・いいか俺はお前を別に助けたいから連れてくだなんて微塵も思ってちゃいねぇ。一人には絶対的な限度がある。確かにベータ時代の知識で効率的に安全を優先した上で進めば、当分は一人でも問題なく進める筈だ。だがそれも長くは続かない。ーーーだからこれは提案、いや交渉だ。これから先お前が生き抜く為の力を戦い方ってやつを教えてやる。その代わり'手に入れたアイテムもお金も全部俺に譲れ'」

「ーーーッ!?」

 

 あまりにも突拍子もないダノワからの提案ーーー交渉に僕は大きく目を見開いた。

 それはまだデスゲームになる前のこと。いやデスゲームだと知る前に僕がダノワに向かって言った台詞だった。無茶苦茶だ。普通のソーシャルゲームならいざしらず、デスゲームとなったこのSAOでの全アイテムと金銭の譲渡など、簡単に言ってしまえば自殺となんら変わりない。それは今日初めてプレイしたばかりで、思考があやふやな状態の僕でさ感じることだ。ベータテスターのダノワならそれがもっと深刻なことだと分かり切っている筈のこと。

 

 でも驚いたのはダノワの真の意図に気付いてしまったから。

 

 ダノワの言動は他人からは体のいい初心者狩りに見えるかもしれない。甘い言葉でそれ以上の蜜を吸う。よくいる不良のカツアゲよりもよっぽど悪辣。殴られてお金を取られるで終わるカツアゲに対し、身ぐるみ剥がされ死に追いやるのとなんら変わりないのだから。

 そんな幼稚で咎められる行為をダノワがする訳がない。それは付き合いの短い僕でもわかる。だからそれに気付いたのはほぼ偶然だと思っていい。

 

「......ダノワは人一人の命を背負ってでも生き抜くつもりなの」

 

 呟くような僕の問いに、ダノワは無言で答えた。それを僕は肯定であると捉える。

 ダノワは言った。一人には限度があると。そして交渉であると。交渉とは同目線の立場でお互いに利得が得られなければならないものだ。すなわちWin-Winの関係じゃなければ成立しない。一方的な片方だけの得をそれは交渉とは呼ばず、押し付ければ戦争となんら変わりない。ダノワの言葉を文字通り受け止めるのであれば完全に僕の大損だろう。

 でも違う。そんな切って捨てる為に吐かれた台詞だなんて言えるはずがない。翻訳してしまえば、ダノワはこう言ったのだ「お前の命を俺に預けろ」と。

 

 ダノワにはベータテスターとしての豊富な知識がある。同じアイテムと同じ金額を所持していた場合、どちらの方が無駄なく効率よく使えるかなど明白だ。それでいてその知識を持った上で一人では無理だと断言しているのであれば、それは真実なのだ。だからダノワは自分の為に、自分と同じ土俵で共に戦う人物とそれを可能にする為の資源を求めた。その重みを考慮した上で。だから僕が馬鹿正直に所持品をはいと渡しても、それを僕の補強という形で使われるのだろう。その予想は何ら自惚れではない。そしてそれは半永久的に続くのだとも予想した。

 

 実質、ダノワの財源としてのメリットはあまりない。確かに二人の方がレアドロップの確率なんかも上がる。だが、それ相応のデメリットもある。もっと言えばデメリットの方が大きいかもしれないのだ。

 

 だけどダノワは、一人での限界というその理由だけで交渉に臨んだ。二人でのーーー僕という足手まといという危険性を加味してでも。それだけでも攻略に挑むダノワの強い意志が分かる。

 だからこれはダノワからすれば自己中心的な、この世界に無理やり閉じ込めた茅場晶彦の思想とも少し似た、自分の為だけの交渉だ。そこに僕の気持ちも安否も考慮していないのだろう。でもダノワの茅場と違う点は、他人に厳しいがそれと同じぐらい優しいんだ。茅場のように見捨てず、見放さない。

 

 

 無理だ。

 ダノワの期待に応えることも、そうやってまた誰かの重荷となることも。

 始まりの町に籠り、腐りながら死ぬか。攻略を目指し、散り散りとなって死ぬか。どちらにせよ生きる方が難しい。それを理不尽とは思う。けど、いつも世界は理不尽だった。

 

ーーーどうして僕はこんなにも弱いんだ

 

 それが堪らなく悔しい。理不尽をはね除ける強さが欲しい。ダノワは今も理不尽に抗っている。なのに僕は屈しようとしている。いつものように無理だと、僕自身を一番どんな人間なのか知っている僕が諦めている。

 

 逃げ虫野郎。実に僕を表す言葉だ。あれほど、この世界に感銘しながら汚いところから目を反らす。そうやって生きてきた。そうやってでしか生きられなかった。いつも世界は僕に牙を向く。何をしたわけでもなく、虐げられるのがさも当然とばかりに。それは弱肉強食と言えばいいのかは分からない。弱者のレッテルを貼られた僕には何もできない。

ーーーほんとにそうか?

 立ち向かうこともしないで決めつけてるだけじゃないのか?諦めも肝心って言い訳してるだけじゃないか?そんな自問自答が脳裏を駆け巡った。

 

 ずっと思っていた。どうして強い人は強くいれるのか。けど、僕はそれを今知ってしまった。誰も強くはないと。どんなに戦う力があっても、窮地で冷静でいられても、彼はこうして震えている。怖いと本心を漏らした。それでも前を向いて、自分に出来ることをやろうとしている。

 

 

 ああ、せめて僕に、夢も才能もない僕に、なけなしでもいい。自分の中の世界を変えてくれるーーー勇気が欲しい。

 

 

 虚ろげだった視線を持ち上げ、しっかりと目の前に佇む相貌を写した。

 

「......僕も、僕も死にたくない...!。けど、君と同じで与えられたレールの上でしか生きられないなんて、嫌だ。だから、ーーーこれは取引だ。僕は君に力を貸す。だから君は僕に力を貸して欲しい」

 

 僕は、誰かに守られるだけの存在など良しとしない。与えられるだけの弱者だと認めはしない。それが僕にできる精一杯の強がりだった。

 自分にも欠片ほどの勇気が残っていたことは、僕にとって大きな意味だった。トスンと重い枷が外れた、そんな気がした。同じ目線じゃなく同じ立場、そんな発言をダノワはどう受け止めるのか。

 果たして

 

「...どうも俺はお前という人間を勘違いしてたみたいだ。まさか馬鹿は馬鹿でも大馬鹿だったとわな」

 

 そんな言葉とは裏腹にニヤっと笑ってみせた。

 ダノワは僕から手を放し、思慮深く考える素振りを見せた。

 

「まぁ釈然としないが、いいだろう。その取引は成立だ。頼りない取引相手だが、だからといって俺は合わせるつもりはないぜ?」

 

 ニヒルな笑みを浮かべながら、片眉を持ち上げてみせる。

 僕からしてみれば思わず訂正したくなるプレッシャーがかかるだけなので心底やめて欲しい。でも、不思議と後悔は無い。これからを考え怪訝にはなるけど。

 僕とダノワはどちらからともなく握手を交わした。

 

 これから先、どれだけ辛い想いが待ち受けていようと、多分一生今日の日を忘れられないだろう。デスゲームに囚われたのは人生最悪の不幸だ。けど、この出会いは、僕をほんの少し変えてくれるきっかけをくれた彼は、僕の心に焦がれんばかりに焼き付いた。

 名前も知らない、出会いも偶然、性格もまるで違う。だけど初めて自分を打ち明けられる。そんな人間が出来た。

 

 

 

 

 

 

 慣れというものは存外恐ろしいものである。あるいは克服と言い換えてもさしつかえないか。暗闇を歩く恐怖も、数時間同じ環境にいれば怖れることに疲れてくるのか感覚が麻痺してくるのか、案外すんなりと慣れる。だが慣れというのは時に慢心したその足元を掬っていくもので、緊張を解いた隙にモンスターに襲われたりと、慣れたからこそ訪れる危険というのも確かに存在する。

 

 だが、この時ばかりは早く慣れてしまいたい焦燥があった。

 

「無理!無理無理無理!あれは人が立ち向かっていいやつじゃないよ!」

「テツお前なぁ。言っとくがあんなんまだ序の口だぞ。フロアボスなんてあれよりおぞましいのばっかだし」

「だ、ダノワの武器はリーチ長いし懐に飛び込む必要がないから言えるんだよ!」

「いや、そーゆーお前はまだ一体も倒していねーだろ。ったく誰の為のクエストか分かってんのか?」

 

 軽口を応酬し合うぐらいにはまだ平静を保っていられてるのか。いや、どっちかっていうと現実逃避しているだけだなこれは。と、客観的に今の自分を把握する。

 そうでもしなければやっていられない。一人だったら武器をかなぐり捨ててでも逃走する自信がある。

 だけど一人だったらこんな状況にもならなかったと思うと、隣で構えている青年に怨み言の一つでも飛ばしたい。フレンジーボアがなんだオオカミがなんだ。目の前の化け物に比べたらあんなのはただの動物でしかないじゃないか。

 

 ノソノソといった擬音が聞こえてきそうな地を這う触手。それを生やした胴体。一昔前の火星人のイメージのようなシルエットに似合う二本の長いツタ。人間なんて丸飲みにできそうな大きく裂けた口からは、過剰武装とも思えるギラついた牙が生え揃い、頂点にはおまけといった感じでにょきっと芽がついている。まさしく異形である。

 

 動食植物、《リトルネペント》はとてもとてもおぞましいその見た目を正面からこちらに向けていた。

 ただの植物を相手にしただけで僕はこんなに恐れはしなかっただろう。ただの、という但し書きがついているが。ようするに相対しているのはただのという範疇に収まらない。自立歩行が出来て、身の丈1m半はありそうなそいつを植物というカテゴリーに入れるのも可笑しな話だけど。

 

「ねぇ...試しに一応聞くけど、これ外れだろうけど倒すの?」

「逆に聞くが倒さないと思うのか?」

 

 ですよねー。分かりきっていた答えだけど、それでも落胆する。どうしてあれを前にそんなに好戦的でいられるのだろうか。僕は仮にデスゲームでなくてもあれは願い下げだよ。

 こんな状況に陥ると知っていたなら、あの時僕はあんなことは絶対に言わなかった。過去の自分がどうしようもなく恨めしい。

 

 

 

 

 

 始まりの街で僕たちは必要物資を調達している傍ら、今後の計画(プラン)を話し合っていた。といってもある程度の大まかな順序を決めていっただけだけど。簡単に挙げれば、ダノワの知識を元にしてレベリングの為の狩り場やその為の拠点になる場所を予め定め、効率の良いクエストの絞り込みや、習得すべきスキルの確認。それと僕の戦力の増強だ。

 

 それについてはほぼほぼダノワが決定していった。流石ベータテスターなだけあって、どれも成る程という説明ばかりだった。その的確とも思える判断は、ダノワが数値化されたレベルだけではない高い実力を物語るに値する。

 まだ広場での出来事から間もないからか、ほとんどプレイヤーの姿が無いストリートでポーションや防具を買い終えた僕たちは、フィールドへ出るための城門へと足を運んでいた。

 

「えっと、確かダノワは最初のスキルを《両手用大剣》と《索敵》を選んでるんだよね?僕は《片手直剣》で、残ったスキルスロットはまだ空きのまんまだけど、やっぱし選ぶとしたらダノワと被らない《隠蔽》か武器的に《軽業》とかがいいのかな。...僕的に《疾走》とかも捨てがたいんだけど」

 

 もちろん敵から逃げるときの為に。疾走に失踪というくだらない冗談を思い浮かべながら、手のひら分は僕の頭部より高いであろう赤髪を横目で見る。

 ダノワはベータテスターの分、スキルの性能や重要度も熟知している。使ったことがないスキルもあるだろうが、初心者(ビギナー)である僕よりは精通している。

 

「なんでスロットを空いている状態にしてんのかは、まぁこのさい置いといて...はぁ。《隠蔽》は妥当と言えば妥当かもな。《軽業》だと宝の持ち腐れってか、使い余すだろ運動神経皆無なんだから」

「なんでナチュラルに罵倒してくるの?嫌いなの?」

 

 事実でも言ってはいけないことってあると思う。息を吐くような悪口に口を尖らせる。字面の上だけでの行為だけど。本当に僕がアヒル口のように突きだしたら多分ダノワは引く。

 生憎と僕の顔立ちはそこまで整った方じゃない。身長も相まって、カッコいいと言われる部類には未だ入れたことが無かった。この先がどうかは一途の希望にすがるしかない。そう信哉兄ちゃんと同じDNAを受け継がれているはずなんだ。

 良くてカワイイ、悪く言って幼い淡白な顔か。ああ、言っていて悲しい

 

 閑話休題。

 とにかくダノワ的には隠蔽が今のところ好感触と言ったところか。

 一様にスキルと言ってもこの世界のスキルは正しく無数に存在する。僕の《片手直剣》やダノワの《両手用大剣》などの、ソードスキルを発動する為や装備適正を上げる為の戦闘(バトル)スキルや、《索敵》や《隠蔽》などの直接的な戦闘ではなくその補助(サポート)スキル。はたまた《料理》や《裁縫》といった娯楽スキルと多岐にわたる。

 

 そして大事なのが、スキルを扱う為にはスロットと呼ばれる欄に目当てのスキルを登録しなければ発動しないということだ。そして初期のスロットの数は二つ。これはレベルが上がるに連れて増えていくが、スキルの絶対数に比べたら圧倒的に小さい数字だ。つまり一プレイヤーが全てのスキルを習得するというのはシステム的に不可能になる。だからこそ慎重にスキルは選ぶべきだと僕は思って、予め一つスロットを空けておいた。

 ダノワとはこれからスロットが増えていくに連れ、選んだ方がいい有能なスキルについて話しはしていたが、現在の自分のスキルについては話していなかった。多分とっくに選んでいたと思ってたんだろう。それが裏目に出てしまった形か。

 

 呆れとも取れる面持ちでダノワはこめかみに指を添えた。まるで問題児に対する教師のような対応だ。僕はそれに見覚えがある。

 

「武器を変えるつもりがないなら《盾》スキルを取るのもありだな。どうせ避けたり弾いたりなんて難しいことできそうにないし。そうなると《スイッチ》も出来なくなるからな」

「スイッチ?」

 

 聞きなれない単語に首を傾げる。はて、そんなスキルなどあっただろうか。

 

「スイッチっていうのは一種の戦術だな。スイッチができないっていうのがソロの一番の欠点って言ってもいいぐらいのな」

「ち、ちなみにどういったやつなのそれ」

「テツ。ソードスキルを使うにあたって、最大の問題点ってなんだと思う?」

 

 質問を質問で返されてしまった。

 夕日が静かに沈んでいく最中、城門からフィールドへ出た僕はさきの質問にうむむと声を唸らせた。普通に攻撃するよりも断然威力が高く、スピードや範囲だって技ごとにではあるが補正もかかるし。

 そう思ったらソードスキルって弱点らしい弱点ってないんじゃないだろうか。え、もしかしてソードスキル最強説?ぶっぱで進めるようなぬるゲーだったの?まぁそこまで簡単なら誰も怖がらないからそうではないんだけど。

 と、そこで僕は一つの答えに行き着く。電球が光ったみたいに頭上ではピコンとエフェクトが出ているかもしれない。

 

「分かった!発動に失敗する!」

「それはお前だけだ!アホか!技後硬直だボケ!」

「ああ!」

 

 そういえばそんなのがあった。嫌、忘れていたわけじゃないんだ。確かにソードスキルを使った後は、技ごとに決められた固有時間動けなくなるというシステムがある。ただ実戦でソードスキルを使った経験が乏しい僕は、その反動によるしっぺ返しを味わったことがない、と思ったけど初めてソードスキルを使った時にフレンジーボアにタックルされてるんだった。

 よくよく考えたらもしあの攻撃が僕を殺しうる威力を秘めていたらと思うとぞっとする。迎撃も避けることもシステムによって封じられてしまうのだから。

 

「いいか。いくらソードスキルが強力だと言っても当たらなければ意味がないし、ボスみたいな高ステータスだと気絶(スタン)転倒(タンブル)することも少ない。何食わぬ顔で反撃されれば正に窮地だ。チャンスが一転ピンチになる。だからプレイヤーは何よりも安全にそれでいて確実に敵にソードスキルを叩き込む必要がある」

「そんなそれって凄く難しくない。僕の場合動く的にソードスキルを当てるのにも難易度高いのに、戦闘中にそこまで頭回らないし」

「それを可能にする為の《スイッチ》だ。これは説明するより実際にやった方が早いな。とりあえずテツはいつでもソードスキルを放てる準備をしておけ。俺が合図を出すからそしたら敵に攻撃な」

 

 

 そういって道端の小石を拾ったダノワは、何を思ったか数メートル離れたこちらに気付いてないフレンジーボアに投擲した。

 クリティカルヒット。うん、心地いいぐらいパチンと尻に当たったね。勢いよくこっち向いたね。見るからに怒った様子だね。

 猪突猛進って言葉通り、物凄い勢いで駆け寄るフレンジーボアは闘牛のようだ。気性の荒らさというか、僕でも怒るけど。さしずめダノワは闘牛士か。赤い布の代わりに大剣を構えた。とりあえず僕も腰から剣を抜く。何度も何度も相対された相手に今更物怖じはしないと言いたいが、デスゲームと知ってから初めての戦闘なのだ。恐怖心はやっぱり拭えない。

 

「大人しくしろ、よっと!」

 

 僕と違って腰が据わったダノワは、バッターがボールを打つような構えでフレンジーボアを受け止める。大剣を扱うダノワの筋力パラメーターは、いきり立った猪を押さえつけながらもまだまだ余力があるようで、余裕綽々といった表情だ。

 

「ふっ!」

 

 肺の空気を勢いよく吐き出すように力んだダノワは、フレンジーボアの牙を思いっきり押し返す。弾き返すって感じに。ダノワにかかれば猪など、ストレートしかないバッティングマシーンと同じなのかなと、後ろで傍観していた僕が思うのも仕方がない。

 

「今だ!」

 

 そこでダノワの合図が飛んでくる。

 慌ててすぐさまフレンジーボア目掛け《ホリゾンタル》を放った。ダノワにによって首が打ち上げられたように体勢を崩していたフレンジーボアに、面白いぐらいすんなり剣が入った。

 腹を切り裂くような軌跡で、最早踏ん張ることもできなかったフレンジーボアは、やはりボールのように飛んでいった。フレンジーボアはそのままHPを切らし、消える魔球となる。

 

「こうやって誰かが隙を作る。そこに他のやつがソードスキルをぶちこむ。それを交互に行うことで技後硬直を補いながらダメージを与えられるってわけだ。まぁその様を切り替わる感じでスイッチって言ってる」

「なんか思ったよりも普通だね」

「確かに見た目はぱっとしないけどな。ただモンスター相手にはかなり有効な手になる。戦う敵がくるくる変わるんだ。AIにはもの凄い負荷がかかる。そうなれば動きも鈍るし、回復するにしても敵が自分を目標に攻撃して来てる中じゃ難しいだろ。だから相手の意識を分散させんだ。要するに、攻撃だけじゃなく安全な戦闘を続ける為の技術でもあるな」

 

 成る程だった。敵の行動を誘導するようなものか。そう捉えると難しい技術に感じてしまう。

 

「だから《盾》スキルは結構使えるだろうな。完全な壁役にはならなくても攻撃を防げる利便性は高い。ただこの世界の回復手段はポーションを飲むっていう動作が必要だからなぁ。慣れはするだろうがポーチから取り出すのに邪魔になったりはするかもな」

 

 ああ、そういえばそんな話をしてた。すっかりスイッチの話しに切り替わって忘れていた。それを素直に言ったら呆れられるのは間違いないので、いかにもと頷いてみせる。

 盾、か。確かにあったら心強いけど、今の流れ的にそうなると、僕が真っ先に攻撃を受け止めにいく役回りだよね...。

 

「片手装備の一番の利点は盾を持てるって言うしな。テツはこのまま片手剣で行くのか?」

「うーん。他の武器も憧れるけど使いこなせる自信もないし。ただちょっと頼りない気がしちゃうな。初期装備だから仕方ない気もするけど。もうちょっと火力が欲しいや」

 

 斧みたいな破壊力は憧れるけど自分が振り回されそうで却下。敵に近づくのは怖いけど、槍とかの場合懐に入られたら何もできなさそうで怖いから無理。曲刀とか細剣とかは間合いはそんなに変わらないから、ならば好みの問題だ。短剣なぞ論外。

 

「そもそも今は盾持ってないし、もうコルも尽きちゃったから。今《盾》スキル取っても勿体ないか。次の候補にしとくよ。とりあえず《隠蔽》にしといて、うーんやっぱり武器も買い換えたいから盾はもっと先になるかも」

 

 どう育成するかもゲームの醍醐味だとは言うけど、シビアな問題だぞこれは。早めに戦闘スタイルを確立しとかないと。オーソドックスなやり方があればいいんだけど、参考が無いというのは中々悩みどころだ。ダノワは求めるレベルが高いから真似できそうにないし。何処かを尖らせるか、何かに搾らせるか。まずオールマイティーなステータスは、プレイヤースキルがものをいうから止めといた方がいいだろう。

 MMOは基本各々に役回りを持つのが大事だ。

 

「...そうだな。よし、だったらまずわテツの新しい武器を確保するか」

「え?僕はもうお金無いよ?」

「大丈夫だ。なんてたってそれタダだからな。しかも性能は折り紙付きだ」

「まじで?!え、そんなんあるの?!いやそれベータテスターずるすぎでしょ!」

 

 そういうのって後から気付いてガッカリするパターンのヤツだよ!

 

「どうする?行くか?」

「そんなの決まってる!行くしかないよ!」

「おし、じゃあルート変更だ。目指すはホルンカだ」

 

 威勢のいい僕の返事にダノワは満足気に頷いて、開いたマップのポイントを変更した。

 夕陽は山頂に沈んで行ったが、僕の気分は逆に上昇していた。新しい武器が手に入るというんだ、上がらない方がおかしい。レベルアップと同じく、どんな形であれ強くなるのは余裕が生まれる。それを虚栄心と言われたらそうかもしれないが、例えメッキだとしても無いよりましだ。

 だからついつい浮き足だって、僕とダノワは目的地に歩を進めた。

 

 

 

 

 

 無料(タダ)より怖いものは無い。僕は教訓としてこれを受け止めよう。決して二度と同じ轍を踏まないように。

 

 僕たちはホルンカという村にたどり着いた。RPGでよくある最初の村って感じの素朴な外観。言ってしまえば何もない。到着した時にはすっかり日がくれて夜になっていた。そのせいもあって、光源が乏しい村は静寂に包まれている。

 ホルンカに着いてから、ダノワは迷うことなく一つの一軒家に赴いた。そこで受けられるクエストの報酬が目当ての片手剣ということらしい。内容はモンスターからドロップするアイテムを持ってくるというものだ。

 

 そのモンスターがおっかなびっくりの見た目をした《リトルペネント》なのは、うまい話には裏があると後悔させるには充分だった。

 

「スイッチ!!」

 

 だからといってコンビの青年が手を抜いてくれる訳もない。もう何十回と聞いたフレーズがまた飛んでくると、僕は低い姿勢から滑り込むように接近する。ダノワがパッと道を開けるように横に跳ぶと、代わりに僕がその穴を埋めるように後ろから繰り出す。

 勢いよろしく、前進しようとする慣性を全てぶつけるように、剣をリトルペネントの胴体に深々と突き刺した。3割まで減っていたHPは、ソードスキルを使わない通常攻撃でも、運よくクリティカル判定によって全損できたようで、弾けるようにポリゴン片と化した。

 

「はぁ...はぁ...。ドロップマラソンとかよく言うけど、全然出ないね花つき...」

「その分レベリングは出来るけどな。スイッチの練習にも持ってこいだろ」

「ははは、凄い発想の逆転ですねー。今すぐ隠蔽で姿隠してトンズラこきたい気分なんだけど...」

「ちなみにリトルペネントみたいな目を持たないモブなんかは、低レベルのハイティングは看破されて通じないから」

 

 くっ、退路は既に無いのか。

 木々に囲まれた真っ暗な森の中、リトルペネントとの戦闘は精神面での向上に大きく貢献していた。殺らねば殺られるという極限状態で、否応でもリトルペネントが逃げる相手から倒すべき敵に変わったのだ。人間追い込まれた状況ほど侮れない。

 

 気持ちは未だに早くこの状況が終わることを望んではいるんだけど、それができないから憂鬱になる。

 ただ単純にリトルペネントを狩るだけではクエストを達成できないのだ。目当てのアイテムが普通のリトルペネントからはドロップしないから。ここまで倒してきたリトルペネントは、総じて頭部に生えていたのは芽だ。芽というのだから、それは実となり花となる。現在新しい剣よりも望んでやまないアイテムは、花つきと呼ばれるリトルペネントの亜種が落とす代物なのだ。

 

「新しいのが湧いたみたいだな」

 

 索敵スキルによっていち早く敵の存在に気づいたダノワがそう告げる。便利な能力で羨ましい限りだ。隠蔽は現在死にスキルだし、気付かれるよりも先に発見できれば、戦闘を避けることも、奇襲をかけることもできる索敵は次の最有力候補間違いなしである。

 

「どうやら実つきらしいな」

「どうする...?あの実の部分を攻撃しちゃったら、わらわらと他のリトルペネントを呼び寄せちゃうんだよね?」

「ああ。ただ周りを彷徨かれても厄介だ。ソードスキルで秒で叩くぞ」

 

 ばれないように息を潜めながら作戦を建てた僕たちは、巨大な木の陰を利用しながら実つきとの絶妙な位置に身を隠す。

 

「アイツが向こうを向いたら飛び出す。バックアタックはクリティカル判定が高いからな。ソードスキルは軌道の浅い《ホリゾンタル》。間違っても実に当たる可能性がある《スラント》は使うなよ」

 

 数メートル離れた木陰から、顔だけ突き出したダノワにこくりと頷く。

 威力の高いダノワの攻撃と僕の攻撃を足せば、一撃でもリトルペネントは倒せるぐらいのHPだろう。どちらかでもクリティカルが入れば確実だ。

 

「同時に行くぞ。...さん、に」

 

 いち。その言葉は最後まで出ることは無かった。

 

「ッ!」

 

 思わず飛び出そうになった体を無理やり引っ込める。リトルペネントが突然振り返ったのだ。

 

「ま、まずい気付かれた!?」

「焦るな...!俺たちとは違う方向を向いている。...どうやらどっかの馬鹿が違う実つきを攻撃したらしいな。ッチ、この時間帯でここらに居るってことは俺と同じベータテスターの可能性が高いが、そうじゃない場合高確立で死ぬぞ...!」

「死...?!やばい!助けなきゃ!」

「落ち着け!言うほど簡単じゃない。実つきの仲間を呼び寄せる範囲はかなり広い。うじゃうじゃいるモンスターの坩堝に飛び込む覚悟はお前にあるのか!」

「...駄目だよ。それでも駄目だ!見殺しなんてできない!」

 

 知らない赤の他人であっても、死ぬかも知れない人をみすみす見捨てるなんて耐えられない。これ以上このゲームで死ぬ人間を増やすなんて、信哉兄ちゃんの弟である僕が許せる筈がない。誰かの為なんて殊勝な心意気を持ち合わせてる訳じゃないけど、ここで見て見ぬ振りをすれば暗い影が纏わりつく不安があった。

 僕はもう傷付きたくない。だから自分の為に助けたいんだ。

 

「...助けるにしろまず俺たちの安全を確保するのが先らしいな」

「なっ!?そんな...!!」

 

 ガサゴソと小枝が何かに擦れる音。それも一ヵ所だけじゃない。どうしてここまで接近されるまで気が付かなかったのか、獲物を狙っていた僕たちは、逆にモンスター達の包囲網に囲まれていた。

 

ーーー8体!いやまだ後ろにも!

 

 実つきの驚異に晒されたのは僕達も同じだったらしい。見知らぬプレイヤーとモンスターとの対角線上に居たらしい僕達の前に、リトルペネントの大群がその大きな口をまざまざと見せ付けるように近づいてくる。

 

「やるしかないな。ここで逃げてもこいつらは元凶の方に向かうだけだ。どのみち助けると言うなら倒すしかない」

「...デスゲーム初日にしたら些か波乱すぎるんだけど。これで報酬の武器がいまいちだったら恨むからね」

「ふっ。テツにしちゃ口が回るじゃねぇか。とりあえず各個撃破優先だ。囲まれたら終わりだと思え。タゲは俺が取る、隙を見て攻撃しろ」

 

 駆け出したダノワに続き、震える足を叱咤して僕も飛び出す。

 デスゲーム始まって以来の危険な戦いの幕開けだった。

 

 

 

 

 どれぐらい時間が経っただろうか。五分、十分?そんな時間感覚も忘れるぐらい、張り詰めた緊張感での戦闘はほぼ終盤に差し掛かっていた。

 

「死ね」

 

 短い死刑宣告。ダノワの横殴りに振るった大剣に巻き込まれたリトルペネントは、その大層な口が思わず恐怖を表したかのように曲げられ、そして呆気なく散る。

 ダノワの独壇場だった。全くと言っていいほどリトルペネントが相手にすらなっていない。僕の役割はほとんどダノワからモンスターの気を剃らし、存分にその火力を奮えるようにしているぐらいだった。

 残るは三体。実つきの効力が切れたのか、リポップをあらかた食いつくしたのか、これ以上増える気配は無い。ここが正念場だ。

 

「ダああああぁあああ!」

 

 雄叫びを上げて正面のリトルペネントに斬りかかる。図体が異形な分、返って攻撃動作が乏しいのか、僕でも充分見切れるようになっていた。

 右のツタの生え際部分から斜めに切り下ろされた斬撃は、見事リトルペネントのHPを削った。が、浅い。続く返しの刃は触手を切り取るように振るわれる。一撃目より多少HPの減りは大きいが、胴体よりやはりダメージの通りは薄いらしい。

 お返しだ、と言わんばかりのツタ攻撃を転がるようにしてギリギリ避ける。

 すぐに外れた視線を戻すと、ピクリと右のツタが動くのが目に入る。来る、と思った時には僕は剣で遮るように構えていた。そこに鞭のようにしなやかに伸びたツタが襲ってくる。よく防げたと誉めるぐらいの反応をしてみせた僕は、追撃を怖れてバッと後ろに退散する。

 

 不意の攻撃は距離を取った僕が、もう一度敵に剣をお見舞いしようと踏み込んだ時だ。

 

「ぎゃあああああああああ!!!」

 

 絶望、怨嗟、恐怖。それらが入り雑じった、断末魔だった。森の中に木霊するそれは、数秒でプツンと途切れた。

 動けなかった。まるで体に何かが纏わりついたかのように。それはあまりにも決定的な、敵の目の前で無防備とすら言える隙だった。

 それを見過ごして貰えるほど甘い世界じゃない。

 

「ぐぁあ!?」

 

 強烈なタックル。相撲取りがぶつかってきたような錯覚をするぐらいの突撃は、対処すら出来なかった僕を容易く吹き飛ばす。

 ゴロゴロと転がり、樹木にぶつかることでようやく止まったが、一瞬で僕の頭は真っ白に陥った。起き上がることもできない。固まったままの体は言うことを聞かず、視点は一点に集中している。

 徐々に減っていくHPのゲージ。まるで心臓が握り潰されるようなほどの激しい動悸が襲った。あれが尽きれば死ぬ。

 

「ハァ...ハァ...ハァ...!」

 

 過呼吸になりそうだ。それぐらいの同様、パニック。防御力の低い僕の体力は容易く半分を切り、注意域(イエロー)になって、緩やかに止まった。...まだ、生きてる...!

 だが、だからといって危機的状況が変わった訳ではない。追撃を許してしまえばこの体力じゃ心許ないどころか、本当に死んでしまう。

 思い出す誰かの悲鳴。あれは死ぬ間際の人間のそれだ。そして今その恐怖が目の前にある。

 

 ホラー映画やお化け屋敷で一番怖いのは、ゾンビでもお化けでも妖怪でも無い。自分以外の誰かの悲鳴だ。それが恐怖を連想させ、次に自分だと考えてしまう。

 その恐怖が今僕を襲っているのだ。

 死にたくない死にたくない死にたくない!

 そんな懇願に答えるかに、笑うように口を開けたリトルペネントがツタを持ち上げた。

 

「リタイヤするのはまだ早いんじゃねーか」

 

 飄々と、雰囲気に似合わない軽い口調で、僕とリトルペネントの間に割って入ったダノワは、その大剣で攻撃を受け止めてみせた。

 タイミング的には間一髪。なのに、それを感じさせない。

 

「スイッチッ!!」

 

 上手く攻撃をいなしたダノワが叫ぶ。

 僕はすぐに剣を持って立ち上がると、ソードスキルのモーションに入った。

 あれ?さっきまで金縛りにあったように動かなかったのに、どうして今はこんなに繊細に動けるのだろう。

 いや、今はそんなことどうだっていい。こいつを殺すことだけ考えろ!

 

「ウォオオオオオオオ!!」

 

 左からの横切り。初めて使ったソードスキルであるホリゾンタルの軌道だ。ダノワが隙を作ってくれたお陰で深々と胴体を切り払った。

 でもリトルペネントは倒れない。ギリギリHPをレッドで留めていた。プレイヤーとは違ってこいつに思考回路はある筈がない。全てAIによって定められた動きしかしないモンスターだ。だけど、僕から見たリトルペネントは、勝った!とほくそ笑んでるように見えた。

 ああ、そうだね。このまま終わるなら確かに僕の敗けだ。...けど、悪いけど僕の勝利だ!

 

 体の右側に流れた刀身。ホリゾンタルならここでソードスキルは終了する。だけど僕が放ったのは二連撃技だ(・・・・・)

 剣が逆向きに跳ね返る。一撃目の軌道を撫ぞるように右から左へ。片手剣二連撃ソードスキル《ホリゾンタル・アーク》。

 

 僕もリトルペネントも同時に動きが止まった。僕はソードスキルの技後硬直から。そしてリトルペネントは、たった今その命を散らしたからだ。

 ポリゴンの欠片に変わる効果音を聞き遂げながら、僕はへなへなとその場をへたりこんだ。

 

 

 

 

 

 叫び声が聞こえた方向を辿った僕とダノワは、発生源であろう場所に佇んでいた。

 

「遅かった、か」

 

 ダノワが呟くように、そこには誰も居なかった。プレイヤーもリトルペネント達も何の影もない。

 最初は運良く逃げられたか、と思った。巻き込まれた身としては言いたいことが色々ある。僕たちが死ぬ可能性だってあったのだから、文句の1つや2つは言ってやるつもりだった。

 もう叶わない。直接言える機会は永遠に訪れない。

 

「最後まできっと戦ったんだろうね。...ごめん。もう少し早く駆けつけれたら」

 

 顔も知らない相手へのせめてもの謝罪。別に謝る必要なんてどこにも無かったかも知れないけど、自然と口から零れた。

 

 回りの木々より少しだけ太い一本の木の根本に、それはまるで墓標のように添えられていた。《リトルペネントの胚珠》。クエストを達成する為のキーアイテム。

 多分この人もクエスト狙いでここに居たんだろうか。その答えも今となっては分からない。誰にも見られることなく、大事な人達と再会できずに孤独に死んでいく。あまりにも酷い。そんなの人間の死に型じゃない。

 

「テツ。そいつはお前が有効活用しろ」

「...うん。この人が生きていた証だ。僕が連れていくよ」

「一旦ホルンカに戻るぞ。クエスト達成したら宿に行く。今日はこれ以上は危険だ」

「分かった。もう少しだけまって」

 

 両手を合わせ目を閉じる。安らかに眠れるように。

 

 

 

 村に戻って真っ先にクエストを完遂した。病に伏したNPCの子供とそれを看病する母親。見るからに貧しそうで、生きていくのがやっとといった感じだった。病を治すためには薬の原料となる《胚珠》が必要。それがクエストの内容だ。

 僕が《胚珠》を渡すと、母親は泣きすがるように感謝する。薬を飲んだ子供もにっこりとありがとうを告げてきた。それが何とも言えなくて、歯痒くて。家を出てしまえば、またこの子供は病弱になるんだろう。母親は他のプレイヤーにすがるのだろう。そういう設定だから。

 

 

 新たに手に入れた片手剣《アニールブレード》は、とても重たかった。

 

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